11月も下旬に入ろうとする20日の日曜日。稲羽市周辺では一昨日から雨が降り続いていた。寒さは一段と厳しさを増し、どこの家でもコタツなどの暖房器具が活躍を始める時期だ。悠は二週間ほど前に新しいコタツを買おうと菜々子と約束したが、それはまだ果たされていない。あの日以降ジュネスには何度も来ているが、商品の下見もしていない。テレビへの出入りを禁じられた今、ジュネスに来る主な用件は食料品だ。
家に人が減った為、量が少なくなった買い物を済ませて、悠は出入口のエレベーターホールに来た。すると見知った顔がそこにいた。スマートフォンを覗き込んでいる若い男だ。
「足立さん」
「やあ、君か」
言いながら、足立は操作していた携帯端末を胸ポケットに放り込んだ。その表情はいつものように軽く飄然としたものだ。対する悠は硬い。
「天気予報はご覧になってますか?」
「ん? ああ……ちょうど今確認してたとこだよ」
天気についての話とは、世間では時間潰しの雑談の典型である。しかしこの高校生と刑事の二人にとっては雑談ではない。
「今晩……ですよね」
「うん、そうみたいだね」
予報によれば、足掛け三日に及んだ雨は今夜遅くに上がる。そして明日21日の未明から霧が出る。一般向けのテレビやインターネットで入手できる、そんなありふれた情報が世にも稀な災いの合図であるのだ。足立は4月からこれを知っていて、悠は今月になって知った。
「どうするんですか? 叔父さんと二人だけでやる気なんですか?」
現実で霧が出るとシャドウも出る。堂島と足立を始めとするシャドウワーカー稲羽支部はそこで戦ってきた。霧が出るごとに仲間が増えて、最大で六人にまでなった。しかし後から入った者たちには、もうやらせない。特別捜査隊にもやらせない。堂島がそのつもりでいることを、悠は本人から聞いている。納得はしていないが。
「さあて……どうしようかねえ?」
「足立さんが凄いのは分かってます。でも俺たちだって……」
足立は強い。八人いる特捜隊が束になっても敵わないのではないかと思うくらい強い。しかしいくら強くても、それだけではシャドウによる被害は防げない。田舎とはいえ、たった二人で守りきれるほど稲羽は狭くない。人手が多いに越したことはないはずだ。だから自分たちにもやらせてくれ──
悠はそう言いたかった。しかし足立は首を横に振った。
「大丈夫だって……僕らが何とかするよ。君たちは心配しないで」
堂島もそうだが、足立も今後のシャドウ対策について多くを語らない。5月にここで道化師のコミュニティを築いた時は、足立はいかにもお調子者らしく色々と喋っていた。しかし今にして思うと、あれは足立の本性ではなかったのだと、よく分かる。ペルソナ使いとして、そして大人としての凄まじさを見せた今は甘い顔をしてくれない。人は一つの性格だけで生きているものではないと、悠は諸岡から教わっている。足立はその証明のようなものだ。
「ん? 尚紀君」
だがこの時、足立は不意に優しい顔をした。食料品売り場から尚紀がやって来たのだ。小さなビニール袋を一つ下げている。
「足立さん、鳴上さん……」
愚者と道化師、そして刑死者のペルソナ使い。7月の雨の日にも、この三人はこの場所で出会った。今日はその再現だ。そしてあの時は特捜隊と稲羽支部のどちらとも関係ない人がいて、今日もいた。
「小西……ん? その子って……」
ただし今日の部外者は、透という名前の息子がいる老女ではない。一人の少女を尚紀は連れていた。背が低く、頬が赤く、おかっぱ髪という何とも幼い容貌だ。中学生か、もしかしたら小学生かもしれない少女に、悠は何となく見覚えがあるような気がした。だがどこで会ったのかは思い出せなかった。
「あれ……尚紀君の彼女? デート中?」
「ち、違います! えっと……」
「刑事の足立さんと一年先輩の鳴上さんだよ」
