あいと長瀬を見舞った後、悠は寄り道せずに真っ直ぐ帰った。誰もいない広い家で、昨日作った夕食の巻き寿司を一人で食べた。昨日の悠は食べる前に結実たちに電話をして、秘密を突き止めたらすぐに家を出た。そしてそのままテレビに突入したので、昨日は夕食を抜いてしまっていた。冷蔵庫に残っていた量からして、菜々子も食べていないようだった。
八十稲羽に来る前は頻繁にあった、来てからは一日もなかった孤独な夕食を済ませた。それから壊れたコタツを片付けて、居間でテレビのニュースを見て時間を潰した。内容は『霧の煙る町の連続殺人事件、遂に犯人逮捕!』と題された特集だ。そうしているうちに、やがて車庫に車が入ってくる音が聞こえてきて、悠はテレビの電源を切って座布団から立ち上がった。堂島が帰ってきたのだ。
「お帰り、叔父さん」
「おう、ただいま」
およそ丸一日ぶりとなる主人の帰宅である。だが犯人が逮捕され、しかも娘が入院したこの状況では、早く帰ってこられたと言うべきだろう。
「……」
「……」
刑事の叔父と高校生の甥は、ダイニングテーブルの脇で立ったまま無言で向かい合った。帰宅と迎えの挨拶の後はどちらも一言も喋らない。テレビを点けておらず雨音もない沈黙の中で、男二人の視線は交錯を続けた。
「悠」
「はい」
長い間を置いて、叔父はようやく口を開いた。
「歯を食いしばれ」
「はい……」
そして右手を振り上げた。ただし拳を耳の辺りまで持ち上げて、それから悠の頬に向けて飛ばしてきた。ゆっくりと。予備動作が大きすぎる上に、約束組手のような遅いパンチだ。よけようと思えば簡単によけられるが、悠は黙って受け入れた。
ゴツン、と鈍い音がした。堂島が悠に手を上げるのは、諸岡の遺体が上がった二日後の7月12日以来、これが二度目だ。加減はされていたが、初めての時より痛かった。
「何で殴られたか、分かるな?」
「はい」
「よし……座れ」
言いながら、堂島は椅子を引いて腰かけた。そしてスマートフォンを胸ポケットから取り出す。悠も反対側の席に座り、改めて向かい合った。
「そんじゃ話してもらうぞ。知ってることを全部な」
悠たちがこれまで何をしてきたのかは、堂島は昨晩に生田目のトラックの前である程度を聞いている。話したのは直斗だ。しかしあの時は緊急事態であった為、事件の概要と当座の必要事項だけを伝えて終わった。詳細はこれからである。ただし他人に聞かれていい話ではないので、警察署ではなく自宅で『事情聴取』をやることになったわけだ。
「どこから話せばいいのやら……」
悠は痛む頬で苦笑した。特別捜査隊の秘密について、今さら堂島に隠すつもりはない。しかし話そうと思っても、それはそれで簡単ではない。4月以来の戦いの日々を語り尽くすとなったら、相当に長い話になる。
「飾るな。事の初めから順序立てて、ありのままに話せ」
しかし堂島は怯まない。どれだけ長くなっても構わない、朝までだって付き合うぞと、鬼刑事の眼光でもって告げる。堂島は拳と違って尋問は手加減するつもりがない。たとえ相手が身内であろうとも。
「えっと……マヨナカテレビの噂を聞いて、試してみたのが始まりだったんだ。確か転入した初日……じゃないや。ジュネスに初めて行って、小西先輩に会った日だったから……二日目だ」
そうして悠は語った。ありのままに。
悠が話している間、堂島は右手でスマホを操作していた。話を録音しているのと、途中で気になったことのメモを取っているのだ。昔ながらのいわゆるガラケーを今でも使っている悠から見ると、堂島の指の動きは驚くほどスムーズだった。しかも視線は前に向けたままで、手元の液晶画面はほとんど見もしない。
「その辺で俺に話すべきだったな」
堂島は話の間、ずっと黙って聞いていた。しかし話が雪子のマヨナカテレビに至った時、口を挟んできた。
「話したら信じてくれた?」
「信じさせる工夫をしろ。そこのテレビに手を突っ込んでみせれば、嫌でも信じたさ」
堂島は振り返らずに左の親指で後ろを示した。そこには電源の切れたテレビがある。
「……ごめん」
