ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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神々の政変(2012/5/6)

 皆月はペルソナを使えない代わりに、身体能力が並外れている。常人とは無論のこと、ペルソナ使いのそれと比較しても他と一線を画す領域にいる。パワー、スピード、スタミナのいずれも並ではない。反射神経や精密動作性もそうだし、特にディフェンスの巧みさは群を抜いている。

 

 剣や拳はもちろん不可視の遠当てでも見切れるし、炎や雷さえ刀で防げる。気合を込めた掛け声だけでかき消すこともできる。だから敵がペルソナの魔法で距離を取って戦おうとしても、あっという間に刀の間合いに入ってしまう。

 

 そして間合いに入られると、足立でも苦しい。

 

「マガツ!」

 

 魔人のペルソナは長柄を上段から振り下ろす。皆月は刀で普通に受けることはせず、相手の振り下ろしに自分のそれを合わせる。右の刀がペルソナの武器と衝突した瞬間、長柄は打ち落とされた。剣道で言う面打ち落とし面、古い剣術では極意とされる切り落としを無造作に行った。攻防一致の刀が魔人の鉄仮面に当たり、切り裂く。皆月はフィジカルだけでなく、テクニックも並外れている。

 

 ペルソナはそれ自体が攻撃を受けても失われはしないが、ダメージは本体にも多少だが還元される。そして再度の召喚にはタイムラグが出てしまう。矛にして盾であるペルソナを切り落とされた足立は、襲い来る皆月の左の刀を拳銃の銃身で受けた。

 

(くう……何つー馬鹿力!)

 

 銃を持つ右手が猛烈に痺れて、取り落とさずにおくだけでもかなりの努力を必要とした。昨年12月に有里の銃弾を受けた時のようだった。

 

 もし二人以上で戦えば、それも足手まといにしかならない格下ではなく足立と同等に近い使い手、例えば悠が味方としてここにいれば、皆月を倒すこともできるだろう。しかし足立は一人である。正攻法では絶対に勝てないとまでは言わないが、相当に分が悪い。勝つには何か策が必要だ。

 

(あれか……!)

 

 そしてある策を思いついた。昨年12月にやった勝負を、手の痺れから連想しながら。

 

「ボサッとしてんじゃねえぞ、オッサン!」

 

 過去の出来事に意識を割いた瞬間、皆月の右の刀が横から襲ってきた。速さ、タイミング、斬りつける位置の全てが完璧だ。これはかわせない。胴体を真っ二つにされて死ぬ──

 

 ──

 

 と思いきや、致死の斬撃は襲ってこなかった。交通事故のような峰打ちの鈍い音が塔の頂上に響き渡り、衝撃が足立の五臓六腑に浸透した。脇腹を震源とした打撃は体の中で津波を起こしたようで、指先まで激しく揺れる。右手の銃を落とさずにいられたのが、不思議なくらいだ。

 

「オ、オッサンなんて年じゃないよ……」

 

 そして声を出せたことについては、褒めてもらってもいいくらいだ。

 

「オッ、サンジュッサイにもなってねえんだっけ? ははは!」

 

 皆月は右の刀を手の中で一回しして、峰と刃の向きを本来の形に戻した。しかし改めて足立を斬りはせず、腰に巻いた上着に差した鞘に納めた。そして左の刀も納めた。だがこれは武装解除ではない。武器なら他にもある。

 

「おらあ!」

 

 鉄の塊が足立の左の頬を襲った。それが固く握った右の拳だと足立が気付いたのは、左の鉄拳が右の頬に当たった時だった。足立は床に仰向けに倒れ、皆月はその上に跨る。格闘技で言うマウントポジションだ。

 

「てめえは池に絵を描いた奴だからよ! 殺すわけにはいかねえんだ! こんくらいのカンベンなやり方でカンベンしてやるぜ!」

 

「い、生贄?」

 

「そうだ! 分かってんじゃねえか! ははは!」

 

 殺し合いで馬乗りの体勢になったのなら、刀で一気に突き刺すべきである。しかし皆月はそうしない。ただただ拳で殴る。もちろん本気でやれば拳だけで足立を殺すこともできるが、敢えてそうしない。自分のダジャレを分かってくれたのが嬉しいので、もう少しだけ殺さずにおいてやろうとでも言うように、加減しながら殴る。象徴化されると面倒なので、それもしないよう絶妙な線を器用に攻める。