「ま、松永って言います……。小西君とはクラスメイトで……」
実は高校生である少女、綾音は名乗った。
「し、失礼します!」
そして駆け出した。元から赤い頬を更に赤く染めて、それを男たちから隠すように走り去った。あからさまに照れている。
「はは……邪魔しちゃったかな?」
「いえ、構いません」
慌てふためいていた少女とは対照的に、尚紀は平静を崩さない。からかい甲斐のない、クールで生意気な少年である。足立は目を細めつつ、いつもながらに寝癖の残る頭を掻いた。
「さて……僕はそろそろ行くよ。君たちも、今晩は夜遊びしちゃ駄目だよ。早いとこ帰んなさいね」
それだけ言って、足立は立ち去った。高校生の少年二人は、傘を差して街路を歩く大人の背を見送った。その姿が視界から消えた頃、尚紀が口を開いた。
「夜遊び……ですって。足立さん、意外と冗談きついですね」
間もなく霧が出ることは、もちろん尚紀も知っている。現実の霧のシャドウ対策には、自分が必要なはずであることも。それでいて尚紀も特捜隊同様に戦場から締め出されている。大人たちがどうするつもりなのかも教えられていない。
「お前はどうするんだ」
「……」
漠然とした問いかけに、尚紀は答えなかった。しかしこの沈黙は質問の意味を理解できないからでも、答えを考えていないからでもない。ただ言葉を用いずに、尚紀は黙って悠を見た。その視線に何かを感じた悠は一歩踏み込んだ。
「うちで夕飯食べてかないか?」
「お宅で……ですか?」
「うちの叔父さん、今晩は帰らないって連絡来てるから。菜々子もいないし……何喋っても問題ないだろ」
今後のシャドウ対策に関して、尚紀はどうするつもりなのか。悠はどうするつもりなのか。それは機密事項に触れるので、ここでは話せない。ならば場所を変えようと、悠は言っているわけだ。ついでに食事も一緒にする。
「じゃあお邪魔します」
尚紀は堂島に招かれたことはなく、悠が招いたのもこれが初めてだ。先月は周囲で戦ったものの中には入らなかった家に、尚紀は初めて上がることになった。
なお、今日は日曜日である。尚紀は大抵の場合、休日は実家の手伝いをして過ごしている。しかし今日は昼から『デート』をしていて、夜には先輩と食事をする。店を放り出して。
菜々子が入院してから、悠は夕食を一人で取る日が増えていた。八十稲羽に来る前はそれが普通で、特に寂しいとも思わなかった。初めから持っていなければ、欲しいと思うこともないから。だが今は違う。半年以上も続いていた『家族の団欒』が突然失われたことで、心に吹く風は確かにあった。
久しぶりの人に食べさせる料理として、悠が作ったのはコロッケだった。高温で揚げたので、さくさくな食感が楽しめるなかなかの仕上がりになった。
「うまいっすね」
「それは良かった」
幸いにもコロッケは尚紀の好物だった。そして単に好きなだけでなく、思い出もあった。
「昔、完二にコロッケ作ってもらったことあります」
高校生の二人は居間のちゃぶ台ではなく、ダイニングテーブルで向かい合って座っている。テーブルの隅には、尚紀が持ってきたジュネスのビニール袋が置いてある。尚紀は揚げ物を箸でつつきながら、昔の思い出を話した。笑顔を浮かべて。
「完二が……あいつ、料理できたのか?」
皇帝のコミュニティは三日前に極まったが、趣味に関する話題は手芸についてばかりで、完二が料理もできたとは知らなかった。『我』が完了宣告を出しても、担い手について何もかもを理解できるわけではない。当たり前と言えば当たり前だが。
「あいつの作だったって知ったのは、ついこないだですけどね。十年越しの真実でしたよ。花村さんもマジで驚いてました」
「陽介がなぜ?」
「一条さんに誘われて、四人で合コンに行ってきたんです」
悠は合点がいった。一条主催の合コンについては完二も言及していたが、刑死者のコミュニティにも影響したようだ。
