ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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栄光の時(2011/10/10)

 10月10日の体育の日、ジュネスは特売セールを打ち出した。集客の目玉は、屋上に急遽設置したステージでのアイドル歌手のライブだ。そしてメインイベントの開始直前の時間、若手のバンドグループがステージ裏の楽屋エリアに集合した。出番を待っているところである。

 

 そこへ陽介が小走りでやって来た。

 

「お客、予想以上に集まってる! 知ってる顔も大勢いるし! うちの親父、上手いことやりやがったな!」

 

 陽介は客席の様子を見に行っていたのだ。この日は元々真下かなみの一日署長に便乗したものだったが、それが流れてなお、ジュネス八十稲羽店は想定以上の集客をやってみせた。一昨日の陽介は父親の首を心配していたが、逆境はもはや乗り越えられたと言ってよい。あとはメインが成功すれば、一年前の開業以来の、一日の売上新記録さえ達成できるかもしれない。

 

「ヤベえぜ、盛り上がってきたぜ!」

 

 陽介は笑顔である。口ではヤバいと言っているが、状況をすっかり楽しんでいる。

 

「出番まだっすか? 早く叩きたくて、うずうずしてんだが」

 

 笑顔なのは陽介だけではない。全員が充実感を漂わせている。お呼びがかかれば、すぐにでもステージへ走っていきそうな勢いだ。そんな軽い興奮状態の仲間たちの中で、りせは比較的落ち着いており、ベンチに腰掛けている。

 

「みんな、緊張でガチガチって感じじゃないね」

 

「い、いやいや! 緊張してないわけじゃないよ! ただテンション高くて紛れてるみたいなもんで……」

 

 そう言う千枝は頬がやや上気している。

 

「それでいいのよ」

 

 りせは立ち上がり、八人の輪の中に改めて加わる。

 

「みんな緊張はしてるんだけど、自信あるんでしょ? すっごくいい状態よ」

 

 緊張はしているが、それに飲まれはしない。緊張そのものを楽しんでいられる余裕がある。それは勝負に臨む人の心理状態としては、最善に近いものだ。アイドルとして活動していた時期のりせも、こういう感覚はめったに得られるものではなかった。

 

「たった二日とはいえ、散々練習しましたからね。テレビに出た時より緊張は少なくて済んでいるくらいです」

 

「うん。りせちゃんいるし、鳴上君いるし。絶対大丈夫って思えるの」

 

 もはや怖いものなしだ。

 

「オッケー! じゃああとは楽しむだけよ。ライブってすっごく面白いんだから。音楽とお客さんと一つになるの。それってライブでしかできないことよ」

 

 舞台に立って実演すること。それは音源の録音やテレビ番組の収録とは違うものだ。たった一度きり、同じことは二度と繰り返されないもの。インターネット動画を始めとする再現手段がいくらでもある現代にあってなお、否、現代だからこそ貴重な一期一会の夢舞台。時間芸術の真価が発揮されるのがライブだ。

 

 栄光の瞬間を迎える準備は万端である。ただ、敢えて言うならば──

 

「でもちょっとだけ残念クマ。衣装、クマ以外はみんな普通クマ」

 

 皆の服装はクマを除いて、全員が八十神高校の冬物の制服である。学校の衣替えは明日からだが、一日早い装いに身を包んでいる。一つの季節を着てしまった夏服よりは良いということで。なお、かく言うクマもある意味普通である。仲間たちはとうに見慣れて、店でもそろそろお馴染みになってきたいつもの表情豊かな着ぐるみ姿だ。

 

「しゃあねえだろ。俺ら衣装なんか持ってねえし、準備すんにはさすがに時間なさすぎだったんだから……」

 

 完璧を期したバンドにおける、たった一つの弱点と言ったところである。だがそれもご愛嬌みたいなものだ。

 

「よし……そろそろ行くか」

 

