ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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当事者証言(2011/12/7)

「姉ちゃん……」

 

 小西家の姉弟は実家の店を模した異空間で、互いが互いになった。姉のシャドウは弟のペルソナと融合し、名前も変えた。ペルソナの変容は特別課外活動部の時代から何度も起きていて、特別捜査隊も悠以外は全員経験済みである。ただしそのいずれの例とも、早紀と尚紀のケースは趣を異にしていた。

 

「教えてくれ。誰が姉ちゃんをここに落としたんだ?」

 

 眼前に顕現した女のビジョンに、尚紀は声に出して話しかけた。ペルソナは自分自身と不可分の存在であるのだが、『二人』は会話をするのだ。以心伝心ではなく、言葉でもって話をする。まるで生きた人間同士のように。

 

「私をこの世界に落としたのは……警察の男よ」

 

 そしてペルソナも声に出して返事をする。普通のペルソナは仮面で口が塞がれているかのように基本的に無言だが、スセリビメは喋る。経帷子を着た女のビジョンは、額に巻かれた紐から垂れ下がる薄い布で顔を隠しているが、口は封じられていない。そして布越しに届けられる声は、生前の早紀と同じだった。

 

「警察!? 誰!?」

 

「名前は知らない。山野アナの件で聞きたいことがあるって警察署に呼び出されて、小さな部屋に連れていかれたの。そこでその男に言い寄られて、抵抗したら部屋にあったテレビに落とされたの」

 

 何とも具体的である。生田目に誘拐された者たちは、大半が何が何だか分からない間にやられた。誘拐犯はそれだけ巧妙だったと言える。それとは対照的に、殺人犯は慎重さとは無縁だったようだ。

 

「どんな奴ですか!? ええと……年とか、顔の特徴とかは!?」

 

 姉弟の会話に陽介が口を挟んだ。

 

「年は二十代後半くらいよ。顔は冴えない感じで、表情がコロコロ変わったわ。嫌らしい顔とか、いかにも悪そうな顔とか……って言うか、凄く芝居がかってた。多分だけど、本当は言い寄るつもりなんかなかったんだと思う。目が死んでたもの」

 

「他にはないですか? 体格とか髪型とか……服装とかは?」

 

 次いで悠も口を挟んだ。まるで見当もつかなかった犯人に、直接繋がる手掛かりが得られるのだ。どんな些細なことでも聞き漏らすまいと、体が自然と前のめりになる。

 

「線の細い、貧相な男よ。髪はあちこち跳ねてて、だらしなくて……。よれたスーツを着てて、ネクタイは曲がってたわ」

 

「……」

 

 悠は考え込んだ。コミュニティを束ねる者として交友範囲は広いが、警察官では叔父とその相棒以外に知り合いはいない。外見の特徴だけ堂島に伝えるなりして、それで分かるだろうかと。しかし悠が考える必要はなかった。

 

「警察署に行って。顔を見れば分かるわ」

 

 刑死者のペルソナはそう言い残して、煙が溶けるように音もなく姿を消した。だがもちろんいなくなったわけではない。使用者である尚紀の中に戻っただけだ。まるで生きた人間そのままのようで、しかも早紀の自我を完全に残しているような様子だったが、やはり尚紀のペルソナなのだ。姉は弟と共にある。そして尚紀は元より現実でも召喚可能なシャドウワーカーの一員だ。つまり早紀はテレビの外に出られる。

 

「行きましょう。俺が見たものは、姉ちゃんにも見えるみたいです」

 

「よし……戻るぞ!」

 

 今日の尚紀がテレビの世界を訪れたのは、ただ早紀に会う為で、犯人についての情報を得る為ではなかった。しかし主目的ではなくても、やはり聞くことは聞いたし、やることはやる。尚紀は陽介と違って犯人への復讐心は特別強くない。それでも犯人をそっとしておきはしない。姉の仇はもちろん取る。取らない訳にはいかないのだ。

 

 悠は早速カエルの置物を掲げ、三人は肥大化したコニシ酒店を後にした。

 

 

 

 

