ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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モラール(2011/6/14、6/15、6/16)

 八十神高校は6月の第三週から衣替えである。男子は半袖のワイシャツだけの軽装を許され、悠や陽介もそうしている。ただしテレビに入る時には、上着を着るようにしようと皆で決めてある。テレビの中は始終漂っている霧のせいか、外の気温と全く異なっているからだ。先月に攻略した完二のサウナを別にすれば、全般的に肌寒く感じる。

 

 しかし月に一度程度しか霧の出ない現実では、6月はやはり暑さが日本を覆い始める時期だ。雨が降れば涼しさよりも蒸し暑さを感じる。

 

 

「入ります」

 

 梅雨が降りしきる14日の放課後の時間。悠は一声かけながら、実習棟一階にある演劇部が部室にしている会議室の引き戸を開けた。演劇部の活動は週に三回あるが、4月25日に入部してから、悠は部活に毎回出ていたわけではない。むしろサボった回数の方が多いくらいだ。しかしそれは特別捜査隊の活動と、その他の数々のコミュニティが忙しいからであるだけで、演劇部がつまらないからではない。

 

「あら、鳴上君。久しぶりじゃない?」

 

 もちろん太陽のコミュニティの担い手である結実が嫌いなわけでも、今のように時折放たれてくる言葉の針が痛いからでもない。多分。

 

「済まない、色々忙しくてね」

 

 普段の悠は口数が少なく、声も大きくはない。口が巧みとはお世辞にも言えない。もちろん人並みのコミュニケーションは普通にできる。しかし言うべきことを言わずにいてしまったり、他人に理解できない言動をしてしまったりするなどの失敗もままある。先日にマリーをジュネスに連れていった時などは、その最たるものだった。あの時は陽介がフォローしてくれたが、いなければどうなったことやら。

 

 しかし人は誰しも状況に応じて仮面を使い分ける。千枝の修行に付き合えば我慢強くなり、雪子の料理を試食すれば励ますのが上手になる。そして演劇部に来た時はこうだ。

 

「でも来た時は全力を尽くすから、それで許してくれ」

 

「あら、言ったわね? なら遠慮しないから、覚悟しなさいよ」

 

 言うまでもなく、演劇部は演技を学び実践する場だ。よってそこで生じたコミュニティもまた、『演技』をその中心に置く。演技を習って日の浅い悠だが、基礎はある程度できていた。背筋が伸びて表情にメリハリが出る。発声に関して言えば、腹筋が引き締まって声が大きくなり、舌の動きも滑らかになる。ついでに言うことも大胆になる。結実がまさにそうであるように。

 

「望むところだ」

 

 だからこんな言葉もさらっと出てくる。そうでなければ結実には対抗し得ないのだ。もっとも悠自身はそう意識しているわけではない。絆とは一種の『圧力』である。それはコミュニティの担い手だけでなく、主である悠の心理にも影響を与える。本人もそれに気付かないままに。『我』が保証する魔術的な絆は、普通の人間同士の交流よりもずっと強く深く、人の無意識に働きかける。

 

 

「私はただ、一人の人間を殺してやりたいと思うだけよ!」

 

 コンクールに向けての練習が始まった。舞台は戦時中の日本だ。かつて実在した女学生たちの物語である。戦局が悪化するにつれ、人々がおかしくなっていくシーンだ。

 

 主役を張るのは最も演技の上手い結実だ。

 

「生き抜くことが全てだわ。生きる為には、人も生かさなくちゃいけないのよ」

 

 相方の役は副部長の女子生徒だが、二人の技量の違いは一見して分かる。過激なセリフを叫ぶ副部長を、熱を込めつつも口調は静かな結実は軽く飲み込んでしまう。戦争と言えば夏のイメージがあるが、白い半袖のシャツに黄色のスカーフを通した夏服が、役に入り込む結実の気迫をより際立たせている。

 

 そうして練習が盛り上がったところで──

 

「小沢!」

 

 何の脈絡もなく部室の扉が開き、一人の生徒が息せき切って駆けつけてきた。演劇部ではなく、他の部の女子生徒だ。

 

「あんたのお母さん、倒れたって! 市立病院に入院したって、電話で!」

 

「えっ……!」

 

 劇の流れは問答無用で叩き切られた。数十年前の女学生は唐突に現代に戻る。脚本を取り落として、あからさまな動揺を見せる。

 

「ど、どうしよ……練習……」

 

