陽介は悠を相棒と呼ぶ。呼び出したのは、ほとんど事の始めからだ。その一方で、悠は陽介を相棒と口に出して呼んだことはない。しかしだからと言って、二人の関係は陽介からの一方的なものではない。悠の相棒への気持ちは、陽介のそれと同じくらい強い。
特別捜査隊は全般的に結束が固い。しかしメンバーたちが各々に向ける情の濃さは一定ではない。絆にも色々な種類があり、その強さに優劣はある。人間関係が平等でないのは、普通の人間同士の付き合いでもコミュニティと呼ばれる魔術的な繋がりでも同様だ。
学生にとって一年で最も楽しい期間、夏休みも残り少なくなった8月26日。相棒の二人は七里海岸に来ていた。原付バイクを駐車場に停めて、水着に着替えて砂浜に降り立った。
「こないだもいい天気だったけど、今日もいいな」
陽介は腰に手を当てて背中を反らし、暑い日差しに白い胸をさらした。この海岸に来るのは二度目だ。
つい三日前も、特捜隊は全員で海に来たばかりなのである。相棒たちは原付免許を6月から手に入れていたが、夏休みに入ってから女性陣も取ったのだ。そして各々旅館や事務所、親戚などからバイクを借りて皆で海に来た。ただし完二は免許を取れる年齢に達しておらず、クマは論外なので、彼らはそれぞれ自転車とローラースケートでついて来た。
そして今日は相棒の二人だけで来ている。午前中、悠は遠出でガソリンを消費したので商店街のスタンドで給油しようとしたところ、やはり給油に来ていた陽介と鉢合わせたのだ。せっかく会って何もしないのも惜しいので、ちょっと出かけようという話になったのが数時間前だ。いわばバイクデートに出た二人が向かった先は、前と同じ場所だったわけである。違う場所、例えば温泉などに行く案もあったのだが、残暑が厳しいこの季節はやはり海だろうと。
皆で来た三日前は、ちょうど二十四節気で言うところの処暑だった。暑さが峠を越える時期とされる日だ。しかし暦と違って現実では、まだまだ夏は峠に居座り続けている。
「俺ら、ちっと遊びすぎかな?」
陽介がこう言うのは、学業が本分の高校生としてという意味ではない。事件を追う特捜隊としてだ。
「しょうがないさ。事件に動きがないんだから」
悠がテレビに落とされた日以降、稲羽市連続誘拐殺人事件は進展がない。今月は雨の日も霧の日もあったが、マヨナカテレビには何も映らなかった。被害者の救助を主たる活動に置く特捜隊は、基本的には受け身の姿勢にならざるを得ない。だから今月はすることがなかった。
「犯人、何してやがんだか……さっさと出てこいってんだ」
「全くだな」
そこへ潮風が強く吹いた。常世から届けられる、塩を含んだ甘くない風に揺られて悠の前髪が巻き上がり、普段は隠れている額が洗われる。焼けた空気に身を置きながらの冷たい感覚が、悠に過去のある出来事を思い出させた。
「実はこの海、来るの三度目なんだ」
海の向こうにある常世の国とは死者の国のことだ。夏祭りの二日目に神道の本を貰ったせいか、悠は海から死を連想した。
「ん? そうなん?」
「免許取ってすぐの頃、ちょっと遠出してな」
本当は道に迷ったのだが、そうは言わない。
「諸岡先生と会ったんだ。あの人、そこで釣りしてた」
悠は砂浜の端にあるコンクリート製の波戸を指差した。6月12日の日曜日、悠はこの海岸で諸岡と遭遇して一緒に釣りをした。モロキン以外の諸岡の顔を見たのは、あの日が初めてだった。今にして思うと、悠の事件への思い入れが変わる最初の契機だったのだ。
「そっか……」
相棒の指を追って陽介も波戸を見る。
「事件、解決しねえとな。先生の為にもよ」
「ああ……」
「そういや知ってるか? あの先生、進路指導も受け持ってたんだ」
「そうなのか?」
「結構熱心にやってたらしくてな……」
陽介の話によると、相談に訪れた生徒への応対においては当の生徒が気後れするくらい熱心だったらしい。一部の噂では、茶菓子を出したこともあったそうだ。今年最初の授業にて、これからどう生きていくか自分のアイデンティティを見出せと、恫喝するように教えていた諸岡らしいことだ。
(先生が生きていたら……進路指導、受けたかったな)
悠が八十神高校にいるのは来年の3月までなので、正式な指導を受ける機会は生きていてもなかったかもしれない。だがそれなら三学期頃に職員室に押し掛けて、非公式な相談をさせてもらったかもしれない。悠はそんなふうに、あり得たはずの恩師と自分自身の姿を想像した。
「今年からは誰がやるんだ?」
「そういや、どうなんだろ。まさか柏木……?」
陽介は腕を組み、首を傾げて眉根を寄せた。悠と違って来年も稲羽に住み続けるはずの陽介は、八十神高校で進路相談を受けねばならない。もし担当が二年二組の新しい担任の柏木だとすると、何とはなしに嫌な気分になる。柏木は諸岡とは違う意味で問題の多い教師だ。近い将来に猛烈な鬱陶しさが待ち構えている。陽介はそんな気がしてならなかった。
「誰がやるにしても、考えておかないといけないよな」
嫌そうな顔をする陽介を、悠は一般論でもって宥めた。
担当の教師が誰であれどこの高校であれ、高校生に進路指導は必ずある。悠は海外から帰国した両親を迎えて都会に戻った後、そこの高校で受けることになるだろう。高校生の進路は大きく分けて二通り。進学か就職だ。そしてどちらの道を選ぶにせよ、色々と考えなければならない。進学するなら、どこの大学や専門学校で何を学ぶか。就職するなら、どこの会社や店で何をして働くか、考えなければならない。
