堂島宅二階の悠の部屋にはアナログの時計が置かれている。その長針と短針が揃うまであと数分の深夜の時間。悠はソファーに腰を下ろし、自分の膝に肘を置いて項垂れていた。悩んでいるのだ。
(海老原とは今日も話せなかったな……。いや、そっちよりも……)
十七歳の若者を悩ませているのは、先月の終わりに自覚したものだ。自分はマリーに恋している。彼女が二人もいるのに、三人目を求めてしまっているわけだ。もっとも先の二人のうち一人は、そもそも彼氏彼女の関係とは言えない程度だが。しかしはっきり清算せずに曖昧にしておくのは良くない。そして先のもう一人は彼女でないなどとは言えない。特別捜査隊の仲間たちにはとうに気付かれているし、尚紀などにも知られている。菜々子には彼女なのかと聞かれて肯定している。そして何より、既に一線を越えている。
ならばマリーの方をこそ諦めねばならない。しかしそう思い切ることもできない。
(腐ったミカン……って奴か)
自分が嫌になってしまう。世間には複数の女と関係を持って、それで悔いることがない男もいる。しかし悠はそういうタイプではない。八十稲羽に来る前は恋をしたことはないではないが、人と付き合ったことはない。モテるのが嬉しくないとは言わないが、現実に複数の関係を持ってはいられない。良心の呵責もあるし、修羅場を恐れる気持ちもある。亡き恩師の教えに背いているような気もする。そうやって悩んでいる間に、五日も無為に過ごしてしまった。あいに別れ話を切り出せず、結実との関係も変わらずにいる。
窓を叩く雨音を無意識に聞きながら、少年は前髪に手を差し込んで悩む。そうしているうちに日付が11月5日になった。そして部屋にノイズが響いた。
「ん……映ったか」
悠は額から手を離し、前を向いた。今日の雨は朝からずっと続いている。マヨナカテレビが映るかもしれないので、今晩はチェックしようと仲間内で話を通している。個人的な悩みよりも優先すべき『公的な』問題を前にして、悠は頭を切り替えた。そして電源を入れていないテレビを注視した。
(これ……誰だ?)
深夜のテレビなら、悠は粗いのも鮮明なのも何度も見ている。しかし今日の映像は、これまでで最も不鮮明だった。砂嵐の中に人影は確かにいるが、いることしか分からない。あまりに粗すぎて性別さえ不確かだ。
(ん、ちょっと待て。これ……?)
目を凝らしていると、あることに気付いた。しかしはっきりさせる前に映像は消えた。マヨナカテレビは粗いものは十秒、鮮明なものも三十秒程度しか続かない。一人の人間が一度見ただけで、全てを把握することは難しい。
「……」
そこへポケットから電子音が鳴り始めた。携帯電話の着信だ。見てみると、陽介の名前が出ている。
「もしもし」
『おい、見たか?』
「ああ」
『何かえらいボンヤリしてたけど、今確かに人映ったよな?』
「また事件が起きるな」
『ああ……犯人、今度こそ捕まえてやろうぜ。イタチごっこはもうたくさんだ』
電話越しの陽介の声に気迫が籠った。悠と陽介は特捜隊の中で、事件への思い入れが最も強い。犯人が再び動くなら、むしろ望むところ。今度こそ逃がしてなるものかと、かえって気合が入るくらいだ。だが今は逸る気持ちを抑えて、悠は映像を見て気付いたことを伝えた。
「ところで今のテレビ……二人映ってなかったか?」
『え、二人? 俺には一人しか見えなかったけど? ……おい、クマ!』
話の途中で、電話の向こうでひと悶着が持ち上がった。
『センセイ! センセイも二人見えたクマか!?』
やがて声の主が変わった。同居しているクマが、陽介から電話を分捕ったようだ。
「ああ、お前も見えたのか?」
『見えたクマ! 小さな人影と大きな人影! すごくボンヤリしてたけど、二人いたクマ!』
事件の推理において重要なのは、個々の頭の良し悪しよりも頭の数だ。つまり視点の数だ。即ち仲間である。もし悠が一人で事件を追っていたのなら、もしくは陽介と二人だけだったなら、今の映像に二人映ったように見えたのは見間違いかと思ったかもしれない。だがクマの同意を得て、悠は自分が見たものを信じる気になった。
