ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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エピローグ
旅の終わり(2012/8)


 季節が過ぎるのは早い。充実した生活を送っていれば取り分け早く感じる。春はすぐに終わり、夏がやって来た。学校が夏休みに入った悠は、皆とした約束を果たしに来た。都会から電車に乗って八十稲羽駅に降り立つのは、これで三度目である。

 

 改札を抜けて駅前の広場に来ると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「私は昨年のあの事件によって、一番大切なことに気付かされたのです」

 

 瓶ビールのケースを裏返した演台に立って演説しているのは、生田目だった。その前方には多くはないものの、人だかりができていた。

 

「正義と信じた行いこそ、実は過ちかもしれない……一人の判断力など高が知れているのです」

 

「……」

 

 自分に効く言葉を聞いて、悠は思わず目を閉じた。だが耳には演説の続きを入れた。この町の未来を人々と共に考え直し、目先に惑わされずに大事なものを守ってゆける稲羽市にしたいと、生田目は熱を込めて聴衆に語りかける。

 

「鳴上君、久しぶり」

 

 声をかけられて振り返ると、結実がいた。八十神高校も夏休みに入っているので、制服ではなく私服姿でいる。手には生田目の顔写真入りのチラシの束を持っている。

 

「ああ、久しぶり。どうしたんだ?」

 

「5月の時の縁で、ちょっとね……」

 

 聞いてみると、生田目は近々行われる市議会議員の選挙に立候補しており、結実は演劇部の活動の傍らで生田目の手伝いをしているとのことだった。こういう経験は、政治や社会問題を扱う演劇に役立つこともあると思って。女優は演技の幅を広げることに余念がない。

 

「結構聞いてる人がいるんだな」

 

「最初は誰も寄り付かなかったんだけどね……」

 

 現代日本では政治家が駅前で演説をしていても、余程知名度がなければ足を止める人は少ない。まして『誤認』とはいえ殺人事件の容疑者として逮捕された男が演説すれば、逆向きの話題になるのが精々だが、今日の八十稲羽駅前に集まった聴衆に冷やかし気分は伺えなかった。

 

「時流に流されず、私たち自身が考えてゆけば、この町にはきっと活気が戻ります!」

 

 昨年は霧の災いに襲われた町は、衰え死にゆく流れを食い止める動きが出始めていた。生田目の演説に耳を傾ける人がいることが、それを証明していると言ってもよい。

 

「おーい、悠!」

 

 そうこうしているうちに、次の人が駅前にやってきた。あいだった。暑い夏の日差しを浴びているが、化粧をした顔は日焼けせず逆に光を跳ね返している。

 

「久しぶりね」

 

「そうだな」

 

 ペルソナ使いでないあいはゴールデンウィークの一連の事件に関わらなかったので、会うのは3月以来だ。昔より美人になった。不覚にもそう思ってしまった。

 

「んじゃ、行こっか」

 

 そしていきなりのセリフに悠は戸惑った。行こうと言われても、今日はあいと約束していない。むしろ約束は別にある。

 

「いや、叔父さんが迎えに来る予定なんだが」

 

「いいのよ! 電話でもして断っときなさい」

 

「それじゃね、私は後で行くから」

 

 結実にも言われてしまい、悠は歩き出すあいの後ろをついて行かざるを得なくなった。つまり流されてしまった。ただ去り際に生田目と目が合って、議員の候補者は会釈してきた。

 

(む……)

 

 その瞬間、悠は直感した。八十稲羽の人々が結託して、悠を罠にかけようとしている。それを裏付けるように、歩きながら堂島に電話してみると、野暮用ができて忙しいから友達と上手くやっててくれと言われた。

 

 

 あいと悠は二人で並んで町を歩いた。傍から見ると若い二人がデートしているようである。ほぼ名ばかりとはいえ付き合っていた昨年は一度もしなかったことを、『なぜか』今やっている。

 

 稲羽市中央通り商店街に入った時、町の人々が話す声が聞こえた。ビフテキおにぎりなどどうだろうかとか、野菜でも魚でもラーメンでもいいだろうとか。店先には『ようこそ八十稲羽へ』と書かれた幟がいくつも置かれていた。

 

「今度、ジュネスでなんかやるらしいわよ」

 

 あいの説明によると、地元生産品コーナーなるものができるらしい。ジュネス八十稲羽店が開業して二年近くが過ぎて、当初は激しかった地元の人々の反目もすっかり落ち着いた。今は共存を図る為、商店街とジュネスが互いに歩み寄ろうとしているようだった。

