ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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続く人生(2012/5/6)

 悠が負った傷と老化の『状態異常』が癒えた後、スタジオに皆がやって来た。今夜はほとんどのペルソナ使いがテレビに入らないまま、テレビの中と外が一体化した異界で戦っていたが、カグツチが去って霧も消えると世界の在り様も元に戻った。分離した二つの世界のうち世間に知られていない方に、ペルソナ使いたちは全員が寄せられたわけだ。

 

 特別捜査隊とシャドウワーカーの本部と支部、それに加えてラビリスと生田目、そして赤子の綾時と隆也もいる。その中で、堂島が最初に出口の三段テレビに向かった。

 

「足立、行くぞ」

 

「はいはい……」

 

 堂島は元相棒を連れていく。大きな活躍を遂げたとはいえ殺人犯であるから、やはり足立を自由にしておくことはできない。然るべき場所へ連れて行かなければならない。なお、堂島の手錠はミナヅキに壊されてしまったので、足立の手は自由だ。しかしもし予備の手錠を持っていても、やはりかけなかっただろう。

 

 足立は去り際に悠と目が合った。

 

「よく頑張ったね」

 

 そして労った。言われた悠は驚いて目を見開く。こんな言葉を足立から言われたのは、もちろん初めてである。しかも皮肉には聞こえなかった。

 

「いえ……足立さんもお元気で」

 

 悠が見送る言葉を返すと、足立はにっこりと微笑んだ。凶悪な犯罪者とはとても思えない、晴れ晴れとした顔である。

 

「そんじゃね……」

 

 足立は手を振って一足先に現実に戻った。

 

 

 戦い抜いた者たちがテレビの中から外へ出ると、そこは静まり返っていた。しかし創世の主以外は誰も存在しない世界では、もちろんない。時刻は未明を過ぎた明け方で、ジュネスは開店前で人の気配がしないだけだ。世界は滅びていない。

 

 揃って徹夜した二十人以上の事件関係者は、フードコートに移動した。

 

「あー、ここに座るとちゃんと帰ってきたって感じするな!」

 

 シャドウワーカー本部はテレビから出たらすぐ地元に帰るつもりでいたのだが、特捜隊の面々、特に女性陣が引き留めた為、フードコートでしばらく休んでいこうということになったのだ。店は開いていないので買い物はできないが、人がいないのが幸いした。貸し切り状態の広い露天の広場で、遠慮のない話が盛り上がる。ちなみに警備員はいたが、有里と美鶴が何か交渉して了承を得ていた。

 

 

「え、師匠も警察志望なんすか!?」

 

「ああ、そのつもりだ。公務員試験に合格してからになるがな」

 

「お、おお……キャリアっすか。そうすか……」

 

 千枝と真田の将来の希望進路は、奇しくも同じ警察官である。千枝は進路指導表に警察学校と書いて学校に提出済みだ。ただし真田はいわゆるキャリアコース志望である。こう見えて真田は成績優秀で、今は休学中だが通っている大学も一流だ。

 

「それより師匠呼びはやめろと言っているだろうに……」

 

「いや、やっぱり師匠は師匠っす! 将来事件が起きたら、あたしが現場で捜査しますから師匠が指揮してください!」

 

 

「荒垣さんって板前だったんすか……。そういや伊織さんとやり合ってたニセモンは、んなカッコしてたっすね」

 

「んなのもいたな。あのニセモンは一発くらい気合を入れてやりたかったがな」

 

 荒垣が自分の偽物に不満を持っているのは、得物にフライパンを使っていたことだ。もし直接顔を合わせて戦うことになっていたら、説教と共に気合注入という名の鉄拳が炸裂していただろう。商売道具を大切にするところは、最近は家業の染物も勉強し始めている完二には共感できる。

 

「職人っすね……俺は料理っつったらコロッケくらいしか作れねえっすよ」

 

「コロッケ作れんなら十分だろ……」

 

 

「それで警察に協力を仰いだのですか」

 