 線の細い警察官は、稲羽署の自席で一人黙然としていた。隣の席に逞しい相棒はいない。今日の堂島は一人で外回りだ。調べる相手は事件当時の天城屋旅館にいた従業員や、早紀の友人たちである。彼らにテレビに入る能力がないか、確認して回っているのだ。だがその捜査は成果を上げないことを、足立は知っている。この世でただ一人、確信を持っている。

 

「……」

 

 孤独に浸る若い刑事は、机に肘を立てて両手を組み、身じろぎもしない。老朽化が指摘されている建物は空調の効きが一定ではないようで、足立の席の周りは寒い。指先から体温が失われていくことを感じながら、足立はそれに気を留めない。ただ冬の中に身を置いて、無心に過ごしている。

 

 明日世界が終わると言われても、何とも思わないように──

 

 ──

 

 しかしたとえ本当に明日終わるのだとしても、今日はまだ終わっていない。現実の世界では、足立をそっとしておかない人は何人もいる。虚無が覆う前日の最後のひと時を告げる時報のように、足立の胸ポケットから電子音が鳴った。シャドウワーカーの情報端末だ。液晶の画面には知り合いの少年の名前が表示されている。

 

「もしもし」

 

『小西です。今どちらにいらっしゃいますか? すぐにお会いしたいんですが』

 

 少年の声はいつもより早口だった。興奮を抑えきれずにいて、しかもそれを隠そうとしていない。いつもクールで生意気な少年らしくもなく、随分とテンションが上がっている。どんな顔をしているのか、ちょっと想像しづらいくらいだ。

 

「署にいるけど、どうしたの?」

 

『犯人が分かったんです!』

 

「へえ……そうか。じゃあ、待ってるから」

 

 熱くなる尚紀とは対照的に、足立は平静だった。不自然なくらいに。待っていると告げるや、返事も聞かずに通話を切った。

 

(来たか)

 

 予想していなかったわけではない。しかし予想していたわけでもない。それでいて、道化師の心は驚くばかりに静かだ。何も考えずにいた分だけ、動揺する余地は残っていなかった。

 

(向こうで生田目を殺し損なったし、鳴上君に殺させるのも駄目だった。潮時って奴か)

 

 別に惜しい命ではないが、進んで捨てる気もなかった。だから生田目を犯人として事件に幕を引くよう、手も尽くした。だが結局のところは失敗したのだ。四日前に菜々子が死んだ時、悠と陽介は生田目を殺さなかった。あの時点で、いつかこういう日が来ることは、決定づけられていたと言えるかもしれない。決まっていなかったのは、誰が来るかというだけで。

 

 つまり足立は覚悟をとうに決めているのだ。だから落ち着いていられる。夏の頃から身に付けた慎重さに覚悟が上乗せされて、ありとあらゆるものをどうでもよくしていた。不感無覚、言い方を変えると明鏡止水に至っていた。

 

(ま、尚紀君ならいっか。本部の人や公安なんかに来られるより、ずっとマシだ)

 

 席を立って喫煙所へ向かった。最後の一服になるかもしれないと思いながら。

 

 

 時刻の呼び名が夕方から夜へと変わろうとする頃、ジュネスを出た三人の高校生は稲羽署に辿り着いた。いよいよ犯人を捕まえられるのだ。姉の仇、想い人の仇。そして節目であるらしい今年の、種々様々な騒動の元凶を押さえる。全ての決着を付けようとする少年たちは脇目も振らなかった。他の仲間たちへの連絡も忘れるくらいに。

 

「えっと……こっちか?」

 

 署の受付で名前を告げて足立への面会を求めると、保護室で待っているとの伝言があった。大まかな場所を聞いて、署内の案内標識に従って少年たちは早足で歩く。眼鏡は外している。

 

(姉ちゃん……?)

