ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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復讐の毒(2011/7/10)

 稲羽市は小さな田舎町だ。だから大きな事件などめったに起こらない。しかし今年はアナウンサーの不倫騒動を始め、女子高生アイドルの帰郷に至るまで、毎月のように事件の連続である。4月以来、話題には事欠かない。

 

 しかし味の濃い料理ほど最初は強烈な印象を残すが、飽きるのも早い。異常も続けば、やがては正常の範囲内に収まってしまう。そこには慣れという人間の普遍的な心理がある。稲羽市民の大半は、そろそろ事件やニュースに慣れてきた頃合いである。連続殺人事件の三人目の被害者が発生しても、住民は危険を感じて家に引きこもるようなことはしない。ジュネスにやって来る買い物客は引きも切らない。特に今日は日曜日ということもあって、一階のエレベーターホールには行列ができていた。

 

 午後の時間になって、悠は一度飛び出したフードコートに戻ってきた。遺体発見現場でのように人波を無理にかき分けるようなことはせず、行き交う人々を普通によけながら歩いた。デパートの屋上には家族連れが多くいる。親子と思しき大人と子供が、飲食店のブースに並んだりテーブルを囲んだりしている。

 

「……」

 

 だが悠はその誰にも気を留めない。授業と補習、そして釣りの機会を永遠に奪った犯人への憎悪が、悠の認識からあらゆるどうでもいいものを奪っている。頭にあるのは、いかにして犯人を捕まえるか。ただそれだけだ。慣れた場所では考えなくても足は機械的に動く。体から乖離した心は、初めて姿を現した毒に当てられていた。

 

「おーい、鳴上!」

 

 そのように、悠は歩きながら自分の世界に閉じこもっていた。しかし補習を仲良く受けたこともある、苦楽を共にしてきた相棒の声は聞き分けた。そうして耳に続いて、目も自分の内側から外に向けた。するととんでもないものが視界に飛び込んできた。

 

「センセーイ! 待ってたクマよー!」

 

 稲羽市のゆるキャラがそこにいた。しかも『中の人』が姿を見せた状態で。

 

「へ……?」

 

 悠は思わず声を漏らした。なぜパンダめいたゆるキャラがここにいるのか。それともここは現実ではなくて、いつの間にかテレビに入ってしまったのだろうか。テレビの世界のダンジョンは落とされた人間が生み出すらしいが、自分はジュネスのダンジョンを生み出してしまったのか。そしてクマに案内された陽介たちが、自分を助けに来てくれたのか──

 

(ち、違うだろ! それより中身だ!)

 

 着ぐるみは頭のジッパーを外していて、中の『人間』が上半身を見せていた。爽やかな汗で濡れた顔の中心には、とてつもない透明度の青色があった。地上に人間が生まれる前、いかなる文明の洗礼も受けていない遥かな太古に存在した湖のような青だ。とうの昔に失われたはずなので、現代ではかえって不自然に見えてしまう澄みきった青色を湛える瞳が、悠に向けられている。

 

 あの少年は何者なのだ。陽介がジュネス本社の企画系の部署にでも頼み込んで、こんな田舎にまで出張してきてもらった社員だろうか。それともりせが芸能事務所に頼んで、来てもらったイベント会社の人か。とにかく訳が分からない。

 

「もー、プリチーグマをほったらかして、どこ行ってたクマかー!」

 

 固まっている間に少年が近づいてきた。着ぐるみの手にはジュースの缶が握られている。そうして近くで見ると、とてつもないのは少年の碧眼だけでないことに気付いた。それを縁取る顔の白さも異常の域に達している。日本では雪が覆う北国をどれだけ探し回っても、まずお目にかかれない領域の白さだ。西洋人でも生まれてすぐに地下に隔離され、一度も太陽の光を浴びたことがないのでもない限りは得られないだろう。ベルベットルームの魔女を連想させる白さの上に、鮮やかに光輝く金髪が乗っている。

 

 そんな人外めいた『美少年』の満面の笑顔がすぐそこにあっては、もう本当に訳が分からない。鮫川の土手からここに来るまで頭を埋め尽くして脳を焦がしていた、犯人への復讐さえ忘れそうになってしまう。

 

「ク、クマ……なのか?」

 

