ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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月下の契約(2011/7/16)

 八十稲羽の周辺で放映されるマヨナカテレビは、その名の通りテレビでしか見られない。人が情報を得る為の媒体としては、テレビは最も身近な道具である。しかし二十一世紀に入った現代では、テレビ以外の媒体も数多くある。例えばスマートフォンやパソコンなどだが、それらの機械では深夜のバラエティなどは見られない。テレビを見る機能がついていても見られないし、ペルソナ使いが画面に触れても指がもぐりこまない。

 

 それはまるでマヨナカテレビを映している主体は、テレビ以外の『窓』の存在を知らないかのように。年々速度を上げる時代の変化に、主体は取り残されているかのように──

 

 

 日付が7月15日から16日に変わった直後の時間、皆月はベッドに頬杖をついて寝転びながら、足立が言うところの『予告』のマヨナカテレビを見ていた。ベッドの足の側に置かれたノートパソコンのモニターが黒く沈黙する一方で、大型の液晶テレビは現実のハイビジョン番組さながらの鮮明な映像を創面の少年に見せていた。

 

「……」

 

 これまでの予告では登場人物は一人だけだったが、今晩は二人映っている。一人は長袖のシャツを着た少年で、両手を振り回しながら逃げるように走っている。いや、逃げるようにではなく本当に逃げている。得体の知れない怪物に追いかけられるという、よくある悪夢そのままの姿だ。色白の顔は汗まみれで、黒目勝ちの目は恐怖で強張っている。

 

 そして二人目の登場人物は、逃げる少年を追いかけている少年だ。年頃は逃げる方と同じくらいの若い男だ。皆月は深夜のテレビで何度か見ていて、知っている顔である。普段は取り澄ましているその顔には、憎悪で目を爛々と輝かせた凶相が浮かべられている。

 

 凶悪な少年は手ぶらではなく、長さが一メートル半ほどの金属製の棒を脇に構える形で持っている。棒は真っ直ぐではなく中ほどの位置で二股に分かれ、間に細長い板を挟んだ特殊な形状のものだ。先端には円形の板が取り付けられていて、何かの文字が書かれていた。

 

「何だありゃ……バス停?」

 

 皆月が呟くのとほぼ同時に、追われる少年は前につんのめって勢いよく転んだ。そして追う少年が追いついた。猛り狂う少年は武器を大きく振りかぶる。哀れな少年は倒れたまま振り返り、必死になって両手で顔を覆う。やめてくれと命乞いをするような仕種だが、相手はもちろん聞かない。凶器のバス停を倒れた少年に容赦なく振り下ろす。『高校前』と書かれた先端部が顔に叩き付けられ、鮮血が飛び散る──

 

 その様が、皆月にははっきり見えている。足立は三種類あるマヨナカテレビを全て鮮明な映像として見ているが、皆月も同じなのだ。そして見える分だけ、分かる事柄も多い。

 

「ふん……ド素人め。んな振り方じゃあ、人は殺せねえぜ」

 

 皆月はマヨナカテレビに興味を失い、頬杖を外して仰向けに寝転んだ。6月に『録画』が放映された時は、出演者の下手さ加減に腹を立ててテレビを叩き切ってしまった。だが今日は4月から通算三台目となるテレビは、八つ当たりをされずに済んでいた。皆月は怒る気力も失って、退屈な日々にただ腐っている。

 

「あー……つまんねえ……」

 

 やることがないのだ。皆月の年齢は十代半ばだが学校に通ってはいないし、働いてもいない。それでいて衣食住には困らない。ある事情によって、かなりの大金を持っているから。しかし金の使い道は特にない。贅沢に興味はないし、面倒を見なければならない人もいない。

 

 興味があるのは戦いだけだ。しかしテレビの中でも外でも、皆月は戦えないでいる。ミナヅキに止められているからだ。

 

 皆月は強い。特別捜査隊とシャドウワーカーの本部と支部、つまりは稲羽市と港区にいる全てのペルソナ使いと比べても、屈指の実力を持っている。しかし最強ではない。ないが故に、行動は極端に制限されてしまっている。今月の霧の日に至っては、家から出ることさえできなかった。鍛え抜かれた鋼の手足は、振るう機会を見失って埃をかぶっている。

 

「……」

 

 力は持て余し、心は行き場所がない。こういう時、人はどうしてこうなってしまったのかを考える。

 

(父さん……)

 