 母親が倒れて入院したとなれば、練習どころではない。学校を休んでも仕方のないくらいの出来事である。だが結実は悩んでいる。そこへ隣に立っていた悠が一声かけた。腹から出された、よく通る声で。

 

「早く行けよ」

 

 4月に初めて会った時から、悠は結実には『凛々しい』という印象を持っていた。しかしどんな人間も第一印象だけで全てを判断することはできない。千枝や雪子も付き合いが深くなるにつれて、普段とは異なる一面も見せてきている。堂島や菜々子もそうだ。足立や陽介からはまだそういう印象を得ていないが、きっと彼らにも普段と異なる一面がある。一昨日の七里海岸での諸岡など、まさにその典型だ。

 

「う、うん……」

 

 結実はアットホームな雰囲気の部にあって、一人孤高を貫く本格派の女優だ。素人の悠は4月以来、演劇部では結実に押されっ放しだった。基礎はできてもそれだけでは足りない。厳しい演技指導は、胴体に縄をつけられて右に左に引きずられるようなものだった。だが今は普段と違うものが困惑の隙間から伺える──

 

「何なら、一緒に行こうか?」

 

 少年を引きずっていた少女は、突然の不意打ちによって足が止まっている。その間に少年は少女を一歩追い抜いてしまった。

 

「えっ!? あ、いい、だいじょぶ……」

 

 だが一歩だけだった。結実が女優の仮面の下にあるものを覗かせたのは一瞬だけで、すぐにその場から立ち去った。

 

「入院って……どうしたんだろ」

 

 部員が一人去っただけで、室内の音量は大きく下がった。練習中は誰も気にならなかった、雨が窓を叩く音がやけにうるさく聞こえる。

 

「あー……練習になんないし、今日は解散!」

 

 主役がいないのでは練習にも限度がある。悠にすれば、せっかく久しぶりに来た部活だったのだが、部長の宣言により練習は早めに切り上がってしまった。

 

 

 

 

 14日の雨は長く続かず、翌15日は湿度を残しつつ太陽が勢いを増した。午後の日差しを避けながら、悠は微睡みの中にいた。倫理の授業中であれば担任の叱責に加えて、放課後の補習がおまけでついてくるところである。しかし悠は構わない。むしろ望むところだ。

 

『週末からは林間学校だ。言っておくが、単なるキャンプだと思うなよ。遊んで緩みきっとる貴様らの精神をぎっちり引き締める、教育の場だからな』

 

(分かってますって……)

 

 自分が名指しされるのを待ちながら、悠は微睡みを続けた。補習という名の特別指導を受けて、諸岡からコミュニティを貰う為に。日曜日の釣りでは得られなかったが、あれは前振りのようなものであろう。ならば今度こそ貰えるはず──

 

『貴様らにモラルというものを叩き込んでやるからな。モラールを下げるような奴は、途中で帰らせるからな。肝に銘じておけ!』

 

(えっと……モラルは道徳。モラールは集団の士気でしたっけ……)

 

 モラールとはやる気や士気を意味する、元はフランス語の言葉だ。日本ではモラルと違ってモラールはそれほど広く使われてはいない。高校生に意味を問えば、答えられない生徒が大半だろう。そんな難しい言葉を悠がなぜ知っているのかと言えば、ホームルームで説明されたからだ。今現に受けている、林間学校について連絡されたホームルームで。教えられて初めて知った言葉を、教えられる前からなぜか知っている──

 

『この間殺された女どもがいるだろう。ああいう奴らがモラルとモラールを低下させるんだ! 貴様らもモラルとモラールの低い生活を送っていると、同じ目に遭うかもな!』

 

(先生……?)

 

 諸岡金四郎は悪い人間ではない。一緒に海で釣りをして、悠はそれを理解した。だがそれなら、なぜこんな暴言を吐くのだ──

 

 担任の物言いに違和感を覚えた悠は、目を開けた。それと同時に、朗らかな文字が目に入った。

 

 

 <明けないミッドナイト>

 

 会えない朝は

 スパイシーなミント・ティー

 

 ブランチにはマーマレード・マフィン

 ほろ苦いのがちょうど気分

 

 ため息は星くずだね

 まるでキミとボクのミルキィ・ウェイ

 

 追いつけないよ、キミの背中

 ほら、トワイライトが忍び寄る

 

 キミまでのキョリ

 永遠みたいな夜明け前(Midnight Blue)

 

 

(夜明け前と書いて、ミッドナイトブルーと読む……)

 

 会えない放課後は、澄みきったブラックコーヒー

 壮絶な苦さが超越気分

 

 ため息は波間に砕け散り

 バス停は黄泉路ウェイを漂流する

 

 何が何だか分からない

 釣り人の背中に、死者への暴言が忍び寄る

 

 永遠の問い、お前は何者だ

 永劫の問い、このポエムは何だ

 

(な、何だこれ!)

