悠はゴルフクラブを叩き付け、イザナギは長柄を振り回し、雷を落とす。対する影は掌を叩き付けたり風を巻き起こしたりするものの、どれも動作が極端に大きかったり鈍かったりした為、まともに悠を捕えられない。そうしたかなり一方的な攻防を続けた後、陽介の影は力尽きた。
「ふっ、ふざけんなああ!」
こんなはずじゃなかった──
そう言わんばかりの不満が滾る断末魔を上げて、怪物は四肢を床に投げ出した。そしてカエルの下半身と人型の上半身のどちらからも、大量の黒い煙を発し始めた。その様はまるで火災だ。だが影が発する煙は、現実の火事とは違う。酒屋の空間を覆って、内部の人間を中毒死させるようなことはない。煙は発せられては、すぐに消えていった。
テレビの世界を隙間なく満たす白い霧は、その圧倒的な質量とあらたかなる霊験でもって、黒い煙を生まれる傍から飲み込んでいる。しかしその様は、眼鏡をかけている悠には見えなかった。見えないものを見ようとはせず、悠は後ろを振り返った。するとちょうど倒れていた陽介が、身を起こしたところだった。
「お、俺は……一体、何が……?」
影が崩れ落ちた途端、陽介は目を覚ました。自分の身を頭から食べてしまおうとする危険が去ったことを、誰かに教えられたように、極めてタイミング良く。或いは神がかりに入っていた巫女が、無意識の混沌を当てもなくさまよっていた中、雷鳴のごとき託宣を受けて正気に戻るように。
「ヨースケ、だいじょぶ!?」
クマが声をかけて、陽介を助け起こそうとした。陽介は高校生にしては細身だが、力は全くと言ってよいほどないクマが立たせるには重い。しかし陽介は意外にも足腰はしっかりとしていて、すぐに立ち上がった。そして視線を上げると、再び鏡と出会った。
「……」
鏡から抜け出て怪物に変じた像は、打ちのめされて鏡に戻っていたのだ。
「お前は……」
陽介は顔を歪めた。しかし鏡に映る金の瞳の陽介は、表情を変えない。言葉も発さない。戦って敗れる前はあれだけ饒舌だったにも関わらず、今はすっかり大人しくなっている。
「お、お前は……」
「……」
鏡像が矛を収めても、陽介の戸惑いはまだ収まらない。そして悠はかける言葉が見つからなかった。怒りに任せて影を打ちのめしたものの、ここにいるのは友人の(知り合ってからの期間は短いが、違うとは誰も言うまい)花村陽介だ。人間を影のように、力で制圧するわけにはいかない。悪鬼や悪霊は退治することもできるが、人の心を他人が自由にするのは限度がある。鏡の向こうからまた何かを投げ付けて人を抉ったりする前に、後始末をしてくれと思っていても、口には出せない。
「ヨースケ、あれは元々、ヨースケの中にいたものクマ……。ヨースケが認めなかったら、さっきみたいに暴走するしかないクマよ……」
悠が黙っている間に、クマが陽介に話しかけた。その声と表情には、友人を(知り合ってからの期間は悠よりも更に短いが、違うとはきっと言うまい)案じる憂いが満ちていた。クマの着ぐるみに中身はない。しかし人の心は元より目に見えない。だからクマの『中身』は見えないだけで、きっと『ある』。
「でもよ……」
それでも陽介は認められずにいる。何日も顔を洗わず服も着替えずにいた男が、不意に見てしまった鏡に映る姿を認められないように。そんな友人の肩に、悠は手を置いた。震える体を押さえて、体の中から湧き上がる怒りや戸惑いを、そして屈辱を、手でそっと払いのけるように。背負わねばならない重荷を、少しだけでも分かち合おうとするように。
「鳴上……」
「……誰だって同じだ」
すがるように見てくる陽介に、悠は一言だけを与えた。たったそれだけの短い言葉に、どれほどの意味を込めているのか。言葉では説明せず、ただ背中を押した。
「はあ……分かってたんだ。でも、みっともねえし、どうしようもなくて……認めたくなかった」
陽介は俯いて、悠に思いを吐露した。知り合ってからの期間は短いが、まるで何年も苦楽を共にした同志に対するような、不思議な信頼を込めて。人間同士の間に確実に横たわっている、ある一つの壁を越えて。そして陽介は顔を上げ、鏡の前まで歩いていった。
