ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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月のひと(2011/10/29、10/30)

 二学期の中間試験の結果発表は10月22日に行われた。悠の成績は一学期から大きく上がって、学年で七位だった。陽介を始めとするクラスメイトや一条たち学内のコミュニティの担い手たちに、凄いなと感心されたものだった。そして同日のホームルームで、悠が在籍する二年二組は文化祭でやることが決定した。これは校内ではかなり遅い決定だった。

 

 文化祭では文化部やクラスごとに、何らかの出し物をする。大抵のクラスでは中間試験が始まる前に何をやるかを決めておき、試験を終えた後から準備を本格的に進める。しかし二年二組は動きが遅く、文化祭本番の一週間前になって、ようやくやることが決定したのだった。

 

 

 文化祭の初日、10月29日の朝の時間。悠は相棒と二人で閑散とした教室に身を置いていた。

 

「何か文化祭って感じ、全然しねえな。普段と変わりゃしねえ……」

 

 陽介がぼやいた通り、二年二組の教室は普段と装いが全く変わっていない。机と椅子は普通の授業を行う日と同じ配置のままで、壁や黒板に飾りつけの類はない。唯一普段と異なっているのは、廊下に面した扉に貼られた模造紙だ。黒のマジックでこう書かれている。

 

『休憩所』

 

 他のクラスは何かの出し物を企画しているところがほとんどだ。例えば一条が籍を置く二年一組では劇をやる。演目は『ロミオとジュリエットとハムレット』である。一条も舞台に立つそうだが、本人によると『出オチ』で恥ずかしいだけの役回りらしい。

 

 そんな中、二年二組がこんないい加減な企画になったのは、担任の柏木の責任が大きい。前担任とは違う意味で問題の多い現担任は、ある全校イベントの準備に忙しいとのことで、クラスの出し物は生徒に一任(丸投げとも言う)したのだ。そうして生徒から出された三つの案の中から、投票により僅差で選ばれたのが休憩所だったわけである。ちなみに残りの二つはビデオ上映室と自習室だった。

 

「諸岡先生が生きていたら、確実に雷が落ちてるところだな」

 

 相棒の隣に立つ悠は腕を組んで、亡き恩師に思いを馳せた。悠は学校行事に熱を上げる口ではない。だから企画が楽なのは良いのだが、これはさすがにどうかと思う。

 

「だな……あの先生だったら何することになったんだろ?」

 

「そうだな……郷土資料展とかかな?」

 

 思い出されるのは、6月の林間学校とその翌週に受けた補習だ。あの時の諸岡は日本古来の自然観と宗教観に絡めて、郷土への貢献について語っていた。あの教師ならきっとそういう企画を立てただろうし、悠も率先して準備したことだろう。しかし諸岡が死んだ今は、退屈な文化祭という現実があるばかりだ。

 

 そうして二人揃って何もせずにいると、休憩所の扉が外から開かれた。

 

「こんにちはー」

 

「小沢」

 

 来たのは結実だ。普段通りの教室に男子が二人だけという、隙間風が吹き抜けそうな空間を見て、ぼそっと呟く。

 

「……暇そうね」

 

「始まったばかりだからな」

 

 文化祭が始まってまだ一時間も経っていないのだ。休憩しに来る人は、なかなかいない。

 

「じゃあさ、一緒に回らない?」

 

 結実は目を細めた笑顔になった。しかし悠は誘いに答える前に陽介に目配せをした。すると相棒は軽く頷いた。

 

「行ってこいよ。俺も適当にフケるわ」

 

 クラスで何らかの展示を行うのであれば、番をする生徒は当然いる。いい加減極まりない二年二組でも、一応クラスの企画において誰もいないのも何だと言うので、持ち回りで留守番を置くことになったのだ。悠と陽介はその一番手である。しかしそもそもの話、何もない休憩所に番人は必要ではない。

 

「悪いな」

 

 相棒の好意に甘えて、悠は結実と連れ立って廊下に出た。

 

