辛いことが続いた連休が終わり、学校が再開された火曜日。高校生の事件関係者十二人は、日が落ちた頃に商店街にある中華料理屋の愛家に集合した。彼らが集まる時はジュネスのフードコートが多いのだが、今日はこちらだった。寒い夜に集まるなら風が吹き抜けるデパートの屋上より良いのと、八十神高校の生徒はここの店が好きな者が多いからだ。
四人掛けのテーブル席を二つと、カウンター席に四人。他に客はいない。まるで余計な人間は霧に追い払われたように、小さな店は下校した高校生たちで貸し切り状態になった。
「はいよ、大盛り。もう一つ大盛り。んで、並盛一つね」
最初にやって来たのは、店の名物である肉丼だ。頼んだのは大盛りが千枝と長瀬、並があいだ。
「これで足りっかな……」
長瀬は自分の丼と、隣に座るあいのそれを見比べた。この店には一ヶ月ほど前の雨の日にも来たが、その時は彼女の分を少し分けてもらったのだった。
「あげないわよ」
しかし今日は彼氏にあげる分はないようだった。
「お前、最近よく食うようになったな」
「仲のよろしいことで……」
同じテーブル席に座る千枝は自分の丼を手に取りつつ、眼前の二人から甘い匂いを感じて軽くため息を吐きたくなった。この二人が事件後に付き合うようになったことは、皆が知っている。
「さてと、お腹も膨れたところで……もう一回話し合ってみよっか」
全員が注文したものを食べ終えると、千枝が話を切り出した。昨日に病院の駐車場で悠たち四人が足立から聞いた話は、既に全員で共有している。皆一様に驚いていたが、事実は事実として受け入れた。生田目は山野と早紀を殺しておらず、殺人犯は別にいる。では真犯人は誰なのか。自分たちはこれからどうするか。もう一度話し合おうということで、今日はここに集まったのだ。
「今日、学校で4月の事件について聞いてみたんだけど……真犯人どころか事件に関する話自体、全然出てこなかった」
「同じく……目撃情報とかまるでなし」
雪子が最初に答え、りせが応じた。八十稲羽の土地を今も漂っている霧が店の敷居を越えて流れ込んできたような、重苦しい雰囲気がいきなりやって来た。そこでカウンター席に座る悠が口を開いた。
「小西先輩の友達って人に話を聞けたよ」
高校生たちの注目が集まった。しかし悠も大した情報を持っているわけではないので、皆の視線が少しばかり苦しく感じる。隣に座っている尚紀の視線は取り分け痛い。
「先輩、生田目さんに意味分かんないこと言われて困ってたって。テレビがどうってな」
「昨日の話にもありましたね。生田目さんは小西先輩に注意するよう言っていたと……その裏付けが取れたわけですね」
今日の『捜査』の成果と言えば、悠が聞いてきたこの話くらいである。新しい情報は特になし。もっとも捜査にかけた時間は、今朝から休み時間を中心にして延べ数十分程度。聞き込みの範囲は八十神高校だけである。殺人事件の捜査にしては何ともささやかだ。ではもっと時間をかけて調査の範囲を町全体まで広げれば、有益な情報が得られそうかと言うと──
「つか、どいつもこいつも霧の噂ばっかしてやがる。事件があったことなんざ、ほとんど忘れてんじゃねえのか?」
その見込みは低い。完二が苛立ち気味に言う通り、世間ではもう忘れられている。
「半年以上も前だからな……風化して当たり前か」
町の認識について尚紀がまとめた。かく言う尚紀自身、一度は事件を風化させた身である。だが今はもちろんそうも言っていられない。蘇ってしまった事件への思いに、まだ決着はつけていない。
「ん? 相棒?」
悠はカウンター席を立ち、外へ向かった。
「ちょっと頭を冷やしてくる」
暖房の効いた店内から外に出ると、痺れる寒さに襲われた。三日前にも少しだけ降った雪が再び舞っている。今日はフードコートに集まらなかったのは正解だったわけだ。