 

 二人の先輩と共に歩きながら、尚紀は内心で違和感を覚えていた。ペルソナが騒いでいるのだ。スセリビメは普通のペルソナと多くの点で異なっている。他人のペルソナと融合した例なら特別課外活動部の時代にはあるが、尚紀と早紀はそのケースともまた違う。

 

 顕現するとペルソナと使用者が声を出して会話するくらい、自我を別々に持っているのだ。別々である分、『自分自身』でありながら分からないものが多い。表情から怒りや嘆きを認識するように強い感情は伝わるが、複雑な思考までは分からない。ただ心の中で激しい何かが動いているのを、尚紀は感じていた。

 

「ここだな」

 

 やがて三人は廊下を通り抜けた先で、ある部屋の前まで辿り着いた。先頭に立っていた悠は部屋の番号を確認すると、すぐにドアノブに手をかけた。鍵はかかっておらず、そのまま開いた。

 

(う……!?)

 

 入った途端、尚紀は急な頭痛を催した。頭の右側だけが偏って痛んでいる。思わず手を当てるが、甲斐はない。半開きの視界には一台のテレビが映っている。電源は入れられていない。

 

(まさか……)

 

 テレビの中の実家で聞いた話によれば、早紀は警察署で落とされたとのことだった。ならば偶然か皮肉か、現場はこの部屋なのかもしれないと、尚紀は思った。ならば凶器は──

 

 ペルソナ使いの手にかかれば、人を飲み込む殺しの道具になる文明の利器。その傍に会いに来た人がいた。足立だ。

 

「やあ……で、犯人って誰?」

 

 足立の表情は優しく柔らかい。まるで年の離れた弟や、小さな子供が遊ぶのを見て微笑むように笑っている。俄かな片頭痛に苦しむ尚紀とは、対照的なまでに穏やかだった。

 

「ええ、実は俺たち、さっきテレビに……」

 

 悠が説明を始めようとした。しかし最後までは言えなかった。

 

「ね、姉ちゃん!?」

 

 ペルソナは安定して使えれば大きな戦力になるが、そうでないなら危険なだけだ。イナバノシロウサギは尚紀自身に見合った強さで、使用者や周囲に危険をもたらしたことはない。だがスセリビメは違う。尚紀は6月から実戦の経験を積んでいるが、シャドウとの融合により急激に強大化した、しかも姉の自我を残したペルソナを制御するには足りなかった。頭全体を覆った痛みと共に暴走を始めた力を抑えることはできなかった。

 

「小西!?」

 

 崩れ落ちた尚紀の体を、悠は説明を中断して受け止めた。膝を折り曲げて、小柄な後輩の体を支える。瞬間、ガラスが割れた。

 

 ──

 

 経帷子を着た女のペルソナ、即ち姉は弟を圧倒し、自らの意思で強引に表に出てきた。この部屋には異世界への通り道はあるものの、現世の窓はない。外の霧が流れ込んでおらず、もちろん召喚器も手にしていない状態でペルソナが顕現した。異様な酒屋でジュネスのエプロン姿のシャドウが初めて現れた時のように、右手を振りかざす。そして情報系ペルソナにあるまじき力と速度でもって、敵を引き裂かんと振り下ろす。

 

「せ、先輩!? 何すんすか!」

 

 陽介は早紀を今日初めて先輩と呼びながら、突如顕現したスセリビメに抱き着いた。ここは『一応』現実の世界ではあるが、四日前に現実での召喚を身に付けた陽介は、暴走したペルソナを止めることができた。ただ一瞬遅れた。遅れた分、ペルソナの初撃は『敵』に届いていた。

 

「足立さん! 大丈夫っす……か?」

 

 足立を案じる陽介の言葉は途中で止まった。

 

「……」

 

 若い刑事の顔には、左の額から鼻梁を斜めに通って右の頬まで達する傷ができていた。暴走したペルソナに切られたのだ。やがて液体が涙のように流れ出て、足立の頬を濡らす。だが涙でないことは明らかだ。赤色であるからなのはもちろんだが、それ以上に足立自身の表情が、涙でないことを物語っている。

 

「……」

 

 顔を切られた若い男は完全な無表情だった。苦しみ、悲しみ、怒り、その他の涙を呼び起こすあらゆる感情が、足立から消え失せていた。戸惑いすらなく、『何するんだ』とも『痛い』とも言わない。未だ顕現を続ける暴走ペルソナに抵抗する素振りもない。両腕をだらりと下げて、無防備に突っ立っている。

