「お、おめえ……」
9月13日の火曜日、探偵王子が出演したテレビ番組が放映された、その翌朝。港区にある辰巳記念病院の荒垣の病室に有里と美鶴が集まっていた頃、八十稲羽の鮫川土手では三人の少年と、一人の『少年』が対峙していた。
「事件のことでお話があって、皆さんを待っていました」
一人は『少年』探偵の直斗だ。今日は学校があるにも関わらず、なぜか私服姿でいる。対する三人は特別捜査隊の男性陣。悠と陽介、そして完二だ。
「……話なら、こないだもしたはずだが」
まず悠が応じた。こないだとは修学旅行二日目の夜のことだ。ポートアイランドのクラブで直斗は自分の身の上を簡単に話した後で、悠たちが事件にどう関わっているのか尋ねてきた。極めてストレートに。
「ええ、話してくれる気がないのは分かっています。ですから、現時点での僕の考えを聞いてくれますか?」
実はクラブでは場酔いした約二名が真相を明かしていたのだが、直斗はそれを信じていない。何しろ証拠を見せられない限りは、信じられないのが当然の『真相』だったから。
「まず諸岡さんを殺したのは、自首した少年に間違いありません。ただし彼はそれ以外の事件とは無関係です。よって諸岡さんの件は除外して考えます」
「待て……それは本当か? 諸岡先生を殺したのは、久保美津雄なのか?」
「どうして名前をご存じなんです?」
「ネット探せば、名前や顔写真くらい見つかるさ」
悠が久保の顔と名前を知ったのは、マヨナカテレビに自分が映った7月15日だ。情報源はインターネット上のサイトである。情報社会の現代では、少年犯罪の容疑者の個人情報が流出するなど珍しくもない。世間を賑わせた重大事件であれば、むしろ流出しない方が珍しい。
「そうでしたね……」
直斗はため息を吐いた。しかしすぐに気を取り直す。
「ええ、諸岡さんを殺したのは久保に間違いありません。物証もありますから」
「物証って、具体的には?」
「凶器の金属バットと、それに付着していた指紋と血痕が決め手です。他にも遺体発見現場のアパートや諸岡さんの衣服から検出された、指紋や毛髪……色々あります。報道されている通りです」
一つでもあれば立件するのに十分な物的証拠がいくつもある。それは諸岡を殺した犯人が、いかに杜撰で無計画だったかを示している。超常の力をもってしなければ解き明かせない、闇に包まれた事件などではない。たとえ犯人が自首しなくても、一日か二日もあれば普通の警察が簡単に捕まえられる。そんな稚拙な犯罪だ。
「そうか……」
悠は目を閉じて奥歯を噛みしめた。分かっていたことだ。7月17日にテレビに落とされ、仲間たちに救助され、その後に皆と話し合った時からそうなのだろうと思っていた。それでいながら、自分の心の中では曖昧なところを残していた。諸岡が死んだ日に、きっと嘘だと信じて現場に一人で向かったように、僅かな希望にすがっていた。だが警察の協力者だという直斗の口からこうもはっきり言われると、どうやっても認めざるを得なくなる。自分は諸岡の仇は取れないのだと。
「相棒……」
陽介が肩に手を置いてきた。湧き上がる無念を、どうしようもない悔しさを、手で優しく払いのけようとするように。砂を噛むような思いを、二人で分かち合おうとするように。4月にテレビの中のコニシ酒店で、悠が陽介の肩に手を置いたように、今日は陽介がそうしてくれた。
「……大丈夫だ」
「話を戻してもよろしいですか?」
「ああ……続けてくれ」
「では……諸岡さん以外の被害者の共通点ですが、殺害の前に必ず誘拐されるということ。狙われるのは、『メディアにある程度はっきり取り上げられ、急に知名度を得た地元民』……その辺りが確率的に高いでしょう」
「……メディアがどうとかそんな話、新聞やニュースじゃ見たことないが」
直斗と視線を真っ直ぐ合わせながら、悠は考える。直斗がテレビに出た以上、連続誘拐殺人事件の犯人はきっと再び動き出す。ならばこの下級生を利用して、犯人を確保できないかとの打算もないではない。ではどうするのが最善か?
