ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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第3章 落ちる魂
共犯者(2011/12/3)


 悠と菜々子は傍から見れば、仲の良い従兄妹である。しかしつぶさに見てみれば、そうとばかり言えるものでもなかった。同居を始めた当初は、二人とも内向的なところがあったので気まずい限りだった。改善したのは一ヶ月ほど過ぎた頃だ。ジュネスに連れていき、食事を悠が作るようになり、ピアノを聞かせた。ちょうどその頃に叔父が副業を始めてますます忙しくなったことが、十歳差の二人が接近するのを後押ししていたとも言える。

 

 転機が訪れたのは7月。七夕の願い事に関する悠の失言が始まりだった。はっきりせずに曖昧にしたのが、より良くなかった。目に見えない小さな亀裂は、それから一週間ほど後に拡大した。テレビのニュースで物騒なことを言う『兄』に『妹』は怯え、しかも何のフォローも入れなかった。あの日、正義の絆は一度反転したのだ。そしてその間隙を突くように、一人の異分子が二人の間に割り込んだ。

 

 その後はまた音楽が二人の仲を修復したが、10月に再び怪しくなった。従兄が彼女を連れてくるという形で、事の始まりである七夕の問いに対する回答が示されたのだ。それが二度目の転機である、忌むべき11月5日に繋がった。

 

 

(菜々子……)

 

 ジュネスの家電売り場でセール中の商品を物色しながら、悠は菜々子と過ごした日々を思う。もっとやりようがあったはずで、もっと親身になってやれたはずだと、今になって後悔を感じていた。そのせいなのか菜々子との間に築かれた正義のコミュニティは、冬が始まったこの時期にあってなお『我』の完了宣告を受けていない。近頃の悠はコミュニティに違和感を覚えることが何度かあった。しかしだからと言って、半端な状態でいて気分が良くなるわけではない。

 

 もっとちゃんと話し合って、近くに寄り添ってやらねばならないと、『兄』は思う。だが菜々子が入院している間はできることに限りがある。そこで今日は数少ないできることである、先月に交わした約束を果たそうとしているのだった。コタツだ。

 

「やっぱコタツって言ったら、ミカンがセットだよね」

 

 特別捜査隊の八人はコタツその他の暖房器具を、各々見て回っている。期末試験は今日終わったので、ジュネスで家電を買うという悠に皆がついて来たのだ。

 

「ベタで最強っすね」

 

「最強と言えば、ホットカーペットにコタツの組み合わせでしょう」

 

 家族の約束を果たし、退院したら温かい家とミカンが待っているぞと、菜々子を励ましてやることができる。それはもちろん些細なことだが、きっと回復の助けになる。そう信じることはできるはずだった。だが──

 

「ん……鳴ってんの、相棒のか?」

 

 人が明るい未来を信じようと願おうと、現実は問答無用で襲ってくる。一週間前に知った電話番号が現実を連れてきた。

 

「はい、鳴上です」

 

『も、もしもし? 足立です。その、えと……落ち着いて聞いてね?』

 

 そして買い物どころではなくなった。

 

 

 

 

 一方その頃、家族の主である堂島は、故郷から遠く離れた緑の闇に身を置いていた。人工的に創造された暗黒の中で、目を閉じて立っていた。右手にはもはや慣れた召喚器をぶら下げて、頭上には制服警官のペルソナが佇んでいる。先日有里と手四つをした時のように集中力を高めていた。刑事にして特殊部隊の支部長の向かいには、腕組みをした若い女が立っている。

 

「……」

 

 ペルソナのはだけた胸には一枚の紙片が貼られている。神社や古い旅館などには付き物の『お札』である。ただし悪霊や妖魔を退散させる護符ではなく、逆にその手のものを取り付かせることを目的としている。

 

「く……」

 

 数分が過ぎた頃、堂島は眉間に皺を寄せ、呻き声を漏らした。そしてペルソナの鋼の筋肉から呪符が剥がれ落ちた。何かの文字が躍った紙片は、時間の停止した空間をひらひらと舞い、床に落ちる。それと共にタヂカラオは姿を消した。

 

「今日はここまでに致しましょう」

 

 女は呪符を床から拾い上げ、小箱の装置につけられたボタンを押した。それと共に影時間の闇は去り、通常時間が戻ってきた。ここはポートアイランドにある桐条グループ所有のビルの地下室だ。5月に堂島がペルソナを初めて召喚した場所でもある。