 悠はステージの壁に立てかけておいた、エレキベースを手に取った。上着のボタンはテレビの中で戦う時と同じように、全て外している。自信に満ち溢れたリーダーが皆を促し、バンドの顔となるりせが応えた。

 

「楽しんで、カッコつけて……決めちゃおう!」

 

「よっしゃあ!」

 

 

 特別捜査隊はジュネス屋上の特設ステージに立った。その下には、普段は広く感じるフードコートを一杯にした観客がひしめいている。おかげでバンドと客は互いの表情がはっきり見えるくらいの、非常に近い位置にいる。ステージから軽くジャンプするだけで、ギャラリーの最前列まで届くくらいだ。何千何万もの人間を収容する大きな会場では演出できない、ライブハウス的な距離感である。

 

 そこへ陽介がおもむろにギターを弾き始めた。悠がベースで後を追い、千枝のトランペットと雪子のサックスも続く。アイドルらしく軽く、明るく、踊りだしそうな導入部だ。それが終わったところで、りせが前に出た。

 

「りせちー!」

 

 歓声に応えて、りせはスタンドに取り付けられたマイクに手を当てて歌い始める。クマがタンバリンを叩き、完二がドラムを響かせてリズムを刻む。直斗はキーボードで装飾を与え、りせの歌声を鮮やかに引き立てる。

 

 一曲目のタイトルは「True Story」だ。曲の締めとして最後にりせが観客を指さすところまで、明るく前向きな曲と歌詞が続く。

 

 

「アンコール! アンコール!」

 

 慣れているりせはもちろん、バックを務める即席バンドもそつなく、滞りなく、練習通りに一曲目を弾ききった。しかしそれで終わりにはならない。ステージ下の観客から追加の演奏を望む声が上がる。

 

「やっぱ来たか……」

 

 ステージの前列で、陽介は歓声に紛れるくらいの小声で呟いた。この展開は予想できたことだった。ライブでアンコールは付き物である。ましてりせはアイドルとして元々人気があったし、帰郷時に町中を大騒ぎに巻き込んだのは記憶に新しい。一曲目で失敗したならまだしも、無難に弾けばこうなるはずだった。

 

『本来ならば』皆が慌てるところだが、特捜隊は驚きもしない。これに備えて、この二日間に本来の倍以上の努力を払ってきたのだから。

 

「先輩」

 

「ああ」

 

 りせが目配せしてきて、悠は頷いた。ある意味ここからが本番だ。アイドルはバンドリーダーとの最後の確認を終えると、マイクを通して観客に呼びかけた。

 

『ファンのみんな~! 来てくれて、ありがと~ぉ!』

 

「おおー!」

 

 りせのセリフそのものはお決まりの挨拶だが、言い方は語尾がやたらと伸びて、妙に鼻にかかっていた。媚態を表す口調であるが、観客からは大きな歓声が上がった。

 

『ではアンコールにお応えして……本邦初公開! 新曲歌います!』

 

「おおー!?」

 

 歓声の色が変わった。祝祭ムードを単に楽しんでいただけのところへ、驚きと期待の色が加わった。こんな田舎のデパートのイベントで新作の発表とは。自分たちは実は素晴らしく幸運だったのでは。そう期待が膨らむのだが──

 

『今日の為に、こちらの天才ベーシストが作ってくれました!』

 

「お……おお!」

 

 ──

 

 歓声にまた別の色が加わったところで、すかさず悠は一歩前に進んでベースを鳴らした。弦を指板に叩きつけるスラップ奏法を披露し、打楽器的な連続音を大音量で発生させる。そして観客を鋭く見据える。このバックバンドは高校生ばかりであることは、顔と服装を見れば誰にでも分かる。だから『りせちー』が歌うのは良いが素人の高校生が作った曲では、と考える者は確実にいるはずだ。そうした手合いを黙らせる為の、先制のアピールである。

 

『題して……"ピエロ"』

 

 タイトルを告げると同時に、りせは顔を隠した。両手を重ねて目の前にかざす。拒絶を表す、掌を前に向ける形だ。そうして二曲目が始まった。

 