「訳分かんねえけど……あのクマなんだよ」

 

 陽介がフォローを入れた頃には、悠の毒気はすっかり抜かれてしまっていた。ここはテレビの中ではなく現実だが、やはりクマたちに『助けられた』わけである。

 

 

 クマは今日の霧が晴れてから、テレビの中から外に出てきた。今まで出てこなかったのに、『なぜか』急に出てきたのだ。本人によれば、これまでは単にその発想がなかったからとのことだが、とにかく出てきた。そして暑いからと言うので着ぐるみの頭を外したところ、あの有様だった──

 

「えと、カラッポじゃなくなったっつって、中にニンゲン生えてきたっつーか……」

 

「よく分からないんだが……」

 

 悠は自分がいない間の出来事を、完二に説明してもらった。だが今一つ要領を得なかった。特に『発想』がなかったというのは本当なのか。だが何にせよ、既に出てきてしまった以上は仕方がない。真実は闇の中である。真実は霧の中にも恐らく存在しない。

 

「済んませんけど……俺らも分かんねえっす」

 

 クマが何者で、一体何が起きたのか。それは一つの謎である。出会った当初から謎だったが、付き合いが深くなるほど謎も深まる。いくら考えても分からない。これ以上の考察は無駄であるばかりか、無粋ですらある。

 

「どんだけあり得ない生きモンなんだかな……」

 

 陽介のこの評価が全てを物語っている。ちなみに当の『あり得ない生きモン』は千枝と雪子に連れられて、ジュネスの衣料品売り場へ行っている。『ニンゲン』のクマは着ぐるみ以外に何も身に付けていなかったので、服を買いに行ったのだ。

 

「ま、今に始まったことじゃねえから、そっちは置いといてだな。お前、現場見てきたんだろ?」

 

 かくしてクマの非常識については流され、陽介は今日の本題に入ろうとしたが──

 

「ああ……」

 

 悠は口を噤んだ。フードコートにいくつも置かれたプラスチック製の軽い椅子に腰かけて、自分の膝に肘を置いた。

 

「先輩? やっぱモロキンだったんすか?」

 

「完二」

 

 完二は現場検証の結果を聞き出そうとしたが、陽介がそれを制した。悠は依然として顔を上げず、答えることを拒絶している。

 

(相棒……)

 

 陽介は考え始めた。陽介にとって諸岡はただの嫌な奴だった。昨年に転校してきて以来、難癖をつけられたのは一度や二度ではないから。ただでさえ地元民には白い目で見られることの多い身であるのに、教師にまでそうされては堪らない。だからいつしか陽介は諸岡については何も考えずにいた。ああいうタイプの人間には、腹を立てるだけ損だと。だが陽介にとっては嫌な奴でも、全ての人間にとってそうとは限らない。

 

(そう言や、十日くらい前だったか……)

 

 思い出されるのは先月の終わりだ。鮫川の土手を歩いていたら、河川敷で悠と諸岡が話しているのを見かけたのだ。声をかけると、悠は諸岡と別れて陽介と一緒に帰った。その際、悠は不思議なことを言ったのだ。『先生はいい人だ』と。その時は何の冗談かと思ったが、実は本気だったのかもしれない。今になって、そう思えた。

 

(俺、実はあいつが……何て言えねえな)

 

 悠は背中を預ける相棒だ。この町に来て半年も過ぎてから、初めてできた親友でもある。その親友にとっては、諸岡は良い教師だった。付き合って初めて見る力を落とす相棒の姿は、陽介の心にあるものを突き刺してくる。その痛みが普段は軽妙な陽介の口から言葉を奪っていた。

 

 今回の事件にはこれまで以上に不可解な点が多い。諸岡はマヨナカテレビにも普通のテレビにも映ったことがなく、クマによれば今日の現実の霧が晴れるまで、テレビの中に人が入れられた気配はなかったことなどだ。そうした疑問点について相談したいと思っていたのだが、相棒の憔悴ぶりに陽介は口を噤んだ。

 

「……」

 

 揃って黙り込む二人の先輩に倣って、完二も黙った。若い男たちが雁首揃えて沈黙を続ける様は、なかなかに異様である。

 

「……」

 