『お前な、俺が話してんだっつの! ……っと、悪い。俺だ。明日、学校終わったらすぐ集まろうぜ。一人でも二人でも、あれだけじゃ推理も何もない。心当たりとか情報交換しないと』
「そうだな」
かくして明日、日付は変わっているので正しくは今日の予定は決まった。
秋の長雨は夜が明けても続き、昼間も続き、そして夕方になっても続いた。昨日も含めれば丸二日に渡って天から下され続けた水は、八十稲羽の土地をすっかり湿らせてしまった。こうも続くと人の気分も滅入るものだ。しかし世の中には湿気などものともしない人間もいる。例えば八十神高校のサッカー部だ。
「あんた、マジいい加減にしてよね……。雨降ったら部活やんないんじゃなかったの!?」
「そう怒るな、エビ」
「エビ言うな!」
怒っているのはサッカー部のマネージャーだ。それを宥めている、と言うより透かしているのは、二年生のリーダー格で次期主将と目されている少年だ。
「まーまー……冷静になろうぜ? ほら、飯が来たぜ」
マネージャーを宥めているのはバスケ部の少年である。三人が身を置いているのは、商店街にある中華料理屋の愛家である。怒る少女、あいをカウンター席の中央に置いて、左右を二人の少年、長瀬と一条が挟む形で並んで座っている。
今日は土曜日なので、サッカー部は練習がある日だった。雨が降ると休みになるのが通例だったが、先月頃から雨でも休まなくなったのだ。9月の半ばからモラールが回復した長瀬が、顧問を焚きつけた為に。そして今日は部活を終えた帰りに、少年二人がマネージャーを食事に誘ったのだ。
なお、三人の共通の友人である悠はいない。コミュニティの主がいない中で、担い手たちだけでいる。
「海老原はここ初めてなんだろ? こいつはうまいぜ。ジュネスも悪くねえけど、やっぱここだな」
注文は三人とも同じだった。店の名物、肉丼である。
「何なのよ、この量……」
三人並んで食べ始めて数分後、あいは箸を置き、通学カバンから鏡を取り出した。折り畳み式のコンパクトミラーだ。もう長い期間に渡って使っていて、塗装も落ちた古いものだ。それを開いて、自他共に認める美少女は、米粒や油がついていないかと口元を確認する。食後の定例行事のようなものだ。しかしカウンターに置かれた丼には、まだ肉と米が残っている。
「何だ、もう食わねえのか?」
「こんなに食えるかっつの……まあ、美味しいのは認めるけど?」
あいの丼は並盛だ。実のところ、頑張れば完食できる。いや、本音を言えば食べたい。しかし年頃の乙女は、欲望のままに飲み食いすることを己に許していない。ましてあいは中学の頃からそれまでの暗い過去を脱ぎ捨てる為、大変な努力を払ってきたのだ。食に関する克己心は強い。
「あんたにあげるわ」
本音を押し殺して、あいは自分の丼を長瀬の前に押しやった。
「お、悪いな! ありがたくいただくぜ!」
長瀬が食べているのは、『雨の日スペシャル肉丼』である。既に半分ほどがなくなっているが、それでも並盛より多い肉が残っている。長瀬はそこへ更なる追加分を躊躇なく放り込んだ。
「信じらんない……あんた部活やめたら、激太りするわよ」
大食漢の同輩に呆れながら、あいはカバンから財布を取り出して千円札をカウンターに置いた。
「お釣りはいいわ。そんじゃね」
言うが早いか、さっさと席を立った。長い金髪をたなびかせて、早足で店を出る。その後ろ姿を見送りながら、一条は腕を組んだ。
「やれやれ……あいつ、どうよ? ちゃんとマネージャーしてる?」
「ああ見えて仕事は真面目にやってるぜ? 片付けとかサボったことはねえしよ」
「へえ……意外だな。ん? これ海老原のだよな」
サッカー部の内情を聞きながら、一条はふとカウンターに置いてあるものに気付いた。あいが自分の顔を映していた小さな鏡だ。