 

「そうか……前とは変わってるんだな」

 

 ゴールデンウィークに来た時は、祝日なのにジュネスは客の入りが十分でなく、満席でなければおかしいはずのフードコートに空席があったくらいだった。それが今は町全体を含めた流れが良い方向に向かっている。それはなぜか──

 

(殺人事件が終わったから……じゃないよな)

 

 命を懸けて守ったこの土地に、活気と明るさが戻り始めている。それは三ヶ月前の戦いがきっと関係している。そう思うと、悠の心に誇らしい気持ちが湧いてきた。殺人事件が終わった直後には欠片もなかったものである。

 

 

 やがて二人はフードコートに辿り着いた。ここもやはり以前より賑やかで客の数は多く、店員の声も張りがある。しかし知り合いの姿はない。

 

「飲み物買ってきてあげるわ」

 

「いや、俺が行くよ」

 

「いいから座ってなさいって!」

 

 あいを使い走りにするなど、昨年は一度もなかった。やはり何かおかしいと思いつつ、悠はラウンドテーブルの一つにボストンバッグを置き、席に着いた。見回してみると、焼きそば屋の前の生垣付近に見覚えのある毛並みが見えたような──

 

「おいコラ」

 

 着ぐるみの姿を確認する前に、知り合いに後ろから声をかけられた。この声は長瀬だ。だが意外と言うかやはりと言うか、声の調子がいつもと違う。

 

「人の彼女と何してんだ!」

 

 セリフだけ聞くと、間男に怒っている彼氏のそれである。しかし振り返って友人の顔を見ると、金でも脅し取ろうとするセリフと表情が合っていなかった。演技は素人の長瀬は笑いを噛み殺しているのが、悠には分かる。

 

「おいおい、何やってんだよ」

 

「いけませんね……」

 

 一条と尚紀もやって来た。二人の顔に笑いは浮かんでいない。しかし声の調子に少しだが呆れの色があるので、このセリフは脚本通りのもので間男の悠に言うのと同時に、演技が下手な長瀬に呆れている。観察力と胆力を兼ね備えた今の悠には、それが分かる。

 

 悠は美人局の芝居に巻き込まれている。そうすると次の展開は──

 

「待ちんしゃーい!」

 

 生垣から赤と青の着ぐるみがミサイルよろしく発射された。身軽なマスコットは空中で一回転し、華麗に着地した。

 

「センセイをいじめるヤローは許さんクマ!」

 

 そして足を広げて体を傾けて、斜め上に向けて弓を引くポーズを決める。地獄の業火に焼き払われて失ったはずの派手なコスチュームは、いつの間にか復活していた。

 

「ジュネス戦隊クマーマンR! 参上クマー!」

 

「参上ー!」

 

 戦隊リーダーの決め台詞に続いて、ヤケクソ気味な掛け声がフードコートに響き渡った。もちろん陽介たちだ。悠を除く七人全員、旧特別捜査隊の面々が勢揃いだ。生垣の向こう側に隠れていたところから立ち上がって、揃って両手を上に伸ばしている。

 

「Rって何だ?」

 

「リターンズのつもり……ああ、いい。忘れてくれ」

 

 悠の質問に答えつつ、陽介は苦虫を噛み潰しながら腕を組んだ。フードコートの他の客や店員たちの注目の視線が痛い。店長の父親から説教を食らいそうな予感が、今からしている。

 

「グダグダね……」

 

 戻ってきたあいが、芝居の出来を的確に論評してくれた。なお、律儀にも悠の飲み物は本当に持ってきた。

 

「で?」

 

「いや、お前が来るんだからサプライズしようって、クマが企画してな……」

 

 5月3日にP-1グランプリが開幕した時、これはフードコートに姿を見せなかったクマの悪戯ではないかとの疑惑があった。それそのものは割と早い段階で否定されたが、今度は本当にやったわけだ。しかしクオリティは5月のあれとは比べるべくもなかった。

 

「先輩、久しぶり! 元気だった? 私のこと、恋しかった!?」

 

 滑って停滞してどこに向かえばいいのか分からなくなってしまった空気を、りせが打ち消しにかかった。復帰したアイドルは以前と違って髪にウェーブがかかり、頭にサングラスを乗せている。見てみれば、他の面々も髪型や服装の雰囲気が以前とは大分変わっていた。例えば完二は髪が黒くなっている。

 

 