 

 突然我に返った悠は、自分が一枚の便箋を持っていることに気付いた。それと同時に戦慄した。この謎の朝食の詩は初めて見たものだ。だが誰の作であるのかは一読して分かる。特徴がありすぎるのだ。なお、二つ目のバス停の詩は夢うつつの悠が脳裏で紡いだものである。

 

(マリーが来たのか!?)

 

 悠は慌てた。もし今の自分の姿をマリーに見られたら、大変なことになる。マーガレットに惑わされた先月20日よりも、千枝と雪子が修羅場になりかけた四日前よりも、更にまずい事態だ。何がまずいかと言うと──

 

「気付いたかい、坊や」

 

 スキンヘッドにサングラスをした体格のいい男が、腕組みをしながら見下ろしていた。もし学校にこんな男がいたら、警察に通報されるだろう。つまりここは学校ではない。ホームルームの夢から目覚めた悠は、自分がどこにいるのか思い出した。

 

 ここは稲羽の隣町、沖奈市の駅前にある喫茶店シャガールだ。なぜ隣町にいるかと言うと、『密着計画』またの名を『バイクで都会的な女の子を誘惑しちゃおう計画』を実行する為だ。つまり陽介と連れ立ってバイクに乗って、夏の出会いを求めて遠出をして来たわけである。ついでに完二も自転車でついて来た。

 

 だが経過は思わしくなかった。夏を迎える日差しの中で数時間待っても何も起こらなかった為、自ら釣りに出ることになったのだ。入手した電話番号の数を競う形で。そうして特捜隊男子二人と別行動を取ったのだが、悠は事を始める前にまず喫茶店に入った。この店は以前に住んだ町にもあったチェーン店で、フェロモンコーヒーなる飲み物が密かな人気を博しているのだ。つまり陸の釣りをする前に、まずは準備としてコーヒーを飲みに来たわけである。

 

 準備である。海で釣りをする前に、川で腕に磨きをかけるようなものだ。臆病な悠はナンパに恐れをなして、友人と後輩を見捨てて逃げたわけではない。多分。きっと。恐らくは。

 

 しかし目的を遂げることはできなかった。店主のこだわりで、世間の密かな名物は出していなかったのだ。代わりにオリジナルの一杯を飲まされてしまった。それは極端に苦く、ジャリついていて、しかも甘いという何かが猛烈に矛盾した味だった。鈍色の濁流に飲まれて、悠は意識を失ってしまっていたのだ。味の奔流の中で必死に伸ばした手が掴んだものは、一枚の便箋だった──

 

「ふっ……大人の味に可愛がられておねんねかい。坊や、まだまだ甘ちゃんだな」

 

 大人でもこれを飲める人がいるとは思えないが、その点を突っ込むのはやめにした。それよりもっと重要な問題が、今はある。

 

「あの……誰か来ませんでした?」

 

「誰か?」

 

 ナンパ勝負から逃げた悠を憐れんで、トワイライト詩人がここまで来てくれたのか。だが苦いコーヒーで失神していたので、置手紙代わりに詩を残していったのだろうか。意味はさっぱり分からないが。

 

「ふん、来たかもしんねえな……」

 

 店主は腕組みをしたまま、背を向けた。

 

「諸行無常……どこへ流れて、どこへ行くのか。んなもん、誰にも分かりゃしねえ……。坊やが寝てる間に誰かさんがやって来たとしても、何も不思議はねえわな……」

 

「はい?」

 

「おっと……悪いな。俺には兄貴がいてな」

 

 店主は首だけ振り返らせて、思い出話に花を咲かせ始めた。無門という名のこの店主には、家業を継いで出家した兄がいるらしい。店主はこの通り喫茶店でコーヒーを淹れているが、門前の小僧習わぬ経を読むという奴で、つい語ってしまう癖があるそうだった。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 有益な話は聞けそうもないと思った悠は、席を立った。

 

「帰るのか……五千円だ」

 

「!?」

 

「と言いてえところだが……坊やはうちは初めてだな。五百円にまけてやろう」

 