「お前は俺で、俺はお前か……全部、ひっくるめて俺だってことだよな」
金の瞳の陽介は頷いた。陽介が認めて、鏡に映る像も認めた。悠とクマが見つめる中で、鏡像は青い光を放ってその姿を変えた。それは白いツナギに赤のマフラーを首に巻いており、両手の甲には巨大な手裏剣を装着している。首元では巨大な金色のV字飾りが存在感を発揮している。そして顔は黒い球体を三つ重ねた、カエルの顔を連想させる戯画的な仮面で覆われていた。
「ジライヤ……」
陽介が名を呟くと、一枚のカードに結晶した。それはゆっくりと回転しながら陽介の手元に落ちてきて、そして見えなくなった。悠の時と同じだ。
「なあ、これって……」
「ペルソナ……だな。多分お前も、できるようになったんだろう」
「そっか……」
店の外でシャドウを倒した時はあれほど興奮した様子を見せていた陽介だが、今はすっかり落ち着いている。欲しいと思った力を手に入れたわけだが、その代償として支払ったものの耐え難い重さが、もしくは耐えられない軽さが、普段の陽介が人に見せている軽薄さを陰に隠していた。
「なあ、クマ。もしかして先輩はここで、もう一人の自分に殺されたってことか? さっき、俺に起きたみたいに……」
「多分そうだと思うクマ」
「……」
そうなのだろうと、悠も思う。だがまだ分からないことがある。陽介をウザいと思っていたとの言葉は、果たして早紀の本心であったのか。本心だからこそ認められず、シャドウを否定したのか。それとも本心ではなく、言いがかりに過ぎないから否定したのか。はたまた実家の店や家族、もしくは自分自身を悪し様に言われたことを否定して、それで殺されてしまったのか。あの場で聞いた話だけから結論を導き出すのは、なかなか難しい。そして出したところで、今となっては確かめようがない。真実は霧の中だ。
早紀が実際どう思っていたのか。これはもう答えの出ない問題だ。だから悠はその話を二人にはしなかった。
三人は商店街を出て、床に白線が引かれたスタジオに戻ってきた。その道すがら、悠と陽介はクマから多少の情報を引き出した。曰く、この世界にいるシャドウは元々人間から生まれたもの。今日行った商店街と昨日行ったマンションは、早紀と山野真由美がそれぞれこの世界に来た為に現れたもの。この世界では霧が出ている間、シャドウは人間を襲ったりしないが、霧は時々晴れる。そうなるとシャドウは酷く暴れて、その時に二人は殺された。そしてこちらで霧が晴れるのは、向こうで霧が出た時。今日シャドウが現れたのは、探索する自分たち、またはペルソナの力に反応したからではないか──
悠と陽介にしてみれば、今一つ理解が及ばない話もあったが、とにかく事態の概要は把握できた。簡単に言えば、ここに人を放り込んでいる『犯人』が現実の世界に存在しているというわけだ。そうしてスタジオに辿り着くと、陽介は話を更に前へと進めた。
「クマ、お前はここに人が放り込まれたら、分かるんだよな?」
「分かるクマよ! 人が来たらニオイがするクマ」
「シャドウが隠れてたり出てきそうになったりしたら、それも分かるか?」
「任せるクマ! どんなシャドウなのかも、ちょっとだけなら分かるクマ!」
「よし……だったら何とかなるかな」
陽介は居住まいを正した。と言っても、姿勢を変えたりはしない。しかしそう感じさせる雰囲気を持った何かが、陽介の周囲から湧き出てきた。
「鳴上、それにクマも。俺は先輩をここに落とした犯人を捕まえたい。もしまた人が落とされたら、助けてやりたい。協力してくれないか」
「……」
悠はすぐには答えず、陽介と視線を合わせた。陽介に迷いはない。早紀の『遺言』を聞いて、己のシャドウの言い分も聞いて、その上で陽介は前に進もうとしている。そんな陽介をそっとしておく選択肢は、悠の頭に浮かんでこなかった。
悠は基本的に面倒事が嫌いな性格だが、陽介の頼みに応じる気になっていた。自分が応じるだろうことを、答える前から分かっていた。それは悠の精神が、ある変容の時を迎えようとしているから──
(いや、そういうのじゃない)