 ──

 

 一曲目とはうって変わって、いきなりベースの高速トリルから始まった。明らかにアイドル歌手が歌う曲ではない。ロックだ。それもハードな。やがてギターが鳴り、キーボードが高音で装飾を添えるが、主体は飽くまでベースである。重圧感のある低音で旋律が奏でられている。そしてボーカリストは豹変した。

 

『Hey, you!』

 

 歌い始めると同時に顔の前から手をどかした。すると全く違う表情がそこにあった。上目遣いで虚空を睨み、眉を吊り上げている。ほんの一分前までマイクの前でウインクして愛嬌を振りまいていた少女とは、まるで別人である。

 

『醜い仮面をいつまで付けてるの? 外す勇気が無いだけだって、気づきなさいよ』

 

 急変した雰囲気に合わせて、歌詞も酷く挑発的だ。観客たちの間に、目に見えて戸惑いが広がっていく。

 

「え……え、え?」

 

『薄っぺらい正体を見栄っ張りでコートして、アタシが罠にかかるのを待ってるんでしょ?』

 

 歌っているのはもちろん久慈川りせだ。しかし『りせちー』ではない。アイドルはいつの間にかステージから姿を消していて、ロック歌手がマイクを握っている。いや、握っているのは本当にマイクなのだろうか。黒く細いスタンドは、実は噂の『劇場』で水着姿の誰かがしなだれかかっていた、ダンスポールではないのか。もしくは人を打ち据え、叩き切る為の道具ではないのか──

 

『おあいにくさま! 騙されるほどバカじゃないのよ。こっけいな演技はもうやめなさい。そしたらアタシも踊ってあげる!』

 

 怒声のような歌詞に合わせて、トランペットが甲高い音を奏でた。そしてボーカリストは踊った。

 

「おわああ!?」

 

 ステージの中央でダンスが披露された。ボーカリストは床につけた三脚を横に蹴って、手元を中心に長柄を一回転させた。マイクスタンドはやはり武器だった。うるさく飛び回る雑音たちを叩きのめし、ひれ伏させる為の歌い手の得物である。切って捨てられたアイドルの血を吸って、ロック歌手の手にすっかり馴染んでいる。

 

「マ、マジか!? これホントにりせちーか!?」

 

 何も知らない観客たちは戸惑いを通り越して、パニック状態に陥った。誰もが目を見開き、唇を震わせている。自分たちは一体何を聞きに来たのか。誰に会いに来たのか。こんなマイクパフォーマンスをするアイドルなど、いていいのか──

 

 そんな無知な者たちを嘲笑うように、再びベーシストがスラップを始めた。ドラムが大きなリズムを刻み、ベースが更に細かく切り刻む。ステージの下から湧いてくるような重低音は、本物の暴力さながらに観客にボディーブローを食らわせる。腹に響く衝撃は地震のように下半身から力を奪う。逃げ出したくても、足がすくんでどこにも行けない。

 

『どこへ行くのかって? ツマンナイこと聞かないで』

 

 足が動かないならどこへ行くのか? 決まっている。音楽の中だ。期待していたものとまるで違っても、趣味でなくても、そんなことは関係ない。夏の初め頃にこの町で噂になったとある深夜番組のストリップ劇場のように先鋭的な領域へと、問答無用で雪崩れ込んでいく。

 

『地図なんか要らない、コンパスはとっくに捨てた。アタシの心が道を示すわ!』

 

 曲は依然としてベースがリードしている。しかし他の楽器も黙ってはいない。タンバリンが鳴り、キーボードが激しく歌う。トランペットとサックスは競うように響き合う。

 

『アタシは一人で歩いてく。寂しくないかって? 冗談! 影だってジャマなのに』

 

 ここでギタリストはピックスクラッチを披露した。ギターのブリッジから始めてネックまで、右手に持った小さな刃を緩急をつけて滑らせる。一聴すると不快な、だが耳に残って頭にへばりついて、トラウマのように人の価値観を歪めるノイズだ。それが途絶えた瞬間、ボーカリストは一際声を張り上げた。