諸岡に与えられたモラトリアムの期間は今年の一年間だ。油断しているとあっと言う間に過ぎてしまう。どう生きていくか、近いうちに決めねばならない。悠にとってこれは恩師の遺言のようなものでもあるので、ゆるがせにはできない。ただし──
(未来が閉ざされるってのに、ならなければな……)
暑い日差しを浴びながら、謎の寒気に襲われた。
「そうだけどよ……お前は将来とか、何か考えてる?」
「いや……あんまり」
若者は将来を考えねばならない。しかし悠は何も考えていない緩い高校生のように答えた。諸岡が生きていれば、確実に雷が落ちるところである。だが悠にすれば、事件の為に人生を投げ打たずに済めばとの思いが、将来を本格的に考えることを妨げている。
(今年は節目……なんだったな)
イゴールに聞いた話だ。八十稲羽に来た日と犯人に落とされた先月17日、悠はイゴールに言われた。『今年、貴方の運命は節目にあり、選択によっては未来は閉ざされる』と。それは戦いに敗れて死ぬことか、犯罪者として警察に捕まることか。どちらなのかは分からないが、とにかくそういう類の事態であろうと、悠は考えている。卒業後の進路や人生の計画をどれだけ立てていようと、全てをご破算にしてしまう事態。特捜隊の戦いは実は命懸けのものだったと悟った今は、イゴールの忠告は身に沁みている。
「俺も考えてねえなあ……」
そんな悠の心境を知ってか知らずか、陽介は茫洋とした海を見ながら答えた。事と次第によっては人生を棒に振らねばならないのは、陽介も同じである。いや、事件の被害者との縁の深さ、言い方を変えれば犯人への殺意の強さを考えれば、人生から転落する危険は悠より大きい。
だから悠は相棒を気にかけている。悠が戦うのは陽介の為なのだ。恥ずかしいので本人には言えないが。
「十年後とか、俺たち何やってるんだろうな?」
恥ずかしいセリフを言う代わりに、悠は遠い将来の話をした。たとえ警察に捕まったとしても、その頃ならさすがに自由の身になっているだろうとの思いを込めて。しかし──
「十年経ったら二十七か……。大学行っても、とっくに卒業してる年だな。結婚とかしてんのかな?」
(あ……)
瞬間、悠の脳裏に閃くものがあった。全般的に仲の良い特捜隊の中でも、復讐の意志を互いに明かし合っている悠と陽介は他の皆とは種類の異なる繋がりを持っている。二人だけでいる今日は、それを確認する良い機会だったはずだ。つまり犯人を捕まえたらどうするか、相談する機会になるはずだったのだ。話の取っ掛かりは自分たちに将来はあるのか、というふうに始めればよかった。
しかし何気なく発せられた陽介の言葉によって、話すべき事柄は悠の意識の外に追い出されてしまった。
「……誰と?」
短くない間を置いて、悠は尋ねた。想い人を失った陽介にこの質問はかなり不適切だが、敢えて尋ねた。
「さあ?」
陽介は素っ気ない。単に彼女がいない男のように、そしてそれを辛く思っていないように、軽々とした笑顔であっさりと応じた。陽介は質問を流そうとしている。しかし悠は食い下がった。
「里中や天城は?」
これが言いたかった。思い起こされるのは、夏祭り初日の修羅場未遂事件だ。あの日は何とか事無きを得たが、今後似たような事態が何度発生するか分からない。問題を根本から解決するには陽介の協力が必要だ。必要だと思っていた。
「おいおい、俺はあいつらにそんな気はねえよ」
「去年は天城越えに挑戦したんだろ」
これは本当の話である。転入初日に陽介自身の口から聞いている。だが去年の陽介の挑戦は、バッサリ斬られて終わった。何しろ相手はガードが固いと言うか天然と言うか、とにかく難攻不落を謳われる雪子である。しかし今ならどうだろうか。非日常そのものの異世界で、共に死線を潜り抜けてきた(と言うほどの危険を感じた覚えは、ほとんどなかったが)今ならば、陽介にも望みはあるのではないだろうか。
そしてその点は千枝も同様である。と言うか、陽介と千枝は元々相性が悪くない。千枝は口も手も足も容赦なく出るが、陽介はそれらに耐えられる稀有な男だ。毒入りの料理はさすがに食べられないようだが、その他の攻撃にはかなりの耐性を持っている。改めて考えてみても、なかなかの取り合わせだ。何なら八高ベストカップル賞(そんなものがあるはずもないが)を進呈してやってもいい。そう思ったのだが──
「お前な……あいつらを俺に押し付ける気か?」
悠の中から『ギク』という音がした。先月にも足立にあることを突っ込まれて大きな音が胸の辺りからしたが、その時のような音がした。どうも女関係の話をすると、悠の心は鐘が鳴るようだ。
「俺の目は節穴じゃねえぞ」
そうなのである。陽介は試験の成績は芳しくないが、決して愚かではないし朴念仁でもない。むしろ『ジュネスの息子』として町の人々から敵意を向けられることもあるくらいだから、人の気持ちには鋭敏な方だ。そんな陽介から見れば、千枝と雪子は悠に好意を抱いていることくらい容易に察せられる。そして悠は二人の気持ちに応えていないことも、陽介の目には見えている。
「本命は誰だ、りせか?」
「……」