「うむ。グループだけではできることに限りがあるからな」

 

 直斗は美鶴と話していた。話題はシャドウワーカーが設立された政治的な背景である。かつての戦いを終えてから、比較的早い時期に桐条グループの方から警察に協力を要請した。そういう経緯だったことを、特殊部隊の隊長は超能力者の探偵に話した。

 

「それに新たなペルソナ使いやシャドウは、いつどこで現れるか分からん。我々がどれだけ隠しても、いつかは警察や政府も真実に気付くはずだからな」

 

「隠し通せる秘密など、この世にはないということですか」

 

「ああ。陳腐な言葉だが真理だよ」

 

 

「天田君って、守ってあげたくなっちゃうって感じするよね」

 

「あらホントだ。その辺の女の子より肌綺麗だし」

 

「そ、そうですか?」

 

 天田の美少年ぶりに雪子が目を輝かせ、りせも便乗する。美少女二人に褒められた天田は照れるが、褒められ方が男らしいものではないので、少々複雑な思いがある。

 

「ワン!」

 

 そこでコロマルが鳴いた。常人はおろかペルソナ使いにもただの鳴き声としか聞こえないが、有里とアイギスなら『あと数年待つんだな、坊主』と聞こえただろう。

 

 その有里夫妻は飼い犬を置いて、生後半年の二人の赤子の世話をしていた。白いラウンドテーブルの一つに座り、各々一人ずつを抱いてあやしている。すると子供たちは二人で示し合わせたように、突然同時に泣き出した。

 

「あらあら……ご飯の時間ですね」

 

 本来は一日に何度もやらねばならないのにここ数日できなかった、授乳の時間がやって来た。アイギスは自分のネクタイに手をかけた。瞬間、周囲に緊張が走る。

 

「え? アイチャン、ご飯? ご飯ってもしかして……」

 

 どこからか金髪碧眼の美少年が飛んできた。直後、女性陣に鋭く睨まれる。

 

「あー、男子は散って! 女子は壁になって!」

 

 ゆかりが音頭を取って、有里以外の男衆はアイギスが座っているテーブル席の周辺から追い出され、女性陣が集められた。アイギスを囲むように女の壁ができてから、二児の母はシャツを開いて子供たちに早朝の食事を与えた。壁の何人かは、その様子を興味深そうに見つめる。何のかの言っても、母親の仕事は女には気になるものだ。

 

 そして子供が気になる者もいる。赤ん坊を純粋に可愛いと思うのとは違う、ある感慨を抱く。

 

「それにしても、綾時君と隆也君……なのね」

 

 こう言うのは風花だ。名字が違うが同じ名前の二人の男に思いを馳せる。

 

「この子たちって、大きくなったらあの顔になるのかな……」

 

 ゆかりがある疑問を呈した。あの顔とはどんな顔のことなのかは、言うまでもない。

 

「可能性は低いな」

 

 アイギスを囲む壁の中で唯一の男が返答した。

 

「たとえ生まれ変わりでも、育った環境が変われば顔も性格も変わる。前世の記憶も残るかどうか、怪しいだろう」

 

 有里は二人の息子が因縁深い男の生まれ変わりであると以前から信じていたし、ある意味では知ってさえいたのだが、それでもあの二人と『同一人物』と見なしているわけではない。塔の地下から呼びかけた時、綾時から二年ぶりの再会と言われたのを否定して、託児所に預けた今月3日以来だと答えたように。輪廻転生は必ずしも自己同一性を保持して時代を渡ることを意味しない。業や宿命は引き継ぐかもしれないが。

 

「どちらでも構いませんよ」

 

 夫が道理を語る一方で、妻はそういうものに執着しない。

 

「前世というものがあってもなくても……この子たちが貴方と私の子供であることに違いはないのですから」

 

 言いながら、アイギスは授乳を終えてシャツを着直した。

 

「ああ、その通りだな」

 

 夫婦仲が修復されたことを改めて感じて、有里は頷く。そんな中で、関西弁で感慨が述べられた。

 