 思い出されるのは一人の科学者だ。孤児だった皆月を拾い、力を与えた男。だがその男はもうこの世にいない。皆月は長い期間に渡って植物状態になっていて、目覚めたのは最近なのだ。その時にはもう、父と呼んだこともあるその男は死んでいた。調べたところ、死期は一昨年の11月。表向きは自殺となっているが、真実は違う。殺されたのだ。殺したのは──

 

『腐ってるクマねー!』

 

 足元から突然声が湧き上がって、皆月の思考は中断された。体を起こしてみれば、ノートパソコンのモニターに謎の生き物が映っていた。深夜の特撮ヒーロー番組のレギュラーの一人で、先週の放送では主役級の扱いだった青と赤のコントラストが印象的な着ぐるみである。ただ普段とは装いが違っていた。

 

 丸い頭には、軍帽めいた形の黒い帽子が乗っている。あってなきがごとしの首には、紫のマントを巻き付けている。金色の髑髏の意匠が施された杖を、ゴムまりのような手に持っている。極めつけは、にやりと笑う口の端で咥えた葉巻だ。とてつもなくわざとらしい、不審極まる仮装である。

 

「何だ、てめえ? クマ吉……だったか?」

 

 これはマヨナカテレビではない。まず時刻が違う。悠が久保をリンチしていた映像が消えてから既に数分が過ぎており、電源を入れていないテレビは何も映していない。次に映る機械が違う。これまでのマヨナカテレビは、パソコンのモニターには映らなかったはずである。

 

『ふっふっふー! 世の中ヒガんでる哀れなクソガキに、救いの手を差し伸べに来たクマよー!』

 

 そして最大の違いは、思わず発せられた皆月の声に対して返事が来たことだ。画面に勝手に映し出されるばかりか、画面越しに話ができる。まるでテレビ会議である。

 

「んだとお!? 誰が僻んでんだ!」

 

 しかし皆月は深夜の異常事態そのものには気を払わない。それより自分について言われたことに反応する。やる気なく腐っていた目に力が急激に戻った。大地に旱魃や飢饉をもたらし、甘える人間を厳しく締め付けて峻烈な信仰を育む砂漠の太陽のように、激しい光が双眸から放たれる。

 

『あー、ほれ! そこのチミ! いいモーケ話があるクマよ! 一口乗らない?』

 

 その光をいなして、突然セールストークが始まった。しかもあからさまに胡散臭い。もしクマがジュネスでこんな言い草をしようものなら、陽介が許しておくまい。だがこれはジュネスのコマーシャルではないので、モニターの着ぐるみは勧誘を続ける。

 

『世界を焼畑するクマ! キズナとかナカミャとか……』

 

 なかみゃ──

 

「てめえ……噛んだな?」

 

 人呼んでガッカリ王子。いや、ガッカリゆるキャラであろうか。皆月の目に呆れの色が差す。

 

『オ、オッホン! とにかく! キズナだの何だの、クッサイ奴らをまとめて消毒しちゃってえ、上品な世界にするクマ! チミ、そーゆーのキョーミないクマか?』

 

「へえ……面白えこと言うじゃねえか」

 

 皆月は唇の端を吊り上げた。最初は『何だこいつ』くらいにしか思っていなかったが、今の話には心惹かれるものがあった。別に世界をどうしようなどとは考えたこともないが、興味は湧いた。戦いの匂いがしたのだ。それこそが自分がやりたいことだ。自分ができる唯一の、しかも絶対の自信があることだ。

 

 どうせ思いのままにならない、下らない人生なのだ。ならばいっそ『クッサイ』素人集団の一員であるはずの、この着ぐるみの裏切りに乗るのも悪くない。胡散臭いセールスも、ここまで来ればいっそ清々しい──

 

『翔、待て!』

 

 皆月は突然目の前に開かれた崖へと、さっさと飛び込もうとする。しかしそれを引き留める声が頭の中で響き渡った。弦楽器をでたらめに弾いて全力で不協和音を奏でるような、頭痛を催す鋭い声だ。皆月が片目を閉じて眉を顰めた瞬間、胸が青く光った。服の上からでも見えるくらいの強烈な光だ。

 

 黄昏が訪れて太陽は沈み、月が昇る。

 

『あら、選手交代クマ?』

 

 マヨナカテレビの予告に映ったバス停を振りかざす少年と似た狂気の光は、皆月の双眸から去った。代わって酷薄な眼差しが現れ、モニターに映る『クマ』を見下ろす。ミナヅキが表に出てきたのだ。皆月の意思に反して。

 

「貴様……あの着ぐるみではないな。奴のシャドウを操っていた者か?」

 