夜の小雪は霧に紛れてしまって、美しいとはなかなか思えない。クマの眼鏡は持ち歩いているので、霧を視界から追い出すことはできる。しかし悠は敢えてそうせず、裸眼のまま天を見上げた。目を曇らせ頭を痺れさせる混迷の霧そのものから、真実を見出そうとするように。見えているつもりでも見えていないものが、この世には無数にある。障害を見通してくれる便利な道具そのものが、真実を掴むことを妨げるかもしれない。そんなことを思いながら、悠は考えを巡らせた。
(犯人は誰だ……)
犯人を絞る要素としてまず挙げられるのは、山野と早紀と何らかの接点があることだ。凶器にテレビが用いられているのだから、落とすその時だけでも犯人は二人の被害者に接触している。しかし二人の交友関係などは、悠には知りようがない。その辺りは完全に警察の領分だ。ならば他に絞る要素として考えられるのは──
(間違いないのは……犯人はペルソナ使いだってことだ)
これである。と言うか、これしかない。
(ペルソナ使いと言えば……)
悠の脳裏に真っ先に思い浮かぶのは、陽介を始めとする特別捜査隊の仲間たちだ。しかし彼らが犯人であるはずがない。彼らがペルソナに目覚めたのは、いずれも二件の殺人の後だ。敢えて言うなら、悠自身は事件の前からテレビに出入りできた。山野はともかく早紀が死ぬ前には確実にできた。だがもちろん自分は犯人ではないと、悠は分かっている。殺したか殺さなかったか、自分自身の行動をそんな領域で誤認するほど寝ぼけてはいない。
(なら叔父さんたちは……)
堂島を始めとするシャドウワーカー稲羽支部の人々はどうか。彼らは目覚めた経緯や召喚の儀式は特捜隊と異なるものの、テレビには同じように出入りできる。人を入れて殺すことも可能なはずだ。
(話によると最初はゴールデンウィークの頃……)
稲羽支部の面々がいつ目覚めたのか、悠はある程度聞いている。それによれば、4月の終わりに堂島と足立がシャドウに襲われたとのことだ。その頃に二人は『飲みすぎて』入院し、そして二人揃って出張に行った。その点からも、彼らの覚醒時期は裏付けられていると言ってよい。そうすると4月の中旬に山野と早紀を殺すのは、彼らには不可能だ。
(有里さんは……?)
ペルソナ使いと言えば、特捜隊と稲羽支部の他にもう一組いる。シャドウワーカー本部だ。しかし悠は有里以外の本部隊員と面識はないし、何人いるのかも分からない。
(ちょっと無理がありすぎるか……)
尚紀によれば有里は何年も前からペルソナ使いだったと言うし、先月本人と会った際もそんな話を聞いた。しかしポートアイランドに住む有里が遠く離れた稲羽で殺人をする理由など、全くありそうにない。他の本部隊員はなおさらだ。
そもそもの話、悠は有里を含むペルソナ使いたちと深い絆を結んでいる。一人の例外もなく全員とだ。彼らがどんな人間であるかは、絆を通した目で見れば分かる。彼らの中に殺人犯がいるとは思えないし、信じられない。
(駄目だ……まるで見当もつかない)
こうなると、今まで知り合った人々の中に犯人はいないのかもしれない。いや、そうだと考えた方が自然だ。悠の交友範囲は広いが、それでも稲羽の人口全体から見れば微々たる数に過ぎない。いくら田舎とはいえ、住人の全てと知り合えるほど稲羽は狭くない。八十神高校一つ取ってみても、転校して八ヶ月近くになるが一度も話したことのない生徒は大勢いる。
「うー、さっびー!」
「雪だ……道理で冷えるはずですね」
考えが行き詰まったちょうどそのタイミングで、陽介と直斗も小雪の舞う外に出てきた。
「どう? 何か思い付いたか?」
「いや……」
相棒の問いかけに、悠は首を横に振った。雪に触れて頭を冷やし、霧そのものを見つめても何も分からない。霞を食べるようなもので何の足しにもならない。
「直斗の方は何かないわけ? 新しい推理とか」
「新情報まるでなしとなると、どうにも……」
陽介は探偵に問いかけるが、こちらも首を横に振った。
「犯人は小西先輩の件以降は全く動いていないというのが、一番厄介なんです」