「……ありがとうございます」

 

 昨日の演劇部では大胆に振る舞った少年も、絆を教える『我』のいないところでは普通の少年である。強面の店主に脅されれば驚くのみだし、まけてもらえば礼も言う。

 

 

 ワンコインの支払いを済ませて喫茶店を出た悠は、周囲を見回した。マリーがいないかと。

 

(人が多いな……)

 

 沖奈は稲羽に比べれば人口はずっと多い。駅前の施設ならば喫茶店の他、映画館やファッションショップなど色々ある。駅の外観や設備も、自動改札機が置いてあることさえ違和感のある鄙びた八十稲羽駅とはまるで違う。悠がかつて過ごした都会的な雰囲気がある。無論、本物の都会には及ばないが。

 

 人魚姫の詩を読んでしまった先月20日、ベルベットルームを出てマリーを追った時は、商店街には『なぜか』人通りが全くなかった。滅びた町に一人で取り残されたような、昔話の登場人物のような不安を抱いたものだったが、人の気配がなかった為に、かえってマリーを見つけやすい状況にあったとも言える。しかし今日の沖奈は人ごみに塗れている。マリーの容貌は目立つ方だが、この中から探し出すのは難しい。

 

 目に入るものと言えば、かなり年上に見える女性、二人組の派手な女子高生、小学生くらいの女の子、華やかな雰囲気の美女くらいだ。だが悠はそのいずれにも用はない。更に周囲に目を凝らすと──

 

 ──

 

 何かを破砕する音が駅前に響き渡った。そして地の底から怨霊が唸っているような、恐怖を覚えずにはいられない声が聞こえてきた。

 

「何よ、このバイク、壊れてるじゃない」

 

 戦慄と共に振り返ると、駅の改札を通過できるのか疑問に思えるくらいの、圧倒的な質量を持った女子高生が駐輪場にいた。

 

「アタシを誘いたいなら、もう少し頑張らなきゃね。いい女を独り占めするには、それなりの努力が必要なんだから」

 

 見る者に悪寒を与える巨体のエネルゲイアはそう言って、地響きと共に去っていった。壮絶な惨劇を連想させる、近づくことさえ憚られる後姿である。

 

「先輩……あんたは精一杯戦ったぜ」

 

 悠は半ば呆然としていたが、憐憫に満ちた知り合いの声を聞き分けた。そして駐輪場へ向かった。

 

「完二」

 

「あ、鳴上先輩。お疲れっす」

 

 声をかけると、黒のタンクトップを着た金髪の少年が挨拶をしてきた。特捜隊の新人である完二だ。その足元では、陽介が地面に両手と両膝をついていた。

 

「呪いか……何かの呪いなのか?」

 

 突っ伏している陽介の前では、オレンジ色の原付バイクが倒れている。タイヤが外れ、その他の部品もあちこちに散乱して、黒い煙まで上がっている。これは屠殺場か、それとも殺人現場か。いずれにせよ凄惨な光景である。

 

「何があったんだ?」

 

「えっと……大谷って言うらしい、化物みたいな女が……」

 

 自失している陽介に代わって、完二が事情を説明してくれた。陽介は陸釣りの成果として、電話番号を一つ入手したのだ。しかし綺麗なお姉さんから貰ったその番号にかけてみると、なぜか大谷花子なる八十神高校の女子生徒に繋がったらしい。しかも悪いことに、すぐこの場にやって来て、バイクデートに行ってやろうと言い出した。無論陽介は抵抗したものの、巌の化身めいたかの女子生徒には敵わなかった。敗北の結果は愛車の圧死だった。つまり巨体が飛び乗ったせいで、バイクは粉砕されたのだ。

 

「もう帰ろう……」

 

 どうして喫茶店で便箋を手に入れてしまったのか。その謎は未だ解決していないが、陽介を置いてマリーを探すことはできないと思った。もし見つけたら、陽介を余計に落ち込ませるだけだから。

 

「は……はは……駄目だ。もはや、俺には帰りの足さえねえ……」

 

 陽介はまだ立ち上がれないでいる。特捜隊男性陣のモラールは、今やどん底である。クマがこの場にいないのが惜しまれる。もしあの底抜けに明るい、もっとも最近は落ち込む様子も見せている、だがやはり明るい着ぐるみならば、下手なシャレでも何でも言って陽介を励ましてくれただろうに。

 

 そうして平地に突如として開いた陥穽に、低い排気音が不意に届けられてきた。

 

(ん?)

