ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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生きる責任(2011/11/7)

 テレビのスタジオで情報交換を終えた特別捜査隊とシャドウワーカー稲羽支部高校生組は、すぐにジュネスの家電売り場に戻ることになった。せっかく来たのだからと、テレビの世界を案内するようなことはしない。堂島に止められているからだ。それに対する不満はもちろんあるが、今日の時点では叔父と支部長の言いつけに逆らいはしなかった。

 

 ただ戻る際に、ひと手間があった。

 

「鳴上君、お願いしていいかな」

 

「分かった」

 

 出口である三段積みのテレビの前で、結実が差し出した手を悠が取ったのだ。

 

 結実はペルソナを一昨日に失ってしまった。一条と長瀬は弱体化したものの残ってはいるが、結実は完全に消えた。その結果、テレビに出入りもできなくなったので、今日入った時は悠が手を引いた。そして出る時も同じようにしたわけである。

 

 そうして十一人の少年少女の最後に、悠と結実は現実に戻った。手を繋いだ状態で。

 

「……」

 

 先に外に出た人たちの何人かは繋がれた手に注目した。見られていることに気付いた二人が手を離したのは、それからすぐだ。普段は客が少ない売り場に生まれた突然の人だかりに、何となく落ち着かない雰囲気が漂う。

 

「今日はこれで解散しよう。どっちも新しい情報が大量に来たんだから、整理する時間が必要だろう」

 

 長居は無用とばかりに、悠が場を締めた。悠は二つのペルソナ使いのチームのうち一方だけのリーダーである。しかしもう一方の者たちも仕切る。

 

「そうですね……少し時間が欲しいです」

 

 そして堂島と足立がいない場で稲羽支部を仕切る尚紀は、悠に従った。

 

「それじゃ……鳴上君、帰ろ?」

 

「ああ」

 

 結実に促されて、悠はテレビの前から歩き出した。最後に外に出てきた二人が、最初にその場を後にした。仲間たちを振り返るでもなく、もちろん家電売り場を見て回るでもなく、階段へ真っ直ぐ向かった。

 

 そして残された九人は、しばらくその場から動かなかった。

 

「ふう……」

 

「何よ雪子。ため息なんて吐いちゃって」

 

 深く長い息を吐いた雪子は、親友を横目に見た。

 

「千枝だって……」

 

「あ、あたし? あたしはため息なんか……」

 

「千枝だって……」

 

「はあ……」

 

「……」

 

 雪子は同じ言葉を繰り返して、りせが応じた。千枝は息こそ吐き出さなかったが、表情は暗い。この三人にすれば、ため息を吐きたくもなるのだ。なぜかは言うまでもない。リーダーとその彼女が立ち去った後の空間に、気まずさが満ちていく。

 

 痛々しい沈黙の中で、完二が陽介に話しかけた。

 

(花村先輩! 何とかしてくださいよ!)

 

 ただし声は出さない。

 

(無理だ)

 

 そして陽介も声に出さずに答えた。途轍もなく器用な以心伝心だ。危機感を共有する者として、声を出さなくても会話ができていた。

 

(俺にはどうしようもねえ……)

 

 この雰囲気は厳しい。霧も出ていないのに空気が重苦しくなる。悠と結実が付き合っていることは、随分前から皆が分かっていた。ただ特捜隊は他人は知り得ない秘密を持っていたという点で、部外者の結実より優位にあった。だが特捜隊と稲羽支部は互いの秘密を共有したことで、優位はなくなった。それが重苦しさに拍車をかけている。

 

(集まるたびに毎回これじゃあ、息が詰まるっすよ!)

 

 完二は学校の成績は良くない。しかし朴念仁というわけではない。陽介もそうだが、他人から良くない目で見られることの多い完二は、人の気持ちには比較的鋭敏な方である。人の気持ちを感じ取った上で、取る行動が間違っているだけで。

 

 一方で陽介は完二よりも鋭敏で、かつ行動に間違いが少ない。それでもこの場でできることはない。陽介は8月に悠から千枝と雪子を押し付けられそうになったことがある。その時は笑って取り合わなかったが、今も取り合えない。笑えないだけで。

 

(だから俺にゃ無理なんだっつうの!)

