ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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古い学問(2011/6/20)

 引っ越してきた4月以来、悠は充実した日々を送っている。だが道に迷って海に行った日から始まった6月中旬の週は、何やら混乱させられることが多かった気がしていた。嫌なことや困ったことも色々あった。中でも週末は散々だった。しかし週が変われば気分も変わる。

 

 気分を一新した月曜日。特別捜査隊は朝から大いに盛り上がった。昨晩に高校生アイドルの久慈川りせの休業会見があり、それに関連して事件に動きがあるかもしれないとの見解に至ったのだ。5月の暴走族の特番に完二が出演して以来の、久々の『テレビで報道された人間』であるから。おかげで陽介は特に意気込んでいた。

 

 まるで忌むべき過去(具体的に言うと、バイク遠征や林間学校だ)を記憶から消し去って、明るい未来を楽しもうとするように。しかし悠はバイク遠征はともかく、林間学校を忘れるわけにはいかない。だからこの日の授業を終え、ホームルームも終えるとすぐに廊下に出た。

 

「先生、お伺いしたいことがあるんですが」

 

 職員室へ向けて歩いていく、担任の諸岡を引き留めた。だが諸岡は振り返るや、人を斬る為に作られた真剣のごとき鋭い視線を向けてきた。悠がテレビの中で振るっている模造刀とは違う。

 

「何だ貴様……補習したいのか!」

 

 そして問答無用の怒声を放ってきた。刀を脇に構えて刀身の長さを隠しつつ、相手が予期せぬ遠距離からいきなり斬撃を見舞うようなものだ。脈絡も段取りも、まとめてぶった切ってしまう。

 

「いえ、そうではなくて……」

 

 確かに先週日曜の悠は、釣りを教えてくれないなら学問を教えてくれと言い放った。現職の教師に言うにしては、なかなか大胆なセリフだった。あれは決して嘘や冗談ではないが、今日はそのつもりで話しかけたのではない。用件は林間学校の夜、テントで陽介と完二がしていた噂についてだ。

 

「世間も知らん未熟者が、何をぬかすか!」

 

 だが諸岡の刀は速い。悠がまず初手を受けると、切り返される前にすかさず二の手三の手を放ってくる。連撃必殺と言うかコンボと言うか、とにかく素早い。絶え間なく押し寄せる波のようなもので、隙間も見つけられない。

 

「良いか! 玉(みが)かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らずと言う! どれだけ優れた才能があっても、学問を修めねばろくな人間にならんのだ!」

 

 悠はもうモロキンには耐性ができているので、怒声や青筋を恐れはしない。しかし水を恐れないことと、泳げるかどうかは別の問題である。

 

「言ったはずだ! この世に超人などおらんと! 学問を修める必要のない、生まれついての天才などおりはせん! まして貴様など、才能があるかも怪しいくらいであろうが! 先月の中間試験! あんな小手調べもまともに解けん奴に、学問より優先するものがあるとでも言うのか!」

 

 勇気だけでは、言葉の洪水を遊泳はできない。まずは水が引くまで耐えねばならない。

 

「……補習をお願いします」

 

「よろしい! 教室で待っておれ!」

 

 なお、悠の中間試験の成績は特に悪くはなかった。だが良くもなかった。普通である。進学校ではない八十神高校にあって、平均ラインそこそこの成績だった。倫理を含めたほぼ全ての科目でそうだった。これを俗に器用貧乏と言う。

 

 

 箒で人が掃き清められたように誰もいなくなった二年二組の教室で、悠は一人静かに待った。先月の補習では陽介が一緒だったが、今日はいない。巻き添えを誰も作らずに、大半の生徒が忌み嫌う問題教師の相手を一人で務めることになったわけだ。

 

 諸岡が来るのを待ちながら、悠は沈黙の覆う部屋を何とはなしに見渡した。八十神高校の校舎は全体が木造だ。築年数は数十年。しかし実は数百年前からあったのだと言われれば、意外と信じてしまうかもしれない。

 

 夏至を明後日に控えた高い日差しが照らす床は、沁み込んだ埃と油が経年の味わいを醸し出している。これまでの悠の人生を大きく超える期間に渡って、この空間は若者を迎えては、その一年後に送り出してきた。人は自らの生涯の時間を超える日々に対しては、超えているということしか認識できない。十七歳になるかならずかの若者にとっては、百年も千年も大差がない。

