ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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創面貌の救世主(2012/5/6)

 煉獄で悠と皆月が死闘を演じていた間、天国もとい塔の頂上では炎と風が踊っていた。カグツチは上空から高笑いしながら、レーザー砲や邪霊の群れを放つ。恨みを飲み込んで共同戦線を張る陽介と足立は、青春の風に乗って縦横無尽に駆け回り、頭上から下される攻撃をかわし続けている。

 

 ただしこれはかわすことを許されている、と言った方が正しい。

 

「はっはっは! 虫どもよ、無様に地を這い回るしかできぬのか!?」

 

 カグツチは余裕綽々だ。小さな虫が一匹や二匹いたところで巨獣を殺せるはずがないことを、よく分かっている。そして虫を殺すことは極めて容易いのだが、敢えて遊んでやっている。

 

「ベタな煽りしてんじゃねえよ!」

 

「クソッタレめ……こっちの攻撃が効かねえってのが厄介だぜ」

 

 補助魔法の効果によって、これまで二人はカグツチに捕まらずに済んでいる。しかしこれは遊ばれているに過ぎない。カグツチはモグラ叩きに付き合っているだけで、やろうと思えば二人の足場である頂上の床全体を、一瞬で火の海にしてしまうこともできるのだ。しかもシャドウやペルソナの耐性を貫通するカグツチの火は、火炎が効かないはずのテセウスにも通じる。神がその気になれば、最強に近いペルソナ使いも赤子同然である。

 

 そして陽介たちの攻撃が通用しないのが、戦いをより消化試合のようにしてしまう。風や雷、斬撃は言うまでもなく、万能魔法さえどういうわけか効かない。

 

(ったく、アレやったら効くかな?)

 

 足立は銃のグリップを握る手に力を入れた。アレというのはロシアンルーレットだ。皆月を倒すきっかけを得た運任せの勝負をやれば、カグツチを倒せるだろうかと考える。五連発式のリボルバー拳銃の残弾数は一だ。最大四回までの重ね掛けが可能である。最後まで生き延びられれば、或いは──

 

(いや、駄目だろ。やっても無理だって、僕のシャドウは言ってたし)

 

 変に素直でない天邪鬼な性分を抑えて、足立は夢で『自分』がしてきた制止を受け入れた。命を惜しいとは思っていないが、無駄に死ぬのは悔しい。妙なところで子供っぽい炎の巨人に猛烈に馬鹿にされるのが目に見えているだけに、余計に癪に障る。

 

 一方で陽介は命を惜しんでいる。もしロシアンルーレットをやって生き延びれば、カグツチを倒せると言われても断る。遊ばれていると分かっていても、必死に地べたを這い回って生き残る道を探す。

 

(こんなトコで死んでたまるか!)

 

 陽介は死にたいなどと思ったことは元よりない。それに加えて、ラビリスが待っている今は本当に死ねない。奇跡的に人間の体を得たかの乙女とは、一度抱き締めあっただけだ。それだけを思い出にして死の淵に飛び込んで悔いずにいられるほど、陽介は無欲ではない。むしろグランプリの頃から欲は深くなっている。

 

「くくく……死を恐れるか。死すべき定めの人の子よ」

 

 そんな二人の心の内を、天から現れた存在はまさに天から見下ろすように見透かす。

 

「恐れるには及ばぬぞ。我が炎に焼かれるとは、ただ灰塵に帰すことに非ず。なぜならば……」

 

 カグツチは異形の両手を広げ、牙の生えた口を開いた。己の力と恐ろしさ、そして偉大さを改めて見せつける。溢れる炎は空の穴の周りだけでなく、全天を覆うように広がり続けていく。それはもはや炎と言うよりも天空を支配する日月、つまりは光そのものだ。汲めども尽きぬ無限の光。まさに無尽光だ。言い方を変えると──

 

「我こそは真理、我こそは総意、我こそは宇宙と等価の存在! 即ち……我こそが宇宙! 世界そのものであるからよ!」

 