 芝居が失敗した後すぐに堂島から連絡が入り(やはりサプライズ企画に協力させられていたらしい)、全員で堂島宅に移動することになった。生田目の手伝いを終えた結実も合流してきた。

 

 家主を入れて十四人もの人間が古い家に集合した。ちなみにクマは着ぐるみを脱いでいる。居間だけでは入りきらず、ダイニングのテーブルも使って悠の歓迎会が行われた。いつぞやのような特上の寿司が五桶も並んでいた。一人の大人と大勢の若者たちは寿司を食べながら、近況を報告し合う。

 

「この前、足立に面会してきた」

 

 堂島の話はこれだった。尚紀が応じる。

 

「足立さん、どうなるんですか?」

 

「起訴されることになって、公判の日取りも決まった。もっとも表沙汰にできんことが多すぎるからな。例の事件の犯人として世間にも一応発表されるが……求刑や判決がどうなるかは、正直分からん」

 

 世界の裏側に属する人間による、世間から隠された力が使われた犯罪である。超法規的に抹殺されることがないだけ、まだ良心的とさえ言える。ただし真相を公表できない分、裏では司法取引めいたことが行われる可能性は大いにある。足立の力を惜しむシャドウワーカー本部が手を回して刑を軽減させようとしたり、検察も何らかの対価と引き換えに応じる政治判断をすることはあり得る。

 

「まあ……いいです。償い方にも色々あるでしょうから」

 

「……済まんな」

 

 尚紀も堂島も、世界の裏側を見たことのある身である。殺人事件の犯人に対する思いも、自分自身の境遇の影響を受ける。だから償い方が真っ当にならないかもと聞いても、覚えるのは憤りばかりではなくなる。ただまたどこかで足立と会って、関わり合いになることはありそうだと、そんな予感がしていた。

 

「皆月はどうなったか知ってる?」

 

 今度は悠がもう一人の犯人について尋ねたが、堂島は首を横に振った。ちなみに足立は皆月を殺したと堂島に一度報告したが、実は生きていて塔の地下で戦ったことを、悠から改めて報告している。

 

「いや……あいつに関してはさっぱりだ」

 

 皆月の消息は全く不明だ。桐条グループによる調査の経過は堂島も聞いているが、かの少年の行方は杳として知れないままとのことだった。八十稲羽での住居は発見したが、帰っている形跡はもちろんない。そこにあったパソコンなどは押収して事件の動機や背景を調べているものの、本人を見つけ出す手掛かりはなかった。現時点では、皆月については足立の事件以上に謎が残っているままだ。

 

「もし見つかったら教えてよ」

 

「……考えておこう」

 

「ま、それはそれとして……お前はどうだ。進路とか決めたか?」

 

 暗くなった雰囲気を打ち消すように、陽介が久しぶりに会った相棒に明るい声で尋ねた。

 

「大学に進学するよ。教育学部だ」

 

 悠はゴールデンウィーク後に戻った都会の高校に、遅ればせながら進路指導表を提出した。三年生に上がった当初は物事を考えること自体が面倒な無気力症に陥っていたが、それは事件を通じて返上した。

 

「先生になんの?」

 

「ああ、倫理だ」

 

「そうか……」

 

 陽介は納得して、腕を組んで深く頷いた。他の高校生の面々も似た感慨を抱く。なるほど悠が教師になるなら、教える科目はそれが最も相応しい。亡き恩師を見習いすぎて、生徒に嫌われないかが心配だが。

 

「そークマか……センセイはホントのセンセイになるクマか」

 

「お前は進路決めたのか?」

 

 相棒に同じ質問をすると、答えはすぐ返ってきた。

 

「ああ、俺も進学するつもり。法学部な」

 

「法学部?」

 

「俺、将来は弁護士になるわ!」

 

 昨年と今年の事件には誰もが大いに影響を受けた。若者は将来を真面目に考えるようになり、考えた結果、具体的に決めた者もいる。陽介もその一人だ。

 

「弁護士ねえ……つまりあたしが捕まえた犯人を、あんたは無罪だと主張するわけね?」

 

「うん。お前が捕まえたんなら、絶対そうする」

 

 警察官志望の千枝が応じて、陽介もノリ良く答える。

 

「ま、気長に待ってるわ。あたしが定年になる前に資格取りなさいね」

 

「そんなにかかってたまるか! まあ、一浪は覚悟してるがよ」

 

