ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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いも(2011/6/11)

 旧暦の6月は別名を水無月と言う。そう呼ばれる由来や解釈には諸説あるが、水が無い月という意味ではなく、逆に水の月であるとする説が有力だ。古語では『な』は現代語の『の』に相当するから。

 

 ただ由来を別にしても、現代の暦では6月はまさに水の月だ。つまり梅雨である。ただし長期予報によれば、今年は平年と比べれば雨が少ないと予測されている。夜中まで降れば、マヨナカテレビを確認しなければならない悠たち特別捜査隊にとっては、地味に助かる天候状況と言える。

 

 そして雨は鈍色の空の上でまだ留め置かれたままでいる、11日の放課後の時間。授業を終えた悠は商店街を一人で歩いていた。目的は青いリムジンだ。と言っても、イゴールにペルソナの創造を頼みたいわけではない。

 

「あ、来た」

 

「やあ」

 

 来て早々に目的の人の姿を発見した。他人には見えない青い扉の隣で佇んでいるのはマリーだ。先月会いに来た時はなぜか部屋の外にも中にもおらず、そのせいで一悶着があったのだが、今日は何事もないままスムーズに姿を見つけられた。しかしマリーは緑の瞳の上で弧を描いている細い眉を、不機嫌そうに寄せた。

 

「君、たまにしか来ないよね」

 

 この指摘は当たっている。今日は来たが、悠はそう頻繁にマリーと会っているわけではない。頻繁なのは千枝と雪子だ。特に先月下旬に完二の救助に成功して以降は、かなりの頻度で彼女らのいずれかと放課後や休日の時間を過ごしている。

 

「遊び人」

 

「……誤解だよ」

 

 そう、誤解だ。悠は決して彼女らを自分のものにしようと、狙っているのではない。多分。

 

 あの二人を狙っているのは他の人間だ。千枝は不良グループと揉めていて、雪子はたちの悪いマスコミに目を付けられている。そんな彼女らを一人で放置しておくと、何か大きな問題に発展しそうで心配なのだ。事と次第によっては警察沙汰にもなりかねない。ただ今日は当の二人が一緒に買い物に行くらしく、悠は二人と同行していない。三人一緒にいると、互いがあらぬ誤解を招かないとも限らないから。

 

 それで体の空いた悠は、マリーに会いに来たわけだ。酷い話だが。

 

「曇ってるね……」

 

 だがマリーはたまにしか通ってこない悠を、それ以上咎めはしなかった。顔を上げて初夏の空を見た。二人を見下ろす稲羽の空は、灰色をまぶした厚い雲が低く立ち込めている。昨日は昼間に雨が降り、夜には上がった。しかし今日になっても雲は天から去らず、マリーの頭上に居座り続けている。そして週間予報では、晴天が戻る前にもう一度雨が降ると言われている。

 

「また私が知ってるのと、違う雨が降る……。降ったら霧が出る……。そしたらまた……」

 

 視線を天から地に下ろして、マリーは赤いチェックのアームカバーで包まれた腕を組んだ。外から襲ってくる何者かから、自分の身を庇うような仕種である。

 

「大丈夫さ」

 

 雨が続けば霧が出る。そしてその時テレビの中に人がいれば、その人は殺されてしまう。だが悠たち特別捜査隊は、殺人を既に二度防いでいる。確かな実績に裏付けられた自信を込めて、悠はマリーを励ました。

 

「また誰かが被害に遭っても、俺たちが助けるから」

 

 もし今後に三度目の誘拐事件が、事の始まりから数えれば五度目となる事件が発生しても、悠は被害者が死に至る前に必ず防ぐつもりでいる。それは悠だけでなく、特捜隊全員が共通して抱いている決意だ。もちろん事件が起こる前に犯人を捕まえられれば最善なのだが、残念ながらそこまではできていない。

 

「君が?」

 

「ああ。それにちょっとだけど、手掛かりも見つかってるんだ。誰が狙われるか、分かってきたからな」

 