「あいつ、忘れてったか……。しゃあねえ、ちっと届けてくるわ」
長瀬は直径が普通のものの倍近くある巨大な丼を、カウンターに置いた。代わりにコンパクトミラーを手に取り、席を立つ。
「おいおい、来週でもいいんじゃねえか?」
「これ、あいつには必需品だろ」
「ん……そうかもな」
明日は日曜なので学校はない。次に会う日まで待っていたら、あいは自分自身をチェックする道具のない生活を、一日だけとはいえ送ることになる。それは乙女には不本意だろう。朴念仁そうな長瀬の意外な気遣いに、一条は自分の頬が緩むのを感じた。そして親友を見送り、自分の丼に再び手を付けた。
「おーい、エビ! 忘れもんだぞ!」
長瀬は親友を店に置いて、一人で外に出た。部活で鍛えた大声を張り上げながら、雨に追われて人通りのない町を見回す。あいが店を出てから時間を置いていないので、すぐ見つかるだろうと思って。そして案の定、すぐに見つかった。ただし状況は予想の遥か彼方にあった。
「ん……エビ!?」
商店街の通りから裏路地へ入る道の傍に、一台のトラックが駐車していた。荷台の帆布を半開きにしていて、作業服を着た一人の男がいる。一見すると、荷物の積み下ろしをしているような様子だ。もしそれだけなら長瀬も不審に思わなかっただろう。宅配便の車両が町のどこに停まっていようと、何の不思議もないのだから。問題なのは、男が抱えている『荷物』だ。
「てめえ! うちのマネージャーに何してんだ!」
長瀬は学校のグラウンドの端から端まで届く大音声を張り上げた。町を覆う雨音が一瞬吹き飛ばされる勢いだ。そして走る。
「!……」
作業着を着た男は、帽子を目深にかぶった顔を強張らせた。そして急いで振り返り、荷物、ではなくて気を失ったあいを荷台に運び上げた。
「!?」
長瀬は走りながら目を瞠った。マジックショーで披露される、とっておきの奇術のような現象が起きたのだ。荷台に置かれた黒い『何か』に男が手を触れると、池に石を落としたような波紋が広がった。そして男は波紋にあいの頭を突っ込ませた。文字通りの意味で。手入れの行き届いた淡い色の髪と頭が、黒い底なし沼に潜り込んだ。
そこで長瀬が追いついた。サッカーで鍛えた足は速い。
「どきやがれ! エビ!」
長瀬は男を押しのけて、外に出ているあいの腰に右腕を回した。ダイエットに励む乙女は細く、片腕で易々と抱えられた。そして謎のトリックか何かから引き出そうと、波紋を浮かべる黒い板状のものに左手を当てた。だがそれが仇になった。
「どわっ!」
支えにするつもりの左手も底なし沼に潜り込んだ。長瀬は弾みでバランスを崩し、左の肩まで波紋の中に浸かってしまった。
「長瀬、どうした! ……って、え?」
そこへ一条の声が届けられてきた。雨音を押しのけて響いた親友の大声を聞き分けて、店から出たのだ。そして見た。真実を。
「うわああぁ!」
作業着を着た男が掛け声を上げて、親友の背中に体当たりするのを見た。押された親友が黒い波紋の中に吸い込まれていくのを見た。抱えていた少女も一緒に、水に落ちるように消えてしまうのを見た。二人を飲み込んだ黒い板めいたものは、トラックの荷台に積まれた大きなテレビであるのを見た。荷台の側面には『いなば急便』と書かれているのを見た。悠たち特捜隊が半年以上に渡って追い続けていた真実を、事件の存在さえ知らない一条が目撃したのだ。
「……」
だが何も知らなかった為に、一条は自分の目を疑ってしまった。理解が追いつかなかったのだ。7月の霧の日にシャドウを初めて見た時のように、数秒だけ自失してしまった。我に返ったのは、トラックが排気音を響かせた時だった。
「ま、待てー!」
それから一条は追いかけた。バスケ部は近頃のサッカー部ほど練習が厳しくないが、一条は足には自信がある。しかしいくら普段から運動していようと、車より速く走るのはもちろん無理だ。一条は店の前から数十メートル走ったところで、道路にコンパクトミラーが落ちているのに気付いて足を止めた。