 陽介は思考回路が論理的でコミュニケーション能力も高い方だが、学校の成績は優秀という程ではない。受験勉強のスタートが遅かったこともあり、希望する都会の大学に現役で合格するのは難しいと思っている。しかし一度の失敗で諦めるつもりはない。そしてたとえ浪人しても、悪いことばかりでもない。

 

「浪人すれば一年長くラビリスと一緒にいられるしね!」

 

 りせが言う通り、ちょっとした役得がある。

 

「一緒に?」

 

「ああ、ラビリスは二学期からうちの学校に編入するんだ。りせたちと同じ学年な」

 

 ラビリスは現在ポートアイランドにいて、陽介とは遠距離恋愛中である。しかし学校に通いたいとの本人の強い希望により、近いうちにこちらに来る予定でいる。ちなみに妹の母校である月光館学園ではなく八十神高校に編入する理由は、言うまでもない。離れていても心は繋がっていると言っても、それだけで満足するほど殊勝ではないのだ。

 

「そうか……って、大丈夫なのか? 戸籍とかどうなるんだ?」

 

「その辺は全然問題ねえ。ラビリスの戸籍とか経歴とか色々、全部桐条さんが上手いことやってくれるって。小学校で教えた先生まで用意されてるって話だぜ」

 

 その手の裏工作は、桐条グループにとっては得意技の一つに過ぎない。いない人をいるように見せるのも、その逆も思いのままだ。ちょうど三年ほど前にも、アイギスに関して同じことを行っている。泣く子も黙る公安さえ鼻白むその権力を、人はこう呼ぶ。

 

「桐条パワー、恐るべしだな」

 

「……」

 

 沈黙が下りた。大勢が集まって普段の数倍騒がしい堂島宅に、俄かな静寂が出現した。居間のテレビから流れるニュースキャスターの声さえも、遠くに聞こえてしまう空気の重さだ。それが破られたのは、悠が滑ってから数秒後のことだった。

 

「き、桐条パワー!? ぷぷっ、あはははは!」

 

「あれで爆笑すんのかい。あんた、最近ますますツボ浅くなってない?」

 

「……今日ほど天城がいて嬉しいと思ったことはないよ」

 

「お、おだてても何も出ないよ? く、くるしー!」

 

 雪子はまだ笑っている。そのうち皆月のダジャレで爆笑する日が来るかもしれない。実はそれこそが、かの少年を攻略する鍵であるのかもしれない。

 

「お前らな……刑事の前で堂々と公文書偽造の話なんかするんじゃない」

 

「す、済みません! でもしょうがないじゃないっすか。ロボットだとか言う訳にいきませんし、てかもうロボットじゃないですし!」

 

「やれやれ、俺も甘くなったもんだ……」

 

 刑事にして特殊部隊員は陽介の弁解をあっさり受け入れた。堂島もまた事件を通じて変わった。融通のきかない古い父親であったはずが、物分かりが色々と良くなってしまった。必要に応じて建前を放り捨てて、時には法律違反を知りながら見逃すくらいに。

 

「ただいまー!」

 

 機微な情報も含む皆の近況が一通り伝えられた、ちょうどそのタイミングで、この家の本来の住人が帰ってきた。小学二年生になった菜々子は髪が肩を超えるほど伸びており、背も少しばかり伸びたように見えた。

 

「お兄ちゃんだー! りせちゃんも! せいぞろい!」

 

 悠は5月から聞いていたように菜々子はピアノを習っており、今日は教室に行く日だったのだ。従兄が『帰郷』するその日でも休まない辺り、真面目と言うか。ともあれ稽古が終わったので、飛んで帰ってきたのである。

 

「ナナチャン、お帰りクマー!」

 

「あ、クマさんまたきたんだー! こんにちは!」

 

「また?」

 

「ああ、こいつ堂島さんちにしょっちゅう通ってんの」

 

 陽介によると、クマは事あるごとに堂島宅に押しかけて、その都度アルバイト代をはたいて買った菓子などを菜々子に貢いでいるらしい。ちなみに5月に悠が帰る際に口走った『身も心も結ばれた』発言については、陽介もフォローして昨年12月3日の出来事の真実を伝えたので、堂島の許しを得ている。

 

「はい、お土産クマ!」

 

 そして少年は今日も少女への貢物を持ってきていた。クマが3ヶ月ほど前から展示の企画を考えていた、真夏のイベントアイテムである。菜々子は手渡されたジュネスの紙袋を、早速開けてみた。するとピンク色の布が二つ出てきた。

 

「すごーい! はいから!」

 