「ええなあ、アイギスは。旦那さんがおって、子供もおるんやもん」

 

 ラビリスだ。右腕や足に残っていた装甲は既に全て取り払っており、人間の体を八十神高校の制服の袖や裾から覗かせている。

 

「なあ、ウチも子供産めるん? そこんとこ、実際どないなっとんのや?」

 

 再び緊張が走った。ただし種類は先ほどとは大分違う。機微な質問をされて、言いにくい答えを口にしなければならない緊張感に似ている。ラビリスは見た目こそ完全に人間になったが、果たして『中身』もそうなのか。恋はもうできるはずだが、その先のことも可能なのか。機械でなくなった乙女はそう聞いている。

 

「産めるさ」

 

 難しい質問に空気を読まずにあっさり答えたのは、乙女の義弟だ。

 

「ホンマに?」

 

「ええ、きっとできます。父親になる男性さえいれば、すぐにでも」

 

 乙女の妹も笑顔を添えて同意した。グランプリの時は、姉を置いて一人だけ幸せになった自分を申し訳なく思ったものだが、今はもうない。罪悪感を抱くかどうか以前に、そもそも抱く理由もなくなったから。

 

「そういう男なら、ラビリスはもう見つけてるな」

 

 言った途端、金の彗星が再び飛んできた。

 

「ク、クマクマ!?」

 

 もうレントゲンにも映るし年だって取れると宣言した、シャドウが変じた美少年だ。授乳を覗くなと追い払われていたはずだが、終わったことに言われなくても気付いたか、いつの間にか女性陣の輪のすぐ傍に来ていた。

 

「それはないわ」

 

 しかしクマは一言でぶった切られた。

 

「ん? 何、何の話?」

 

 そしてクマ以外の男性陣もやって来た。興味深げに首を伸ばして、輪を覗き込もうとしているのは順平だ。他にも何人かいる。

 

「ラビリスが子供欲しいって言うから、父親は誰がいいかって話です」

 

「雪子、ストレートすぎ……」

 

 するとほぼ全員の視線が一人に集中した。もちろん話題のラビリス自身の視線も含まれている。その青い瞳が見つめる先に誰がいるかは、今さら言うまでもない。

 

「え……? ち、父親?」

 

「花村さんですか。なるほどなー」

 

 アイギスは懐かしい言葉を口にした。妹は姉のP-1クライマックスでの言動をほとんど見れていないが、グランプリでのそれは見ているので、身内として納得できる人選だった。

 

「ヨ、ヨースケ!? クマを差し置いて、自分だけ大人の階段上るクマか!? 最上段まで一気にジャンプアップ!?」

 

「ちょ、マジすか!?」

 

 惚れた腫れたの話では、陽介はもう恥ずかしがる気はない。しかし父親とまで言われると、さすがに動揺を禁じ得なかった。まだ何の心構えもできていないのだから。高校生ならば当然だし、大人でもできていない男は数多い。しかし事態はもうそんなことを言っていられる状況にない。

 

「なーに今さらビビッてんだよ。公共の電波使ってラブシーン演じといて!」

 

 順平が陽介の肩に手を置いた。同じチームで戦ったことも手伝って、すっかり気安くなっている。

 

「いや、公共じゃないし……つか、まさかアレ! みんな見てたんすか!?」

 

 アレとはもちろん霊園を模した空間で陽介がラビリスと戦い、抱き締め合うまでの一連だ。戦いに敗れて墓場送りになった者たちは、大迫力の超大型テレビでそれを見ていた。つまり全ては筒抜けだったのだ。

 

「おお、バッチリ見てたぞ。花村がラビリス口説き落とすところ」

 

「年貢の納め時って奴か。ある意味、人生終わったな。ご愁傷様……」

 

 長瀬と一条が畳みかけてきた。二人は喜ぶような同情するような、ちょっと複雑な面持ちだ。

 