 

『自由! それがルール!』

 

 アイドルはずっといないままだ。瞳は爛々と輝いていて、口はマイクに噛みつかんばかりだ。本来は幼さを表すツインテールは立ち上る熱気で揺らめいて、鬼が生やした角のようにさえ見える。

 

「お……おおおお!」

 

「い、いい……いいじゃんか! りせ! りせー!」

 

 開始から三分ほどした頃には、アイドルを見にきたはずの観客はすっかり飲まれてしまった。戸惑いは粉砕され、価値観を転倒させる熱狂の渦が巻き起こる。もう誰もライブの興奮から逃げられない。

 

 そして間奏が始まった。グループの顔であるボーカリストは一旦下がり、ドラムセットの台に腰を下ろした。置いてあったペットボトルを煽り、足を伸ばす。気だるげな顔で周囲を見やる。その視線の動きそのものが、仲間たちの紹介になる。主役が下がるこの短い合間が、バックバンドの腕の見せ所である。

 

 最初に出るのは、やはりバンドリーダーでもあるベーシストだ。前奏から更にテンポを上げたベースラインを披露し、聴衆の注意を引っ込んだボーカリストから奪い取る。そして主人に置いていかれた矛か薙刀、もといダンスポール、でもなくてマイクスタンドの前までおもむろに歩む。抱えた楽器は奏でたままで、低い声で囁くように歌う。

 

『No more geeky acting. No use of the ugly mask. I'm dancing fool, you're watching fool. Almost the same, we're all Pierrot. Why don't you dance? You're just making a loss. The only one Fool fills the world. You know? We're in the dawnless Midnight Blue ...』

 

 早口な英語のコーラスはここで一旦止まり、ベーシストは頭を大きく前後に振った。豊かな前髪が大きく揺れ、額を一瞬見せる。そして観客に向けてにやりと笑う。

 

『Let's Dance!』

 

 誘惑するような囁きは、喉を潰さんばかりのシャウトで終わった。ベーシストは依然として同じフレーズを繰り返しながら、後ろ歩きで元の位置に戻る。代わってギタリストが前に出た。ただしマイクの前には立たない。

 

 全体的に低音が主体のこの曲において、ギターの見せ場がやって来た。ギタリストは足を前後に広げて腰を落とし、茶色の髪を激しく振り乱す。そして両手の動きは頭より激しい。六本の弦の上を両手が閃く速さは、目にも止まらぬほどだ。もののたとえではなく指の動きは本当に見えない。バンドリーダーのベースにも劣らない、曲芸師さながらの猛烈な速弾きだ。激しいパッセージはアンプを通して爆音を響かせ、観客を更に追い込んでいく。

 

「ひ、ひえええ……!」

 

 そこへトランペットとサックスが踊り始めた。二人の演者は揃ってステップを踏み、顔と楽器を大きく持ち上げる。体を使って、大きなスイングを披露する。その後ろではドラマーが両手両足を駆使している。バスドラムの前で腰かけているボーカリストの髪や袖が、目に見えて揺れるほどの轟音だ。それでいてリズムは正確そのものである。

 

「な、何なんだこいつら……素人じゃねえのか!?」

 

 最後にキーボーディストが右手を上げた。小さな手の指を揃えて大きく構える。それを合図とするようにボーカリストは立ち上がり、マイクスタンドに向けて歩き始める。そうなれば観客はもちろん放っておかない。

 

「りーせ! りーせ!」

 

 ボーカリストは歩きながら、歓声に応えて嫣然と微笑んでいる。細い指がマイクにかかった瞬間、バンドの後列では勢いをつけた手が鍵盤の上を滑った。グリッサンドが奏でられて、間奏は締められた。

 

 脇役たちが躍動するパートは終わり、再び主役が前に出てきた。観客はいよいよクライマックスかと、期待を膨らませるが──

 