この日の放課後、サッカー部が練習していた頃、悠はジュネスのフードコートで行われた特捜会議に出席した。しかし成果は特になかった。昨晩のマヨナカテレビに誰が映ったのか分かった人は誰もおらず、直近で普通のテレビに出た地元民も特にいない。敢えて言うなら、政治家が小学校を訪問したニュースがあったくらいだ。ただ雨は今晩も続くようなので、チェックはしようとのことで解散となった。
ちなみに昨晩二人映ったように見えたのは、特捜隊八人のうち悠とクマだけだった。同じ映像を見ているはずなのに、見え方が人によって異なっていたのだ。多くの者が不思議に思ったが、その場では詳しい議論は出なかった。そうして会議はすぐに終わったので、悠は早い時間に帰宅した。
夕食の準備を済ませてから、悠は菜々子と一緒に居間に身を置いた。いつもの堂島宅の光景である。ただし今日はいつもと違うものがあった。灰色の大きな布団が、いつものちゃぶ台ではないテーブルにかぶさっている。コタツだ。高校生と小学生の二人は、揃って布団に足を入れてみるが──
「つかない。こわれてるね」
暖かくはなかった。近頃は元より寒さを増してくる季節に、雨が追い打ちをかけている。だから菜々子の発案で押し入れから取り出してきたのだが、古い機械は故障していた。
「新しいの買おうか?」
「おーい、帰ったぞ。お、コタツ出したのか」
肩透かしを食らった二人の間に、三人目の声が届けられた。菜々子は俯いていた顔を上げ、壊れたコタツから飛び出て父親を迎えに走った。
「おかえりなさーい!」
「叔父さん、今日は早かったね」
悠も寒いコタツから出て、珍しく早い帰宅を果たした叔父を迎えた。ちなみに叔父は手ぶらである。季節を無視するように上着を肩にかけている他には、何も持っていない。
「まだ仕事は残ってたんだが、足立がな。自分がやっとくから、早く帰れって言ってきてな」
「足立さんが?」
「ああ。しかもあの野郎、明日は久しぶりに休みでも取れとかぬかしやがってよ……。こりゃあ、雪でも降るかもしんねえな」
言いながら、堂島は笑っている。
「お父さん、明日はお休みなの!?」
「ああ……そうしようと思ってる」
「じゃあジュネス行こう! コタツほしい!」
「コタツ? 出してるじゃないか」
堂島は首を傾げて、居間に置かれた暖房具を見た。すると悠が説明した。
「壊れちゃったみたいなんだ。新しいの買った方がいいと思う」
「そうか……よし、じゃあ明日買いに行くか。最新型でもいいぞ」
昨日と今日は雨が続いている。こうなると、堂島は霧が心配になる。もし明日に出るようであれば、ジュネスどころではなくなる。だが予報では明日の天気は曇りで霧は出ないと言われていて、有里も稲羽に来る予定はない。それを信じて、堂島は家族で買い物に行く約束をした。
霧が出れば、シャドウワーカー稲羽支部はシャドウと戦わねばならない。だが高校生の部下たちを戦わせて良いのか。しかしだからと言って、やらなければどうなるか。堂島は表には出さないものの、先月から葛藤が続いている。果たせずに終わることの多い家族の約束をしたのは、悩みから目を背けるような気持があったのかもしれない。
「ちょっと早いけど、夕飯にしようか? 今日はカリフォルニアロールだよ」
「カリフォルニア? ああ、巻き寿司か。そりゃ凄いな」
そうして家族の団欒が始まろうとしたのだが、それを遮る音が上がった。
「ん……何だ?」
電話の着信音だ。出所は堂島のワイシャツの胸ポケットである。刑事は娘と甥から一歩離れてから、スマートフォンを取り出して画面を確認する。そして液晶画面に表示された着信ボタンに指を触れつつ、家の奥の区画へ向かおうとした。仕事の話を家族に聞かせまいとするように。だがキッチンから出る前に──
「堂島だ……何、長瀬が!?」
堂島は大きな声を上げた。扉や壁の一枚でさえ隔たれていないところに、悠と菜々子がいるのに。
(長瀬?)
