今日は5月5日、こどもの日だ。多くの日本人にとって嬉しい連休も今日で終わり、明日から平日が戻ってくる。有里はそれとは反対に、連休の間はほぼ仕事漬けだった。せっかくの休みを完全に潰してしまったわけである。それが残念でないとは言わないが、代わりが務まる人材がいない以上、仕方がなかった。
この日の正午前に、有里は職場のビルにある会議室へと向かった。そしてやはりと言うか、美鶴は既に待っていた。
「来たか。ちょうど堂島刑事のペルソナの調査報告が上がったところだ」
堂島が召喚に成功したのは昨日の夕方である。昨日は堂島に疲労が見られたのと、時刻が遅くなっていたこともあって、足立と揃ってホテルに戻った。そして今朝から堂島に再度ペルソナを召喚してもらい、桐条グループの研究班によりその調査と分析を始めたところだった。
「早いですね」
堂島は一度の成功で体が覚えたか、この日からは召喚に失敗しなくなっていた。だがそれにしても報告が上がるのは随分と早い。
「過去の実例の中に、似た類型があったからな」
「……なるほど。荒垣さんと同じタイプですね」
会議室に備え付けのタブレットに表示された調査結果を確認すると、有里は納得した。確かに二人にすれば、どこかで見たような情報だった。
堂島のペルソナ『タヂカラオ』は法王のアルカナに属し、能力は物理的な攻撃に特化したものだ。と言うか、ほとんどそれしかできない。火炎や氷結などの属性魔法は一切使えず、能力の強化や弱化、味方の回復などの能力も持たない。そして成長させても、それらが使えるようになるとは見込まれていない。しかし得意とする打撃においては優れたものがある。一点突破も広範囲に展開するのも可能だ。そして技を支える土台となる膂力と耐久力は十分だった。耐性の面で言うと、長所も短所も特にない。
やはり法王のアルカナに属する、今は小料理屋で板前をしているペルソナ使いとよく似ていた。ただしそちらは当初から強大な潜在能力を秘めていたが、堂島は違った。
「しかし荒垣さんほど強くはないようですね」
有里が戦いを始めたのは二年前だが、当時の仲間たちは、そのほとんどが初めは並の力しか持たなかった。その点は堂島のペルソナも同様である。今のままでは限界まで成長させても、足立の半分程度の領域までしか到達できないと見込まれている。だがその代わり、普段や召喚時において暴走に繋がる危険性はないと判定されていた。
「その方が助かるさ……。力は安定性が第一だ」
美鶴は小さなため息を吐いた。強大すぎるペルソナは使用者と周囲に多大な危険をもたらす。それをこの二人は、過去の経験から身に沁みて分かっている。例えば引き合いに出された法王のペルソナ使い、名を荒垣真次郎は現役だった高校生の頃、手に入れてしまった強すぎる力の為に、取り返しのつかない事態を招いてしまったのだ。
力には代償が伴うのが常だが、身の丈を超えた力は破滅の元だ。足立のようにリスクなく力を使える逸材は、そうそういるものではない。
「そうですね。ともあれ、これで二人とも部外者でなくなったわけです」
堂島のペルソナについて把握できたところで、有里の口調は速くなった。今日の本題を切り出すように。まるで今さらの反論は受け付けないとでも言わんばかりに。
「この機会に、話せることは全て話してしまいましょう」
有里が言っているのは、一昨日にこの二人が結論づけた、堂島と足立への情報提供の件である。過去に色々と隠しすぎて失敗した経験から、新たな仲間となる二人には、可能な限り隠し事はしない方針で臨むことにしたのだった。
「うむ……」
その中には美鶴にとって辛い話もある。しかしその辛さを飲み込んで、美鶴は頷いた。
「お疲れのところ、ありがとうございます」
この日の午後、堂島のペルソナの調査は一通りが済んだ。そこで有里は堂島と足立を会議室に呼び、二人はそれに応えてやって来た。古株である有里と美鶴、そして新顔の堂島と足立。四人のペルソナ使いが同じ場所に集まった。
「いえ、それで話とは?」
「桐条グループとシャドウの関わりについてです」