犯人がどんな形でもいいから動いていれば、まだ推理のしようもある。例えば生田目や特捜隊に対して、またはシャドウワーカーに対してでも良いので、何かしら動いているならやりようがある。そこを手掛かりに推理を展開できるし、犯人を絞り込むこともできる。それが何もないのでは、まさしく雲を掴むような話だ。
「ですがシャドウワーカーは今後も捜査を継続するでしょう。もちろん秘密裏にでしょうが、人員も増やすようですし」
「そう言えば昨日、足立さんが言ってたな。本部の人が来るとか……」
「ええ、いわゆる公安警察も動くようです。僕らにはシャドウワーカーの実態は不明瞭ですが……相当な規模の組織なのだと思います。ペルソナ使いが何人いるのか……」
特捜隊は知らないことだが、警察官のペルソナ使いは堂島と足立しかおらず公安の中にはいない。だが彼らは超能力こそ持たないものの、犯罪捜査においてはプロ中のプロだ。事件が発生した当初はともかく現在分かっている情報を元に洗い直せば、常人の力でも犯人に迫れる可能性はある。特に二人の被害者と接点を持つ者や、事件当時の動向などに関しては、彼らの手にかかれば新たな情報も見つかるかもしれない。
「あの人たちが見つけてくれるのを待つだけか……」
「まあ……正直言って、僕らにできて彼らにできないことがあるとは、なかなか思えないですね……」
直斗の声に弱気が差した。もし警察その他の他人を当てにできず、自分たちにしかできないのであれば、もう少し頑張ろうという気にもなっただろう。しかし現実はそうではない。ペルソナ使いは特捜隊の他に何人もいて、事件についても自分たちと同等以上に知っている。彼らを押しのけて捜査を推進できるほどの何かを、能力と情報の両面において自分たちに見出すことはできなかった。悔しい話ではあるが。
「事件、もう俺らの手を離れちまったのか……」
陽介は腕を組んで裸眼で天を見上げた。舞い落ちる雪を紛らわす霧を、無念の滲んだ目で見る。
「あー、もう全然分かんない! ネタなさすぎよ!」
雪と霧を遮った店内では残った者たちが各々考え、議論していた。しかし成果はない。悠や直斗も感じているが、犯人を絞る材料が少なすぎるのだ。
「もう手っ取り早く、一条君とか犯人になってみない?」
分からないから、こんな冗談も出る。
「何で俺!?」
二つ使われているテーブル席の一方で、俄かな尋問劇が始まった。容疑をかけているのは意外と冗談好きな雪子で、かけられたのは一条だ。この二人は普段あまり接点がないのだが、ない分だけ遠慮もない。
「だってペルソナ使いだし、怪しいじゃん」
「それ言ったら、俺らから見りゃ天城や里中だって怪しいぜ」
もう一方のテーブル席から反論が上がった。長瀬だ。
「あっそ……お互い様ってことすか」
長瀬の向かいに座る千枝が疲れた顔で応じた。特捜隊と稲羽支部が互いの存在を知ってまだ一ヶ月だ。相手がそれ以前に何をしていたかは話を聞いてはいるものの、聞いているだけなので実感は乏しい。チームの垣根を越えて特別親しい間柄という程の者も少ない。だから疑うことは一応できる。苦し紛れみたいなものだが。
「俺らじゃないって。俺と長瀬がペルソナに目覚めたのは7月で、一番早い堂島さんと足立さんだってゴールデンウィークだよ」
もちろん雪子と長瀬は冗談のつもりで言っているのだが、一条は真面目に答えた。先月に振られたばかりだが、想い人やその親友に疑われたくはない。
「そうだったね……でもうちらも違うよ。あたしと雪子は4月だけど、事件の後よ」
店内の高校生たちの配置は、千枝、完二、長瀬、あいの組と、雪子、りせ、一条、結実の組でテーブル席についている。他はカウンター席だ。ただし悠、陽介、直斗の三人は外に出て頭を冷やしている。
「……」