 ある種の宗教的な訓練を積むと、人は自分と世界の境界が曖昧に感じられることがある。カグツチが言っていることは、原理的にはそれと似た話かもしれない。しかしその手の感覚を経験したことがなく思想も知らなければ、全く理解できない話だ。

 

「ムチャクチャ言ってやがんな! 意味分かんねえよ」

 

 陽介はペルソナ使いではあっても、天人合一やら梵我一如やらの思想は知らないし経験もない。もちろん足立も同様だ。

 

「人間だったら誇大妄想の気があるっつって、精神鑑定送り決定だけどね!」

 

 ただしカグツチは人間ではない。ペルソナ使いの肌感覚だけでも超常の存在であることは分かるし、見た目も違う。顔があって手があるのは人間と同じだが、そのどちらも人間のそれとは大きくかけ離れている。よって逮捕も裁判もできないし、精神病も何もあったものではない。

 

 そんな不心得者な二人のもとへ、もう少しその手の感覚や知識のある者がようやくやって来た。

 

「宇宙のアルカナだということでしょう」

 

 数多いる神の一柱に過ぎない元のカグツチは、クマと同じアルカナだったかもしれない。クマ総統などと名乗っていたことがその傍証だ。そしてワイルドのペルソナ、即ち十二の大型シャドウを生贄として降臨した今、宇宙の主宰者にまで格が上がった。そういう意味だろう。

 

「お、やっと来たね!」

 

「有里さん!」

 

 救世主の十字架にかけられて永遠の苦役を背負った経験のある男が、火の神を祀る塔の頂上に辿り着いた。ちょうど階段の近くにいた陽介と足立は、揃って振り返って最強の男を迎える。有里は連戦のせいでスーツはくたびれていて、顔に疲労の色も出ているが、まだ余力はあることが伺えた。

 

「ふふふ……待たせおって。死んだはずの男、即ち運命の外にいる男、有里湊……随分遅い到着だったではないか?」

 

 カグツチは依然として余裕の構えを崩さない。むしろ有里が来るのを待っていたとの物言いだ。

 

「どうする気ですか?」

 

「僕がアイギスの身代わりになる」

 

 有里はまず自分のプランを端的に述べてから、どういうことかを語る。曰く、今の有里が使うペルソナは子供たちから借りたものだが、それは他と異なる特別なペルソナである。単に懸絶して強いというだけでなく、本物の神に通じるものだ。それはカグツチ自身に近いものでもある。そういう力を取り込んでしまうと、または内側に入り込まれると、神といえども十全な力を発揮できなくなる。

 

「ああ……そういや皆月もそんなこと言ってたね」

 

 足立の補足に対して、有里は話が早くて助かるとばかりに頷いた。

 

「そうすればあいつは無敵ではなくなりますから、後は足立さんと花村君の二人で倒せるはずです」

 

「でもそんなことして……有里さんは助かるんですか?」

 

 しかし陽介の指摘には少しばかり困った顔になった。聞かないでおいてほしかったことを、聞かれてしまった。足立は敢えて触れなかったことに、まだ若い陽介は口に出して聞いてしまった。そんな余計な問いに対する答えは──

 

「アイギスは助ける」

 

 有里は『自分は助からない』とは言わない。最初に言った通り、夫は妻の身代わりになる。生きるか死ぬかの説明はそれで十分であり、他の言葉は余計であるばかりか無粋ですらある。

 

「僕が……いや、君しかできないことかもしれないね」

 

 足立は『僕がやってもいいよ』と言いかけたが、やめた。命は惜しくないが、世界の為に犠牲になるのは足立の柄ではない。それはつまるところ気持ちの問題に過ぎないものの、精神面がものを言いすぎるペルソナ関係では、当事者の思いを無視することは危険だ。たとえ足立が『自分がやる』と口で言っても、納得できない思いや躊躇はどうしても残るはずだ。そうすると希望通りの結果が出ないかもしれない。救世主の宿命は誰でも背負えるものではない。ここは少しでも可能性の高い方に賭けるべきだと考え直した。