二人の刑事が席に座るとほぼ同時に、有里はいきなり本題を切り出した。前置きを並べることもなく、ごくあっさりとした口調でもって。
「簡単に申し上げますと、桐条グループは十年以上前に大問題を起こして、つい昨年に決着したばかりなのです」
それは世間には知られていない、世界の裏側に関する話だった。知られていないから称賛はされないし、非難もされない。そんな秘密の話を、有里は淡々と語り出した。
シャドウには様々な能力があり、その中には時間や空間に作用する力もある。ペルソナ使いはシャドウを敵として排除するのみだが、それとは逆にシャドウの利用を企んだ人物がかつていた。桐条グループの先代、桐条鴻悦だ。鴻悦は研究者を雇ってシャドウを大量に集め、その能力を研究させた。しかし今から十一年前の夏、計画の最終段階で暴走事故が起きた。世間では『ポートアイランド・インパクト』と呼ばれる爆発事故がそれである。その時の痕跡として残ったのが、毎晩0時に訪れていた影時間と、『タルタロス』と呼ばれるシャドウの巣窟だった。
そして現総帥である桐条武治の代になってから、桐条グループは事故の後始末を始めた。それを実行していたのが、有里と美鶴を含めたポートアイランドにある学校『月光館学園』に在籍していた高校生たちだ。彼らは表向き部活動の形でシャドウ対策に臨んでいて、月齢に応じて現れる巨大なシャドウを倒し、タルタロスを制覇し、遂に影時間とタルタロスを消滅させることに成功した。それが一昨年の4月から本格化し、昨年の1月に終わった戦いである。ちなみにいわゆる無気力症が収束したのは、まさに戦いが終わったその時期だ。
「つまり……大規模な自然災害並みの被害を出しておいて、無関係な人間、しかも未成年を使って、企業犯罪の後始末をさせていたと言うのですか」
一連の説明を聞いた堂島は、非常に鋭い視線を有里に送った。席から立ち上がって相手の胸倉を掴んだりしないのが不思議なくらいの、滾り立つ義憤が顔に出ている。まるで犯罪史に残る稀代の大悪党を目の前に置いているように。
「その通りです」
対する有里は相手の怒りに構わない。柳が嵐を受け流すように、堂島の視線を軽やかにいなしている。有里自身は『犯罪』を行った人間でなく、むしろ堂島が言うところの『無関係な人間』の側に属していたから。しかし我に非はないとばかりに簡単に突き放しはしない。当時はともかく今の有里は自らの意思と責任において、桐条グループとの関係を続けている。だから弁解も忘れない。
「しかし無関係であること自体が、関係なかったのです」
これは事実である。実験を行った研究者の大半は爆発事故で死亡し、当時のグループ総帥の桐条鴻悦も事故後すぐに世を去ったのだ。生き残った関係者もいるにはいたが、ごく少数だった。しかも彼らはシャドウに対処する為の実際的な能力、即ちペルソナに覚醒することはできなかったのだ。そして問題を放置することも、絶対にできなかった。
「年齢や職業を理由に、人を選んでいられるほどの余裕がなかったのです。ですから自分たちがやらねばならないのだと、当時の人員は皆が納得していました」
これも事実である。厳密に言うならば、戦いが始まった当初の頃は納得していた人員の方が少なかったくらいなのだが、最終的には皆が納得した。だから事態を解決できたとも言えるほどに、彼らの結束は固いものだった。
「また未成年の方がペルソナに覚醒しやすい傾向があります。実際、成人のペルソナ使いが見つかったのは、お二人が初めてなのです」
これまた事実である。桐条グループが把握しているペルソナ使いは、ほぼ全員が小学生から高校生までの間に覚醒している。その点から、成人は覚醒不可能だとする説もあったくらいである。足立と堂島という反証が現れた為、その説は否定されることになったわけだが。
「たとえそうでも……誰も責任を取らずにいるのですか。事故から十年以上、解決してからでも一年以上も経っていると言うのに」