中学生や高校生くらいの青少年は、何かの契機によって性格が変わることはままある。無気力にただ日々を送っていた少年が、ある日その青春を捧げる何かを見つけて、それに打ち込んで、ついでに身にまとう雰囲気や普段の言動まで変わってしまうことはある。それは俗に若さの特権と呼ばれるものだ。
しかし今の悠は、自分自身に関してそこまでの印象を得なかった。太陽が地球の周りを回っていると思っていたが、実は違うのだと知った時、人の前には真理への地平が開ける。しかし新たな知識を得ることは、人の性格まで変えるとは限らない。目から鱗を落として、くすんでいた世界が色鮮やかに変わり、それまで迫害していた敵を急に愛するようになったりしても、性格となるとまた別の話だ。
「やってみるか」
それでも悠は陽介の頼みに応じた。人は普段と異なる行動をすることもある。知らない土地を訪れれば、多少なりとも気持ちに変化が訪れるものだ。普段はしないような大胆な行動に出るのは、それほど珍しい出来事ではない。
「モチのロンクマ!」
「そっか。お前らがそう言ってくれんなら、心強いよ!」
謎は多いが、行動に移す為の手掛かりはあるのだ。まずマヨナカテレビがある。そして力がある。
悠は右手を握った。自分の何に由来するのかまだ分からないが、とにかく戦う力は得た。それを確認する為、カードを握る為の手を見ようと視線を落とした。するとその弾みで、床に描かれた人型の白線が目に入った。いくつもあるそれは、この世界に落ちて死んだ、否、殺された人を暗示しているようだった。
(人をテレビに落として殺す……か。これ、やっぱり事件だったってことだよな)
現実の世界では、今頃は警察が全力で捜査をしていることだろう。そしてそれには、ろくに家にも帰ってこない堂島も参加しているに違いない。しかしテレビの中に関して言えば、捜査するのは警察ではない。この三人だ。正しく言えば、二人の人間と着ぐるみ一匹だ。
(すると俺たちは、叔父さんたちの手が届かない世界で頑張る、特別捜査隊……ってところか)
そんなことを思った瞬間、時間が止まった。頭の中に、誰のものとも分からない声が響く。
『我は汝、汝は我……』
(!?)
悠は驚いた。これはペルソナが語った、自己同一性に関する一つの答えだ。悠はたった今、カードを呼び出す己の右手を見ようとした。しかしそれだけで、実際に呼ぼうとしたわけではない。それなのにペルソナの方から勝手に飛び出てくることもあるのかと、一瞬悠は身構えた。しかし──
『汝、新たなる絆を見出したり。絆は即ち、まことを知る一歩なり……。汝、愚者のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』
答えを表す言葉に続いて出てきたのは、力の化身たるペルソナではなかった。不可思議な事態は昨日からずっと連続しているが、まだ何かあるようだった。世界の真実の一端に触れたと思ったら、今度は『絆』と来た。
(何だ、一体……。絆?)
絆。人との繋がり。これまでの人生では、あまり顧みてこなかったものだ。転校すれば以前の学校の友人とは、それまでの仲がどうであれ疎遠になってばかりだったから。人との繋がりは切らずにいる努力をしなければ、勝手に切れるものだ。そのようにして、悠は絆の価値なり用途なりを深く考えてはこなかった。しかしだからと言って、無用のものと進んで切り捨てるほど気難しくはない。
だから悠は謎の声が聞こえたこと自体には驚いたものの、声が告げた言葉の内容に嫌悪を覚えることはなかった。何と言っても、コニシ酒店での戦いの時から陽介やクマを友人と見なしていたのだから。新たな絆を見出したとの宣告を、特に抵抗なく受け入れた。そして絆が結ばれた人たちを見回した。
(特別捜査隊の絆ってわけか。メンバーは俺と花村……それにクマか)
実戦要員が二人と、探知や解析ができる情報担当要員が一人。たった三人のチームだが、当座の人数は揃ったと言える。そうやって視線を巡らせていると、人型が描かれた床に捨てられた一本のロープが目に入った。
(あ、そう言えば里中は?)
