ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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犯罪事実(2011/9/12、9/13)

 田舎の高校の都会遠征、もとい二泊三日の修学旅行は9月10日の土曜日に終わった。週が明けた12日、悠は授業を終えた後に二人の客を伴って帰宅した。陽介とクマだ。

 

「ナナチャン、お土産クマ!」

 

 堂島宅の居間に通されたクマは、バイト代をはたいて買ってきた土産を菜々子に手渡した。子供サイズのTシャツだ。

 

「へんな絵がかいてあるー、あはは!」

 

 菜々子は早速シャツを広げて、華やぐ笑顔を振りまいている。だが陽介は首を傾げた。

 

「これでいいのか……? どういうセンスだ?」

 

 小学生一年生の女児への土産物として、衣類は別に相応しくないものではない。ただ柄がいただけない。熊なのだ。ジュネスのマスコットではなく、動物の熊の顔がプリントされている。しかも黒く艶やかな毛並みといい、長く鋭い牙といい、血走った目といい、強烈なリアリティが小さな布地に漲っている。デフォルメが過剰な着ぐるみとは対照的だ。

 

「……いいんじゃないか?」

 

 しかし悠の目には、菜々子は本気で喜んでいるように見える。ゴールデンウィークに堂島が出張に行った際、土産として提灯を買ってきていたが、あの時も本気で喜んでいたように見えた。菜々子は7月の寿司パーティーでは、白身を好んで食べていたように趣味が割と渋い。ちなみに悠の土産はどこの町にもある名物饅頭で、陽介はスナック菓子だった。それらも菜々子は喜んでくれたが、クラシックのピアノ曲を聞かせた時のような喜び方だった。

 

『報道アイの時間です』

 

 そうこうしているうちに、点けっぱなしのテレビに映るものが、天気予報から報道番組に切り替わった。

 

『本日は、逆さ磔・連続殺人事件について、現役高校生探偵にお話を伺います』

 

「え……?」

 

「って、ええ!?」

 

「これ、ナオト?」

 

 現在は七人いる特別捜査隊の初期メンバー三人は、揃って声を上げた。堂島宅のテレビ画面に映っているのは、文字通りの少年探偵、八十神高校一年生の白鐘直斗だった。

 

「あ、せいふく、お兄ちゃんたちとおんなじだ。お兄ちゃんたちの学校、たんていさんいるんだー」

 

「あ、ああ……そうなんだよ」

 

 7月の悠以来の、久々の『テレビに出演した地元民』である。これは事件に動きが出る可能性がある。しかし菜々子がいる前で、男三人は詳しい話をするわけにはいかなかった。

 

 詳しい話が行われたのは、稲羽から遠く離れた場所においてである。

 

 

『では次に、探偵王子の素顔と題しまして、直斗君自身のことを聞いていきたいと思います』

 

 おのぼりさんの団体、もとい八十神高校の生徒が去った後の港区の人工島辰巳ポートアイランド。桐条グループ所有のビルの、とある会議室に置かれた大型スクリーンに、地方のローカル局が作成したテレビ番組が映し出されていた。見ているのは二人。シャドウワーカーの隊長と副隊長だ。

 

「老舗の探偵事務所の若きエース……人呼んで探偵王子か」

 

「王子じゃありませんが」

 

 テレビは地域の枠を超える。地方限定の番組を離れた土地で見ることも可能だ。マヨナカテレビではない普通の番組であれば、普通の電波に乗っているのだから。それを拾って通信すれば済む話である。

 

「霧と支部隊員の入院に気付いているのだったな」

 

「ええ」

 

「ふむ……意外と侮れんかもしれんな」

 

 スクリーンに映る直斗は、霧と入院については言及していない。したのは三日前だ。

 

 今月9日の金曜日、修学旅行でポートアイランドに来た稲羽支部の高校生組に、有里は夕食を奢ってやった。そして食後に宿まで送ったところ、ちょうど今テレビに出演している『少年』探偵の直斗に遭遇し、追及を受けたのだ。その場では、直斗自身のことに話を逸らして煙に巻いた。しかし過小評価するのも良くない。

 

「そうですね。特に良くないのは白鐘君は立場上、警察の身内ではないことです。稲羽署や県警に圧力をかけても、彼女の動きを封じるのは難しいでしょうね」

 

 シャドウワーカーはその背後に控えている者たちの関係上、ある権力を持っている。例えば7月に久保美津雄が自首した当初、稲羽署と県警は三件の『殺人事件』全てを視野に入れて捜査していたが、途中で諸岡の件のみに切り替わった。そうなった要因は、山野と早紀の件に関しては物証がないことが最も大きいが、上から圧力がかかった為もある。