 

 一台のバイクが来たのだ。幹線道路から駅前の駐輪場に滑るようにしてやって来て、悠たちの前に停車した。原付ではない、ネイキッドタイプの中型のオートバイだった。高速道路も走れるし、二人乗りもできる本当のバイクである。『密着計画』の実行の為には、これでなければならないものだ。しかし予算的な都合から、悠たちは諦めざるを得なかったものだ。そのいわば高嶺の花のライダーは、フルフェイスのヘルメットに隠された顔を悠たち三人に向けてきた。

 

「鳴上と花村じゃないか。来てたのか」

 

 ライダーはバイクに跨ったままスタンドを立て、エンジンを切った。そしてヘルメットを外すと、見知った顔が出てきた。

 

「一条」

 

 バスケ部の同輩にして、剛毅のコミュニティの担い手である一条だ。バイクを持っているとは、悠は知らなかったが。

 

「知り合いっすか?」

 

「ああ、同じ部活の一条だよ。二年だ。こいつは巽完二……知ってるか?」

 

「一年の巽っす。鳴上先輩と花村先輩には、世話になってるっす」

 

 完二は外見こそ厳ついが、礼儀は弁えている。特に相手が上級生の場合、余程気に入らないのでもない限りは敬語で話す。

 

「ああ、君が……知ってるよ。よろしくな」

 

 

「なるほど。そりゃあ災難だったな」

 

 完二の紹介に続いて、悠は花村陽介殺人事件、もといバイク破壊事故を一条に説明した。その間、陽介は地面に腰を下ろして両膝を抱えていた。

 

「どうすんの花村。帰るんなら、乗っけてやるけど」

 

「ん……」

 

 せっかくの友人からの好意だが、陽介は自分の膝を見つめるだけで、まともに返事をしない。愛車の喪に服している最中である。ショックからまだ立ち直れていない。だがそれ以前の問題として──

 

「お前、何か用があって来たんじゃないのか?」

 

 悠は来たばかりの一条を気遣った。わざわざ隣町までやって来たのに、すぐ帰らせてよいのかと。

 

「いや、別に……ちょっと走りに来ただけ」

 

(む……?)

 

 一条はバイクに跨ったまま腕を組んだ。黙っていれば秀麗なその顔は、普段は悪戯小僧が造作を崩している。しかし今日の一条には、遠くを見るような憂いがある。似合いはするが、悠は初めて見るものだった。バスケ部の他の同輩たちがやる気なく練習を切り上げても、一条は今のような顔をしない。何かあったのかと、悠は一瞬心配になったが──

 

「あら、一条じゃん」

 

 詳しい事情を聞く前に、次の人間がやって来た。今日はよく人と会う日だ。会いたい人には会えないのに、意図しない人にはよく会う。

 

「やあ、海老原」

 

 一条は憂鬱な表情を瞬時に引っ込め、普段の顔に戻った。

 

 やって来たのは、八十神高校の制服を着た美人と言うべき一人の少女だった。ただし美人と言っても、雪子などとは方向性が異なる。背中まで届くウェーブした長い金髪といい、化粧をしていると思しき白い頬といい、一言で言えば派手なタイプだ。田舎が似合わない感じのこの少女に、悠は見覚えがなかった。随分と目立つ容貌なので、校舎や通学路で一度でも顔を見ていれば、面食いの悠は記憶しそうなものであるのに。

 

「先輩……誰っすか、この女」

 

 そして完二も知らなかった。完二は年上が相手だと大抵は敬語で話す。しかし相手が女だと、時にその限りではなくなる。照れ屋なのだ。

 

「はあ!? 何この金髪!」

 

「ああ!? てめえもだろが!」

 

 髪を染めている二人は突然暴発した。完二もそうだが、少女も沸点が低いようだ。

 

「ま、まーまー……」

 

「落ち着けよ」

 

 一条が少女を、悠が完二を宥めた。陽介はまだ体育座りを続けている。

 

 

「海老原あいさんだよ。俺とはクラスメイト」

 

 余計な一悶着が何とか収まってから、一条が少女を紹介した。バイクには跨ったままである。

 

(海老原……あい?)