有里の弁解を聞いても堂島の視線はまだ緩まらない。当然だ。企業による組織的犯罪は、責任の取り方が個人の犯罪とは異なる。たとえ当事者が死亡していても、それで全てに幕が引かれたりはしない。組織自体が現存している以上、組織としての責任は必ず問われる。犯罪を取り締まる仕事をしている堂島にすれば、看過できない問題だった。
「責任を取るつもりはあります」
今日の説明は有里が主にしていたが、ここで美鶴が口を挟んできた。これだけは己の口から言わねばならない。そんな思いを表すように、はっきりと。
「現グループ総帥の桐条武治は、今年度限りで代表を引退する予定です。併せてグループは親族経営を脱する方針でいます」
つまりシャドウ対策が新たな局面に入る今年を境に、桐条グループは経営陣を刷新するというわけだ。禁固や懲役刑を課すことがそもそも不可能な、法人の責任の取り方としては妥当かもしれない。そうすると残された大きな問題は──
「事件の真相を公表する予定はないのですか?」
情報公開だ。責任を取る為には、必ずやらねばならない。普通の事件であれば、という但し書きがつくが。堂島のこの質問に、美鶴に代わって再び有里が答えた。
「将来的には公表したいと考えています。しかし今の段階では、いたずらにパニックを起こすだけと判断しています。これは警察当局も同意見です」
美鶴もそうだが、有里は嘘を吐いてはいない。だから今日の話では、ただ事実だけを述べている。そしてこれも事実である。現時点ではシャドウやペルソナに関して世間一般に公表するのは時期尚早であると、桐条グループと協議を重ねてきた警察庁、中でも公安は判断した。またそれは当然の判断と言える。
「……」
堂島は一旦口を噤み、腕を組んで考え出した。
(確かに……いかにも上が考えそうなことだ)
世の中には何でも表と裏がある。堂島はどちらかと言えば表側の人間だが、裏側も知らないわけではない。そして裏側に対して、怒りばかりを感じるほど潔癖なわけでもない。
シャドウなる怪物と、それに立ち向かうペルソナ使いと呼ばれる超能力者たち。この真実を果たして今の世の中で公表できるか。理想論を述べることは簡単だが、現実を見れば慎重にならざるを得ない。真実を何もかも明らかにすることが、正しいとは限らないのだ。企業グループが一つ破産するくらいは、堂島にとってはどうでもいい話である。しかし社会の在り方そのものを、根底からひっくり返してしまいかねない真実は、公にしない方が良い場合もある。
(下手に公表なんかした日には……とんでもない騒ぎになるな)
これは新種の生物の発見や、新しい科学技術の開発などとは訳が違う。現在の日本国内と国際情勢を鑑みれば、公表はリスクが大きすぎる。明らかになった真実は、間違いなく軍事やテロリズムに利用される。そしてそれがもたらす被害の大きさは想像もつかない。シャドウを一匹残らず根絶するか、ペルソナ使いを無力化する方法が確立されでもしない限り、世間に知らせるわけにはいかない。田舎の一刑事に過ぎない堂島でも、少し考えるだけでその結論に至った。
「では……稲羽のシャドウは桐条グループとどう関係するのでしょう。もしやシャドウやペルソナの研究施設か何かが、稲羽にあったのですか?」
堂島は腕組みを解いて、過去から現在の問題へと話題を移した。しかし視線の鋭さと訝しさは、一向に収まらない。むしろ更に強くなった。なぜならこれは警察官としてのみならず、個人としても関わる問題だからだ。
「いいえ。以前もお話ししたかと思いますが、シャドウは人間から生まれるものです。よってシャドウは人間のいる場所であれば、地球上のどこでも出現し得るのです」
シャドウは人間から生まれるもの。かつての戦いの頃は、ペルソナ使いたちをまとめる責任者の立場にあった美鶴さえ、この事実を長い間知らなかった。しかし堂島と足立には、ポートアイランドに来た初日に話してある。
「現在のところ、稲羽市とその周辺に過去の桐条グループとの関連は見つかっていません。今後に新たな事実が判明する可能性はゼロではありませんが、基本的には桐条と無関係に出現したものと考えています」