「そうかそうか! やっぱ本職のアイドルともなると格が違うか!」
「いや、そうじゃないんだが……」
確かに格が違うかもしれない。だがそうではないのだ。
「はは、いいって! それよりちゃんと付き合うことになったら、俺だけにでもいいから報告しろよ。里中や天城には黙っといてやるから!」
修羅場を回避する為の最も効果的な方法は、誰か他の男に押し付けることだ。しかし失敗した。相棒の恋路を素直に応援する陽介に、人を押し付ける隙は見当たらない。それどころか一人で勝手に納得してしまう。
「ん……?」
そしてまた自分一人で、陽介は何かを感じる。日差しにさらされた胸に手を当てて握る。体の内側に凝ったものを握るように手に力が込められ、細い腕の筋肉が張る。
「どうした?」
「なあ相棒、今度テレビに行ってみねえか?」
「何だ、いきなり……」
犯人に放り込まれた被害者が出ない限り、特捜隊はテレビに行く必要はない。しかしシャドウはいつでも蠢いているので、鍛練の為にテレビに入ることはできる。しかし陽介が今それを言い出す脈絡が、悠には見えなかった。
「いや、何かな……新しい技とか閃いちまったみたいなんだ!」
結局のところ、死や殺しに関する話は上がらなかった。色恋の話もそれ以上出なかった。
余談を述べると、この翌日に特捜隊は久しぶりの異世界探索に出かけた。救助すべき被害者がいない中で、6月にりせが囚われた劇場のダンジョンで有象無象のシャドウを相手に戦った。そこで陽介は新しい技、というか魔法を披露して見せた。あらゆる存在を等しく薙ぎ払う万能の光を、陽介は身に付けたのだ。
8月も終わりになると、蝉の合唱は交響曲のクライマックスさながらに盛り上がる。長く地中で暮らす虫にとっては短い地上の生を謳歌する期間だ。しかしそれは学生には二学期の足音とも言い換えられる。迫りくる学校の影に追われるようにして、悠は宿題の片付けを行った。特に29日の夜からは、半日近くに渡ってノートと教科書に向き合った。
「ふう……ん?」
初めて机で夜を明かした30日の朝、悠のポケットから電子音が鳴った。待受画面を見てみれば、女の名前が出ていた。
『もしもし、小沢です』
結実だ。部活ではいつもそうだったように歯切れがいい。
「こんばんは……じゃなくて、おはよう……」
対照的に悠の声は間延びした。
『第一声がそれ?』
「徹夜で宿題やってたんでね……」
『あ、鳴上君って宿題一気にやっちゃうタイプ?』
言い方を変えると最後まで残しておくタイプだ。更に言い方を変えると先送りにしたがるタイプだ。しかし最後までやらずじまいにはしておかない。悠は追い詰められると、普段より高い集中力を発揮する口である。おかげでこの一晩で全てをやり終えた。自分を褒めてやりたいくらいだ。
『お疲れさん。それで今日は何の日か、覚えてる?』
「夏休みの最後の日……?」
『違う! それは明日! 花火大会でしょ!』
「ああ……そうだったな」
数学の公式や英単語で埋め尽くされていた悠の頭は、言われて先週の記憶を引っ張り出した。夏祭りに行った時の帰り際に、次は花火大会だと約束したのだった。
『じゃ、そういうことで! 今のうちに寝ておいて、夜は元気になってなさいよ!』
結実は話が早い。非常に早い。待ち合わせの場所と時間はあっという間に決まり、今晩の予定は塗り潰された。当初は演劇部で始まった太陽のコミュニティは、今後は場所を変えそうな気配があるが、絆の担い手と主の関係においては大きな違いはないようだ。先導するのは結実で悠は引きずられる。抵抗しようと思ってもなかなか難しい。結実は夏祭りの翌日からどこか『遠く』へ行ってきたらしいが、戻ってきても関係に変わりはない。
(……少し寝るか)
悠は携帯電話を閉じて、椅子を回転させて部屋の隅を見た。この部屋にベッドはなく、視線の先には昨日の朝に片付けたきりの布団がある。席から立って、畳まれた寝具に手を伸ばした。自分以外に誰も入ったことのない布団は、徹夜明けの頭が何も働かなくても毎日の習慣に従って手を動かすだけで、綺麗に敷けた。
ただし眠りにつく前に妨害があった。最初はりせが電話で、次は菜々子が部屋にやって来たのだ。どちらも用件は花火大会に関することだったのだが、宿題相手との格闘で疲労困憊の頭は彼女らの全ての問いかけに肯定を返した。話をろくに聞きもしないまま。
結実と約束した夜の時間、悠は町外れの高台に身を置いた。ここに来るのは初めてではない。夏休みに入ってから始めた学童保育のアルバイトで何度も通っている。最初に来たのは4月の雨の日だ。あの時はマリーと一緒だった。
(来てないかな……)
来る途中に見た鮫川河川敷は随分と混雑していたが、この高台は穴場のようで悠以外に人はほとんどいない。見回してみても、いつもの青い帽子はない。別にマリーに会いたいと思っているのではない。もちろんマリーと会いたくないわけではないが、結実と約束している今日はまずい。夏祭り二日目の修羅場は未遂で終わったが、あれを繰り返したくはない。
そんなことを思っているうちに、道路に続く階段から声が聞こえてきた。待ち合わせしている人が来たのかと思いきや──
「今朝のあいつの所業考えたら、むしろ足りねえ……」
階下から届けられてきたのは、聞き慣れた相棒の声だった。陽介だ。
「お、早い到着だな相棒!」
(え……?)