 フリルがついた可愛らしいデザインの、子供用の水着だった。ハイカラという表現はあまり適切ではないが、堂島家では良い意味で使われる言葉だ。

 

「今度一緒に海行こうクマ! クマかき教えてあげるクマ!」

 

 そして夏のデートに誘うが──

 

「ねえねえお兄ちゃん、どう? にあうかな?」

 

 菜々子は貰った水着のトップスを胸に当てて、くれた人以外に感想を求める。すぐ傍で『ズコー!』と悲鳴が上がっても気にしない。礼を言うのは後回しだ。

 

「あ、ああ……似合うよ」

 

「この子、やるわね……」

 

「まだ小二なのに……末恐ろしい」

 

 あいは久しぶりに会った女児の成長ぶりに感心し、結実は将来に恐れを感じた。この年で男を操る術を習得している。しかも計算でやっているのではなく、自然とそれができている。動物の熊を含む自然界では、恋は往々にして雌がリードして雄は振り回されるように。

 

「クマさん、ありがとね! 菜々子、うれしい!」

 

「ナナチャン……!」

 

 そうして菜々子も加えた皆で改めて話が弾み、各々が思い思いに寿司をつまんでいると、つけたままのテレビで天気予報が始まった。

 

『続いて気象情報です。今日は一日気持ちよく晴れましたが、明日以降はどうでしょうか。現場の久須美さーん?』

 

 キャスターの呼びかけに応えて、黒い髪の女の姿がテレビに映った。映った瞬間、悠は固まった。指一本動かせなくなり、箸を取り落とす。そしてテレビを凝視する。

 

『どーも。久須美鞠子です。えーと、昨日までずっと雨ばっかでした。なので今日から晴れにしました』

 

「マリー……?」

 

 凍り付いた喉を無理に動かして、やっと出てきた声は掠れていた。

 

『まあこんだけ降ったし、この夏はもう困んないでしょ。でも暑くなったら、また降らします』

 

 テレビに映っているのは明らかにマリーである。見覚えがある、と言うより一日も忘れたことのない顔と声だけでなく、ひねりのない名前からしてもそうだ。天気予報を決定事項のように語るところも、その正体からすれば当然の言い方である。黒いフレームの眼鏡をかけていて、女物のスーツを着ていることだけが以前と違うが、悠はそれくらいでは見間違えない。

 

「お前たち、知ってたのか?」

 

 天気の確報が伝えられる中、悠は居間のちゃぶ台を囲む面々を鋭く見回した。マリーがこんなことになっているとは、悠は一言も聞いていない。もし聞いていたら、たとえ試験中であろうと学校をサボって飛んできただろう。

 

「あー……はい。先輩が帰った後でテレビにちょいちょい出だして、いつの間にか人気になっちまって……」

 

 完二はばつが悪そうに答えた。千枝や雪子は目を泳がせている。悠が紅潮した顔でダイニングテーブルの側を見ると、一条や長瀬は目を逸らした。そういう反応をしないのは、菜々子の他には堂島だけだった。

 

「俺はこの予報士のことはよく知らんが……何だ、去年からのお前の知り合いで? 一時期いなくなったがまた戻ってきた……だっけか? 済まんが口止めされていてな」

 

「てか短期間で人気出すぎなのよ! 局の扱いどうなってんのよ!」

 

 りせはかなり本気で苛立ちを感じている。気象予報士やアナウンサーは時にアイドル並みの人気を獲得することがあるが、この『久須美鞠子』は随分と勢いが極端だった。百発百中の『予報』や、印象的な決め台詞によって。

 

『それじゃ明日も、がーんばってねっと!』

 

「がーんばってねっと!」

 

 その決め台詞を菜々子が復唱した。この瞬間、同じことをした子供は町中にいるだろう。

 

「マリー……」

 

 これはただの応援メッセージではない。絆を教える『我』がするような、人の無意識に刷り込む何かがある、ただし決して不快には感じさせない言葉。これはこの地を守る存在としては、ささやかな力の発露に過ぎない。普通の人間は分からないまま乗せられるだろうが、悠には画面越しでもからくりが分かる。

 

 ちなみに普段の予報コーナーはこれで終わりだが、今日は追加があった。

 

『おっと私信! 私、元気でやってます。悠、大好きだよ!』

 

 瞬間、堂島宅に電光が走った。空気がピシッと張り詰める。他の家でも、きっと似たようなことは起きたはずだ。

 