(どうするよ、相棒……。いっそこいつを向こうに連れてって、本当のことを教えてやるって手もあるかもだが……)
陽介も考える。だが何も言わずに黙っている。判断はリーダーの悠に任せるつもりでいる。
「……」
そして完二も黙っている。ただし上級生二人と違って、直斗を見てはいない。首や肩に余計な力が入っているように身を強張らせながら、脇を向いている。
(どうするか……こいつに真相を教えた方がいいか、教えない方がいいか……。教えないなら、こいつの住所を聞き出して周りを張り込む必要がある。教えるなら……)
悠は考え続ける。どうすれば犯人により確実に迫れるか、頭を巡らせる。この点、悠は港区在住の『先輩』に少しずつ近づいていると言えよう。もちろん悠自身は先輩の正体を知らないし、彼に陰謀癖があったことなど知らない。まして彼が巡らせていた陰謀は、ほぼ全て失敗に終わったことなど、知る由もない。
「ええ、この推理が間違っている可能性もあります」
悩んでいる間に、直斗が話を進めてきた。
「なぜなら……例外がいるからです。鳴上さん、貴方です」
「!……」
悠は答えない。内心ではかなり驚いていたが、努力してそれを抑えていた。
「諸岡さんが亡くなった直後、貴方はマスコミのインタビューに答え、ニュースで放送されました。しかし貴方が失踪した形跡はありません」
そう、悠が失踪した『形跡』はないのだ。悠は犯人によって落とされたが、その日の内に救助されたから。家の外で一晩明かしたわけでもないので、同居している堂島にさえ失踪したとは認識されていない。よって捜索願も出されていない。
「ただしこう考えることもできます。鳴上さんのケースが、例外でないとするならば……」
繰り返すが、悠の『先輩』が巡らせていた陰謀は失敗ばかりだった。あたかも愚者が企むことは、常に失敗が宿命づけられているかのように。だから今日の悠も失敗した。直斗にどう応じるか、どうすれば最善の結果を得られるか考えている間に、特捜隊の部外者に敢えて真相を明かすという手段は取れなくなってしまった。
「犯人は貴方がた」
「あ!?」
それまで脇を向いていた完二が突然声を上げた。じっとしている間に溜め込んだ力を解放するように、顔を猛烈な勢いで『少年』の側へ向けた。
「その中でも……鳴上さん。貴方が主犯である可能性が最も高い。過去に失踪しながらも死を免れた人たちは、懐柔していると考えれば筋は通ります」
「て……てっめ! 黙って聞いてりゃあ、ふざけやがって!」
完二は首を回すだけに留まらず、全身を乗り出してきた。敬愛する先輩と無礼な同輩の間に体を割り込ませた。顔は怒りで紅潮し、肩が震えている。まだ手は上げていないが、もう上げる寸前だ。逞しい腕の筋肉は直斗の胸倉を掴んで捻り上げてやりたくて、うずうずしている。
「先輩が犯人だとお! てめえ、頭腐ってんじゃねえのか!?」
「お、おい馬鹿、やめろって!」
「落ち着け!」
陽介と悠が二人がかりで激昂した下級生を取り押さえた。それで完二は一歩下がった。本気になれば線の細い上級生二人を引き剥がすくらい、完二にはできる。しかしそうしなかった。ただ憎悪の滲む目を直斗に注ぐ。
「クソッタレが……てめえなんざ、勝手にくたばりゃいいんだ! どこで何されようが、ゼッテー助けねえからな!」
完二は踵を返し、歩き去った。学校とは反対側へ。かくして話は脈絡も段取りも、何もかもぶち壊しになった。
「随分嫌われてしまったようですね……。いえ、貴方はそれだけ彼に慕われている、と言うべきでしょうか」
直斗はため息を吐いた。悠を疑っているのは本当である。しかし実はその一方で、全く逆の可能性も考えているのだ。それは悠たちは犯人ではなく、逆に犯人を追い詰める手段を持った者であるなどだ。悠が失踪した形跡がないのは、誘拐されて即座に救出されたか、もしくは自力で犯人から身を守ったか──
