ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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死の縁(2011/8/14、8/17)

 今年8月14日は満月である。二年前にシャドウと戦っていたペルソナ使いたちは、常に満月の日取りを意識していた。その為、彼らが当時住んでいた部屋のカレンダーには、全て月齢が書き込まれていたくらいである。しかし現在の彼らは満月を意識していない。今年の戦いにおいて注目すべきは、月齢ではなく天候であるから。二年前の戦いを経験した者たちも、経験していない者たちも皆そうである。意識しているのは二人だけだ。

 

 

 真円を描く女神が晴れ渡る中天から地上を見下ろす中で、ミナヅキは片膝をついて月光が落とす自分の影に右手を当てていた。左手にはスマートフォンを持っている。場所は稲羽市立病院の駐車場だ。昨日の未明、シャドウワーカー稲羽支部の戦いがあった場所である。

 

「戦いはそこまで激しくはなかったようだな」

 

『はん……雑魚ども以下のゴミシャドウしか出なかったか』

 

「そのようだな。だが欠片は拾えた……奴は嘘を言ってはいない」

 

 ミナヅキは膝を起こして立ち上がった。力を入れれば鋼鉄の強さを帯びる右手は開かれて、光る砂粒のようなものが、掌にそっと載せられている。一見すると地面から拾ったようだが、夜の駐車場にあるのはただのアスファルトだけである。目に見えないものを拾って、拾った途端に見えるようになった。

 

『だからゆーたでしょーが! クマは嘘吐かない!』

 

 スマートフォンに突然映像が映し出された。軍帽をかぶって葉巻を咥えた不審な着ぐるみ。特別捜査隊の一員ではなく、それに似せた者。クマ総統だ。

 

「では貴様の策が実現できるものなのか、試させてもらおう」

 

『まーったく、疑り深い子ね! 好きにしんしゃい! 作り方は教えたとーりクマ!』

 

 電源を入れていない携帯端末に映っているものは、マヨナカテレビではない。ミナヅキと総統は画面越しに会話もできる。つまりこれは一方的に情報を流す昔ながらのテレビでなく、現代風の双方向テレビまたはテレビ会議と言ったところである。それはつまり総統は誰かさんと違って、年々速度を上げる時代の変化に取り残されず、しっかりついて行っているということだ。

 

「ふん……そういうことだ。いいな、翔」

 

 ミナヅキは満月とその下にある病院の建物を見上げながら、心の中にいる者に話しかけた。

 

『……』

 

 しかし返事はなかった。

 

「翔?」

 

『あ? 何でもねえ……』

 

 皆月は病院という場所に縁がある。病院そのものにも、そこから連想される場所、例えば研究所にも皆月は縁が深い。だから『何でもない』のではない。しかしこの時の皆月はそう言わなかった。

 

 

 

 

 17日の水曜日の夜、悠は病院で働いていた。先日に人が亡くなったという病室で黙々と床にモップをかけ、棚に雑巾をかける。

 

 悠は今週の月曜日から、陽介からの援軍要請により昼間はジュネスでアルバイトをしている。今日はそれを終えた後で、バスに乗って病院に来たのである。昼夜なく働くことになった最大の理由は、先月に四六商店で購入したエレキベースだ。あれは持ち合わせがないのにツケで買ってしまった為、何が何でも働かなければならなくなったのだ。だがその甲斐あって、今週末には借金を返済して綺麗な体になれる見込みである。

 

 しかし悠は衝動買いした楽器以外に関しても、何かと入用ではある。友人の多い人気者は、出費も多いのだ。今度の土曜日は特捜隊の仲間たちと辰姫神社で行われる夏祭りに行くし、来週はバイクで海に行く予定である。

 

 おかげで夏休みになってからというもの、悠はアルバイトを精力的にこなしてきた。先月から学童保育も始めたし、そのうち家庭教師もやってみようと思っている。長い夏休みにありながら、無為に過ごす日はほとんど一日もなさそうな勢いだ。だが面倒くさがりを返上した悠は、多忙な日々を苦にしていない。むしろ忙しくすればするだけ成果が出るので、面白く思っているくらいである。