 

「……」

 

 絆を結んだ人々が消えた孤独な空間に、悠は一人でいる。孤独である。言い方を変えると、自分自身を独占している。多忙な日々にあっては貴重な瞬間だ。こういう時の人の感覚は、普段は何気なく周囲にあるだけの景色へと向かう。そして思考は自分自身に向く。例えば自分はどこから来て、どこへ行くのかとか。そういうことを考えるようになる──

 

「待たせたな!」

 

 しかし諸岡は意外と早くやって来た。生徒が珍しい内省の海に沈もうとしていた矢先、教師はそれを遮るように、廊下との境界をなす引き戸を猛烈な音を立てて開けた。生徒が誤った道を歩むのを、耳に障る騒音で引き留めてきた。

 

「さて……林間学校は有意義であったか?」

 

 そして教壇に立つや、孤独をかこっていた生徒に話しかけた。一見すると、授業の前に雑談から始めるような風情である。だが──

 

(いや、これは雑談じゃない)

 

 悠は危険を察知した。諸岡は普段から授業で雑談などしない。説教ならするが。八十神高校は脱線好きな教師が多いが、彼らがよく飛ばしてくる教科と関係のない質問のように、適当に答えてはいけない。峻烈な教師は今、緩い生徒の喉元に刀を突き付けているのだ。それを本能的に悟った悠は、真面目に答えなければならないと思う。

 

「……」

 

 しかし何と答えるべきか悩んでしまった。あの二日間が有意義だったかどうかなど、考えたこともないのだ。感想としては、初日の無償奉仕はひたすら面倒だっただけだ。そして夜の騒動と二日目の出来事は、思い返すだけでため息が出る。しかし正直に話すのは憚られる。そうかと言って『有意義でした』と答えては、嘘になりかねない。異様なまでに鋭い諸岡に嘘を言ってはいけない。言えば墓穴を掘るだけだ。

 

「ゴミはたくさん拾いました。自転車とか」

 

 数秒間悩んだ末に、悠は林間学校の感想や印象を自分の内面から捨てて、事実だけを口にした。ただし全ての事実ではなく、ごく一部だけだが。

 

「ふん……海でも山でも貴様のやることは同じか」

 

 生徒が見ている前で、教師は教壇の上で体を巡らせて背を向けた。

 

「貴様の成果は海でバス停一本、山で自転車一台。漂流する無数のゴミの群れから、たった一つを拾っただけ。ささやかなものだ。それに何の意味がある? 焼け石に水、大海の一滴。やってもやらなくても大差がない……」

 

 ここまで言ってから、諸岡は振り返ってきた。額には青筋が浮かんでいる。

 

「貴様ら未熟者はいつもそうほざいて、己の義務や責任から逃げおる! だがそうではない! 自分にできることをやる! 大海も一滴分は少なくなるのだ!」

 

 そして教卓を掌で叩いた。悠の足元に震動が伝わるほどの、猛烈な張り手だ。諸岡は口は最悪なほどに悪いが、生徒に手は上げない。その代わり教室の備品に打撃を食らわせることはままある。よく壊れないものだと感心するほどに。見た目より頑丈と自負する年季の入った釣竿のように、古い木造の校舎や教卓は意外と衝撃に強い。

 

「郷土へのささやかなる貢献、大いに結構! 貴様にしては上出来だ!」

 

 諸岡にすれば、悠を労っているつもりである。だがそれにしたところで、他に言い方がありそうなものだ。

 

 なお、悠のやることはテレビの中でも海や山と同じである。人間存在から切り離され、捨てられた心のゴミ掃除だ。ただしテレビに放り込まれた被害者のシャドウは、捨てた本人に拾わせることが可能だ。だが霧の中で蠢く有象無象はそうはいかない。誰が捨てたのかも分からない心は、通りすがりの者が始末するしかない。しかし小粒なシャドウはいくら掃いても、次から次へと湧いてくる。言うなれば、終わりの見えないゴミ掃除だ。大海は本当に一滴分少なくなっているのか、疑いを禁じ得ないところである。

 

 もっとも悠はシャドウの正体について、あまり深く考えていない。クマから多少は聞いているが、実感は特にない。ましてテレビの世界を知らない諸岡にとっては、全く関係のない話だ。だから悠も諸岡もテレビには言及しない。

 