しかし直斗がそれを言う前に、また別の『事件』の関係者がやって来た。
「よお、鳴上」
知っている声に呼びかけられて振り返ると、一条と長瀬がやって来た。鮫川土手は通学路として、多くの八十神高校の生徒に使われている。だからこの時間にここに立ち止まっていれば、生徒の誰が来ても不思議はない。
「今、巽とすれ違ったけど……あいつ、学校サボる気か?」
「ああ、ちょっとな……」
悠は曖昧に答えた。すると──
「貴方は……一条康さんですね」
新たにやって来た関係者に、直斗は探偵としての注意を移した。今の八十稲羽で起きている事件については、直斗は殺人と失踪の他にもう一つ注目している『事件』がある。霧の日の早朝、意識不明の状態で病院に搬送された高校生たちだ。一条はその一人である。
「ん? えっと……白鐘君、だっけ? 俺のこと知ってんの?」
しかし一条は直斗については顔と名前くらいしか知らない。学年が違うし、部活などでも接点がないから。
「あ、もしかして小西と同じクラスだったり? あいつから何か聞いた?」
「いえ、小西尚紀君とはクラスが違います。彼と話したことはありませんが……」
修学旅行の前に悠が尚紀に聞いた通り、一学期までと二学期以降で各々校内で名前を売った二人の一年生は、まだ話したことがない。そして尚紀は直斗に関心がない。しかし直斗は違う。
「僕は貴方がたにも興味はあります」
興味がある──
「機会があれば、お話を伺いたいですね」
直斗は帽子の下の目を上目遣いにして、一条をじっと見据える。時間にして数秒もそれを続けて、やがて脇へ逸らした。その視線が一瞬だけ、一条の隣にいた長瀬と交錯した。
(こいつ……?)
瞬間、長瀬の脳裏に何かが閃いた。だがそれを口にする前に、直斗は歩き出した。学校とは反対側へ。四人の上級生の間をすり抜けて、完二が去って行ったのと同じ方向へ向かった。
「何なんだ、ありゃ……? 興味とか言われても、ぞっとしないな」
直斗の背中が遠ざかってから、一条は腕組みをして半袖のワイシャツから覗く自分の腕をさすった。興味があるとか話を聞きたいとか、男が男に言われても困るだけだから。
『興味』とは誤解を招きやすい言葉である。極端な例では、どこぞの不良然とした少年がとある小柄な美少年にこう言われて、酷く挙動不審になったことがある。その上、『変な人ですね』と言われて更に動揺した。その結果として、彼は怪しい熱帯天国、もといサウナのダンジョンを生み出してしまったようなものなのだ。しかし一条は季節外れの寒気を覚えただけで、特に動揺はしなかった。
「……なあ、一条」
そして長瀬は動揺はおろか、ある意味では『誤解』もしなかった。女嫌いであるのは、長瀬はサウナの少年と同じだが、二人の心理は微妙に異なる。過去の経験においては大いに異なる。その違いが長瀬にある真実を掴ませた。修学旅行の二日目に、有里が見抜いて利用したのと同じ真実を。
「ん?」
「あの白鐘って奴、女だよな?」
長瀬は女子に苦手意識があるが、例外も何人かいる。例えば千枝だ。簡単に言うと女を意識させないタイプだ。その点、今の下級生は特にそうだった。だが人に『女を意識させない』と感じさせるのは、男にはできないことだ。そもそも女でないのであれば、意識も無意識もないのだから。それはつまり、今の『少年』は──
「はあ!? お前……まさかそっちか!?」
しかし一条は掴んでいなかった。同じアルカナを持つ親友とはいえ、全ての認識を同じくはしない。
「は? そっちって、どっちだ?」
「だから、そっちだよ! そっちに走っちまったのか!?」