 

 成果とは収入だけではない。絆もある。学童保育では児童の母親の一人と、ここの病院ではある看護師との間に新たなコミュニティが築かれたのだ。そして病院関係ではもう一人、少し不思議な感じのする老婦人がいる。そちらとはまだコミュニティが発生していないが、ありそうな予感がしている。

 

(今日辺り、出てこないかな。事件、まだ続いてるんだし……)

 

 今月に入ってから、殺人事件の捜査状況について警察から発表があった。先月に自首した少年は、最初の二件については無関係だと。分かっていたことだが、事件はまだ終わっていない。特捜隊の戦いはまだ続く。戦う為には、悠はコミュニティでペルソナを強化する必要がある。だから絆は積極的に結ばねばならないのだ。

 

 そしてそうした打算目的以外に、純粋に人付き合いを楽しむ気持ちもある。例えば悪魔の絆の担い手である看護師は、色々と期待を持たせてくれるし──

 

 などといささかの邪念を抱きながら、また次の病室へ向かった。すると不意に聞こえてきた声があった。

 

「私がお父さんを……」

 

「いいえ……貴女のせいではないわ」

 

 薄暗い廊下の角を曲がったところで、話し声が聞こえてきた。声の種類は二つ。若い女と年配の女の声だ。

 

「憎しみで人を殺すなんて、誰にもできないわ。貴女も、私も……」

 

 見てみれば、ある病室の扉前に置かれた長椅子で、入院服を着た若い女と喪服を着た老婦人が並んで座っていた。俯いて嘆いている若い方を、年をとった方が慰めているような様子である。二人の位置は若い方が悠に背を向ける形で、そちらの顔は見えない。しかし悠の側を向いている、年配の方には見覚えがあった。あるのだが、気軽に声をかけるのは難しそうな雰囲気が漂っている。場所が場所だけに、誰かの死にまつわる何かがありそうだ。

 

(……どうするか)

 

 邪魔をしないよう、元来た廊下を引き返すべきかと悠は一瞬考えた。だが次の瞬間には、こういう時こそそっとしておいてはならないと、自分一人で思い直す。自分は厄介事に踏み込む勇気があることを、自分に証明してやりたい気持ちになる。元より夜の病院というものは薄気味が悪い。しかし暗がりで何かが倒れて不吉な物音を立てようと、動じず仕事をこなすくらいの勇気は、もう身に付けているのだから──

 

 などと一人で葛藤している間に、悠は自分から話しかけるタイミングを逸した。年配の方がふと顔を上げて、悠のいる廊下側を見たのだ。

 

「あら、貴方は……」

 

「どうも」

 

 悠は清掃員の帽子のつばに手をかけた。この老婦人の名前はまだ知らないが、顔は何度か見ている。すると若い女が座ったまま、悠の側を振り返った。

 

「え……鳴上君?」

 

 名前を呼ばれて、悠はそちらにも気付いた。長椅子に向かって歩きながら、途中で病室の引き戸近くの壁にかけられたネームプレートを確認しつつ、若い方の名を呼んだ。

 

「小沢?」

 

 入院服を着ている若い女は、演劇部の同輩で太陽のコミュニティの担い手である結実だ。一学期を終えて以降で顔を見るのは初めてだった。悠が清掃のアルバイトを始めたのは今月の初めだが、毎晩来ているわけではないから。

 

「結実ちゃんのお友達?」

 

「ええ、同じ高校なんです」

 

 悠は先週からこの老婦人の姿を、ちょうどこの辺りの廊下で何度か見かけていた。場所の雰囲気と相まって、幽霊の類かと思ったこともある。しかし鍛えた勇気で、その都度踏み留まっていた。そして初めて言葉を交わしてみれば、決して幽霊などではなかったことを確認できた。当たり前と言えば当たり前だが。そうしたいわば『当然の結果』にまた気を強くして、悠は一歩踏み込んだ。