 

「演劇部は何かやるんだっけ?」

 

 悠はバスケ部の他、演劇部にも籍を置いている。しかし二学期になってからは一度も出ていない。完全な幽霊部員だ。それは特別捜査隊としての活動や数々のコミュニティが忙しい為なのもあるが、最大の理由は──

 

「やるらしいけどね……」

 

 太陽のコミュニティの担い手である結実が部活に出なくなったからだ。今日と明日に上演される演劇部の舞台にも、結実は出ない。もちろん悠も出ない。悠は演劇そのものに興味がないわけではない。しかし肝心の担い手がいなくなった部活に、時間を費やす価値は見出せなかった。もちろんそれで太陽の絆に悪影響は出ていない。むしろ女子相手の絆の中では、関係の進展度合いは独走中である。

 

「三組は何やるんだ?」

 

「お化け屋敷。ちょっとベタだけど、行ってみる?」

 

 コミュニティで重要なのは担い手自身との関係であって、担い手と出会った場所ではない。二人揃って部活に出なくなっても、会う機会が別にあれば何の問題もないのだ。

 

 かくして二人は文化祭では定番の出し物に繰り出した。三組のそれは二組とは対照的に、なかなか気合が入っていた。黒いカーテンを室内にいくつも吊るして暗闇の迷路を作り出し、机や椅子で作った物陰から妖怪が出てくるとかだが──

 

「長瀬、それでお化けのつもり? 演技下手すぎ」

 

「うっせ! お前サクラなんだから怖がる演技しろよ!」

 

 結実にはまるで通用しなかった。自分のクラスの出し物なので、概要を知っているせいもあるが。

 

「きゃー! って感じ?」

 

 連れ立って歩く悠の腕に、わざとらしくしがみついたりするくらい余裕がある。

 

「お前こそ演技下手すぎだろ……」

 

 今日の結実は彼氏とのデートとしてお化け屋敷を楽しんでいる。しかし結実は元々こうしたものを恐れる口だった。怪談は苦手だし、ホラー映画などはまず見ていられない。しかし8月に超能力に目覚め、今月には本物の怪物相手の実戦を経験したせいで、幽霊の類には耐性ができていた。血を見るのが嫌いな人でも、医者になれば慣れてしまうように。

 

 なお、二年前にポートアイランドで戦っていて、現在はファッション雑誌の読者モデルをしているとある大学生は、超能力を得ても幽霊が嫌いなままだった。しかしそちらと違って、結実は『目に見えないもの』をやみくもに恐れはしない。父親の関係で家庭に複雑な事情を抱えてはいても、その為に世間から悪意を浴びたことはないから。

 

 そんな逞しい彼女に引きずられて、悠は文化祭をあちこち見て回った。そうして初日は平穏なままに終わった。

 

 

 

 

「菜々子ちゃん、まだ来てないの?」

 

 明けて文化祭二日目の30日。午前中の時間、悠は下駄箱の前であいと合流した。周囲に人はかなり多くいる。八十神高校の文化祭は一般に開放している為、生徒本人だけでなくその家族や友人も大勢やって来る。しかし悠の家族はまだ来ていない。

 

「叔父さんの仕事の都合で、昼頃からだそうだ」

 

 先週に菜々子が家出した際、悠と堂島が来るまで、あいは鮫川土手で菜々子の相手をしていた。『偶然』出会った二人は妙に打ち解けて、文化祭を一緒に回ろうと約束したのだ。ただし小学一年生の女児を一人で高校に行かせるわけにはいかないので、父親と一緒に来る。予定している時間まで、もうしばらくある。

 

「じゃ、ちょっと見て回ろっか」

 

 そうして『一応』彼氏彼女の関係にある二人は、並んで歩きだした。ちなみに結実は、今日は自分のクラスの出し物でお化け役をせねばならないとのことで、悠と同行はしていない。楽しい学校イベントにおいて、太陽と月の間で修羅場が勃発する危機は、幸運にも回避されたわけである。