 

「……」

 

 陽介は瞑目して短剣を持つ手に力を入れ、歯を食いしばる。たとえ犠牲が出ても、それで足を止めることはしない。陽介は堂島とした約束を守るつもりはあるが、本当に犠牲が出るとなると心に来るものがある。自分は人柱になれず、なりたくもなく、なる男をただ見送らねばならないのは辛い。悠や足立と違って陽介は有里との付き合いは短いが、もはや戦友に等しいのだから。

 

「しゃあねえっすね……分かりました」

 

 だがそれでも陽介は頷いた。どれだけ力を尽くしても、最善の結果を常に得られるとは限らないのが世の中だ。理想ばかりを追う子供から離れ、大人の領域に足を踏み入れた者として、自分を納得させた。食いしばった歯で無念を噛み砕き、有里の死後に事態の幕を下ろすという与えられた役割を受け入れた。

 

 そんな三人の人間たちを、神はやはり天から見下ろす。

 

「そうそう思い通りにいくかな?」

 

 神の目とは全てを見通す目のことだ。カグツチは皆月の策も有里の策も見通している。全てを分かった上で皆月の好きにやらせて、有里の到着をわざわざ待ってやっていたのだ。創世の舞台に乱入してきたギリシャ神話の死の神と眠りの神を、日本神話の火の神は迎え撃つつもりでいる。そして勝つつもりでいるのだ。

 

 しかし有里も後には退かない。空に浮かぶ最後の敵を見据える。今夜の最後という意味ではなく、人生で最後の。

 

「後始末はお願いしますよ」

 

 有里は二人の前に出た。そして深呼吸をした。虚無を飲み込んで、心を吐き出した。それを終えると再び十字架に昇るべく、息子たちのペルソナを召喚しようとした。その直前──

 

「いいえ、貴方が死ぬことはありません。俺がやります」

 

 青い光を発する魔法陣が、有里の前の床に現れた。今夜エリザベスが塔を移動する際に描いていたのと似た、空間を超える通路の門が突然開かれた。有里にもそろそろ聞き慣れてきた声と共に、ラウンジに棺桶が落ちてこず行方不明になっていた後輩が現れた。

 

「鳴上君!?」

 

 悠が着ている制服はあちこちが破れてボロボロになり、服の穴から覗く体は傷だらけだ。ここより下の海岸の空間で象徴化させた時よりも酷い状態になっていることが、後ろ姿だけで分かる。そして青い光の中から現れたということは──

 

「お邪魔だったかしら。でも許してあげてね」

 

 案の定だった。青い服の魔女がいつの間にか有里の隣に立っていた。ベルベットルームの姉妹の姉の方だ。何だかやたらと嬉しそうな、不審なくらいに晴れやかな笑顔でいる。

 

「相棒!」

 

「あれま……敗者復活してきたの」

 

 陽介と足立も声を挙げた。しかし悠は振り返らない。空に浮かぶ炎の巨人を見上げた。

 

「……貴様か。希望の役割を与えられながら、虚無に落ちた男。今さら何をしに来たか……」

 

「ヒノカグツチ……」

 

 悠はカグツチの名乗りを聞いていない。巨人が名乗ったのは皆月たちと足立に対してだけだ。しかし赤い光で天を覆わんとする存在が何という名であるのか、つまり何者であるのか、悠は一目見て分かった。

 

(イザナミ……)

 

 悠は3月にイザナミと対峙した時のことを思い返した。あの時、かの女神を悪へと落としたのは自分であると見なした。しかし物事の因果関係は無限に遡れる。例えばある殺人犯が犯行に及んだのは、退屈していたから。退屈していたのは本庁から田舎の所轄へ左遷されたから。左遷されたのは仕事で失敗したからで、失敗したのは警察の体質的な問題が云々という具合に。

 