 

『上』とは具体的には警察庁である。もっと具体的に言うと、久保が冤罪を被らずに済むよう配慮してほしいと、堂島から有里に要請があったのだ。シャドウワーカー本部はそれに応えて、警察庁経由で捜査方針に口を出したのである。

 

 そういう具合に、シャドウワーカー並びに桐条グループは行政や司法への影響力があるが、それにも限度がある。世の中を思いのままに操るような、映画や小説に登場する悪の組織のような真似はできない。直斗に関して言えば、警察の協力者としての立場を取り消させるくらいはできる。しかし直斗が個人的に事件を調べるのまで止めるのは、かなり難しい。荒っぽい手段に訴えれば可能だが、一般人相手に強行策を取るのは有里の本意ではない。もちろん美鶴も。ならばどうするか?

 

「彼女は僕に注目しているようですので、しばらく出張を控えるのはどうでしょう」

 

 解決策として、有里は極めて消極的な手段を提案した。

 

「堂島刑事からは、君の力は欠かせないと報告が上がっているぞ」

 

 美鶴は会議室に備え付けのタブレット端末を操作して、画面にあるファイルを表示させた。報告書形式の文書で、印刷すれば紙一枚に収まる程度の短いものだ。内容は以下の三点である。

 

<稲羽市にシャドウが出現する真因は不明。根絶の手段、並びに根絶の可否は不明。恒久的な警備が必要となる可能性も否定できず>

<本部隊員の過去の犯罪事実の有無は不明瞭>

<現時点では稲羽市のシャドウ対策において本部の知見、技術、戦力は不可欠>

 

 これは先日に、稲羽支部の支部長である堂島が上げた報告だ。ただし宛先は本部ではなく公安だ。公安だけである。しかし美鶴と有里も、この通り報告内容を見ている。世の中の裏側は、刑事が想像する以上に複雑怪奇なものだ。シャドウよりも手強い魑魅魍魎というものは、確かにこの世にいる。

 

 それはともかく、堂島は本部の戦力、つまり有里の力は不可欠だと主張している。それを無下にするのは色々と都合が悪い。しかし──

 

「先月まではそうでしたが、次からは小沢さんが加わります。稲羽のシャドウの強さや数からすると、支部の戦力は十分だと思いますが」

 

 何とも言い訳がましいが、事実ではある。先月の作戦では、有里はほとんど何もしないままシャドウの殲滅と被害者の救助に成功した。そして新加入した結実のペルソナは回復能力に特化したものだ。これまで足りていなかった分が補われて、稲羽支部はチームとしての完成度が大きく上がったわけである。

 

「それよりも……公安は過去を色々探っているようですね」

 

 有里は机に両手を置き、堂島の報告書を改めて読み返した。堂島は事実上、何も報告していないに等しいが、それでも公安が何を探ろうとしているのかは分かる。

 

「グループのではなく、僕たちの犯罪……」

 

 かつて特別課外活動部の現場リーダーとして、ペルソナ使いたちを指揮していた青年は目を閉じた。桐条グループの過去の所業については、公安だけでなく堂島と足立にも、判明している事実はほとんど話してある。しかし過去の桐条、つまりは身内の不始末ではなく、自分自身が背負った業については話していない事柄が多い。

 

「……」

 

「……」

 

 瞑目した部下に倣うように、美鶴も口を一度噤んだ。かくして次の霧の日に有里が稲羽に出張するかどうかの話は、中途半端なままに断ち切られてしまった。

 

「有里、実は……以前に君から調査依頼があった件で、成果が出ている」

 

 美鶴はタブレットを手に取って操作し、また別のファイルを表示させた。今度は報告書ではなく、研究論文形式の文書だ。分量は数百ページに及ぶ大作で、表題は『人工ペルソナ使い計画』だ。

 

「ストレガの素性が分かったんですね」

 

 有里は目を開け、差し出された端末を受け取って操作を始めた。画面を素早くスクロールさせ、表示された文書を読み進める。

 

 ストレガ──

 

 イタリア語で魔女を意味する言葉であり、ポートアイランドにかつていた、三人組のペルソナ使いが自らをそう呼んでいた。そのうち一人は今も健在だが、二人は昨年1月に死んだ。そして死んだ二人の素性については、ほとんど何も分からないままだったのだ。本名、年齢、出身地、その他の何もかもが不明だった。だが死から一年半以上の月日を経て、発掘された過去の資料の中から、彼らに関係するものが出てきたわけだ。

 

 読んでいるうちに、やがて二人の人間と二つのペルソナの名前に辿り着いた。

 