「では補習を始める! そうさな……郷土愛を育んだ貴様に、一つありがたい話をくれてやろう! 日本古来の自然観と宗教観についてだ! 教科書の第四章を開け!」

 

 かくして先月のギリシャ哲学に続く二度目の特別指導、もとい補習、でもやはり特別指導が始まった。指定された教科書のページは、クラス全体に向けて行っている通常の倫理の授業よりもずっと先だ。

 

(毒を食らわば何とやらだ……やってやるさ)

 

 対する悠は腹に力を入れて、間もなく襲ってくる言葉の濁流に立ち向かう準備をした。そして予習など全くしていない、未だ新品同然の教科書の終章を開いた。

 

 

 忘れ去られた学問を学ぶこと。それは長い時間に渡って人が訪れず、壁に苔がむし、庭は雑草に覆われた古い僧院を訪ねるようなものだ。錆びた錠前で封がされた書庫を開いて、眠っていた古書の埃を優しく払うのに似た作業である。

 

「日本に本格的な思想が入って来たのは飛鳥時代だ! 仏教の信仰を巡っての蘇我氏と物部氏の抗争くらいは、貴様も知っていような! 以降、日本における思想と宗教は仏教を中心として発展し、更に後の時代には儒教が加わった! ただし! それらの大陸由来の思想とは別に、古代から続く土着の信仰があった! 即ち神道である! 森羅万象に神を見出すところから始まっておる! いわゆる八百万の神々だ!」

 

 だが諸岡のやりようは優しく払うどころではない。口から吐き出す嵐でもって吹き飛ばす。貴重な古書だろうが何だろうが、容赦なく風で煽る。積もり積もった埃はあっという間に散らされ、ページは猛スピードでめくられる。

 

「神道は世界の普遍宗教と異なり、釈迦や孔子、イエスのような伝説的な創始者はおらん! ペテロやパウロのような組織的な指導者としての教祖もおらん! そして神話はあるが聖典はない! 古事記と日本書紀を始めとする文献はあるが、あれらは宗教の教義を記したものではなく歴史書だ! いわば神と人の歴史書だな!」

 

「記紀には数多の神話が記されておるが、そこに描かれる神々は多分に人間的だ! 神世七代の最後に現れた、イザナギとイザナミなどその典型であるな! 日本の国土を産み、八百万の神々を産んだ偉大なる神でありながら、言動は全くもって人間のようである! 全知全能にして無謬なる超越者とはほど遠いな!」

 

(え……イザナギ?)

 

 悠は驚いた。4月に初めて召喚したペルソナの名を、諸岡の口から聞くとは思わなかった。だが諸岡は止まらない。言葉の洪水と言うか嵐と言うか、とにかく生徒に止める術はない。自然に収まるのを待つしかない。

 

「なぜこのような信仰の形態が育まれたのか? それは日本の風土と密接に関わる! 日本の気候は温暖で、土地は豊饒だ! 人は海からも山からも、限りない自然の恩恵に与ってきた! 神道とは、そうした土地に根差した精神性から生まれた信仰と言えよう! つまりご利益だ! だが無論、自然は優しいだけではない! 台風、旱魃、火山、地震……自然がもたらす災厄もまた限りない! 即ち祟りである! 総じて言えば祟りを鎮め、ご利益を得ようとするのが信仰の姿となるが……」

 

 何とも身も蓋もない説明である。しかしここで諸岡は再び教卓を激しく叩いた。

 

「だがしかし! ここでよく考えよ! 日本古来の信心を現金だと切り捨てるのは、まだ早い! 安易に考えてはならぬ!」

 

 諸岡が声を張り上げるのはいつものことだが、これは今日一番だった。教室の中央付近に座る、悠の肌まで痺れるほどの大喝である。マイクも通していないのに、ロックコンサートの爆音もかくやという大音声だ。

 

「信仰においては、ご利益と祟りは表裏一体である! 自然は時に恵みを与え、時に暴虐に振る舞う……それは人知の及ばぬところだ! 災厄は限りなくありつつも、恵みもまたそれに劣らずある! こうした多面的な存在を前にして、人は何とすれば良いのか?」

 

「最善の道は敬意を払うことである! 敬意とは正月に初詣に行くことではないぞ! 日々の生活の中にあるもの……例えば神社の参道を掃き清め、ゴミがあったら拾うことだ! 即ち! 貴様らのゴミ拾いは古来の信仰に通じるのだ! それは地縁や血縁で結ばれた共同体……現代風に言えばコミュニティをより強固にすることに通じる! 人と人を結びつけるものである!」

 

(コミュ……?)