「お前、そういうの好きな方か?」
「いえ……さっきジュネスにいた松永っての。あいつも来るって話だったんで、行ったんです」
ここで尚紀は笑みを消した。完二も言っていたが、合コンの相手は八十神高校の吹奏楽部に所属する女子生徒やその知り合い関係で、綾音はその一人だったのだ。ただし尚紀は綾音に好意を抱いていて、それで一条の誘いに応じたわけではない。
「あいつ、事件の被害者なんですよ。本人は知りませんけど」
悠は箸を置いた。被害者と言えば、特捜隊にとってはテレビに放り込まれた人である。しかし稲羽支部にとっては違う。
「外で襲われた人か」
綾音がシャドウに襲われたのは事の始まりである山野の遺体が上がった日、4月12日である。当時は特殊部隊の設立前で、誰にも守ってもらえなかった。命は奪われなかったが、その月の終わりまでいわゆる無気力症、シャドウワーカーが言うところの影人間になったのだ。
「ええ。ですから、ちょっと気にしてて……ちょくちょく相談に乗ったりしてるんです」
クラスメイトでもある事件の被害者に、尚紀は6月から親身になっていた。綾音は技術の未熟さと押しの弱い性格から吹奏楽部では『おみそ』扱いで、部活を続けるかどうかも悩んでいた。尚紀はそれを励ましたり、鮫川の土手での練習に付き合ったりしているとのことだった。一度などは尚紀も入部しないかと誘われたらしい。
「でも俺、音楽できないんで。練習に付き合うのも基本聞いてるだけですから……まあ、大した助けにはなってませんね」
「いや、十分だろ」
人の助けや支えになるとは何も同じ部活に入ることや、同じ目的を持つことだけではない。辛い時に傍にいてやるだけでも意味はある。おかげでもう綾音は落ちる寸前だ。彼女ではないと照れていたが、ひと押ししてやりさえすれば、恋の崖へと滑落するだろう。あとは尚紀に押す気があれば──
「それにお前はあの子を守ってたってことじゃないのか?」
しかしクピドの話はここまでだった。
「今のままじゃ、もう守ってやれませんよ。俺、姉ちゃんも守れませんでしたし……」
「……」
沈黙が降りた。陽介は早紀を守ってやれなかったことを、今でも深く悔やんでいる。だが守ってやれなかったのは、尚紀も同じなのだ。もちろん尚紀がペルソナに覚醒したのは早紀の死後だから、弟が姉を守るのは時期的に無理だったわけだが、そういう問題ではない。
死んだ女への思いに決着をつけない限り、二人の男はどちらも前に進めない。ただし陽介は前に進もうとの意志さえ持っていない。一方で尚紀は獣害事件として気持ちに一度区切りをつけた。言い方を変えると風化させた。しかし二週間前、決着は覆されてしまった。
「シュークリーム、好きですか?」
尚紀はテーブルに置いたビニール袋に手を伸ばして、中身を取り出した。今日の綾音との『デート』で買ったものである。
「ん? ああ……」
話の脈絡が見えなかったが、悠は返事をした。シュークリームは取り分け好きというほどではないが、別に嫌いではない。ちょうどコロッケを食べ終わったので、差し出された洋菓子を受け取って封を切った。
「俺がペルソナに目覚めたきっかけ、これだったんです」
厳密に言うとジュネスで売っている量産品ではなく、コニシ酒店の近くにある評判の店のものだ。
「どういうことだ?」
「6月の霧の日に……」
デザートを食べながら尚紀は話し始めた。特捜隊にとっては完二を救助するリミットだった6月5日、尚紀に転機が訪れた。夜中に喉の渇きを覚えた少年は、冷蔵庫で賞味期限の切れた菓子を発見したのだ。シュークリームは早紀も好きで、生前は尚紀が買ったものを勝手に食べてしまうこともあったらしい。だがいなくなった為に、忘れ去られて放置されていた。霧に潜むシャドウから『声』をかけられて、異形の怪物を初めて見たのがその時だったのだ。