 

 特捜隊女性陣の三人が感じているものは、人生で最も辛いことの一つである。その辛さから立ち直る方法はいくつかある。例えば長い時間や、恋愛以外の何かに熱中することや、失恋した相手の悪い点を見つけることなどだ。そして最も効果的なのは新しい恋だ。つれない想い人を忘れるには最善の方法である。

 

 しかし陽介は、報われない恋に患う乙女たちを救う役を演じることはできない。仮面の扱いが人より巧みな魔術師でも、限度はある。文化祭で際物の企画を立ち上げることなどとは次元の違う問題だ。人でなしの『愚者』と違って、嘘や打算で無理な恋をするには陽介は良心が強すぎる。それに加えて、陽介自身がいなくなった想い人を忘れていないから。

 

(一条に振れ!)

 

 陽介にできることは人を使うことだ。

 

(一条先輩すか?)

 

(そう。あいつヘタレだから見込み薄いけど……ないよりマシだ。多分な)

 

 陽介は特捜隊の中間管理職だ。稲羽支部では尚紀がそれに当たるが、かの生意気な少年はチームの雰囲気に気を遣う柄ではない。つまり高校生たちの人間関係に気を揉む仕事は、陽介の専管事項だ。

 

(完二、直斗はお前に任せるぞ。これ以上余計な厄介事を増やさないように、頑張れ!)

 

 そして次なる一手はこれである。

 

「な、直斗が何だっつーんすか!」

 

「な、何ですかいきなり……」

 

 

 仲間たちを良くない雰囲気に放置したまま、悠は結実を送った。ジュネスを出て商店街を二人で並んで歩く。11月の涼しい空気の向こうには、久しぶりに太陽が顔を出していた。秋の光は夏のそれより弱く短いが。

 

「夏休みに私、入院してたの覚えてる?」

 

 閑散とした通りを歩きながら、結実は夏の話をした。

 

「ああ」

 

 過ぎた季節の出来事であるが、悠も忘れていない。アルバイトで夜の病院を訪れた悠は、入院していた結実と遭遇した。そこで泣きつかれたのが現在の関係に至った契機だった。それ以前は部活が同じというだけで、特に深い仲ではなかったのに。急変した太陽の絆は、他の女子相手のそれを一気に追い抜いてしまったのだ。

 

「お父さんが危篤になった日……霧が出た、8月の夜ね。私、病院にいたの。初めてあれを見たのが……その時」

 

 何を見たのか、結実ははっきり言わない。テレビの外では機密事項は口にしない方が良いから。だが言わなくても分かる話である。現実のシャドウだ。

 

「……」

 

「ちょっとあやふやなところもあるけど……何かに呼ばれたような気がして、病院の外に出たら堂島さんたちが戦ってたの。私、そこでいきなり呼んじゃって……」

 

 父が危篤に陥った夏の夜。シャドウの『声』を聞いて、外へ誘われたら怪物と超能力者の戦いに遭遇した。そして何も知らないまま、召喚器も用いないまま、結実は崖から落ちるようにペルソナを召喚してしまったのだ。

 

「そこから先は、よく覚えてない……。お父さんの見舞いに来てたのに、気付いたら自分が入院してた」

 

 ペルソナ使いはほとんど誰もが、本人の意思と関係なく世界の裏側に身を落とす。特別課外活動部の時代からそうだったし、特捜隊と稲羽支部も大半がそうである。結実もその例に漏れない。

 

「目が覚めたら、お父さんはもう死んでいた……」

 

 奇しき運命に巻き込まれてしまった為に、父の死に目に遭えなかった。憎んでいて、恨んでいた父に何もしてやれないまま死んだ。それは結実を酷く苦しめた。

 

「有里さんたちに仲間になれって誘われたんだけど……それどころじゃなかった。私がお父さんを殺した……そんなふうに思ってたから。鳴上君が来てくれたのは、その頃だったの……」

 

 特別な関係になった8月17日、結実は『父を殺した』と悠に告白していた。その意味が三ヶ月越しで明らかにされたわけである。

 

「君は誰も殺してなんかいないさ」

 

『殺し』を告白された夏、悠は笑い事ではないと強い調子で結実を咎めた。だが真実を聞いた秋には、優しく寄り添った。悠がマヨナカテレビに映った時、陽介が悠を宥めたように。

 

「むしろ逆だ。君は人を助けたんだから」

 

 悠が言っているのは生田目の件だ。結実は一昨日『連続殺人犯』を助けたのだ。自分の力と引き換えにしてまで。

 

「私……正しかったのかな?」

 

