ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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許婚(2011/11/21)

 特別捜査隊と尚紀は20日の夜から堂島宅に集合し、日付が変わった頃に霧が湧き始めた。そして夜の間、霧はずっと出続けた。しかし特捜隊は現実の霧の中ではカードも呼び出せず、尚紀から召喚器を借りても駄目だった。そしてシャドウは見つからなかった。つまりせっかく集まったものの、やることはなかったのだ。

 

 しかし霧の夜を歩いて帰るのも危険なので、特捜隊と尚紀は全員堂島宅で夜を明かした。男五人は悠の部屋で、女四人は居間で雑魚寝だ。寒い季節にはかなり辛いお泊まり会になってしまったが、仕方がなかった。

 

 

 21日の朝の時間。一つの布団を無理やり共有した窮屈な寝床から、悠は最初に抜け出した。カーテンを開けてみたが、外の様子は濃度の高い白に遮られて見えない。窓を開けてみると、冷たい白さが部屋に侵入してきた。寝ている間は外していた眼鏡を再び顔にかける。

 

「霧、まだ晴れないな……」

 

 クマの眼鏡で見通せるので、ただの朝靄ではない。テレビの中にあるのと同じ謎の霧である。夜に天地を覆って、今も晴れていない。

 

 これまでの霧は、夜が明けるとすぐに晴れることが多かった。暗いうちに晴れるケースもあった。しかし今日は登校時刻が近づいても、霧は地上から去らない。この時間まで出続けるのは、悠が八十稲羽に来てからは一例だけだ。4月12日、事の始まりだった山野の遺体が上がった日である。

 

「ん……朝か」

 

「んん……おはよっす、先輩」

 

 やがて寝ていた者たちが三々五々身を起こし始めた。そこで廊下に通じるドアがノックされた。

 

「先輩、みんな……おはよう」

 

 むさ苦しい男部屋に、りせがやって来た。眠りが浅かったのか、目は少し赤い。

 

「おはよう」

 

「ねえ、シャドウ出なかったのかな……?」

 

 開け放たれた部屋の窓を見ながら不安そうに零した。りせは特捜隊の情報担当なのだが、昨晩は自分の役割を果たせなかった。町中に怪物が出たのかどうかも、自分では分からない。

 

「尚紀、お前を信用してねえわけじゃねえが……」

 

 稲羽支部の情報担当に、完二が尋ねた。歯切れは少し悪い。

 

「もう一回やってみるか。呼んでもいいですか?」

 

「ああ」

 

 室内で召喚する許可を得てから、尚紀は拳銃の形をしたものを懐から取り出した。部屋に流れ込んできた霧を自分の肌で意識する。寝起きの体に寒気を覚え始めたところで、銃口を額に当ててガラスを割る。夜の闇が世界から立ち去っても、尚紀は普通に召喚できる。顕現したイナバノシロウサギは仮面越しの視線を外へ向ける。

 

「やっぱりいない。どうなってるんだ……」

 

 ペルソナの感覚は空間を四角形に切り取る窓を越えて、霧が去らない町全体を一気に覆う。しかしシャドウの反応はない。時刻が夜から朝に変わっても、人に危害をもたらす怪物の不在は変わらない。

 

「何つーか……明るいところで見ると……」

 

 ただ完二の反応は変わった。心なしか頬が赤く、手はうずうずしている。

 

「お前のペルソナって……か、可愛いな?」

 

 完二は外見は厳ついが、趣味は可愛いもの好きだ。十年来の付き合いである尚紀はそれを知っている。だから気持ち悪いとか、そういうことは言わない。

 

「触んなよ」

 

 しかし優しくはない。

 

「ああ!? 調子こいてんじゃねえぞ、コラァ!」

 

「人んちでケンカしてんじゃねえよ、お前ら」

 

「んもー、うっさいクマねー……」

 

 陽介が幼馴染たちを宥めると、最後の一人がようやく起き出した。小さな部屋で大人数が立ち上がったせいで、俄かに狭苦しさが生じ始めた。

 

「皆、霧は出たままだが……いつまでもこうしてるわけにもいかない。取り敢えず学校に行こう」

 

「そっすね……シャドウがいないのは変ですし、気味悪いですけど。危険はないはずですし……」

 

 尚紀は召喚器を懐に収め、廊下に向けて歩き出した。シャドウが出ないのは良いことのはずなのだが、原因が分からないのは落ち着かない。霧そのものは晴れないのが、余計に気掛かりだ。しかし現に出ない以上は、何もしようがない。道理が見えない薄気味の悪さを残したまま、泊まり客の少年たちは部屋を後にした。