「こうして姉ちゃんはいなくなったんだって……そう思いました」
「そうだったのか……いや、そう思うだろうな」
「そうなんですけど……俺、間違ってたんですね。本当に殺人だったんですね……」
尚紀は確かに獣害事件で、綾音もそうだった。だが早紀は違った。ただし尚紀の誤認は無理もない話である。早紀の遺体は霧の日に上がり、死因は普通の警察がいくら調べても分からなかった。そして霧の日にだけ現れる怪物がいて、尚紀はそれに襲われた。これらを総合すれば、小西家の姉弟は同じ被害に遭ったのだと誰でも考える。テレビの中の異世界など、ましてそれを利用している殺人犯の存在など思い付くはずがない。知っている人に教えてもらいでもしない限り。
「どうして教えてくれなかったんです」
「……済まん」
悠は頭を下げた。これは謝らなければならないと思った。と言うのも、陽介は尚紀に真実を教えようとしたことがあるのだ。だが悠が止めた為に、陽介は言葉を飲み込んだ。今にして思うとそれが悔やまれる。
「いえ……分かってます。教えられるわけないですよね。俺もペルソナ使いだって知らなかったんですから」
(いや、違う……)
悠の口の中からシュークリームの甘さが消えて、代わって浮かんだ苦い味を噛みしめる。たとえペルソナ使いでなくても、尚紀にだけは教えるべきだったと今は思う。なぜなら尚紀は真実を知る権利があるはずだから。真実を特捜隊の内輪だけで秘匿していたのは、『遊び』を邪魔されかねない可能性を排除する意図があった。そういう愚かしさが無意識のうちにあったことを、今となっては否定できない。
そうして徒に真実を隠蔽した結果が、今の状況である。殺人事件の被害者遺族に戻ってしまった少年は、視線を逸らして誰にともなく言う。
「姉ちゃん……どうして死んじゃったんでしょうね」
陽介が真実を飲み込んだ9月、尚紀は言っていた。雷に撃たれて死ぬことに理由などないと。しかし早紀の死因は雷ではなかった。犯人はいて、凶器もあった。
「犯人とか凶器とかじゃなくて、どうして……」
しかし尚紀が知りたいのはそれではない。生田目太郎が犯人で、凶器はテレビ。その情報は尚紀の『どうして』の解答にならないのだ。
「動機は何なんだろうな……。お前、叔父さんや足立さんから何か聞いてないのか?」
解答になるとすれば、犯行動機だ。ニュースなどでは山野の件は不倫のもつれではないかと推測されていて、実際ありそうな話である。しかし早紀については、これと言った有力な説もない。早紀は山野の遺体発見者ではあるが、それだけでは動機に結びつかない。雪子以降の被害者にも共通するマヨナカテレビに映ったという点は、それこそ動機とどう結び付くのか。悠にも尚紀にも推測さえ立たない。全くもって意味不明である。
「電話で一度……足立さんに聞いてみました。でも生田目って、まだまともに口きける状態じゃないらしくて……もうしばらく時間かかりそうって話でした」
「そうか……」
つまりまだ何も分からない。陽介は復讐を望んで果たせずにいるが、尚紀は理由を求めて手に入らずにいる。下手をすれば、理由などそもそも存在しないかもしれない。この世にそういう類の犯罪はある。陽介と尚紀は、果たしてどちらが報われるのか。
「それで……済みません。これからどうするか……って話でしたよね」
メインのコロッケを食べ終えてデザートのシュークリームも済ませた二人は、本題に入った。そもそも今日尚紀を招いたのは、綾音や早紀について話すことが目的ではない。
「俺、学校やめようかと思ってるんです」
本題が始まった途端、悠は驚かされた。
「やめる……? 店を継ぐのか?」
「いえ、店は別にいいんです。潰れたって……つか、そのうちマジで潰れますから」
「じゃあどうする」
「警察に入ります。本職の警官になれば、堂島さんも認めてくれるんじゃないかって思うんです」