「公共の電波で愛の告白……?」

 

「マリチャン、ヨースケと同じことやったクマか……」

 

「だから俺のは公共じゃねえって!」

 

『あの場所で待ってるからね!』

 

 そして告白に続いて、待ち合わせの約束までした。普通ならテレビ局に苦情が殺到しそうなレベルの放送事故だ。もっとも魔術でごまかされるかもしれないが。

 

「マリー……!」

 

 悠はちゃぶ台をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がり、玄関へ向けて全速力で走っていった。誰にも止める間を与えない、雷のような動きだった。今日は久しぶりの再訪の歓迎会なのに、主賓が出ていってしまった。

 

「ったく、せっかく大勢集まったってのに……。青春だな」

 

「ははは……しょうがねっすよ。そのうちマリーちゃん連れて戻ってきますって!」

 

 寿司や飲み物はまだ残っている。家族、仲間、友人たちのいずれも悠を追わず、用意されたパーティーメニューを消化することに忙しかった。事件が終わった八十稲羽は平和である。

 

 

 堂島宅を飛び出した悠は、再興されつつある町を走る。ものを売る人も買う人も、表情は明るい。遊ぶ子供たちの声は大きい。行き交う車の数も増えている。田畑で揺れる稲や麦は太い。今年の収穫は史上最高の豊作になることは、既に約束されているも同然だ。

 

 しかし悠はそのどれにも目を留めない。暑さも感じない。心臓に埋め込まれた不死の一片は金色に光り、決して尽きない力を悠に与えている。風のように町を走り抜け、人の波を飛び越えるようにして軽々とよけて行く。山さえあっという間に駆け上がる。

 

 そして町外れの高台に至った。ここは昨年から何度か訪れた場所である。例えば花火大会を皆と一緒に見たり、特捜隊の写真を撮ったこともあった。

 

「ここだって、よく分かったね」

 

 マリーはそこにいた。以前ここに来た時と違って、反骨を表すパンクファッションを着てはいなかった。人気沸騰中の気象予報士の、つまりは大人の装いだ。眼鏡もしている。

 

「当たり前だろ……」

 

 八十稲羽を一望できるここに初めて来たのは、昨年の4月27日。マリーをベルベットルームから連れ出した雨の日だった。そして11月、『契約』を一度破棄した場所だ。マリーとの思い出の場所なら他にも色々あるのだが、悠はテレビで聞いた瞬間からここだと確信があった。悠が守り、マリーが守っている地が見える場所だ。

 

「君、変わんないね……」

 

 マリーは眼鏡越しに目を細めた。悠の周囲は変化を続けている。町も人も変わる。しかし悠は変わっていない。服装は昨年もこの季節によく着ていたグレーの半袖シャツとチノパンで、いかにも学生という装いである。そして顔つきも普段は目立たない十字の傷があること以外は、昨年と変わっていない。一年を経ても一年分の変化がない。もしかしたら、悠はもう年を取らないかもしれない。

 

 しかし不死の少年は首を小さく横に振った。

 

「変わるさ」

 

 年ならクマも取る。ラビリスはいずれ子供を産む。皆月もきっと孤独を捨てて、新たな姿へと変わっていく。

 

「君さえいてくれれば……俺はまた変われる」

 

 人は他人がいて初めて自分を認識することができて、喜びや苦しみも知ることができる。黄泉比良坂から逃げ帰った落ち武者の神、即ち死ねない人間さえも変わることができる。坂道を上ったり下りたり、奈落に突き落とされたり天まで飛翔したりと落ち着かない自分の人生を、良い方向へ変えていける。たった今、悠はそれを確信した。

 

「そっか……」

 

 マリーは眼鏡を外し、近づいてきた。悠も近づく。どちらも手を伸ばせば相手に触れられる距離まで来て、そこで立ち止まった。マリーの緑の瞳は、悠の瞳を真っ直ぐ見つめている。

 

 悠はマリーと再び出会うまで、たとえ永劫の時でも待つつもりだった。しかしもう待たなくていい。最後の一歩は悠から近づいて、マリーを抱きしめた。二度と離すまいと、しっかりと。マリーも悠の背に手を回す。男から攻めて腕の中に閉じ込めて、女は受け入れて飲み込み返す。

 

「生き残って良かった……!」

 

 世の中を当てもなく彷徨う、放浪の旅は終わった。マリーがいる限り、悠は生きていける。変わっていくこともできる。

 

 

 ペルソナ4 落ち武者の神 ──完──

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