カウンター組、言い方を変えると昨日足立から直接話を聞いた四人のうち、一人外に出ずに店内に残っているのは尚紀だ。テーブル席で行われている議論や冗談にも加わらず、ずっと黙っている。ペルソナ使いなどの機密事項に触れる単語が飛び交っても、先輩と同輩たちを注意することもない。店に他の客はいないが店主はいると言うのに。尚紀は機密保持の意識は高校生の中では高い方だが、今はそれを忘れていた。
「小西君? 大丈夫?」
大勢の人がいる場にいながら孤独をかこっている少年に、結実が話しかけた。
「ん? ああ……済みません。考え事してました」
「何か思い付いた?」
「いえ……」
犯人は誰なのか。誰が姉を殺したのか。これと言って思い浮かぶ顔は弟にもない。早紀の交友関係などについては、尚紀は警察から事情聴取されたこともあるが、特別怪しいと思える者はいなかった。血を分けた姉弟ではあるが、相手のことを何でも知っているわけではない。当然と言えば当然だが。
そして尚紀を悩ませるのは他にもある。事件が振り出しに戻った今、自分はこれからどうするかだ。シャドウとの戦いは堂島に禁じられているが、殺人事件の捜査はどうか?
(足立さんや堂島さんに任せておいて、それで本当にいいのかな……。本部から情報系の人が来るとか言ってたけど……)
一人内省に沈む尚紀に、再び結実が声をかけた。
「きっと見つけられるよ。小西君は私と違ってペルソナ残ってるし」
尚紀はペルソナが残っているが、結実は失った──
「……!」
結実がこう言うのは、学校では後輩で特殊部隊では先輩の少年をただ励ますつもりだった。だが聞いた瞬間、結実も意図しないところで尚紀の脳裏に閃くものがあった。しかしそれを口にする前に、店の引き戸が開いた。
「ふう……やっぱ中は温かいな」
外の霧と寒気が店内に流れ込むのに続いて、三人の男女が入ってきた。外に出ていた悠たちが戻ってきたのだ。空いていたカウンター席に再び四人の人間が並んで座った。
「お前らどう? 何か思い付いた?」
「うーん……一条君とか?」
「まだ言うの!?」
一旦二手に別れた十二人の高校生たちが再び揃って、別れていた間に考えたことなどを、めいめい話していく。犯人は誰なのか、どうすれば迫れるのか。だがもちろん目ぼしい見解や案は出てこない。
「尚紀、お前は何かないか? 犯人に心当たりとかねえ?」
「うーん……花村さん?」
「俺!? まさかの俺!?」
被害者との接点で言うならば、確かに陽介にはある。尚紀自身に次ぐくらいの。だがもちろん尚紀は本気で陽介を疑っているのではない。陽介がペルソナを得たのは早紀の死後だ。それは尚紀も知っている。
「冗談です」
雪子や千枝が一条や長瀬を疑ったり疑われたりするのと同じレベルの、ただの冗談だ。もっとも性質はかなり良くない。陽介は腕を組んで項垂れた。
「冗談でもキツいぜ……。割と本気で傷ついた……」
「済みません」
尚紀は謝った。だが謝っただけで、たった今閃いたある考えは言わずにおいた。姉を好きだったらしい先輩には、言わない方が良いと思ったのだ。
悠を始めとする高校生たちが、愛家に集まって大勢で議論している頃。稲羽署では堂島が自席で一人考えを巡らせていた。普段は隣にいる相棒はいない。足立は用を足しているところで、席を外している。プロの刑事は誰とも相談せず自分一人で推理を展開していた。机の上には4月に稲羽署と県警が相当に力を入れて調べた、事件関係者のファイルが置かれている。
(犯人は誰だ……)
考え事の内容は甥たちと同じである。山野と早紀を殺した犯人はどこの誰なのか。生田目ではないことは、堂島は既に納得している。認めたくないくらいの話も聞かされたが、それでも納得している。
(犯人はテレビに入る能力のある人間……つまりペルソナ使いだ。ペルソナ使いと言えば……)
堂島の脳裏に真っ先に思い浮かぶのは、足立を始めとする稲羽支部の部下たちだ。しかし彼らが犯人であるとは思えない。支部で最初に目覚めたのは足立で、時期は4月30日。事件の後だ。そして尚紀たち高校生組はその更に後なのだから、支部隊員は全員アリバイが成立していることになる。