「待て待て……いいから落ち着け! ……すぐに行く。足立には俺が連絡するから、お前は小西と小沢に知らせろ。念の為、例のものは持ってこい!」
言いながら堂島はキッチンの扉を開けて、自室へと向かった。悠と菜々子を置き去りにして。
(小西? 小沢……?)
やがて堂島は戻ってきた。寒くなっても肩にかけていることの多い上着を、しっかり着込んでいる。ベルトには長さが二十センチほどの棒を吊り下げている。表情は硬い。
「お父さん、行っちゃうの……?」
堂島はたった今、家族の約束をしたばかりだ。その舌の根も乾かないうちに約束を破ってしまいそうな雰囲気である。菜々子の幼い顔に、今年何度目なのか数えてもいない憂いが浮かぶ。
「……済まんな」
菜々子は悲しみ、堂島は申し訳なさそうにする。だが悠は突然出てきた名前に引っ掛かりを覚えていた。
「叔父さん、長瀬って?」
「ああ……部下だ」
堂島はそれだけ言って玄関へ向かった。靴を引っ掛けて傘を取り、引き戸を開く。それから数秒もすると、家の車庫から排気音が上げられた。車が出たのだ。
「行っちゃったね……」
残された二人の子供は、揃って玄関を見つめている。堂島に緊急の呼び出しが入るのは何度もあったことだ。悠がここに来た初日からしてそうだった。だが菜々子にとっては慣れるものではない。まして今日は明日の約束をしたばかりなのに、果たされそうにない予感が今からしている。
しかし父の不在をただ憂う娘と違って、甥は叔父の言動に不審を覚えていた。
(長瀬……?)
長瀬、小西、小沢。悠の知り合いの中には、堂島が口にした名前の人がいる。もっともこれらの名字は特に珍しいものではない。だから堂島が電話の相手と話題にしていたのは、悠の知り合いではないのかもしれない。いや、その可能性の方が高い。だが妙な引っ掛かりを覚えた。何に引っ掛かるのかと言えば──
(そうだ、花火大会!)
悠の脳裏に閃きが走った。8月30日、当時は七人だった特捜隊と、堂島と菜々子は高台で揃って花火大会を見た。だがあの場に集まったのは彼らだけではない。まず結実がいた。もっとも初めに悠を誘ったのは結実だから彼女はいて当然であるが、他にも人がいた。一条康、長瀬大輔、小西尚紀、そして足立透。なぜ彼らまで来ていたのか?
足立は堂島の部下だし、何度かこの家にも来ている。だから堂島が足立を花火大会に誘うのは、特に不思議ではない。尚紀は殺人事件の被害者遺族で、その関係で足立や堂島と知り合いだ。悠は7月にそれを足立と尚紀自身から聞いている。では残りの二人、一条と長瀬は?
(思い出した……叔父さんあの時、一条と何か話してたぞ! どういう知り合いなんだ……ってか、叔父さんは長瀬とも知り合いなのか? じゃあ今の電話で言ってたのはあの長瀬で、相手は一条か? でも……部下?)
堂島は刑事だ。仕事柄、町の住人であれば誰と面識があっても不思議ではない。しかし『部下』となると話は別である。しかも疑わしいのは、あの二人だけではない。
(まさか小西と小沢も叔父さんの部下……? そう言えば小沢って、うちに来た時……)
一つの出来事を思い出すと、連想的に次々と思い出されるものがある。結実に関して言うと、先月に部屋に上げた時だ。あの日、結実はバス停の前で堂島について言及していた。悠は叔父と同居していることを、彼女に伝えた覚えはないのに。その日は心臓が騒いでそれどころではなかったが、今になって引っ掛かりを覚えた。
(考えてみると、あの四人が一緒にいるところは結構見るな。修学旅行とか……ん? 修学旅行?)