<氏名:榊貴隆也>

<ペルソナ呼称:ヒュプノス>

 

<氏名:白戸陣>

<ペルソナ呼称:モロス>

 

(隆也と陣……か)

 

 下の名前は以前から知っているが、名字は初めて知った。そしてどういう字を書くのかも、これで知ることができた。出会ってから二年、体感的には三年を経てようやく知った素性だった。

 

「残念だが、二人とも身寄りはないようだ。チドリもそうだったが、過去の桐条はそういう者を選んで実験を行っていたのだな」

 

 美鶴が声をかけるが、有里は振り向かなかった。

 

「そうですか……」

 

 ただ画面に視線を注いでいた目を再び閉じた。親しい人の死を悼むように。

 

「聞かせてくれないか」

 

 しかし上司である美鶴は、部下が感傷に浸るのをいつまでもそっとしておきはしない。自分たちの過去が探られていることと、今は亡き二人のペルソナ使い。これらに関係する、ある重大な出来事について確認しておかねばならないのだ。

 

「何をです?」

 

「幾月の死についてだ」

 

 幾月修司──

 

 一昨年の7月まで月光館学園の理事長だった男である。同年11月、校舎内で自殺している。世間ではそういうことになっている。しかし公安は他殺の可能性があると疑っており、今年5月のシャドウワーカー結成直後、堂島と足立にその旨を話してある。

 

 実のところ、公安が抱いている疑惑は正解なのである。幾月の死は自殺ではなく他殺だ。殺したのは資料にある人工ペルソナ使い、ストレガだ。一昨年の11月4日、幾月が拳銃で撃ち殺されるところを、美鶴は自分の目で見ている。だが当時の美鶴は予期せぬ出来事の連続で混乱して、幾月にまつわる謎を放置してしまっていた。幾月はなぜ殺されたのか、ストレガはなぜ幾月を殺したのか。それらは謎のままだった。

 

「君は……何か知っているんじゃないのか? 君は当時から最初の戦いを覚えていたんだろう」

 

 最初の戦い──

 

「……」

 

 有里は答えない。美鶴の問いかけをもちろん聞いてはいるが、目を閉じたまま身動ぎもしない。

 

「君は君にできる最善のことをしたのだろう。それは分かっている」

 

 ここで有里は動いた。目を開け、机に軽く爪を立てた。

 

(最善……じゃない。あれは下策だった)

 

 かつての戦いにおいて、有里は色々と努力はした。しかし失敗も多かった。そして幾月の死に関する諸々は、数ある失敗の中でも特に酷いものだった。結果から見れば、最善を尽くしたなどとはとても言えない。その後悔と美鶴が寄せる信頼が、有里に自分の罪を告白させた。

 

「幾月を殺せと、タカヤに依頼したんです。一昨年6月のことです」

 

 これはアイギスには初めから話してあるし、事の後で荒垣にも話した。だが美鶴に話したのは初めてだ。ある程度察しはついていたかもしれないが、はっきりさせたのは、これが本当に初めてである。

 

「そうか……」

 

 二年越しの真実を告げられた美鶴は、腕を組んで深いため息を吐いた。人を殺せと依頼して、そして実際に殺された。刑法に照らせば殺人教唆に該当する。立派な犯罪である。公安は無論、堂島に知られても大きな問題になり得る。

 

「だがなぜだ? なぜストレガになど頼んだ」

 

 なぜ仲間である自分に相談してくれなかったのだ、とは美鶴は言わない。言わないが、自分に頼んでくれていれば自分がやったのに、との思いはある。

 

「未来を知っているなんて、話しても無駄だと思っていました。特に幾月がいる間は、下手に話すと自分が不利になると思ったからです」

 

 後になってからこの件を荒垣に追及された際には、もっとやりようがあったはずだと思い直した。しかしそうは言わない。話がこじれるだけだから。

 

「それから、依頼をきっかけにタカヤと繋がりを持てば、ゆくゆくはストレガを仲間に引き込める……そういう考えもありました」

 

 これは本当である。事実、有里は依頼を契機として、その男と絆を築くことに成功した。美鶴を含めた仲間たちよりも強いくらいの、非常に深く固い絆を。しかし想定外の事態が色々あった為に、仲間に引き入れる計画は失敗した。そして『想定外』には、実は幾月の殺害も含まれている。やること自体はともかく、やる時期と場所は計画から外れていた。

 

「あの日にやれと言ったのか」

 

「……いいえ」

 

 幾月の殺害を、いつどこで実行するつもりだったのか。有里はこの点については、詳しく言いたくなかった。だが聞かれた以上は答えないわけにはいかない。嘘を吐けないとは損な性分である。