 若い少女は自分の力は何の為にあるのかと悩むことがあった。父を生き返らせる為でないことは、初めから明らかだった。特殊部隊の仲間たちを助ける為、怪物が蠢く町に住む彼氏を守る為。色々考えていたが、そのどれでもなかった。物事に意味を求めずにはいられない、若者らしい考えは大抵の場合は誤っているように。

 

「もちろんさ。君のおかげで、誰も人殺しにならずに済んだんだ」

 

 足立は生田目を殺した。しかしそれは『なかったこと』になったのだ。結実のおかげで。それはきっと正しいこと──

 

「鳴上君はどうするの? まだ戦うの?」

 

 力を失った少女は失っていない少年に尋ねた。その声にはある恐れの響きがある。特捜隊と同様、稲羽支部でも戦いに遊び気分を抱いていた者は多い。だが長瀬と生田目の有様によって、遊びでなかったことを皆が思い知らされた。苛烈な現実を前にすれば、恐れも湧いてくる。

 

 対する悠は曖昧に答えた。

 

「……そうしたいと思ってはいる」

 

 霧が出る限りシャドウワーカーの戦いは続く。しかし特捜隊の出番があるのかどうかは、難しいところである。悠に戦う意志はあるし、遊び気分は捨てたつもりでいる。しかし気持ちだけでは戦場に立てない。まず堂島を説得する材料に欠けるし、足立ほどの覚悟はまだない。中でも最大の問題は、現実の霧で特捜隊はペルソナを使えるのかどうか。最も肝心な点がはっきりしていないことだ。

 

「そう……でも気を付けてね」

 

 やがて二人は商店街の南にあるバス停に至った。二人にとって、ある意味では思い出の場所だ。

 

「ねえ……また君の家、行ってもいい?」

 

 堂島宅前で戦闘があった後の10月7日にも、結実はこう言っていた。あれから今日までの間に、悠は再び結実を招く機会はなかったし、結実の家を訪ねてもいない。太陽の絆では男の側から攻めたことはない。そして女の側から攻められると、男はいつも押し負けてばかりだった。

 

「いや……悪い。今日はなしにしてくれ」

 

 しかし今日の悠は押し負けなかった。

 

 ──

 

 ここで車のクラクションが鳴った。若い男女が揃って驚いたように視線を巡らせると、ちょうど向かいのガソリンスタンドから青い車が一台出てきて路肩に停車した。そして一人の青年が降りてきた。

 

「やあ」

 

「有里さん……来てたんですか」

 

 スタジオでも少し話題にした、シャドウワーカー本部のペルソナ使いだ。尚紀によれば、何年も前からシャドウと戦っていて、稲羽支部より頭一つ上の地位にいるらしい。しかし有里が戦うところは、悠はもちろん結実も見たことがない。付き合いそのものもそれほど深くない。実年齢より少々年上に見える程度の未成年が、歴戦の古強者だとはすぐに思えないところである。

 

「ああ、長瀬君たちの見舞いにね。ちょうど退院するところだったよ」

 

 これまで有里が稲羽に来るのは霧の日ばかりだった。しかし今日や明日に霧は予報されていない。実戦のアドバイザーとしてではなく、入院した部下と被害者を見舞う為に、都会から田舎まで自家用車に乗って来たのだ。

 

「君たちは帰るところかい?」

 

「ええ」

 

「なら乗るかい? 送ってくよ」

 

 停車しているスポーツカーは後部座席が随分と狭い。三人乗るには不便そうであるが、乗れないことはない。

 

「私はいいです」

 

 だが結実は上司の誘いを辞退した。

 

「私はもう、何もできなくなっちゃったし……」

 

 ジュネスの家電売り場で特捜隊女性陣は悩んでいたが、結実も悩んでいるのだ。彼氏の秘密を知っても、戦うことはできなくなったから。部屋に上げてもらうのを断られたことも、悩みをより深くしていた。

 

「それじゃ……」

 

 結実は一人で立ち去った。力を失い、引き換えにしたものにも納得できず、心をどこへ持って行けばいいのか分からないように。その上で全てを諦めて、ただ家路につくように結実は去った。普段は真っ直ぐ伸びている背筋は、少しだけ曲がって見えた。

 

「君はどうする?」

 

「……お言葉に甘えます」

 

「じゃ、どうぞ」

 

 悠はスポーツカーの助手席に座った。ここから堂島宅までは、普通に歩いて帰れる距離である。だが悠は敢えて誘いに乗った。遠隔地に住んでいる相手と絆を育むのは、なかなか難しいから。有里との絆はミナヅキの次くらいにそっとしておいてしまっている。次に有里が稲羽に来るのはいつなのかも分からないので、機会を逃さないことにした。もうペルソナを振るう日はないかもしれないが、人付き合いは続けようと思っていた。