 

 ただ少女は最後まで残った。

 

「ふーん……高校生の男の子の部屋にしては、まあ綺麗に片付いてる方?」

 

 悠と二人になったところで、りせは部屋を見回した。りせは堂島宅を訪れたことはあるが、部屋に上がったのは初めてだ。奥に勉強机があり、数人の男が一緒に寝ていた布団が敷かれている。手前にはソファーと作業机が置かれ、その向かいには小さなテレビがある。憧れの先輩が暮らす部屋の模様を、りせは自分の目で見る。

 

「問題のものは、どこに隠されているのか!」

 

 そして突然ワイドショーのリポーターのようなことを言い出した。

 

「おい……」

 

 悠は一瞬慌てたが、りせは部屋を漁ったりしない。肉眼で見回すだけである。目の他に使われるのは肌と鼻が少しだけ。五感を超えた領域では、りせは何も認識できない。

 

「ヒミコ! ……やっぱ無理か」

 

 ペルソナの名を呼んでも変わらない。尚紀は夜でも朝でも召喚できるが、りせはどちらでも無理だ。もし召喚できれば、りせは悠についてもっと知ることができた。例えばフルカラーの雑誌の隠し場所とか。しかしできないので謎は数多く残る。

 

「私、全然駄目ね……」

 

「ん?」

 

「実はね、私……私と小西君のどっちが先輩の助けになるんだろう……って思ってた」

 

 特捜隊と稲羽支部の合流によって情報系ペルソナ使いは二人になった。もし両者が本当に協同してシャドウ対策を遂行するなら、チームのサポート役を務めるのは果たしてどちらか。

 

「でも駄目……現実じゃ召喚もできないし、できても小西君にはきっと敵わない。私にできないこと、色々できるみたいだし……」

 

 これは一部本当だ。尚紀とりせは探知や解析の速度や精度においては、甲乙つけ難い。しかし尚紀が持つジャミング能力や戦闘能力は、りせにはない。それらを活用する場がどれだけあるかは微妙だが、尚紀の方が幅が広いのは確かだ。そしてそもそも召喚もできないのでは、話にならない。

 

 だが悠は首を軽く横に振った。

 

「焦ることはないさ。同じペルソナなんだ。俺たちだって、現実で召喚する方法はきっとある」

 

 現実では召喚もできないのは、悠も同じだ。そしてできたところで足立には敵わない。力と覚悟に差がある。しかし──

 

「りせにしかできないこともあるさ」

 

 悠にしかできないことも、きっとある。そう信じたかった。

 

「先輩って優しいよね。誰にでも……」

 

 りせは笑った。悲し気に。自分にできることと悠との関係。その両方に悩み、悲しみ、満たされない。しかし厳然たる事実が、変えようのない現実が立ちはだかっている。りせは壁に手をついて息を吐くように笑った。その笑顔が時を止めた。

 

『我は汝、汝は我……』

 

 絆を教える『我』の宣告である。ちょうど一ヶ月前、恋愛のコミュニティは分岐点を迎えた。その時選んだ道は、変に曲がりくねることも引き返されることもなく、最後まで至った。悠はりせだけに優しくあることは、遂になかった。特別な人として腕の中で泣かせてやることもないままに、ただの『いい先輩』であり続けて、そのまま固定化された。部屋に上げても変わらなかった。

 

「私……ね。春から芸能界に復帰しようと思うんだ。『りせちー』も私なんだから……」

 

「そうか……。きっとそれがいい」

 

「先輩は将来どうしようかって、考えてる?」

 

「ああ、少しはな。俺、春には……」

 

 春にはここを離れる予定だが、両親を説得して残るつもりでいる。場合によっては卒業後も残って、何かの仕事をする。そう話そうとしたのだが──

 

「ん?」

 

 まるで二人を遮るように電子音が鳴った。出所は悠のポケットだ。

 

「叔父さんからだ」

 

 メールの着信である。文面は二行だけだった。

 

「今日の放課後、ジュネスに来い。りせとクマだけでいい……」

 

 何とも事務的な、要求事項だけを記した連絡だった。文明の利器を自在に操作できる叔父にとっては、指先で長い文章を書くのも苦にならないだろうに。おはようの一言はおろか、呼び出しの理由も書かれていない。家族の会話ではなく、完全に仕事の連絡という態だ。それも一方的な。

 

「堂島さんが私を? 何かしら?」

 