 画面越しとはいえ二十人以上もの証人の前であれだけのことを言い、あれだけのことが起きては、逃げ道が残っているはずがない。陽介とラビリスはまだ出会って三日しか経っていないのだが、それも関係ない。皆の認識では、もはや一つの既成事実と化している。祝福を通り越して責任を問う段階にまで来ている。

 

「外堀埋め終わった!? もう決定!?」

 

 だから思わず発せられた陽介のこの言葉は、いささかよろしくない。

 

「花村君……嫌なん? ウチを外に連れてってくれるって、言うたやないの……嘘やったの?」

 

 ギリシャ神話の英雄テセウスはクレタ島の迷宮でアステリオス、またの名をミノタウロスを退治した後、アリアドネと駆け落ちした。しかし二人はすぐに別れてしまった。薄情なテセウスがアリアドネを捨てたとも、狂神ディオニュソスに略奪されたとも言われている。だがこれは神話ではなく現実だ。もし陽介が神話に倣おうものなら、ただでは済むまい。

 

「あ、ヤバいよこれ。この子、ちょっとヤンデレ入ってる」

 

 りせが評する通りである。下手をすると殺人事件が再び起きる。謎に満ちた昨年のそれと違って、犯人も動機も容易く特定できてしまうが。

 

 生まれたばかりの小さな女の子。陽介はラビリスをそう呼んだが、それは半分だけ当たっていたのかもしれない。外の世界を知らないという意味ではその通りだが、だからと言ってラビリスは純真無垢なわけではない。機械として製造されて以来、十三年に渡って潜伏してきた感情がある。それがシャドウとして出現したのだ。

 

 今のラビリスは言葉遣いこそ製造された当初と同じものだが、その心性はシャドウの要素を色濃く反映している。と言うよりシャドウが基礎で、それに本体の要素を上乗せしたのだ。つまり生まれたばかりの少女では持ち得ない、ある怖さをラビリスは秘めている。

 

 愛へと転じた暴力。それは何かきっかけさえあれば、容易く暴力に戻り得るものだ。

 

「い、いや……嘘じゃねえよ。うん、マジだよ」

 

 その種の女に魅入られて、殺されずにいる方法はたった一つ。自分のシャドウを受け入れるように、受け入れることだ。

 

「内堀も埋まってしまいましたね」

 

「花村砦、あっさり陥落。何つー簡単な……」

 

 直斗が戦況を分析し、千枝が総括した。大軍に包囲された陽介はなす術もなく、一押しで降伏した。

 

「良かったあ……よろしゅう頼んますわ! あ、子供は何人欲しい? ウチは三人は欲しいんやけど」

 

 ラビリスは陽介に抱き着いた。その力は強い。

 

「ちょ、そういう話は場所を選んで! つか、痛い……離して……」

 

 再演されたラブシーンを見守る皆の視線の色は様々だ。生暖かいものや、恥ずかしがるもの、呆れるもの。そして嘆き悲しむものもある。

 

「シ、シドイクマー! ラビチャンのナイトはクマだったのに! 間男ヨースケに寝取られたクマー! ユカチャン、慰めて。ヨヨヨ……」

 

「ちょ、何で私!?」

 

 傷心の美少年に飛び込まれたのは、ゆかりである。クマは泣きながら顔をゆかりの胸に押し付けて、そして首を左右に振りつつ息を大きく吸い込む。ゆかりはやられて数秒後には、色狂いのけだものを突き飛ばした。

 

 そんな騒ぎを横目に見つつ、有里は子供の頭を撫でた。

 

「将来この子たちが花村君の家に世話になって、可愛い従妹を誑かすかもな」

 

「何すか、そのどっかで聞いたような話……」

 

 その『どこかで聞いたような話』を昨年にやった男は、陽介とラビリスを中心にした輪から離れた位置にいた。

 

「……」

 

 悠はフードコートのテーブル席の一つに一人で座っている。大人数が集まって騒がしい場所にいながら、穏やかな孤独を感じていた。ふと自分の手を見て傷が残っていないことを確認し、それから眉間に指を当てた。