 

「ぼ、僕はもう、大人しくしているつもりだったのに……何で……」

 

 やがて足立は泣きそうな声を出した。視線をずらして皆月を横目に見るその目元には、実際に光るものが浮かんでいる。それが皆月の琴線に触れた。触れてしまったことが、過ちの始まりだった。

 

「くくく……ウケる! チョーウケるぜ、お前! いいぜ! 冥土の土産に教えてやるよ!」

 

 馬乗りの体勢のまま、皆月は足立の胸倉を掴んで引き起こした。殴られて腫れが出ている足立とは違う意味で傷のあるその顔を、額が触れ合うほど寄せる。炎が噴き出るような熱い息が、足立の顔にかかる。

 

「てめえのペルソナは他の奴らのとは違う! てめえの中から出てきたんじゃねえ! アレみたいな奴から貰ったもんだろ!」

 

 皆月は言いながら異形の月を指差した。他人から貰ったペルソナ──

 

 特別捜査隊のペルソナは本人から出たシャドウを、悠がペルソナに転化したものである。そして悠のペルソナは本人のシャドウが転じたものではなく、他人から与えられたものだ。厳密には人ではなく、ある超常の存在からだ。ただしそれは今夜降臨しようとしている存在とは別物である。足立もそのパターンだ。

 

 なお悠と違って、足立は自分にペルソナを与えた存在と直接『再会』したことはない。しかし悠がそれと対峙する現場を見たことはある。夢で見たようなものだが、とにかくある。だから皆月の指摘が正しいことは分かる。

 

「ああいう奴はな、似た力を取り込んじまうとそれが邪魔になって、本来の力を発揮できねえんだと! だからアレを飼い馴らすには、てめえのペルソナが一番なんだよ!」

 

 ペルソナなら既にアイギスから奪っているが、そこへ更に足立のペルソナも投入する。前者は土台で、後者はそれを制御するものだ。神智学で言えば、各々エーテル体とアストラル体に相当するか。

 

「な、なるほど……」

 

 足立は皆月の説明を全て理解できたわけではないが、最低限は分かった。自分は特別な存在だなどと自惚れてはいないつもりだったが、ある意味でそれは正解だった。特別なのは足立自身ではなく、足立に力を与えた者だった。だがそうすると、また別の疑問が出てくる。

 

「……でもさ、それなら鳴上君でもいいんじゃないの?」

 

 特別な存在から特別な力を与えられたのは、悠も同じだ。生田目もそうだろう。どうして彼らを生贄にしないのか。もちろん推測は足立にもできる。例えば悠たちは予備として使うつもりでいるとか。

 

「まあな……でもよ、あいつにだけは見せてやりたかったんだ」

 

 ここで皆月は雰囲気が変わった。何を言う時でも叫ぶように喋っていた、騒々しい炎の火勢が急に衰えた。足立に近づけていた顔を離し、目を逸らす。

 

「見せたい……何を?」

 

 しかし炎はすぐにまた盛り返した。噛みつかんばかりの距離まで再び顔を寄せ、鼓膜がおかしくなりかねない大声で叫ぶ。

 

「絆、絆、絆だ! あのクソ野郎はな! クソッタレな馴れ合いを、あいつともしてやがんだよ!」

 

 皆月の声量は凄まじい。聞かなければ良かったと後悔してしまうくらいの、猛烈な絶叫だ。しかも質問の答えになっていない。

 

「あ、あいつって?」

 

「ミナヅキだ!」

 

 文字に起こさず口頭だけだと訳が分からないセリフだが、これは分かった。皆月と体を共有しているものの性格は正反対な、ペルソナを操る酷薄なミナヅキは、エントランスで悠と以前からの知り合いのように喋っていた。その様子を足立も見ていた。世界を滅ぼし作り変えることに理解を求めたり、悠が3月に何をしたのか知っていたりと、明らかに浅からぬ縁がある感じを振りまいていた。

 

「なあ、てめえもだろ! てめえもやってやがったんだろ! あのクソ野郎と絆ごっこをよお! クソの取り巻きだったんだろう!?」

 