 

 悠は少女、あいの名前に引っ掛かりを覚えた。どこかで聞いたような気がする。だがどこで誰から聞いたのかは思い出せなかった。

 

「あたし、学校じゃ名前通ってると思ってたけどな」

 

 あいはなおも不満顔だ。そしてこの自己評価は間違っていない。実際の話、あいは八十神高校では有名人である。その要因は、もちろん本人の容貌と言動だ。しかし完二は学校に来ない日が多く、校内の噂にも疎いので知らなかった。そしてそれに加えて──

 

「はは……最近まで入院してたでしょ。一年生は知らないって」

 

 長い期間にわたって入院していたからだ。だから今年から転校してきた悠も知らなかった。

 

「ま、いいわ。それよりあたし、今日はバイクで帰るわ。送ってってよ」

 

「え? でも……君、ヘルメットないでしょ」

 

 原付と違って、一条のバイクは二人乗りができる。しかしヘルメットなしでは乗れない。一条にすれば、足をなくした友人を気遣って遠回しに断るつもりでこう言ったのだが──

 

「ここにあんじゃん」

 

 あいは足元に落ちていた、白いハーフヘルメットを拾い上げた。

 

「ダサいけど、これで我慢してあげるわ」

 

 言うが早いか、あいはさっさと陽介のヘルメットをかぶり、一条のバイクのタンデムシートに跨った。遠慮も何もあったものではない。どうも役者は一条より上のようである。

 

「はあ……」

 

 勝手に乗られたライダーは、小さなため息を吐き出した。しかしやがて諦めたように、自分のヘルメットをかぶった。そしてキーを回してエンジンを起動してから、ミラータイプのシールドを上げて顔を覗かせてきた。

 

「んじゃ……悪いな、お前ら。また明日な」

 

「ああ……また明日、部活でな」

 

 明日は木曜日なのでバスケ部はある。しかし──

 

「……気が向いたらな」

 

 一条は視線を外し、再び遠くを見た。部活を何度もサボっている悠とは対照的に、一条は真面目に出ている。緩い弱小の部にあって、間違いなく最も熱心にやっている。それなのに、こんなセリフが出てきた。

 

(一条……?)

 

 だがやはり、それを問う間はなかった。訝しげな悠の視線から顔を隠すように、シールドが下ろされたのだ。そして秀麗な少年と美少女を乗せたバイクは駅前から走り去った。悠はそれを黙って見送った。自分がまだ知らないところで、一条の身に何かが起きていると感じながら。これをそっとしておくと、良くないことになる──

 

「密着……」

 

 しかしすぐに振り返らされた。地の底にへばりつくような声が、悠の後ろ髪を思いきり引いてきたのだ。

 

「やっぱりなあ……モテる男の条件はバイクだよなあ……。原付じゃなくてさ……ははは……」

 

 蒸し暑い梅雨の晴れ間に颯爽と現れ、バイクから降りもしないまま、あっという間に美少女を後ろに乗せ、風のように去った一条。スマートな限りである。格差のほどを見せつけられた陽介は、元より沈んでいた自分の膝の間に、更に深く沈み込んだ。もっとも一条本人は憂いを漂わせていたが、それを陽介に教えたところで何の慰めにもなるまい。

 

「先輩……俺のケツ、乗ってください! 家までバッチリ送りますよ!」

 

「いい……もういいんだ……。早くこの苦行を終わらしてくれ……」

 

 陽介は落ちるところまで落ちてしまった。ヘルメットを勝手に持って行かれるというおまけつきで。どうやって立ち直らせればいいのか、もう誰にも分からない。

 

 結局、陽介は電車で帰った。それを見送ってから悠は完二と二人で帰った。総括すると、沖奈へのバイク遠征は大失敗だったわけである。記憶から消し去りたいほどに。

 

 

 

 

 忘れた過去の翌日、16日の昼休みの時間。教室棟二階の廊下を歩いていた悠は、階段前の踊り場に佇んでいる一人の少女に目を留めた。長い金髪は遠目にも目立つ。

 

「あら、あんた昨日の……何だっけ?」

 

 あいだ。校内にいると、やはり気付きやすい。

 

「鳴上だ」

 

 一学期も既に後半に入っているこの時期になって、悠はあいに初めて自分の名を告げた。もしあいが普通に学校に通っていれば、もっと早い時期に知り合っていたかもしれないが。例えば本人の意思に反してバスケ部のマネージャーにさせられて、そこで顔を合わせたかもしれない。しかし新学期の早々に倒れて入院してしまったあいに、そういう機会は未だなかった。

 

「ねえ、午後の授業、ちょっと抜けない?」

 