 

 現実でのペルソナ召喚は悠と陽介もできるようになったが、シャドウワーカーこそが本元である。魔人のペルソナを使えば、いくら強化されたとはいえ本職はサポート役である尚紀のペルソナを押さえるくらいわけもない。警察官として逮捕術も学んでいるので、細身の女子高生を制圧するくらいわけもないように。それなのに足立は何もしない。もし陽介がスセリビメを抑えていなければ、足立は今頃八つ裂きにされていただろう。

 

「姉ちゃん……! やめて!」

 

 悠に抱えられた尚紀が、頭を両手で押さえながら叫んだ。足立と違って尚紀の表情は苦痛で覆われている。耐え難いほどの凄まじい頭痛によって、いつものポーカーフェイスは保てなくなっている。

 

「……」

 

 弟に言われて姉は消えた。普通のペルソナが使用者の意思に応じて、普通に姿を消すように。シャドウとペルソナが融合したこの存在は、シャドウとしての自我を残している。だが融合したのは、使用者を弟と認めればこそだ。その弟に姉と呼ばれると大人しくなってしまう。

 

「足立さん……?」

 

 早紀が姿を消して現実に残された陽介は、改めて眼前の刑事を注視した。そして気付いた。

 

「まさか……」

 

 年は二十代後半くらいで、顔は冴えない感じ。目は死んでいる──

 

「ま、まさか……」

 

 悠は尚紀から手を放し、膝を伸ばした。そして足立の姿を正面から見ると、気付くものがあった。気付いてしまった。テレビの中で聞いた犯人の容貌と、足立透のそれとの符合に。線の細い貧相な男。髪はあちこち跳ねていて、だらしがない。よれたスーツを着ていて、ネクタイは曲がっている──

 

「あ、足立さんが……」

 

 最後に尚紀が核心に触れようとした。だが被害者遺族が最後まで言う前に遮られた。

 

「あーあ……バレちゃったか」

 

 遮ったのは犯人だ。口を開くと同時に、顔に表情が戻った。

 

「尚紀君、お姉さんのシャドウを見つけたの?」

 

 魔人のペルソナよろしく血塗れの顔を拭おうともせず、右手で頭を掻いた。いつものように飄然とした顔がそこにある。まるで顔から血など流れていないと言うように、まして涙など流すはずがないと言うように。赤い液体は何かの手品だとでも言いたげな、浮き上がりそうな軽い口調で話す。

 

「やれやれだ……物証とかはないはずだし、目撃者なんかもいないし? 下手に口を滑らせないように、注意してたつもりだったけどねえ……。被害者本人に証言されちゃ一発だね。ごまかしようがないわ」

 

 だが表情と口調がどれだけ普段通りでも、話す内容は普段のそれでは全くない。お調子者の若い刑事、特殊部隊の一員であるペルソナ使い、社会に生きる大人。そのいずれの顔をもってしても、言って許されることではないセリフをつらつらと並べる。軽々と喋りながら、何気ない足取りで保護室を歩く。

 

「早紀さんのシャドウ、花村君は相手にしなかったみたいだけど、さすがに尚紀君だったら話は別か。家族の絆って奴?」

 

 ここで足立は立ち止まり、呆然としたままの高校生たちを見る。殺した少女の弟と、殺した少女を好きだった少年と、被害者とほとんど何の関係もない少年を順番に見る。

 

「ここでやったんだよ」

 

 言いながら、足立は後ろに倒れ込んだ。倒れた先にあるものは崖だ。八ヶ月近く前に早紀を落とした異世界への窓であると同時に、足立自身が人生から転落した崖だ。当時の足立は体ごと落ちはしなかったが、今日は自ら身を躍らせた。肩をすくめるようにして。

 

「……」

 

 小さなテレビに波紋が浮かんで、男一人の体を飲み込んだ。数秒の時間を置いて画面から揺らめきが消え、ただの黒一色に戻ってから、高校生たちは我に返った。

 

「う……嘘だ! 足立さんが犯人なはずがない!」

 