「おーい相棒! 何してんだー!」

 

 階下から陽介の呼び声が聞こえたのは、それからだった。

 

 

 

 

「全員で来いと言った覚えはないぞ」

 

 授業を終えた放課後の時間になっても、外は霧に覆われ続けている。そして地域最大の商業施設の家電売り場では、常ならぬ人だかりができた。例の大型テレビの前で三人の大人が待っていて、そこへ悠を始めとする特捜隊八人と尚紀が訪ねてきたのだ。

 

「済みません……」

 

 険しい顔の堂島に向けて、皆を代表して悠が謝った。朝に堂島から呼び出しがあったことは、すぐに皆と共有した。すると全員が自分も行くと志願してきたのだ。悠は敢えて断らず、そのまま連れてきた。

 

「まあいい。知ってる奴もいるだろうが、有里さんだ」

 

「有里湊です。よろしく」

 

 堂島は大人の一人である有里を、甥の友人たちに紹介した。諸岡の葬儀や修学旅行で、有里は特捜隊にも顔を見せている。ただし正体を隠していた当時は特に意識していなかった者が大半であろうから、改めて名乗った。そして話を始めた。

 

「これから向こうに行くけど、久慈川さんとクマ君。一緒に来てもらいたい」

 

 高校生たちの間にざわめきが走った。彼らはテレビに入ることを禁じられている。だが今日になって許可が下りたのかと。

 

「入り口までだけだ。用が済んだら、すぐ戻るんだ」

 

 そんな少年少女たちの淡い期待を、堂島は素早く打ち消した。必要があるから呼んだが、それ以上やらせはしない。仕事で戦う大人らしく、言い方は厳しく硬い。

 

「あの、俺は?」

 

「尚紀君は……もし必要だったら呼ぶよ」

 

 尚紀の質問には足立が答えた。その声色と表情は相棒とは対照的に柔らかかった。

 

 

 大人三人と少女一人、そして謎の生物一人はテレビの中のスタジオに降り立った。するとそこはテレビの外と同じ状態だった。

 

「む? 霧が出ているぞ」

 

「あれ……本当だ。クマ君、向こうで霧が出ると、こっちのは晴れるんじゃなかったっけ?」

 

 霧はテレビの中と外で同時には出ない。この法則を、刑事たちは菜々子が誘拐された際に聞いている。しかし今日はそうなっていなかった。昨晩からの外の霧は夕方になったこの時間になっても晴れていない。それでいながら、テレビの中も霧に覆われている。なぜなのか──

 

「そ、そークマよ? どーなってるクマ?」

 

 テレビの世界の法則が覆された。しかしそうなった理由はクマにも分からない。人間は自分たちの世界について何でも知っているわけではないように、クマも自分が生まれた世界について、全てを知っているわけではない。

 

「それで……何の用なんです?」

 

 困惑する金髪の少年を余所に、りせが尋ねた。声と表情は硬い。

 

「この世界を調査したい。君たちが戦っていた場所を教えてほしい」

 

 有里はそう言って両手を二人に向けて差し出した。

 

「外の霧をどうにかする方法を探れるかもしれないからね。殺人事件の解明に役立つ情報も、ひょっとしたらあるかもしれない」

 

 同じ眼鏡で見通せる以上、テレビの中と外の霧には何らかの関連がある可能性が高い。ならばこちらの世界を調査することで、事態の解決に繋がる何かが見つかるかもしれないと、有里は考えているのだ。そして生田目は逮捕されたものの事件の全容解明には未だ遠い。そちらに役立つ何かがあるかもと思って、二人に情報提供を依頼しているわけだ。

 

「……はい、分かりました」

 

 りせは不満顔だ。だがそれでも要求は受け入れた。りせは有里の右手を取り、クマは左手を取ってテレビに生み出されたダンジョンの場所を伝えた。情報系ペルソナ使い同士であれば伝達は難しくない。片方もしくは両方が本職ではなくとも。この場合に難しいのは──

 

(嫌われてる感じだな……)

 

 有里は内心で苦笑した。りせとクマから情報提供を受けている間、良からぬ感情も一緒に流れてくるのを感じたのだ。影時間で戦っていた頃には、あまり人から向けられることのなかったものだ。コミュニティの主は人気者になる宿命を負うが、使命を終えればそうでもない。

 

(まあ仕方ないか。彼らから見れば、僕は獲物を横取りしに来たようなものだ)

 

 人間関係を決める要素は色々ある。その中でも立場というものはかなり重要だ。大人であればなおさらである。

 