 

 だが車が走り出した途端、有里はとんでもないことを言い出した。

 

「審判のコミュニティはどれくらい進んでいるんだい?」

 

「なぜそれを……!?」

 

 思わず目を大きく見開いて、口元は強張ってしまった。テレビの中の戦いの経緯などについて、聞かれるかもしれないとは思っていた。だがこれは完全に予想外だ。悠はコミュニティの存在を人に話したことはない。それなのに有里は知っている。アルカナまでも。

 

「僕も昔、やっていたからさ」

 

 驚愕する悠とは対照的に、有里は落ち着き払っていた。ステアリングを握る手は震えず、アクセルを踏む足は浅く固定されている。本人の表情はおろか排気音を小さく上げる車にさえ、動揺の色は全く表れていない。

 

「最初は足立さんのコミュかと思ったよ。実は君だったんだね」

 

「じゃあ……有里さんも複数のペルソナを?」

 

「そう、君と同じワイルドさ」

 

 悠は運転席の有里の横顔を注視している。しかしドライバーはフロントガラスの向こうを見つめるばかりで、視線を合わせようとはしない。運転中なのだから当然ではあるのだが、その態度には少しだけ突き放すような気配が伺えた。それでいて聞くことは聞いてくる。

 

「例の部屋にはここの商店街から通ってるの?」

 

「ええ……テレビの中にもありますが」

 

「コミュは君の仲間たちや、稲羽支部の人たちとの間にもあるの?」

 

「はい」

 

「一人に一つずつ、全員分? いや、一条君と長瀬君は二人で一つかな?」

 

「そうです」

 

「なるほどね……」

 

 有里は運転しながら左手の指をこめかみに当てた。夏からあった疑問について、解答が得られた気がしたのだ。

 

 7月に一条が目覚めた時、釣られるように長瀬も目覚めた。それは二人自身の関係に由来すると思っていたが、そうではなかった。長瀬の覚醒の原因は悠との間に結ばれたコミュニティだ。絆のアルカナは二人のペルソナと同じ剛毅。共有している絆を通じて一条の覚醒が長瀬にも影響し、同じアルカナのペルソナに目覚めたのだ。今のあの二人はペルソナを分割しているが、それもコミュニティがあればこそ可能だったこと。普通の人付き合いとは一線を画す、魔術的な絆の本質を知っている有里には、そう判断できた。

 

 話しているうちに、やがて車は堂島宅の前まで辿り着いた。先月の今頃に戦場になった道路の路肩に、有里は停車した。エンジンを切って車から音を消す。それから初めて助手席の側に顔を向けた。

 

「鳴上君、コミュに不条理を感じることがあるかもしれない」

 

 そしてコミュニティの本質を語り始めた。戦いと絆の先輩として。

 

「不条理……ですか?」

 

 だが後輩の方は、何を言われているのかよく分からなかった。もちろん『不条理』という言葉の意味を知らないのではない。

 

「ああ。でもそこは堪えてくれ」

 

「……」

 

「不条理でも心苦しくても、耐えて進めてほしい。それはきっと切り札になる」

 

 ここで悠は眉を動かした。有里の言いようは打算的すぎると感じたのだ。

 

「切り札を得る為に人付き合いをしろと言うんですか」

 

 悠にしても、絆を集め始めた春の頃は打算がないではなかった。例えば一条と長瀬、そして結実と出会ったのはバスケ部と演劇部に入ったからだが、当時の悠にコミュニティでペルソナを強化しようとの意図は確かにあった。その頃は、戦いがいつまで続くか分からなかったという事情も手伝っていた。しかしそれも今となっては昔の話である。

 

 遊び気分を捨てた夏以降は、打算のみで人と付き合うのはやめた。今後戦う機会があるのか分からない状況で、現にこうして有里の車に乗っていることがその証明だ。そして結ばれた数々の絆に、悠は不条理を感じてはいない。

 

 だが彼女と別れて車に乗ってきた少年が示した不快の色に、妻帯者の未成年は微笑みで答えた。

 

「君は優しいんだね」

 

 有里はまさに切り札を得る為に人付き合いをしていた。もっとも例外は何人かいたし、後で己の不誠実さを反省もしたのだが。

 