 悠の信者と同列に扱われるのは足立にとっては心外だが、それは今言うべきことではない。代わりに皆月の気持ちを代弁してやった。

 

「ああ……なるほど。彼ってば、君の大事な大事なミナヅキ君にまで手を出してたのね。とんでもない間男だ」

 

 皆月は足立を引き起こして立たせた。そして満身の憎悪を込めた目で睨む。まるで悠のしたことは、足立のしたことだとでも言うように。泣き出しそうな足立の顔を皮膚一枚でも剥けば、そこから悠の顔が出てくるはずとでも言うように。愚者と道化師は同一人物であるとでも言うように。理不尽な怒りと憎しみ、つまりは八つ当たりをぶつける。

 

「そうさ……そうさそうさそうさ!」

 

 鉄の拳が再び唸りを上げた。ひねくれた子供らしくもなく、ミナヅキを取られたことが悔しいと素直に認めながら足立を殴る。激しすぎる感情が込められて、子供とはとても思えない重さの凶器で殴る。間男と同じ力を持つ男を、自分はどれだけ望んでも得られなかった力を、何の努力もなしにただそういう運命だからという理由だけで与えられた男を殴る。

 

 そして最後は投げ飛ばした。二年前の有里のようにボロ雑巾になった足立は、塔の頂上の端まで転がっていった。

 

「あぐっ……はあ、はあ……」

 

 さすがに殴られ過ぎた足立は息が上がっている。しかしそれでも拳銃は手に持ったままだ。皆月と距離が開いたこの隙に、拳銃からシリンダーを振り出した。

 

「だからあいつには見せてやりたかったんだ! あいつの大好きなクソ世界が滅びるところをなあ!」

 

 シリンダーに指をかけて回転させた。その音は叫んでいる皆月には聞こえていない。

 

「あいつの馬鹿でクソで間抜けな取り巻きどもにも、ついでになあ!」

 

 足立はようやく納得した。ここに呼ばれた最初の時にミナヅキが言っていた、この赤い霧の中ではめったに人は死なないとのルール。一定以上の傷を負うと象徴化し、墓場に送られるこのやり方は皆月が望んだのだと、ミナヅキは言っていた。それは皆月は口では大きなことを言うくせに、実は人殺しなどできない甘ったれたガキだから。足立はそう思っていたのだが、そうでもなかった。刑事の勘も外れることはある。現職ではない元刑事の勘ならなおさらだ。

 

 ミナヅキ同様、皆月も人を殺せる。ただ相手を傷つけて苦しめて、狂うほどの痛みを与えてやりたいと願うタイプだったようだ。ただしそれが単なる嗜虐趣味によるものなのか、それとも別の要因があるのかまでは分からなかった。しかしそこまでの深い事情には、足立は興味がない。

 

 聞くべきことは聞けた。そして皆月を倒す策を実行する準備も整った。足立は体を起こして立ち上がり、シリンダーを戻す。そして銃口を自分のこめかみに当てる。

 

「よく分かった。じゃあ、こうすりゃどうかな」

 

 この銃は召喚器ではない。撃てば人を殺せる本物だ。五連発式で、ペルソナの欠片を破壊する時に一発だけ撃った。皆月は今の今まで足立を殺さず、生贄にもせず、長広舌を振るい続けている。その詰めの甘さを今こそ突く。

 

「てめえ……」

 

 創面を覆っていた怒りの種類が変わった。目にも止まらぬ速さと無駄の全くない達人の動きで鞘を払い、二本の刀を左右の手に瞬間移動させる。

 

「自殺なんか、させっかあ!」

 

 皆月は駆けた。太陽の少年は刀を使えば異常に強いし、素手でも猛烈に強い。頑丈すぎる体を共有する、大事で愛しくてだが憎い月の存在よりも強い。ついでに足も速い。だがいくら何でも、ただ指を動かして引き金を引く動作よりも速く走れはしない。

 

 もし足立に迷いがあったら、また話は別だった。昨年12月に有里を射殺しようとした時のように、一秒の何分の一かでも躊躇して逡巡して、自分にあれこれと言い聞かせでもしていたら、足の速い皆月は間に合っただろう。しかし今の足立に迷いはなかった。同じ失敗は繰り返さない。