相棒に続いて千枝、雪子、完二、りせがやって来た。クマはいない。共に戦ってきた仲間たちの総勢より一人少ない。だがとにかく高台に特捜隊が集まってしまった。『なぜか』集まってしまった。
(どうして皆が……あ!)
近頃の悠は多忙な生活にも慣れてきたので、スケジュール管理もできてきた。しかし何事においてもケアレスミスというものはある。慣れてきた時こそ注意せねばならないのに、今日はそれを怠った。昨晩から徹夜で宿題をしていたせいで、朝は頭が朦朧としていた。不覚にもダブルブッキングをしてしまったのだ。しかも今の今までそれに気付かなかった。
(しまった……! そうだ! 今朝りせから電話が来てた!)
失態を悟った悠は内心で一人慌てる。この場をどうやって切り抜けるか、十日前の夏祭り初日のように全速力で頭を回転させる。まだ来ていない人に電話して、そちらの予定をキャンセルするか。それともこの場をキャンセルして、最初の約束は場所を変えるよう連絡するか。数秒の間に次々と案をひねり出すが、間に合わなかった。
「鳴上君、お待たせ……」
良策を思いつく前に、最初に約束した人がやって来た。二番目に約束した人々のいる場所へ。
「……って、あれ?」
結実だ。階段を上り終えて高台の広場に立つや、瞬きを一つした。約束していた人と、その周囲にいる五人を順繰りに見回す。
「え……小沢さん?」
千枝が訝しげに言うと、結実は視線を巡らせるのを止めた。そして目を細めて笑顔になる。太陽のコミュニティを引き出した、あの笑顔である。
「あらら、皆さんお揃いで……偶然だね?」
花火大会の穴場スポットであるこの場所に、悠を誘ったのは結実である。そして特捜隊の集合場所も同じだったのだ。これは偶然か必然か、それとも裏で何か仕組まれているものがあるのか。それは誰にも分からないが、とにかくテレビの中で戦う者たちの秘密の輪に、部外者が一人割り込む形になった。割り込んだ位置は特等席だ。いかにも自然な足取りで、結実は悠の隣に立った。
「鳴上君、寝不足は解消した?」
「!?」
そして先制のジャブとばかりに、こんなセリフを言い放った。聞かれた悠も思わずぎょっとした。確かに朝の電話でそんな話はした。だがそれにしたところで、ここで言うか──
「な……ななな、何を言ってらっしゃるんですか?」
千枝がいい反応を示した。若者が寝不足になると言えば、その原因は──
「ん? 鳴上君、昨夜から徹夜で宿題やってたって、今朝電話で聞いたんだけど」
しかし結実は素っ気ない。素っ気なさそうな顔と声でもって、誤解を招きやすいセリフの説明をあっさりとしてみせた。こういうところは、まさに女優である。
「今朝、電話……? えっと……どちら様でしょうか?」
怪訝な顔をしたりせが尋ねた。結実は特捜隊の二年生組とはクラスが違うながらも、顔と名前くらいは互いに知っている。6月の林間学校では夕食を一緒に食べたものだった。だが一年生組とは初対面だ。
「あ、初めましてかな? 二年の小沢です。鳴上君とは部活が一緒なの」
眉根を寄せるりせとは対照的に、結実はいかにも板についた笑顔で自己紹介した。舞台に立つ女優のように華やかに。
「……初めまして。一年の久慈川です」
もちろん女優と言っても、結実はアマチュアに過ぎない。対してりせは職業アイドル、つまりはプロだ。しかし休業中の身で、しかもその理由は『本当の自分』に悩んだ為だ。つまり役者としては、プロでありながらも結実より上と言い切れる状態にはない。そして何より、太陽と違って恋愛のコミュニティはまだ分岐点にも至ってない。つまりりせは後れを取っているのだ。
そして結実は更に踏み込む。麗しい敵を三人も前にしながらまるで怯まず、好機を逃さず攻め続ける。舞台で鍛えた堂々たる背筋の上に乗せた笑顔をますます大きくして、隣に立つ悠に向ける。
「ちょっと久しぶりだね。えっと……先週の日曜以来?」
「先週日曜……21日?」
「!」
「!」
雪子が呟くと共に、特捜隊女性陣の間に電光が走った。先週日曜の8月21日と言うと、夏祭りの二日目である。彼女らは前日に期待を外された為、翌朝に全員が悠に電話で連絡したのだ。二日目を二人で回ろうと。しかし全員断られた。悠は『昨日も行ったから』と電話では言ったが、実は──
ここに一つの真相が明かされた。思いもよらない解答が、予期せぬ形でいきなり突き付けられた。
修羅場を回避する為の最も道義にかなった方法は、付き合っている相手がいることをはっきりアピールすることだ。どれだけ好意を寄せられようと既に売約済みであると周知されれば、向こうが勝手に諦めてくれる。もちろん世の中には略奪も辞さない者もいるが、世間一般から見れば少数派だ。その点、結実は夏祭りで先手を打ったことに続いて、またしても上手いやり方をしたと言える。明確な言葉にして言わなくても言っているも同然の形でもって、この場の全員に示したのだ。
『私、鳴上君と付き合っているから』と。
「相棒……マジ……?」
なお突然姿を現した真実に衝撃を受けたのは、女性陣三人だけではない。陽介もそうだ。腕を組んで瞑目し、奥歯を噛み締める。
(里中や天城を俺に押し付けようとしたのは、こういうことだったか……)
四日前に二人で海に行った時の話だ。その場では詳しく語られなかった相棒の真意を、今になって理解した。
(いや、お前が誰と付き合ったって別にいいんだけど……全然いいんだけど。何で仲間内じゃねえの……?)