 

「不器用で申し訳ない」

 

「そう容易くはできないのが普通です。私も苦労しました」

 

 稲羽支部の支部長の訓練を監督しているのは、シャドウワーカーの隊長である美鶴だ。堂島は今週からポートアイランドに出張に来て、探知能力を修得しようとしているのだ。稲羽にいる大人のペルソナ使いの中で最も戦力的に劣るのが堂島なので、自分がサポート役になった方が良いと志願したのである。

 

 呪符はペルソナに新たな能力を付与する為のもので、桐条グループが過去のペルソナやシャドウ研究の過程で生み出した物品の一つだ。昔の美鶴もこれを使って情報系能力を身に付けた。だが堂島は未だ成功を見ない。

 

「有里さんもこれで?」

 

「いえ、有里は先月に突然身に付けて参りました」

 

「突然?」

 

「彼は別格なのです。良くも悪くも……」

 

 本人にそれを言えば、『そんなんじゃありませんよ』とでも答えるだろう。実際のところ、美鶴は有里の小才子的なところも知っているし、三ヶ月ほど前には過去の大きな失敗も聞いた。だがその上で美鶴は有里を評価している。フィクションの登場人物のような天才ではないが、現実の世界で精一杯生きる人間として。そしてペルソナ能力においては、まさしく別格である。

 

「聞けばご令甥も同じ力をお持ちだとか」

 

 悠たち特捜隊(そういう呼び名があることは、堂島も知らないが)については、美鶴も有里と堂島の報告で聞いている。それそのものにも驚いたが、そのうち一人が有里と同じ力を持つと聞いた時は、本当に驚いた。『別格』がもう一人いたのかと。

 

 だが堂島は身内の才能を誇りはしない。

 

「そうらしいですが……あれはまだ子供です」

 

「そうでしたね……」

 

 美鶴は瞑目した。今の悠よりも幼い頃から美鶴は戦ってきた。もし特別課外活動部の時代に桐条グループが悠を見つけていたなら、一も二もなく巻き込んだだろう。だが当時から状況が変わった今、美鶴は悠をシャドウワーカーに加入させる意思はない。たとえ本人が希望したとしても、堂島が反対なら加入させないつもりでいる。

 

「ん、失礼。噂をすれば……という奴のようです」

 

 堂島のスマートフォンに電話の着信があった。画面を見てみれば、話題の甥からだった。裏の仕事用であるこちらの番号は一週間前に教えたが、連絡が来たのは初めてだ。

 

「お構いなく」

 

「済みませんな」

 

 一言断りを入れて、堂島は電話を取った。

 

「俺だ。どうした……何だと!?」

 

 取った途端、顔色を変えた。

 

「何事ですか」

 

「娘の容体が……急変したと!」

 

 菜々子が入院してそろそろ一ヶ月になる。その間、堂島はもちろん何度も見舞いに行っていたが、容体はそれなりに安定していた。だが間が悪いと言うか最悪と言うか、家を空けたこのタイミングでこれだ。

 

「すぐに戻ってあげてください! ヘリを用意します!」

 

 

 

 

 稲羽市立病院の菜々子の病室にいるのは、患者の他は医師と看護師、そして悠だ。堂島はいない。病室どころか市内にさえいない。いつまでも霧の晴れない呪われた土地から離れている。

 

「おとうさん……」

 

「大丈夫、すぐに来るよ」

 

 悠はジュネスで足立から連絡を受けた後、すぐに堂島にも伝えた。だが港区は遠い。車では何時間かかるかと言うところだ。果たして間に合うか──

 

 何に間に合うと言うのだろうか? それは考えたくないし、考えることなどできない。

 

「菜々子ちゃん、堂島菜々子ちゃーん。聞こえる?」

 

 若い医師は努めて明るい声をかけるが、その甲斐もない。心電図モニターの電子音は弱く、間隔が広くなり続けている。それは世界そのものが刻む心音のリズムのようで。それが絶える時が、世界の心臓も止まる時であるようで。菜々子の傍に立つ悠にとって、横たわる瀕死の病人だけが、まさに世界の全てでいた。出会ってから四つ目の季節で初めてそうなっていた。

 

「おにい……ちゃん……」

 

「ここにいるよ!」

 