(本部は……)
有里を始めとする本部隊員はどうか。まず有里が犯人であるとは、堂島には思えない。ただしかの青年の人柄を信用しているのではない。
(有里さんは殺しでもやりそうだが……)
シャドウワーカーの結成直後、公安は有里を監視し、過去の犯罪事実の有無を調べるよう堂島に依頼している。あれから今まで半年以上の間、堂島は特に身を入れて調べてはいない。調べようがないのだ。ただ公安が有里を名指しで依頼してきたのは分からないでもない。あの最強のペルソナ使いは腹に一物も二物もあるタイプだ。必要と判断すれば法を乗り越えることも躊躇しない。そしてそういう人間は警察にもいる。
(だがあの人じゃないな。やる理由がない)
必要があれば殺しでもするが、必要がなければ何もしない。堂島の見る限り、有里はそういう人間だ。そして有里が稲羽を訪れたのは事件の後で、被害者との接点もない。よって犯人ではない。他の本部隊員も同様である。
(悠は……怪しいな)
堂島の知る限りでペルソナ使いのグループは三つある。その中で最も疑わしいのは、堂島のあずかり知らないところでペルソナに目覚め、なおかつ稲羽に住んでいる者たち。つまり悠とその仲間たちだ。有里と同じ力を持つという少年の顔を思い浮かべると、堂島の表情にある険が現れた。
(思えばあいつがこっちに来た途端、事件は始まった……)
悠は甥である。堂島にすれば、色々と首を突っ込みすぎる困った若造だが、それでも家族である。菜々子の関係では世話になっているし、それなりに信頼しているつもりではいる。一応。だから悠を疑いたくはない。しかし刑事として疑いを初めから捨てるわけにもいかない。だから可能性を考えてみる。
(山野の事件が起きたのは、あいつが来た当日……4月11日から翌日未明にかけてだ。その間、あいつは家にいたはずだ。犯行現場は天城屋旅館だとすると……あいつには無理だ。しかもあの日は署から警護が何人か行ってた。その目を掻い潜って山野に接近するのは難しいだろう)
最初の事件については考えにくい。しかし片方がないとしても、もう片方はどうか? 稲羽にはペルソナ使いが大勢いる以上、二件の殺しを同一犯による犯行であると安易に決めつけてはならない。普通の捜査で同一犯と推定された根拠は主に遺体の異常さだが、テレビの中で死ねば必ずああなるのであれば、複数犯を否定する要素はない。その点から考えると──
(悠が小西早紀を殺すのは……可能だ)
時間的なアリバイの有無から考えれば、可能ではある。しかし稲羽に来たばかりの悠に、早紀を殺す動機などあるだろうか。それはもちろん山野に関しても同様である。
(動機の面から言うと……花村にはあるかもしれん。山野の件では、天城屋の娘にはあると言えるな)
陽介と早紀はアルバイト仲間だ。しかも事件後の捜査によれば、陽介は早紀に片思いしていたことも分かっている。恋愛感情がこじれて殺しに発展した事件は、この世にいくらでもある。たとえ殺意がなくても、弾みでやってしまう可能性もある。テレビのあるところでペルソナ使いが取っ組み合いでもすれば、それだけで人は死ねる。
そして雪子は山野と接点があり、恨みも持ち得る。山野は不倫騒動で情緒不安定になっていた為か、宿泊していた天城屋旅館の女将や従業員に辛く当たっていた。その為に女将である雪子の母親は一時期倒れてしまっていた。ならば娘が仕返しを企んでも不思議はないし、4月に雪子が失踪した時は事件との関係を疑われた。ただし──
(あいつらがペルソナに目覚めたのは、二つの事件の後……)
堂島は悠と違って、コミュニティと呼ばれる絆を集めてはいない。しかも甥との間に結ばれた法王の絆は反転中である。だから甥やその友人を疑うことに躊躇はない。しかしこの推理には大きな弱点がある。稲羽支部と同じで覚醒時期の問題が特捜隊にもあるのだ。
(だがそれも悠の話を信じるならだ。ん……?)