 

「あ、ミスコン今年もやるんだ」

 

 歩き出した途端、あいは階段脇の掲示板に目を留めた。そこには『ミス八高・コンテスト』と題されたイベントの開催場所と日時、そして出場者のリストが書かれた張り紙があった。今日の午後から体育館で行われる。その隣には、『ミス八高・女装大会は出場者不足の為、中止になりました』と書かれた張り紙がある。

 

「うっわ……柏木出るんだ」

 

 見てみれば、確かに出場者のリストには二年二組の担任である柏木の名前が書かれている。自分のクラスの企画をおざなりにしていたのは、これがあったからだ。問題教師としての面目躍如と言ったところであろうか。ちなみに柏木の名前の下には、『大谷花子』とだけ書かれていた。

 

「海老原は出ないのか? 余裕で優勝できると思うが」

 

「あんなアホみたいな企画、誰が出るかっつの……。つか、あんたこそ女装コン出りゃよかったのに。投票してあげたよ?」

 

「勘弁してくれよ」

 

 ミスコンについての話はそれで終わり、二人は階段を上った。

 

 

 教室棟三階の廊下を少しばかり歩いたところで、壁際に張られた紫色のテント小屋があるのに、二人は気付いた。人が三人くらい入れそうな大きさのもので、出入口の上には『占いの館・THE長鼻』と書かれている。外観の雰囲気の割に随分なネーミングである。悠とあいが出入口の前を通りがかると、小屋の中から怒声が響いてきた。

 

「うっせーんだよ!」

 

「なるほど……私の助けは必要ないと言うのね」

 

「!?」

 

 悠は驚いた。ヒステリックな怒声に続いて占い小屋から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だったのだ。美しいが、どこか事務的な響き。商店街とテレビのスタジオから行ける、青いリムジンの乗務員のものだ。

 

「でも覚えておいて。貴方は既に契約している身。たとえ貴方が……いえ、貴方たちが望まなくても、絆が運命を紡ぐでしょう。今日この日、貴方がここを訪れたこと自体がその証明なの」

 

「いらねーんだよ! キズナとかナカミャとか、嘘くせーのはよ!」

 

 なかみゃ──

 

 噛んだ捨て台詞に続いて、占い小屋から一人の少年が飛び出してきた。緑色のミリタリー風のシャツを腕まくりして、腰に上着を巻いた少年だ。顔の中央には交差した二つの傷がある。悠はその顔に見覚えがあった。

 

(ミナヅキ?)

 

 どういう字を書くのか知らないが、とにかくそういう名前の死神のコミュニティの担い手だ。8月に足立から女関係の忠告を受けた日、病院の廊下で出会った。あの日以来、顔を見るのはこれが初めてだった。電話番号の交換もしていないし、普段よくいる場所なども聞いていないので、連絡のしようがなかったのだ。二十を超えている数々のコミュニティの中で、最もそっとしておいてしまったのが死神だ。

 

「!」

 

 悠が気付くと同時に相手も気付いた。十字の傷が刻まれているという、何とも人目を惹きそうなその顔に、一瞬だけ驚愕の色が浮かぶ。占い小屋の前で、二人の少年と一人の少女が意図せず揃った。次の瞬間、創面の少年の胸元が青く光る──

 

「あら、あんた……」

 

 悠と『少年』は知り合いである。しかし二人より先にあいが反応した。傷はあるものの造作が整った『少年』の顔を、まじまじと見つめる。無遠慮なくらいに。

 

「ねえ、どっかで会ったことない?」

 

 もしクマがここにいれば、『これが噂の逆ナンクマ!?』とでも言いそうなセリフである。過去を捨てて大胆に生まれ変わったあいならではだ。

 

「いや……人違いだ」

 

 聞きようによっては誘っていると受け取れる美少女の問いかけに対して、『少年』は酷く落ち着いた声で答えた。つい数秒前に占い小屋で叫ばれた大声と同じ声だとは、一聴しただけでは思えないくらいに。