そうなのである。特捜隊はこれまで警察に何も話さなかった。それは話したところで信じてもらえるはずがないからと、皆の間で合意を取っていた。しかしそれは言い訳に過ぎない。本気で信じさせようと思えば、いくらでもできたはずだ。目の前でテレビに手でも頭でも突っ込んでみせればいいし、突っ込ませてやればいい。何ならジュネスのテレビから、堂島をあちらへ連れていけばよかったのだ。現物を見れば誰でも信じる。と言うより、信じざるを得なくなる。
そんなことをしたら堂島のシャドウが出てくる──
これも言い訳だ。シャドウが出てきたら倒せばいい。勝てそうもないくらいに強ければ逃げればいい。被害者を救助するのとは違うのだから、堂島のシャドウから逃げてまずい理由などない。いや、そもそも戦う必要もきっとなかった。テレビの中では『そういうもの』が出ると、あらかじめ話しておけばよかったのだ。堂島は大人なのだから、事前情報さえあれば己のシャドウの言い分をきっと理解して、戦うまでもなく認めただろう。そうしてこなかったのは──
「もうあっちの世界には二度と行くんじゃないぞ」
こう言われるからだ。つまるところ、遊びができなくなるのが嫌だったのだ。
「はい……」
「続きを聞かせろ」
「それで一昨日のマヨナカテレビに人影が二人映ったんだ。今にして思うと、あれは菜々子と海老原だったんだ……」
夜の遅い時間になって、悠の話はようやくひと段落した。4月の上旬から一昨日まで約七ヶ月。その間に起きた異常な経験の数々を、長い時間をかけて悠は説明した。なお、仲間が映ったマヨナカテレビのバラエティについては、映ったこと自体は話したが詳細な内容は省いた。恥ずかしい限りだから。
「あとは叔父さんも知っての通りだよ」
昨日の夜、叔父と甥は各々のチームと共に合流した。その後は叔父も自ら見聞きした話である。しかし堂島の目から見ると、悠の話の中には腑に落ちない点がいくつかあった。そのうち特に重要な問題の確認を始めた。
「俺たちがペルソナ使いだと、どうして分かった」
まずはこれだ。シャドウワーカーは重大な機密である。ペルソナを持っているとはいえ、素人の高校生にどうして気付かれたのか。考えられるのは、高校生の部下たちが何か漏らしてしまったとかだが──
「最初に変だって思ったのは昨日の電話だよ。叔父さん、長瀬って言ってたし、小西と小沢の名前も出してたから。他にも……花火大会とか。叔父さん、一条と話してたでしょ。どういう知り合いなんだって、ちょっと思った」
堂島は眉を動かした。まさか最初に自分の名前を出されるとは思わなかった。
「あと……修学旅行で有里さんに偶然会ったんだ。あの人、あの四人と一緒にいて、霧の日に高校生を病院に搬送したって直斗に聞かれてた。それで色々思い返してみると、叔父さんって霧の日はいつも外出してたのが気になってさ。普通に警察の仕事なんだろうって思ってたけど、実は……って考えたんだ。それで一条や小沢に電話して、カマかけたんだ」
複数の状況証拠が積み重なって、悠は堂島たちに疑いを抱いた。そして結実に電話をした。彼女は口が重かったが、『ペルソナ』というキーワードを言ってみたら大きな反応を引き出せた。それで分かったのだ。
「そういうことか……」
堂島はため息を吐き出した。この世に隠し通せる秘密はないと言う。だがまさか高校生がしていることに刑事が気付かずにいる間に、高校生に秘密を突き止められるとは。しかも発覚した主な要因は刑事本人だ。堂島に油断があったことは否定できない。普通の警察であれば情報漏洩の責任を追及されて、始末書の一枚や二枚では済まないくらいの処分を受けてもおかしくない話である。
だが己の脇の甘さを悔やんでいる場合ではない。確認せねばならないことは、まだある。
「お前、どうしてテレビに入れるようになったんだ。何かきっかけは?」
これも重要な問題だ。悠の話によれば、テレビの中で出現した己のシャドウを受け入れると、ペルソナ使いになってテレビに出入りできるようになる。だが事の発端である悠は、なぜ始めからテレビに入れたのか。その説明はなかった。