「……」
要は桐条グループが原因ではない事態だというわけだ。堂島にすれば、有里の言い分を鵜呑みにするわけにはいかない。しかしだからと言って、この場で重ねて追及してみたところで他の答えを引き出せそうにはなかった。有里は堂島の半分の年齢にも達していないのだが、交渉するには相当に手強い相手だと感じていた。怒鳴ろうが脅そうが何の効果もないだろうと、やる前から察せられるくらいに。
「あの、僕からもいいですか」
堂島が黙り込んだ隙に、これまで無言で話を聞いていた足立が口を開いた。警察の捜査会議で発言の許可を求めるように、挙手をしながら。
「はい、何でしょうか」
「松永綾音と海老原あいは、シャドウに襲われて影人間になったって話ですけど。もしかして……山野真由美と小西早紀の件も、シャドウの仕業なんですか?」
足立のこの質問は、当然聞かれるべきものだ。何しろ当の事件を、足立と堂島は揃って担当している。そしてシャドウの仕業であると考える根拠はあるのだ。
「可能性は高いと考えています。いずれも霧の日に起きていますし、死因も掴めていませんから」
だから有里は否定しなかった。なお、かつての戦いの頃はシャドウに襲われた人間は影人間になるケースが大半で、死に至った者はほとんどいなかった。しかし皆無ではない。例えばポートアイランドの対岸、港区本土の巌戸台のとある神社の神主は、シャドウによって命を落としている。
「それってつまり……あの事件、殺人じゃなくて獣害事件ってことですか?」
猿や熊などの動物による事件のことだ。作物を食い荒らしたり、保持する病原菌から感染症を発生させたりする事例が多い。そして動物が人間を死傷させた事例も、過去にはいくつかある。もちろんシャドウは動物ではないが、事件の性質としてはそういうものだ。つまり相手は人間ではないので、犯罪という概念がそもそも適用できない。逮捕も裁判もあったものではない。
「そういうことになりますね」
「道理でいくら調べても、何にも出てこないわけだ。これまでの捜査は全部無駄か……」
言いながら足立は額に手を当てて、大きなため息を吐いた。これまで熱心に、少なくとも普通に働いてきた人間が、自分の仕事が徒労に過ぎなかったことを思い知らされて嘆くように。もちろん足立自身は、あの事件はやはり殺人事件であることを知っている。知った上でこう言っているのだ。
そしてそんな足立の裏を察せられる者は、この場にいなかった。普段から足立の近くにいる堂島も、幼い頃から人の上に立ってきた美鶴も、コミュニティと呼ばれる絆を束ねていた有里さえも、全く気付いていない。いや、気付くことなどあり得ない。イゴールも初めて見た、過去に例のない道化師のペルソナ使いである足立の心は、誰にも分からない。それは観察力や推理力の問題ではなく、一種の宿命である。
敢えて言うなら、かつての戦いで有里たちの元締めの立場にあった男なら、足立の仮面に隠された真意を見抜けたかもしれない。その男はペルソナ使いでこそなかったが、世界の真実に誰よりも近いところにいて、しかも『道化師』と称されていたから。しかしその男は、もうこの世にいない。一年半ほど前に、あるペルソナ使いによって殺されてしまったのだ。
よって真実は誰にも分からない。足立自身か足立を道化師と評したベルベットルームの住人が、口を滑らせでもしない限り。
「しかし山野と小西は死亡し、松永と海老原は影人間になったものの、死を免れました。その違いは何によるものでしょうか?」
ここで堂島が再び口を開いた。これまでの話を相棒に逸らされてしまったわけだが、敢えて元に戻そうとはしなかった。
「現時点では不明ですが……もしかすると、死亡した二人にはペルソナの適性があったのかもしれません」
堂島は目を見開いた。推測の形で説明されたこの話に、思い当たる節があったのだ。
「では……なまじ適性があった為にシャドウに抵抗して、挙句に殺されたと?」