 特捜隊は犯人に直接繋がるような重大な証拠や証言はまだ得ていない。しかし被害者に関しては、事前の予期が可能になりそうだった。今週初めにフードコートで開催した特捜会議で、『犯人はテレビに取り上げられた人を狙っている』という見解を得たのだ。

 

「え……君に分かるの? 私にも分かんないのに……」

 

 マリーが意外そうな顔をすると悠はにやりと笑った。成果を誇るような、ちょっと得意げな顔だ。

 

「仲間がいるからな」

 

 悠一人では、きっとそこまで辿り着けなかった。陽介と二人でも無理だっただろう。『最初の事件の関係者が狙われる』と思い込んで、袋小路から抜け出せなかったはずだ。実際にそうなった特捜隊に新たな道を示したのは、今月から新加入した完二だったのだ。

 

 完二は学校の成績は芳しくないが、それはこの際問題ではない。事件の推理には暗記も計算も役に立たない。重要なのは、個々の頭の良し悪しよりも頭の数だ。つまり視点の数だ。即ち仲間である。

 

「そう……」

 

 マリーは再び視線を落とした。自信ありげな、だが言葉の少ない悠により詳しい説明を求めたりもせずに、ただ地面を見つめた。近い将来に雨が落ちて、霧が這うことが約束されている土地を。

 

「ね、外はやだ。雨、今日は降ってないけど、何かやだ」

 

 そして話題を変えてきた。

 

「雨や霧が入ってこないトコがいい」

 

「それじゃあ……」

 

 どこか屋内の店なり施設なりに連れていけと、マリーは言っている。要望を受けた悠は軽く周囲を見回す。だが巡る視線は早々に止まった。二人が傍らに立つベルベットルームの入り口の、すぐ近くの場所を悠は指差した。

 

「ちょっとそこの本屋に入ろうか。買いたい本もあるし」

 

「うん、行こ」

 

 永劫の絆で結ばれた二人は、すぐに歩き出した。雨や霧に関する話を、途中で投げ出したまま。

 

 実は二人の会話は噛み合っていなかったのだ。マリーが案じているのは、謎の犯人がテレビに放り込んでいる人ではない。イゴールやマーガレットが言うところの、『本来あるべき運命』では存在しなかったはずの、現実の霧における災厄だ。そして現実に出るシャドウは誰を襲うか分からないのだ。イゴールやマーガレットは予期しているかもしれないが、マリーには分からない。

 

 しかしマリーは抱いている憂いを、悠に詳しく語らなかった。悠も尋ねなかった。二人だけでいるこの二人は、他の視点を持っていない。会話が噛み合っていなかったこと、それ自体にさえ気付かないまま、二人は出かけた。

 

 

 悠は八十稲羽に引っ越して二ヶ月になるのだが、商店街の四目内堂書店に来るのは初めてだった。個人経営の小さな本屋だが、品揃えは意外と充実している。青少年向けのマンガや小説のみならず、文芸書もそこそこある。特に『漢』や『弱虫先生』と題されたシリーズが人気を博している模様である。その他にも、効率の良い勉強術や英会話、更には釣りの実践書などもあった。小さな店内にいくつも並べられた書架の中から、悠は一冊の本を抜き出した。

 

(これがいいかな)

 

 家庭料理のレシピ集である。悠はゴールデンウィークの頃から、時々菜々子に夕食を作ってやっている。だが具材の切り方から味付けや火加減に至るまで、完全な自己流である。だから失敗もままある。崩れた肉じゃがとか、ベタベタな酢豚とか。犬も食わないとは言わないが、ある程度の寛容さを要求する物体を作ってしまうことはある。だから前々から、料理の勉強をしようとは思っていた。しかし菜々子はどんなものでも食べてくれるので、それに甘えてしまっていたのだ。

 

 悠の本来の性格は面倒くさがりである。最近こそ友人たちの前では、そうしたところは影を潜めている。しかしだからと言って、これまでの人生で培われた性格が変わったわけではない。表に出る機会の減った本性は、下手な料理に皺を寄せていたのだった。

 

「ね、これ買っといたら?」

 