「さあ……俺にも分からないよ」
しかし聞かれても答えられない。悠自身にも分からない話なのだ。
「こっちに引っ越してくる前からできたのか?」
「どうだろう? 普段テレビに触ったりしないから。携帯とかじゃ無理だし」
「確かにな……」
堂島はスマホの液晶画面に改めて指を当てた。しかし潜り込みはしない。もしテレビ以外の機械で可能であるならば、堂島はとうに向こうの世界に気付いていたはずである。人は普段の生活で、テレビ画面に手を触れる機会などそうそうない。悠は八十稲羽に来る前からできたのかどうか、今となっては確かめようがない。だがもしできていたならば、悠が力を得た原因として考えられるのは──
「去年以前で不思議なことはなかったか。例えば……空気が緑色に発光して機械も全部止まって、人が棺桶の姿になったりするとか」
「何の話?」
堂島は一つの仮説を確認してみた。しかし悠の反応は芳しくない。何を言われているのか分からないという顔をした。
「いや、分からんのならいい」
刑事の観察力をもってしても、悠が嘘を吐いているようには見えなかったので、堂島はそれ以上追及しなかった。
(影時間があった頃に適性を得ていた……ってのはあり得ん話じゃないな。覚えてないのは、記憶障害を起こしたからかもしれんし……)
昨年1月まで影時間が常態化していたので、その頃に悠は適性を得ていた可能性はある。だが飽くまで可能性の話で、検証する術はない。本人に覚えがあるならともかく、ない以上は分からない。悠にとって事の始まりは何であったのか、真相は不明だ。ただ頭の片隅に留めておくことにした。
「ふー……」
今日の話は細かな点については、改めて調べなければならない。だが取り敢えず聞くべきことは聞けた。話を終わりにするつもりで、堂島はスマホにロックをかけて胸ポケットに放り込んだ。
「俺からも聞いていい?」
しかしまだ終わりにはならなかった。悠はテーブルに片肘をついて、身を乗り出してきた。
「何だ」
「叔父さんはどうやってペルソナを手に入れたの?」
「教えられるとでも思ってるのか?」
「なら小沢に聞くよ。それか一条か長瀬か……小西に聞いてもいいね」
「……」
堂島は苦い顔をした。シャドウワーカーは存在自体が秘密の組織だ。しかし何と言っても、高校生が四人もいるのだ。無関係な人間相手ならともかく、ルーツは異なるがペルソナ使いである悠に聞かれて、果たして黙っていてくれるかどうか。甚だ疑わしいと言わざるを得ない。
「驚いたよ。友達ばっかりなんだから」
「お前の交友範囲は随分広いみたいだな」
「同じ高校だよ」
「そうだったな……世間が狭すぎるんだ」
いくら田舎とはいえ、町の住民全てと知り合いになれるほど稲羽市は狭くない。高校も一つではない。だがどういうわけか、高校生のペルソナ使いは同じ高校の生徒ばかりだ。堂島の部下も、そうでない者も全員がそうだ。八十神高校はやはり呪われているのではないかと、以前も抱いた荒唐無稽な疑いがぶり返してくる。
「俺の仕事にはな、守秘義務ってもんがある」
「はい」
「事件に関係することは、たとえ家族でも話すことはできない」
「知っているよ」
普通の警察もそうだが、シャドウワーカーにも守秘義務はある。しかし何事にも例外というものはある。
「だが……こいつは事情が特殊すぎる。それにお前らが知らないままでいると、かえって事態を悪くするかもしれん。だから小西たちも知ってることは話してやろう。もっとも……俺だって全てを知ってるわけじゃないがな」
そうして堂島の話が始まった。
「警察にはシャドウ対策の組織がある。もちろん公表はされていないし、警察官でも知っているのはごく一部だ。俺と足立はそこに属している。目覚めたのは今年の4月末だ」
「現実でもシャドウが……」
「この地域だけで、霧の日限定だがな」
叔父は今日の『事情聴取』では顔にこそ出さなかったものの、甥の話には驚かされっ放しだった。だが叔父の話も、甥にとって驚くべき内容だった。テレビの中だけの存在だとばかり思っていた異形の怪物が、実は町のそこかしこに出現し、人を襲っていたとは思いもしなかった。しかもテレビの中ではペルソナ使い以外には見向きもしないシャドウが、現実では向こうから『声』をかけてきて、能動的に人を襲うとは。