一条は親友から身を引いた。腕組みを解いて上体を仰け反らせながら、一歩二歩と後ずさりする。5月にテレビの世界のサウナの入り口で、陽介が後ずさりしたように。そんなあからさまな態度と、わざとらしい恐怖に強張る一条の顔が、長瀬に理解させた。親友が何を言わんとしているのか。
「は……って、馬鹿野郎! ざっけんなよ! お前、知ってんだろうが! 俺、中学ん時は……!」
完二と違って、長瀬は挙動不審にはならない。普通に怒るだけだ。『図星』を指されたわけではないから。
「知ってるよ! でもそれ以来ゼロだろ! それってつまり……」
「お前ら、何の話をしてるんだ」
ここで悠が割り込んだ。剛毅の絆で結ばれた二人は何を言い合っているのか、さっぱり理解できない。
「ああ、長瀬ってこう見えてな……いや、やめとこう」
一条は説明しようとしたが、すぐに口を噤んだ。再び腕を組んで目を閉じる。まるで親友の恥を世間から秘密にしてやるように。
「半端にすんな! 誤解されんだろうが!」
「誤解か……? ホントに誤解か?」
「もういい! 鳴上! 今日の放課後、ちっと付き合え!」
「朝っぱらから何なんだよ、このカオス……」
あらぬ方向へ行ってしまった話に、完全に置いてけぼりを食らっている陽介は、一人虚しく呟いた。かくして直斗に真相を明かして利用するか、もしくは明かさないまま利用するかの当初の懸案事項は、完全に吹き飛ばされた。
授業を終えた放課後の時間。悠は長瀬に連れられて校舎裏に身を置いた。一条も一緒である。ちなみに今日はバスケ部もサッカー部もあるのだが、三人ともサボっている。悠は部活より優先すべき問題である直斗の一件をどうするかを、特捜隊の皆と話し合いたかったのだが、長瀬の剣幕に引きずられてできずにいた。
「このアホがよ、俺をホモだとか言いやがるんだ」
長瀬は親友を指差し、釣られて悠も一条を見る。
「……そうなのか?」
「俺も今日まで知らなかったが……」
一条は難しい顔をしている。と言うより、顔を作っている。一条は仮面の扱いが巧みな方なので、困惑の表情くらいはお手の物だ。つまり長瀬に抱いている『疑惑』は、実は冗談なのである。今年からの新しい友人も巻き込んで、ただ面白がっているに過ぎない。
「違えっつってんだろ! 俺、中学ん時は、付き合ってた女がいたんだからよ……」
しかし親友とは対照的に、長瀬は仮面の扱いが下手な方だ。冗談を真に受けるタイプである。熱くなると見境がなくなる。
「そうなのか?」
高校に入ってからは誰にも言わずにいた自分の秘密を、うっかり漏らしてしまうくらいに。
「あ……」
失言を悟った長瀬は口を噤んだ。親友の『誤解』に対する怒りは急激に去って、それに代わる何かが表れてきた。
「忘れてくれ……いや、もうこの際だから、何でもいい。女とか、面倒くせえのはホントだし……」
何かと言えば、恥ずかしさだ。長瀬にとっては、特殊な性癖があると誤解されるより恥ずかしいことを、思わず口にしてしまった。こうなってしまっては、とにかくこれ以上追及せず、ただそっとしておいてくれと長瀬は言っている。しかし──
「長瀬……それは良くないと思うぞ」
一学期の頃の悠であれば、相手が望む通りにしただろう。しかし担任の死から始まった諸々を経た悠は、友人が誤解されるままでいるのを放置しておかない。
「その……何だ。本当にそうならしょうがない。気持ち悪いとか、そんなことも言わない……。だが違うなら違うって、はっきりしてくれ」
性癖に関する話なら、悠は5月にテレビの中で強烈なものを見ている。だから歯切れが悪くなってしまうが、敬遠したくもないのだ。それに加えて、剛毅のコミュニティは一条一人が担っているものではないので、長瀬との関係はテレビの中での悠自身の戦力にも影響する。その事実が、絆を束ねるワイルドを後押しする。
「……場所、変えようぜ」