 菜々子の小さな手を両手で取った。枕元には小さなクマがいる。ぬいぐるみが見つめる中で、『兄』は祈るように『妹』の手を取る。幼い手は冷たく、儚い。それは後悔を呼び起こす。呪いを掻き立てる。どうしてもっと傍にいてやらなかったのか。どうして事件を未然に防げなかったのか。どうして自分はこんなにも無力なのか──

 

 祈りと呪いが混ざり合い、思考が溶ける混迷の精神から一つの言葉が飛び出してきた。

 

「……ペルソナ!」

 

 事件を解決する為に、誰かから授けられたような力を呼んだ。悠は仲間たちと違って、自分がどうして力を得たのか知らない。想像もつかない。考えたこともない『理由』は、今ここにこそあるのだと言うように、悠は初めて菜々子の前で仲間の合言葉を口にした。これさえ唱えていれば暗い夜道でも危険に遭わずに済むという、古いおまじないのように。

 

(頼む、出てきてくれ……!)

 

 回復ができるものでもそうでないものでも、とにかく何でもいい。先月に結実がしたように、自分の力を死にゆく者に分け与えるつもりで、悠はペルソナを召喚しようとした。代償が必要なら、自分の何を支払ってもいい。あるだけ全ての力を持っていっても構わない。思い付く限りの何を失うことになっても、菜々子が助かるなら何も惜しくない。

 

(出ない……!)

 

 しかしペルソナは呼び声に応えない。テレビ画面の向こうにある広大無辺な夢の国と違って、狭苦しい現実の病室では影一つ出てこない。

 

(この期に及んでも出せないのか! 俺に何が足りない!?)

 

 力はあるはずなのに発揮できない。すぐ目の前に崖があって、足を踏み出せば存在の深みまで落ちていけるのに、それができない。まるで見えない蔓や蔦が首や背骨に絡まって、深淵から力を汲み取ることを妨げているようで。蔓を断ち切る剣はどこにあるのか、焼き払う炎はどこから起こせばいいのか、見当もつかない。使えない力などないのと同じで、悠は無力だった。

 

(足立さんや有里さんと比べて、俺は何が駄目だって言うんだ……!)

 

「こ……わいよ……」

 

「菜々子……」

 

 どうすればいいのか、『兄』が何一つ見つけられずにいる間に、『妹』の方が先に崖へ落ちようとしている。握る両手にどれだけ力を込めても、どうしても引き留められない。体をいくら抱きしめても、隙間から魂はすり抜けていく。まるで悠が落ちずにいることそれ自体が、菜々子が落ちることを後押ししているように。即ち全ての責任は悠にあり、あらゆる罪は悠のもの──

 

(先生……)

 

 やがて息は止まり、心臓も止まった。夏の日の失意が再現された。たった一人の人間の死が、無限大の理不尽と化した。長く伸びた無機質な電子音は、二年前にタルタロスで鳴った鐘の音に等しかった。全ては手遅れで、全てが決定づけられたのだ。

 

「俺は、また……」

 

 膝が床に打ち付けられる鈍い音が、訃報の鐘が終わる合図だった。つまり死が宣告された。

 

 

「相棒……」

 

 滅びの塔、もとい死の病室から出ると、特捜隊の仲間七人と足立がそこにいた。堂島はいない。間に合わなかったのだ。

 

「……」

 

 悠は答えなかった。使用者がどれだけ呼びかけても応じない、肝心な時には何の役にも立たないペルソナのように。自我や理性を持たないシャドウのように無言でいた。普段は端正な顔からは表情も消えている。目の中には憎悪の炎さえない。心を打ち砕かれ、言葉を理解しなくなった。

 

「手は尽くしましたが……申し訳ありません」

 

 身内に代わって言葉を発したのは、シャドウワーカーの手配で市外から来た医師だ。目を伏せてその場から立ち去る。

 

「そんな……」

 

「菜々子ちゃん……」

 

「ちっ……きしょう!」

 

 リーダーが言葉を失った一方で、他の者たちにはまだ言葉が残っていた。目を覆い、鼻をすすり、壁を殴りつける。そしてもう一言──

 

「生田目……」

 

 事態の『原因』の名を口にしたのは足立だ。特捜隊の部外者であり、この場の超能力者たちの中で唯一現実でも力を行使できる、血に塗れたペルソナの使い手。表情は苦渋に満ちていて、拳は握られている。

 