 イザナミが悪へと落ちたのは死の国で夫に捨てられたからだ。その復讐と言うか八つ当たりの為に、一日に千人殺すくらいしてやりたいと願うようになった。

 

 だがそうした直接的な原因の背後には、更なる原因がある。即ち、なぜイザナミは死んだのか。誰が殺したのか。言わば『元の原因』が『次の原因』の眼前に現れるとは、何という皮肉であろうか。いや、運命であろうか。

 

(そういうことか……)

 

 悠は色々なものが腑に落ちた。自分が力を得た理由、今この瞬間を迎えるまでの紆余曲折、数々の苦難の意味。昨年4月以来の、それらの謎が解けた気がした。夢の国を作ったり時間を戻したりしなくて良かったと、マーガレットの誘惑を断った自分の決断は正しかったと、心底思った。

 

 そして悠は後ろを振り返った。試練を課した魔女の他に、三人の男がそこにいる。最初に目が合ったのは、事のほとんど初めから悠の近くにいて神話の息子の名を得て、そしてまた別の新たな名を得た男だ。

 

「陽介、俺はヒーローか?」

 

「あ?」

 

 陽介はグランプリの放送室で、特別捜査隊のリーダーを自分たちのヒーローと呼んだ。しかしそれは正しくない。『陽介』が評した落ち武者の方が正しい。だが戦いに敗れた者が、敗れたままでいるとは限らない。陽介がいつまでも『ガッカリ王子』でいるとは限らないように。

 

「違うんだ。でも落ち武者は返上するよ」

 

 もう一人は悠が得た神話の名の、その裏側にある者。

 

「足立さん、もう貴方にも負けませんよ」

 

 昨年12月にテレビの中のコニシ酒店で撃たれて以来、足立と再戦することはなかった。今夜は戦う機会がなかったし、今後もきっとないだろう。だが何かの弾みで戦う羽目に陥っても、次は負けない。できもしない説得を試みることは、もうしないから。

 

「はいはい。好きにやんなよ」

 

 最後の一人は、亡くした妻を求めて冥界まで下り、果たせなかった男を象徴する者。自分とよく似た宿命を、否、自分より遥かに過酷な運命を背負わされてなお生き残った男。力でも頭でも自分に勝り、幸せを手に入れた男。しかし誠実さにおいては負けないと思う。そして──

 

「有里さん、見せ場をいただきます」

 

 十字の創面に笑みを浮かべて、P-1クライマックス決勝戦の横取りを宣言した。

 

「よせ! 僕がやるから、大人しくしていろ!」

 

 有里の策でも事態を解決することは可能だろうと、悠は思う。しかしそれをやれば有里は死ぬ。命の価値に優劣があるとは言わないが、災害救助に優先順位があるように、犠牲が必要なら先に犠牲になるべき者はいると、悠は考える。殺しの業を背負うのは何も持たない人間であるべきであるように、妻子のいる男を人柱にするべきではない。

 

 そしてそれ以上に、カグツチを有里に倒させてはいけないと思った。有里がやれば、カグツチをただ倒すだけ、ただ殺すだけで終わる。それはいけない。悠は3月に目の前に差し出された奇跡の力でイザナミを倒すこともできたはずだが、そうしなかった。あの時のやり方に則る。即ち倒すのではなく、調伏する。

 

「まあまあ、後輩の晴れ舞台なんですから。少しは先輩らしいこともしてあげてください」

 

 引き止める先輩を魔女が宥めてくれた。そして悠は改めて塔の頂上の更に上、天上から現れた存在を見上げる。赤い炎の巨人の、人と似ているがやはり人とは違う顔には、少しばかりの困惑が伺えた。

 

「それで? 鳴上悠よ。神たる我に、貴様は何をしてくれると言うのだ?」

 

「……これだ」

 

 悠は剣を足元の床に突き刺した。神が降臨する言わば王座の間に、神剣はいとも容易く突き刺さった。そして満身創痍の悠は両手を広げ、一度目を閉じた。

 

 ──

 

「ぬっ!?」

 