 

(これ、完全には消えてないな……)

 

 皆月と同じ宿命を受け入れて、体の傷は癒えた。しかし顔の中央に負った二つの傷だけは消えていない。ここに鏡はないから自分の目で確認することはできないが、ある種の確信があった。顔に押された十字の聖痕は普段は目立たないが、何かあると疼いて光を発することもあるだろうと。

 

(皆月……)

 

 白み始めた空を見て思う。地下闘技場で消えてしまった、宿敵と呼ぶべきあの少年はどこに行ったのかと。同じ空の下にいるのか、それとも空も空気も違う別の世界に行ったのか。再び出会うことはあるのか。それまでの間に、孤独な少年は何を見て何を得るか──

 

(と言うか……)

 

 空から地上に視線を戻すと、陽介たちの輪が目に入った。今や自分は顔の傷以外も皆月と同じだと、悠は思う。特捜隊はリーダーに代わってサブリーダーが中心になっている。

 

「鳴上君」

 

 孤独に浸る少年のもとに、一人の大人がやって来た。稲羽の知り合いでは珍しい、言い方を変えると貴重な、コミュニティが初めからなかった人だ。

 

「生田目さん」

 

「一人でどうしたんだね」

 

 事態を解決した立役者が、どうしてわざわざ自分から進んで孤独を託っているのか。生田目はそう聞いている。すると悠はふっと息を漏らすような笑みを浮かべた。

 

「俺は……あいつらに悪いことをしていましたから。合わせる顔がないんです」

 

「足立さんはよく頑張ったねと、君を褒めていたじゃないか」

 

「ええ。ですけど……と言いますか、足立さんと何か話したんですか?」

 

 生田目の口調に足立に対する怨恨がなく、しかも敬称までつけたことに、悠は驚いた。すると生田目は同じテーブルの席に腰を下ろし、テレビの中の山野のマンションで起きたことを話した。拳銃を渡され、殺せと言われたことも含めて。

 

「彼はそれこそ酷いことをしたよ。真由美と小西早紀さん……小西尚紀君と僕にもね」

 

「……」

 

 それを言うなら、悠も足立に酷いことをされている。昨年12月に足立に撃たれて入院した。実を言うと近頃はほとんど忘れていたが、今になって思い出した。だが思い出しても、直後に感じていたような恐怖を覚えることはなかった。もちろん恨みも感じない。

 

「生田目さんは足立さんを恨んでいないのですか」

 

「恨んでいない……と言ったら嘘になるね」

 

 生田目も昨年11月に足立に撃たれているが、もし足立との因縁がそれだけなら恨まなかっただろう。だが山野の死についてはさすがに別だ。しかしそれでも、復讐して殺してやりたいと思うほど強烈なものはない。生田目が足立を殺さなかったのは、何も現代法では仇討ちが許されていないからだけではないのだ。

 

「でもね……人に何をされても、自分が人に何をしても……それでも人生は続いていくんだ」

 

 山野と早紀を殺した足立はまだ生きていて、悠や菜々子をテレビに落とした生田目も生きている。犯人たちは被害者本人にも遺族にも、復讐で殺されることはなかった。そして友人たちを絆の不条理で騙していた悠も生きている。ミナヅキを皆月から奪った間男さえ殺されなかった。

 

「俺も……人生を続けていいんですね?」

 

「もちろん」

 

 大人に諭された悠は、再び空を仰いだ。東の彼方から太陽が昇り始めていた。しかし眩しさに目を細める間もなく、次の人がやって来た。

 

「鳴上君、生田目さん! 二人で何やってるんですか? こっちは面白いことになってますよ?」

 

 結実だった。昨年の悠は人気者としてそっとしておいてもらえなかったが、今でも孤独と寂寥のままに放っておかれるわけではない。絆を教える『我』がお節介をしない普通の人間でも、誰かに声をかけてもらえる。余程偏屈で、拒絶を繰り返しでもしない限り。