「打算抜きでコミュを進められるなら、それに越したことはない……いや、その方がずっといい。君は君のやり方で絆を育めばいい。ただ覚えておいてくれ。立ち止まってはいけない。たとえもうシャドウと戦うことはないのだとしても」

 

「それは忠告ですか?」

 

「そう受け取ってもいいよ」

 

 有里にすれば、忠告というよりお願いのつもりである。この町で何が起きているのか、そしてこれから何が起きるのか、それはまだ分からない。だが『我』が教える絆を束ねる者がいる以上、切り札が必要になる。人間の力ではどうしようもない事態が、これから立ち現れるのかもしれない。ならばそれに備えておいてほしい。有里はそう希望している。

 

 ただ後輩に向ける視線の向きは上から見下ろすものだと言われれば、認めないつもりはない。多くの意味において有里は悠の先輩なのだから、どうしてもそうなる。人間関係は対等ばかりではない。

 

「そうだ……ついでにもう一つ忠告しよう。女関係には気を付けた方がいい」

 

「は?」

 

「もし複数の女と特別な関係になっているのなら、やめた方がいい。一時は良くても、後で必ず酷い目に遭う。袋叩きにされるくらいならいいが、下手をすると刺される」

 

「何か実感こもってますね」

 

「はは……」

 

 有里は笑った。それはとても乾いた笑いだった。乾燥した顔の裏で、悠の女関係を推測してみた。

 

(堂島さんの話によると、彼の仲間に女の子は四人。小沢さんを入れると五人。他にも学校の内外で交友関係はあるだろうし、果たして何股してるのやら……)

 

 悠が可能な浮気の範囲は、有里が挙げた五人にあいとマリーを加えて最大で七股である。広く考えれば、菜々子も入れて八股も可能かもしれない。しかし悠はそこまで酷いことはしていない。有里と違って。そんな自分を棚に上げて、先輩は後輩に忠告を続けた。

 

「一生を共にしたいとか、自分の子供を産んでほしいとか……そう思える人のことを『特別』と言うんだ。そんな人は、人生で一人出会えるかどうかだ」

 

「一生……?」

 

「そう」

 

 言われて悠は急に自分を省みた。あいとは別れたが、結実との関係は続いている。では自分は結実と一生を共にする気でいるのだろうかと。

 

(どうなんだろう?)

 

『まだ考えていない』が正直なところである。普通の高校生であれば、たとえ異性と交際していても将来までは深く考えないのが普通だ。どうしても責任を取らざるを得ない、否定のしようがない既成事実でも産まれない限り。そして悠はそういう事実の発生を回避するようにしていた。高校卒業直後に籍を入れたらしい眼前の男の轍は踏むまいと、付き合い始めた当初から気を付けていたから。しかし──

 

「有里さん、貴方は確かご結婚されていたはずですが……」

 

「ああ、妻は高校時代の仲間の一人で、コミュもあった」

 

 7月に審判のコミュニティを築いた時に聞いた、有里の身の上話を思い出した。それによると高校三年生の時に生活が乱れたらしい。そして妻は妊娠中だと。足立風に言えば『人生の墓場に頭から突撃』したわけである。しかし今になって、当時とは異なる感慨が湧いてきた。眼前の未成年でありながらも大人の男は、いわゆる『できちゃった結婚』をしたわけではないのではと。

 

「貴方がその、奥さんと……何て言いますか……」

 

「誤解している知り合いも多いけど……妻の妊娠が分かったのは、籍を入れた後だよ。将来を約束したのは二年生の時だし」

 

 控え目に踏み込んでみると、案の定だった。有里は望まない責任を取らされたのではない。むしろ有里が自ら望んで、進んで責任を取ったのだ。何も考えていない悠と違って。その対比が悠を打ちのめした。

 

(何だ……この人の方が誠実じゃないか)

 

 大人とはどういうものか、悠は最近になって知り始めた。一昨日は足立の恐ろしさを、昨日は堂島の責任感を知らされた。そして今日は有里からだ。つい先ほどは打算的でも何でも、コミュニティはとにかく進めろと言われた気がして反発した。だが実のところは、有里の方が真面目に人と向き合っている。

 

 今日結実に誘われて応じなかったのはなぜか? マリーを気にしていたからではないのか。月に怯える少女を守ってやりたいと思って、恋をしたからだ。それでいながら、結実がテレビに出入りする時は手を引いてジュネスからの帰りは送った。それは不誠実でないのか。自分が急に恥ずかしく思えて、悠は俯いた。