 

 ──

 

 足立の頭からガラスが割れる音が発せられた。神秘な赤い霧が怯えて逃げ出すほどに、強烈な破砕音だ。足立の脳裏では尖ったガラス片が体中に飛び散り、全身を内側から刺し貫くイメージが浮かんだ。しかし本当に体を傷つけられたような痛みの感覚はなかった。死を覚悟することがペルソナ召喚なら、足立はこれ以上はない覚悟を示したのだ。痛みや吐き気を覚えることはなく、ただ純粋な力を我が物にした。

 

 そうして顕現したマガツイザナギは、いつもと様子が違っていた。外套は風を受けたように激しくはためき、周囲では赤い雷電が渦を巻いて霧を蒸発させている。黒い鉄仮面の目庇から零れる金色の光は霧によって散らされることはなく、むしろ激しく燃え盛って己の強さを主張する。

 

「オオオオ!」

 

 いつもと違うマガツイザナギは、生き延びた歓喜の雄叫びを上げながら皆月に吶喊する。長柄を大きく振りかぶり、電光以上の速さで振り下ろす。

 

「ふん!」

 

 皆月は左の刀で再び切り落としを仕掛けた。ペルソナの長柄を打ち落とすのと攻撃するのを、同じ一手で両方とも達成する技だ。だが刀と長柄が接触した瞬間、悔しいが、血を吐くほど悔しいが望み通りにならないことを悟った。込められた力は想定よりずっと強い。皆月より強い。

 

 生きるか死ぬか、五分の一の確率をくぐり抜けた魔人は幸運の恩恵を受けている。その力は普段の足立はもちろん、オルフェウスを操る有里を超え、絶好調の皆月を超え、綾時と隆也にさえ近づく。

 

「てめっ……!」

 

 体を強引に捻ってマガツイザナギの初撃を回避するのが、かろうじて間に合った。しかし正中線は完全に崩れてしまった。転びはしなかったが、即座の反撃ができる体勢ではない。上体と足の位置を直そうとしている間に、強化された魔人の第二撃が来た。振り下ろした長柄を返し、下から切り上げてくる。そのまま振り抜かれると、皆月は逆袈裟に斬られて真っ二つになる。下がったり屈んだりしてかわすのは、もう間に合わない。刀で止めることもできない。やれば刀ごと斬られる。

 

「……!」

 

 達人の戦闘センスは、前に出ることを要求した。一歩踏み込んで打点をずらし、刃よりも内側に入る。それで致命傷は防げる。しかし打撃までは防げない。

 

「ってえ……!」

 

 マガツイザナギの長柄の打撃を食らった皆月は吹き飛んだ。踏み込んだ分だけ威力は減殺され、体に刃は当たらなかったので斬られてはいない。しかし刀の峰打ちでも人は死ねるように、柄の打撃でも骨くらい折れる。高すぎる回避能力のせいで痛みに慣れていない皆月は、足立がいるのとは反対側の頂上の縁でうずくまった。

 

「おやおや……僕ってば、運が良くなっちゃったのかな?」

 

 人の運勢は日により時により変わり得る。12月にロシアンルーレットをやろうとした時は、死ぬ確率の五分の一が来てしまったが、今夜は同じ確率で生き延びる方が来た。

 

 足の速い者が競走に、強い者が戦いに必ず勝つとは限らない。魚が運悪く網にかかったり鳥が罠にかかったりするように、人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。

 

 足立が数歩近づくと、皆月は体を起こして立ち上がった。創面を大きく歪めて、刀を持った手の甲で脇腹から腰の辺りを押さえている。肋骨を何本か、または腰の骨でも折ったか。十字の傷は赤く光り、青い目の中で憎悪はこれまで以上に滾り立っている。しかし体がついてきていない。ここが決め時だ。

 

(……()る)

 

 足立は足を肩幅に開いて腰を軽く落とし、拳銃を握った右手に左手を添えた。肘は少し折り曲げて衝撃に備え、両目を開いて照準を見据え、照星を合わせた。狙いは標的の体の中で最も大きな部分の、その中心。つまり相手の胸。正確に言うならば心臓だ。警察官として習った最も基本的な射撃の姿勢を取った。足立は元より銃の腕には自信があるが、この距離でこの構えなら百発百中でいける。当てる気さえあれば、必ず当たる。