 今月のマヨナカテレビの録画放送で特捜隊の戦いを見た時から、ミナヅキはクマの影にある疑いを持っていた。元来はクマから生まれたシャドウだったかもしれないが、明らかにそれだけではなかった。何者かが何らかの意図を持って、干渉していたはずだ。何者かと言えば、まずもって人間ではない。ただのシャドウでもない。それらの上位に立つ、いわば超常の中でもより超常の部類に属する存在だ。意図は不明だが、悠を支援することがその一つだった。ミナヅキはそう睨んでいた。

 

『ウッヒョー!』

 

『クマ』は目を丸くした。喋る着ぐるみは表情も豊かだ。笑顔だけでも、無邪気な子供のそれから悪意に満ちた嘲笑まで、幅広く取り扱っている。怒りも悲しみも思いのままに、自由自在に顔を作れる。そして目の色までも変えられる。

 

『なかなか鋭いな……さすがは女神の一片と言うべきか』

 

 モニターに映る着ぐるみの目が金色に光り始めた。月光を思わせる瞳はシャドウの証である。だがシャドウ以外にも金色の存在はいる。

 

『だが答えは否だ。見てはいたが、操ってはおらぬ』

 

「貴様は何者だ」

 

 尋常でない形での『クマ』の出現にも、突然口調を変えたことにもミナヅキは動揺しない。機械さながらに感情を制御した、冷たい声で誰何する。

 

『何者だ……か。くくく……人間のようなことを問うのだな』

 

 対する着ぐるみの姿をしたものは、薄く笑う。

 

『太古の日々より、在って在り続ける者である』

 

「なるほど……神か」

 

 それも邪神だ。テレビの霧の向こう側に潜んでいて、悠を支援していた者とは違う。そしてそういう者が現実に存在することに、ミナヅキは何とも思わない。神が眼前に現れれば信心深い人間ならば恐縮するだろうし、信心のない人間ならば目を疑うだろう。しかし本質的に人間の範疇から外れているミナヅキから見れば、神と人は自分と等距離にある。昼夜の移り変わりや潮の満ち引きのように、存在して当然の、極めて自然なものと見なしている。

 

「どうして目覚めた」

 

 しかし神はそうそう頻繁に現世に現れるものではない。そうでなければ、人間の間で無神論がこれほど流行しない。人類の歴史を通じて一度しか現れないとまでは言わないが、神の出現はやはり稀有な事態である。

 

『くくく……目覚めた?』

 

 引き絞った弓のように張り詰めたミナヅキとは対照的に、神は鷹揚に構えている。

 

『欲に塗れ、己が為にのみ生き、死に触れなんと望むは人の業というもの。まして死の封印なき今世にあっては、我はいつでも現れる』

 

(死の封印……?)

 

 聞き慣れない言葉だった。ミナヅキは自身の存在に由来する、世間から隠された魔術的な知識を持っている。その他にも、桐条グループの過去の所業などもある程度把握している。しかし『死の封印』と呼ばれるものは、ミナヅキの知識の範囲内にはなかった。

 

『敢えて言うならば……そう、我が父の似姿を得た者が禍津に誘われた故……とでも言っておくか』

 

(父の似姿……鳴上のペルソナのことか? するとこいつは……いや、あまり深入りしない方が良いか)

 

 神が何を言っているのか、ミナヅキには何となく推測できる。マヨナカテレビではペルソナの名前は頻繁に呼ばれており、それらの神話上の謂れなどもミナヅキは知っているから。だがそれを確認することはやめておいた。自分から聞いておいて何であるが、神が目覚めた理由はミナヅキにとってそれほど重要な問題ではない。また神の実態について、あまり聞きすぎるのも良くない。聞けば聞くほど、かえって惑わされる恐れがある。

 

「なぜこの子を誘う」

 

 ミナヅキにとって重要なのは皆月だけだ。

 

『世界を焼き殺すが、我が使命である故だ』

 

(焼き殺す……)

 

 焼き滅ぼすではなく、焼き殺す。このような言い方をするからには、『世界』とはこの世のこととは限らない。例えばタロットの大アルカナにおける最後のカードのこととか。もしくは霧に覆われたテレビの世界かもしれないし、現実の霧そのものかもしれない。だがいずれにせよ、穏やかな話ではないはずだった。

 

「どうやってやる。必ず邪魔が入るぞ」

 

『例えばこの男か』

 