そこでようやく思い出した。昨日もそうだったが、今日のジュネスには陽介と二人で来たのではなかったのだ。命綱の端を握っていた、もう一人がいたはずだった。もっとも綱のもう一方の端は、今や床に捨てられている。
絆は『綱』であり、犬や馬などの動物を繋ぎ止める綱というのが元々の意味だ。そこから転じて家族や友人、更には地域の人間同士の結びつきを意味する言葉になったのだ。だから命綱としてのロープもまた、絆と呼んで良かったはずだ。しかしそれは切れてしまった。これでは一旦戻らない限り、結わえ直すことはできそうもなかった。
「どうかしたか?」
「いや、里中はどうしてるかなと思ってさ」
「あ! すっかり忘れてたわ!」
陽介ははたと手を打った。悠もそうだが、二人揃って完全に忘れてしまっていた。
こうして放課後から始めたこの日の冒険は、雨が夕暮れになっても降り続いて世間もいい加減しつこく思い始めた頃になって、ようやく終わった。陽介の締めは、ジュネスの家電売り場でしゃがみ込んでいた哀れな少女に泣きながらロープを投げ付けられるという、いささか不遇な形だった。そして悠の締めは、ジュネスから堂島宅に帰る道の途中、鮫川河川敷で儚げな美少女と出会うという、ちょっと幸運な形だった。
悠と陽介が力を手に入れた長い一日が終わる直前、足立は稲羽署の保護室に身を置いていた。と言っても、署に引っ張ってきた誰かを取り調べようとしているのではない。そしてまた誰かをテレビに放り込もうとしているのでもない。短い間に死人が二人も出たので、署内は大忙しなのだ。しかし事態の真相を知っている足立は、もちろん仕事などする気はない。だからさっさと帰りたいのだが、帰れる雰囲気でない為、ここでこっそりサポっているわけだ。
「……」
足立は壁に背を預け、外で未だ降り続ける雨音を聞いていた。何も考えず、ただ無心に聞いていた。そうして無為に過ごした一日から日付が変わる頃、部屋の隅に置かれたテレビが、昨日に女子高生を飲み込んだ当のその画面が、砂嵐を映し始めた。
(またか)
雨の夜の午前0時に消えたテレビを一人で見ると、運命の人が映る。マヨナカテレビと呼ばれる噂は警察にも届いている。もちろん真面目に取り合う警官はいないし、当初は足立も信じていなかった。しかし今は違う。実物を見るのは、これが初めてではないのだ。もっともいかなる原理によって映るのか、映す対象はどうやって決められているのかはまでは分かっていないが。
テレビに目をやると、砂嵐はやがて一人の人間らしき絵を結び始めた。映像は粗くて顔も分からない。しかし何とはなしに画面を眺めていると、やがて映っている人物の姿がはっきりしてきた。
虚心坦懐──
先入観やわだかまりを持たず、物事に執着せずにいること。テレビに何が映ろうと驚かず、映ること自体にも執着しない。そうしていると向こうから自然とやって来て、望まなくても得られるものがある。それは実は、精神を極限まで押し広げて全身全霊で執着して、両手を力の限りに伸ばしきってようやく得られるものと等しい場合があるのだ。そして足立はそれを得た。今時珍しい、和服を着た十代後半くらいの少女の姿が見えた。
(ん? この子……さっきマスコミにセクハラされてた子だよな。天城屋の娘さんか)
足立はこの和服姿の少女と話したことはないが、知ってはいる。山野真由美の警護で天城屋旅館に行った際に顔を見たし、その後の旅館への取り調べでも見た。ついでに言うと、山野の死体が上がった日にも町中で姿を見た。そしてつい数時間前、刑事課のフロアにあるテレビでも見た。山野が生前最後に過ごした旅館の一人娘として、マスコミのインタビューを受けていたのだ。本来は母親である旅館の女将が答えるべきところなのだが、倒れてしまった為に娘が代役に立っていた。
そんなことを思い返しているうちに、映像は消えた。それを見届けてから、足立はドアへ向けて歩き始めた。雨音はまだ続いている。
(そろそろ戻るか)
マヨナカテレビは映った。しかし足立は別に見たいと思って見たわけではない。だから今映った人物、天城雪子に対して何も含むところは持たないまま、ただ保護室を出ようとした。しかし──
「ん?」
砂嵐が鳴る音が再びテレビから発せられて、足立は振り返った。すると全く予期せぬものが映し出されていた。思わず足を止め、画面に見入った。
(何だこれ? コニシ酒店か?)