 

(引き金は引くんじゃない。絞るんだ。指に力はいらない。これは女子供でも、大の大人を殺せる……。銃ってのは、そういうもんなんだから)

 

 人が素手で人を殺せるようになるには、長年に渡る厳しい鍛錬が必要だ。人並みを大きく超える筋力がまず必要だし、様々な技術も必要だ。本来壊れやすい拳を鍛えるのは大変なことだし、首の骨を折る技も一朝一夕で身に付きはしない。

 

 刀で人を殺せるようになるのも、かなり難しい。皮や肉を斬るのは素人でもできるが、骨まで断つのは容易ではない。重い刀を鋭く振り、腰を入れて刃筋を立てて、正しく斬るには相応の稽古が必要だ。

 

 だが銃はそうではない。無論ある程度の訓練はいるが、素手や刃物で殺すよりもずっと簡単だ。容易く人を殺せる兵器を持つ権利。それこそが警察官の特権だ。

 

 引き金を絞る直前、標的と目が合った。その状態のまま指に力を入れた。

 

 ──

 

 初弾は腹に当たった。他の本物たちであれば、象徴化するだけの傷を負わせた。

 

 一定以上のダメージを負うとペルソナ使いは棺桶の姿に変わる。これは世界が滅びる様を見せる為に用意されたルールだったはずだ。しかし皆月は依然として人の姿でいる。それは皆月はペルソナを持たない為に、象徴化のルールが適用されないのか。それとも──

 

「ざっ……けんじゃねえぞ! てめえなんかに……てめえなんかに!」

 

 銃で撃たれたら人は死ぬ。毒を盛られても死ぬ。どれだけ強かろうが、苛烈な訓練で常人離れした体力を身につけようが、死ぬ時は死ぬ。やり残したことがどれだけあるかも、残される人がどれだけいるかも関係ない。狩人は不意に、唐突に、思いがけない時に、生ある者を刈り取りに草葉の陰からやって来る。

 

 顔の傷が赤く光っている皆月は腹を押さえているが、血は止まらず流れ続けている。その様子を照準の間から覗きながら、足立は再び己に言い聞かせた。

 

(引くんじゃない。絞るんだ)

 

 足立はもう一度指の運動を行った。余計な力が入ってしまった最初と違って、今度は優しく。

 

 ──

 

「あがっ……」

 

 二発目の銃弾は胸に当たった。練達のペルソナ使いが放った凶弾は、ペルソナを持たないイレギュラーな最強の男の心臓を確かに貫いた。十年以上前、そこに埋め込まれた青い羽根が砕けた。

 

「う……あ、あ、ああ!」

 

 皆月はよろけ、後ろへと倒れ込んだ。そこにはもう床がなかった。かつて皆月の『父』が美鶴の父に撃たれた時のように、存在しない過去の幾月が月見の塔から落ちたように、『息子』は月に祈る塔から落ちた。

 

「あああぁぁぁー!」

 

 長く引き伸ばされた絶叫を残して、皆月は姿を消した。塔の頂上から、大会の表舞台から、赤い霧の世界からいなくなった。

 

 かくしてP-1クライマックス四回戦第二試合の決着はついた。大逆転で足立の勝利である。しかし勝った本人は少しも嬉しそうではない。腫れの出た顔に勝者の覇気はなく、銃を下ろして長いため息をつく。

 

「はあ……またやっちゃった。もう殺しはしないつもりだったのに……」

 

 とは言うものの、別に人殺しをやめることの誓いを立てた覚えはない。逮捕されてから、もっと言えば尚紀が早紀を連れてきた時から、そうしようと何となく思っていた程度の漠然としたものだ。誰かと約束したわけでもない。つまり『契約』ではない。だからエントランスの時から皆月を殺すことを考えていたし、やっても後悔してはならないと自分に言い聞かせていた。

 

(まあ、しょうがないか)

 

 自分の腹に手を当ててみたが、三人目の殺しに対して胃は抗議してこない。拘留先で食べた夕食の煮物はもう消化されたようで、いつぞやの畦道でやったように吐くことはなさそうだった。