 

「そっかな……」

 

 あいはなおも『少年』を見つめている。傷のある顔から、視線を下へ動かす。

 

「あんたのそれ、うちの学ランよね。クラスどこ? 名前は?」

 

 この指摘は当たっている。悠が8月に初めて会った時もそうだったが、『少年』が腰に巻いている上着は八十神高校の制服だ。

 

「……」

 

 しかし『少年』は答えない。ただ黙ってあいを見下ろす。内心で何を思っているにせよ、一切表に出さない冷たい目だ。だが冷たくも美しい。地上からは決して手が届かない、天上に佇む月のように──

 

(え、何これ……)

 

 いつの間にか自分の動悸が速くなっているのに、あいは気付いた。眼前の相手の顔は端正なものだ。悠や一条と並べて置いても甲乙付け難いだろう。顔の中央に目立つ傷があるが、それさえ美しさを損なってはいない。むしろ凡百とは違うことを証明する、印のようにさえ見える。

 

 あいは本人はもちろん知らないものの、悠との間に月のコミュニティが結ばれている。それでいながら、しかも当の絆の主が隣にいると言うのに、訳の分からない感覚に襲われていた。あいは運命の人が映るという、深夜のテレビを見たことはない。だがもし見たら──

 

「ふふ……お嬢さん。その子に近づきすぎると危ないわよ。火傷じゃ済まないわよ?」

 

 しかし崖へと身を躍らせようとする少女を、引き留める声があった。向かい合う三人ではなく、占い小屋の中から。小屋の奥は外からは見えないが、出入口の幕は『少年』が出てきた時のまま開かれている。

 

「は? 何よ、あんた?」

 

「運命を知らない者は、身を滅ぼすわよ」

 

 小屋の主は顔を見せてはいない。ただ声だけを届けてくる。

 

「何、占いのこと? はん……言っとくけど、あたし結構占いにはうるさいよ?」

 

「力量を知らない者も、身を滅ぼすわね」

 

 もはや言うまでもないことだが、『長鼻』なる占い小屋の主はマーガレットである。悠はマリーと違って、マーガレットをベルベットルームから連れ出したことはない。だがマリー以上に謎の多い魔女は、自分一人で外に出られるようである。

 

「上等じゃない……占い無制限一本勝負を申し込むわ! 内容は……悠の女関係よ!」

 

 そして話が飛躍した。

 

「!?」

 

「ふふ……知らなくてもいいことを知りたいと言うのね。いいでしょう、お入りなさい」

 

「あたしが勝ったら、この小屋潰すからね!」

 

 あいは啖呵を切って絆の主から離れ、見覚えのある『少年』の脇を通り抜けて占い小屋に入った。同時に出入口の幕がひとりでに引かれ、中の様子は見えなくなった。

 

「……」

 

 制服の上着を腰に巻いた『少年』は、『自分』が出て少女が入った占い小屋を、冷たい目で一瞥した。そして無言のまま歩き去ろうとした。だが上着のボタンを外した少年は引き留めた。

 

「ミナヅキ」

 

「何だ」

 

 名前を呼ばれた『少年』は、足を止めて振り返った。口数は相変わらず少ないが、悠を無視はしない。

 

「お前、一人か? 一緒に見て回らないか?」

 

 菜々子が来るまでまだ時間がある。ここは一つ、今まで最も薄いままにしてしまった繋がりの、遅れた分を取り戻そうとの気持ちが湧いてきた。既にコミュニティが築かれている以上、そっとしておくわけにはいかない。この『少年』は愛想が極めて悪そうな雰囲気があるが、それならなおさら自分から攻めていかねばならない──

 

 悠がミナヅキを誘うのは、知り合いとの付き合いである。ベルベットルームから出張してきたマーガレットと、あいの占い勝負の結果を見届ける勇気がないからではない。多分。

 