 

「鳴上悠と言います」

 

「悠ちゃんね。私は黒田ひさ乃……」

 

 奇妙なくらいによく出会うので、コミュニティが得られるかもしれないと、悠は以前から睨んでいた。密かな期待を込めて名乗ってみると、名前を聞き出せた。良い傾向である。しかし──

 

「死神よ」

 

 喪服姿の老婦人、ひさ乃が名前の次に自分を表す為に用いた言葉は、完全に予想の外にあった。『ここで死んだ幽霊よ』であれば驚きはしただろうが、まだ想定の範囲内だ。しかしこれは外れている。

 

「え?」

 

「ふふ……嘘よ。そんなわけないわよね。忘れて」

 

 しかし自分で自分の言ったことを、すぐに否定する。柔和そうな笑顔を浮かべながら、何とも優しげに。

 

「若い子同士の方がいいかしらね……年寄りは退散するわ」

 

 ひさ乃は長椅子から立ち上がった。杖をついていて、腰は大きく曲がっている。

 

「それじゃ、後はよろしくね」

 

 一体何が『よろしく』なのだろうか。自分についても結実についても、ひさ乃は何一つ説明せず廊下を歩いて去っていった。随分な高齢であるはずだが、その足取りは不思議と軽かった。

 

「……」

 

 果たしてひさ乃は、何を言いたかったのだろうか。悠はさっぱり分からなかった。分からないから、コミュニティの発生を告げる『我』の声もなかった。

 

「鳴上君……どうしてここに?」

 

 しかしいつまでも混乱している場合ではない。絆を予期している立ち去った相手よりも、絆が現にあってここに残っている相手の方が優先である。

 

「掃除のバイトしてるんだ」

 

 言いながら、悠は再び帽子のつばに手をかけて少し持ち上げた。それでこの日、若い二人の視線は初めて出会った。どこぞのガソリンスタンドの店員のように、思わせぶりに目を隠すようなことはしない。

 

「そっか……」

 

「どこか悪いのか?」

 

「悪いって言うか……うん、悪い。最悪なくらいに……」

 

 確かに結実の顔色は悪い。やる気のない演劇部の部員の尻を容赦なく引っぱたく激しさは、どこを探しても見つからない。

 

「部屋に入ったら?」

 

「ん……」

 

 結実は長椅子から腰を上げた。いつもの結実なら、背筋は天井から重しを吊るした糸のように真っ直ぐ伸びているものだが、今日はそれも心なしか曲がっている。ひさ乃ほど大きく曲がってはいないが、それ以上に曲がっているように、なぜか見える。

 

 

 二人は廊下から病室に移動した。ベッドが一つしか置いていない個室だ。遅い時間である為もあろうが、見舞い人もいない。傷つき疲れた病人を寝かせる為にあるベッドに、結実は腰掛けた。悠はその脇に立つ。

 

 入院患者にかこつけて仕事をサボってしまっているわけだが、悠はその点は気にしないことにした。ここではある看護師に頻繁にちょっかいを出されて、少しの時間のサボりなら毎度のようにやっているから。かの悪魔のナースがこの場にやって来たりしたら、色々と面倒な事態になりそうではあるが、それも気にしないことにした。

 

「何があったんだ?」

 

「……」

 

 悠が尋ねるが、結実はしばらく答えなかった。

 

「今のお婆さん……死神だって」

 

「そんなわけないだろう」

 

 時間を置いて返ってきた言葉は、質問の答えではなかった。対する悠は、何を馬鹿なと言わんばかりに応じる。人間は死神ではない。当たり前の話だ。

 

 そして当然の話ということ以外の意味でも、悠が言っていることは正しい。ひさ乃は本人の心理はともかく、真の意味における死神では決してない。死神と言えば二年前にポートアイランドに降臨した、黄色いマフラーを巻いた軽薄な少年である。彼と同じ要素を、ただの人間であるひさ乃は持っていない。