 

「ああ」

 

 悠は腰を上げ、普通の人間同士の関係で結ばれた仲間たちのもとへ向かった。生田目も一緒に来た。

 

 初対面の者同士も大勢いる大集団は、祝祭では名前も知らない相手とも数年来の友人のように仲良くなれるように、早朝のフードコートで楽しそうな笑い声を繰り返し挙げていた。朝日が地平線よりずっと高い位置まで顔を上げ、肌寒い霧で冷えた体をすっかり温めるまで、それは続いた。

 

 

「さて、我々はそろそろ引き上げるとしようか」

 

 話題は尽きなかったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。滅びなかった世界には世間に生きる普通の人がいるし、ペルソナ使いにも仕事や生活がある。シャドウワーカーの隊長として、後始末の仕事を待たせている美鶴が最初に立ち上がった。

 

「ラビリス、君も来てもらいたい」

 

 そしてある意味で最も重要な『仕事』をしなければならない者に声をかける。

 

「えー? 嫌やわ」

 

 ラビリスは陽介の腕にしがみついた。その様子を見て、千枝は顔を少しばかり顰めた。実は先ほどから口の中がすっかり甘くなっており、焼肉の串でも食べたいのだが、残念ながら店はまだ開いていないので買えない。

 

「いい加減、イラッと来ない?」

 

「うん。デレは時々やるからいいのよ。毎回だと反感買うよね」

 

「貴女がそれを言いますか……」

 

 りせが応じて、直斗がツッコむ。そんな少女たちのぼやきを敢えて無視して、美鶴は続ける。

 

「そういうわけには、いかないんだ……」

 

 当然だが、機械として生まれたラビリスは社会的な身分を全く持っていない。人間として生きていくには、それでは不都合が多すぎる。そういう意味での後始末が必要なので、ポートアイランドに同行してもらう必要がある。美鶴はそう伝えた。懇切丁寧に。

 

「それ、いつまでかかるん? 一日? 二日?」

 

「それは君次第さ」

 

 一ヶ月や二ヶ月でも終わらないかもしれない。美鶴はそう感じているが、口にはしない。

 

「ほな、花村君も一緒に行こう! な? 花村君……?」

 

「い、痛いから……離して……」

 

 陽介は腕の関節を極められて脂汗をかいていた。ラビリスは今の姿だけ見ていると忘れそうになるが、機械の頃は身の丈を超える巨大な斧を軽々と振るう、まさに兵器の怪力を誇っていた。シャドウの奇跡で柔らかい体を得た現在も、基本的な性能はそのまま引き継がれている。その力でしがみつかれては、人間の骨くらい簡単に折れる。現実でもペルソナを召喚可能な陽介は常人より耐えられるが、それでも限度がある。

 

 そんな初々しい二人を見て、順平が親友の夫婦に向けて本質的な点を口にした。

 

「何かさ、昔のお前とアイちゃんみたいじゃね?」

 

「わ、私はあんなに酷くなかったですよ!」

 

「前途は多難だな……」

 

 有里は先行きに不安を覚えた。生まれたばかりの幼子よりも、ずっと大変だ。まず力を加減する術を身に付けさせて、社会常識を教え込まねばならない。有里にとってラビリスは義理の姉であるわけだが、まるで親戚から預かった問題児のようだ。

 

 とにかくポートアイランドに一旦引き取って色々教育しないことには、とても『婚約者』の傍には置いておけない。些細な誤解や行き違いから、もしくは親愛の表現が勢い余って、あっという間に流血の惨事に発展するのが目に見えている。身内として苦労が絶えないだろうと予感がした。

 

「あ、相棒、助けろ!」

 

 もっとも背負う苦労の量は、義弟や妹よりも陽介の方がずっと多いだろう。そんな『幸せ一杯』な相棒の肩に、悠が手を置いた。

 

「それより進路指導表、真面目に書けよ」

 