先月30日未明の出来事だ。霧の中で警官を擬したシャドウに襲われた堂島は、素手で抵抗して大怪我を負ったのだ。あの時は相棒に助けられたが、もしも相棒がいなければ、いわゆる無気力症、即ち影人間になるだけではきっと済まなかった。手錠で殴り殺されるか、銃で撃ち殺されていたはずだ。幼い娘を置いて、妻のもとへと旅立ってしまっていた──
「推測の域を出ませんが」
「ではペルソナの適性とは、どのような人間が持っているのでしょうか。何が要因で目覚めるのですか?」
「……いささか申し上げにくいのですが」
この時始めて有里は言い淀んだ。視線を堂島から逸らし、言いにくそうな素振りを見せてきた。
「教えてください。今後の為に必要な情報かもしれません」
「……」
堂島も足立も、シャドウ対策に協力するかどうか、まだ一言も返事はしていない。しかし堂島は『今後』と口にした。本人も意識してのことではなかろうが、シャドウの問題に関わることを暗に認めてしまっている。それに気付いたか、有里は一度閉ざした口を再び開いた。
「ペルソナに目覚める確かな要因は、未だ明らかになっていません。ですが、家庭環境にその一因があるかもしれません」
「家庭?」
「過去の覚醒の実例から判断しますと、家庭環境に起因する現実への不満が引き金になると考えられています。山野は身寄りがなく、議員秘書と不倫関係にあり、小西は父親とかなり激しく対立していたと聞いています」
明白な証拠のある話ではないのだが、否定する根拠がある訳でもないのだ。むしろ状況だけ見れば、仮説を裏付ける実例はいくつもある。そして最も新しいペルソナ使いである、堂島自身もその実例の一つだ。
「で……私は妻を亡くしているから、というわけですか」
堂島は自分の体から急に力が抜けたような感覚を覚えた。単なる気持ちの問題だけでなく、実際に肩を落とし、背中も少しばかり丸まった。
「申し訳ありません」
「すると僕は……まあ、家族とは疎遠ですね。特に稲羽に赴任してきてからは、一度も親に連絡取ってないっすねえ……そう言えば」
力を落とした相棒に倣って、足立も自分の家庭事情を明かした。簡単にではあるが。
「……」
堂島は気を取り直し、隣に座る相棒に視線を送った。元は県警の本部で勤めていた足立は、先月から稲羽に赴任してきた。そうなった詳しい経緯は堂島も聞いていないが、要は左遷である。そして足立の両親がどのような人物なのかは、堂島には想像するしかないことだが、不遇な息子を温かく励ましてやるような親ではないのかもしれない。そう思うと、年若い相棒に同情を禁じ得ないが──
「しかし家庭の問題など、特に珍しいものではありません。多かれ少なかれ、誰にでもあるのではありませんか?」
堂島はこの場では相棒への気遣いを示しはしなかった。その代わり、世間では決して稀とは言えない、それどころかありふれたものとさえ言える、ペルソナの覚醒要因に懸念を示した。
「仰る通りです」
「すると今後に、また新たなペルソナ使いが現れる可能性があるということでしょうか?」
「はい、可能性はあります。極論すれば、いつでもどこでも新たなペルソナ使いは現れ得るのです」
「……」
堂島の懸念を有里は否定しなかった。そして四人の間に沈黙が降りた。季節は春の盛りでありながら、何とはなしに寒気を感じるような、物理的な質量さえ感じられる重たい沈黙が横たわった。
「さて、貴方がたのご意思をお聞かせください。シャドウ対策にご協力いただけますか?」
その沈黙をもって議論は出尽くしたものと判断した有里は、結論を求めてきた。
「……」
堂島はすぐには答えず、目を閉じてしばらく考えた。だがその思考は、あっという間に結論に辿り着いた。
(選択の余地はないか……)
桐条グループに思うところは山ほどある。それと協力関係にあるという警察庁、特に公安に対しても同様だ。しかしそれを理由として、シャドウ対策に協力しないとは言えない。人に危害をもたらす怪物が現実に存在し、しかも娘と甥が住む故郷の町に出るとあっては、絶対に看過はできない。堂島は好悪の感情だけで動くような子供ではないし、現実を無視して理想論を掲げるロマンティストでもない。