 

「そうよね……。私の方が、ずっと死神……」

 

「何があったんだ?」

 

 もちろん死神の少年と同じ要素を、結実も持ってはいない。しかしかの少年を知らない悠は、そう反論することはできない。ただ同じ質問を繰り返した。

 

「お父さんが……死んだの」

 

 二度目で結実はようやく答えた。結実の父親は十年前、妻子を捨てて出ていった。しかし最近になって戻ってきて入院した。悠はこの話を、6月に結実自身の口から聞いている。ただしそれだけで、その後の経過などは聞いていなかった。

 

「……」

 

 悠は沈黙した。こういう場合は、『残念だ』とか『お悔やみ申し上げます』とでも言うべきであろう。他人行儀な物言いだが、それくらいしか言葉が思い付かない。しかしそう言いたくもなかった。

 

 夏休みの悠はアルバイトで忙しいが、一学期の間も色々あって忙しかった。色々とはまさに色々だが、具体的には千枝と雪子との付き合いが一番多かった。二人合わせれば、特捜隊としての捜査活動やテレビの中での戦いよりも確実に多かった。その一方で、太陽のコミュニティはかなり後回しにされていた。

 

 つまり悠と結実の仲は、決して深くないのだ。父親の見舞いに同行するなどのことも、今までなかった。その程度の付き合いで、社交辞令以上の言葉を口にするのはなかなか難しい。しかし臆病な面倒くさがりを返上した、少なくとも返上したと思っている悠は、ありふれた弔辞でお茶を濁すのも気が進まなかった。

 

 普段から口数の少ない悠は、何か相応しい言葉がないかと平静な顔の裏で必死に探す。しかし見つける前に先手を打たれた。

 

「私が殺したの……」

 

 悠は驚いた。眼前の少女は何を言っているのか、理解が及ばなかった。

 

 殺す、殺した──

 

 だが理解できなかったのは一瞬だけだった。瞬きする間に驚愕を放り捨てて、素早く否定した。

 

「そんなわけないだろう」

 

「お婆さんと同じこと言うんだね……」

 

 結実は薄く笑った。何とも言えない笑みである。悲嘆や絶望と似ていながら、微妙に違う何かを表す微笑み。敢えて言葉にするならば、『罪を責めてほしい』や『罰を受けたい』であろうか。死の淵へ進んで転がり落ちようとしているのだが、なぜか落ちずにいるような。手足に蔦や蔓が絡まって、崖から落ちるのを引き留められているような。実は自分の手で命綱を掴んでいて、落ちるのを自分で拒んでいるのか。それとも自分以外の誰かが襟首を掴んで、転落を防いでいるのか。いずれなのかは分からないが、とにかく落ちずにいる。

 

 悠が廊下に現れる前、結実はひさ乃と死の話をしていたのだ。父が死んだ。自分が殺したのだと。もちろん自ら手を下したのではないが、死を望む気持ちはあった。父が戻ってきて以来、生活は一変してしまったから。望んで、そして死んだ。それは即ち、というわけだ。

 

 しかし笑う結実を悠は遮った。

 

「笑い事じゃない」

 

 悠は結実とひさ乃の話を聞いていない。しかし言葉は重い。

 

「殺したなんて、簡単に言ったら駄目だ」

 

 結実に向ける目は鋭く、顔は真剣だ。怒りさえ滲んでいる。

 

「殺していない人を殺したと言うのは、殺した人を殺していないと言うのと同じくらい間違っている」

 

 まるで演劇でありそうなセリフだが、悠は演技で言っているのではない。先月のマリーの詩は『演技はもうやめなさい』と歌っていたが、これは本当に演技ではない。悠は死、と言うより殺しにまつわる話は、これまで人と何度かしているから。相手は陽介であり、堂島であり、マリーだった。そのいずれの時も軽々しい話ではなかった。友達相手に『ぶっ殺す』とか言うのとは、訳が違った。殺しの業は人生を投げ打つほど重いものだ。その真実の重さが悠の言葉も重くしていた。