 

「幾月が失踪した後……8月にタカヤにまた会って、やってもやらなくてもいい……そう言いました」

 

「そうだったのか……」

 

 こう言えば、殺しは実行した男一人の責任だと受け取られかねない。それは有里の本意ではない。だから言いたくなかった。自分の責任から逃げるのは主義ではないし、殺した男の責任にもしたくないのだ。

 

「有里、幾月を殺したのは君ではない」

 

 そして案の定、美鶴は有里を庇ってきた。

 

「たとえ君が全てを仕組んでいたのだとしても……私は君を責めないし、他の誰にも責めさせない。そのつもりだったのだ」

 

「……」

 

 有里は答えない。『ありがとう』とも『それは違う』とも言わない。ただ黙っている。

 

「まして事実は、君が仕組んだわけではないのだろう。発端は君だとしても、事態は既に君の手を離れていたんだ。ストレガが幾月を殺したのは、彼らなりの桐条への復讐だったのだろう……。君の責任など、あってないようなものだ」

 

(武治さんが昔、似たようなことを言ってたな)

 

 美鶴の父で、桐条グループ現総帥の桐条武治だ。一昨年の12月、有里は自分の責任に関して、武治から優しい言葉をかけてもらったことがある。この親子はよく似ていると以前から思っていたが、こんなところも似ている。

 

「どうか間違えないでほしい。幾月の死を君が背負う必要はないんだ」

 

「……失礼します」

 

 長い沈黙を経てから、有里は頭を下げた。腰をほぼ直角に折り曲げて、深く頭を下げた。幾月は誰が殺したのか、その死の責任は誰にあるのか。殺しの業は誰が背負うべきなのか。美鶴の優しさに肯定も否定もせず、問題を議論せずに放置したまま、有里は会議室を後にした。

 

 

 告白を終えた有里は帰宅する前に、ビルの中層階にある喫煙所に立ち寄った。現代は健康志向が強いので部屋はごく小さい。だが窓からの眺めは悪くない。ポートアイランドのほぼ全景が見渡せる。

 

「……」

 

 普段はあまり煙草を吸わない有里は、ここを利用するのは初めてだ。たった一人の空間を紫煙で満たし、その隙間から外を眺める。

 

(タカヤ……綾時……)

 

 既に日は落ちて、世界は暗い時間に身を落としている。夕闇が覆う都会の砂漠で、死の国から這い出た死人の指のように無数のビルが生えている。その向こうには小さな田舎町があるはずだ。昨年1月に決着した史上最大の災厄の、残り火がちろちろと未練がましく息をするような、小さな災いに襲われた町だ。ただし小さすぎるので、ここからは見えない。

 

 有里は今年の6月、かつての戦いで自分が守ったものを尚紀に語った。今は妻にしたアイギスだと。それは決して嘘ではないし、実際そう思っていた。だが意識するようになったのは、戦いが終わりに近づいてからだ。その最初の契機は、今日美鶴とした話を荒垣に追及された時だった。それ以前の有里は、自分が生き延びる為に戦ってきた。そしてその為に死なせた者は何人かいる。

 

 闇が侵食していく眼下には、半年前に卒業したばかりの母校がある。有里はそこで、正しくはそこから湧き出た死の塔で、思いを馳せている二人の男と戦ったのだ。

 

(去年はお前たちを救えなかった。だけど、きっと……)

 

『本来あるべき運命』から離れて、未来を手に入れた有里は、普段は過去の戦いをあまり思い出さない。しかし今日に限っては、全てが昨日のことのように思えた。まるで罪は時を超えるように。どれだけの歳月が過ぎても、罪のままであり続けるように。

 

 

 

 

 有里が職場を出て、自宅に戻ってから数時間後の夜遅く。稲羽市の空には雲がかかっているが、天気予報の区域が違う港区は晴れていた。中天で真円を描く月が、金色の光を平和な地上へと注いでいる。

 

 二年前であればこの時期、この時間帯の特別課外活動部は、来たるべき戦いに向けた準備に余念がないところである。だが月齢に縛られた巨大なシャドウは全て滅ぼされている。だから当時のリーダーとサブリーダー、現在は夫婦になった二人も、今頃は平和を享受して仲良く過ごしている頃合いだ。

 

 シャドウのいない平和な満月の夜。それは今となっては、何もしなくても自然と手に入るものだ。しかし与えられた平和を楽しめない者も、この世にはいる。

 

 

 皆月は腕組みをしながら、雲に隠されずにいる満月を見上げていた。場所は自分と同じくらいの年頃の少年少女が、昼間は大勢通う施設。つまり学校である。ただし八十神高校ではない。皆月の住処は八十稲羽にあるのだが、今日は遠い異郷に身を置いていた。ポートアイランドに来ているのだ。まるで同郷の高校生たちの後をつけるように。

 

 しかし皆月が思うのは素人集団ではない。

 

(父さん……)

 

 ここはかつて皆月の『父』が勤務していた学校、月光館学園。その天文台である。『月見の塔』なる洒落た名前もあるらしいが、そう呼ぶ者はほとんどいない。そもそも学校にこんな施設があること自体、大半の生徒と教職員は知りもしない。

 

(あんたは一体、何がしたかったんだ?)