「だからお前たちも霧の日には注意しろ。家の外に出さえしなければ、シャドウは襲ってこないからな」
これまでの霧の日では、シャドウが家の窓や扉を破って侵入したケースはない。『声』に誘い出された人間が自ら外に出たところを襲っていた。今後も決してないとは言い切れないが、堂島は甥に余計な心配をさせまいと敢えて断言した。
「ん……ちょっと待って! 霧は先月も出てたけど……」
だが悠は話の最中に突然立ち上がった。先月の出来事に関して、頭の中で何かが不意に繋がったのだ。
「……」
「確かあの時、菜々子が夜中に起き出してて……」
「……そうだ。先月のシャドウが狙っていたのは菜々子だ。あの晩、俺たちはこの家の周りで戦ったんだ」
堂島は10月の霧の日に何があったか、本部にも報告していない。口にするのも忌まわしい、春以来の懊悩が遂に極まった時の出来事を、初めて人に話した。顔は苦りきって、テーブルに置かれた手は知らず拳を握る。
「何てことだ……全然気付かなかった……」
悠は膝から力が抜けたように、椅子の上に落下した。まさか窓一枚隔てたところで従妹を狙う怪物が湧いて出てきて、叔父と友人たちが防いでくれていたとは。しかも今の今まで気付かないとは。自分のどうしようもない暢気さに、怒りを通り越して呆れさえ感じる。
「それからな……」
堂島は話を続けた。現実のシャドウはなぜ現れるようになったのか、なぜこの地域だけに現れるのか、どうすれば根絶できるのか。そうした肝心なところは、まだ何も分かっていないことを語った。そして現実の霧は今後も出るであろうことを。故郷と家族を守る為に、堂島は戦い続けなければならないことを──
「俺たちもやるよ」
悠は再び席から立ち上がった。テーブルに両手をついて身を乗り出し、現実が舞台の戦いに志願した。
「駄目だ」
「どうしてさ! 俺たちだってできるはずだ!」
特捜隊は現実ではペルソナを召喚できない。しかしきっとできるはずだと、悠は考えていた。クマによれば不可能ではないと言うし、霧の中に身を置けばできるかもしれない。もしくは足立が左手に持っていた『銃』を使えば、特捜隊も召喚できるようになるかもしれない。そして何より、事はもうできるできないの問題ではない。他ならぬ菜々子がシャドウに狙われ、堂島が守っていたのだ。そんな真実を知ってしまった以上、黙っていられるわけがない。しかし──
「お前、足立が昨日何したか、もう忘れたのか?」
「!」
不覚にも、悠は息を飲んでしまった。戦いに身を投じようとしていながら、ある恐怖が顔に出てしまった。そしてそれを堂島に見られた。全くもって不覚だった。
「お前もああなりたいのか?」
果たして刑事は高校生に何と聞いているのだろうか。生田目のように死にたいのか、なのか。足立のように殺したいのか、なのか。だがどちらであっても同じことだ。高校生に答えられる問いではない。
「俺はお前の父さんと母さんから、お前を預かってるんだ。子供に危ないことはさせられん。小西たちにも、もうやらせん」
そう、堂島から見れば悠は所詮『子供』なのである。年の割にしっかりしているとは思っているが、それでも大人として見てはいない。たとえ超能力を持っていようとも、その力が自分より強いのだとしても変わりはない。シャドウ対策は命懸けの仕事だ。子供がやっていいものではない。
「今までよく頑張った。あとは俺たちに任せるんだ」
足立ならば、もっとストレートに『ガキは引っ込んでろ』とでも言うだろう。堂島はそう言いはしないが、言っているも同然だ。大人の領分に子供は首を突っ込むなと言っている。
「……」
悠は反論できなかった。本気になった大人の恐ろしさと、未だ抜けない自分の甘さを昨晩に思い知らされたばかりだったから。そして堂島の責任感を覆せるほどの何かを、自分の内に見出すことはできなかった。