 

「……」

 

 結実は脇を向いて沈黙した。もしこれが演劇部の練習であれば、結実は『くさすぎ』とでも叱ったかもしれない。だが今の二人がいるのは舞台ではなく、現実だ。悲劇的で不条理で、人を傷つける為に書かれた芝居のようであるが、紛うことなき現実なのである。現実にそこにいる悠の言葉から、結実は逃げられない。舞台の照明が落とされて会話の途中であっても強制的に区切られて、次の場面に勝手に移行するような都合の良さは、現実ではあり得ない。

 

「私、お父さんが死んだ日にね……」

 

 女優の仮面は通用しない。現実から逃げられない結実は、真実を話そうとした。

 

「私……」

 

 しかし言葉は続かなかった。

 

「……」

 

「……」

 

 長い時間、悠は待った。しかし話は一向に始まらない。やがて悠は帽子を脱いで、結実の隣に腰を下ろした。

 

「何があったんだ」

 

 この日三度目の質問に、結実はベッドの上で振り向いた。手を伸ばせば触れられる位置にある少年の顔を見ながら、口を開いた。そして喉まで出かかった。初めて舞台に立った時のように、震える舌を何とか動かそうとした。

 

 私、お父さんが死んだ日に、怪物に襲われたの。超能力を使う刑事さんやクラスメイトに助けられたの──

 

「……ごめん。詳しいことは言えないんだけど、私……ちょっと変なことに巻き込まれそうなんだ」

 

 それで私にもその超能力があるらしくて、仲間になれって誘われてるの──

 

「酷いタイミングだよ……。よりによって、こんな時に……」

 

 結実は両手で顔を覆った。超能力に目覚めた時と違って、爪を突き立てはしない。ただ肩を震わせ、嗚咽を漏らした。

 

「小沢……」

 

 結実が何を言おうとしているのか、悠には分からない。だが深く聞くこともできなくなってしまった。女に泣かれては、男にはどうしようもない。

 

「演技で泣けば、簡単に収まるのに……止まらないよ」

 

「!」

 

 少女は少年に体を預けてきた。その瞬間、父を殺したと自嘲する少女を、強い口調で窘めた少年はどこかに行ってしまった。残ったのは、少女に取りすがられて硬直した初心な少年だけだ。

 

「……」

 

 少年は緊張で震える手を少女の肩に回した。ゆっくりと、遠慮がちに。もし拒むつもりがあれば、子供でも払いのけられるくらい弱弱しく手を回した。

 

「……」

 

 しかし悠の手は拒まれず、そのまま結実の肩に触れた。薄手の入院服越しに体温が伝わってくる。

 

「うう……」

 

 肩に回された手に応えるように、結実は悠の背に手を回してきた。細い指を折り曲げて、清掃員の制服を掴む。拒むつもりがあっても、余程強固な意志の持ち主でなければ剥がせない。そんな力で、結実は悠を掴んだ。有里ならば、哀れな少女の体を無理に引き剥がすこともできるだろう。足立でもできるだろう。しかし悠は大人の二人ほど冷酷にはなれない。少年はそこまでの経験を積んでいない。

 

 ペルソナに目覚めた13日未明、結実は霧の中で有里の姿を見た。だが絆と力を既に極めている男は、すがりつく少女を突き放した。しかし少女は今日になって、愚者の男の代わりになる新たな愚者の少年を見つけたのだ。死神の紹介によって。

 

 喪服姿の死神は、人に死を与える力を持っていない。しかし縁結びの力なら持っていたのかもしれない。独り身の男がいれば、頼まれてもいない見合いの写真を、どこからか持ってくる田舎の風習のようなもので。ひさ乃の『よろしくね』の効果は絶大だった。眩しい太陽の絆の裏に隠れていた隠者の暗黒を、愚者と結びつけてしまった。決して付き合いの深くなかった二人の絆は、死が縁を取り持ったことによって一気に分岐点まで来た。