「……」

 

 ミナヅキは自分の胸に手を当てた。そして目を閉じて、考え込む素振りを見せてきた。

 

「分かった」

 

 だがそれは長く続かず、ミナヅキは目を開けた。そして表は死神で裏は月の存在は、愚者の少年と付き合うことを了承した。

 

 

 なお、悠が逃げた占い小屋では、美女と美少女が机を挟んで向かい合っていた。机の上にはタロットカードが並べられている。

 

「彼は貴女以外にも、深い絆を結んでいる女性がいるわね」

 

「知ってるわよ」

 

 悠が結実と付き合っていることは、あいも知っている。校内の噂で聞いたから。

 

「二人いるわね」

 

 しかしこれは予想外だった。

 

「二人……? まさか菜々子ちゃんにも手を出してるとか!?」

 

「いいえ、この子よ」

 

 マーガレットは机に並べられたカードの一枚を指で示した。するとまるで手品のように、カードは触れられないまま自ら裏返って、杖を持った人物の寓意画の書かれた表の面を見せてきた。カードの枠にはローマ数字で二十と書かれている。

 

「二十番……でも審判じゃないわね。何これ、トート版って奴? てか、これと付き合ってるってどういう意味?」

 

「こういう意味よ」

 

 マーガレットは指を鳴らした。するとまたしても手品のように絵が変わった。水面に石を落としたように寓意画に波紋が広がり、そこから一人の少女の姿が浮かび上がってきた。

 

「誰、こいつ……中学生?」

 

「ふふ……永劫、太陽、そして貴女の月。もう三つもあるのに、広く考えれば戦車、女教皇、恋愛、運命……正義もかしら? いいえ、最大限に広く考えれば、死神だって案外……」

 

「は?」

 

「さっきの子のことよ。あの子はやめた方がいいわね。そもそも貴女を守ったのは、あの子ではないのだし」

 

 ミナヅキに対してあいが抱いた既視感は、半分だけ正解なのである。4月15日の未明、あいが現実のシャドウに襲われた日に『二人』は会っている。しかしミナヅキは嘘を言ったわけではない。あいが見たのはミナヅキではなく皆月だ。皆月はあの日、現実の霧の中でシャドウを蹴散らして、あいを襲っていたシャドウも倒した。もちろん皆月には助けるつもりなどなく結果的に手遅れだったので、あいは影人間になった。だからあいも皆月についてはっきりした記憶はない。しかし覚えていなくても、無意識の闇には当時の断片が残っていたのだった。ただ断片である為に、真相までは辿り着けなかった。

 

 

 悠とミナヅキは高校の廊下を並んで歩いた。しかし二人の足はさほど長い距離を進みはしなかった。ある教室の引き戸の前でミナヅキが立ち止まったのだ。そこには『稲羽郷土資料展』と書かれた模造紙が貼ってある。

 

(お、やってるクラスがあったのか)

 

 昨日の文化祭初日に、悠は陽介と休憩所で少し話した。もし諸岡が生きていたら、自分たちのクラスでは郷土資料展でもやったのではないかと。それは仮定の上での虚しい想像に過ぎなかったが、実際にやっているクラスもあった。

 

「入るか?」

 

「ああ」

 

 悠が促すと、ミナヅキは扉に手をかけた。古い引き戸が敷居をこする音が、少しばかり心地よく響く。

 

 一つの教室を全て使って行われた展示は、高校生がやるにしてはかなり本格的なものだった。壁の全ての面に大量の模造紙が貼られ、大昔から現在に至るまでの稲羽市の歴史を、年表や写真のパネルでもって解説している。稲羽市は小さな町だが歴史は古い。この近辺は山に囲まれているが、近世以前はそれを利用して城塞が築かれ、地域支配の中心地でもあったのだ。だから郷土の歴史は概要を記すだけでも、かなりの分量になる。

 