 

「あげるよ」

 

 不意に姿を現した内省に捕まった悠の前に、一枚のメモが差し出された。

 

「僕の連絡先。それと天城屋旅館って知ってるね? 明日には一旦帰る予定だけど、こっちに来る時はそこに泊まってるから。いつ来てもいい」

 

「……ありがとうございます」

 

 悠はメモを受け取った。その瞬間、有里は瞬きを一つした。

 

「それじゃ、霧にはくれぐれも気を付けて」

 

 

 高校生の少年が車を降りて刑事の家に入るのを見届けてから、有里は車のエンジンをかけた。だが発進させる前に自分の胸に手を当てた。

 

(タカヤも僕と会った時には、これを感じていたのかな?)

 

 コミュニティはペルソナ能力に直結する。ワイルドはそうやって強化される。だが主だけでなく、担い手のペルソナにも影響を与えることがある。有里のケースでは、一人の例外を除いて担い手は強化されなかった。悠のケースでは、審判のコミュニティの進行は有里のペルソナに影響が及ぶ。今日の話で自分が絆の恩恵を受けたことを、有里は自覚した。

 

 だが自覚しつつも、有里は面白いと楽しんだりしない。ただ後輩の先行きを心配する。

 

(結局のところ、コミュは勘違いみたいなものだ……真実じゃない。でも鳴上君はそこをまだ分かってないな。使命を終えれば担い手も惑わされなくなるのに……まあ、初めてなんだから分からなくて当然だけど)

 

 コミュニティは永続するものではない。現に有里は戦いを終えた後で、仲間の女たちから袋叩きにされた。仲間の男たちからもおまけのように殴られた。もし悠も大股をかけていれば、戦いを終えた後で散々な目に遭う。有里はそう予測した。ただ重要なのはそこではない。たとえ戦いを終えても総攻撃を食らっても、将来まで続く本当の意味での愛や友情を得られるかどうかだ。

 

(大事なのはコミュがあろうとなかろうと、相手に真実の気持ちを持つこと……。見た感じ、彼は小沢さんにそれを持ってるようじゃなかったが……)

 

 悠はまだ知らないコミュニティの不条理を、有里は絆を集めていた最中から理解していた。その上で利用していた。つまり酷いことをしていたわけである。しかし『我』による惑わしではない、真実の絆もあった。例えば今思い返した運命のアルカナを持つ男だ。他にも運命を定めた死神。そして昨年の3月に、永遠の愛を誓った相手──

 

 

 

 

 風がまだ冷たい春の始め。午前の日の光を浴びながら、有里は絆で結ばれた相手の膝の上にいた。手作りの青いリボンを手渡して、アイギスはそれを制服の襟に通した。

 

「私からも、何か差し上げないといけませんね」

 

「じゃあ……ネジをくれるか?」

 

 プレゼントは交換するのが本来のあり方だ。リボンと引き換えに何かくれると言うので、有里はかつて絆の証明だったものを要求した。するとアイギスは優しく微笑んだ。

 

「困りましたね。もう私の体にネジはありませんよ?」

 

 そうなのだ。アイギスの体にネジはない。有里は先月初めにアイギスの部屋に忍び込んだ時、それを確かめた。あの日以降も、何度も繰り返し。自分の印を柔らかい体に刻み込んで、刻み込むのを邪魔する硬い鉄は、彼女に残っていないことを確かめた。

 

「そうか。それなら……」

 

 機械の証明はもう手に入らない。今のは分かった上での冗談である。本命はこの次だ。

 

「子供を産んでくれ」

 

「はい……」

 

 男の囁きに、女は深く頷いた。有里はアイギスと一生を共にしたいと思い、自分の子供を産んでほしいと思った。そしてこの日、約束をしたのだ。言い方を変えると『契約』を結んだのだ。

 

 そしてこれから一年後、2011年の3月に月光館学園を卒業した二人は結婚した。一年前に結んだ『契約』が果たされるのは、その年の終わり頃になると分かったのは、それからしばらく後だ。ただ友人たちを招いた結婚式でアイギスの妊娠を皆に告げた際には、少々誤解されてしまったが。

 

 

(この女、鳴上君との話を盗み聞きでもしていたのか?)