もし悠が嘘を吐いていて、彼らが目覚めたのがもっと早い時期だったとしたら。嘘を吐いたのはアリバイを作る為だとしたら。犯罪捜査のプロである堂島は前提の段階から疑う。しかし──
(……念の為、確認しておくか)
「ちわーっす」
前提から疑うのなら、より疑える人物が一人いた。堂島がそれに気付いたちょうどそのタイミングで、隣の席に相棒が戻ってきた。間が良いと言うか、悪いと言うか。
「足立、一服してかないか」
「え? いいですけど……」
相棒の二人は自席から喫煙所に移動した。ヘビースモーカーの堂島は頻繁にここを利用するが、本数が少ない足立はめったに使わない。二人で一緒に煙草を吸うのは、7月に久保が自首した日以来かもしれない。そんな久しぶりの場所に身を置いた相棒たちは、火を点けてから話を始めた。
「お前、菜々子が誘拐された日のこと覚えてるか?」
切り出したのは年長の方からだ。対する若い方はすぐに答えた。
「そりゃ覚えてますよ。えっと、長瀬君と海老原さんが誘拐されたって一条君から連絡があって……じゃないな。確か僕には、堂島さんが電話くれたんでしたっけ」
忌むべき11月5日の出来事を、足立は順番に語り始めた。だが堂島は途中で遮った。
「そうじゃない。その前だ」
「何です?」
「あの日、俺は早い時間に上がったんだ。残ってる仕事があったのに、お前がやっとくからってんでな。んで次の日は休み取れって勧めたろ?」
実際のところは、帰宅した途端に一条から連絡が入ってその日は深夜まで本業と副業を同時に遂行する羽目になり、もちろん翌日に休暇など取れなかった。だが足立に休めと勧められたのは本当である。
「何でそんな気を遣った?」
菜々子が誘拐される前の晩にマヨナカテレビが放映された。当時はまだその存在を知らなかった堂島は見ていないが、状況的に映ったのは菜々子とあいだったはずである。実は足立もあれを見ていて、菜々子が狙われることを予期していたのではないか。だから堂島を帰して、菜々子の傍にいさせるようにしたのではないか──
口にしない裏側で、堂島はそう聞いているのだ。しかし足立は表情を変えない。
「あの頃、県庁に出張とかあって堂島さん働きづめだったでしょ。他にも10月の霧の日とか……あの件、本部にも報告しなかったんじゃないすか? 一人で抱え込みすぎてて、心配になったんすよ」
10月の終わり頃は、確かに堂島は忙しかった。出張にも行った。それは11月の初めは雨が続くと予報されていて、また霧が出るなら本業は早く片付けなければならないと、特に根を詰めるようになったからだ。だが若い相棒にあっさり切り返されても、ベテラン刑事はまた別の方面から攻める。
「確かにあの日の件は報告していないが、それをお前に話した覚えはないぞ」
「そんくらい言われなくたって分かりますよ。報告してたら有里さんが放っておくわけないんすから。あの日に狙われたのって、鳴上君か菜々子ちゃん……いや、今にして思うと菜々子ちゃんっすかね? どっちにしたって、本部には言いたくないでしょ」
足立は初手に続いて、二の手も切り返した。だが堂島は止まらない。続けて三の手を放つ。
「お前……山野の警護に出てたんだよな?」
最初の二つは前振りのようなもので、これが本命である。泣く子も黙る鬼刑事にして特殊部隊の支部長は、人でも刺し殺せそうな鋭い視線を相棒に送る。対するお調子者の刑事にして最強クラスの戦力を持つ副支部長は、人懐っこそうな笑顔を見せた。
「何です、まさか僕を疑ってるんですか?」
足立は顔で笑うだけでなく、腹の中でも笑っている。