『ねえ、聞いて……』

 

 分かりやすい期待を裏切るように、曲調が一転した。空気を叩き割らんばかりの轟音は急激に減衰し、静けさそのものを表現する。

 

『アタシは人魚姫。もう帰れない人魚姫。泡へと還る、その前に……』

 

 死を暗示する歌詞をベースの単旋律のみで支える。ギターもドラムも、他の全ての楽器は演奏を止める。残響が消えゆく中で、悲しげな歌声が鮮やかに浮かび、ボーカリストの表情も憂いに覆われる。

 

『追いつけないよ、キミの背中。ほら、トワイライトが忍び寄る……』

 

 間奏までの激しく挑発的なところは、欠片もなくなっている。まるで別の曲だ。戸惑いから始まって熱狂に落ちた聴衆は、再び戸惑いへと戻っていく。

 

『アタシは死体。愚かで惨めで幸せな。このまま朽ちていく前に……』

 

 歌詞は死の暗示から明示へと変わり、やがてベースも消える。ボーカリストは口を噤み、マイクにかけた手から力が抜け、顔も俯かせる。聴衆の歓声も完全に消える。静寂の表現が現実の静けさに変わったところで──

 

『Hey, you!』

 

 再びベースラインが奏でられた。止まった時をトリルが動かす。心臓は鼓動を再開し、バンド全体が動き出す。ギターが追い、トランペットとサックスが舞い踊る。そして観客は飛び跳ねる。

 

「きた……きたきたきたぁー!」

 

 ジュネスの屋上に急遽作られたライブハウスは、完全に価値観がひっくり返った。数フレーズのお預けを食らった観客は、戻ってきたロックをこそ待っていたように前半よりも激しく反応する。握った拳が露天の空へと突き上げられ、足踏みが起こす振動は建物ごと揺らす。激しいドラムが熱くなった血に油を注ぎ、キーボードが更に煽りたてる。

 

『自由、それがルール! できるものなら縛ってみたら? アンタの前で華麗に死んでみせる!』

 

「むおおおお! ノッてきたああ!」

 

 ここでパーカッショニストが前に出た。コンガを蹴飛ばして、着ぐるみのままステージの最前列まで躍り出た。ただしタンバリンだけは手に持っている。

 

「といやっ!」

 

 ステージからギャラリーへミサイルが発射された。

 

「オゥイェー!」

 

 夢の国の着ぐるみは実は中に人が入っているので、重さはそれなりにある。そのはずなのに、突き上げられた観客の拳の上で、風船さながらに軽々と飛び跳ねている。冷静に見れば不思議な光景だが、完全に乗ってしまったバンドと観客はもはやお構いなしだ。サプライズも何もかも飲み込んで、ますます激しく歌い上げる。

 

『薄っぺらい正体を見栄っ張りでコートして、アタシが罠にかかるのを待ってるんでしょ?』

 

「リーセーチャーン! ほれ、みんなもっともっとー!」

 

 挑発する歌詞の風に乗って、風船は飛び跳ね続けている。空中で回転しながらタンバリンを叩き、観客の一部となって狂騒を更に煽り立てる。

 

『おあいにくさま! 騙されるほどバカじゃないのよ。こっけいな演技はもうやめなさい。そしたらアタシも踊ってあげる!』

 

「りーせー!」

 

「りーせー!」

 

『Hey, Dancing tonight!』

 

 ギターのスクラッチが耳をつんざき、ドラムは割れんばかりの速度で叩かれる。鍵盤と管楽器は不協和音を鳴らし、音楽を最後の崩壊へと導いていく。

 

 ──

 

 そしてベースが最後のフレーズを弾ききって、曲は終わった。

 

 

「みんな、お疲れ様! やったね!」

 

 大盛況の舞台を後にした特捜隊は、開始前に待機していたステージ裏に戻った。戻った途端、何人かはベンチにすぐに座り込んだ。

 