 これは得意の演技ではない。菜々子の死は足立にとってさえ無念だった。

 

「あいつはどうしてんすか」

 

 尋ねたのはサブリーダーだ。その声色には意外なほどの落ち着きが見られた。

 

「生きてるよ……まだね」

 

「病室はどこっすか」

 

「……」

 

 足立は答えなかった。ただ悠と違って、顔に表情はまだ残っている。聞かれたことの答えは知っているし、答えてもいいかと思っているのだが、何となく口が重たい。簡単に言うと、迷って踏ん切りがつかずにいるような様子だった。

 

「足立さん」

 

 ここでようやくリーダーが口を開いた。声色はやはり意外なほどに落ち着いていた。心を捨てたのならば当然のように、失うものは何も残っていない人間のように落ち着いていた。

 

「教えてください」

 

 悠が足立にこう言うのは、大きな転機であった7月10日以来である。

 

「……」

 

 対する足立は一度目を閉じた。自分の心の内側に沈み込んで、何かの答えを探すように。決まりきっていることであっても、ずっと前から決心していたことであっても、もう一度最後の確認を行うように。そうして長い時間を置いて、目を開けた。

 

「第二外科病棟の最上階、一番奥……」

 

 足立の声には奇妙に抑揚がなかった。まるで記録されたデータを検索して結果を返すだけの、無感情な人工知能のように。もしくは目に見えない神が啓示を与えるように。或いは単に唆すように。過去に例のない道化師のアルカナに属するペルソナ使いは、ある春の夜の自分自身のような少年の問いに答えた。

 

「……!」

 

 恩師を失った夏の日、足立から答えを聞いた悠は膝から崩れ落ちた。だが『妹』を失った冬の今日は、夏とは逆の反応を示した。苦楽を共にしてきた仲間たちも、十歳年上の『友達』も置いて、無言のまま病院の廊下を走った。手品か魔術のような電光の速さでもって。

 

「俺も行く!」

 

 駆け出すリーダーの後を、これまた魔術のような速さでサブリーダーが追った。二つの影はあっという間に廊下を駆け抜け、角を曲がって、姿は見えなくなる。

 

「せ、先輩たち!」

 

 二人に置いて行かれた少年少女たちが駆け出したのは、それから一拍置いてからだ。廊下にできていた人だかりは、死に追い立てられるように俄かに数を減らした。足音は重なり合って大きくなり、やがて消える。その残響まで聞いたのは、足立の他には一人だけだった。

 

「……」

 

 悠の弟子である。テレビの中の天国では必死で師の背中を追いかけたが、今日は追わなかった。野獣の装いもしくはソロモンの着飾りをしていない、人の姿をした何者かは、廊下から動かずにいる。

 

「君は?」

 

「……」

 

 金髪碧眼の少年は答えなかった。ただ道化師に背を向けて、医師と看護師も去って『無人』になった病室に入った。

 

「……」

 

 病室の引き戸が閉められてから、足立もその場から離れた。歩きながらスーツの上着から通信機器を取り出す。普通の携帯電話やシャドウワーカーの情報端末ではなく、警察用の無線機だ。通信が制限される病院にあっても、自由に使うことが許されている。

 

『はい、こちら院内252』

 

「パニック状態の市民がロビーに押しかけてきている。至急、応援を頼む」

 

『了解、直ちに向かう』

 

 

 夢のような速さで廊下を駆けた悠と陽介は、第二外科病棟の最上階、その一番奥にある病室まで辿り着いた。警護の人間はそこにおらず、ただの扉一枚だけが容疑者を守っていた。もちろんそんな頼りないものでは、少年たちを止められない。いや、たとえ屈強な警察官が十人いたところで、二人を止めることは叶わなかっただろう。超常事件の被害者が余計に増えただけだ。ロビーに向かった警護の担当者は、むしろ幸運だったと言える。

 

 扉の先は随分と広い部屋だった。踏み入れた途端、体温が足から奪われていくのを感じた。室内でありながら、冬の夜の冷たい空気がゆっくりと動いていた。窓が大きく開け放たれているのだ。

 

「窓から逃げる気か?」

 

 酷く不自然な霧を含んだ風に煽られて、レースのカーテンが揺れている。入院服を着た生田目は、頭を抱えて床にへたり込んでいた。もちろん他の患者はいない。

 

「お前だけ生きてて……しかも逃げようってのか?」

 