 

 自分の業を思う気持ちを一旦切り替えて、再び赤い月を見上げた。正しくは月の代わりに夜空に浮かんでいる『顔』を見上げた。それを呼んだ、言わば『召喚師』の皆月がいなくなっても、呼ばれた方は自然に立ち去りはしないようである。皆月がアレと呼んでいた超常の中でも超常の存在は、まだそこにいる。巡る時計の炎、奪われたアイギスのペルソナもまだそこにある。

 

(僕のペルソナでアレを飼い慣らすってことは……僕があの中に飛び込めばいいのかな?)

 

 アレを制御する、言わば核に足立がなる。するとアレとやらは大人しくなって、他のペルソナ使いに黙って倒されてくれるかもしれない。この事態を解決する方法として、そういうやり方がありそうだった。ただそんな無茶をやって、足立自身が助かるかどうか。それはやってみないと分からないが、元刑事の勘は『助からない』と言っている。もちろん勘は外れることもあるが。

 

「命と引き換えに世界を救うの? うっわ、やだねえ……」

 

 別に惜しい命ではないが、そういう死に方はご免被りたい。何が悲しくて、大嫌いな世界の為に犠牲にならねばならないのか。そういうのは余程のお人好しか、ただの死にたがりか、もしくは神か何かから十字架にかけられる宿命を背負わされた人間がやるべきだ。足立はそのいずれでもない。

 

(鳴上君でも同じことができるんだし、彼に任せよっかな……)

 

 と思っていると、後ろからポスポスと気の抜けた音がした。

 

「ひょっほー! さっすがアダッチー! 世の中ヒガんでるクソガキなんか、ヘロヘロのプークマねー! 慈悲なし、容赦なし、躊躇なし! なしなしなしの、ダークヒーロー! もうクマ、痺れちゃう!」

 

 クマ総統だ。着ぐるみのままで手を叩いている。拍手する際に手袋をしているなら外すべきだが、クマ総統はクマと違って中身がないので着ぐるみを脱ぐわけにいかず、こんな拍手になる。ちなみに陽介に斬られた部分はもう繋がっている。継ぎはぎの跡などは、もちろんない。

 

「P-1クライマックス、栄えある優勝者はチミクマ!」

 

「あれ、もう決まりなの?」

 

「イッエース、ザッツライト!」

 

 偽物は既に全滅しており、優勝候補最右翼の皆月が脱落したことにより足立以外で残っているのは悠と陽介、有里の三人だけになった。彼らから見れば足立は向背が定かでないが、もちろん足立は世界を滅ぼすつもりなどない。よって決まりである。

 

 もっとも何が決まったのかは、実は足立は分かっていない。足立は皆月の仲間でもクマ総統の下僕でもない。昨年の事件と違って犯人やその一味ではないので、P-1クライマックスと題されたこの大会の主旨が何であるのか、分かっているわけではないのだ。

 

「つか、君は?」

 

「はっはっはー! なーに寝ぼけたこと言ってるクマ! クマはねえ、この大会の参加者じゃなくて主催者だから!」

 

 瞬間、クマ総統の目が光った。よくあるシャドウの金色ではなく、赤く光った。血のように、夕陽のように、そして炎のように瞳が揺らめいた。そこから力が発せられた。エントランスで悠と陽介を封じた、あの力である。

 

「ぐっ……!?」

 

「地べたを這い回って互いに食い合う貴様らとは、格が違うのよ」

 

 主催者は大会の主旨や目的を定め、人を集めて開催することが仕事だ。他には優勝者に賞品を授与するのも仕事である。試合に出て対戦相手と潰し合うのは参加者がすることだ。

 

「お、お前は……!?」

 

 足立は赤い目で動けない。この金縛りの術は皆月たちも使っていたが、本元はクマ総統だ。かかる圧力はひと味違う。やろうと思えば、体だけでなく心臓も動けなくしてしまうこともできる。

 

「喜ぶがいい。貴様は世界を救わずともよいのだ!」

 

 クマ総統は足で床を叩いた。テレビの世界の出入口である三段テレビは、今は拠点のスタジオに常設してあるが、出す時はクマはこういう仕草をしていた。

 