 人は同じ場所に留まり続けることはできない。他人と関わりを持つならなおさらだ。恋人を見つけた陽介のモラトリアムは、もう終わりにする必要がある。

 

「わ、分かってるさ! お前こそ、そういうのちゃんとしてるのかよ!」

 

「これからさ」

 

 そして悠も終わりにせねばならない。諸岡に課された自分の人生の向かう先を見出す期限は、もう過ぎているのだから。しかし遅すぎはしない。まだ間に合う。

 

 

 

 

 シャドウワーカー本部とラビリスは軍用ヘリに乗って、田舎町から都会へ去った。そして悠も去る。

 

 たった数日間で、昨年の一年間全体に匹敵するほど苦労させられたゴールデンウィークだった。グランプリとクライマックスを戦った一日と一晩だけでなく、それ以外もまるで気は休まらず、遊ぶこともできなかった。しかし誰にとってもそうであるように、時は待たない。連休は今日で終わり、明日はもう月曜日だ。

 

 悠は都会の実家に帰るべく、昼が来る前に八十稲羽駅に来た。ただし一人ではなく、見送りが大勢来ていた。特捜隊の仲間たちはもちろん、稲羽支部の面々もいる。

 

「やれやれ……帰る電車に間に合って良かったな」

 

 足立を送り終えた堂島も来ていた。しかも荷物を詰めたボストンバッグを家から持ってきてくれていた。

 

「叔父さん……世話になりました」

 

「今度はゆっくり来い。こいつも寂しがっていたぞ」

 

「……」

 

 菜々子は堂島に押し出されて悠の前まで来たが、拗ねたように目を逸らした。

 

「悪かったな、菜々子」

 

「……」

 

 一言詫びても、菜々子は返事をしない。だが仕方がない。『兄』がせっかく来たのに、夕食時くらいしか相手をしてもらえなかったのだ。しかも今朝目を覚ましたら『兄』は不在で、そのまま家に戻らずに都会に帰るというのだから。たとえ正義のコミュニティが残っていても、機嫌を損ねたであろう状態だった。

 

「それじゃ……特別捜査隊は本当に解散だな」

 

 昨年に足立が逮捕された時と、3月に悠が稲羽から去った時。特捜隊が解散する機会はこれまで二度あったが、誰も言葉にはしなかった。しかし今度ばかりは、悠は敢えてはっきりと宣言した。魔術の絆は失われたが、普通の人間としての関係は続く。とは言え、事件を追う集団としてはこれで解散だ。次の予定はない。

 

「そうだな……とうとう終わりか」

 

「事件は終わりましたからね」

 

「やっぱり寂しくなるね……」

 

 別れる時が来た。仲間たちが各々感慨を抱く中で、少し不思議なことが起きた。

 

「そうなんだ……。お兄ちゃんたち、かいさんなんだ……」

 

 何気ない菜々子の言葉によって、悠や堂島を始めとした皆に戸惑いが走った。菜々子の前で特捜隊の名前を出したのは失態だった。しかし今の反応は、まるで『兄』とその友人たちが何をしていたのか、菜々子は既に知っているかのようにも聞こえた。テレビ画面に触れても何も起こらず、昨晩は象徴化していた菜々子にそんなことが可能なのか──

 

「ナナチャン……」

 

 俄かな動揺が広がる中、クマが菜々子に寄り添った。この幼い少女が世界の裏側の秘密を知っているのか知らないのか、人間宣言をしたこの存在にとってはどうでもいいのだ。小さな背中にそっと手を回す。

 

 しかしクマは菜々子の体温を少しだけ感じるとすぐに手を離し、その父親に向き直った。西洋人風の美少年は姿勢を正す。ビシッと音がしたように錯覚するくらい、勢いよく。

 

「パパさん! お願いがあるクマ!」

 

「ん? 何だ?」

 

「ナナチャンをください!」

 