陽介にとって、相棒が人気者であるのは嬉しいのだ。もし悠が千枝か雪子、もしくはりせと付き合うことになったのなら、何も文句はなかった。口では『何つー役得だよ』とか言って冷やかしたかもしれないが、我が事のように嬉しく思っただろう。だが相棒が仲間の輪の外で彼女を作るのは、何となく釈然としない気分にさせられる。
なお、完二はそっぽを向いている。
(俺、ここにいちゃいけないんじゃ……?)
何が起きているのか完二も気付いているが、よそ見をしている。自分は何も見ていないし、気付いてもいないと言うように。
(ま、まずいな……)
そして悠は固まっている。この雰囲気は厳しい。残暑の厳しい夏の夜に、冷たい火花が飛び散っている。屋外でありながらなぜか冷房が効いているような、極めて不自然な寒気に襲われている。誰かの助けが欲しい。こういう時に頼りになるのは陽介だが、難しい顔をしている。八方ふさがり──
と思いきや、助け舟は予期しないところからやってきた。
「こんばんはー」
「足立さん……?」
階下から足立が現れた。いつもの軽そうな笑顔で、階段をスキップするように飄然とやって来た。
「やあ鳴上君。おや、大勢だね?」
そう言う足立も一人ではなかった。
「よっ、久しぶり」
「うーっす」
「どうもっす」
足立に連れられて、三人の少年が高台にやって来た。いずれも見知った顔だ。
「一条、長瀬……小西?」
思いがけない者たちの登場に、悠は目を丸くした。そして直後、不安に襲われる。もしやこれも自分の失態なのかと。結実と特捜隊の仲間たちでダブルブッキングをやらかしたと思っていたら、実はトリプルブッキングだったのかと──
そんな少年の困惑を見通したか、足立が説明してきた。
「花火大会、僕も堂島さんに誘われてね。それで尚紀君にも声かけたの。そしたらこう……連絡がぐるぐる回ったみたいでね」
足立は言いながら、右手の人差し指を立てて回転させた。すると刑事に連れられてきた少年の一人、長瀬が元からいた一人に声をかけた。
「ん? 小沢じゃんか。お前、他に予定あるんじゃなかったのか?」
「そうよ。これがその予定」
そう言って、結実は隣に立つ悠を指差した。何とも楽しそうな笑顔で。
「あ?」
「え……? そうなん?」
「……そうだったんですか」
並んで立つ男女の姿を目にした三人の高校生たち、長瀬、一条、尚紀は順番に声を漏らした。たったそれだけで少年たちは事情を察知した。簡単なものである。そして──
「いた! お兄ちゃん!」
「おう、待たせたな」
今度は菜々子と堂島がやって来た。菜々子は夏祭りと同じ浴衣を着ていて、堂島は仕事帰りらしくスーツ姿だ。
(叔父さん……そっか。そういうことか)
あやふやだった悠の記憶が、ようやくはっきりしてきた。今朝りせから電話をもらった後、菜々子が部屋に来て花火に行く約束をしたのだ。ただし夜間の外出になるので、堂島が仕事を終えてからとなった。足立が来たのはその延長上の話だ。つまるところ、悠はやはりトリプルブッキングをしていたわけである。
「ハァーイ、お嬢さん! よかったら、ボクと愛の花火を打ち上げてみなーい?」
そして最後のピースがやって来た。高台の反対側から金の彗星が飛んできた。クマだ。ソロモンもとい野獣の装いは身に付けておらず、フォーマルな美少年の姿でいる。
「あ、クマさーん!」
クマが遅れてきたのは、陽介と一緒に来る道すがら花火見物の女性客に片っ端から声をかけていたからだ。その過程で陽介たちとはぐれた(ある巨躯の持ち主を誤爆して、連れ去られたとの噂もある)。しかし野の花の香りを嗅ぎつけたか、飛んで戻ってきたわけである。
かくして役者は揃った。特別捜査隊が七人とシャドウワーカー稲羽支部が六人。八十稲羽に拠点を置く二つの秘密のチームが、4月と5月の結成以来初めて一つの場所に集合したのである。
「人、いっぱいだね!」
それに加えて菜々子がいる。夏の終わりの花火大会は総勢十四人の大所帯となった。主に悠の不注意を原因として。
「クーマやー!」
「くーまやー」
花火見物において定番の掛け声は、江戸時代の有名な花火師の屋号が由来だ。ただし高台に集まった大勢の間で挙がる声は、よくあるものとは違っている。最前列で叫んでいるのはクマで、その隣で真似をしているのは菜々子だ。
「花火は毎年家族とでしたけど、こういうのもいいっすね」
「こんな大勢で集まるのは、俺も久しぶりだ」
子供の二人のすぐ後ろ、見物人の二列目には一条と堂島が並んでいた。傍から見れば不思議な取り合わせだが、当人同士はそれを意識していない。