 モニターから着ぐるみの姿が消え、代わって一人の男が映し出された。知っている顔である。現時点で皆月とミナヅキを凌ぐ実力を持つ唯一の男。この男がいる為に、皆月は誰とも戦えないのだ。当代最強のペルソナ使い、有里湊だ。ただしオールバックの今とは髪型が異なっている。長く伸ばした前髪を垂らしていて、右目はほとんど隠れている。顔立ちも全体的にやや幼い。そして着ているものは高校の制服だ。

 

 画像が有里から着ぐるみに戻ると、不思議なセリフが発せられた。

 

『貴様らにすれば、父の仇……とでも言ったところか?』

 

 父──

 

『てめえ……!』

 

 ミナヅキの中で皆月が大きく動いた。頭に棒を突き入れられたような激しい痛みが走り、心臓は打楽器のように激しく打ち始めた。普段であればミナヅキは皆月を抑えるのに苦労はしない。だが今ばかりは普段と違っていた。なぜなら皆月は『父』に関しては、怒りを抱く資格があるのだ。子供じみた我がままに過ぎない癇癪も、そこに『正当性』が加わる時、皆月の勢いはミナヅキの不感無覚を打ち破りかねない力を発揮する。

 

「翔、やめろ!」

 

 声を出して、心の中で騒ぐ子供をかろうじて抑えた。痛みで歪む顔を何とか動かし、モニターを鋭く見据えて言い放つ。

 

「俺たちに父などいない! 俺にも、この子にもだ!」

 

『ふふ……そうかそうか』

 

 神は依然として鷹揚に構えている。子供と『親』のいずれの怒りも笑って受け流す。そして『親』がどれだけ必死に子供を抑えても、結局は意味がない。

 

『幾月なんざどうでもいい! それより続きだ!』

 

『聞きたいか? ならば代われ、女神の一片よ。我は貴様に用はない』

 

 皆月とミナヅキは、表に出ないでいる時は『声』も体の外に出ない。つまり互いしか聞こえないはずなのだが、モニターに映る着ぐるみには聞こえている。つまりミナヅキが全身全霊の努力を払って皆月を隠しても、意味はないのだ。そして隠せないことそれ自体が、この着ぐるみが尋常な存在ではないことを証明している。

 

『ミナヅキ! てめえは引っ込んでろ! 僕が話す!』

 

「……おかしなことを吹き込むなよ。この子を罠にかけるつもりなら、俺が許さん!」

 

 二人が共有する心臓から再び光が放たれた。ただし服を通せば微かに見える程度の、小さな赤い光だ。それが一瞬浮かび上がって、すぐ消えた。

 

 黄昏を経て天に昇った月は、暁に至って再び太陽に場所を譲る。

 

「聞かせろよ……どうやってあのクソ野郎をぶっ殺す!?」

 

 皆月は身を乗り出して、ノートパソコンのモニターを掴んで創面を寄せた。世界の焼畑から話がずれていることは気にしない。

 

『あの男の妻だ』

 

 モニターに一人の女が映し出された。いや、『女』ではない。その形をした『もの』である。肌は白く金髪碧眼の美少女といった風情だが、それは顔だけだ。首から下は金属の装甲に覆われ、手足の関節からは明らかに自然物でない機構がはみ出している。顔にしても、よくよく見れば不自然だ。肌は雪や大理石にたとえるべき白さ、と言うより、人間にしてはあまりに白すぎる。そして青い瞳は、どこか焦点がおかしい。

 

「何だこいつ……ロボットじゃねえか。こんなんが嫁だってのか?」

 

 アイギスだ。0時を過ぎてから始まったマヨナカテレビもどきは、有里を高校時代の姿で映し出したように、その妻を過去の、夫と出会って間もない頃の姿で映し出した。それは見方を変えれば、この映像を映し出している主体は『全て』を知っている存在ということになる。

 

『この女を利用するのだ。手始めに、この女の姉を引き入れる』

 

 映像は『女』から再び金の瞳の着ぐるみに戻った。そしてある謀略が語られた。

 

 それは恐るべき策だった。計画を実行する舞台、そこに敵を引きずり出す方法、多勢が見込まれる敵を制圧する基本的な戦略、更には使える手駒について、モニターに映る人外の存在は語った。皆月はそれらを聞くうちに、創面に笑みを浮かび上がらせた。難度が高すぎて投げ出してしまったものの、ずっと惜しく思っていたゲームの確実な攻略法を聞いたように。

 

 そして切り札となる策を聞いた時には、もう完全に笑い出してしまった。鷲掴みにしていたパソコンから手を離し、鋼鉄の腹を抱えて大笑いした。

 