 しかしクマ総統が出すのはテレビではなく、棺桶だった。負傷したペルソナ使いが入り、皆月は入れなかった野戦病院へ送る為の担架、または死の象徴である。赤と黒の光沢を放つそれを、総統は床から手品のように取り出した。音もなく浮き上がってきたそれを、金の髑髏の意匠がついた杖で叩く。力尽くでは悠も皆月も開けられない安息の箱が、ひとりでに開くように呆気なく開いた。生田目が行使した蘇生の術、即ち生死の境を越える秘術をクマ総統も使った。

 

「アイギスさん!?」

 

 夫から酷い家庭内暴力を受けた、もとい偽物の夫に剣で刺されて、象徴化したはずなのにラウンジに落ちてこなかった行方不明の妻だ。それが棺桶の中から出てきた。もちろん機械ではなく、人間の体である。

 

 ちなみに足立はアイギスと面識はないが、『ハードコアイベント』は頂上に湧いて出てきたテレビで見たので、顔と名前は一致している。

 

 クマ総統はアイギスの頭を着ぐるみの手で掴んだ。人一人を片手で軽々と吊るし上げる。菜々子が一度死んだ日に悠が生田目を片手で吊るしたように、人外の力を発揮する。

 

「ふふふ……あの愚かなガキはよくやったわ! この女を我に捧げたのだからな!」

 

 アイギスは既にペルソナを奪われており、しかも気を失っているように動かない。立て続けのショックで抜け殻状態だ。しかしまだ利用価値がある。むしろ抜け殻だからこそ都合がいい。

 

「この女こそ最適なのだ。人形として生まれ、救世主となり、死神を産んだこの女がな! しかもこ奴自身の心は折れておる! 有象無象のシャドウやペルソナの欠片などとは比較にならぬ! 神たる我が真なる力をもって現世に蘇る為に、これ以上の依代はあり得ぬ!」

 

「神……?」

 

「そうだ……震えるがいい、人の子よ!」

 

 神は仮の姿で現れ、仮の名前で自分を呼ばせることが多い。多めに仮装した着ぐるみの姿は仮のものであり、クマ総統という呼び名も仮のものだ。存在を表す真の鍵、即ち真の名は別にある。超常の中でも一歩進んだこの存在は、赤い瞳から発する光がますます大きくなった。炎のビジョンが吹き上がり、周囲の霧は渦を巻き始めた。

 

「我はヒノカグツチ! 世界を焼き殺す者である!」

 

 この塔に降臨する存在はニュクスではなかった。よってこの塔はタルタロスではない。言うなれば『カグツチ塔』。そして赤い霧が満ちた世界は影時間ではない。言うなれば『ボルテクス界』。創世の舞台だ。

 

 そして創世とは神の代替わりだ。世界を支配し、守り、礎となり、進む先を決める存在が変わることだ。

 

「ふふふ……ははははは!」

 

 クマ総統、もといカグツチはアイギスを上へと放り投げた。その弾みでアップにまとめられた髪が解け、腰まで届く長い金髪が広がった。その髪を掴まれて引きずられるように、かつての救世主は自分のペルソナが巡る天の時計に向かっていった。

 

「足立透……我が母より父の似姿を与えられ、禍津に落ちし者よ! 貴様には、我が最初の贄となる栄誉をくれてやろう!」

 

 大会優勝者への豪華賞品の内容を告げるやいなや、着ぐるみの体は溶けた。今夜の偽物たちが滅ぶ時にそうなったように、形が崩れて泥の塊になり、泡を立てて蒸発した。そして光の粒が渦を巻き、アイギスを追って上空へと向かっていった。その色は、やはり赤だった。

 

「くっ……ぶはっ!」

 

 それと同時に金縛りの術が解け、足立は息を吐きだした。皆月に散々殴られて腫れた顔を天に向けると、今夜の真打がいよいよ登場しようとしているところだった。時計の円盤に現れていた男の顔が動き、表に出てきた。それは肩を出し、手を出し、口を開いた顔を前に出してきた。

 

 ワイルドの十二のペルソナと赤い光に包まれたアイギスを、天から降臨してきた赤い邪神が飲み込んだ。

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