思わず手を打ってしまった。
(そうだ、有里さん!)
警察の協力者だと堂島から紹介された青年で、審判のコミュニティの担い手だ。有里は港区に住んでいるらしく、偶然にも修学旅行のホテル前で遭遇した。例の四人と一緒に。
(確かあの人、小沢が入院した時もいたぞ……? いや、それだけじゃない。先生の葬式では小西と一緒にいた。修学旅行では……そうだ! 直斗だ!)
修学旅行で遭遇した有里は、当時はまだ特捜隊に加入していなかった直斗に、何かを聞かれていた。霧の日に意識不明で倒れていた高校生を病院へ搬送したとか。そして霧と言えば──
(そう言えば叔父さんって、霧の日は家空けてばかりな気が……先月もそうだったし……)
様々な状況証拠が重なり合って、悠の脳裏に何かの絵を描き出そうとしている。絵が何を表しているのかは、まだ分からない。しかしある仮説を立てると全体像が見えてくる気がした。刑事二人と高校生四人。そして都会に住む青年。彼らとは皆、コミュニティで結ばれている。目に見える糸で自分と結ばれている担い手たちは、目に見えない裏の糸で互いに結ばれていたのでは──
「お兄ちゃん……? どうしたの?」
内側の思考に浸りきっていたところへ外から声をかけられて、悠は我に返った。十歳年下の従妹がじっと見上げてきている。
「ごめん、夕飯はちょっと後にして」
悠は一言謝って、キッチンを出て二階へ向かった。思いついた仮説を検証せねばならない。だが菜々子の前ではできない。先ほど堂島は家族の前で仕事の電話を取ってしまっていた。その失敗を目の当たりにした悠は、叔父の轍は踏まなかった。
自室に入った悠は、携帯電話を取り出してアドレス帳を起動した。特捜隊以外の絆の担い手たちに連絡を取らねばならない。最初は結実だ。しかし──
(話し中……)
繋がらなかった。無機質な話中音を三度聞いた後で、ボタンを押して通話を切った。
「……」
結実とは彼氏彼女の関係なのだから、真っ先に確認すべきところである。しかし繋がらない以上は仕方がない。どうしても最初に結実と話したいとか、悠はそうした変なこだわりを持っていない。だから間を置かずに別の人に電話してみた。しかしまた駄目だった。
『おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか……』
長瀬の電話にも繋がらなかった。事務的な口調の音声案内を最後まで聞かず、悠は通話を切った。連続の失敗にもめげず、悠は次の人に連絡する。
『もしもし?』
三度目の正直と言うべきか、やっと繋がった。
「もしもし、鳴上です。一条か?」
『あ、ああ……』
「さっき長瀬に電話したら出なかったんだが。一緒にいるのか?」
『い、いや……ど、どうしたんだろうな!』
繋がったのはいいのだが、一条の歯切れは悪い。
「どうかしたか?」
『あー……悪い! 今ちょっと立て込んでてさ、後にしてくれ。じゃあな!』
一方的に電話を切られてしまった。普段の一条とは違う、やたらと不審な態度だった。何かが起きているのは明らかである。ただし具体的に何が起きているのかまでは、悠には分からない。分からないなりにも疑いは強まってくる。その疑いに後押しされて、四人目に電話をかけてみた。しかし駄目だった。
(また話し中……)
尚紀にも繋がらなかった。これで四人連続で、まともに連絡がつかなかったことになる。四人とも悩み多き高校生なのだから、長電話くらいいつでもするだろう。逆に人と話をしたくなくて、電源を切っていることもあるだろう。もしくは単に充電を忘れて切らしていることもあるだろう。しかしそんな都合の良すぎる推測では、悠は納得しない。
(やっぱり変だ。叔父さんや足立さん……それに有里さんもか。あの人たちと結び付けて考えると……)