 日曜日の賑やかなフードコートに、重苦しい沈黙が横たわる。夏の眩しい光は白い椅子やテーブルに反射して、デパートの屋上に華やかな彩りを添えている。特に今日は雨続きだった後の久々の晴れであるだけに、人々はより一層の解放感を露天の市場に見出している。殺人事件の新たな犠牲者も、ここには影を落としていなかった。そのはずであったのに、己の膝に沈み込む悠を中心にして沸き立つ影は、その一角から活気を遠ざけている。

 

「こんにちはー」

 

 そんな暗い異空間に明るい異分子がやって来た。大きなブロウ型のサングラスをかけた一人の少女だ。オレンジのノースリーブにベージュのクロップドパンツという、いかにも涼しげな服装でいる。

 

「ん? 誰だてめえ……」

 

 完二が最初に反応した。邪魔するなと言わんばかりの凄味を放つ。

 

「誰だはないでしょ」

 

 少女は唇を尖らせ、サングラスを外した。するとそこにあったのは、現実と真夜中のテレビで何度か見た顔だった。

 

「あ、りせ……!」

 

 完二に次いで陽介が反応した。悠が顔を上げたのは、その後だった。

 

 

「それじゃ、犯人の顔とか分かんねえ?」

 

「うん……家にいたことは覚えてるけど。気が付いたらもう『向こう』だった」

 

 席に着いたりせは、陽介に聞かれて事情を話した。誘拐されたのは、商店街で盗撮騒動が持ち上がった先月23日だ。しかし前後の記憶が何やら曖昧で、犯人の特徴やどうやって連れ出されたのかなど、有力な情報は持っていなかった。雪子や完二の時と同じである。確かなことと言えば、犯人は大胆にも白昼堂々自宅を訪ねてきて、りせをテレビの世界へ放り込んだことだけである。

 

「手掛かりなしか……」

 

 事情聴取を陽介に任せた悠は、再び膝に沈みながら結論を述べた。悠としては、ここで何としても犯人に繋がる情報が欲しいところだったのだ。その点はもちろん陽介や完二も同様であるが、まさに今日事件に対して本気になった悠は、取り分けその思いが強かった。だから短い結論の中に、小さくない落胆が表れた。

 

「ごめんなさい……また亡くなった人が出たんだよね?」

 

 りせが謝ると、悠は再び顔を上げた。

 

「いや……君のせいじゃないさ」

 

 この時、二人の視線が出会った。先月にクマの影と戦う直前も、悠はりせを真っ直ぐ見たはずだった。しかしあの時、りせは眼鏡を持っていなかった。だから果たしてどこまで悠が見えていたのか、甚だ疑わしい。しかしあれから幾日かを経て、二人は再び向き合った。今度こそ霧に遮られず、現実の中で二人は出会った。

 

「ねえ、先輩……私、あの世界でみんなを助けられる?」

 

 再会した後輩は、先輩に尋ねてきた。いや、これは尋ねるというより事実上の志願だった。りせはクマの影戦でいきなりサポート役を務めていたように、情報系ペルソナ能力を持っていることは特別捜査隊にとっては既知の事実だ。ならばりせの力は、大いに役立つはずだった。むしろクマの鼻が不調な近頃は、いないと困るくらいだ。

 

「ああ、是非頼みたい」

 

 特捜隊のリーダーとして、りせの志願は願ってもないことだ。だから悠はすぐに受け入れた。

 

「じゃ、今から私も先輩たちの仲間、だよね!」

 

 りせは笑った。アイドルらしい高い声を添えて、華やぐ笑顔を男たちに見せた。その瞬間、愚者のアルカナに象徴される絆が、一歩前進した──

 

 そしてりせ以上に明るい異分子が、フードコートにやって来た。

 

「おおー! リセチャン! クマに会いに来てくれたクマかー!?」

 

 千枝と雪子に連れられて、買い物と着替えを終えたクマが戻ってきたのだ。真っ白な開襟シャツに黒のスラックスという、妙にフォーマルな姿で。しかもわざとなのか自然なのか、胸元にはバラの造花が挿されている。まるでこれから夜会にでも出かけるようなスタイルだ。

 

「えっと……貴方、もしかして着ぐるみの子?」

 

「イッエース、ザッツライト! イカガデスカ? リセチャンノタメノ、スペシャルコーディネートクマヨ!」

 