 そして壁につけて並べられた机には、地域の特産品である染物や陶器が展示されている。陶器と言うより土器と呼ぶべき、水瓶や皿らしき器もある。更には人を象った土人形まである。それは稲羽には文献史料が残されていないくらい昔、古代からの歴史があることを示している。

 

「この土地は古い歴史があるのだな」

 

「そうみたいだな」

 

 ミナヅキが呟くと、悠は同意した。歴史の授業は受けているし、近頃は自主的な勉強も真面目にやっているが、地域の歴史までは学んだことがなかった。年表を一つ見ただけでも、知らない事柄の多さに驚くくらいだ。

 

 しかしミナヅキは、普通の高校生のように感じ入る悠とは別の感慨を抱く。

 

「神が守る土地か……」

 

「え?」

 

 ふと出てきた呟きに、悠が反応した。視線の向ける先を、壁のパネルから死の絆の担い手へと変更する。しかしミナヅキの表情は冷たい。

 

「君に説明しても分からないだろう。人間は自分がどこから来て、どこへ行くのか知り得ないのだから」

 

 どこから来て、どこへ行くのか──

 

 酷く哲学的な問いである。普通の高校生にこんな話をすれば、痛いかウザいと言われるだけだ。悠の知り合いの、とある詩人が便箋に書き殴る詩のようなものだ。音楽に乗せて歌いでもしない限り共感は得られないし、まともに取り合ってもらえないのが普通である。

 

「どうして分からないんだ?」

 

 しかし悠は痛いなどとは言わない。これと似た問いを自らに発したことがあるから。即ち『自分は何者か』。これは亡き恩師の遺言のようなものである。だから観念的な話でも敬遠しない。自分から話を振ることはさすがにないが、人がする話をいなしはしない。

 

「怠惰だからか?」

 

「そうではない。人間は五感を通した現象しか認識できないからだ。口承、文字、絵画、映像……いかなる媒体や象徴を介しても変わらない。人間は表しか見ることができない」

 

 ここでミナヅキは悠から視線を外し、壁際に並べられた土器や埴輪を見やる。

 

「この土くれのようなものだ……」

 

 稲羽の土地には古代の遺物も眠っている。しかしここに展示されているものは、さすがに本物の出土品ではない。生徒が作ったレプリカだ。

 

「これは古代の生活や祭儀で使われていた本物ではなく、それを模したものに過ぎない。そして本物を土から掘り出しても、それは過去そのものではない。即ち人間の認識は二重三重の壁に阻まれている。人間がなれるのは、歴史の断片から推し量る考古学者が精々……現象の背後に隠れた実体を掴む術はないのだ」

 

(人と人の繋がりも、また同じ……)

 

 人は見たいように見る。よく言われることだが、これは論理的錯誤を起こしやすく、事実と願望を混同しやすい、人間理性の薄弱さだけを意味するものではない。究極的には宿命だ。ミナヅキはそう考える。霧の向こう側に実体を隠していて、7月のマヨナカテレビでは着ぐるみの影を通して語った、月に象徴される何者かのように。アルカナが同じであると、考え方も似通うように。

 

「俺はそう思わない」

 

 一人で結論付けるミナヅキを、引き留める声が上がった。もちろん悠である。

 

 この教室の展示は高校生の仕事にしては力作揃いである。しかしお化け屋敷や占いと比べれば、人の興味はどうしても惹けない。興味を持った悠は例外だ。だから死の絆で結ばれた『二人』以外に、郷土資料展に人影はない。展示を行ったクラスの生徒もちょうど出払っているのか、一人もいない。『二人』だけの秘密の空間において、二人はいわゆる痛い話を平然とする。

 

「真実を探して、見つける。その方法はあるはずだ」

 

「……」

 

 ミナヅキは沈黙した。悠の目を真っ直ぐ見つめる。愚者と死神。タロットの解釈では、同一人物とされる者たちの絆を通して見るように。

 

「なるほど。君ならばそう思うかもしれないな」

 