「うん、お疲れ様……って言うか、本気で疲れた。始めてテレビから戻った時みたい……」

 

 りせの労いに、雪子が答えた。比較的元気なりせと違って、雪子の表情には覇気がない。そしてそれは雪子に限らない。ほとんど全員がそうだ。これは全力を出しきった、心地よい気だるさと呼ばれるものとは違う。心身共に消耗して、終わった今になって膝が笑い出すような感覚だ。すぐにでもベンチに横になって眠りたい衝動を抑えるのにひと苦労だ。

 

「何かもう……信じらんねえ。アレやってたの、マジで俺らだったんだよな?」

 

 陽介は腕を組んで、無人のステージを見上げながら呟いた。ついさっきまでそこに立って、練習を超える速度でギターを弾いていた少年が、他ならぬ自分自身であるというのが信じられないのだ。そんな一見するとおかしなことを言う陽介に、千枝が同調した。

 

「あ、それちょっと分かるかも。何つーか、何かが降りてきたみたいな……」

 

 この二人は普段はあまり意見が一致しない。と言うより、片方がボケてもう片方がツッコミを入れるのが、いつもの特捜隊の風景だ。だが今日は二人揃って何かを受信したようなセリフを言う。それは冗談ではなく、本当にそう感じているから──

 

「芸術家は時に、霊感と呼ばれる感覚が外からやって来るのを感じると言いますが……あれがそうだったのかもしれませんね。まさか自分にそれが起きるとは、思いませんでしたが……」

 

 言いながら、直斗は帽子のつばを下ろした。その所作には若干の羞恥が伺えた。非日常の祝祭を終えて日常に戻ると、いわゆる忘我の境地に至った自分自身が信じられなくなる。恥ずかしくもなる。

 

 狂騒から戻ってきた特捜隊は、めいめい感慨に耽る。悠はベンチに腰を下ろし、エレキベースを床に立ててヘッドに手を置いた。そして考える。

 

(降りてきた……か。まあ確かに。言われてみれば、一昨日もそうだったような……)

 

 先ほど弾いた曲を書いた時のことを思い出した。何がきっかけだったのかも分からないが、何かの弾みで練習中に急に曲が『降りてきた』のだ。作曲など学んだこともないのに、なぜか書けた。演奏もできた。それも完璧に。ベースは教則本を一冊読んだだけで、誰にも習っていない自己流であるのに。

 

 なぜそんなことができたのか? 天才だからできたと言ってしまえばそれまでだが、悠は自分を天才や超人とは見なしていない。この世に超人などいないと、諸岡から教わってもいる。時には舞い上がってしまうこともあるが、こうして本番を終えて冷静さを取り戻すと、自分自身に疑問を覚えざるを得ない。

 

(俺、いつの間にか音楽家のペルソナでも手に入れてたのか? ペルソナはテレビの外でも、絶対に使えないわけじゃないって言うし……。いや、待て。それじゃ陽介たちの説明がつかないんじゃ……)

 

 何かが降りてきていたのは悠だけではない。全員がそうだった。陽介と千枝、直斗は現にそう言っているし、他の皆も同じだろう。実際の演奏も、本番の方が練習よりも遥かに良い出来だった。テレビの中ではペルソナを一つしか使えない彼らが。

 

「……」

 

 不自然なまでの大成功の原因を考える最中に、悠はふと自分の『得物』を見た。テレビの中に持っていけば、シャドウでも叩きのめせそうなそれを──

 

「ちょっと、君!」

 

 しかし考え事は中断された。疲労ですっかり腰砕けになった特捜隊のもとに、一人の部外者が息せき切ってやって来た。悠はその姿を認めると、ベンチから立ち上がった。

 

「マリー……」

 

 来たのは青色が第一印象としてある少女だ。今日の悠はベルベットルームに立ち寄ってはいない。ジュネスに連れて来てはいないし、来るよう誘ってもいない。しかしマリーは『なぜか』一人で町中に出ている。まるで悠の所業を聞き咎めたように。