明けて7日の月曜日、授業を終えた放課後の時間。『子供』のペルソナ使いたちが一つの場所に集まった。特捜隊からは八人全員、シャドウワーカー稲羽支部からは尚紀、一条、結実の三人。場所は白線の引かれた事件現場、もとい霧の漂うスタジオである。
「そうでしたか。警察にそんな組織が……しかもあの桐条グループと共同で……」
昨晩に悠は堂島と互いの事情を明かし合った。それを仲間たちにも共有する為、情報交換の場を設けたのだ。なお最初はいつもの特捜会議のように、フードコートでやろうと思っていた。だがどこに耳があるか分からない場所でするべきではないと尚紀が注意した為、テレビの中で話すことになったのである。悠はもう二度とテレビに入るなと釘を刺されているのだが、機密保持の為なら良いはずだと、後輩の提案を受け入れた。
「非公式の特殊部隊って何かドラマやマンガみたいだけど、マジであるんだ……」
「マンガ……?」
話がひと段落したところで、千枝の呟きに雪子が反応した。
「いや、そこ笑うトコじゃないから」
雪子の笑いのツボは、一般的な傾向からはかなりずれたところにある。場の雰囲気を壊してはなるまいと、千枝は奇癖持ちの親友を素早く抑えこんだ。
「俺ら以外のペルソナ使いがいたってだけでも驚きだけど、まさか尚紀たちがそうだったとはな……」
長い話を聞き終えた陽介は腕を組んだ。一昨日はとにかく事態が事態だったので、『そうなんだ』として取り敢えず受け入れた。だがこうして時間を置いて改めて詳しい話を聞いてみると、やはり驚きを禁じ得ない。想い人の仇を取る為に授かったと思っていた力を、実は当の想い人の弟も持っていたとは。まさに夢にも思っていなかった、というところである。
もちろんそれは弟の側も同様である。
「俺だって驚きましたよ。まさか花村さんや鳴上さんもペルソナ使いだったなんて……」
今日の集まりにおいて、特殊部隊を代表して事情を話したのは尚紀だ。稲羽支部では最年少だが、高校生組のリーダー的な立場にいる。
「本部は別にあって、俺たちは支部って扱いです。堂島さんが支部長で足立さんが副支部長。それに俺、一条さん、長瀬さん、小沢さんを入れた六人でシャドウワーカー稲羽支部ってとこです。まあ……高校生組はもうやるなって言われちゃいましたけど」
「俺も言われたよ」
不満そうな尚紀に悠が応じた。あちらでもこちらでも、『ガキは引っ込んでろ』と言われたわけである。
「どっちにしても、俺らはもう小西以外は戦えないんだけどな」
一条が口を挟んだ。ちなみに長瀬はここにいない。今日辺りあい共々退院できそうなのだが、病み上がりなのでこの場には誘わなかった。話は後で一条から伝えることにしている。
「残念ですか?」
「うーん……どうかな? 白状すると、ちょっと面白く思ってた。けど長瀬は死にかけたんだ。潮時……って奴かもしれない。カッコ悪いけど……」
世にも稀な力(これだけ大勢いると、実は稀どころか普遍なのではとさえ思えてくるが)を手に入れて、それを振るう舞台までも用意されている。マンガのようなシチュエーションに、一条は楽しみを見出していたのは確かだ。だがその力の為に親友は危うく死にかけた。思いきり冷や水を浴びせられ、力もほぼ失ったこの時期が引き際なのかもしれない。一条はそう感じていた。
そんな少年らしい告白に千枝が応じた。
「別に……カッコ悪くなんかないよ。あたしだって、ちょっと自覚足りなかったと思う。遊びじゃないって分かってたつもりだけど……」
戦いに遊び気分を抱いていたのは、何も一条に限らない。高校生たちの間では、むしろそちらが多数派だ。そしてそれが当然だ。平和な日本で普通に十数年生きてきた少年少女に、本職の警察官や軍人のような命懸けの心構えを求める方が無理な話だ。千枝の場合で言えば、足立に撃たれて血塗れになった生田目の姿を目の当たりにして、遊びでなかったことを思い知らされたばかりである。
「里中さん……」
一条は緑の眼鏡越しの視線を、黄色い眼鏡の少女に送った。しかしすぐに目を逸らす。
「しっかし、里中さんもペルソナ使いだったのか……」