高校生の四人に繋がらないだけなら、偶然と割り切ることもできるかもしれない。だがつい先ほど堂島は四人のうち三人の名前を口にして、大急ぎで出ていった。そして足立も呼び出されているようだ。もしもこの六人が、有里も含めれば七人が全て繋がっているのだとしたら。そして修学旅行で直斗が有里に言っていた、『霧』というキーワード──
しかし有里の連絡先を悠は知らないし、足立のそれも知らない。奇妙に疑わしい大人たちの中で、連絡が取れるのは堂島だけだ。しかし悠は叔父に電話する前に、もう少し考えてみた。四人の高校生たちが今何をしているか。
(小西に繋がらなかったのは、一条と電話しているからか? だとすると……)
悠は携帯電話の発信履歴を起動し、再び結実にかけてみた。すると今度は呼び出し音が鳴った。それが二度三度と繰り返されて──
『もしもし……鳴上君?』
ようやく繋がった。
「ああ、今電話しても大丈夫か?」
『ごめん。今はちょっと……』
いつもの結実らしくなく歯切れが悪い。まるで先ほどの一条のように。
「さっきも電話したんだけど、話し中だったみたいだね」
『え、うん……』
「相手は一条か?」
『!』
電話口の向こうで息を飲む音がした。演技が得意な結実にしては、珍しい失態と言えるだろう。
「ああ、変な意味じゃないんだ。さっきうちの叔父さんに電話がかかってきてね。うちの叔父さん、君の名前を言ってたんだ」
動揺する結実に対して、悠はまず側面から攻めた。殺人事件を追い、大勢の個性的な人々と付き合っているうちに、少しは腹芸もできるようになってきている。太陽のコミュニティでは結実に押されっ放しだが、今日はそうさせない。
「何かあった?」
『ごめんなさい。話せないの……』
8月に特別な関係になった時から、結実は何か隠し事をしていた。それでいて悠に踏み込ませずにいた。それは男女の駆け引きというものである。しかし今日の悠は踏み込む。
「テレビに関係すること?」
『え? テレビって……何のこと?』
しかし踏み込んだ結果は予想と違っていた。結実はテレビの世界を知らない一般人のような反応を示した。そこに芝居の色はない。
(読み違えたか? いや……)
カマをかけたつもりだったが、外れたようだ。その一方で安堵もした。もしも結実や堂島が犯人だったら大変だ。しかし全く無関係であると決めつけるのも早計だ。そこでもう一度カマをかけてみた。最初より直接的に。
「じゃあ、ペルソナ?」
『ど、どうして知ってるの!?』
当たった。付き合うようになって以来ずっと隠されていた彼女の秘密を、彼氏は突き止めた。
「小沢、今どこにいる?」
『あ、あの……』
「心配しなくていい。俺もペルソナ使いだ」
そして暴いた秘密への返答のように、悠も秘密を明かした。
『そ、そうだったんだ……』
時刻の呼び名が夕方から夜に変わっても、雨は相変わらず降り続いている。人気のない商店街の一角で、尚紀は傘を差して一人佇んでいた。人が来るのを待っているのだ。
やがて通りから一台のバイクがやって来た。原付ではない中型のオートバイだ。尚紀のすぐ傍の路肩に駐輪し、ライダーはヘルメットを外した。すると見知った顔が出てきた。
「一条さん! 長瀬さんが誘拐されたって、マジなんですか?」
「ああ、マジだ。海老原って知ってるよな? あいつもだ」
尚紀は先ほど一条から電話を受けて、雨の夜に呼び出されたのだ。しかし何が起きたのか詳しくは聞いていない。一条はここで起きた『事件』を目撃したものの、その余りの異様さに混乱してしまい、電話では詳しいことは説明できなかったのだ。ただ『超能力みたいなので長瀬が誘拐された』と『装備を持って商店街に来い』とだけ伝えている。一条自身も仲間たちへの連絡をしつつ、自宅のアパートまで飛んで帰った。そして装備一式を持って、バイクに乗って戻ってきたわけである。
そうしているうちに、やがて一台の車がやって来た。フロントガラスのワイパーを忙しく働かせながら、バイクの傍の路肩に駐車した。