 部屋にテレビはない。異世界への『窓』は逃亡の手段になり得ると分かっている者が警察にいるので、置いてあるわけがない。もし生田目が逃げる気でいるのなら、現世の窓から逃げるしかない。ただどちらの窓でも、命や人生からの逃亡でしかないことに変わりはない。

 

 霧に侵食された殺風景な部屋を、二人の少年は歩む。仇の前まで先に辿り着いたのは悠だった。

 

「菜々子は死んだ……お前のせいで!」

 

 右手を伸ばして生田目の胸倉を掴み、無理やりに立たせた。いや、吊るした。

 

「お、俺、俺は、何も……」

 

「先生が死んだのも、お前のせいだ! お前がいなければ、真似ようなんて奴も出なかったんだ!」

 

 悠は片手しか使っていない。それにも関わらず、生田目の足は床から離れた。元議員秘書の体格は細い方だが、それでも成人の男である。同じくらい細身で、叔父にもやしと評されたこともある高校生が片手で持ち上げるなど、できるはずがない。しかし現に生田目は文字通り吊るし上げられている。

 

「足立さんは正しかった……お前は法律じゃ裁けない! 殺すしかないんだ!」

 

 ここで陽介が追いついた。激昂する相棒の肩に手を置く。止めるつもりかと、悠は殺意の漲る顔を相棒の側へ向けた。だが──

 

「お前一人にはやらせねえよ。こいつは小西先輩の仇だ」

 

 止めるつもりなど、陽介にあるはずがない。他の誰が止めようとも、陽介だけは止めない。

 

「こいつを殺す為に、俺はテレビに入ってたんだ!」

 

 仇持ちの少年は相棒の肩を掴む手に力を入れた。その強さは、悠の腕に漲る力に近いほどのものだ。人間の首くらい軽くへし折れるだろう。相棒の常ならぬ異様な力を骨身に感じて、その力が自分の力になるように思えて、悠の殺意はますます膨れ上がった。

 

「そうだったな。こいつを殺す権利は、お前にもあったな」

 

 昨日までは、むしろ陽介にこそあった権利だ。もちろんそんなものがこの世にあればの話だが。だがもしあるならば、悠は今こそ陽介と並んだことになる。まさに相棒として、全ての思いと行動を共有する資格を得た。

 

「や、やめてくれ……!」

 

「鳴上君! 花村君!」

 

 ここでようやく他の皆が病室に来た。特捜隊後期メンバーの五人だ。結成時の一人であるクマはいない。現実では魔術的な力の恩恵を受けられない者たちは、普通に走ってここまで来た。

 

「な、何する気……?」

 

「……」

 

 悠は依然として生田目を吊るすばかりで、仲間たちを振り返らない。何をする気なのか。それは敢えて言わなくても、もはや明白である。

 

「みんな、部屋から出てくれ。俺と相棒だけでいい」

 

 言葉を捨てたリーダーに代わってサブリーダーが皆に指示した。殺しの業を背負うのは一人で十分である。二人でも多すぎるくらいなのに、全員で罪に付き合うことはない。それは陽介なりの、仲間たちへの最後の気遣いなのかもしれない。

 

「俺は残るっすよ。こんな奴、生かしちゃおけねえ!」

 

 しかし完二は陽介の気遣いを受け入れなかった。むしろ片棒を担ごうとする。そして直斗が一言添えた。

 

「テレビを使った犯罪は、どうせまともでは裁けない……」

 

 まともに裁けないから、何なのか。どうせ抹殺されるのだから、今ここで自分たちが殺す必要はない、なのか。どうせ抹殺されるのだから、今ここで自分たちが殺すのも構わない、なのか。果たして直斗はどちらの意味で言っているのだろうか。

 

 だがどちらであっても、悠にはどうでもいい話である。物を運ぶように生田目を持ったまま、開け放たれた窓へと歩む。その瞬間、風が強く吹いてカーテンを揺らし、悠の前髪も揺らす。普段隠れている額が霧に触れるが、凶悪な少年の頭を冷やすにはとても足りない。

 

「テレビがあれば良かったんだが……ないなら仕方ないな」

 

「この高さなら、いけんじゃねえか?」

 

 陽介が同調してきた。異世界への窓がここにあれば、迷うことなく突き落としただろう。だがない以上は仕方がない。そして現実の窓から突き落とすというのも、それほど悪くない。