「こうして見てるだけだと、平和な町っすよね……」
見ている『だけ』だと──
「……」
何気なく発せられた一条の言葉に、堂島は黙り込んだ。花火の光を眩しく感じたように、顎を引いて足元の草を見つめる。
稲羽市は小さな田舎町だ。高台から見下ろせば市街地のほぼ全域が一望できる。一見すると平和な町だが、真実は違う。霧の災いに襲われた、もしかしたら世界で最も危険かもしれない町なのだ。先月発生した高校教師の殺人事件は解決したが、他はまだ何も解決していない。5月以降は町をうろつくシャドウによる犠牲者は出ていないが、それは自然とそうなったのではない。シャドウワーカーの努力の成果だ。
平和は何もしないままでは得られない。何かの代償を支払って守らねばならないものだ。そして支払っているのは住民全てではない。世にも稀な不運に見舞われて、世界の裏側に身を落とした者たちだ。年齢も職業も関係なく、望んで得たわけでもない力を背負い、町の防壁にならねばならなくなった者たちだ。
「……済まんな。危ないことに巻き込んで」
堂島は長い間を置いて、巻き込まれた高校生に詫びた。他の者には聞こえないよう、ごく小さな声で。
──
ちょうどその時、取り分け大きく鮮やかな花火が連続して上がり、高台と階下から歓声が上がった。その残響が消えてから、一条は刑事に向けて答えた。
「いっすよ、納得して始めたことなんすから」
「そうか……」
堂島は隣の高校生から視線を逸らし、もう一度町を眺める。しかし続きの花火は上がらない。予定している終了時刻にはまだ時間があるので、花火大会は小休止に入ったようである。四十がらみの現職の刑事と、良家の養子である高校生。年の離れた二人の男は並んで故郷の町を見た。花火が休んでいる間、眼下から届けられる祝祭の合間の人々のざわめきを揃って耳に入れた。霧の晴れ間、ペルソナ使いの戦いが休みの間の仮初の平和を享受する町を目に入れた。
そんな二人の姿を、刑事の甥で御曹司の友人は前から三列目の位置で見ていた。
(ん? ちょっと待て。今日は足立さんが来るのは分かるし、小西も足立さんの知り合いだからまだいいとして……何で一条と長瀬まで来てるんだ? 小西が誘ったからなのか? いや、そうだとしても……何で叔父さんと一条が?)
今さらながら、悠は特捜隊の部外者が大勢いるこの状況に疑問を抱いた。特に刑事の叔父と部活の同輩という、一見接点のなさそうな二人が並んで話をしている姿に違和感を覚えた。
だが深く考える暇はなかった。花火が一段落したところで、りせがやって来たのだ。
「先輩! 花火素敵だったね!」
繰り返すが、世の中には略奪も辞さない者もいる。好きな男に彼女がいると知っていても、構わず突撃するタイプだ。世間では少数派だが皆無ではない。青春溢れる少年少女が十人も集まれば、一人くらいはいるものである。そしてこの場では、りせがそうだ。大胆にも悠の左腕にしがみついた。
「ホントね。素敵だったね」
何が大胆かと言うと、悠の右手側には結実がいるのだ。笑顔でいながら殺気を隠さないという、器用な表情を作れる少女が。
「ええ、そうですね」
対するりせも後には引かない。やはり笑顔でいながら、ある気迫を放つ。
(私の方がずっと可愛いじゃない……!)
(可愛い方が勝つんじゃないの。勝った方が可愛いのよ……)
花火が休んでいる間に、一人の男を挟んだ二人の女の間で火花が散る。周囲にたむろする大勢の人間のほぼ全員が気付くくらい、あからさまに。
「何やってんだ、あいつ……」
振り返った堂島も呆れている。うっかりすると、先ほどの一条との会話で抱いた苦悩が馬鹿らしく思えてくる。
「……甥御さん、モテるみたいっすね」
「ま、困ったところもある奴だが……仲良くしてやってくれ」
そう言って、堂島は一条から離れて娘の傍へ向かった。教育上良からぬ状態に陥っている甥の姿を、娘に見せまいと思っているのかもしれない。
(小沢と鳴上……ね)
一人残された一条は考える。先ほど堂島に詫びの言葉を貰ったが、一条は稲羽支部に参加したことを後悔していない。嫌とも感じていない。むしろ面白く思っているくらいだ。だが何の為に戦うかと言えば──
「……」
新しい仲間とバスケ部の同輩から視線を外し、戦う目的にしたい人を目で探した。バイクのタンデムシートに乗せて海に行きたかったが、結局できなかった人を。するとすぐに見つかった。悠と結実、そしてりせが並んだ列の後ろで、千枝は雪子と一緒にいる。二人揃って浮かない顔をしている。楽しい夏のイベントにありながら、失意を振りまいている。
(もしかして……これってチャンスか?)