 すると霧が現れた。3月までテレビの中を覆っていた、黄泉比良坂を源泉とした白い霧だ。今の悠は源泉を自らの内に宿している。人を惑わし、だが優しく包むものでもある霧が悠の中から湧き出てきた。手足にも肩にも胴体にもついた、数えるのも苦労する傷から噴き出してくる。もちろん顔の中央に負った十字傷からも。

 

「混迷の霧……!? 馬鹿な、なぜ貴様が霧を操れる!?」

 

 白い霧と赤い霧は互いに混ざり合うことはない。白い方が赤い方を侵食し、飲み込んでいく。闇が光に切り裂かれるのとは違って、闇がより大きな闇によって凌駕されてゆく。

 

「相棒!? どうなってんだ!?」

 

「また霧かい……好きだねえ?」

 

「鳴上君……」

 

 悠が閉じた目を開くと、三人の縁深い男たちと魔女の姿はもう見えなくなっていた。カグツチの姿はまだ見えているが、かなり朧になった。昔は忌まわしいもののように思っていた白い闇だが、今となっては不思議なくらい落ち着く。守られている気がするからだろうか。

 

「ふう……」

 

 深呼吸を一つした。霧を飲み込んで、霧を吐く。昨年の事件を象徴するものを呼吸しながら、この一年と一ヶ月の出来事を思い返してみた。

 

(波乱万丈だったな)

 

 とにかく色々なことがあった。失敗も多かったが、成功もそれなりにあった。多くの人々から愛されて、信頼されて。とても正当とは言えない評価もされた。悠が送ってきた夢みたいな境遇にある人間は、現実にはめったにいない。しかし皆無ではない。例えば信者に取り囲まれた新興宗教の教祖とか、ファンやマスコミに英雄として持ち上げられるトップアスリートとかだ。彼らは時に神とさえ呼ばれる。

 

 しかしそうしたカリスマも、本人だけは知っているのだ。自分は周りが思うほど超人ではないのだと。昨年の悠はそれさえ知らなかったが、今は知っている。そして『超人』の周りにも、真実を見ている人間は数は少ないがいる。悠の場合だと足立と有里がそれに当たる。もちろん皆月もそうだ。そろそろ陽介も数に入るし、りせを加えてもいい。

 

 全てのカリスマは生きている限り、いつかは仮面が剥がされる。では鎧が剥がれ落ちて本性が露わになったその時に、人はどうするのか。落ちた神は何をするのか。

 

「どうだ。自分はどう生きていくのか、何をするのか分かったか?」

 

 超人のことを思った時、この世に超人などいないと教えてくれた人が現れた。

 

「先生……」

 

 八十神高校随一の嫌われ教師、諸岡金四郎がそこにいた。幻か幽霊か何だか分からないその姿を3月にも見たが、今また現れた。一年間のモラトリアム期間を終えたので結果を聞くべきところ、3月は聞きそびれたのでもう少しだけ猶予を追加してやり、そして今になって改めて答えを聞きに来たわけだ。

 

「はい、分かりました」

 

 思い起こせば、悠の仮面に惑わされなかった人はもう一人いた。コミュニティを期待することもあったが、結局いかなるアルカナにも縛られることのなかった人。力と信心のいずれも持たずに悠と接し、遊び呆ける愚かな子供を教え導いた、たった一人の人間。それが諸岡だ。諸岡は悠を正当に評価していた。そして悠もまた諸岡を正当に評価していた。

 

「何をするのだ」

 

「先生が教えてくれたことです。神は死んだと言う人はいるし、俺たちも言って構わないと。本気で血反吐を吐いて考えたのならばと、先生はそう教えてくれました」

 

 血反吐は十分過ぎるほど吐いた。比喩ではなく文字通りの意味で、これ以上吐いたら死ぬくらいに吐いた。むしろまだ生きているのが不思議なくらいに。

 

「うむ。それで?」

 