(やっぱりこの人はガキどもとは違うな)
笑い方は嘲笑ではない。面白いことを言われて、楽しんで笑っているのだ。素人の高校生では気付かないところにも、堂島ならば気付ける。それを面白く感じたのだ。そして面白がることができるのは、それだけ余裕があるからだ。
「でも僕じゃありませんよ。僕がペルソナに目覚めたのは4月の終わりですよ。堂島さんも一緒にいたじゃないですか」
そうなのである。足立の覚醒は町中でシャドウに襲われた4月30日の未明で、山野と早紀の死から二週間以上も後の出来事だ。そしてその場には堂島もいた。つまり足立のアリバイの証人は、他ならぬ堂島自身なのである。
「そうなんだがな……悠が目覚めた経緯、話しただろう?」
完全に尋問モードに入った堂島は声を落とした。足立の顔にはまだ笑みが張り付いている。
「あいつが初めてテレビに入ったのは、小西早紀の死体が上がる前日……4月14日だ。そこで山野のマンションらしき部屋を見つけたって話だった。ペルソナに目覚めたのは次の日だ。つまり……」
「つまり?」
足立はいつも通りの、と言うよりいつもより楽しげなくらいの声で、もったいぶる相棒を促した。堂島がどれだけ凄味を増しても、それに怯むところはまるでない。刑事ものの映画やドラマの尋問シーンを画面越しに見ているだけと言うか、防弾ガラス越しに銃を向けられていると言うか。露ほどの危険も感じていない。
「外の霧の中でシャドウに襲われるか、テレビの中で自分のシャドウを受け入れるか……それ以外にも、力を身に付けるきっかけはあるはずってことだ。例えば影時間があった頃に適性を得るとかな」
「それは新説ですね!」
尋問がここに至って、足立は本当に楽しくなった。得意の演技ではなく、本気で笑った。
(ご明察です。外の霧かテレビの中以外にも方法はあります。でも今となっては、僕がそうだったって証明するのは不可能なんです)
拍手の一つもしてやりたい気分になった。もちろん気分だけで、実際にはやらない。ただ自分の主張を言うだけである。
「でも僕じゃありませんよ。影時間があった頃は、ずっと棺桶に入ってましたから」
足立はいつどうやって力に目覚めたのか。もし堂島がそこまで言い当てたならば、また別の反応を示したかもしれない。だが影時間が常態化していた頃には、足立に力はなかった。そして足立自身、自分がなぜ目覚めたのかは知らないのだ。悠と同様に。
「ならそれを証明できるか?」
「それは難しいですね……つか、どうやったら証明できるんすかね?」
ないことを証明するのは、あることを証明するより遥かに困難である。あることを証明するのは、それがある事実を一つ示せば良いだけだが、ないことを証明するには、あり得る全ての事実を検証し尽くさなければならない。そんな無限後退を達成するのは、数学の証明でもない限り不可能である。だから論争や裁判においては、それがあると主張する側が、あることを証明するのが原則だ。
今の堂島と足立の場合だと、4月末以前の足立にテレビに入る能力があったことを、堂島が証明しなければならない。そして足立はなかったことを証明する義務はなく、証明できなくても犯人と断定はされない。
つまり堂島に勝ち目はないのだ。だから足立は余裕綽々で、内心では相棒の名推理に拍手を送ってやれる。手詰まりになった堂島は相棒から視線を外して灰皿を見た。
「済まんな……嫌なことを言った。だが身内でも一度は疑ってみないといかん。許せ」