 自分の西洋人風の容貌に合わせたつもりなのか、クマは日本語らしくないイントネーションで喋る。良く通る、伸びやかな声で。美しいが、大きな声で。

 

「え? りせちー?」

 

 りせは自分が周囲から注目されやすいことを、当然ながら知っている。だからわざわざサングラスをかけてジュネスを訪れたのだが、今は外している。その上にこうまで大騒ぎされては、どうやっても隠せない。近くの席に座っていた客たちが振り返り、やがてブースに並んでいた客たちも、行列から離れて近づいてきた。あと数秒もすれば、すっかり取り囲まれてしまうだろう。

 

「やばい、人目引いてる……クマ、お前騒ぎすぎなんだよ!」

 

「今日は一旦解散しよう」

 

 悠が席から立ち上がり、特捜隊のリーダーとして場を締めにかかった。特捜隊、即ち愚者の絆に巻き込まれた者たちは、いつもリーダーの指示には逆らわない。皆が素直な限りで、急いでその場を後にした。

 

 なお、クマはテレビの世界に帰ろうとせず、悠も帰れと命令はしなかった。結局のところ、陽介が家に連れて帰った。

 

 

 

 

 ジュネスを出て、悠は一人で帰路に就いた。クマの美少年ぶりに毒気を抜かれ、その後もりせの一件があって、悠は川を見た頃と比べれば大分落ち着いていた。怒りや憎しみは四六時中続くものではない。どんな一日でも心が静まる時間は必ずある。風が収まり、滞留する湿気が肩にのしかかる夏の午後の街路を、悠は一人歩いた。ただし家に帰る前に、もう一度事件現場に向かった。

 

(犯人、どうやって見つければいいんだ……?)

 

 冷静さを取り戻した頭で、悠は一人考える。これまでの被害者と同様に、りせは犯人の情報を持っていなかった。顔や名前はおろか、年代や性別さえ定かでない。分かっているのは凶器と狙われる人だけ。本職の警察ならば、これだけでも捕まえられるかもしれない。しかし高校生の集団である特捜隊には、できることにどうしても限りがある。

 

『捜査』を始めた当初からそうだったが、先行きの見えない話である。ならばせめて現場から何か分かることがないかと、悠は午前も行った場所へ再び向かっているのだ。

 

 犯罪捜査は現場百篇と言う。その意味は、取りこぼした遺留品を探し直したりするだけではない。犯人がこの場所にいたという事実。ここで殺した、ここで死体を捨てたという事実。その確かな事実を元に、現場の空気そのものでも何でも感じ取って、犯人に迫るのが捜査というものだ。それをせずに、頭だけでこね回して築いた推理など机上の空論。安楽椅子で全てを見通してしまう名探偵など、小説や映画の登場人物でしかなく現実には存在しない──

 

 と、堂島ならば言うであろう。しかし刑事でない悠は犯罪捜査の基本など知るはずもない。しかもテレビを使った殺人においては、遺体が上がる場所と死んだ場所に繋がりはないので、空気を感じたところで意味はない。それにも関わらず向かっているのは、4月15日にテレビの世界へ向かった時の陽介の心境に近いものがあるのかもしれない。テレビがどうなどと言っても警察が取り合うはずがないのに、陽介は現場へ向かった。その真意は、現場に犯人ではなく早紀に繋がる何かを求めていたから──

 

「こちら、三件目の殺人事件の現場となったアパートです。警察の捜査は現在も継続中で、立ち入りは制限されています」

 

 そうして戻って来た現場には、午前中はいなかった手合いがいた。

 

「被害者の諸岡さんの遺体は、あちらの給水塔の手摺りに引っかかった状態で発見されたとのことです」

 

 マスコミだ。女性リポーターがカメラマンの前でマイクを持って、背後のアパートを示しながら喋っている。

 

「前の二件と酷似している為、警察は同一犯の犯行と見て捜査を進めているようです」

 

 そこでリポーターの早口が区切られると、カメラは一旦下ろされた。現場の絵を撮るのが一段落ついたようである。しかし彼らの仕事はまだ終わっていなかった。

 

「済みません、八十神高校の生徒さんでいらっしゃいますか?」

 