 悠は胸に手を当てた。万感の思いを込めて、体と心に置いた蓋に手を当てた。そこにいる者を逃がさないようにと閉じた蓋だ。それを開ける時が来た。

 

「神は……死んでいません。ここにいます。それを今から証明します」

 

 そう。悠の中に神はいる。信心を心に抱いているという意味ではなく、本当にいるのだ。人を愛し守る神が、白い霧の姿で。それを明らかにすることが、悠ができることだ。

 

「そうか……まあ良かろう」

 

 諸岡は笑った。海で釣りをした時や放課後に補習をした時には、諸岡は悠を気遣う言葉も口にしたし、普段は見せない温厚さも見せた。しかし微笑む顔を見せたのは初めてだ。垂れ気味の目をもう少し下げて、濃い顔を僅かながら薄くする。試験で満点を取った生徒によくやったと褒めるのではなく、落第点ばかり取っていた生徒がやっと及第点に達したのを見て、努力は認めてやるようなものだ。

 

 そして卒業生を見送るように、諸岡の姿は消えた。悠は恩師に頭を下げ、再び上空にいる敵に向き直る。いや、あれは敵ではない。『身内』である──

 

(まが)()ども、行けい!」

 

 カグツチは手を翳した。爪が刃物のように長く伸びた異形の手から、悪霊の群れが飛び出てくる。人間の手の形をしたそれらは、諸岡風に言えばルサンチマンが服を着て歩いている者たちの、想念そのものだ。人間が捕まれば、きっとシャドウの海に落ちたようなおぞましい事態に陥る。

 

 しかし悠には当たらなかった。もちろん有里たちにも当たらない。混迷の霧に惑わされて標的を見つけられない悪霊たちは、明後日の方向へ飛んで行った。

 

「小賢しい人の子が!」

 

 4月に初めてテレビの中で戦った時から、悠は自分は誰かに『守られている』という思いがあった。では誰が守ってくれているのかと言うと──

 

「カグヤ……」

 

 マリーである。2月にクスミノオオカミと戦った時、かの女神の攻撃が奇妙に緩かったことからそう直感した。そしてクスミノオオカミはマリーである。本人がそう言っており、悠も今夜自分の腹の中でそう呼んだ。つまり認めた。

 

 ならばマリーは何者か。初めてマリーの詩を読んだ時、即ち死の秘密を読んだ時にした約束。滅びて様変わりした世界に二人だけでいた時、孤独と絆を等しく感じていた時に結んだ『契約』の、その答えは──

 

『我は彼、彼は我……』

 

 答えはマリーとの絆で生まれた、言わば『初子(ういご)』のペルソナが知っている。天人の名を持ち、神々の長子の名を別名とするペルソナは、その姿を変えようとしていた。蛹が羽化して蝶になるように、娘は母になる。

 

「イザナミ!」

 

 悠の認知に応えて、永劫のアルカナの最奥に位置するペルソナは白い光を発して姿を変えた。それは死の国に咲いていた一輪の花、否、枯れた花だ。しかし花は枯れても蘇る。解き放たれた霧は枯れた花に集まり、命を取り戻す。

 

「やっと私に呼びかけてくれるのですね」

 

 悠は後ろを振り仰いで、召喚された巨大な花を見上げた。その名は3月に聞いているが、悠は霧の源泉で告げられたその名で『彼女』を呼んだことは、これまでなかった。今初めて女神の名を口に出して呼んだ。そして──

 

「君を……愛している」

 

 虚ろの森では心の中でだけ言った言葉を、初めて口に出した。するとイザナミは、巨体の下から根のように生えている、または枯れて赤黒くなった花弁のような大きな手を動かした。掌を上にして床まで下ろす。そして泉の水をすくうように、大切なものを精一杯丁寧に扱うように、イザナミは悠を手の上に乗せて捧げ持った。悠は床に刺した剣を抜き、女神に持ち上げられるに任せた。塔の頂上の床に生えた花は大きく、捧げ持たれた悠は視線の高さがカグツチと同じになった。

 

「き、貴様……」

 