潮時と言ったばかりであるのに、惜しい気持ちが湧いてきた。まさか密かに思いを寄せている(と言う割には、かなり多くの者に知られているが)少女までが、同じ力を持っていたとは。千枝と肩を並べて共に戦うなどの、夢のような体験をする機会はあり得たはずだ。しかし一昨日は別行動を取った為にそれができず、今となっては自分が戦えなくなった。もはや千枝と共に戦うことも、守ることもできない。それは何とも残念だった。
そうして若者たちが各々感慨を抱く中、悠は一つの疑問点を確認した。
「ところで有里さんもそうなのか?」
これは昨日の堂島の話では、はっきり語られなかった。しかし稲羽支部から説明される前に、陽介が口を挟んできた。
「ん? 誰だそれ?」
陽介は有里を知らない。特捜隊で有里を知っているのは悠と直斗、他は旅館の関係で面識のある雪子だけだ。
「ああ……えっと、修学旅行で小西たちと一緒にいた人……」
何とも要領を得ない説明である。そこへ今度は結実が口を挟んだ。
「鳴上君、有里さんを知ってるの?」
「叔父さんに連れられて、一度家に来たことがあるんだよ」
その他に、結実が入院した際にも悠は有里の顔を見ている。だがこの場ではそう言わなかった。話がこじれそうだったから。
「あの人は本部の人です。霧が出るたびにこっちに来て、俺らのアドバイザーって感じのことをやってます。詳しい話は聞いてませんが、あの人は何年も前からペルソナ使いでシャドウと戦ってたらしいですよ」
尚紀が説明すると、直斗は俯いて帽子のつばに手を当てた。
「そういうことでしたか……。彼について、もっと調べておくべきでした」
特捜隊で有里に最初に注目したのは直斗だ。悠がシャドウワーカーに気付いた契機も、修学旅行で二人の話を漏れ聞いたことがその一つだった。だが直斗が特捜隊に加入して他の事柄に気を取られている間に、事態は直斗から離れたところで動いてしまった。探偵としては悔しい話である。
そして有里について、完二が補足した。
「ん? ああ……思い出した。そう言や、何かいたな。修学旅行で直斗にちょっかい出してた奴」
「ちょ、ちょっかい出されてたわけじゃありませんよ!」
なぜか顔を赤くした直斗を余所に、悠は結実に尋ねた。
「あの時、何で一緒に?」
「本部がポートアイランドにあるのよ。奥さんもそうらしいけど有里さんは月光館学園の出身で、今もあの辺に住んでるんだって。それで、あの日は晩ご飯奢ってもらったの」
こうして特捜隊と稲羽支部は、互いが持つ情報の交換をあらかた終えた。しかし話すべき事柄はまだある。
「ところで……こないだのマヨナカテレビ。あれに映ってたの、菜々子ちゃんと海老原さんだったんだよね?」
「状況的に間違いないでしょう。鳴上先輩とクマ君は二人映っていたと言ってましたが、正解だったようです」
雪子の確認に直斗が応じた。今月4日の24時に始まったマヨナカテレビに映っていたのは、あの二人だ。そしてテレビに放り込まれた5日にバラエティが映るはずだった。しかしちょうどその頃に救助を終え、病院に全員直行したので、バラエティは誰も見ていない。映ったのかどうかも分からない。
「でも二人とも普通のテレビ、出てないよね?」
「ええ、それなんですが……」
直斗は説明を始めた。確かに二人とも普通のテレビには出ていない。しかし菜々子に関して言うと、人の噂には上っていた。先月に稲羽を訪れた政治家がある小学生を称賛して、町で噂が広がっていたのだ。顔や名前が伝えられないまま有名になった、いわば謎の小学生が菜々子だった。直斗がそれを知ったのは一昨日の夕刊だ。
「どうも『テレビ』というキーワードに振り回されてしまったようです。テレビ以外の媒体でも……いえ、媒体に登場するかどうかに関わらず、町で話題になった人が映る……とか、そういうことなのかもしれません」
「じゃあ海老原さんは?」
「やはり僕らが気付かないうちに、海老原先輩も噂になっていたんだと思います。具体的に何の噂なのかは分かりませんが……」
直斗は推測の形で述べたが、悠はあいに関しては思い当たる節があった。
(まさか……文化祭か?)