「……分かったよ。ありがとう」

 

 時間にして数秒で、有里はこの世界に現れた特殊な空間の位置情報を入手した。クマからはマンション、商店街、城、サウナ。りせからは劇場、秘密基地、天国、そして大岩だ。

 

「堂島さん、お願いします」

 

 有里はりせとクマから手を離し、今度は堂島に向けた。

 

「はい」

 

 差し出された有里の右手を、堂島は自分の右手で握った。一見すると握手をしているように見える。ただし普通の握手と違って、どちらも手に血管を浮かせている。しかも握る時間が長い。

 

「……」

 

「……」

 

 堂島は目を閉じて手に強い力を込めている。対する有里は目を開けているが、やはり強い力を込めている。大の男が二人して、握力の勝負か相撲の手四つをしているかのようである。傍から見ていると暑苦しい限りだ。

 

「アダッチー、パパさんとミナッチは何してるクマ?」

 

「こないだ堂島さんたちが戦った、海老原さんのダンジョンの場所を伝えてるんだよ」

 

「それなら小西君に聞けばいいじゃないですか」

 

「まあ、そうなんだけどね? 情報系同士じゃなくても伝達できるもんなのか、試してるの。駄目だったら呼びに行くよ」

 

 尚紀をここに敢えて連れてこなかった理由はこれである。しかし改めて呼ぶ必要はなかった。

 

「……分かりました。もう大丈夫です」

 

 一分近くもかけて、握手はようやく終わった。時間はかかったが、有里は堂島からファッションショップの位置情報を受け取ることに成功した。有里の情報系能力は、とても十分とは言えない程度のものでしかない。しかし全くないよりは良い。

 

「オルフェウス」

 

 有里は一声呼んで、吟遊詩人の名を持つペルソナを召喚した。人形の手で竪琴を奏で、テレビの世界に探査の網を張る。シャドウの存在を感知はできるが解析はできない半端なものであるが、場所を探るくらいはできる。

 

「……なるほど。確かに他と違う地形があります」

 

「では行きましょう。足立、二人を外に出して送って行け」

 

「はい。そんじゃ帰ろ……って、どしたの?」

 

 今日の足立は有里と堂島の調査には同行せず、子供たちを送って帰すことにしている。りせとクマを現実に戻すべく、二人に顔を向けた。しかし言葉が途中で止まった。若い二人は揃って呆然としている。

 

「パリサイ(びと)ききて言ふ、『この人、悪鬼の頭ベルゼブルによらでは、悪鬼を()ひ出すことなし』。主、彼らの思ひを知りて言ひ給ふ、『全て分かれ争う国は滅び、分かれ争う町また家はたたず。サタンもしサタンを逐ひ出さば、自ら分かれ争うなり』……」

 

「オルフェウス……? な、何なんですか、あれ……」

 

「何って……有里さんのペルソナだよ。あ、カッコ良くて見とれちゃった?」

 

「そんなんじゃありません!」

 

 足立の冗談に、りせは声を荒げた。つい説得力のない言い方になってしまったが、見とれていたわけでないのは本当だ。驚嘆したのだ。有里の情報系能力は大したものでないことは、りせも聞いている。だが戦力においては、オルフェウスはどのペルソナやシャドウよりも強大だ。りせが知る限りで最強のペルソナ使いは足立だったが、有里は更にその上だ。特捜隊全員が束になっても絶対に敵わない。一目見ただけでそれが分かった。

 

 高校生のペルソナ使いたちは、戦場から締め出されたことに納得していない者が大半だ。りせもその一人である。まして今月の救出作戦に参加もせずに、後からやって来た有里に対する反感はある。昨晩は現実での己の無力に打ちのめされたが、朝に悠に慰められて気力が少し戻った。しかし有里のペルソナを見て、また認識が変わってしまった。

 

(シャドウワーカーって稲羽だけじゃなくて、本部が別にあるんだよね? まさかそっちはあんな人ばっかりなの?)

 

 今知った事柄は、ある意味で昨晩よりも悪い。辛く、苦しく、情けない気持ちにさえさせられる。

 

(私たちって……何なの? 何ができるの?)