「堂島さん!」
「詳しく説明しろ」
「はい……」
車から降りてきた刑事にして特殊部隊の上司に促されて、高校生の部下は説明を始めた。一条は待っている間に少し落ち着いたので、口は回った。ありのままを、見たままを説明した。
「テレビ……だと?」
「はい、長瀬と海老原がテレビに吸い込まれていったんです。水たまりに石を落としたみたいに、画面に波紋が広がって……」
「……」
悪い冗談のようにしか思えない一条の説明に、堂島は眉間に皺を寄せた。もし相手が普通の高校生であれば、大人をからかうなと説教の一つもくれてやるところである。
「信じられないと思いますけど……本当なんです! 確かに見たんです! いなば急便のトラックです! あいつら、荷台に乗せられたんじゃありません!」
だが一条は普通の高校生ではない。稲羽支部の一員であり、堂島とは互いの背中を預ける間柄だ。他にも家の事情を話すなどして、それなりの信頼関係を築けているつもりでいる。その一条がこれだけ必死に言うのならば、本当なのかもしれない。
「なるほど。超能力みたいなの……って奴か」
堂島は部下の報告を信じる気になった。そして超能力と言えばペルソナ使いとシャドウである。今日は雨こそ降っているものの、霧は出ていない。するとシャドウではなくペルソナ使いの仕業──
(俺たち以外のペルソナ使いが、この町にいる……?)
今まで考えもしなかったが、あり得ない話ではない。シャドウワーカーが結成される以前から、稲羽に霧は出ていたのだ。つまりシャドウが出ていた。それに襲われた者は影人間になるのが普通だが、ペルソナ使いになる者もいる。自分たちがまさにそれなのだから。
そしていなば急便と言えば──
(まさか……山野真由美の死にも関係している!?)
堂島の脳裏に一つの仮説が閃いた。今まで堂島は4月に起きた二つの『殺人』は、霧の日のシャドウによる獣害事件だと思っていた。シャドウワーカー本部や公安もそう考えていて、稲羽支部の部下たちにもそう伝えていた。だが実は違うのではないかと、初めてその可能性を考えてみた。
「叔父さん!」
しかし堂島の思考は、聞き慣れた声によって中断された。
「悠!?」
自宅で娘の面倒を見てもらっていたはずの甥が、夜の商店街にやって来た。竹刀袋めいたものを肩に担いでいて、雨の中を駆けてきた。その隣には部下の一人である結実がいた。
「こんな所で何をしている。早く帰れ!」
堂島は怒鳴るが、悠はわざと叔父に構わなかった。鬼刑事を見ようともせず、高校の同輩に声をかける。
「一条、長瀬が事件に巻き込まれたのか?」
「あー……その……」
「お前には関係ないことだ」
困惑顔の一条に代わって、堂島が悠を遮った。しかし悠は止まらない。既に結実から核心を聞き出しているから、もう一つの核心に触れることも躊躇わない。特捜隊のリーダーとして、泣く子も黙る鬼刑事が相手でも黙っているわけにはいかないのだ。
「テレビに放り込まれたのか?」
連続殺人事件を追い始めて半年以上が過ぎた。その初めの頃に知った最も重要な真実。即ち犯人が用いている凶器について、悠は初めて仲間以外に向けて口にした。
「な、何で知ってるんだ!?」
「お前……! どういうことだ!?」
「相棒!」
「先輩!」
「センセイ!」
ここで更に声が届けられてきた。八十神高校の二年生が三人と一年生が二人、そしてジュネスのマスコットだ。陽介たち特捜隊である。そのうち六人がやって来た。雨に追い立てられて人影が消え寂れきった夜の商店街に、俄かな人だかりができた。
「お前ら……まさか、お前らもか!」
堂島は甥から一度目を外し、突然やって来た甥の友人たちを見回す。ここでようやく悠は叔父に話しかけた。
「叔父さんたち、ペルソナ使いなんでしょ? 俺たちもそうなんだ」