 クマがこう言うのは二度目だ。最初は昨年の11月21日、現実の霧が晴れなくなった日だ。菜々子が世界の裏側を心ならずも覗いてしまい、入院していた時である。言った相手は悠だった。しかし悠は本人も言っていた通り、菜々子をくれと申し込む相手としては相応しくない。堂島に言うべき話である。それにも関わらず悠に言ったのは、当時のクマは鬼刑事にぶつかっていくだけの勇気がまだなかったからかもしれない。

 

 だが今は違う。クマは真剣だ。愛する人を手に入れる為、真に乗り越えねばならない相手に立ち向かう覚悟を、とうとう決めた。

 

「……」

 

 しかし真剣なのはクマだけだ。堂島を含めて皆の頭に水滴が浮かんでいる。11月もそうだったし、昨晩にエントランスで皆月の『目的』を暴いた時もそうだったが、クマが言うとどうも空気がおかしなことになる。

 

「……? クマさん、菜々子をもらうの?」

 

 そして菜々子は何を言われたのか分かっていない。小学二年生の女児にとっては、父や『兄』が超能力者であることよりもプロポーズの方が理解しがたい。

 

 そんな中、空気を読まない帰りの電車がホームに入ってきた。黙っていても故郷へ連れて行ってくれる、文明の乗り物のドアが開くその音が、固まってしまった雰囲気をほぐした。

 

「ははは……お前って奴は」

 

 堂島は笑って、昨晩はミナヅキの刀から庇ってやった少年を小突いた。本気になれば悠も殴り飛ばせる鬼の拳は、ほおずきのように軽く握られていた。たとえやられたのが菜々子でも痛がりはしなかったくらいの、頭を撫でるようなパンチだった。

 

「十年早い」

 

 そして堂島の返答は、11月に悠がしたのと同じだった。極めて当然の、良識的な答えである。ここでクマも当時のように床に膝でもついて『チビシークマね』と言っていれば、笑い話になっただろう。しかし──

 

「そんな、シドイ! 身も心も結ばれた仲なのに!」

 

 クマはやらかしてしまった。ある意味ではその通りなのだが、語弊のありすぎる言い方だった。

 

「何だと……?」

 

 堂島の顔から笑みが消えた。ここはテレビの中ではなく現実で、しかも白と赤のいずれの霧も出ていないが、揺らめくオーラが刑事の体から目に見えるほど溢れ出した。忿怒尊のペルソナが召喚器も使わずに現れそうな、或いはそれを超えて三段階目のペルソナにさえ目覚めかねない。そんな予感を感じさせるほど緊迫した気配が、突然ホームに満ちた。

 

「詳しく聞かせてもらおうか」

 

 堂島は右の拳を固く握り、それを包む左手に更なる力を入れた。バキ、と威嚇に適したいい音がした。

 

「は、はわわわ……セ、センセイ! ヘルプミー!」

 

『間もなくドアが閉まります。ご注意ください』

 

 クマの救援要請とホーム上のアナウンスがちょうど重なった。間が悪いと言うか、何と言うか。悠はクマの危機と帰りの電車、どちらを優先するか──

 

「はは……頑張れ!」

 

 悠に迷いはなかった。荷物を詰めたボストンバッグを肩に担ぎ、ホームから電車に飛び込んだ。その直後、ドアが閉まった。もう開けることはできない。悠はクマを見捨てた。

 

 もしこれが昨年なら、たとえ帰りの切符を買い直すことになろうと、師は弟子を優先しただろう。だがクマは既に独り立ち宣言をしている。悠は容赦なく元弟子を突き放す。閉められたドアが二人を別つ壁になる。しかし電車は、つまりは空間的な距離は永訣を意味する乗り越えられない境界ではない。

 

「夏休みにはまた来るから、それまでに叔父さんに認めてもらえよ!」

 

 3月に稲羽を離れた時、悠はこの第二の故郷には二度と来ないつもりだった。絆を捨て、思い出も捨てるつもりだった。しかし『真の』絆に目覚めた皆に誘われて、このゴールデンウィークに再訪する約束をしたのだった。

 

 そして今日は悠の方から次の約束をした。

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