 

「あ、マリーちゃんじゃんか。久しぶり……」

 

 陽介が反応した。特捜隊の二年生組は6月にマリーと会っている。場所はここジュネスだ。

 

「きらいばかどろぼー!」

 

 だがマリーは陽介には構わない。全力で悠を怒鳴る。青い帽子の下にある緑の瞳には怒りが漲り、アームカバーの先にある手には拳が握られている。

 

「泥棒?」

 

「人の書いたの、勝手に曲つけて歌うなんて!」

 

 そうなのである。一昨日あっという間に書き上げたロックンロールは、悠のオリジナルではない。曲はともかく歌詞は明らかに違う。出どころは5月から何度も読んだマリーの詩である。中でも曲のタイトルになり歌詞の中心に据えられたのは、四六商店でベースを買った日、マリー自身が歌っていたピエロの詩だ。それに思い至ると共に、悠は自分を襲った芸術的霊感の正体に気付いた。

 

(そうか、俺はマリーに……)

 

 7月のあの日、マリーは悠に『伴奏しろ』と言っていた。言うなれば悠はマリーの恩寵に、もしくは命令に三ヶ月越しで応えたわけである。

 

 しかし秘密のうちに行われた二人のやり取りを、特捜隊の仲間たちは知らない。リーダーが振りまいた感性に巻き込まれはしても、事情を知るかどうかは別問題だ。

 

「あの歌詞、マリーちゃんが書いたの? 凄いじゃん!」

 

「カッコいい歌詞だったよ。感動しちゃった」

 

 知らないから、こういう反応が出る。文字だけだと恥ずかしくて悶え死ぬような言葉であっても、音楽に乗せて歌えば人を動かす力にもなる。歌の普遍性は文字よりも高いのだ。世界に文字のない民族はいるが、歌のない民族はいないように。

 

「え、カッコ……いいの?」

 

 千枝と雪子に褒められて、マリーはきょとんとした。この秘密の詩人は自作を悠以外の人(マーガレットは除外する)に読ませたことはない。そして感想は悠からも聞いていない。『読者』からの初感想、しかも意想外の高評価にマリーは戸惑った。

 

「へえ、いいじゃんか! 女の子が歌詞書いて男が曲つけるって、何か本物のバンドグループみてえじゃん!」

 

 陽介も同調してきた。こうなると場の雰囲気は決まりである。マリーは外出する時は、いつも周囲を気にする様子はない。しかしこう来られると、さすがに怒ってばかりはいられなくなってしまう。詩を称賛されるのには慣れていないのだ。

 

「え、ええと……」

 

 悠は『作詞家』の許可を得ないままに作曲した。いや、許可はあったと言えなくもないが、公衆の前で演奏したのはやり過ぎである。立派な盗作だ。しかし普通の高校生に権利に関する意識など希薄だし、マリーもあるわけではない。

 

「君、歌詞の使用料払いなさい! ここにあるので我慢してあげるから!」

 

 結局のところ、マリーは事後承諾を与えたわけである。

 

「分かったよ」

 

「先輩、ちょっと待って」

 

 しかし権利の問題を理解している人がここにいた。

 

「使用料なら私が払うわ。歌ったの、私だし」

 

 りせだ。悠の隣に立ってマリーと対峙する。しかしマリーと交渉するのは、常人にはなかなか難しいことである。話題が突然切り替わる。

 

「あ、この人知ってる。『ムリ、キライ、突っ込みすぎ』の人」

 

 これは休業前のりせが出演していた、とあるダイエット飲料のコマーシャルで使われていたコピーだ。ただし一部間違っている。

 

「違います! シンドスギ!」

 

「いや、いいんだ。俺が払うよ」

 

「駄目よ! 二曲目やろうって、私が先輩にお願いしたんだから!」

 

「そういう問題じゃないだろう」

 

 