堂島が悠や尚紀にシャドウ対策をさせないのは、『子供だから』だ。しかし子供かどうかは年齢だけで決まるものではない。社会人になれば話は変わってくるはずだ。現に有里は悠と二歳しか変わらず未だ十代の身だが、堂島は大人として認めている。ただしこの場合の問題は──
「高校中退で警官になれるのか? それにこの時期に入れるのか?」
警察組織の人員の採用がどういうものなのか悠は詳しく知らないが、色々とハードルがありそうに感じる。堂島も便宜を図ってくれはしないだろう。だが尚紀にはまだ考えがあった。
「無理なら有里さんに頼んで、シャドウワーカーの本部に入れてもらいます。あっちは何か融通がきくみたいですから。聞いた話だと、シャドウワーカーの前身の組織には小学生までいたらしいですよ」
「マジか?」
「ええ。それに前身の頃は有里さんも高校生だったらしいですし」
つまり同じシャドウ対策の特殊部隊でも部署によって、また人によって温度差があるわけだ。堂島は子供を使うことを頑なに拒絶しているが、より上の立場にいる有里は違う。ならばそちらから攻めていく道はあり得るはずだ。何より尚紀は、稲羽支部の任務において不可欠な情報系ペルソナ使いである。必要性の観点から言えば、道理はむしろ尚紀にある。
「堂島さんの言うことも、分からないわけじゃないんですが……蚊帳の外に置かれるのは、やっぱり納得いかないです」
「そうだな……」
この点は悠も同意見だ。納得はしていない。
(警官になるか、有里さんに頼む……なるほど)
将来についての話なら、悠は陽介とも8月に海でしている。その時は『特に考えていない』で終わってしまった。それは将来など考えたところで、問答無用でご破算になる事態に陥るかもしれないとの思いがあったからだ。しかしあれから事件が大きく動いた今は考える余地がある。そして尚紀の考えは悪くないと感じた。
(俺だって、3月以降もこっちに残ることもできるはずだ。叔父さんさえ説得できれば……)
海外に転勤した両親の帰国に合わせて、悠は来年の3月に八十稲羽を離れる予定だ。しかし家族の取り決めを変更して、ここに居続けることは不可能ではない。『友達がたくさんできたから、こっちで卒業したい』とでも言えば、両親は説得できるだろう。シャドウ事案がそれ以上に長く続くようなら、卒業後も残ればいい。ここから通える大学に進学するのも、それこそ稲羽で警察官になってもいい。
現代日本では職業選択や移動の自由は保障されている。どこに住もうが、何をして働こうが、その人の自由だ。大人であれば。しかし──
突然、二重の電子音が堂島宅のダイニングで奏でられた。
「ん?」
「メールですね」
二人は顔を見合わせた。音の出所は悠のズボンのポケットと、尚紀の胸ポケットからだ。いずれもメールの着信音である。二人同時に着信して音が重なったのだ。
「有里さんからだ」
「俺もです」
悠は一般に流通している携帯電話で、尚紀はシャドウワーカーの情報端末で有里からのメールを開いた。文面はどちらも同じだった。読んだ途端、二人は愕然とした。
『今日から稲羽に来ているんだけど、こっちの問題が解決するまで常駐することにしたよ。小西君や久慈川さんには及ばないだろうけど、僕も探知能力を身に付けたよ。探知装置も併用すればパトロールは何とかなると思う。だから心配しないで』
高校生たちは揃って目を瞠り、口が半開きになる。
「常駐……」
「有里さんが探知能力を? そんな……」
尚紀と悠は今後に向けた希望を有里に見出していた。だが当のその人によって打ち砕かれてしまったわけだ。端末を持つ手に知らず力が入り、短い文章を何度も繰り返し読む。繰り返すうちに、『心配しないで』の裏に『ガキは引っ込んでろ』が透けて見えてきた。
まずい事態である。少年少女は大人たちの手によって、いよいよ完全に締め出されてしまう。ならばどうするか?