 白い霧が溢れ出した時に続いて、カグツチは再び動揺を見せた。悠がペルソナのように呼び出した女神は、真の力をもって降臨した自分と同等に見えたのだ。いや、悠が『イザナミ』と呼ぶこの存在は、本当にペルソナなのか。人の心も業も見通す神の目で見ても、この巨大な花が何者なのか分からなかった。分からないような気がした。

 

 そしてイザナミの掌の上に立つ悠は、自分の口から出た言葉についてより深く思いを巡らせる。

 

(愛……)

 

 愛とは何か。人にとって愛とは何か。いつか聞いた人生の真理が答えを導く鍵になる。

 

(愛する人がいなければ、人生なんて当てのない旅……か)

 

 当てのない旅を続ける放浪者、無益な遊びに興じる子供、戦いに敗れた落ち武者。愚者のカードが表すものは、本質的に無意味な人生だ。それに意味を与えるものが愛。そして霧の中に存在し、人の望みを叶えることが使命と語った神がいる。その神の行動原理もまた愛。

 

(神……)

 

 では神とは何か? 世界の神話や宗教では様々な神が語られている。例えば慈悲なく裁く峻烈な神、過酷な試練を課す理不尽な神。生贄を要求する血に飢えた神もいる。しかし神とは何も邪神ばかりではない。

 

「メサイア……」

 

 世界の果てから帰ってきた男との絆で生まれたペルソナ。これもまた神である。ただしペルソナ呼称は神の名ではなく、人の親に与えられた歴史上の人物としての名でもない。彼が背負った宿命を象徴する称号だ。彼が人々に与えたものをも象徴する。彼の宿命とは世界の為に犠牲になることで、彼が人々に与えたものが愛。

 

 そして愛のなせる業とは、創造。それはまさしく神の御業だ。ではその神の名は──

 

『我は汝、汝は我……』

 

「イザナギ!」

 

 悠の宣言に応えて、審判のアルカナの最奥に位置するペルソナも白い光を発して姿を変えた。呼び名は神聖空間に初めて身を置いた時に現れた、悠自身のペルソナだ。しかしこれはそれと違う。いや、根源は同じだが、姿が違う。

 

 身を包む黒い外套は白く変わり、応援団長風のバンカラファッションはフォーマルな印象のあるものに変わった。勢いだけで生きていた学生が、酸いも甘いも嚙み分けた大人になったように。そして黒い長柄の武器はやはり白く変わり、柄の周囲を大きな輪で囲うという独特な形状になった。

 

 武器のはずなのだが、攻撃よりも防御を重視しているような形だった。或いはそもそも人を傷つける武器ではなく、別の用途の為に作られたものかもしれなかった。即ち人を殺すことは、この神の存在意義ではない。産屋を立てることが使命──

 

 花の女神の根元にいるマーガレットは、ペルソナの変容を見届けると満足そうに頷いた。

 

「ふふ……あの子をマリーと名付けたのは私ですが、どうやら彼はその名前の意味を正しく汲み取ってくれたようですね」

 

 マリーとはマリア。キリスト教の聖母の名だ。聖母は救世主その人と並んで、多くの信仰を集めている。その実態は女神、即ち母性に対する人類の普遍的な憧憬にある。古代以来キリスト教が世界各地で布教されるにつれ、マリアは土着の女神と習合していった。即ち世界の女神は、皆マリアであると言っても過言ではない。そしてそれと対になる存在は──

 

「なるほど……だからメサイアが元になるのか」

 

 審判のコミュニティの担い手である有里は納得した。そして後輩の『晴れ舞台』、横から割り込まれたゴルゴダの丘の戦いを見届ける気になった。かつて十字架に嫌々昇った自分と違って、悠は世界の為に犠牲になることに納得している。そう思えたから。

 

「救世主は君だったか」




 胸に抱くは狂気か使命か! 創面貌(スカーフェイス)の白き救世主(メサイア)! 鳴上悠・ドランク・ザ・ミスト!
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