 

 有里は悠を堂島宅に送り届けた後、宿泊先の天城屋旅館に向かった。そして出張時の恒例として、砂漠の異世界を訪れてマーガレットに会いに来た。もう会いたくなかったのだが、稲羽に来た以上は仕方がなかった。そういう『契約』であるから。

 

「かつての戦いで貴方は使命を果たして、死神との契約を終えたわ。でもまたすぐに別の新たな契約を結んだ……。今はそれを果たしている最中ね」

 

 これは今年の4月にベルベットルームを訪れた際、イゴールにも言われた。つまり有里はマーガレットの件を除いても、今なお契約者なのである。もっともアイギスとの『契約』は、有里に限らず男なら誰でも結び得る極めてありふれたものだが。

 

「その契約は今年の冬には果たされる……そんな貴方に聞きたい」

 

 マーガレットはここを訪れた有里に、いつも過去の情景を見せる。だが見せること自体が目的なのではない。その後に放たれる質問が本題だ。

 

「子供たちの正体を知っているの?」

 

 正体──

 

「もちろん」

 

 有里はまず一言で答えた。

 

「それでも僕とアイギスの子供だ」

 

 だが二言目を追加することも忘れなかった。マーガレットとの『契約』においては、一度に告げる答えは一つだけとの制約が課されている。曰く、『百の言葉よりも、一つの言葉の方が雄弁。一つの行動に近いほどに』だそうである。しかし有里は答えに二言を費やした。8月に聞かれたエリザベスに関する問いの答えと同様に。たとえ命を懸けても、二言目は絶対に省けないから。

 

「そう……健気なものね」

 

 そして8月と違って、マーガレットは二言の答えに気を悪くしなかった。どうやら制約は忘れることにしたらしい。

 

「僕も貴女に聞きたいことがあるんだが」

 

「何かしら?」

 

「どうして僕に構う。貴女は鳴上君の世話をしているんだろう。話なら彼に聞けばいい」

 

 有里がマーガレットと会うのはいつもここだ。だが魔女がいるべき場所は虚無の砂漠ではなく、青いリムジンである。つまり力の管理者として、この町のワイルドである鳴上悠を支援するのが仕事のはずだ。よってマーガレットが話を聞く相手も悠であるべきだ。

 

「彼にもお願いはしているわ。千の言葉よりも雄弁に、一つの行動を示してもらっているの。先日終わったところだけど」

 

「僕のはいつ終わるんだ?」

 

「それは貴方次第ね。いえ……彼次第かしら?」

 

「この町の事案を解決する責任は鳴上君が負っている……そういう意味か?」

 

 当初の有里は、責任を負っているのは足立だと思っていた。だが案に相違して、コミュニティを束ねるワイルドでベルベットルームに通っていたのは悠だった。それはつまり、現実の霧にシャドウが出現する問題を解決する責任を負っているのも、悠である。有里はそう考えていた。

 

 堂島は悠を戦わせる気はないが、有里は違う。必要とあらば巻き込むつもりでいる。だから責任の所在について、魔女の証言が得られれば幸いなくらいなのである。絆の本質も未だ知らない、子供のペルソナ使いを戦場に立たせる『罪』を、軽く払拭できる絶対の保証だ。それを得られるなら、これまで不愉快ながらもマーガレットに付き合ってきた、その甲斐もあると言うもの。

 

「ふふ……本来はそうだったのだけど。でも運命はもう道を外れてしまっているわ。案外、貴方が解決してしまうかもしれないわね」

 

 しかしマーガレットは有里に言質を与えはしない。イゴールもそうだが、青いリムジンやエレベーターの住人は韜晦趣味の持ち主が多い。

 

「さて……そうね。私の問いにいくつも答えてもらったことだし、貴方の問いにも答えましょう」

 

 今日のマーガレットはずっと微笑み続けている。だがここで笑顔の種類を変えてきた。美貌を誇る魔女らしく艶のある笑みに、子供が遊ぶ姿を眺めるような色を加えた。

 

「私が貴方と契約を結んだのは、貴方に興味があるからよ。本来あるべき運命では、貴方はもうこの世にないはずだったから」

 

『興味』とは含蓄の多い言葉である。

 

「貴方は運命の外にいるの。だから貴方をきっかけとして、運命は本来の姿から外れてしまっている……。その行方に興味があるのよ」

 

「言葉遊びにしか聞こえないな。本来なんてどこにある。この世には現実があるだけだ」

 