つまり問われる前から、結論は出ているも同然なのだ。選択肢などないに等しい。
「分かりました。協力します」
堂島は目を開くと同時に、重いものを飲み込んだ。
「僕もやります」
そして堂島とは対照的に、足立の答え方には重さがなかった。事件の参考人聴取とか報告書の作成とかの、普通の仕事を普通に引き受けるように。ただの日常の延長の事態であるかのように、社会の裏側へと足を踏み入れることを承知した。
(やっぱこうなったか。ま、仕方ないよね)
「ではご参加いただく組織について、改めて説明します」
これまでは有里が説明を主導してきたが、ここで美鶴が話を引き取った。
「以前からお話ししておりました通り、昨年から桐条グループと警察庁で、シャドウ事案特別制圧部隊、通称『シャドウワーカー』の設立を協議しておりました。先日、それが正式に決定しました」
実は当初のスケジュール感では、正式決定は今月下旬くらいの見込みだった。しかし先週末に稲羽でシャドウ事案が持ち上がったことにより、話がとんとん拍子に進んで、予定より若干早い決定となったのである。
「隊長は私、桐条美鶴が務めます。副隊長は有里です」
この二人は組織全体の長であるのだが、対シャドウ戦の現場要員も兼ねている。他に現場要員として過去の戦いを経験したペルソナ使いたち、つまりシャドウワーカーの前身組織の構成員が名を連ねている。ただし美鶴と有里以外は、組織上の身分は非常任扱いだ。だからこの場に彼らは居合わせていない。
そして現場要員の他に、シャドウやペルソナの研究を担うチームがある。また組織である以上、事務作業を行うオペレーターもいるし、関係省庁や警察など行政機関との連絡や交渉を担当する要員もいる。そしてシャドウ以外の荒事に対処する護衛役などもいる。
ここまでが本部である。そして隊規では、特定地域のシャドウ対策を担当する支部組織についての条項がある。ちなみにその条項は当初の隊規草案にはなかったもので、追加されたのはここ数日である。ついでに言うと、追加の作業を主導したのは有里である。
「本日付で、稲羽市周辺のシャドウ対策を主任務とする、シャドウワーカー稲羽支部を設立します」
支部の活動目的の設定や人員の採用と配備など、組織としての基本事項は本部の管理下に置かれる。しかしシャドウ対策の現場、要は実戦における指揮命令系統には、ある程度の柔軟性を持たせている。例えば本部の人員が支部の作戦に参加する場合、本部の人員が指揮を取るのが原則だが、現場判断により支部の人員が指揮権を持つことも可とする、等である。
そして隊規に基づいた辞令が交付された。
「堂島刑事、貴方を稲羽支部の支部長に任じます」
「……承知しました」
「足立刑事、貴方を稲羽支部の副支部長に任じます」
「了解です」
「感謝します」
二人の返答に美鶴は目を閉じて頷いた。その表情にあるのは、物事が思い通りに進んで満足を得た微笑、というものとは違う。本意ではないが、やむを得ないという思いが透けて見えている。そしてそんな美鶴とは対照的に、有里は感情を見せない。同情も期待も顔に出さない。その代わりに黒い板状の機械を一つずつ、堂島と足立に差し出した。
「これをどうぞ」
それはワイシャツの胸ポケットに収まるサイズの機械だった。厚さは数ミリ程度で、表側はほぼ全面が液晶の画面となっている。
「スマホですか?」
足立が言う通り、一見するとスマートフォンのようである。裏返してみれば、KJとのイニシャルが彫られている。全国の至るところで販売されている、桐条エレクトロニクスが製造した高機能携帯電話そのものに見える。だがもちろん、これは市販品ではない。
「影時間でも稼働する特別製です」
シャドウワーカーの隊員やその協力者向けに開発された、携帯用の情報端末だ。互いの通信はもちろん、シャドウとペルソナに関する研究成果その他の様々な情報を、部隊における地位に応じて閲覧が可能になっている。スマホを土台にしているのは、誰が持っていても不審に見られないよう隠密性を重視した為だ。もちろん市販品と違って、厳重なセキュリティシステムも搭載されている。