 

 悠はまた驚いた。無論、諸岡が言っているのは世間でも使われる、共同体という意味の言葉だ。だがペルソナ使いとして親しんでいる言葉を一日に二度も聞いてしまっては、やはり驚かざるを得ない。まして長々と説明された補習の最後の結論のように言われては。

 

 だが目を見開いた悠を諸岡は見ていない。教壇の上で身を翻し、窓へと視線を向けた。結論を述べた途端、脱線を始めた。

 

「そうした古来の日本の考え方とは対照的に、西洋思想においては自然とは人間と対峙するもの……征服されるべきものとされる。その精神性の起源には、キリスト教並びにユダヤ教は自然が日本より遥かに苛烈な砂漠地帯で生まれたという、地理的事情があることは疑いを入れぬ。そしてバビロニアやローマを始めとする他民族に迫害されてきた、歴史的事情があることは言うまでもない……」

 

 だが諸岡の脱線は長く続かなかった。すぐに視線を教室に戻してきた。

 

「さて……貴様の言い分を聞こうではないか。何が聞きたいのだ?」

 

 そして質問を促してきた。しかし悠は困ってしまった。

 

(いや、何が聞きたいかって……)

 

 今日の補習はしっかり聞いていたつもりである。居眠りは無論しなかったし、話を右から左に流しもしなかった。しかし理解できたとは言い難い。話のスピードが速すぎるのだ。これで質問しろといきなり振られても、咄嗟には出てこない。

 

(あ、そうだ)

 

 困った末に、話の中で引っかかった事柄があったのを思い出した。

 

「イザナギは実在する神なんですか?」

 

「何だと?」

 

 だが聞いた途端、教師は目を大きく広げた。『こいつは何を言ってるんだ』と、言葉にしなくても表情が語っている。そして生徒は我に返った。

 

(って……何を言ってるんだ! 俺は!)

 

 悠は自分の口を呪った。考える前に、いきなり聞いてしまったことを後悔した。転入して三日目に、初めてマヨナカテレビを見た結果を陽介と千枝に話して笑われた時のように後悔した。この種の質問をする人間は、世間ではこう呼ばれるのだ。痛い。もしくはウザい。どこかの自動筆記詩人のようなものである。

 

(イザナギは神様の名前だった? だから何だってんだ!)

 

 初めて得たペルソナの名は日本の神の名だった。だがそれが何であろう? ペルソナとは何であるのか、悠はよく分かっていないが、だからと言ってペルソナの存在自体を知らない諸岡に聞いたところで仕方がない。現に諸岡は呆れ顔だ。

 

「随分と変わった聞き方をするな、貴様は……。それを言うなら、『神は存在するのか』であろう。なぜ具体的な神の名を挙げて、それが実在するかなどと聞く……。いや、待て」

 

 しかし諸岡は呆れを急に引っ込めた。腕組みをしつつ、前歯が飛び出し気味な口元に片手を当てて深く考え出した。三白眼は閉じられてはいないが、それは何も映していない。

 

「ふうむ……イザナギとイザナミは明らかに人格神、しかも男神と(いも)だ。一神教的な超越的存在……記紀神話で言えば別天津神か。そうした第一義の神ではなく、それに仕える者であるとするならば……。独り神たる別天津神もまた、その更なる背後に言明せられぬ何者かがいると想定することはできる。しかし何にせよ神……要は上位者を祀る祭司として、イザナギとイザナミを考えることは可能だ。尊称が途中でカミからミコトに代わる点も、その傍証と言えるかもしれんな。ならば先史時代に現実にいた(かんなぎ)なり古代の神権政治の王なりと同定して、実在の人物と見なすのも、あながち暴論ではないか。エウヘメリズムを考古学的に証明するのは不可能に近いが、知的探求の一環としては悪くない……」

 

「祭司……ですか?」

 

 諸岡の独り言には、悠は聞いたこともない単語がいくつも出てきた。何を言わんとしているのか、さっぱり分からない。しかも普段は明快すぎる諸岡にしては、随分と歯切れが悪い。言葉の内容と口調の両面において、諸岡は自らを曖昧にしてしまっている。悠にかろうじて分かるのは、神を祀る儀式を司る人を指す言葉くらいだ。