 悠とりせの間で押し問答が行われた末に、マリーを含めた合計九人の人々は屋上から移動した。行き先は特売セール実施中の衣料品売り場である。マリーは6月に来た時も、ここで千枝と雪子の服を見て回った。

 

「何か欲しいものはあるか?」

 

 ステージ裏の議論は、結局は悠が金を出してマリーが欲しいものを買うことで決着した。持ち合わせが足りなければ、その分を特捜隊の全員が出すということにして。

 

「……蓬莱の玉の枝」

 

「え?」

 

「燕の子安貝でもいい」

 

 しかしマリーの要望は悠には理解できなかった。

 

「ホーライ……って、何? 雪子は分かる?」

 

「えっと……何かで聞いたことあるような気がするけど……。ここで売ってるのかしら?」

 

 売っているわけがない。マリーが言っているのは無理難題の代名詞だ。田舎の八十稲羽はもちろん、都会のポートアイランドにも売っていない。そもそもこの世のものでさえない。テレビの中を探せば、もしかしたらあるかもしれないが。

 

「あいつ、うちの学校の奴じゃないっすよね。どこ高……いや、どこ中すか?」

 

「ん……そう言えば何も聞いてねえな。悠の昔からの連れ……っぽいけど」

 

「さすがセンセイ……ユミチャンだけじゃないクマね」

 

 悠以外の男性陣三人は、前を行く四人の後ろからついて行っている。

 

「……可愛い」

 

 そして男たちの後ろで、りせが呟いた。その内心は複雑である。

 

 憧れの先輩が『自分の為に』作ってくれた曲を、先輩の演奏で自分が歌う。それは夢のようなシチュエーションだ。だからプロとして活動していた頃より熱心なくらいに練習したし、本番は予想以上の大成功を収めた。しかし歌詞を書いた人が、別にいたとは思っていなかった。しかもその人は芸能界にいた自分の目から見ても可愛い容貌の持ち主だったとは、完全に予想外である。

 

 りせは人情の機微に鋭敏だ。まるでテレビの中でしか使えない『はず』のペルソナが、現実でも知らぬ間に効果を発揮しているように。特捜隊の中では最も観察力に優れ、いわゆる女の勘も鋭い。その目で見れば、ライバルが多いことは分かっている。千枝と雪子は悠に好意を寄せていることも、悠がそれに応えていないことも分かっている。現在のところ、悠と最も仲が深いのは結実であることも知っている。

 

(でも小沢先輩は私の敵じゃないわ)

 

 特捜隊の部外者である、かの一年先輩には勝てる。りせはそう思っている。顔でもスタイルでも。もっともスタイルで言えば、直斗はりせの上を行っているが、それはこの際置いておく。直斗は特捜隊に加入して日が浅いし、悠に異性としての好意を抱いているようには見えないから。しかし歌詞を書いたという、あの少女は──

 

 今日のライブでは、りせは暴力的なまでに強烈な個性を見せていた。だがステージから降りた今になっても、それが継続しているかのようである。まるでテレビの中で現れたシャドウは、ペルソナと化してもシャドウとしての性情が消滅はしないように。

 

(久慈川さん……何か凄い気迫……)

 

 隣を歩く直斗が、空気を読んで黙り込んでしまうくらいに。

 

「……これでいい」

 

 九人はやがて衣料品売り場を出て、店内をあちこち巡った果てに、化粧品売り場でマリーは一つの商品を指し示した。それはもちろん金銀や真珠で作られた木の枝ではなく、燕が生んだタカラガイでもない。小さな壺に入った香油だ。難題婚の昔話で課される試練ではなく、また別の象徴的な物品だ。

 

「分かった。じゃあこれにしようか」

 

 悠は歌詞の使用料を支払って、詩の無断使用を許してもらえた。かくしてジュネス八十稲羽店の開店以来の危機と一緒に、悠とマリーの危機も乗り越えられた。ただ香油とはいつどのように使うもので、何を象徴するものなのかは、化粧品とキリスト教に詳しくない悠には分からなかった。

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