稲羽市中央通り商店街にあるコニシ酒店には、捜査の為に今朝から稲羽署の刑事が何人も行っている。足立自身も行っていて、そこの店主や息子から話を聞いた。だから店舗の内装などは覚えている。今テレビに映っているのは、それとよく似たものだ。ただし巨大すぎる冷蔵ケースや酒樽などが、ジュネスに押し負けて経営状態の悪化している現実の店と異なっている。その違いは、店の人間が現状に対して抱いている、鬱屈した思いを反映しているようにも見えた。そんな意味ありげな映像に、ナレーションがかぶさってきた。
『仲良くしてたの、店長の息子だから都合いいってだけだったのに……勘違いして、盛り上がって……ほんと、ウザい』
(この声……小西早紀!?)
声の主は映像に映っていない。しかし声だけで誰かは分かった。
『ジュネスなんてどうだっていい、あんなののせいで潰れそうなウチの店も、怒鳴る親も、好き勝手言う近所の人も……全部、なくなればいい』
『先輩は、そんな人じゃねえだろ!』
ナレーションに続いて、一人の登場人物の姿が映し出された。オレンジの眼鏡をしたその少年は、足立は初めて見る顔だった。するとそれと同じ顔がもう一つ映し出された。眼鏡をかけていない状態で。
『悲しいなあ、可哀想だなあ、俺……。てか、何もかもウザいと思ってんのは自分の方だっつーの、あはは……』
『お、お前、誰だ!? お、俺はそんなこと、思ってない……』
『ははは、よく言うぜ。いつまでそうやって、カッコつけてる気だよ。商店街もジュネスも全部ウゼーんだろ! そもそも田舎暮らしがウゼーんだよな!?』
眼鏡をかけているのと、かけていないのと。二人の顔が連続して、画面にアップで映し出された。生き生きと嘲笑する子供と、言われて動揺する子供。まるで双子か、鏡に映った姿のようだ。
『お前は孤立すんのが怖いから、上手く取り繕ってヘラヘラしてんだよ。一人は寂しいもんなあ、みんなに囲まれてたいもんなあ? 小西先輩の為に、この世界を調べに来ただあ? お前がここに興味を持った、本当の理由は……』
『や、やめろ!』
(このチンピラは……さっき小西早紀の声が、店長の息子とか言ってたな。ということは、ジュネスのか)
初めて見る顔だが目星はついた。警察の伝手で調べれば、すぐに裏も取れるだろう。そんなことを考えている間に、同じ顔をした二人は互いにヒートアップし、やがて決裂した。
『お前なんか、俺じゃない!』
眼鏡をかけた方が啖呵を切ったその後は、もうメチャクチャだった。口の悪い方は、周囲に黒い影が集まってきたと思ったら、子供向けの特撮番組に登場しそうな怪獣に変身してしまった。ただ酒屋に集まっていた影のうち、ただ一つだけが、怪獣の登場シーンに加わらずに離れていくのが、足立の目には見えた。
そして本体と鏡像とは別の、もう一人の少年が戦いを始めた。ただしそちらは変身したりはしない。手元からカードのようなものを出しては握り潰し、『ペルソナ』だとか叫んで、人型の『何か』を呼び出して戦っていた。
『せいっ!』
そしてそれだけには留まらず、ゴルフクラブを巨大な怪獣に叩き付けたりしていた。怒りで紅潮したその顔には、足立は見覚えがあった。山野の死体が上がった日、なぜか吐いてしまったその時、町中で見かけた顔だった。
(この坊や、堂島さんの甥っ子じゃないか。それと……何なんだ? このパンダみたいなのは?)