 

『父』の心は皆月にも分からない。元より血の繋がりはないし、共に過ごした期間も決して長いわけではない。『父』が残した文書の類はいくつか入手しているが、今の時点では理解できない点が相当ある。はっきりしていることと言えば、その死にまつわるいくつかの断片的な出来事くらいだ。

 

「あのクソ野郎は、あそこで……」

 

 視線を上から下に転じれば、月光館学園の校門が目に入る。桐条のサーバーをハッキングして得た情報によれば、『父』は一昨年の11月にそこで死んだ。殺したのは──

 

『翔』

 

 心の内側から声が発せられた。まるで皆月を遮るように、ミナヅキが話しかけてきた。

 

『幾月を殺したのは有里ではない。復讐なら筋が違うし、そもそも幾月の復讐など無益だ。奴は君の……』

 

 だがミナヅキが言い終える前に、皆月は心の中の存在を遮り返した。

 

「うっせえよ! クソ野郎はクソ野郎さ! 幾月は僕の父さんなんかじゃねえ! あんな奴、どうでもいいんだ!」

 

 皆月が『父』を父と呼ぶのは、心の中だけである。体を共有しているミナヅキにも聞こえない領域、即ち誰からも隠された心においてだけだ。

 

「僕はただ、有里をぶっ殺してえだけだ! 僕じゃあいつに敵わねえって、てめえは言いやがった! てめえの間違いをショーメイしてやんのさ! 世界の終わりのショータイムのメインイベント! 略してショーメイってな!」

 

『ならば……ここに来る意味はないはずだ。むしろ危険だ。すぐに帰るべきだ』

 

 ポートアイランドは桐条グループのお膝元だ。今の桐条は皆月たちの存在を把握していないが、それでもどこに目があるか分からないのだ。慎重なミナヅキにすれば、皆月が目的もなく敵の懐を徘徊するのは、そっとしておけないところである。

 

「んだよ……クソつまんねえド田舎に帰ってどうすんだよ! 霧だってまだ出ねえぜ! それとも何だ! あいつに会いてえのか!?」

 

 あいつ──

 

『翔、それは違う……』

 

「ふん……明日には帰ってやるさ。でもよ、せっかく来たんだ。ちっとくらいつまみ食いしてこうぜ」

 

『今殺すのはまずいぞ』

 

「殺しゃしねえよ……」

 

 皆月は創面を歪めた。黙っていれば端正な顔が、喜びを表す形に変わる。

 

 

(つけられてる……?)

 

 日付が13日に変わる直前の時間。荒垣は小料理屋の店じまいをして駅に向かう途中で、背後に気配を感じた。ペルソナではなく、生身の感覚に何かが届けられてきた。荒垣のペルソナは物理的な打撃に特化したもので、一言で言えば不器用なタイプだ。だがペルソナの特性は使用者本人のそれと一致するとは限らない。荒垣自身はペルソナと違って観察力が鋭く、人情の機微にも鋭敏だ。その感覚でもって、自分が何者かに尾行されているのに気付いた。

 

「……」

 

 今日は風花が手伝いに来る日ではなかったので、荒垣は一人で歩いている。自分一人でいることが、荒垣を懐かしい場所へと向かわせた。夏が残っている9月の半ばにあって、荒垣はロングコートをはおりニット帽をかぶるという暑苦しい服装でいる。コートのポケットに両手を入れ、尾行者に背を向けたまま歩いた。無防備な体勢だが、油断はしていない。

 

「荒垣真次郎だな」

 

 よそ者は立ち入るべきではない、町の裏側に辿り着いた。数年前から、町の不良たちの吹き溜まりと化してしまった場所である。今夜も数人の男女が、壁に背を預けたり地面に直接腰を下ろしたりして、たむろっている。そんな懐かしい空間に久しぶりに足を踏み入れた途端、荒垣は後ろから声をかけられた。若い男のものだ。

 

「誰だ」

 