 一ヶ月以上もそっとしておかれた料理の本を、ようやく手にした悠の下に、マリーが近づいてきた。そして別の一冊の本を差し出してきた。唐草模様で装飾された表紙に銀色の仮面の絵が描かれた、かなりの厚さがある本だった。タイトルは随分と凝った書体で書かれていて判読しづらいが、タロットと書かれているようだ。

 

「占いの本か?」

 

「おまけもついてるみたいだし。お買い得……って言うんでしょ、こういうの」

 

 差し出された本を受け取ってみると、帯に普通の書体で『特別付録:大アルカナセット』と書かれているのに気付いた。裏返してみれば、付録と思しき小さな紙箱が帯に貼り付けられている。なるほど、お買い得かもしれない。ちなみにタロットには小アルカナと呼ばれるカード群もあるのだが、大アルカナだけでも占いはできる。

 

 悠は本を開き、目次を見てみた。すると聞き覚えのある単語が目に入った。

 

(愚者、魔術師、女教皇……本当だ。タロットなんだ)

 

 以前にイゴールから聞いたことがあった。ペルソナとコミュニティ、そしてシャドウは全てアルカナになぞらえられるのだと。これは買っておくべきかもしれないと、悠は思った。もちろんタロットの勉強をしたところで、戦いやコミュニティで役に立つかどうかは分からない。しかし純粋な興味は湧いてきた。そうして目次を最後まで追ってみたが──

 

(あれ、永劫はないぞ? 道化師も……ん?)

 

 既に得ているコミュニティの中で、二つのアルカナの名前だけが目次になかった。なぜだと思ってページを更にめくってみると、本の中ほどに何かが挟まっているのに気が付いた。しおりかと思って引き出してみると、一枚の便箋だった。紙の柄はどこかで見たようなものだった。

 

 そこで気付けば良かったのだが、気付かなかった。不幸にも。

 

 

 <飛べ!>

 

 どこへ行くのかって?

 ツマンナイこと聞かないで

 

 地図なんか要らない

 コンパスはとっくに捨てた

 アタシの心が道を示すわ

 

 アタシは一人で歩いてく

 寂しくないかって?

 冗談! 影だってジャマなのに

 

 自由、それがルール!

 できるものなら縛ってみたら?

 アンタの前で華麗に死んでみせる

 

 アタシの翼は、誰にも折れない!

 

 

(……華麗に死ぬの? 俺の前で?)

 

 先月20日にベルベットルームを訪れた際に、悠はこれと似た便箋を目にした。ただあの時はリムジンの床にさりげなく落ちていたのだが、今日は隠し場所を変えたようだった。しかし何とコメントしたらよいのか、咄嗟に言葉が出てこない点においては前と同じだ。いや、表現においてはよりストレートになっている。前は『泡へと還る』だったのが、今日のは『華麗に死んでみせる』になっている。

 

「わあああああ!」

 

 そして読み終えて一秒か二秒後に、ひったくられた。

 

「な、何で!? どうして!? どうして挟まってんの!?」

 

 自由がルールの自動筆記詩人は顔を真っ赤にしている。だがどうして詩が本に挟まっていたのか、悠こそ聞きたい。取り敢えず思い付くのは──

 

「君が挟んだんじゃないのか?」

 

 マリーは恥ずかしがってはいるものの、実は密かに読んでほしくて、薦めた本にこっそり忍びこませておいたのでは。悠より一つか二つ年下くらいに見えるこの少女は、いわゆる『下駄箱の手紙』のような、中学生の少女がやりそうな微笑ましいことをするのでは。ふとした思い付きだが、あり得ない話ではないと思った。

 

「な……何言ってんの!? そんなわけないでしょ!」

 

 しかし悠の思い付きは全力で否定された。

 

「読まないでって言ったじゃん! それがルール、君に自由なんてない!」

 

 そしてマリーは店から走り去っていった。先月にベルベットルームから去っていったように、大急ぎで。

 

「あ……マリー!」

 

 意図せず人魚姫の詩を読んでしまい、マーガレットとの間にコミュニティが築かれたあの日の出来事を、悠は反射的に思い出した。マリーをそっとしておくことはできない。去りゆく少女を追わなければならない。男の方から追わなければならない。それをせずにいれば、未来は閉ざされる。しかし──