今一つ事態を把握しきれないまま、足立はテレビに映る特撮番組を見続けた。そうしているうちに、一つの仮説を閃いた。
(こいつら、テレビの中に入ったのか?)
やがて戦いは終わった。怪獣はゴルフクラブと異形の怪人を携えたヒーローに叩きのめされ、姿は元に戻った。そして同じ顔の少年に吸収された。その後、眼鏡をかけた少年二人と動物の着ぐるみめいたものは色々話して、肥大化したコニシ酒店から出て行ったところで映像は消えた。
「何と言うか、まあ……。テレビの中は、ゲームの世界だったのね」
一通りを見届けた足立は、内心の思いをつい声に出してしまった。山野を落としたその日の晩、テレビの中は案外楽しい場所だったりしてとか思ったのだが、それほど的外れではなかったのかもしれない。テレビの中は、ゲームでありそうなファンタジーの世界だったのだ。ただし中世から近世頃のヨーロッパをイメージしていると思われる、剣と魔法とドラゴンがいる世界ではなく、限りなく現実に近い世界のようだが。
少年たちはその現実に似せた世界を探索し、正体不明の怪物相手に超能力を駆使して戦う。まさに異世界ダンジョン系冒険ゲームみたいなものだ。足立は学生時代から現在に至るまで、テレビやインターネットのゲームで遊んだ経験は少ないが、大体のところは想像がつく。つまり山野と早紀が死んだのは、ゲームに負けたから──
「アホらし……」
予想の斜め上を行く事態に、足立は呆れてしまった。
訳の分からない番組を見終えた足立は、署内の刑事課にある自席に戻ってきた。真夜中を過ぎた時間だが、残っている刑事たちの姿は多い。稲羽署は衰退してゆく町そのものに合わせたように、元々人が少なく活気も特にない。今でこそ死体が二つも上がって大わらわだが、果たしていつまで続くのやら。そんなところへ電話が鳴った。
「はい、稲羽署です」
ちょうど椅子に座ったばかりで、まだ何にも手をつけていなかった足立は、即座に電話を取った。普段着用している警察官の仮面は既に戻っている。
『あ、あの! 生田目です! 元議員秘書の!』
電話の主は、死んだ山野の不倫相手だった男だ。以前は議員秘書を勤めていたが、事件当日に免職されている。
「ああ、これはどうも」
足立は生田目太郎を知っている。と言っても個人的にではなく、警察の仕事上での話だ。生田目は山野の死後、稲羽署で事情聴取を受けている。生前の山野との付き合いや、山野を恨んでいる人間などを知らないかを聞く為だ。もちろん生田目自身が事件に関与している可能性も疑われた。しかし山野の遺体発見時や天城屋旅館からの失踪時には、生田目は市外の議員事務所にいたのでアリバイは固かった。その為、現在は捜査対象から外れている。
『あ、あの……山野真由美と小西早紀さんの件で、お話が!』
「何か話しそびれていたことでも?」
足立の仮面はまだ張り付いている。しかし電話越しの生田目の話は、またも予想の斜め上を行くものだった。マヨナカテレビに特撮ヒーロー番組が映し出されたことに続いて、足立は二度も驚かされてしまった。普段はものに動じない方であるのに。
「へえ……あの二人の死に、そんな法則がねえ」
生田目の話は本人の動揺と興奮、そして話自体のあんまりな内容の為、何とも理解しづらい代物だった。要約すると、謎の深夜番組に山野真由美と小西早紀が映っていたのを見て、そしてその二人は死んだ。つまりその番組に出た人は、間もなく殺されてしまうのだと推測される。そしてついさっき、また一人の少女が映し出されたのだと。
(こいつもさっきのアレを見たわけだ)
「生田目さんさ……そんな話、信じる人いると思うの?」
信じる人は確実にいる。なぜなら謎の深夜番組は現実に存在するのだ。噂が警察にまで届くくらいだから、山野や早紀が映ったマヨナカテレビを見た人間は、それなりの数がいるはずだ。そうした人なら信じるだろう。ただし生田目は的を射ていない。