 現実は一つしかない。もちろん同じ事物に対しても、人により場合により異なる解釈がされることはある。普通にある。だが有里が言っているのは、そういう意味ではない。確かにマーガレットが言う通り、この時期には有里はもう死んでいるのが『本来』だった。有里自身もそれを知っている。しかし現に生きている以上、死んでいたはずの世界は虚しい想像でしかない。『再び』時間が戻って2010年に有里が死にでもしない限り、今ある現実以外の現実が立ち現れることはない。

 

「ええ……その通りよ」

 

 即ち『本来あるべき』などという言い方自体が、もはや意味をなさないのだ。

 

「例えば貴方の子供は確かな現実よ。本来生まれるはずがなかった子供でも、現実には違いないの。だって貴方は生きていて、ご夫人は人間になったのだから」

 

 しかしものの道理を説かれてもマーガレットは怯まない。ベルベットルームの住人は現世の人間が知り得る以上のことを認識できる。

 

「そして本来現れるはずのなかったシャドウも、また現実……」

 

(何……?)

 

「だって貴方は生きていて、世界を変えられる奇跡の力をたった一人の為に使ったのだから」

 

(僕が生きているから……? ユニバースをアイギスの為に使ったから……だと?)

 

 話を聞いているうちに、有里は急に背筋が寒くなったのを感じた。何か途轍もなく理不尽で不条理で、恐ろしいことを言われようとしている。そんな気がしてきた。今すぐ魔女に背を向けて、語られる『真実』から目を逸らしたい気持ちが湧いてきた。真実を何もかも明らかにすることが正しいとは限らないから。

 

「……どういう意味だ」

 

 だがそれでも有里は聞いた。

 

「言った通りよ。貴方が生きているから、現実にシャドウが出たの」

 

 そしてマーガレットは答えた。理不尽極まりない真実を。ベルベットルームの住人らしくもなく、韜晦を用いないはっきりした物言いでもって。その分だけ残酷に、容赦なく真実を暴く。男の顔から血の気が引いても、まるで構わない。

 

「貴方が大いなる封印を行っていれば、シャドウはテレビの中だけの存在でいたはずなの。人とシャドウは十字架で別たれたから」

 

 そしてよりはっきりした言葉でもって、当代最強のペルソナ使いを追い詰めた。

 

「!……それが、僕の責任ってわけか……」

 

 有里は砂漠に片膝をついた。これまで過去の情景を見せられるたびに、映像の恥ずかしさなどから首や背中から力が抜けたことはあった。だが崩れ落ちたのはこれが初めてだ。マーガレットとの勝負は有里の完敗である。責任の在り処を聞いてみたら、思いもよらない解答を告げられてしまった。

 

「いいえ。貴方が生きていることは原因でしかないわ」

 

 4月に聞いたイゴールの言葉が蘇る。この町の出来事に関して、有里の責任など毫もないと。だが十字架がない今、世界にどのような影が落とされるか。アイギスによって変えられた運命が、有里によってどう変えられるか。

 

(変わった結果がこれか……)

 

 聞かなければ良かった。だが聞いてしまった。まさに真実を明らかにすることが、常に正しいとは限らない。知る必要のない真実も、知りたくない真実というものもある。知らなければ責任など感じなかった。

 

「責任を感じるかどうかは貴方の自由よ」

 

 だが知ってしまった以上、もう元のままではいられない。アイギスは来月に臨月を迎えるが、それさえ構っていられないかもしれない。

 

「ところで新しい力を手に入れたようね。彼との絆の恩恵かしら?」

 

「……」

 

「その絆、大事にするといいわ。彼が貴方に与える力と、貴方が彼に与える力……どちらもきっと役に立つでしょうから」




 原作P4においてシャドウがテレビの中でしか出現しないのは、P3主人公が大いなる封印によってシャドウを現実から切り離した為と言われています。しかし作者の前作『滅びの意志』において、有里は(と言うかアイギスは)大いなる封印を行わずに事態を解決しました。その為、本作では現実でもシャドウが出ます。

 裏ネタ:

 ──2011年3月某日、披露宴会場にて。

 有里 『本日はお集まりいただき、ありがとうございます。この機会に、皆さんに報告があります』
 ザワザワ──
 有里 『年内には家族が増える予定です』
 順平 「やっぱりかー!」
 有里 『おい、何がやっぱりだ』
 順平 「当ったり前だろ! 高校卒業してすぐ結婚なんて、できちゃった以外に何があんだよ!」
 ゆかり「ホント、やっぱりって感じ……」
 美鶴 「在学中だったら処刑するところだな……」
 風花 「あ、あはは……良かったね?」
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