真実を求める友人に促されて、長瀬は歩き出した。一条と悠は、黙ってついて行った。
剛毅の絆で結ばれた三人は、鮫川の河川敷までやって来た。砂利の上に並んで腰を下ろして、長瀬は自分の過去を告白した。曰く、中学時代に付き合っていた異性がいたのは本当で、向こうから告白されたのだった。しかし関係がそれ以上進展する前に、別れてしまった。『私のこと好きじゃないんでしょ』とか言われて、頬を張られた。要は振られたわけである。何がいけなかったのかは、自分でもよく分からない。
「それからな……女が嫌いになったっつーか……」
「……怖くなったんだろ?」
長瀬が遠回しに話そうとした、もしくは隠そうとした核心に、一条は静かに触れた。一条は朝から冗談を重ねていたが、やはり二人は親友である。真摯に話している時に茶化しはしない。
「まだ引きずってたんだな……。でももう、いいじゃんかよ。俺らもう……」
「……」
長瀬は座ったまま天を仰いだ。眩しい青い空が目に痛い。しかし──
(確か、明日は雨だったよな……)
晴天に目を細めながら、長瀬は思う。今日の天気は晴れだが、明日は雨が降る。今週は霧が出るとは予報されていないが、きっと近いうちにまた出る。夏休みから目の前に開かれた、新たなステージが待っているはずなのだ。こうなった以上、もはや過去は綺麗に忘れて、現在だけを見ていようかとの思いが湧いてくるが──
「俺は反対だ」
「鳴上?」
「お前、その子のこと、まだ好きなんじゃないのか? ならケジメつけてこいよ」
色恋に関するあれこれは、悠は八十稲羽に来てから今日までの間に何度か経験している。そしてそれらの中には、実を結ばなかったものもある。失敗はいくつかしでかしている。その時の苦い記憶が、悠を一歩踏み込ませた。
「そっとしておいても、何もいいことはないぞ」
「ケジメ……か」
長瀬は再び天を仰いだ。胸に右手を当てて考える。
(俺は……俺のペルソナは……何で目覚めた? もしかして、あいつの為……?)
シャドウワーカーの部外者がいるこの場では口に出せない事柄を考えた。二ヶ月ほど前、唐突に目覚めた自分の力は一体何の為にあるのかと。一学期の終わりにジュネスのフードコートで一条が密かに考えた事柄を、長瀬も考えた。
それは物事に意味を求めずにはいられない、ある種の少年らしい考えだ。そして大抵の場合、誤っている。
翌14日の放課後、悠は昨日に引き続いて剛毅の二人と一緒にいた。ただし場所は校舎の裏や河川敷ではなく、愛家である。カウンター席に三人並んで、肉丼や麻婆ライスを掻き込んでいた。席の配置は長瀬を中央に置いて、左右に一条と悠だ。
「すっきりしたか?」
「ああ」
今日の授業を終えてすぐの時間、長瀬は元彼女の同級生に改めて言ったのだ。『ちゃんと好きだった』と。恥ずかしくはあったが、努力して思いを口にした。そこには相手もまだ自分を好きかもしれないとの期待が、そして自分の力は彼女の為にあるのではないかとの、少年らしい意味を求める気持ちもあったのだが──
「けどまさか、先輩と付き合ってたとは……」
長瀬は肉を満載した丼に、顔を突っ込みそうに落ち込んだ。今日初めて知ったのだが、かの同級生はサッカー部の先輩と交際していたのだ。つまり改めて振られたわけである。
「そりゃしゃあねえだろ。もう二年も経ってんだろ?」
もっと早い時期に行動していれば、結果は違っていたかもしれない。だが今となっては後の祭りである。
「しかしまあ、よく思いきったな」
一条は仕方がないと言いつつも、感心したようにも言う。
「ん?」
「いや、こう言っちゃなんだけどよ……お前って色々投げ遣りだったじゃん? サッカーもさ」
「ま、否定はできねえが……つか、人のこと言えんのかよ。サボり魔が」
「耳が痛いな……」