 

「ああ……良い、忘れろ」

 

 悠の問いを契機として、諸岡は自分の世界にはまり込んでしまった。しかしすぐに戻ってきた。慌てて腕組みを解いて、そっぽを向いて顔を隠した。

 

「教科書もろくに読んでおらん、貴様に説明したところで理解できん」

 

 諸岡は犬でも追い払うように、ひらひらと手を振った。おかしな質問をする生徒を面倒くさがるように。口にするつもりはなかったのに、つい内心の思考が漏れ出てしまって、それを恥じるように。そして話を仕切り直した。

 

「ふむ……イザナギの神格ないしは人格は、取り敢えず脇に置くぞ。貴様の質問の意図は、神は存在するのかと問うもの……それで良いか?」

 

 神は存在するか。これは現代日本では、口にすること自体が憚られる問題だ。しかし諸岡は元より宗教や哲学を守備範囲とする、倫理の教師である。世間では顧みられずテレビの中に放逐される問いに対しても、真摯に向き合おうとする。ただし質問をより普遍的、かつ抽象的な形に読み替えてきた。

 

「……はい」

 

 悠が具体的な神名を出したのは、簡単に言えば馴染みのある名前だったからだ。しかしその『馴染み』を諸岡に教えるわけにはいかない。ここは教師が優しくも組み立て直してくれた、話の流れに乗った。

 

 毒を食らわば皿まで。濡れぬ先こそ露をも厭え。既に痛くなってしまった以上は仕方がない。不本意ではあるが始めてしまった痛さに、悠は最後まで付き合うことにした。一度詩を読まれてしまった以上は、同じような詩を何度も書き続ける知り合いの詩人に倣うように。

 

「先月ニーチェの話をしたな。覚えているか?」

 

「ええ」

 

 通常の倫理の授業では、まだ近代思想には踏み込んでいない。今はキリスト教などの世界の大宗教の歴史と内容の概説をしているところで、近世以降の西洋哲学の本流を学ぶのは二学期からの予定だ。ちなみに三学期の予定は、ちょうど今やっている日本の思想史だ。諸岡が言っているのは、先月25日に行った補習での話である。

 

「ニーチェは『悦ばしき知識』や『ツァラトゥストラはかく語りき』という著作にて、『神は死んだ』と主張しておる。これはひどく人口に膾炙しておるが……何も神を否定するのはニーチェに限らん。そもそも近代とは、世界から神を剥ぎ取るところから出発しておるからな。よって神は死んだと言う者は、この世に数多くいる。元よりいなかったと言う者は、もっといる。神はいるが、それは無情で残酷なのだと言う者もいるな」

 

 ここで諸岡は教卓を叩いた。義務と責任について絶叫した時とは対照的に、指で軽く叩いた。生徒を脅すのではなく、己の思考のリズムを刻むように。

 

「だから神などいないと、貴様らも言って構わん。だがそれはキリスト教を学んでからにしろ」

 

「……」

 

「無神論を掲げる思想家は歴史上数多くいるが、彼らは皆そうしてきたのだ。否定する相手を知りもせず、ただ否定するのは思想の受け売りに過ぎん」

 

 知りもせず、ただ否定する──

 

「無論、キリスト教に限った話ではない。日本の神仏も同じであるぞ。この世には神も仏もおりはせんと、そう言っても構わん。だがそれなら、なぜいないのか、ある時からいなくなったのか、元からいなかったのか……そこをよく考えよ」

 

 諸岡の話は悠の質問の答えにはなっていない。ただ生徒に自ら考えるよう促してくる。

 

「この世は悪や不幸に満ちているのに、それが正されぬのは神がいない証し……などと言うなよ。それは最も安易な考え方だ」

 

 悪の存在。それは神の存在意義に関わる問題である──

 

「それで、何が聞きたいのだ」

 

 ここで諸岡は、再度質問を促してきた。だが悠はまたしても困ってしまった。話の脈絡が見えないのだ。質問ならば、たった今したばかりだ。

 

「貴様、わしに何か聞きたいことがあるのではないのか?」

 

 生徒が戸惑っていると、教師は視線を鋭くした。模造刀とは違う、真剣の鋭さがそこに湛えられている。今日のホームルームを終えた直後、職員室へ向かう諸岡を廊下で引き留めた時のように。