 悠の傍にリポーターがやってきた。いかにも高校生らしき若い男を、被害者の関係者かと当たりをつけてインタビューしようとしている。殺人事件が起きれば、被害者遺族は言うまでもなく近所の住人や職場の同僚の声などが集められるのは、よくあることだ。テレビのニュース番組では、事件の概要が説明された後で、お決まりの添え物のように『声』が紹介されるのが常である。

 

「事件についてお話を伺いたいのですが」

 

 リポーターはマイクを向けてきた。悠にすれば言いたいことは山ほどある。しかしマスコミに聞かれるのは困る。悠たち特捜隊はテレビに出るわけにはいかないのだ。出ることの危険性を重々承知しているから。だから申し込みを断ろうと、自分の顔を隠すように右手を上げた。しかし──

 

(いや、待て)

 

 危険を承知の上で、悠の脳裏に一つの策が閃いた。閃いた途端、右手を下ろした。

 

「お顔は映しませんので、どうか率直なお気持ちを聞かせてもらえないでしょうか……」

 

「分かりました」

 

「ありがとうございます。カメラ回して!」

 

 リポーターはカメラマンに指示をして、悠に向けさせた。だがレンズは心なしか下を向いている。顔を映さないと言ったのは本当のようだ。昨日までの面倒くさがりな少年であれば、たとえテレビが事件に関係していなくても、インタビューなど鬱陶しく思って取り合わなかっただろう。だが今は違う。聞かれれば何でも答えてやるつもりになっていた。むしろ顔を映してくれてもいいくらいだ。

 

「亡くなった諸岡金四郎さんをご存知でしょうか」

 

「諸岡先生は担任でした」

 

「お悔やみ申し上げます」

 

 そうしてインタビューが始まったが、盛り上がりには欠けた。リポーターの『どんな先生でしたか』や『生徒にはどのように接していましたか』などの質問に対して、悠の答えは『いい先生でした』ばかりだったのだ。

 

 事件の被害者に関する報道には何種類かの傾向がある。例えば被害者の良い点を取り上げて、『そんないい人がどうして』と同情を誘う。或いは逆に、職場や私生活におけるトラブルなどを取り上げて、『やられて当然だな』と因果応報を感じさせたり、または『犯人は仕事の関係者か?』などと視聴者に推理させたりする。そして諸岡に関しては、マスコミの報道方針は既に決まっていた。

 

「諸岡さんは厳しい指導で知られていて、生徒との摩擦を抱えていたと伺っていますが……」

 

 望んでいる答えを得られないリポーターは困惑顔だ。担任として受け持っていたクラスの生徒は、情報源として有力である。授業を受けていない生徒よりずっと信憑性がある。しかし悠の答えは既定の方針にそぐわない。リポーターは話の流れを望む方向へ持っていこうと、これまでの調査で得られた情報を口にした。対する悠は目の色を変えた。

 

「……」

 

 悠は言葉では反論しない。言ってやりたいことは山ほどあるが、声には出さない。目だけで言葉よりも雄弁に語る。

 

「え、ええと……では最後に、犯人について何か一言」

 

 特別なところの伺えない、いかにも普通そうな高校生から放たれた思いがけない凄味に、リポーターは一瞬気圧された。そしてインタビューを切り上げに入った。だが諦めた途端にいいコメントを取れたのだった。番組として決めた報道方針からは外れているが、インパクトは十分なコメントを。

 

 

 

 

 この日の堂島家の夕食は悠と菜々子の二人だけだった。父親は昨晩遅くに家を出たきり、一度も帰っていない。それは決して望ましくはないが、この家ではよくある状況である。

 

「ごちそうさま! おいしかった!」

 

 今日のメニューはメインが鶏の竜田揚げで、デザートにプリンもつけた。いずれもジュネスで買った惣菜ではなく、悠の手作りだ。クラスメイトの女子たちがやりたがるおかしなアレンジや奇怪な隠し味などは入れず、レシピ通りに丁寧に作った。おかげで出来は上々だった。裏表のない菜々子の笑顔が、料理の成功を証明してくれている。

 

「ね、ピアノひいて!」

 

 二人で食器をキッチンに運び、片付けを済ませると菜々子がせがんできた。今月の初め頃から、菜々子はこうして『兄』に演奏をねだる機会が増えていた。これまで悠はいつも応じてきたが、今日の反応は違った。