「小西、陽介たちを呼びたいんだが」
「はい?」
「現実の霧で俺たちは召喚できるのかどうか、試したい。お前もいてくれないか」
まずはこれだ。自分たちが戦力になることを確認し、役に立つことを大人たちに証明しなければならない。間もなく現実が白い闇に覆われ、堂島と菜々子が不在の今晩はうってつけの機会である。
「……分かりました」
リーダーの要望に情報担当は頷いた。尚紀はルーツこそ異なるものの、もはや仲間の一人と考えていい。刑死者のコミュニティはここに至って、堂島と有里の言いつけに揃って逆らうという、一種の共犯関係へと発展した。
「でも俺は召喚器がいるんで、一旦家に帰ります」
「お邪魔しまーす」
「うーっす。先輩、お疲れっす」
雨が弱くなり、気温が下がり、霧の出現が肌でも予感され始めた夜遅い時間。少年少女が堂島宅に集合した。事前の相談なしの、しかも夜間の呼び出しだが全員揃った。
「夜中に悪いな」
「いいって。俺らだって納得できてねえしな」
テレビでペルソナを得た仲間たちと、外で得た尚紀。合計九人のペルソナ使いが、コタツも置いていない寒い居間に集合した。
「一条さんたちは呼ばないんですか?」
「あいつらには悪いが、しょうがない」
尚紀の質問に、悠は控え目に答えた。一条と長瀬、結実はここに呼んでいない。今日の主旨は特捜隊が現実で召喚可能かの確認なので、彼らの招集は必須ではない。そしてもし戦いになれば、ペルソナが弱体化したのと完全に失った彼らは足手まといになる危険があった。
「パパさんには内緒クマ?」
「もちろん」
家主のいない広い家に緊張感が漂い始めた。眼鏡は全員用意しているし、前線要員は武器も持ってきている。刀、短剣、鉤爪など、傍から見れば凶器準備集合罪が適用されるかもしれない物々しさだ。
「おっと……始まったぜ」
陽介が声を上げて、全員が居間のテレビに注目した。電源を入れていないテレビが砂嵐を映し始めたのだ。画面は黄色く朧に光り、やがてノイズの中に人影が結ばれた。
「これがマヨナカテレビ……」
特捜隊にはお馴染みだが、尚紀は初めてだ。
「あれ? マヨナカテレビって一人で見ないといけないんじゃなかった?」
「そいつはデマだ。俺とクマは前から二人で見てた」
千枝の疑問に陽介が答えた。運命の人が映るという話と同様に、一人で見なければならないというのも真実ではない。深夜の超常現象そのものは真実だが、映る内容や見る為の条件は世間の噂が全て正しいわけではない。
「それよりこれは……生田目か?」
映っている人物について、悠が指摘した。人影は男のようで帽子をかぶっている。よくよく見れば、着ている服は作業着のようだった。宅配便の業者と言われれば、そう見える。
「そっか。何度もテレビで取り上げられてるんだし、映るはずよね」
雪子が答えた。生田目は逮捕されて以来、顔と名前付きで何度も報道されている。まさに『時の人』そのものなので映るはずである。ただしそれも長くは続かない。話しているうちにマヨナカテレビは消えた。これまでの粗いものと同様に、コマーシャル並みの短い映像だった。
「あの野郎、てめえが映ったからって、てめえでテレビに飛び込んだりしねえだろうな……」
「大丈夫でしょう。堂島さんと足立さんは、テレビが自殺や逃亡の手段になり得ると分かってますから。テレビのある部屋に容疑者を置いたりしないはずです」
「そうね……事情を分かってる人が警察にいるって、こういう時に便利ね」
「まあな……」
完二の危惧には直斗が答え、りせの感想には悠が同意を示した。高校生だけでやるのと、認識を同じくする人が警察にいるのとでは違う。6日に堂島に事情聴取された際にもっと早く話せと叱られたが、確かにそうである。犯人を捕まえるのも捕まえた後の対応も、警察の協力があった方がスムーズに進む。ただその一方で戦いから締め出された今の状況も、特捜隊の秘密を堂島に知られたからである。
「それはそれとしてだ……」
悠はテレビの前から移動してカーテンを開けた。外の様子は肉眼では見えない。日付は21日に変わり、自然の夜の黒い闇は不自然極まる白い闇に取って代わっていた。予報通り、霧が八十稲羽の天地を覆った。
「試してみよう。皆、眼鏡かけて」
窓を開けて全員で庭に出た。晩秋の深夜はただでさえ寒いのに、霧がそれに拍車をかけている。だが問題なのは、もちろん気温ではない。
「うお……マジだ。マジであたしらの眼鏡で、こっちの霧も見通せるんだ……」
シャドウワーカーの眼鏡でテレビの霧を見通せるように、特捜隊の眼鏡で現実の霧も見通せる。両者の仲間の証は出所こそ異なるものの、効果は同じである。そしてそれは両所の霧も同じであることの証明と言える。