 そんな『本来あるべき運命』から意図せず外れた少女は、突然こんなことを言いだした。まるで本来の時間を埋めるように、唐突に。

 

「え? いや……」

 

 悠は面食らった。美少女からのお誘いとあれば、普通に嬉しい。悲しいかな、嬉しく思ってしまう。だから千枝や雪子から一緒に下校しようと誘われれば、大抵はついていく。しかし今は昼休みだ。サボりに誘われて、はい分かりましたとはさすがに言えない。

 

「文句言わずに、はい来る!」

 

 だが断る選択肢はなかった。我が道を行く小さな女帝は、そこいらの少年など一押しで転がせられる。

 

 

「うん、早い時間に来て正解だったわ」

 

 あいに転ばされて、引きずられて、悠は忘れた昨日に続いて隣町に来てしまった。もちろんバイクではなく、本数の少ない電車に乗って沖奈まで来た。

 

「ここ割と人気あるし? ノンビリしてると、すぐなくなっちゃうものね」

 

 二日連続で沖奈に来たのは、あいも同じである。速いサイクルでの遠出の目的は、たった今買い物を終えて出てきた、ファッションショップのCROCO*FURだ。今日が新作の発売日だと昨日聞いたので、早速とばかりに再訪したわけである。

 

「やっぱ荷物持つ人がいるといいね。片っ端から買えるもの」

 

 そう言って振り返った先には、大きな紙袋を左右に三つずつ抱えている悠がいる。あいが悠を誘った理由はこれである。何も溢れだす男の魅力に当てられて、デートに誘ったわけではない。残念なことに。

 

「君、入院してたんじゃないの?」

 

「そうよ。4月からずっと。登校は先週から」

 

 あいは4月15日の未明、現実の霧の中に現れるシャドウに襲われて影人間になったのだ。回復したのは今月5日、尚紀が覚醒した時だ。有里や堂島たちシャドウワーカーはこの事実を知っているが、悠たち特捜隊は知らない。そしてあい自身も知らない。二年前、ポートアイランドを中心にして行われた戦いにおいては、影人間になった者は回復後もシャドウの記憶を失っているケースが大半だったが、あいもそうなったわけである。

 

 ただし映像の一片も残さずに、完全に記憶から失ったとは限らない。言葉の及ばない、意識の光が届かない無意識の闇に、何かが残っている可能性はある──

 

 もっとも記憶云々については、あいの真実を知らない悠は当然分からない。

 

「出席日数とか、大丈夫なのか?」

 

 分かるのは、あいは非常にあっさりしているということだけだ。自分自身のことであるのに、入院にもサボりにもまるで無頓着だ。昨日会ったばかりの悠でも心配になるくらいだ。

 

「平気よ。放課後までに戻ればいいんだから」

 

 しかしあいはどこ吹く風だ。やはりあっさりとした口調でされた説明によると、あいは昨年から素行や出席日数で目をつけられているらしい。だから放課後になった途端に、生活指導の教師がチェックに飛んでくる。しかし当の本人は、こうして要領よく遊んでいる。単純な教師を騙すくらい、わけもない。

 

「バッカみたい……。長いこと休んでたのも、むしろ悪くないのよ。バカな先生に付き合わずに済んでるから」

 

 いっそ清々しいほどの説明の最後でだけ、あいの口調が僅かに変わった。発言自体はかなり過激だが、本気の色がそこに含まれた。

 

 人との交流の経験を積めば、観察力も身に付く。行動の面では流されてばかりであっても、認識はまた別の問題だ。今日も悠は振り回されてしまっているが、あいの本音を聞き分けると、女に翻弄されている不満が意識から遠ざかるのを感じた。そこで自分も本音でもって応じた。

 

「まあ……たまにはサボりもいいか。留年しない限りは」

 

「へえ……話分かるじゃん。あんたってもっと、お固いタイプかと思ってたけど」

 

「そんな真面目じゃないさ」

 

 諸岡と釣りをした時は学問を教えてくれと言い放った悠だが、本来のところは勉強好きなわけではない。むしろ要領よくやって、そこそこの成績を取ることを得意としている。そしてそんな自分の向学心の低さに不満を感じてはいない。おまけに留年しない限りは勉強は程々にやってくれればいいと、堂島から許可を貰っているくらいなのだ。ならば時にはサボりも悪くない。

 

「じゃ、また今度遊んであげる」

 

 仲間を得たあいは笑った。その瞬間、悠は心臓が軽く跳ねた。

 