千枝が失意にいるのはなぜか。鈍感でも朴念仁でもない一条には、何となく想像がつく。しかしりせと違って、一条は人の彼女を略奪するほど大胆ではない。だからもし千枝に彼氏がいるのなら、さすがにどうしようもなかっただろう。だがそうでないことは見て取れる。むしろ逆の状態にあるように見える。ならば──
「ね、ねえ、里中さん……」
一条は意を決して想い人に近づいた。しかし駄目だった。
「クーマやー!」
背後から突然上がった間違った掛け声に、思わず足が止まってしまった。花火が再開されたのだ。
「バーカやー!」
「バーカやー!」
そして千枝と雪子も叫びだした。打ち上がった夏の芸術に向けて、やはり間違った掛け声を言い放つ。近づいてきた一条の姿など目に入っていない。一条は海に誘われた先月もそうだったが、いつも間が悪い。と言うか、行動が遅い。バスケや対シャドウ戦では機敏な動きを披露するが、そっち方面はどうしようもなく遅い。隙を見つけても付け込む前に、相手に動く余裕を与えてしまう。
「何つーか……何だろうな、この雰囲気……。嵐の前のひと騒ぎっての?」
ヤケクソ状態で歓声を上げる少女たちの後ろで、陽介は大きなため息をついた。せっかくの夏のイベントなのに、まるで楽しめないでいる。こんな有様になるとは、昨日までは想像もしていなかった。
「ん? 何の話だ?」
答えたのは隣に立つ長瀬だ。相棒とその周囲の状態に気を揉む陽介とは対照的に、何も感じていないように普段通りの顔を見せている。
「お前の神経が羨ましいよ……」
陽介はため息を重ねた。しかしすぐに気を取り直して、話を切り出した。
「なあ、一条ってアレなのか?」
「アレ?」
「アレだよ! 里中!」
小声で、だが鋭く尋ねた。長瀬は地上で飛び散る火花に無頓着だが、陽介はそうも言っていられない。この状況をそっとしておくと、最悪の場合はチームの崩壊に繋がりかねないと感じていた。突然降って湧いたこの危機を回避する道を、一条の姿に見出したのだ。つまり陽介は先ほどの一条の動きを見ていて、勘付いたのである。
修羅場を回避する方策はいくつかあるが、その一つは誰か他の男に引き取ってもらうことだ。道義の面ではともかく効果は一番ある方法だ。しかし陽介は海で相棒に煽られても笑って流したように、千枝や雪子を引き取ることはできない。だが一条がそうしてくれるなら、陽介としては歓迎だ。
「あー……俺そういう話、興味ねえから」
しかし長瀬はつれない。精悍な眉を下げて、表情を陰らせる。
「んだよ……そういやお前って浮いた話全然ねえな。いいなと思う子とか、いねえの?」
例えば天城とか、りせとか──
と、陽介は口にしない。しないが、心では思っている。と言うより、願っている。結実が割り込んできたことによる特捜隊の人間関係の変化に、陽介は危惧を抱いているのだ。本格的な惨劇に発展する前に、誰でもいいから悠の周囲にいる女を引き取ってもらいたい。これまで仲良くやってこれた特捜隊の雰囲気を維持する為に。
陽介はまさに特捜隊のサブリーダー、またの名を中間管理職である。遊びの企画を立てるだけでなく、チーム全体の空気にも気を遣う。
「そういうのは、いい」
しかし長瀬は飽くまでつれない。
「おいおい? お前、そのままお爺ちゃんになる気か?」
「うっせーよ……つか、人のこと言えんのかよ。花村こそ独り身じゃねえか」
「俺はいいんだよ。俺は……」
ここで花火がまた打ち上がった。祝砲にも似たその音が、独り身同士の少年たちの会話を遮った。特大の音響装置である花火大会は密談には不向きである。
(女か……)
陽介が轟音に遮られて黙ったところで、長瀬は自分を省みた。一条が千枝を好きなことは、実は長瀬も知っている。だが親友の恋を応援しようという気にはならない。この場で知っているのは親友だけだが、長瀬は中学時代に付き合っていた異性がいたのだ。しかしろくに手も握らないまま別れてしまった。以来、女子には苦手意識を抱いている。それに引きずられるように、サッカーにも身が入らなくなってしまっていたのだ。
(俺は……)
しかしペルソナに目覚めて稲羽支部に加入した今は、長瀬の心境に変化はある。一つのことに充実を見出すと、他のものに対する見方にも変化が生じるものだから。
華やかな夏の光が花びらを広げる下で、若者たちは各々悩む。
『以上をもちまして、納涼花火大会の演目は全て終了となります』
開始から時間にして三十分ほどで、稲羽市の花火大会は終わった。
「もう夏も終わりか……」
十四人が集まった見物人の列の最後尾で、尚紀は呟いた。耳を澄ませば高台の下から届けられるざわめきを縫うように、虫の鳴き声が聞こえてくる。暑さはまだ残っているが、季節はそろそろ変わる頃合いだ。