 

「うん……でもちょっとニュース見させて」

 

『稲羽市で起きていた連続殺人事件。遂に三人目の犠牲者です』

 

 二人で居間に向かい、テレビを点けた。番組はニュースだ。画面には諸岡の写真が名前入りで映し出されている。

 

(先生……)

 

 分かっていたことだった。フードコートで陽介から初めて聞いた時は認めなかった。だが現場で足立に聞いて、悠は恩師を失ってしまった事実を自分に認めた。しかし頭で認めることと、自分の目と耳で感じることは別である。こうして顔と名前つきで報道されると、改めて事実が突き刺さってくる。

 

「お兄ちゃんの、しってる人?」

 

 その痛みが顔に出て、『妹』に心配をさせるほどに。

 

「ああ……」

 

「しんじゃったの……?」

 

 菜々子は怯えている。今年の稲羽は話題が多いが、最近はアイドルの里帰りだの暴走族だの、4月に比べれば穏当なものが多かった。だが今日のニュースは事の始まりとなった4月以来の、物騒な内容だった。菜々子にすれば、世間一般よりも恐怖を強く感じるところだ。父はますます家から遠ざかるだろうし、しかも犠牲者が『兄』の知り合いともなれば。

 

「大丈夫、すぐ見つかるさ」

 

『兄』は『妹』を宥めた。だがすぐに再び画面へと視線を戻した。

 

『諸岡さんが教えていた、高校の生徒の声をお届けします』

 

 映し出されたのは半袖のシャツを着た男だ。しかし顔は映っていない。画面の上端で首が切られている。

 

「あれ? この人……」

 

「……」

 

 菜々子はテレビの中の顔のない男と、現実にいる悠を見比べた。だが悠は菜々子に何のフォローも入れず、ただ画面を見つめる。菜々子が戸惑っている間にも、番組はスムーズに続いていく。

 

『犯人について、何か一言』

 

 スムーズなのである。実際はもっと時間をかけたインタビューの最後に放たれた質問を、最初に持ってきた。そこに至る過程を全て省略し、経過を放擲して結論をいきなり示した。

 

『犯人を見つけ出して、殺してやります』

 

 画面は質問に答える高校生の顔を映していない。音声も変えられている。だが知り合いが見れば誰かは分かるだろう。たとえ小学一年生の女児でも、毎日会っていれば必ず分かる。まして服装が同じであれば、分からない方がおかしい。

 

「お、お兄ちゃん……?」

 

 元より怖がっていたところに、テレビ局に抗議の一つや二つは行きそうなセリフである。笑っていればとにかく可愛らしい顔は、もう完全に怯えに覆われている。

 

「……」

 

 そんな『妹』に『兄』は何も言わない。ただ画面を鋭く睨みつける。テレビに映る自分自身から放たれる殺気を、現実の居間で受け止める。現実でも改めて殺気を放ち、それが画面の向こうで受け止められ、また返ってくる。合わせ鏡の無限回廊に閉じ込められたように、互いに相乗する殺気は見る間に膨れ上がった。悠の毒気は昼間に一度クマに抜いてもらったのだが、夜には更なる猛毒へと化けてしまった。

 

 そこで悠のズボンのポケットから電子音が鳴り始めた。まるで毒が際限なく増幅するのを押し留めるように。悠は携帯電話を取り出したが、折り畳み式のそれを開く前に、背面ディスプレイに表示された着信相手を確認した。

 

「ごめん、ピアノはまた後で」

 

 悠は居間から立ち去った。怯えた菜々子に何もしてやらず、ただ恐怖を与えたまま二階へ上がった。

 

 

「もしもし」

 

『相棒、今のニュース! あれってお前か!?』

 

 悠は二階の自室に戻ってから、通話ボタンを押して耳に当てた。すると電話越しでも唾が飛んできそうな勢いで、陽介の声が届けられてきた。

 

「ああ、狙い通りだ」

 

『おま、何言ってんだ! あんなことしたらマヨナカテレビに、あ……!』

 

 陽介は大声で叫ぶ途中で唐突に立ち止まった。言いながら、悠の意図に気付いたのだ。さすがは相棒と言うか、わざわざ口にしなくても相手の考えが分かるようだ。

 