長瀬の反撃に、一条は顔を顰めた。
「お前ら、何の話をしてるんだ」
「ああ……悪い。こいつ、最近はマジでサッカーやってる口じゃなかったんだ」
サッカー部での長瀬を見ていない悠は知らない話だったが、実は長瀬は部活にさほどの熱を入れていなかったのだ。部活を休むことはめったになかったが、どこか手を抜いていた。まるで本気で努力して、失敗して傷つくのを恐れるように。一条の目には、高校に入った頃からの親友の姿はそう見えていた。
「んで、こいつもマジでバスケやってねえってのは、鳴上も知っての通りさ」
こちらの話は悠も知っている。春の一条は部活を熱心にやっていたが、夏が始まった頃から休む日が多くなっていた。その理由に関しても、悠は一学期の終わりに一条自身の口から聞いている。
「そうだけどよ……これからは違うぜ」
人は何か一つのことで挫折すると、連鎖して生活全般に潤いをなくしてしまうことがある。これを俗に無気力症と言う。それとは逆に何か一つのことに充実を見出すと、全体的に蘇ることもある。一条と長瀬はそうした再生を遂げたのだ。『本来あるべき運命』においては、幼い頃からの親友と今年からの新しい友人によって、もたらされるはずだった人生の転機。それを『本来あり得なかった運命』によって得たのだ。
「んじゃ、まずは合コンでもしようぜ。一条、声かけ頼むな」
「そっちかよ! けどまあ……それもいっか。沖奈にでも繰り出してパーッとやるか!」
「鳴上も参加な」
「いや、俺は……」
悠は自由に合コンなどできる身ではないのだ。その理由は色々あるが──
「遠慮すんな。小沢には黙っといてやっから」
結局のところ、この翌日に開催された一条主催の合コンに、悠は参加させられた。13日から三日も続けて長瀬に振り回されてしまったわけである。その為、犯人の魔手が迫っていた直斗には、悠は何もできなかった。周囲を張り込んで犯人を捕まえることはおろか、直斗の自宅の場所さえ分からずじまいだった。
そして悠が剛毅の二人から解放された日の晩、マヨナカテレビに『人体改造手術』なるバラエティ番組が映し出された。つまりこれまでの失踪者のケースと同様、特捜隊は後手に回ってしまったわけだ。
テレビの世界に落とされた直斗の捜索と救出に、特捜隊はこれまでで最も長い時間をかけた。そうなった理由はテレビの世界に蠢くシャドウだ。直斗が生み出したダンジョンに棲息するシャドウの強さは、それまでとは一線を画していた。なぜそうなったのかは特捜隊には知る由もないことだったが、とにかく攻略の難度は上がってしまった。マリーに薦められて買ったカエルの置物も活用しつつ、現実とテレビを何度も往復して、ようやく救助に成功したのだった。
そうして苦労して失敗を償った後、9月24日の土曜日。先週に引き続いて、特捜隊以外の学内の絆に動きがあった。
「ざけたこと言ってんな!」
一条と悠はバスケ部の練習を終えた後、愛家に行こうとの話になって、長瀬を誘いにグラウンドに来た。来た途端、友人の怒声を耳にした。付き合いの長い一条にすれば、長瀬が怒るのはよくあることだ。しかし今日は声量が普段と違っていた。グラウンドの端から端まで届くほどの強烈なものだった。
「ん……何だあいつ。何キレてんだ?」
「あれは……海老原?」
グラウンドの一角に置かれたサッカーゴールの前の辺りで、部の違う友人と、密かに付き合っている(と言う割には、長瀬と元彼女並みに関係は進展していないが)少女の姿を悠は認めた。ついでに言うと、他のサッカー部員も何人かそこにいた。だが顧問はいなかった。
「あ、悠! ……と、一条君……」
二人が近づくと、埃っぽいグラウンドが似合わない金髪の少女、あいが駆け寄ってきた。
「ねえ、助けてよ。この馬鹿が酷いのよ!」