 ポケットから両手を出しながら、荒垣は振り返った。ニット帽の縁から覗く目を鋭くして、相手を見据えようとした。だが街灯によって逆光になり、顔は見えなかった。

 

「けっ……誰でもいいだろ!」

 

 言うが早いか、尾行者はいきなり接近してきた。その踏み込みは風のように速かった。

 

「ぐっ……!?」

 

 咄嗟に両腕を交差させて、飛来してきた鉄の塊、もとい拳の一撃を防いだ。いや、本当に鉄だったのかもしれない。大柄な荒垣が思わず数歩後ずさりする、猛烈に重く硬い拳だった。あらかじめポケットから手を出していたのが幸いした。もし入れたままだったら、顔面に食らって昏倒させられていただろう。

 

「きゃああ!」

 

「な……何だ、あの野郎!?」

 

 溜まり場に悲鳴が響いた。ここは揉め事なら頻繁に起きる場所だ。ケンカが突然始まるくらい、特に珍しいことではない。それでも悲鳴と動揺が急激に広がっていった。その原因はケンカを始めた二人組のうち、仕掛けた方だった。

 

(ピエロ?)

 

 初撃の鉄拳をかろうじて防いだ荒垣は、一瞬目を丸くした。名も名乗らずに襲ってきた相手は、仮面で顔を隠していた。仮面である。目出し帽の類の覆面ではない。頭からかぶって頭部全体を包み込むものではなく、縁日で売られているお面のように顔の正面だけを隠すタイプだ。

 

 そして『お面』のデザインは、何ともおかしなものだった。ピエロと言うかクラウンと言うか、サーカスに登場するキャラクターそのままの古典的なものだったのだ。うっかりすると吹き出しそうになってしまうが、荒垣にそんな暇はない。

 

「うらあ!」

 

 顔を隠した男は更に仕掛けてきた。右の前蹴りから始めて、下ろした蹴り足がそのまま踏み込みとなって、左の回し蹴りを放つ。まだ回転は止まらず、連続技で右の後ろ回し蹴り。素早く、鋭く、流れるように。力感漲る足技を三つも重ねて放ってきた。

 

「うぐ……!」

 

 荒垣は蹴りを全て受け止めた。いや、受け止めたとは言えない。今の蹴りは三発ともほとんど同じ場所ばかりを狙っていた。顔面付近をガードする荒垣の腕に向けて、わざと叩き付けたのだ。つまりは小手調べの、遊び半分の技だ。それでいて凄まじい衝撃だった。腕の骨にひびくらい入ったかもしれない。

 

(強え……!)

 

 荒垣は素手のケンカには自信がある。四年前の10月から二年間、今からは信じられないほど生活が荒れていたから。町の不良相手のケンカは何度もやってきた。自分から吹っかけたことはめったになかったが、吹っかけられたことなら一度や二度ではない。そして負けたことは一度もない。だがピエロの仮面で顔を隠したこの男は格が違う。そこいらの不良など、何十人集まろうとまず敵うまい。

 

「ヤ、ヤベえぞ! ずらかれ!」

 

 男の桁の外れた危険さは、仮面くらいでは全く隠せていない。仮面を縁どる逆立つ髪からも、袖をまくって露わになった両腕からも、刺すような殺気が全身から溢れだしている。それを溜まり場の常連たちも感じ取ったか、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。ここは二年前の夏頃、とある超一級の危険人物三人組が頻繁に姿を現していたのだが、その時ここの常連たちは強者が現れた場合の処世術を身に付けさせられた。つまり逃げの一手だ。今夜は久しぶりにその出番となったわけだ。

 

「……」

 

 だが荒垣は逃げない。いや、正直に言えば逃げたいが、眼前の相手がそれを許してくれるとは思えないでいた。背を向ければ、次の瞬間に鉄の拳か蹴りが飛んでくるだけだ。

 

(シカト決め込んでりゃ良かったってわけか……)

 

 だが今さらそれを言っても仕方がない。胃の辺りに凝り始めた不快感を抑えて、痛む腕を上げて顎の前で構えた。右の頬に負った火傷の跡を隠すような形になる。すると──

 

「なあ、てめえは何で生きてやがんだ? のうのうとよ!」

 

 ピエロの仮面の下から言葉が届けられてきた。

 

「あ?」

 

「てめえは人を殺してやがんだろ! 二人もよ!」

 

「!」

 

 思わず息を飲んだ。これは言いがかりではない。事実だ。荒垣は過去に人を二人殺している。一人は四年前の10月で、もう一人は昨年の1月にやった。一人目は事故とも言えるものだったが、二人目は違う。殺すつもりで戦って、本当に死んだ。殺したのだ。そしてそのどちらに関しても、荒垣は罪に問われていない。警察に追われたこともない。世間は誰も知らず、隠された罪だ。