二人が一緒に映った点からすると、あいは菜々子と関係する噂があったのかもしれない。考えられるのは、二人揃って飛び入りした文化祭のミスコンだ。あれを見ていた生徒はそこまで多くはなかったが、噂が生まれた可能性は高い。何しろあいは校内では良くも悪くも目立つ。当の二人は気が合っていたようだが、傍から見れば奇妙な取り合わせなので、噂の種にはなりやすいはずだ。もちろんテレビで取り上げられることに比べれば、話題としてはずっと小さい。だがそれだけに、マヨナカテレビには極めて粗く映ることになった。そういう推理は成り立つ。
だが悠は思い付いた仮説を、敢えて口にはしなかった。今となっては後の祭りである。
「けどまあ、犯人は逮捕されたんだもん。これで事件解決よね?」
千枝が明るく、努めて明るい笑顔を作って話し合いを総括しようとした。だが懸念すべき未解決の問題はまだある。
「あとはナナチャンが元気になればオールオッケークマね!」
一つは菜々子だ。面会謝絶はまだ続いていて、見舞いにも行けない。そもそも普通の医者に治せるものなのかどうか、それさえ定かでない状況だ。クマは明るい声で喋っているが、それは千枝と同じく努力してそうしているだけだ。
そしてより悪いことに、問題は菜々子だけではない。
「それと外に出るシャドウですね」
残された最大の懸念事項を、尚紀が口にした。ある意味では犯人を逮捕するよりも難しい問題だ。どうすれば解決できるのか、未だ何も分かっていないのだ。殺人犯を捕まえるのが雲を掴むような話なら、現実のシャドウは雲を払うような話だ。果たして人間の力でどうにかできるものなのか。その段階からはっきりしない。
「外で霧が出るとシャドウも出やがる。尚紀や堂島さんらは、そいつら潰して回ってた……ってか。俺らにすりゃあ、マジかよってくれえの話だが……」
「ったく……俺ら、何で気付かなかったんだ。霧なら何度も出てたってのに……」
完二が応じ、陽介は苦虫を噛み潰した。昨日堂島から話を聞いた時、悠は己の鈍さを呪いたくなったが、現実の霧に隠されていた災いに気付かなかったのは悠だけではない。特捜隊は誰一人として気付いていなかった。
「クマ、何で現実でもシャドウが出るのよ? こっちの世界だけのものって話じゃなかったの?」
前線要員の悠や陽介のみならず、情報担当のりせさえ気付かなかったのだ。
「分かんないクマ……向こうでもシャドウが出るなんて、クマも全然気付かなかったクマ」
もちろんクマも気付かなかったし、知りもしなかった。もし気付いていたら事件の展開はきっと違っていた。シャドウワーカーともっと早く合流して、生田目をもっと早く捕まえられたかもしれない。そうすれば菜々子が被害に遭うこともなかった。それが悔やまれる。
「でもこっちで霧が晴れる時に、向こうで出るわけだから……もしかしたら、こっちの霧が向こうに漏れてるのかもしれんクマ。そんでシャドウも一緒に……」
「そっか……同じ眼鏡で見通せるんだし、あり得るかも。薄気味悪い話だけど……」
テレビの中と外で霧は同時には出ない。同じ眼鏡で見通せて同じ怪物が出る。状況証拠からして、二つの霧に何らかの繋がりがあることは十分に考えられる。
「ねえ、堂島さんはどうする気なの? 小西君や私の力がないと、シャドウなんて見つけられないんじゃないの?」
「……分からない。俺が入る前は桐条グループの探知装置を使って探してたらしいから、基本それで行くんだろうけど……」
生田目が逮捕されたことによって、稲羽のペルソナ使いたちの戦いは一つの曲がり角を迎えた。しかし全てが終わったわけではない。謎と災いはまだ存在する。それでいながら、少年少女たちは戦場から締め出されてしまった。先行きを考えれば考えるほど、不安は強まるばかりだった。