 

 自分たちは一体何をしてきたのか。これから何ができるのか。りせは悩まされた。

 

 

 帰り際にひと手間があったものの、マタイによる福音書にある聖句を口走った謎の少年と悩める少女を促して、足立は三段積みテレビから外に出た。すると七人の少年少女が待っていた。

 

「あれ。君たち、まだいたの?」

 

 いて当然である。時間にすれば、数分程度しか経過していない。

 

「こんな状況なのに、黙って帰れないですよ……」

 

 居残り組を代表して陽介が答えた。腕組みをして、足立と視線を合わせずに硬い声で言う。陽介がこういう態度を取るのは、様々な要因があるが──

 

「うーん……そうだ! 今日から菜々子ちゃんの面会OKになったんだよ!」

 

 そんな子供たちの意識を逸らすように、足立は一つの情報を伝えた。

 

 

 

 

「あまり大勢で来られると困ります。ご親族の他にはお一人くらいにしてください」

 

 菜々子の病室の前で、悠たちは看護師に止められた。少年少女が九人と、ジュネスから一緒についてきた刑事が一人。大人数で見舞いに来てしまったが、面会できるのは従兄の悠の他には一人だけだ。では誰が良いか?

 

「クマクマ! クマに決まってるクマ!」

 

 相談する余地はなかった。

 

「しゃあねえか……ただし静かにしろよ!」

 

 

 悠とクマが見舞いをしている間、残りの八人は病室の廊下で待った。その表情は明るくはない。

 

「菜々子ちゃん、まだ良くならないんだ……。これくらいの時期には、私たちは退院できてたのに」

 

「まだあんなに小さいんだもん。私たちと一緒には考えられないよ」

 

 雪子が零して、りせが応じた。雪子以降の特捜隊の面々は、救助後に入院したものの数日から十数日の間に復調して退院できた。しかし菜々子は入院から二週間が過ぎた今も、ベッドから起き上がることさえできず、多人数の面会もまだできない。

 

「アレを受け入れなかったってのも、関係してんのかな? いやでも、海老原さんはとっくに退院してんだっけ……」

 

 千枝が疑問を呈したが、それに対する反証を自分で挙げる。菜々子とあいは二人ともペルソナ使いにならなかった。二人の違いと言えば、あいはシャドウを完全に切り捨てたが、菜々子はそれもしなかったことか。肯定と否定のいずれもされる機会がないままに、菜々子のシャドウは消えてしまった。だがそれが入院が長く続いていることとどう関係するのか、それは分からない。

 

「どっちにしてもテレビが関係してんだろ? 普通の医者に治せんのかよ……」

 

 陽介のぼやきに足立が応じた。

 

「菜々子ちゃんの担当医は普通の医者じゃないよ」

 

「え?」

 

「おっと、機密事項……」

 

 足立は脇を向いて右手で口元を隠した。わざとらしい事この上ない。

 

「桐条グループの関係者ですか?」

 

「あー……あはは! 僕が言ったってのは、堂島さんには内緒ね!」

 

 直斗が突っ込むと、足立はあっさり認めた。機密事項とは言うものの、シャドウワーカーについてある程度知っている特捜隊に隠さなければならない話ではないのだ。

 

「有里さんが手配したんだよ。港区の辰巳記念病院……つったかな? そっから来てもらったの」

 

「そちら方面のプロというわけですか。では治療に期待は持てると……」

 

「うーん……正直言うと、ちょっと微妙だね。あっちじゃテレビ触っても何も起こんないし、例の番組も映んないとかでさ……」

 

 足立は説明を始めた。県外から来てもらった医師は、ペルソナやシャドウの存在は知っている。しかしテレビの世界や自分のシャドウを受け入れるなどは、桐条グループにとっても未知の事柄らしい。何しろ稲羽市の周辺以外では、ペルソナ使いはテレビに触れても中に入れず、深夜に雨が降ってもマヨナカテレビは映らないのだ。逆に言うと、それだから桐条は向こうの世界に今まで気付かなかったと言える。

 

「全てはこの地域限定……ということですか」

 

「そういうこと……ものがローカル過ぎて、彼らの常識とか定説が通用しないとこが色々あるみたい。菜々子ちゃんを向こうの病院に移そうかって話もあったんだけど、ちょっと動かせる状態じゃないし……。生田目も見てもらってるけど、似たような感じでさ……」

 

 話の前半は特捜隊に話してもいい内容だった。しかし最後に漏らしたのは、明らかにそうではなかった。

 

「生田目も……? まさか彼もここに入院しているのですか!?」

 

 直斗が聞き咎めると、高校生たちの間に緊張が走った。生田目太郎もこの病院にいる──

 

「同じとこに運んだんすか!? 被害者と犯人でしょ!?」

 