 

 何の分かれ道かと言えば──

 

『きらいばかさいてー』

 

 幻聴が示している。七夕の日にも聞いたはずの、あの幻聴だ。

 

(そんなこと言われても……)

 

 マリーとはベースを買った日以来会っていないが、気にはしている。だが悠はマリーを気にかけてはいるものの、別に何の約束もしていないのだ。互いが何者か互いに探そうと『契約』はしているが、あれは色恋に関するものではない。ないと思っている。多分。しかし──

 

『そんなダッサイ子のどこがいいの!?』

 

(う……)

 

 こちらの幻聴には言い訳もできない。七夕の日、あいは付き合おうと誘ってきて、悠はそれに応じた。はっきりと。それなのに、結実の涙に流されてしまっている。浮気をして良いとは思っていない。甲斐性だなどと言っても許されるものではない。それでも気持ちが昂ぶるのを止められない。そして──

 

『言ったはずであるぞ! 貴様らには、清く正しい学生生活を送ってもらうとな! それを貴様は、わしが死んだのをいいことに!』

 

(先生、申し訳ありません……)

 

 故人の幻聴に悠は頭を下げた。心の動きに合わせて、現実でも少し顎を引いてしまった。それがまた良くなかった。

 

(あ……)

 

 引いた顎がうっかり結実の頭に触れてしまい、髪の匂いが鼻孔に侵入してきた。これは若者には刺激が強い。頭を痺れさせ、目を眩ませる。そして考える力を奪う。

 

 悠はここまで近い距離で女と触れ合ったことがない。千枝と雪子とは何事もないまま終わったし、あいとは未だそういう機会を得ていない。りせともない。マリーともない。菜々子とさえない。人生初の身体的経験は、結実の肩に回した腕を完全に硬直させてしまった。結果的に、取りすがってくる女を男が受け入れるこの体勢から、一ミリたりとも動けなくなってしまった。

 

 体を動かせずにいる中で、心臓だけが暴れ回っている。若い血を過剰に流すその音が、体の外にまで響き渡りそうな勢いだ。そんな有様だから、悠の動悸は胸の中にいる結実には確実に聞かれている。その音の強さに助けを得たように、背に回された結実の手に更なる力が込められた。

 

「……明日も来てくれる?」

 

 状況からすれば、元より選択肢はないような問いかけだ。悠は三種類の幻聴に責められている只中にいるのだが、ここにいない人よりもいる人の方が強いのが世の道理である。現実は幻想に勝る。現実に住まう悠は、結実の手から逃げられない。そっとしておく選択肢は浮かびもしない。霧の鏡に金の瞳を映したことのない少女は、少年が道を踏み外さないようにと、ありがたい恐怖を与えはしない。

 

「……ああ、来るよ」

 

 かくして悠は捕まった。

 

 絆を束ねるワイルドにとって、浮気は宿命とも言えるものだ。何しろ浮気しないと強くなれないから。しかし回避する手段はある。現に高校時代の有里は絆を極めつつも、宿命の回避に成功した例がいくつかあったし、悠もこれまで二度回避してきた。だが今日この日、遂に足を滑らせ、二つ目の『特別な関係』を築いてしまった。

 

『この腐ったミカンが……』

 

(先生、貴方はいつも正しいんですね……)

 

 諸岡の閻魔帳、もとい腐ったミカン帳には、元から記されていた悠の名前の上に赤ペンで二重丸がつけられた。転入初日の腐れ認定は言いがかりではなく的を射ていたのだと、四ヶ月も経った今になって証明されたわけである。悠はそれを自分に認めた。

 

 諸岡は死してなお、悠の心に居場所を持ち続けている。しかし出来の悪い生徒は、ありがたい幻聴の叱責を貰っても行いを改めることはできなかった。

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