 

「きらいばかるーるやぶりむし。あり得ないから……」

 

 今日のマリーは遠くへ行ってはいなかった。本屋の出入口から一歩離れただけの、商店街の通りで立ち止まっていた。背を向けたまま悪態を吐いているが、詩と違って言葉に勢いはない。一人で歩いていかないし、もちろん華麗に死んでもいない。店を境界としてマリーは外に、悠は内にいるが、無事でいることは分かる距離にいた。

 

「お客さん、お代」

 

 そうして店のドアマットで立ち止まった悠に向けて、レジから声がかかってきた。

 

「あ、済みません」

 

 店主に呼び止められて、悠は自分が危うく万引きをするところだったことに気付いた。料理とタロットの本は手に持ったままなのだ。マリーを追うにしても、このままでは店の外には出られない。

 

 

「マリー」

 

「……」

 

 支払いを済ませて二冊の本をカバンに放り込んだ悠は、道路で佇む少女に声をかけた。しかし返事はない。

 

「悪かったって」

 

「……」

 

 初めて詩を読んでしまった時のように、悠は謝った。だが何に対して謝っているのかは、先月と同様に悠には分からない。そして返事がないのも同様だった。マリーは悠を許しているのかいないのか、二人の間に横たわる沈黙は何も語らない。ただ梅雨時に特有の空から落ちてくる湿気が、何もせずに佇むことを妨げている。

 

「ね……この辺って、どこも狭い。あの部屋みたいでやだ」

 

 数秒が過ぎてから、マリーは振り返ってきた。許すとも許さないとも言わないまま、話題を変えてきた。

 

「もっと広いトコがいい」

 

「じゃあ、ジュネスに行こうか」

 

 マリーの好奇心は旺盛だ。小さな八十稲羽の町でも、行きたい場所はいくらでもある。しかし地図もコンパスも持たない少女には道案内が必要だ。心が道を示すとは限らない。示したところで、一人で歩けるとは限らない。

 

 かくして自由の詩については流された。どうしてタロットの本に便箋が挟まっていたのか、その謎は放置されたまま、二人は昔ながらの商店街を離れた。

 

 なお本の購入に際して、少々手間取ったことは余談である。料理の本は普通に買えたのだが、タロットの本は値札がついていなかったのだ。そもそも店主も仕入れた覚えがないらしい。悠と店主は二言三言ほど値段を交渉した末、五百円でいいとのことで商談がまとまった。

 

 

 

 

 一方その頃、八十稲羽で最も大きな商業施設でも値段交渉が行われていた。しかし本屋でのそれほどスムーズには進んでいない。流通業の大手であるジュネスでは、商品に値札がついていないなどあり得ないから。そして本屋の隣にいつも駐車しているリムジンの乗務員が、書架に本をこっそり忍ばせるようなこともないから。

 

「花村のコネで安くしてよ。そしたら買うからさあ」

 

「無理だっつの! 食料品のタイムセールス繰り上げるくらいなら何とかなるが、服はできねえって」

 

 交渉しているのは千枝と陽介で、二人のやり取りを見守っているのは雪子だ。自他共に認める親友の少女たちは、ジュネスに買い物に来ていたのだ。そして今日の陽介は衣料品売り場で働いていて、たまたまやって来たクラスメイトたちの接客をしていたわけだ。

 

「あれ……鳴上君?」

 

 平行線が続く交渉からふと目を逸らすと、雪子は一人の知り合いの姿を認めた。近頃、実家の旅館の番組を撮りたいとしつこく言ってくるマスコミや、自分の将来などに関して色々と相談に乗ってもらっている少年だ。

 

「え? あ、来てたんだ」

 

 千枝も気付いた。幼馴染が不良グループに絡まれたことがきっかけで、揉め事を起こしそうでいるのだが、密かに頼りにしている少年がそこにいる。

 

「おう、相棒! ん? その子は……?」

 