「しょ、しょうがないじゃん! この辺で一番大きな病院ここだし、動かせる状態じゃないし! 動かせんならとっくに港区にでも搬送してるって! 普通の警察の手に負える話じゃないんだから!」

 

 会話のボリュームが急に大きくなった。陽介が怒鳴れば、足立も負けじと言い返す。

 

「あー、機密機密! 絶対内緒だよ!」

 

 

 廊下で皆が不安を覚えている間、病室では悠とクマが菜々子を見舞っていた。菜々子は身を横たえたままで、起き上がることはできない。クマはベッドを囲う柵の上から腕を伸ばして、二人の間にある障害を乗り越えるようにして、見舞いの品を差し出した。

 

「ナナチャン、お土産持ってきたクマよ!」

 

「あ……クマさんとそっくり……」

 

「ナナチャンが病院でも寂しくないようにって、思ったクマ」

 

 クマの土産は小さなクマのぬいぐるみだった。動物の熊ではなく、ジュネスのマスコットのミニバージョンである。手芸が得意な完二が作りそうなものだが、クマの手による力作だ。色合いと言い手触りと言い、本物と瓜二つに作られている。

 

「ちなみに毛はクマ毛です。クマ、本物にはこだわるクマなので」

 

 しかし菜々子は自分の手で受け取ることもできない。プレゼントのぬいぐるみは、菜々子の枕元にそっと置かれた。病人を見守るように。送り主が見舞いに来られない時でも、いつでもそこにいるように。

 

「ありがと……クマさん。菜々子、おかえししないと……」

 

 菜々子は目を墨で引いた線のように細めて、精一杯微笑んだ。そればかりか、健気にも返礼まで申し出る。

 

「ナナチャンが元気になるのが一番のお返しクマ!」

 

 まさに一番のお返しである。しかし最高のものとは、最も難しいものとも言い換えられる。

 

「うん……」

 

「元気になったら一緒に遊ぼう?」

 

「うん……まってて……」

 

 ぬいぐるみの返礼として求められたもの。それを与えることがどれだけ困難であるのか。それを知ってか知らずか、菜々子はベッドに身を横たえたまま、僅かに顎を引いて了承の意思を伝えた。そんな儚げな少女の弱々しい微笑みに、金髪碧眼の美少年は笑顔を消した。

 

「待ってるクマ。いつまでも待ってるから……約束クマ」

 

 クマは真剣だ。何ヶ月でも何年でも待つ。揺らぎのない、不自然なほどに美しい青い瞳に本気の思いを湛える。その間、悠は黙っていた。

 

(菜々子……)

 

 菜々子は約束を守ってもらえないことが多い。そしてこれも、いつ果たされるのか分からない約束だ。だが約束することそれ自体が、きっと菜々子の助けになる。悠はそう思って、黙って二人を見つめる。子供たちが野原や砂場で遊ぶ姿に、父兄が目を細めるように。そういう日がいつか本当に来ると信じて。

 

 そんなまさしく『兄』としての感慨とは別に、何とも言い難い奇妙な思いもある。

 

(しかしクマの奴、いつから菜々子と……)

 

 菜々子は仲間たち全員から愛されているが、クマとは取り分け距離が近い。同居している悠よりも近いくらいだ。今日も誰が見舞うかの話は、あっという間に決まってしまった。クマは誰にも反論を許さない勢いで主張して、皆も仕方ないと簡単に認めてしまった。なぜこうなったのか?

 

(何でなんだろう……)

 

 クマと菜々子はいつ接近したのか、思い返してみても悠にはよく分からなかった。ただ夏休みの頃にはすっかり打ち解けていた。例えばありがたくない思い出の一つである、夏祭りの初日だ。クマが外に出てきてからあの日までの間に、果たして二人に何があったのか。最初のきっかけは何だったのか──

 

「ん……」

 

『兄』が馴れ初めを推測している間に、『妹』は目を閉じた。小さな病室から話し声が消え、心電図モニターから発する電子音が静寂の中で規則的なリズムを刻む。

 

「ナナチャン……」

 

 約束の相手から返事は来ない。菜々子は眠りについた。するとクマは悠に何かを差し出してきた。

 

「センセイ、これあげるクマ。クマメガネ拭くのに、使ってほしいクマ」

 

 赤と青のチェック模様のある布きれだった。サイズは掌に収まる程度だ。眼鏡拭きとして使う布は、毛羽立ちしにくいものが望ましい。しかし目の前に差し出されたこれは、いかにも起毛しやすそうで、言われた用途に使うには適していない。拭くたびに毛が一本くらいレンズにくっついてしまいそうだ。しかし──