『お前……囮になる気か?』

 

「もう野放しにはできない」

 

 物分かりの良い相棒に向けるにしては、自分の声が随分と硬く張り詰めているのに、悠は気付いた。もし明日は映画に行こうとかの、他愛もない普通の電話でこんな声を出そうものなら、陽介は怖がるかもしれない。それこそ菜々子のように。

 

『……とにかく、テレビに出ちまったもんはしょうがねえ。明日またフードコートに集合な! 連絡は俺から回しておく!』

 

 だが陽介は怖がらなかった。むしろ話が早くて助かるくらいだった。たった一言だけの説明で、あっさり受け入れてしまった。全くもっていい仲間である。

 

 通話を切って携帯電話をポケットに戻し、悠は自室のテレビを点けた。事件に関するニュースはもう終わっていて、天気予報が流れていた。それによれば明日11日の天気は曇りで、12日は雷雨だと予報されていた。

 

(明後日か)

 

 週間予報ではその日に雨のマークが表示されていても、真夜中まで降るかどうかは分からない。だが降ってほしいものだと、悠は思った。心底思った。もう一日も、一時間でも犯人を放置しておけないのだ。雨乞いの念を込めるような気持ちでリモコンのスイッチを押し、テレビの電源を切った。

 

 雲や太陽の印を映していた画面は、一面の黒に戻った。番組に代わって悠の顔を映し出す。殺人予告をしたニュースと違って、顔全体が仄暗い鏡に映っている。

 

「……」

 

 風呂場や洗面所の鏡で毎日見ている、自分の顔がそこにある。だが今見るそれは普段とは少し違っていた。もちろん顔の造作そのものは、昨日までと同じだ。だが全体の印象は変わっている気がした。変えている要因は、豊かな前髪の下にある目だ。硬く、鋭い。

 

 そうやって『鏡の少年』と向き合っていると、やがて少年は瞬きをした。文字通りの意味で鏡像は瞼を一度下ろし、すぐにまた開けた。自分が瞬きをする瞬間を、自分の目で見る。そんなことはあり得ないのだが、悠は驚きもしない。なぜならこれは二度目だから。最初に見たのは4月14日、ジュネスで崖から落ちた日だ。

 

「イザナギ……」

 

 その翌日に初めて召喚したペルソナはとうに心の中から失われ、マーガレットのペルソナ全書に記録されているのみだ。しかしだからと言って、いなくなったわけではない。悠の中に、今でも確かに『いる』。仄暗い鏡像がそれを証明してきた。

 

 悠は鏡に向けて右手を伸ばした。自分の力を確かめるように。像と真っ直ぐ視線を合わせながら、画面の向こうから近づいてくる『自分』の左手と触れ合おうとした。そして触れた瞬間、鏡像は消えた。代わって沼に石を落としたような、揺れ動く波紋が鏡に浮かんだ。

 

(……いけるな)

 

 自分に力はある。鏡像が波紋の中に消えたことそれ自体が、犯人と戦う力がこの手にあることを証明してくれた。

 

 思い起こせば、戦いを始めたのは自分の意思ではなかった。クマと『契約』し、陽介に頼まれたからだ。その後も事件が起きる度に、彼らに引きずられて戦ってきた。特捜隊のリーダーになったのも陽介に推薦されたからであって、自分から名乗り出たわけではない。彼らの頼みを引き受けたのは、自分にはできるからというだけだ。自ら望んだわけではなく、ただ力があるから請け負った。

 

 事件の解決を目指し、被害者の救助をする。その動機は決して正義感などではない。ただの遊びだ。だがこれからは違う。

 

(俺がやるんだ)

 

 これからの戦いは、遊びではない──

 

 なお、悠たち特捜隊はテレビの中でしかペルソナを召喚できない。と言うより、召喚できないと『思っている』。遊び気分を捨ててまだ見ぬ犯人への憎悪を燃やす今の悠が、もしテレビの鏡に映る自分の姿を見ていたならば、その背後にペルソナの姿をも見たかもしれない。血に塗れた、暗黒のイザナギを。

 

 だがテレビに手を触れたままであった為に、波紋を浮かべる画面は鏡の役割を果たさなかった。

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