 陽介が振り返ると悠と目が合った。そして次の瞬間、相棒の連れの姿が目に入った。金のバッジをあしらった青い帽子、肩に下げた青いショルダーバッグという、青色が第一印象としてある少女だ。

 

「この人たち、誰? 赤と緑と……橙色?」

 

 そして少女の側も三人の印象を色で語った。

 

「え……赤と緑?」

 

「あ、ああ……服のこと?」

 

 悠が連れてきた少女、マリーの指摘に雪子は目を丸くして、千枝は一拍置いてから相手の言わんとすることを察した。雪子は制服の上に赤いカーディガンを着ており、千枝は緑のジャージを着ている。二人は普段から同じ系統の色の服を着ることが多いが、今日もしていた。つまりマリーは間違ったことは言っていない。しかし初対面の相手に言うにしては、なかなか結構なセリフである。

 

「……」

 

 ジュネスの空調は湿気を吸いこむ努力を不断に続けている。それにも関わらず、梅雨の空気そのもののような気まずい雰囲気が、少女たちの間に漂った。ただしそれを感じているのは千枝と雪子だけで、マリーは理解していない。少々鋭敏な者なら、三人の顔を見れば分かる。

 

「……なあ、鳴上。紹介してくんねえかな」

 

 そこへ橙色と評された陽介が、控え目なフォローを入れてきた。陽介は仕事着であるエプロンの下に、オレンジ色の長袖のシャツを着ている。ちなみに今は身に付けていないが、愛用のヘッドフォンや霧を見通す眼鏡もオレンジ色だ。

 

「えっと……」

 

 陽介にすれば、この空気を何とかしろとの意味も込めている。だが悠も困る。紹介しろと言われても、何と説明すればよいか分からないのだ。『ベルベットルームの住人だ』と言っても、まずもって理解されるとは思えない。しかし名前だけ教えるのも何か違う気がしていた。先月に神社でマリーと話した際に、『自分は何者か』という問いに関して、改めて考えさせられたから。そしてその時、マリーという名はマーガレットに与えられただけであると聞いていたから。

 

「妹だ」

 

 困った果てに、こんな言葉が悠の口から出てきた。悠の妹と言えば菜々子である。もちろん正しくは従妹だが、あながち間違ってはいない。しかしマリーを妹と呼ぶのは間違っている。間違っているのが分かっていながら、なぜかこう言ってしまった。

 

 それは実は、『マリーは何者か』との問いに対する、最も真実に近い答えであるから──

 

「い、いも!?」

 

 だが言われたマリーは、急にびくっと体を震わせた。名前が鍵であるならば、それを差し込む錠前が示されたように。自分の存在の奥深くに隠されている、ある真実を思いがけず聞かされて、心底から驚いたように。求めていた問いと答えが一致して、しかし一致したことそれ自体に、ある畏れを反射的に感じたように──

 

「あ、沫雪(あわゆき)の消ぬべきものを今までに、流らへぬるは(いも)に逢はむとぞ!?」

 

 畏れた結果はこれだった。

 

「へ……?」

 

「え? な、何?」

 

 悠もそうだが、陽介や千枝も古文は得意ではない。正月に百人一首を親戚一同で楽しむ習慣もない。だからマリーが口走った五句三十一音の、意味や由来を理解することはできなかった。

 

「万葉集……かしら? いもって確か、古語だと……」

 

 この場の高校生たちの中で、多少なりとも理解できたのは一人だけ。学校の成績は優秀で、日本の古い文化に家業の関係から接する機会の多い雪子だ。その知識によれば、『いも』という言葉には兄弟姉妹の妹という現代まで使われ続けている意味の他に、使われなくなった別の意味があるはずだった。

 

「い、いもじゃない!」

 

「い、いやいや! そんなこと思ってねえから! つか、イモだなんてとんでもねえよ。こんな田舎じゃめったに見らんねえ、すげえ進んだセンスだと思うぜ」

 

 しかし雪子が『正解』を考えたり口にしたりする前に、陽介が話を進めてしまった。明らかに間違った意味に解釈して。もしくは間違っていることを承知の上で、話の流れを元に戻すつもりで、勢いをつけて言葉を並べた。