堂島は煙草の火を消した。容疑をかけている相手に悪魔の証明をさせてはならない。そんな捜査上の原則は、堂島は言われるまでもなく分かっている。だがもしかしたら尻尾を出すかもと期待して、話を振ってみたのだ。しかし期待はあっさり外された。足立は尻尾どころか動揺も見せなかった。なぜなら足立は本当に殺していないから。傍から見れば、そう判断できる。
そして堂島自身、足立を完全に疑っているわけではない。だから簡単に引き下がった。
「はいはい、許しますよ」
堂島の推理は一部正解である。しかし足立は既にペルソナに目覚めている。その事実が足立を守っている。足立自身が自白でもしない限り、真相に辿り着くことを不可能にするくらい強固に守っている。
(脅迫状を書いていたら、また別だったけど)
もし書いていたら、そこから足がつく可能性もあった。もちろん指紋を残すような初歩的なミスはしなかっただろうが、投函する際の目撃情報が出たかもしれない。たとえ証言が出なくても、逆に堂島宅に近づいても不審に思われない人物として容疑をかけられる可能性があった。それらの危険を未然に潰しておけたのだから、あの脅迫状を出さずに焼き捨てたことは、足立にとって会心の一手だったと言えよう。
「先に戻ってるぞ」
「はーい」
堂島は煙と話し声を遮るドアを開け、喫煙所から立ち去った。足立は紫煙の踊る小さな箱の中に一人で残された。右手の指に挟んだ煙草は、まだ半分ほど残っている。
煙に巻かれた年かさの刑事は自席に戻って腕を組む。視線の先には、机に置かれた事件関係者のファイルがある。
(足立か、悠か。もしくは花村、天城……)
刑事としての勘はこの中に犯人がいると告げている。堂島は二十年に及ぶ職歴の中で、自らの勘を頼りに解決した事件は多い。古風すぎるので口には出さないが、捜査においては最も重要なのは勘だと思っている。とは言うものの、それにも限度がある。刑事は占い師ではないのだ。
(だが客観的に見れば、あいつら以外が犯人である可能性の方が高い……)
勘は重要だが、堂島はそれだけを頼りにはしない。まして連続殺人のような重大事件において、客観性を度外視するわけにはいかない。手掛かりがまるでなかった4月頃はまだしも、現在は捜査状況が全く違うのだ。
(焦ることはない。凶器は分かったんだ。事件の関係者に片っ端からテレビに触らせればいい。影時間の再現装置を本部から借りてもいいしな……)
ペルソナ使いかどうかを調べるのは、道具さえあれば難しくない。既に目覚めていることが認知されている人間にはこの方法は使えないが、自分たち以外にテレビに入る能力を持つ人間が見つかれば、その者が最有力容疑者となる。調べるべき関係者は天城屋旅館の従業員や早紀の友人など、ペルソナ使いと分かっている者たち以外にも大勢いる。捜査の順序からすれば、まずはそちらを徹底的に洗うべきだ。身内を本格的に調べるのは、その後でも遅くない。堂島はそう判断した。
煙に巻いた若い刑事は、時間をかけて煙草を吸い終えた。丸一日吸わない日もあるくらいの足立は、一本吸えば口の中が苦くなる。口とは対照的に苦くない心を抱えて、事件の現状と先行きを考えた。
(今日は簡単なもんだったけど……どうなんのかな、これ?)
仮面使いの達人である足立は、ちょっとやそっとの追及くらい軽くかわせる。二件の殺しに関しては証拠もないので、口を滑らせさえしなければ問題ない。だが敢えて言うならば──
(まあ……どうでもいいって言えば、どうでもいいんだけど?)
胸ポケットから煙草の箱を取り出して、二本目に火を点けた。心が苦くならないこと自体が不満なので、口の苦さで代用するように。