「春からずっとバタバタしてたけど、少しは静かになるかな……」
「いや、なんねえだろ」
人間関係を原因として純粋に楽しめなかった者が多かった中で、尚紀は比較的楽しんでいた方だ。しかし左側から声をかけられて振り返った。険しい顔をした完二がそこにいる。
「ん?」
「事件、まだ終わってねえんだ。自首した野郎はセンセーを殺しただけだぜ」
「ああ、そうらしいな……」
「尚紀、他人事じゃねえだろうが」
尚紀にとって稲羽市連続誘拐殺人事件は他人事ではない。たとえ世界中が他人事であろうとも、尚紀だけは違うはずだ。完二はそう考える。だから興味がなさそうにする幼馴染に向ける声色は、自然と険しくなる。
完二と尚紀は十年来の付き合いである。だが幼少期の繋がりは、高校に入学した頃には切れかかっていた。そんな二人が久しぶりに話をしたのは6月23日、豆腐屋で盗撮騒動が持ち上がった日だ。あの時、尚紀は特捜隊全員に言い放っていた。『そんな奴が姉ちゃんを殺せるはずがない』と。そして事実その通りだった。あの時の何とも言えない悔しさが、完二の態度をより硬化させる。
「……」
対する尚紀の視線も硬くなった。尚紀は尚紀の事情があって、完二には明かせない事情によって敢えて他人事のように答えたのだ。それは姉の死は殺人ではなく、獣害事件であるという『真実』──
「こらこら、あんまり友達困らせないの」
緊迫した幼馴染たちの間に割り込む声があった。尚紀の右手側にいた足立だ。いつもの軽い笑顔は引っ込んでいる。
「確かに事件は終わってないけどね……。でもそういうのは僕らに任せておいて。君らは普通に暮らしてくれれば、それでいいんだって」
「ふん、どうだかな……」
完二は元より警察関係が嫌いだ。ましてこの殺人事件は警察の手に負える事案ではない。そう思っている完二は、足立に窘められても収まらない。しかし不良然とした少年は、事件そのものについてはそれ以上言及しなかった。
「それより……あいつはどうしてんだ?」
代わりに酷く漠然とした問いを発した。
「あいつ?」
「あいつっすよ……あの帽子かぶったチビ! サツの手伝いしてるっつー奴!」
「ああ、もしかして白鐘君のこと? 君、彼を知ってるの?」
「うっせーな、いいだろ……」
完二は足立から目を逸らした。途中で話を投げ出した幼馴染に代わって尚紀が尋ねた。
「誰ですか、それ」
「白鐘直斗君って言う子。年は君らと同じくらいなんだけど、何か有名な探偵事務所のエースとかで、うちの署に捜査協力に来てんの。ひょっとすると今頃も署で資料漁りとかしてるかもね」
「へえ……そんな人がいるんですか。完二、お前って何か疑われてんの?」
「ち、ちげーよ! 俺は別に……あんな奴……」
「おい足立! 余計なこと喋ってんな! もう帰るぞ!」
話がずれ始めたところで、最前列から怒声が届けられた。堂島だ。かなり離れた位置にいるのだが、さすがは鬼刑事と言うか、相棒が警察業務に関する情報を漏洩するのを聞き咎めたようである。
「は、はーい! それじゃね! 君らもあんまり夜更かししないように!」
尚紀たちと別れて、足立は堂島の後を追った。追いながら考える。
(事件は終わってないか……。まあ確かに……)
二つの季節が終わっても、二つの事件は終わっていない。テレビの中の殺人事件と霧の中の獣害事件は、いずれも終わりが見えていない。そして各々の事件を追う者たちは、追っていない方の事件について知りもしない。霧の日に戦う稲羽支部はテレビの中の世界を知らず、テレビの中で戦う特捜隊は現実に湧き出るシャドウを知らない。両方を知っているのは、この場では足立だけだ。しかし──
(白鐘君ってば、巽君に接触してたのか。ってことは……彼、殺人と失踪の関連に気付いてるんだ。じゃあひょっとすると、霧の方にも何か気付いてたりして?)
テレビに落とされる被害者を救助し続ける特捜隊と、霧の日に襲われる被害者を救助し続ける稲羽支部。どちらも真実を掴めないままいたずらに時間だけが過ぎ、比例して人数だけが増えている。この現状が変わる日が来るのかどうか。変わるとしたらそのきっかけは何か、足立は考える。例えば噂の少年探偵とか。
(それか……巽君あたりが尚紀君にバラしちゃったりして? それとも坊やの三角四角関係から漏れたりして……)
ペルソナ使いの二つのチームは、チーム内とチームを跨いでの人間関係を少しずつ変化させていっている。それが事件全体を変化させる契機になるだろうか──
秋を迎えようとする湿った風を感じながら、足立は考える。
陽介がメギドを習得したのは、P4G追加のバイクイベントで将来の話をしたことによるものです。