 

「えと……俺は花村陽介ね。こいつの友達ってか、相棒って奴。君は名前なんつーの?」

 

「私はマリー……かな?」

 

「へえ、マリーちゃんっつーんだ」

 

 ここでようやく陽介は一息ついた。意味不明な、だがもしかしたら真実を、しかし他人にはやはり意味不明なことを口走った悠のフォローを、何とかやり遂げた。相棒として面目躍如である。

 

「お前ら、マリーちゃんに服見てもらったらどうよ。都会的なセンスって奴を、勉強させてもらえ」

 

 そして話題を転換してきた。

 

「はあ!? 誰がセンスないって!? ……つか、でもホント、カッコいいかも……」

 

 マリーの服装は独特だ。ジャンルで言うならパンクかゴスロリだが、どちらにしても八十稲羽ではそうそうお目にかかれない。隣町の沖奈に行っても、発見できる確率は低いだろう。陽介の物言いに反応しかけた千枝も、改めてマリーを見ると感心せざるを得なくなった。

 

 

 マリーの紹介に関する騒動が何とか片付いて、女三人はジュネスの衣料品コーナーを見て回った。男二人は後ろからついていく。

 

「このシャツどうかな? いい色じゃない?」

 

「このスカートどうかな? ちょっと大人っぽいかも」

 

 マリーが言うところの赤と緑は親友である。テレビの中で戦う時は、二人が連携したコンビネーションをシャドウに食らわせることもある。そんな息の合った二人は、今日も見事な連携技を炸裂させた。

 

「鳴上君、どう思う?」

 

 シャツとスカートをそれぞれ手に取った千枝と雪子が、同時に振り返って、同時に同じ言葉を口にしたのだ。まるで示し合わせたように、絶妙なタイミングで声が重なった。

 

「え……?」

 

「え……?」

 

 もちろん事前の打ち合わせなど、この二人はしていない。女が服を選んで男に意見を聞くという、デートでよくありそうな行動を、意図せず同時にしてしまった。各々別の男に聞けばよかったのだが、二人は同じ一人の男の方を向いている。

 

 親友が誰に何を言ったのか、互いに気付いたその瞬間。二人の少女と一人の少年を結ぶ三角形の空間で、何かがピシッと張り詰めた。梅雨時だからと空調が頑張りすぎて、肌が切れるほど空気を乾燥させたように。

 

「……」

 

「……」

 

 絡まっていた回線が、ふとした弾みで真っ直ぐになり、電気が通りやすくなるように、少年少女たちの間で稲妻が走った。今まで知らなかった、もしくは知ってはいても目を背けていた真実が、有無を言わせぬ形で唐突に自身の存在を表明したように。一つの謎が解き明かされたように、緊張が生まれた。

 

「……」

 

 そして悠は固まっていた。美少女二人の視線を一度に浴びて、凍り付いている。

 

(おい、相棒……? ちょっとヤバくね?)

 

 そして第三者の立場にいる陽介は、内心で冷や汗をかいていた。先ほどの自己紹介では何とかフォローできたが、これはまずい。非常にまずい。

 

 いわゆる『ジュネスの息子』として、陽介は昔ながらの商店街の人々から白い目で見られることが多い。それに加えて店長の息子だからと言うので、アルバイト仲間から面倒事を押し付けられることも多い。だから陽介は決して朴念仁ではない。むしろ人の感情の機微には、かなり鋭敏な方である。その鋭敏さでもって、陽介は危険を察知した。

 

 俗に修羅場と呼ばれる事態が勃発しようとしている。テレビの中の城に続く、千枝と雪子の二回戦が始まる。ただし互いの友情そのものがテーマだった一回戦とは、勝負の趣旨が異なっている。簡単に言うと、今度は悠の取り合いだ。

 

 なお、健全なる青少年として、彼女が欲しいとの思いは陽介にもある。ごく普通にある。だから美少女二人に挟まれている相棒を、妬ましいと思わないではない。陽介と悠は同性の友人としては、最も親しい間柄であると互いに思っている。しかし両手に花状態の相棒は、男としての陽介のプライドを刺激する。だから悲しいかな、嫉妬はないとは言えない。その上で──