「くくく……はっはっは! そーかいそーかい! 面白えじゃねえか! クマ吉のくせによお! 気分ソーカイにしてくれんじゃねえか! クマ吉のキチは基地の外ってか!」

 

『ふっ……小僧、言葉には気を付けよ』

 

「ああん!?」

 

 久しぶりに爽快になったところへ冷や水を浴びせられ、皆月は眉根を寄せた。感情の起伏は驚くほど激しい。

 

『この姿は仮のもの。我はあの人の形を得た影ではない』

 

 人の形を得た影──

 

「はっ! んじゃてめえ、名前は何てんだ!?」

 

 皆月は相手の名を尋ねた。あっさりと、簡単に、軽率に。

 

『くく……心して聞け』

 

 尋ねられた側は雰囲気を変えてきた。金の瞳は輝きを増し、着ぐるみの体全体が炎の色を湛え始めた。自然の夕焼けと朝焼けが同時に来たような、矛盾した感慨を催すほどの壮絶な紅がモニターを覆う。画面から溢れ出して現実の部屋をも覆わんばかりである。

 

『我はヒノカグツチ……世界を焼き殺す者である』

 

 一口に神と言っても、その言葉の意味するところは語られる文脈によって様々だ。世界を創造した超越的な造物主を指す場合もあるし、大樹や巨岩に宿る精霊のような比較的身近な神秘の存在を指す場合もある。甚だしい場合は、カリスマ性を持つだけの生きた人間を祭り上げて神と称することもある。

 

 しかしそうした人間の観念や霊感に基づいた存在や、単なる幻想や言葉のあやなどではない、実体としての神が現実に存在するのであれば、どうだろうか。その権能、思想、そして存在意義は、人間の理解力や想像力が及ぶところにあるとは限らない。神が神自らの意思によって動き出す時、人はどうすればよいのか?

 

『畏れ入ったか? 小僧……』

 

「いるか、ボケ!」

 

 畏れる、敬意を払う、信仰する。或いは他の神の加護の下で立ち向かう。人が神にどう向き合うかは、様々な道があり得る。目に見えない神に対してもそうなのだから、目に見える神に対しても様々だ。そして皆月が選んだ道はこれだ。

 

「大体なあ! 僕はゾウの子供じゃねえ! 皆月翔だ!」

 

『契約成立だな』

 

 名前は存在を縛る最も古い呪術である。よって互いに名を名乗ることは、それ自体が『契約』の証明となる。そのルールを当事者が知っているかどうかは関係ない。かつて有里が初めて『契約』を結んだ時も、そうとは知らないままカードに署名したように。

 

『んっとねえ、クマはあ、クマ総統クマ! ソンケーを込めて、総統閣下と呼びんしゃーい!』

 

『契約』が済んだ途端、神は突然元の調子に戻った。世界を焼き払う炎を連想させる赤色は、パソコンのアクティブウィンドウを切り替えたようにモニターから唐突に消えた。戻ってきた着ぐるみは甲高い声で愛嬌を振りまく。

 

「あんだ、てめえ……調子狂うぜ」

 

 皆月は再び呆れた。4月に本物のクマが泣き出して悠と陽介の調子を狂わせたように、態度の急激な変化は人を戸惑わせる。しかしこれは目の色と言葉遣いを変えたに過ぎない。皆月とミナヅキのように、本質的に別の存在に入れ替わったわけではない。着ぐるみは仮の姿であり、『クマ総統』は仮の名前に過ぎない。

 

 世界の宗教においては、神の名を口にしたり、神の姿を形にしたりするのを憚る場合がある。一神教では特にその傾向が顕著だ。よって神にとっては仮の姿で現れ、仮の名前で自分を呼ばせるのは、ごく当たり前のことである。それは神と向き合おうとする人間を、余計に惑わせることにもなるのだが──

 

『確かにその策ならば……有里を倒すことはできる。あの男さえいなければ、他の雑魚などどうとでもなる』

 

 皆月と違って、ミナヅキは惑わない。皆月に体と交渉の主導権を譲ってから、初めて声を発した。表には出てこないが、この場の三人で話す分には支障はない。出てこないまま、ミナヅキもまた決定的な言挙げを行った。

 

『いいだろう。この子が望むなら、世界であろうと滅ぼすのみだ』

 