実のところは、死人が出た二つの事件とマヨナカテレビの関連性はあるようなないような、と言ったところなのだ。足立自身、映った人を狙ったのかと問われれば、否定するつもりはない。連続殺人となれば、被害者同士に何らかの共通点があるのが普通だ。その共通点を足立は『作ってやった』のだ。いつか自分が追われる側となった時、追う側が『物語』を組み立てやすいように、犯人役の登場人物を足立は自ら演じたのだ。もちろん追われる日が来るなどとは思っていないが。
しかし今日のマヨナカテレビに映った天城雪子を足立は落とすつもりはない。人を落として吐くか吐かないか、自分を試すつもりはもうなかったから。つまり生田目の見解は的外れなのである。言いたいことは理解できるが。
(マジでどうなってんの? この電話、何でよりによって僕が取っちゃうのさ?)
信じられず理解もできないのは、この電話を自分が取ったことだ。他の刑事が取れば、ただのイタズラ電話として一蹴されるだけだ。それなのに、この世でたった一人真相を知っている自分が電話を取ってしまった。いくら田舎の小さな所轄とはいえ、稲羽署に職員が何人いると思っているのだ。どこかの誰かが仕組んでいるのだとしたら、相当にたちの悪い冗談だ。
そうかと言って、真面目に応対してやる気はない。生田目に真相を教えてやる気も、もちろんない。ただひたすらに面倒なだけだ。黙って切ってやってもよいのだが、それでは何度もしつこく電話をされそうだった。
『で、でも……本当なんです! 何とか警察の方で保護を……』
(必死だな……他人が生きるの死ぬのに、何でそんなにこだわるかねえ?)
理解できない事柄はもう一つあったようだった。それに気付いた足立は面倒さが臨界点を超えた。自分はもうマヨナカテレビに映る人も自分の嘔吐もどうでもいいと思って、全てをそっとしておいているのだ。それなのに向こうから勝手に這い寄ってくる。ならばどうするか?
「そんなに助けたいならさ、ご自分でやったら?」
決まっている。面倒事は他人に押し付けるのが一番だ。
『わ、私が……?』
「そう。どこか安全な場所に匿ってあげたらどうです?」
もちろんやれば、ただの誘拐になるだけだ。天城雪子は綺麗な容貌の少女だったから、誘拐などすれば世間はまた勝手に『物語』を築くだろう。そうして生田目の真実も世間から隠される。だがどうなろうと知ったことではない。
「忙しいから切るよ。じゃね」
そうして足立は受話器を放り捨てた。生田目の返事も聞かず、一方的に。
(勝手にやってろよ)
足立にとっては、生田目が何をしようがどうでもいい話である。何しろ自分の人生さえ、どうでもいいのだ。華やかで騒々しく、夏の虫が集まる街灯のような光を拒絶し、自ら虚無に沈んで闇に隠棲する人間にとっては、どうでもよくないことなど何もない。未来が閉ざされようが関係ない。まして他人の生死など言わずもがな。たとえ明日この世が終わると言われても、何の感慨も抱かないだろう。足立は自分自身をそう見なしている。
夜の雨は稲羽市とその周辺全域で降り続いている。だから深夜の特撮ヒーロー番組を足立が見ていた頃、警察署から離れた場所でも、それは『放送』されていた。ただし足立が見ていたものより、映像は少し前の段階から放送されていた。いわばディレクターズカット版だった。
『すっげ、なんだよ今の!? ペルソナ……つったか!? なあ、俺も出せたりすんのか……?』
「ウケる! チョーウケるぜ、こいつ! 俺も出せたりすんのって、お前! ヒーロー願望丸出しかよ!」