「!……」

 

 分かりやすく言うと、『ドキッ』とした。悠は異性に対して押しが強い方ではない。むしろ押されるか振り回されるかだ。そういう自分の状況や性格については、学業と違って快く思ってはいない。しかし大体において、そうなってしまう。美少女の笑顔を見ると、色々と飛んでしまうのだ。悠はこうした事態を4月以来、もう何度も経験しているのだが、慣れるものではないらしい。未だ誰とも『特別な関係』を築いていない初心な少年は、まだ女に耐性ができていなかった。

 

『我は汝、汝は我……』

 

 そんなものだから、『我』は隙ありと見ればすかさず宣告してくる。有無を言わさず、強制的に人と人を結びつける。

 

(あ……来ちゃったか)

 

 時間が停止した感覚の中で、新たなコミュニティの発生が告げられた。アルカナは月。どことなく女性的な面影のある、擬人化された月の寓意画が脳裏に浮かんで消えた。

 

 かくして荷物持ちの報酬としてコミュニティを貰った悠は、午後の授業が終わる前、こっそりと教室に溶け込んだ。人生初のサボりは、つつがなく成功したわけだ。そしてあっという間に放課後の時間が来た。

 

 

 戻った時と違って堂々と教室を出た悠は、体育館に向かうつもりで廊下を歩いた。昨日に憂愁を漂わせていた、一条の様子を見る為だ。すると数時間前あいに捕まった階段の踊り場に、また別の少女がいるのに気付いた。手すりに細い手を置いて、吹き抜けの下の一階の下駄箱を眺めている。

 

「小沢?」

 

 結実だ。同じ場所に立っていても、醸し出す雰囲気はあいとは全く違っている。憂いに満ちているのだ。

 

「鳴上君……」

 

 悠と結実はクラスが違うので、演劇部の部活以外で会う機会はめったにない。一昨日以降で見るのは初めての今日の顔には、疲れが伺えた。いつも強固な芯が通っている、結実にしては珍しい表情である。

 

「お母さんは大丈夫だったのか?」

 

 一昨日の演劇部の練習は、病院から母親が倒れたとの連絡によって切り上げられてしまった。そして今日の結実には、苦悩と疲労がありありと浮かんでいる。演技以外では初めて見るその表情は、悠にある心配をさせた。もしや母親の容体が思わしくないのかと。今日はバスケ部に出ようと思っていたのだが、これは予定を変更せねばならないかと。だが──

 

「無事だよ……てか、倒れてなかった」

 

 結実の答えは予想とまるで違っていた。

 

「?……それは良かったな」

 

 倒れたとの知らせは何かの間違いか、それとも冗談の類だったのか。今一つ理解が及ばなかったが、何にせよ無事ならそれに越したことはない。知り合いなら誰でもそう言うであろう、普通の反応を悠は示した。しかし──

 

「良くない!」

 

 突然の結実の剣幕に、悠は面食らった。演技以外では初めて見る、そして演技以上に激しい怒りが迸った。結実の前では大胆にも振る舞う悠が、一瞬言葉を失うほどの勢いだ。

 

「倒れたの……お母さんじゃなかった。父親……だった奴」

 

「だった?」

 

 親子関係を過去形で言うなど、普通はあり得ない。友人との付き合いと違って、血縁は時間によって切れるものではないから。

 

「……十年以上前、出てった父親」

 

 切れるとすれば、それは義絶と呼ばれる事態によってである。

 

「……そうか」

 

「……私、今日は帰る」

 

 家の事情の一端を告げた結実は、その場から去った。今日は木曜日なので、演劇部の活動があるのに。

 

 この日の悠は、結局バスケ部に出た。しかし体育館に一条の姿はなかった。掛け持ちしている二つの部にあって、最も熱心にやっていた部員が二人揃って練習に出ないという、珍しい事態を悠は経験したのだった。

 

 

 一学期も既に後半だ。萌える春はとうに終わって夏の暑さを浴び始めた生徒たちは、全般的にたるんでくる時期である。諸岡は言い方こそ最低だが、言うこと自体はやはり正しい。八十神高校の二年生たちの間では、モラールの低下は確かに始まっていた。

 

 バスケ部は元より低かったところへ、憂鬱な一条が更なる低下を招いていた。長期間休んでいながら、なおも授業をサボるあいは、学業においても低下させる。陽介に至っては、低下どころかバイクもろとも粉砕された。そして演劇部でも低下が始まったのだ。

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