「それじゃ、まずは俺からやります」
尚紀は自宅から持ってきた自動式拳銃を額に当てた。堂島は高校生組に戦いを禁じているものの、召喚器の回収はしていない。これがなくては、万一シャドウの方から襲ってきた場合に困るからだ。
──
ガラスが割れる音が響き渡った。黒い燕尾服を着た白い兎が呼び出され、尚紀の周囲をスキップして回る。これまでの霧の日と同様に、尚紀は召喚できる。
「んじゃ、俺らもやってみっか。ジライヤ!」
次いで陽介が試した。テレビの中でいつもやっているように、4月に手に入れた力の名を呼ぶ。常に霧が満ちている異世界であれば、赤いマフラーを巻いてカエルを連想させる丸い仮面をかぶった怪人が出現するところだが──
「で、出ねえ……?」
何も起こらなかった。陽介の呼び声は何にも受け止められず、そのまま現実の霧に溶けてしまった。頭上には虚ろな白い闇があるばかりで、光と影のいずれも出てこない。
「そんなはず……トランぺッター!」
悠は右手を中空に掲げ、審判のアルカナに属するペルソナの名を呼んだ。有里との絆の恩恵を受けている、現在の悠が使える中で最も強いペルソナだ。生田目との戦いでは、足立を援護するのに多少は役に立った。だが今は応じるものが何もない。掲げた手で握り潰す為の光るカードも出てこない。
「ロクテンマオウ!」
先日に絆を極めた影響で、新しくなったペルソナの名前を完二が叫ぶ。しかしやはり出てこない。
「どうして……? 同じ眼鏡で見通せるんだから、この霧ってテレビのと同じじゃないの? なのにできないの?」
雪子が周りを見回した。クマの眼鏡で確かに霧は見通せる。それなのに召喚できない。理由としてまず考えられるのは──
「尚紀、そいつ貸してくれ!」
「いいですけど……」
シャドウワーカーにあって特捜隊にないものを、尚紀は陽介に手渡した。特殊部隊員の証である超常の兵器だ。陽介は初めて手にした召喚器をこめかみに当てて、迷いなく引き金を引いた。
「ジライヤ!」
しかし出てこない。
「もー、ヨースケのおダメさん! クマに貸すクマ!」
陽介の手から召喚器をクマが分捕った。ちなみに着ぐるみは脱いでいる。金の前髪越しに額に銃口を当てて、すぐさま引き金を引く。
「キントキドージ!」
こちらも駄目だった。カチッと撃鉄が倒れる音がしただけだ。
「ナオキン……このテッポー、壊れてないクマ?」
「壊れてないよ。俺は召喚できたんだし」
「クマ君、貸して!」
今度は千枝が召喚器を手に取った。しかし結果は同じだ。なぜなのか?
(どうなってるんだ? 霧が同じなのに召喚できない……いや、待て。霧だけが問題って言うなら、俺たちが向こうで召喚器なしで召喚できるのがおかしい。ってことは……霧がどうって話じゃなくて、あっちとこっちの世界そのものの問題なのか?)
尚紀は一つの仮説を閃いた。今月7日に情報交換した際に聞いた話によれば、テレビの中の迷宮は被害者が生み出すとのことだ。訳の分からない話だが、中に入った人間の心理が反映するということなのだろう。つまり精神が空間に作用する。そしてペルソナは心の力だ。
テレビの中は世界の法則そのものが現実と違う。現実の霧や影時間よりも、精神が影響する範囲が大きい。だからシャドウワーカーは召喚器なしで召喚できる。特捜隊もできる。そういう理屈は成り立つ。では特捜隊が現実で召喚できないのはなぜか。召喚器を使ってさえ、できないのはなぜなのか──
「花村さん。皆さんはテレビの中で海老原さんのあれみたいなのが出て、それを受け入れてペルソナ使いになったって話でしたけど……」
「ああ、そうだけど……」
(俺たちはそんなのなかった……ん? 先月は一条さんと長瀬さんのシャドウが出たけど……いや、あれは関係ないか。海老原さんのシャドウと違って、本人との繋がりがなかったんだ。あれはただの偽物だ)
尚紀は考える。自分や一条や結実が目覚めた経緯、霧の日の戦いにおける出来事、そして話に聞いた特捜隊の戦いについて、比較して考える。
(俺たちが目覚めた理由は……家の問題とかって言われてるよな。例えば小沢さんは親父さんを亡くして……松永は家族とは特に揉めてないって話だった。あいつがペルソナ使いにならなかったのも、そのせいなのか? 鳴上さんたちも家庭に問題がないから召喚できない? いや待て。完二は確か親父さんを亡くしてるはず……)
「ペルソナ! ……出やがれってんだよ、コラァ!」
ちょうど完二が召喚器を撃った。しかし何も出てこない。何度引き金を引いてもガラスは割れない。
(完二も無理? じゃあ一体何が原因なんだ? 俺たちと鳴上さんたちのペルソナって、似てるけど実は別物なのか?)