 

(どーすんだ、これ……。こいつらが二人揃って暴れ出したら、さすがにフォローしきれねえぞ……)

 

 妬みよりも心配の方が強い。

 

 相棒が人気者であるのは嬉しいのだ。まるで我が事のように。例えば学校の成績においては、先月の中間試験で悠は陽介より若干勝る程度だったが、もし悠が学年で十位以内の成績でも取ろうものなら、やはり我が事のように嬉しく思っただろう。天城越えに挑む男どもが片っ端から足を滑らせ、突き落とされ、谷底へ捨てられていく様を、千枝は我が事のように嬉しがったように。

 

 陽介は『なぜか』そう思うのだ。なぜなのか自分自身に問うこともなしに、極めて自然なままにそう思うのだ。

 

 もし足立がこの場にいれば、『君たち、騙されてるよ』と呆れ混じりに忠告しただろう。もし有里がいれば、口にはしないまでも事の真相に気付いただろう。だが愚者でも道化師でもない、並のペルソナ使いに過ぎない陽介は、相棒を慕う自分自身に疑問を抱くことはない。そしてその点は、千枝と雪子も同様である──

 

「緑だよ、それ。そっちは赤」

 

 男二人が窮している間に、マリーが口を開いた。緊張しきった場の空気を軽々と打ち砕くように、ごく簡潔に指摘した。

 

「え……おわ、ホントだ!」

 

「そっか……私、すぐシンプルなの選んじゃうから」

 

「は、はは……お前らもう、無意識なんだな! んじゃ、里中は脱緑、天城は脱赤とシンプルに挑戦してみたら?」

 

 そこへすかさず陽介が笑い話にして、場を収めた。ジュネスではアルバイトの身であるにも関わらず、クレーム係もこなす陽介だ。会話の技術は口数の少ない相棒よりも高い。

 

 

「なあ、マリーちゃんって、この辺の子じゃねえよな。都会での友達とか、幼馴染とかか?」

 

 少女たちが服を選び直している間、陽介は悠に話しかけた。

 

「まあ……何と言うか……」

 

 対する悠は再び困った。説明するのが難しいのだ。そもそもの話、マリーが何者なのかマリー自身も悠も分かっていないから。何者かなどと大上段に構えずに、分かっていることだけ話そうとしても、それもまた難しい。ベルベットルームやそこにいる他の住人たちについてまで、話が及ぶのは避けられないから。悠は別に、あの部屋の存在を秘密にしておく必要は感じていないが、扉さえ見えない陽介たちに説明するのは至難の業だ。

 

「そんなようなものだ」

 

 かくして悠は、マリーについての困難かつ意味の乏しい説明を諦め、陽介の誤解を解くことをやめた。だがそれはいけなかった。そっとしておいても何も良いことはないのだ。誤解は更なる誤解を招くだけである。

 

「ん? 都会からってことは……。まさかお前! 背中にギュー作戦を、もう成功させたのか!?」

 

 誤解の結果は暴走だ。

 

「相棒の俺を置いて、こんなカワイイ子と抜け駆けか!? ズルいぞ!」

 

「ち、違うぞ! そんな遠くから連れてこれるか! そもそも二人乗り禁止だろう!」

 

 陽介が言っているのは原付バイクの話である。悩み多き少年である二人は、三日前からある作戦を企んでいて、原付免許を取ったばかりなのである。

 

「背中に……牛? 何言ってるの、あの橙色?」

 

 しかし少女たちには理解できない話である。作戦を聞いていない千枝と雪子も分からないし、元より常識の乏しいマリーはなおのことだ。

 

「あー……放っときなよ。あいつ、たまに病気みたいになるから」

 

「うん、放っとこう」

 

 そして幸か不幸か、作戦についての突っ込みは受けなかった。




 マリーは妹。原作の永劫コミュでも出る選択肢ですが、あれが『いもうと』ではなく『いも』であるとするならば、実は真実を言い表していることになりませんか?
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