 相手に説明をしないまま、ミナヅキは一人で納得した。月の存在の双眸からは、人を寄せ付けない冷酷さは影を潜めている。代わりに少しだけ柔らかい色が浮かぶ。

 

 その色の名は、理解。または憐憫。

 

(この男は人と人ではなく、人と神……その繋がりを築いているのであれば……実体でも掴めると考えるのも無理はない。夏に思いついた仮説は正しかったようだな)

 

 普段は他人に向けない珍しい感情を抱いた途端、ミナヅキは自分の胸に手を当てた。何かを隠すように。そして目を閉じて『隠した』ものを確認する。そんな傍から見れば不審な仕草をしている最中に、廊下から人がやって来た。

 

「あ、お兄ちゃん!」

 

「おう、ここにいたか」

 

「あんた、こんなとこで何してんのよ!」

 

「菜々子、叔父さん……海老原」

 

 従妹と叔父だ。そっとしておいてしまった死神の絆を取り戻している間に、思っていたより時間が過ぎていたようである。いつの間にか家族が来る約束の時間になっていた。そして占い小屋にそっとしておいてしまった、『彼女』も一緒にやって来た。数秒前まで閑散としていた郷土資料展に、俄かに人数が増えた。

 

「友達か?」

 

「ああ、こいつは……」

 

 堂島に言われて、悠は『友達』を紹介しようとした。しかし言い終える前に堂島の足元で動きがあった。

 

「ん? 何だ、菜々子?」

 

 菜々子が堂島の陰に隠れたのだ。まるで4月に八十稲羽駅で悠と初めて会った時のように。足立が初めて堂島宅を訪れた時のように。父親の陰から、従兄の『友達』を見上げる。あいの動悸を激しくした端正な顔に照れているのか、それとも刻まれた十字の傷を恐れたのか──

 

「菜々子?」

 

「……」

 

 悠も声をかけた。幼い従妹の表情に怯えを認めて、その傍に近づいた。身を屈めて顔を覗き込む。

 

「失礼する」

 

 そこでミナヅキが動いた。紹介が中断されたのを、話を切り上げる好機と捉えたように。絆が結ばれた男から離れ、その家族の脇を通り抜け、教室の扉へ向かう。そして最後にあいと目が合うが──

 

「ねえ、あんた……」

 

「……」

 

 ミナヅキの目があいと合ったのは、ほんの一瞬だけだった。町中で知らない人間とたまたま目が合っても、それに何も感じないように。ただ肩がぶつからないよう気を付けるように、路上の障害物をよけるようにして、ミナヅキは立ち去った。

 

「愛想の悪い奴だな」

 

「あの人……ちょっとこわい」

 

「うーん……確かに冷たい感じするけど。でもやっぱ、ちょっとカッコいいかも……」

 

 後から教室にやって来た三人は、先にいた『一人』が出て行った廊下を見やりながら、各々呟く。しかしそれも長くは続かない。

 

「じゃ、菜々子ちゃん。お姉ちゃんと一緒に回ろっか?」

 

「うん!」

 

 あいは頭を切り替え、華やかな笑顔を取り戻した。それに釣られるように菜々子も笑った。せっかく年に一度の学校行事に来ているのだ。愛想が悪くて怖くて美形な『男』が気になりはしても、イベントを楽しむ方が優先である。

 

「何か見たいものある?」

 

「うーんとね……みすこん!」

 

 かくして十歳差の少女たちは、早々と郷土資料展から出て行った。人気のない退屈な展示には一顧もせず、面白そうな方へと流れていく。その足取りは速い。

 

「ミ、ミスコン……? おい、この学校、そんなのやってるのか?」

 

 その一方で男二人の足は重い。叔父は顔を引きつらせ、甥はため息を吐いた。

 

「担任の先生がちょっとね……」

 

 