 

「なあ、取んなくていいのかよ……責任って奴をよ!」

 

 秘された罪を暴く男は、再び踏み込んできた。一足飛びに間合いに入り、悪意が満ちた仮面を荒垣の間近にまで寄せ、次の瞬間に爆弾を炸裂させてきた。

 

「あぐっ……」

 

 顔面をガードする腕の隙間を縫うように、男はボディーブローを打ってきたのだ。昨年荒垣に火傷を負わせ、殺しの業を背負わせた男がよく使っていた手榴弾もかくやと言う衝撃に、荒垣は壁際まで吹き飛ばされた。

 

「あー……それともあれか? 殺したからって、それがどうしたって奴? 何人殺そうが、何も気にしねえ?」

 

「く、がはっ……!」

 

 仮面の男は嘲笑を続けながら荒垣に近づく。真っ直ぐに、外連味なく。いっそ子供っぽいくらいの嫌味を次々と並べる。対する荒垣は、反論の為に口を動かすこともできない。腹を襲った衝撃は肺まで痺れさせていて、声がまともに出ない。壁に背を預けて立つのが精一杯だ。

 

 やがて男は荒垣の目の前までやって来て、右の拳をゆっくりと、だが大きく振りかぶった。狙いは顔面だ。これはもう命の危険もある。だがどうしようもない。万事は休した。と思いきや──

 

「大トカイの冷たい大人、トカイっちゃう? 言っちまう?」

 

 夏の終わりの空気が急に寒くなった。苛烈な暴力によって焦げるような熱気に満ちた溜まり場に、一陣の木枯らしが吹いた。追い詰められた荒垣が、腕と腹の痛みを一瞬忘れるくらいに。

 

「なんつってー! ぎゃははは!」

 

 腹の痛みは、責められる男から責める男へと移動した。仮面の男は自分のダジャレに襲われて、振り上げた凶器を下ろした。鉄の硬さを帯びた拳は解かれて腹に添えられた。男は背中を丸め、鋼鉄の腹筋を抱えて大笑いした。荒垣が見ている前で。

 

「ふん!」

 

 ダジャレを楽しむ趣味のない荒垣は、好機を逃さず反撃に出た。呆れで痛みを忘れているうちに、一歩踏み込んだ。拳の間合いには元から入っているが、更に相手に近づいた。

 

「がっ……!」

 

 頭突きを仮面の鼻面に叩き込んだ。拳よりも間合いが近く、威力が大きい荒垣の得意技だ。笑い転げる仮面の男は不意打ちを受けて、数歩たたらを踏んだ。この男は攻撃においては、信じがたいほど重く速い。しかし防御においてはそうでもない。と言うより、実は打たれ弱いのだ。高すぎる実力の為に一方的な戦いに慣れすぎていて、痛みに慣れていない。痣にもならないような打撃でも、うっかりすると怯んでしまう悪癖があった。

 

「てめっ……どわっ!」

 

 思わぬ反撃を受けた男は、外れた間合いを詰めるべく踏み込もうとした。だがその足を止めて、慌てて仮面に左手を当てた。荒垣の頭突きでピエロの仮面、と言うかお面がずれて、頭に通した紐が切れたのだ。素顔がさらされようとするのを手で抑えた。

 

「ちっ……舐めた真似しやがって……!」

 

 男の目は仮面と手で隠されている。それでいながら隠しきれない殺気が、視線のように荒垣を貫く。

 

(こんな野郎、片手で十分だぜ!)

 

 仮面の男は声には出さず、内心で滾り立つ。今日は元より荒垣を殺すつもりはなかった。だが気が変わりつつあった。たとえ左手で仮面を抑えたままでも、右手一本で相手を殺せる。それを証明してやりたい衝動が湧いてきた。すると──

 

『翔、ここまでだ』

 

 心の中から制止の声が上がった。無謀な挑戦や危険な遊びをしようとすると、いつも引き留めてくる声。やろうと思えば自分を押しのけて、強引に表に出てくることも可能な存在の声。自分と同じ名前で呼んでいる、限りなく身近な存在。知らぬ間に死んでしまった『父』以外の、たった一人の他者。ミナヅキだ。

 

「……」

 

『間違えるな。君の相手は有里だ。この男を殺したところで意味はない』

 

「けっ……!」

 

 仮面の男、皆月は戦いを惜しむ気持ちを踏み潰すように、踵を地面に打ち付けた。そこを中心に体を回転させて背を向けた。

 