 

「そんなことしたら絶対バレるよ!?」

 

 千枝の言う通りだが、案外気付かれないかもしれない。何しろ先週の始めから、こちらの世界は向こうの世界に侵食されているような有様なのだから。転落死した遺体は、ふと湧いて出たシャドウに食われて、骨も残らないかもしれない。もしくはかつて世界を覆っていた神聖時間の出来事のように、何か別のことに置き換えられるかもしれない。銃で撃ち殺された道化師のように。

 

 だがやはり、どうなろうとも──

 

「そんなの、どうでもいい!」

 

 ──

 

 他人に知られようが知られまいが、どうでもいい。殺人犯として警察に捕まるのも、自分の人生を台無しにするのも、全くもってどうでもいい。そう叫んだ瞬間、何かが割れる音がした。人一人くらい容易く捻り殺せる怪力を悠の腕に与えている『もの』が、割れた何かの向こう側から立ち現れた。

 

「せ、先輩……!」

 

 自分の頭から発した音と、りせの悲鳴に引き留められて、悠は視線を窓から自分の頭上へ移した。部屋に流れ込んだ霧のせいか、それとも名前を呼んでいないからか、姿はやや朧だ。だが確かにそこにいる。血に塗れた暗黒のビジョンが現実に姿を現した。手に持っているものは矛のような長柄で、裾の長い黒の外套めいたものを羽織っている。そして顔は鋼鉄の仮面で覆われている。

 

「イザナギ……」

 

「ペルソナ……? 現実で出たの!?」

 

 呼ぶつもりがあって呼んだのではないが、それでも出た。『腕よ動け』と声に出しても腕は動かないが、言葉ではない何かを用いれば腕は動かせる。つまり体そのものを用いる。ペルソナの召喚もそういうものだ。使い方は頭ではなく体で、もしくは心で覚える。例えば楽器の演奏のように。

 

 霧が町を覆い始めた夜には、悠はどうやっても召喚できなかった。だが事がここに至ってとうとう殻を破り、ガラスが割れた。召喚器があってもできなかったのに、召喚器なしで召喚できる域まで一気に達したのだ。そして──

 

「……スサノオ」

 

 ガラスがもう一枚割れた。

 

 感情のない機械のような、慈悲のない殺人者のような。日々の暮らしで良心が擦り切れた大人のような陽介の声に、ペルソナが応えた。割れた心の隙間から、深淵そのものがしみ出してきた。地の底から噴出したマグマが大地を覆って海を汚すように。先月から新しくなった魔術師のペルソナが陽介の頭上に顕現した。

 

 日本神話における創造神の息子で、多くの神々の中で最も貴い一柱。その名を持つ力のビジョンは、元のジライヤと似ているが細部が違う。白いツナギは青色に変わり、赤いマフラーは白い襞襟めいた形状に変わっている。仮面は丸みを帯びたカエルのそれから、黒い覆面に尖った眼鏡をかけたものになった。

 

「嘘……花村まで!?」

 

 絆にも色々な種類があり、強さに優劣はある。その中でも『共犯』は最も強力な繋がりの一つである。かつて有里とその仲間たちが抱いていた心の空隙を、悠は菜々子の死によって身に付けた。口を大きく開けた虚無の深淵に、悠は身を躍らせたのだ。そして相棒を追って陽介も飛び込んだ。

 

 悠と陽介は自分の人生を投げ打つ覚悟を、二人揃って決めた。まるで仲間がいることそれ自体が、悪い方向に働いたように。互いの復讐の意志を互いが増幅させて、相棒は共犯者へと発展した。

 

「……」

 

 霧に触れた暗黒のビジョンは、外套を翼のように広げている。闇そのものに抱かれながら、悠は共犯へ向けて生田目を突き出した。ただし言葉は用いない。頭上の存在が鉄仮面の目庇から放つ金の光でもって、言葉より強く、容赦なく、はっきりと命令する。

 

「……」

 

 陽介もまた言葉では答えない。ただ現れたペルソナに武器を構えさせる。ジライヤは手裏剣だったのに対して、スサノオの得物は巨大な輪だ。相手に苦痛を与えて殺すのに適した拷問用の歯車のように、鋭い突起をいくつも備えた輪である。そんな恐ろしげなものを振りかざす動きそのものが、まさに命令の承諾だった。

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