 一方、悠たちから離れたミナヅキは校門へと向かっていた。一般に開放されたイベントであるだけに、校舎内に人は多い。寂れた田舎であっても町中から人を集めれば、これくらいにはなる。そんな常ならぬ人ごみを、ミナヅキは軽々とよけながら歩く。その足取りは速い。

 

『けっ……キメえな。シスコンってな、ああいう奴のことを言うんだな』

 

 一階の下駄箱に辿り着いた頃、心の中から話しかけてくる声があった。皆月だ。ミナヅキは周囲には聞こえないごく小さな声で答えた。

 

「そう言うな。あの男と関わると、こちらも得るものがあるようだ」

 

『あんだてめえ……あの野郎が気に入ったのか?』

 

「そんなはずはない」

 

 ミナヅキは即答した。何の迷いもなく、あっさりと答えた。悠の周囲にいる者たちと、自分は違うのだと言うように。言葉だけでなく足の動きにも淀みはない。一切の動揺をせず、後ろ髪を引かれる思いも感じず、ただ学校の外へ向けて歩きながら胸元に軽く手を添える。

 

「……」

 

『死の欠片』を埋め込んだ心臓から湧いてくる力を、手で感じる。これが今日のミナヅキが得たものである。それは足立も得ているものだ。ペルソナの成長を不合理なほどに促進するもの。成長限界に達しているペルソナ使いを、更に強化することさえできるものだ。

 

 やがてミナヅキは校舎を出て、坂道の上にある校門へと向かった。校名が刻まれた門柱の傍では、既に落葉した桜の木が控え目に枝を伸ばしている。晴れているのに地面に影を作らない木の下に、一人の少女がいた。

 

 青い帽子をかぶり、青いショルダーバッグを斜めにかけている。少女は服装や容貌は目立つ方なので、周囲の注目を惹いている。校門を通り抜ける人々の中には少女を振り返る者もいるが、少女はそれらに気を留めていない。しかし──

 

「お前は……」

 

 愛想の悪そうな少女は、ミナヅキの声は聞き分けた。

 

「!……」

 

 青い少女、マリーはミナヅキを認めた途端、顔を強張らせた。一歩後ずさりして、アームカバーに包まれた両腕を体の前で組んだ。素早く、反射的に。『多くの神々の高校』のシンボルツリーは秋の深まりを告げている。日ごと冷たさを増す季節を象徴する場所で二人、否、三人の男女が出会った。

 

「君……じゃない、君たち……誰?」

 

 マリーの声は硬い。いや、声を出せただけでも上出来だろう。組んだ腕は震え、膝は笑っている。

 

「て言うか……何?」

 

 怯えているのだ。まるで狂い咲いた桜の花に雪が積もるような、薄気味の悪い不自然な現象を目にして。もしくは老いた桜の幹が割れ、土から飛び出した根が腐り、二度と花を結ばなくなるような恐ろしい自然の法則を感じて。

 

「……」

 

『何』と聞かれてもミナヅキは答えない。人間ではない機械や物に対して問うような聞き方をされても、表情一つ動かさない。ただ人の心や世の道理を何でも見抜いてしまうような、天から見下ろす存在を連想させる冷たい目を向けるだけだ。

 

(この女、あの占い師の類縁か? それとも……)

 

 皆月とミナヅキはベルベットルームに縁がある。ただし当人はそれを快く思っていない。あの青い部屋の『先客』である悠も、自分の死の絆の担い手と担い手と体を共有している少年がそうであるとは、まだ知らない。だがやはり縁はある。その縁に、言い方を変えれば絆に引きずられて、ミナヅキたちは今日マーガレットと出会った。そして今、マリーと出会った。奇跡のように、宿命のように。または予告のように。

 

「人間のようなことを聞くのだな」

 

 長い間を置いて、ミナヅキは言葉を発した。ただし聞かれたことの答えではなく、一種の皮肉だった。

 

「……帰って」

 

「……」

 

 やがてミナヅキは再び歩き出した。声を震わせる無力な人外のすぐ横を、強大な人外は無造作に歩き去った。

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