 女神の一片。画面に映る着ぐるみがそう呼ぶミナヅキに良識といったものはない。あったとしても皆月を優先する。成算のない無謀な冒険には反対するが、見込みがあるなら話は別だ。皆月が望む限りは何でもやる。世界そのものを滅ぼすのも、世界のアルカナを持つ者を殺すのも、どちらも躊躇いはない。

 

『だが覚えておけ。裏切りは許さんからな!』

 

『心配しなさんなー! 人間と違って、クマは嘘吐かない!』

 

 そう。この着ぐるみは人間ではない。有象無象のシャドウでもないし、もちろん本物のクマでもない。クマの影の背後にいた者でもないが、その同類ではある。即ち神だ。

 

 日本神話で語られる神々は多分に人間的である。彼らの超越者らしからぬ振る舞いは、神典や各地の伝承において数多く伝えられている。しかし神が冗談のような言動をするからと言って、それそのものは神の尊厳を損ないはしない。たとえジュネスや商店街でアルバイトをしている神がいたところで、それは神が落ちぶれた証明とは言えない。神が存在意義を失うとすれば、人から忘れ去られた時だ。つまり人々の信仰を得られなくなった時である。

 

 言うなれば、モニターに映る神は己を祀る祭司を得たのだ。狂犬のような祭司であるが、それは問題にならない。狂気は信仰の一形態だ。それも極めて強力な。しかし──

 

「んで、いつやるんだ! 今日か? 明日か?」

 

『んー、早くて冬? 遅いと来年の春ってとこクマねー!』

 

 逸る祭司に神は再び冷や水を浴びせた。

 

「はあ!? 今は夏だぜ! ソートー閣下よお! ソートー先じゃねえか!」

 

『ぷぷぷー! ヅッキーってば、おもしろーい!』

 

 皆月にとって自分のダジャレを他人に笑ってもらったのは、ほとんど初めてだ。しかし初の成果を喜びはしない。ベッドに置いてあったノートパソコンを掴んで、再び創面を寄せる。

 

「ざっけんな! んなに待ってられっか! 今すぐやるんだ!」

 

『月が満ちるまで待て』

 

 神の瞳は再び金色に光った。モニターに顔を近づけすぎた皆月の視界が、金色に染まる。

 

『言ったはずであるぞ。あの女を利用するとな。あ奴が子を産まぬうちは、策は成り立たぬ』

 

『翔、残念だがこいつの言う通りだ。今は時期を待つべきだ』

 

「ちっ……」

 

 ミナヅキが口添えすると、皆月は舌打ちを一つして大人しくなった。以前はよく見られた光景である。6月頃から皆月はミナヅキに諌められても収まらない場合が多くなっていたが、今日は収まった。モニターから顔を離し、パソコンをベッドに投げ出した。皆月は言動は荒すぎるほど荒いが、決して愚かではないのだ。狂気と理性は両立し得る。

 

『そんじゃあ、次に霧が出る頃また会うクマ! 多分来月の今くらいクマ!』

 

 それで『テレビ会議』は終わった。電源の入っていないパソコンのモニターは、ただの黒い画面に戻った。マヨナカテレビと似て非なる現象は、機械に痕跡の一片も残していない。

 

「冬か春か……ま、しゃあねえか」

 

 皆月は激しやすいが、その分冷めるのも早い。誰でも四六時中怒り続けてはいられないが、皆月は特にそうである。即時の計画実行はあっさり諦めて、ベッドに寝転んだ。すると──

 

「ん?」

 

 カーテンを開け放した窓から、月の光が差し込んでいるのに気付いた。午後から降り続いていた雨は、役目を終えたとばかりに上がっていた。天を覆っていた雲は急激に晴れて、濡れた地上を円い月が冷やかに見下ろしている。

 

「くくく……」

 

 月は人間の精神に影響を与えると言われている。世間では俗説扱いされているが、桐条グループの研究によれば真実であるとされる。そして月はシャドウにも影響を与える。それを裏付けるように一昨年の4月から翌年の1月末まで、月が真円を描く度にペルソナ使いたちは大きな戦いを繰り広げていたのだ。そして偶然か必然か、今夜は満月だった。

 

「ははは……あーはっはっは!」

 

 狂気の光に照らされて、皆月は笑う。癇癪は永続しなくても、永続する心はある。

 

「有里よお……首を洗って待ってろよ! 八つ裂きにしてやっからなあ!」

 

 月光を映した狂気の仮面は、皆月の血肉に食い込んでいる。それを外して捨て去ることは誰にもできない。皆月本人にも、ミナヅキにもできない。殺さない限り外れないほど、深く染み付いている。

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