「馬鹿はお前だろ!」
「ど、どーどー……冷静になろうぜ?」
「落ち着けよ」
一条と悠は二人がかりで、熱くなる少年と泣きつく少女を宥めた。
「マネージャー?」
話によると、あいは今日からサッカー部のマネージャーを務めることになったらしい。サッカー部の顧問である近藤(バスケ部の顧問でもある)に連れられて、グラウンドに来たのがつい先ほど。しかしあい自身はやる気がまるでなく、『基本、来ないから。あたしに色々頼んだりしないでよ』と言い放ったところで、長瀬がキレたというわけだった。
「いや、そりゃ君が悪いでしょ。てか、そんなら何でマネージャーやることにしたの」
「汗臭い奴らの世話なんか好きでやるわけないでしょ! 出席日数足りないから、マネージャーすれば進級させてやるって言われただけよ!」
一条が窘めると、あいもキレた。ちなみにこの二人はクラスメイトである。
「だったらなおさら真面目にやらないとまずいだろう。ただでさえ長い間、学校休んでたんだろう?」
そこへ悠が口を挟んだ。そしてこの指摘は正しい。
「サボっていいのは留年とかしない限り……そういうものだろ?」
悠があいと月のコミュニティを築いたのは、6月16日だ。その時、悠はこれと似たようなセリフを言って、その成果として絆を貰ったようなものだった。ただし今日の悠は、サボりを推奨しているわけではない。
絆が築かれた当時のあいは、単純な教師を騙すなどわけもないと余裕ぶっていた。しかしあれから三ヶ月を経て、遂に危険水域にまで来たのである。進級できるかできないか、冗談ではなく本気で危ないラインにいる。授業はもちろんマネージャーをサボっていることも顧問に知られれば、一発で決まりになる領域だ。今この場に近藤はいないが、もしサッカー部の誰かが告げ口でもすれば、それで終わりになる。つまり選択の余地はないはずなのだ。
「うう……何でこんな目に……あたしが何したって言うのよ……」
やりたくもないマネージャーをやらざるを得ない。なぜこんな羽目に陥ったのか。それは4月の霧の日に、世にも稀な不運に襲われて影人間になってしまったから──
「授業、サボりまくってるからでしょ……」
だけではない。あいは昨年からサボり癖がついていて、教師たちに目を付けられているのが本当の原因だ。つまるところ、自業自得だ。
「人間、我慢が必要な時もあるさ」
「分かったわよ……やりゃあいいんでしょ!」
好きだった一条と『一応』彼氏の悠の二人に諭されて、遂にあいは白旗を上げた。
「おお、マジ!? 海老原さん、マジでマネージャーやってくれんの!?」
そして部員たちの間で俄かな期待が持ち上がった。何のかの言っても、あいは校内では人気がある。マンガ的に言えば、頭の上にハートマークが大量に湧き出てきた。しかし──
「おいお前ら! 練習すんぞ! モモ上げがまだ終わってねえだろ!」
浮かれる同輩たちを、長瀬が一喝した。広いグラウンドを越えて校舎の窓ガラスまで揺らしそうな、猛烈な掛け声だ。
「うええ……もう無理。走れねえっす……」
「無理と思ってからが勝負だろ! ほら、こいつらにも付き合わせっから!」
「俺らも!?」
先週に一つの転機を経た長瀬に遠慮というものはない。元より体格に恵まれている長瀬は、体力では部で一番あるくらいなのだ。そこへ充実した気力と高いモラールを取り戻した今、部の同輩たちはおろか部の違う友人たちも容赦なく巻き込む。
「海老原も帰んじゃねえぞ! 終わるまで待ってろ!」
その勢いに、あいも巻き込まれてしまった。もしもっと早い時期、長瀬のモラールが低い頃にマネージャーに就任していれば、きっとサボっていられたであろう。しかし『そうするべき』時期に影人間になっていたあいは、熱血漢の長瀬からは逃げられなかった。時期が悪かったのだ。