尚紀は考え続ける。シャドウワーカーのペルソナと特捜隊のペルソナ。力そのものは似ているが目覚めた経緯が異なり、原因が異なり、召喚の儀式も異なる。類似点と相違点を比較して考えを巡らせる。世界の各地にある似た伝承、例えばイザナギとオルフェウスの神話を比較して、そこから世界や人間の真理を見出そうとするように。
しかし尚紀は考えてばかりはいられない。
「あ! ね、ねえ! 外に出てたらまずくない? 堂島さんたちにバレちゃうんじゃ……」
今さらながらに、りせが気にすべき問題を口にした。堂島たちは今まさにシャドウ対策を実行中のはずだ。つまりシャドウや外に出た人間を探す網が町中に張られている。家の外に出ていれば、自分たちが言いつけに背いていることが知られてしまう。しかし──
「それは大丈夫。ジャミングしてるから気付かれないはず」
尚紀は既に対策を取っていた。イナバノシロウサギは最初に召喚した時から、ずっと顕現を続けている。ジャミング能力によって自分の周囲数メートルを隠しているのだ。しかしりせの反応は調子の外れたものだった。
「え? 何それ?」
「何って……シャドウやペルソナの探知を妨害する能力さ」
「小西君、そんなことできるの……?」
尚紀は探す力の他に隠す力も持っている。実地で使ったのは初めてだが、とにかくある。他にも弱いながらも戦闘能力など、りせが使えない力を尚紀は持っている。一口に情報系またはサポート系と呼ばれるペルソナ使いの中にも、種類が色々あるのだ。イナバノシロウサギとヒミコはタイプが違う。
しかしそれを説明する暇はなかった。
「うーん……尚紀! お前のペルソナで俺を調べてくれ!」
「あ、はい……」
陽介が言ってきて、尚紀はそちらを向かされた。学校の先輩の体の外側を肉眼で見て、内側をペルソナの感覚で覗く。
「ペルソナは確かにありますが……済みません。何で召喚できないのか、俺にも……」
考えられる原因は色々あるが、尚紀はまだ結論を出せていない。考えようにも状況的に難しい。九人もいる中でただ一人超能力を使える立場である為に、やることが多くなってしまった。
「忙しいところ悪いが……シャドウは出たか? 叔父さんたちはどうしてる?」
今度は悠だ。尚紀の召喚器を右手に持っている。自分の頭を撃っても、何も起こらないことを確かめたところだ。
「待ってください……えっと、堂島さんたちは車に乗ってるみたいです」
尚紀は忙しい。ジャミングで自分たちを隠しつつ探査の網を町に広げる。すると堂島と足立、そして有里の反応はすぐに見つかった。移動している。速度からして、これまでのパトロールと同様に車を使っていると判断できた。そしてシャドウは──
「シャドウは……あれ、いない?」
霧の日とテレビの中で何度も見た敵性存在の反応は見つからなかった。自分たち以外の外に出ている人間もいない。ペルソナが張った網は水を零すばかりで、魚は一匹もかからない。
(出なくなったのか? 何で? 生田目が捕まったから? いや、そんなの理由にならないよな……)
悠と尚紀は夕食を食べた際に、一種の共犯関係へと至った。しかしそれはあっという間に解消されてしまった。現実で召喚できるペルソナ使いと、できないペルソナ使いとして立場が別れてしまったのだ。その上、『なぜか』現実でシャドウが出なくなった。これでは共犯も何もない。
ただしその理由は分からない。なぜ悠たちは戦う力を発揮できないのか、なぜ戦うべき敵がいないのか。二つの舞台と二つの力を比較して考えても、結論は得られない。