 

「クマ毛の残りで作ったものクマ」

 

 気持ちは伝わってくる。

 

「ありがとう」

 

 物そのものよりもそれに込められた気持ちを受け取るように、悠は眼鏡拭きを受け取った。だがクマはそれに留まらず、更に一歩踏み込んできた。

 

「クマは……センセイみたいに凄くないし、メタメタに強くもないクマ。でも……」

 

 ただ途中で言葉が止まった。

 

「でも、何だ?」

 

 悠が促すと、クマはすっと背筋を伸ばした。

 

「クマは……ナナチャンを守るクマ」

 

 今日のテレビのスタジオで、りせは有里の段違いの実力を知ってショックを受けた。そしてクマも多少ながら情報系の能力があるので、分かることはあった。たとえクマが十人いても、足立や有里には敵わないだろうと。だがパリサイ人のように言いがかりをつけて非難はしない。力が足りなくても、レントゲンに映らない体であっても、菜々子の為にできることはきっとある。そう信じたかった。

 

「頼りにしているよ」

 

 菜々子の為に何かをしてやりたいとの思いなら、悠にもある。シャドウの『声』を聞き、その上に犯人に狙われた幼い従妹を守りたい。戦うことを禁じられ、大人たちに自分を認めさせる何かも見出せずにいる身ではあるが。そんな一種の共感を込めて、貰った眼鏡拭きを軽く握った。感触は柔らかい。

 

 その瞬間、時が止まった。

 

『我は汝、汝は我……』

 

(おや……来たか)

 

 近頃多い『我』の完了宣告である。星のコミュニティが真実のものとして認められた。

 

 

「相棒、どうだった?」

 

「ああ……」

 

 菜々子の寝顔に別れを告げて病室から外に出ると、仲間たちが迎えてくれた。特捜隊だけでなく、足立と尚紀もいる。絆で結ばれた皆は、顔も見られなくてもまるで我が事のように菜々子を心配してくれている。じっとしていると弱気が起こりそうになる心を抑えて、悠は見たままの状況を説明した。

 

「……今はただ、信じて待つだけだ」

 

 もう信じるしかないのだ。菜々子が元気になってクマとの約束を、もしかしたら『契約』が果たされる日が来るのを待つ。そうしてリーダーの苦衷から生じた重さが、病院に特有の匂いに更なる苦しさを加えたところで──

 

「センセイ、お願いがあるクマ!」

 

 クマが大きな声を上げた。病室では悠一人に向けて決意を示したが、大勢のギャラリーがいる中で決意が更に強く、揺るぎなくなったように。フォーマルな服に包まれた美少年の体からビシッと音がするくらいに、勢いをつけて姿勢を正した。

 

「何だ?」

 

「ナナチャンをください!」

 

「は……?」

 

 瞬間、空気が固まった。不安と心配が十人分も積み重なって深海のような重さに満たされていた廊下の空気に、妙に気の抜けた風が流れた。マンガ的な表現を用いれば、クマ以外の九人全員の額に大きな水滴が浮かんでいるところだ。突然の申し入れに、少年少女は思考が停止してしまった。

 

「クマ君、堂島さんをお義父さんって呼ぶ気なの? 度胸あるね……」

 

 最初に我に返ったのは足立だった。

 

「クマさん……プロポーズ?」

 

 次いで雪子がより直接的に言い直した。だが調子の外れた反応はここまでだった。

 

「ク、クマ公のくせに! 何つー寝言ぬかしてやがる!」

 

「アホか! 菜々子ちゃんはまだ小一でしょうが!」

 

「婚約に年齢的な制限はありませんが……そういう問題じゃないですね」

 

「クマはセンセイに聞いてるクマ!」

 

 完二と千枝は怒り、直斗は比較的冷静に突っ込むが、クマは怯まない。菜々子と約束をした、言い方を変えると二つ目の『契約』をした今は、もはやいかなる障害があろうと気にしない。存在自体に根差した差異であろうが何だろうが、意地と思い込みで乗り越えるつもりでいる。まして外野の雑音など意に介さない。

 

「センセイ! お返事は!?」

 

 最初の『障害』は悠だ。この時、弟子は初めて師に立ち向かった。テレビの中で師が振るっている刀を弟子も手にしたように。敬愛する相手に、否、敬愛するからこそ乗り越えなければならないと、固い決意を胸に正対する。言葉の刀で切り結ばんとするが──

 

「十年早い」

 