「どうぞ、使ってみてください」
「では……」
足立は慣れた手付きで機械を操作し、保存されているリンクの一つを辿ってその中身を見てみた。滑らかに画面を操作して全体を流し読みしつつ、途中のあるページに目を留めた。
「え……こんなに貰っていいんですか?」
足立が読んでいるのはシャドウワーカーの隊規である。目を留めたのは、特殊部隊員として受け取る報酬が書かれていた箇所だった。それは刑事としての足立の給料を大幅に超える額だった。所轄の稲羽署ではもちろん、県警本部や警察庁でも幹部以上でない限りはお目にかかれない数字が並んでいる。
「危険手当も含んでいますので」
報酬は本部から支給される。装備品などシャドウ対策に必要な物品や経費の類も、全て本部が負担することになっており、隊員個人の懐は全く痛まないようにできている。世界規模の企業グループの肝いりだけあって、羽振りは相当に良い。
ちなみに有里は高級マンションに住んでスポーツカーに乗るなど、まさに羽振りの良い生活をしている。それはかつての戦いを終えた後、桐条グループから報酬の名目で大金をむしり取ったからである。その後も新組織の設立に向けての、美鶴の補佐などの仕事で稼いできた。もちろん今後もシャドウワーカーの副隊長として、足立や堂島のそれを上回る相応の報酬を受け取る予定である。
かつての仲間たちの大半が新組織では非常任の身分でいる中で、有里は正式隊員として参加する。その理由の一つに、実入りの良さがあることは間違いない。何しろ有里家は年内に子供が産まれる予定なので、色々と入用なのだ。
「むむ……」
「ああ、そこは軽くタッチするんです。こんな感じに」
スマホを易々と操作する足立とは対照的に、慣れない堂島は文明の最先端にまごついていた。見かねた足立が手本を示して、操作方法を教え始めた。古株の上司と年若い部下の、よくある光景である。
「今ご覧いただいているのは隊規ですが、よくよくご精読ください」
だが堂島と足立は、どこの職場でも必ず一組はいるような、微笑ましいコンビではない。ペルソナ使いであり、シャドウ対策を国から任された特殊部隊員だ。しかも非公式の。それを明確に示す言葉を、厳しい表情を浮かべた美鶴は口にした。
「既にご理解いただいているかと存じますが……我々の活動は、飽くまで秘密裏に行うものです。世間には無論、警察当局にあっても、ごく一部を除いて秘密のものです。稲羽署の同僚や上司の方々にも決して知られることのないよう、ご注意願います」
シャドウワーカー稲羽支部は長と副長の二人しかいないが、それでも組織である。そして支部である為、本部の意向には基本的に従わねばならない。その組織に参加した以上、堂島と足立は規律に従う義務が生じる。そして諸々の規律の中でも、機密保持は極めて重要なものである。
大人は誰しもルールに縛られる。軍人や警察官であれば言うまでもなく、会社員でも一定の規律を課されるのが常だ。社会に生きる人間であれば、当然免れえないその義務を、二人は新たに負うことになったわけである。
「……はい」
堂島の返答には、義務を自覚した重みがあった。本部の二人に送る視線も、それに相応しく強いものだった。
「はい」
そして堂島とは対照的に、足立の返答には重みがなかった。
なお、この日に有里と美鶴が話した事柄は世間には秘密であるものの、全て事実である。しかし一から十まで、全ての事実を伝えたわけではなかった。例えばかつての戦いは、『二度』行われたという事実は話さなかった。証明する術がないのと、荒唐無稽にも程があるからだ。
そしてこの事実は、堂島と足立だけでなく警察庁にも伝えられていない。桐条グループの関係者でも、知っているのは有里の妻であるアイギスを始めとする当事者たちと、グループ総帥の桐条武治くらいである。記録さえ残していない、いわば『秘中の秘』であった。
その究極の秘密を他の人間が知るのは、もうしばらく先の話──