 

(あ……)

 

 それで悠は思い至った。すっかり忘れていたが、今日は元々補習をしてもらいたくて諸岡を引き留めたのではない。諸岡個人に聞きたいことがあったからだ。しかしその場では諸岡は悠にまるで耳を貸さず、刀の連撃のごとき言葉の洪水によって、問答無用で補習へとなだれ込ませてしまった。まさにモロキンらしく。

 

 だが生徒を溺れさせながらも、相手の意志はしっかり分かっていた。放課後の時間をほぼ丸ごと潰した今になって、ようやく本題に入れるわけだ。

 

「……」

 

 せっかくチャンスを貰ったわけであるが、悠は口を噤んだ。顎を引き、腕組みをして、深く考え込んだ。

 

「いえ……済みません。少し時間をください」

 

 林間学校の時からそうだったが、悠はますます混乱させられてしまっていた。モロキンは困った人だが、釣り人の諸岡は悪い人間ではないことは、もう分かっている。では倫理を受け持つ諸岡教諭はどうなのか。今日の補習で教えたこと、語ったことは、どれもまともな話ばかりだった。特に最後の話だ。

 

 神を否定するなら、宗教や哲学を学んでからにしろ──

 

 神の存在に関しての諸岡の話は、要約するとそういうことだ。この伝でいうと、人を肯定するのも否定するのも、その人をしっかり理解してからでなければならない。しかしモロキンと釣り人に続く諸岡の三つ目の顔、古い学問を若者に教える教師の存在は、悠を更なる混乱に陥れていた。

 

 鳴上悠は諸岡金四郎をまだ理解できていない。今の時点で事件の犠牲者への暴言の真意を問い質したところで、答えを得られそうにはない。また得たところで、理解できそうになかった。

 

 なぜかと言えば、倫理に限らず、悠はこれまで本腰を入れて勉強したことがないのだ。授業は適当に聞いて、用語や公式をノートに取って暗記してきただけだ。そうして要領よくやるだけで、試験はそこそこの点数を取れる。そして中学受験はしていないし、高校に上がる際も受験勉強は特にしていない。簡単に言うと、器用なのだ。しかしそうした小手先の器用さでは、諸岡の問いには答えられない。

 

 永遠の問い。即ち『お前は何者だ』。これに答えられない限り、諸岡を理解することはできない──

 

「ふん……好きにしろ」

 

 諸岡は自分の教科書とノートを両手で持って、角を揃えた。そして教卓を軽く叩いた。思考に一つの区切りを入れるように。裁判官が木槌を打って、閉廷を宣言するように。

 

「もう下校時刻が近いな。今日の補習はここまでとする。早く帰れ」

 

 諸岡は今年最初の授業において、悠を含めたクラス全員に一年間のモラトリアムを与えた。あれから二ヶ月以上が過ぎているが、期限はまだまだ先だ。諸岡は自ら定めた締め切りの期日を早めはしない。未だ答えを得ていない出来の悪い生徒を咎めるでもなく、教師は静かに教壇から降りた。

 

「……」

 

 来た時と違って、静かに引き戸を開けて諸岡は教室から去った。腰の曲がった後ろ姿を、悠は黙って見送った。そうしていると、はたと思い出したことがあった。

 

(あ……そう言えば、コミュにならなかったな)

 

 海でゴミを釣って以来、悠は諸岡を新たなコミュの担い手として密かに狙っていたのだった。しかし今日も『我』は絆の発生を告げてこなかった。標的が去った今になって、それを思い出した。

 

(しかしコミュになったら、アルカナは何になるんだ? まだ枠が残ってるのだと……悪魔とか塔とか、死神とかか?)

 

 タロットカードの大アルカナは、いずれも肯定的な意味と否定的な意味を持っている。つまり二面性があるわけだ。先日買ったタロットの解説書は軽くだが目を通しているので、それくらいは悠も知っている。だが未だ奥義には達していない。少ない知識から推測できるのは、諸岡を象徴するアルカナは特に癖のあるものになりそうだということくらいだ。

 

(それかマリーや足立さんみたいに、本にない奴だったりして?)

 

 取らぬ狸の皮算用をしながら、悠は倫理の教科書とノートをカバンに放り込んで、下校の準備をした。一年のうちで最も長く天空に留まる太陽は、もう大きく傾いていた。

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