「あばよ、半端野郎!」

 

 捨てゼリフを吐いて、皆月は溜まり場の出口に向けて一目散に走り出した。踏み込みは異様に速かったが、逃げ足も負けず劣らず速い。壁際にいるままの荒垣からあっと言う間に遠ざかり、すぐに見えなくなった。

 

「ふざけた野郎だ……」

 

 常連の不良たちは、蜘蛛の子のように散らされたまま戻ってこない。かつての罪の現場に一人で残された荒垣は、誰にともなく呟いた。

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 満月の夜が明けた13日の朝。辰巳記念病院のある一室に三人の大人が集まった。夜中に突然の襲撃を受けた荒垣と、連絡を受けた美鶴と有里である。ピエロの仮面で顔を隠した襲撃者が去った後、荒垣は夜のうちに美鶴に電話で連絡を入れたのだ。それで美鶴はかつての高校の同輩を、緊急入院させたわけである。

 

「大したことはねえよ。タカヤに撃たれた時に比べりゃ、ぬるいくらいだ」

 

 入院服を着た荒垣は渋い顔で答えた。もし事が普通のケンカであれば、荒垣はたとえ怪我をしても仲間に知らせるようなことはしない。余計な心配をさせるのは本意ではないから。だが昨日の一件は、自分一人の腹に飲み込んでおくには問題が重大すぎると判断したのだった。

 

「ああ、アキには言うんじゃねえぞ。せっかくあの馬鹿がいなくなって、静かになってんだからよ」

 

 その問題とは──

 

「お前の過去を……いや、我々の過去を知っている者か」

 

 襲撃者の言動だ。荒垣が背負った業を知っているのは、桐条グループの関係者の中でもごく一部である。具体的に言うと旧特別課外活動部のメンバー全員と、グループ総帥の桐条武治。他には裏工作担当の人員数名程度だ。

 

「公安関係ではないでしょうね」

 

 有里は考えられる可能性から、まず一つを消去した。昨日美鶴と話した通り、公安は堂島も巻き込んでシャドウワーカー本部の過去を探っている。だが荒垣の話にあった男を彼らが差し向けたとは思えない。荒垣を痛めつけたところで、公安にとっては何の意味もないからだ。そして何より──

 

「俺もそう思う。あんなふざけた野郎が警察の身内とか、ねえだろ……」

 

 何がふざけているかと言えば、全般的にだ。その中でも取り分け冗談のようだったのは──

 

「大都会の冷たい大人……が、何だったか?」

 

「二度も言わせんな。口が腐る」

 

 美鶴は襲撃者の最大の特徴を途中まで口にしたが、荒垣は続きを述べなかった。しかし皆まで言わなくても分かる話である。そういう冗談が好きだった男について、この場の三人は心当たりがあった。もちろんその男は二年前に死んでいる。しかし未知の関係者がいる可能性は否定できない。

 

「幾月の関係者か、そう思わせようとしているだけか……。まだ判断はつかんが、ゆるがせにはできんな。調査の必要がある」

 

「ええ、僕も調査に当たります」

 

 ここで有里が志願した。事が幾月に関係しているとなれば、業を背負う有里は無視できない。しかし──

 

「有里、予報によれば稲羽市は明日と明後日は雨だ。霧が出るかはまだ定かでないが、君はそちらを優先すべきではないか?」

 

「いえ、そろそろ彼らに任せるべきと思っていたところです。いい機会ですから、次の霧の日は僕抜きでやってもらいます」

 

「しかしな……」

 

 美鶴は渋るが、有里は休まず畳み掛ける。

 

「堂島さんの指揮も板に付いてきましたし。実際、先月の霧の日は僕はほとんど何もしなかったくらいです。それに白鐘君の件もありますから、僕はしばらく向こうに行かない方が得策です」

 

 有里は立て板に水を流すように、つらつらと理屈を並べる。そこに道理はあるが、正直なところを言えば有里は単に稲羽に行きたくないのだ。なぜかと言うと、マーガレットの件があるから。特に先月に虚無の大地で見せられた映像は、これまでで最悪だった。真夜中まで強い酒を煽るくらいに、深く抉られた。だから行かなくて済むなら、二度と行きたくないくらいなのである。無論、この場でそう口に出して言いはしないが。

 

「足立さんと小西君がいれば、大抵のシャドウは何とかなりますよ」

 

「話は聞いちゃいるが、足立ってのはそんなに強えのか?」

 

「もうすぐ荒垣さんに追いつくかもしれませんね」

 

「その話もアキには言わねえ方がいいな。勝負だ! とかぬかして、警察署に殴り込みするかもしんねえぞ」

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