 悠は一合も打ち合わず、バッサリ斬った。

 

「第一、俺に言うことじゃないだろう。叔父さんに言え」

 

 そして容赦なく追い打ちをかける。

 

「センセイ……チビシークマね……」

 

 クマは床に両手と両膝をついた。初の師弟対決はクマの完敗に終わった。項垂れる金髪を取り囲む皆の頭に、再び大きな水滴が浮かぶ。敗者を慰めてやるべきか、ただの笑い話として流すべきか、俄かな悩みが皆を襲う中──

 

「いや、第一はそこじゃねえ気が……人間と謎の生き物だろ? いいのか?」

 

 事の本質を口にしたのは陽介だ。ただし小声で。隣に立つ悠くらいにしか聞こえないくらいの小さな声で、核心を突いた。

 

 

 

 

 一方その頃、謎の人外に娘を奪われるところだった父親は、霧の中に身を置いていた。ただし現実の外ではなくテレビの中である。甥とその友人たちを帰した後、テレビの世界の奥深くへ調査に向かったのだ。

 

「現実のコニシ酒店にそっくりです。もちろんサイズは大違いですが……」

 

 堂島は一人で来ているのではない。案内人である有里が一緒だ。

 

「では向こうの世界と繋がる穴がないか、探してみます」

 

 調査の主目的は『穴』の有無の確認である。現実の霧の日にシャドウが出るのはなぜか。普通に考えればこちらの世界の霧が外に漏れていて、シャドウも一緒に漏れているとなる。ならばその穴がどこかにないかと調べているのだ。調査する順番はダンジョンが生み出された順番だ。ここコニシ酒店は二ヶ所目である。

 

「……見つかりませんね」

 

 オルフェウスは音を発さずに竪琴を奏でて、現実より遥かに巨大化した酒屋の隅々まで探査の網を張っている。しかし穴の存在は確認できない。それはこの場所から漏れているのではないからか。もしくは穴などそもそも存在せず、シャドウが出るのは別の原因によるからか。はたまた有里の調査が不十分であるからか。

 

(取り敢えず被害者が生み出した場所を一通り調べて……それで駄目なら風花を呼ぶしかないかな。気は進まないが……)

 

 穴が見つからない原因として、最もありそうなのは三番目である。有里は戦闘においては最強だが、情報系ペルソナ使いとしては新人同然だ。何かを見落としている可能性はある。ならば本職の人間を呼んだ方がいい。

 

「む……シャドウが出ました」

 

 有里の思考は中断された。酒屋の出入口付近から一体のシャドウが現れた。マーブル模様の球体に長い舌を生やした姿をしている。

 

「タヂカラオ!」

 

 すかさず堂島がペルソナを召喚し、張り手一発で叩き伏せた。幸い打撃が効くタイプであったようで、黒い煙となって消滅した。有里は広範囲に網を張っている間はそちらに集中せねばならない為、戦闘は堂島の役割となる。しかし──

 

「有里さん。貴方の情報系能力は最近身に付けたものだと仰ってましたが……後付けが可能なのですか」

 

 シャドウを殴り殺した堂島は一歩踏み込んできた。

 

「不可能じゃありません。本部の前身でもサポート専門の者が加入する前は、桐条がやっていましたから」

 

 特別課外活動部の時代、専門の風花が加入する前は、美鶴が訓練で得た力でその役割を担っていた。そして美鶴の情報系能力は今の有里よりも上である。有里はシャドウの居場所を探知できるだけで解析もできないが、美鶴はできる。

 

「では、私にも可能でしょうか」

 

「貴方が?」

 

「戦力的には私よりも、貴方や足立の方がずっと上です。サポート役には私がなるべきでしょう」

 

 これは一理ある。実際、堂島のペルソナ能力は有里や足立に水をあけられている。ならば堂島が後方支援に回った方が効率的だ。

 

「それに……貴方をいつまでも、こちらに留め置くわけにもいかんのでしょう」

 

「……」

 

「もうじき家族が増えるのでしょう」

 

 これは昨晩のパトロールを開始する際に、有里自身が言っていたことだ。有里は単身赴任を辛く思っているが、実は堂島も若くして父親になる青年を気にしているのだ。

 

「予定日は来月の中頃です」

 

「家には帰った方がいい」

 

 堂島は口調を改めた。所轄の刑事が本庁の人間と話すような敬語から、人生の先輩から後輩にアドバイスを送るように。

 

「特に子供が幼いうちは」

 

「……お気遣い、痛み入ります」

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