太陽の少年は八十稲羽の外れにある家で、ベッドに腰を下ろして『一人』で笑い転げていた。よじれる腹を両手で抱え、浮かせた足をバタつかせて。面白くてならなかった。少年は元より笑い上戸だが、こんな笑えるものがこの世にあったとは今の今まで知らなかった。
『カッコつけやがってよ……あわよくばヒーローになれるって、思ったんだよなあ?』
「シャドウにまで言われてやんの! ルサンチマンが服着て歩いてやがんな!」
少年は膝を叩いて、電源の入っていないテレビに見入っている。ベッドの前にあるローテーブルに置かれたそれは、六十インチはある大型のものだ。今朝までそこに置かれていたノートパソコンは、ベッドの上で少年と一緒に横たわっている。そちらも電源は入れていないが、テレビと違ってモニターは黒いままだ。
一人暮らしの少年は元々テレビを持っていなかった。一昔前と違って、二十一世紀の現代は、パソコンがあれば代用が効くから。そして少年は自分が住んでいるこの町について、今朝からインターネットで情報を集めたところ、マヨナカテレビなるものに行き当たったのだ。一見すると下らない都市伝説のようであったが、少年の『助言者』は注目した。それで今日の昼間、『助言者』は一台のテレビを買ってきたのだ。ちなみに買ったのはジュネスではなく、未だ潰れずに残っている昔ながらの家電屋だった。
そして試してみたところ、大当たりだった。元から持っているパソコンのモニターには映らなかったが、テレビには映った。最初は和服を着た少女の映像が映り、次いで鳴上と花村と言うらしい少年と妙な着ぐるみの姿が映り、彼らの戦いが映し出されたというわけだった。
そうして一頻り大笑いして、シャドウの打撃にも耐える鋼鉄の腹筋もさすがに疲れ始めた頃、マヨナカテレビは終わった。すると少年は創面に浮かぶ笑顔の種類を変えた。テレビの娯楽番組に興じる受動的な笑みから、森で捕まえた虫を裏返して、どの足から引きちぎってやろうかと考える能動的な笑みへと。ただしどちらも無邪気に。
「テレビん中じゃあ、いっつも霧が出てんのか。んでもって、シャドウがムレてやがんのか。発掘した靴下みてえに、霧の中でムレてやがんのか!」
少年はベッドから床に飛び降り、枕元に立てかけておいた二本の刀を掴んだ。そして腰に巻いた上着に鞘ごと差した。たったそれだけで臨戦態勢に入った。十字の創面を覆う笑みは、無邪気な子供から獰猛な野獣のそれへと変わる。
「面白え……早速突撃だ!」
『待て』
外からは姿の見えない助言者の声が内から響いてきたが、少年はそれに構いはしなかった。膝を曲げて姿勢を低くして、短距離の陸上選手がスタートを切るように、弾丸の勢いをつけて頭からテレビ画面に飛び込んだ。しかし──
「ありゃ……?」
ゴツン、そしてガシャンと鳴る音が少年の部屋に響き渡った。少年自身もそれを聞いた。
画面は少年の頭を通さなかった。結果的に頭突きを食らわせる形になってしまい、買ったばかりのテレビはローテーブルから転げ落ちた。そして画面は割れてしまった。筋力、敏捷性、反射神経、その他諸々が並外れている少年は、頭の硬度も並ではなかった。
「な、何でだ!? おい、どういうことだ!」
少年は足立と違ってテレビの中がどうでもよくはない。むしろ興味津々だ。しかし少年は入れなかった。どんなに愛しても応えてもらえない、胸が張り裂けそうな悲しみを表す破かれた写真のように、割れた画面は少年の顔を歪に映していた。顔に元からある傷に沿って、画面の中の少年は切り裂かれていた。
『翔……ペルソナを持たない君は、テレビに入れないんだ』
外からは姿の見えない内なる存在は、どういうことなのかを説明した。その響きには若干の申し訳なさが伺えた。
原作では愚者コミュ発生は千枝の影戦後の4月17日ですが、本作では諸々の事情により、この日に持ってきました。