 尚紀は立ち上がり、テレビの前まで駆けた。古い型の小さなテレビである。そのフレームに手をかけて、勢いをつけて額を画面にぶつける。すると波紋が再び広がった。

 

「嘘でしょう! 嘘だと言ってください!」

 

 霧の世界に向けて、尚紀は声を張り上げた。だが返事はない。何も見えない。警察署の建物に入ってから眼鏡を外したので、肉眼では茫漠たる白い闇しか見えない。どれだけ必死で呼びかけても、答えは返ってこない。

 

 これは一体、何たる皮肉であろうか。何という悲劇であろうか。尚紀は戦いを始めて以来、ずっと足立を信頼していた。堂島よりも、悠よりも。つまりは誰よりも。

 

 尚紀は稲羽支部高校生組の仲間たちと同様に、自分の力が何の為にあるのか知らない。力を得た時には、守るべき人は既に死んでいたから。だからただ潰れかけの店に代わる新たな仕事として、自分の力を活かす場として特殊部隊を選んだ。そこにある種の軽さが、『特別』になったことを喜ぶ心理があったことは否定できない。そんな安易な少年に戦う心構えを教え、親身になって、体を張ってシャドウから守ったのが足立だった。その足立が姉の仇であるなどとは、一体どうすれば信じられると言うのか。

 

 なぜ早紀は死んだのか? この問いの答えを、足立が教えてくれるとでも言うのか。足立の答えを、尚紀は受け入れることができると言うのか。

 

「足立さん!」

 

 尚紀はテレビのフレームから手を離し、足立を追って崖へと頭から飛び込もうとした。画面は小さいが、尚紀の体格なら入れる。だが足が床から離れた瞬間、引き留められた。

 

「尚紀!」

 

 陽介だ。今日はとにかく人を止めてばかりである。やり方は腰に手を回して、力任せに強引にやる。両腕に力を込めて、身を躍らせようとする小柄な少年を無理やり引きずり出した。勢い余って二人揃って床に倒れ込む。

 

「放してください! 足立さんが犯人だなんて、嘘に決まってます!」

 

「落ち着けって! 俺だって訳分かんねえよ!」

 

 昂ぶる皆を冷静にさせるのは、本来はリーダーの役割である。だが今日はサブリーダーが代行した。リーダーは自失しているから。

 

「足立さん……」

 

 尚紀はもちろんだが、悠も激しい衝撃を受けていた。悠もまた足立を信頼していたから。堂島に拒絶された今、足立は数少ない頼れる大人だった。力でも覚悟でも自分に勝り、何年たっても追いつけないのではないかとまで思った男。コミュニティの担い手たちがちょっと困るくらいの好意と信頼を寄せてくる中で、例外だった人。

 

 しかしいつまでも呆然としているわけにはいかない。

 

「悠!」

 

「あ、ああ……悪い。大丈夫だ」

 

 相棒に一喝されて、悠は自分を取り戻した。ここはシャドウの蠢く戦場ではないが、じっとしていて良い場所でもないのだ。

 

「……とにかく、まずはここを出ようぜ。もし誰か来たら面倒になる!」

 

 

 高校生たちは稲羽署を出て、霧と闇が覆う夜の街路に戻った。心なしか、来た時よりも闇の白さは濃くなった気がする。眼鏡を通してさえ、全ての白さをないものにはできない。

 

 だがもちろん霧を気にしている場合ではない。尚紀の動揺は未だ収まらず、陽介が手を貸している。一人では家まで帰れそうもないくらいだ。

 

「取り敢えずみんなに連絡して、明日フードコートに集合しようぜ。話はそれからだ」

 

 三人の少年たちの中で、一番冷静でいるのは陽介だった。それはやはり犯人との縁が最も薄いからだろう。特捜隊と稲羽支部の合流前は、陽介は足立と話したことさえほとんどなく、合流後も共に戦う機会はなかった。今はまだ──

 

「俺、尚紀を送ってくわ。悪いけど電話頼むぜ」

 

 陽介はそう言って霧の中を歩いていった。しばらくすると白い闇は少年たちの背中を隠し、沈黙だけを悠に残した。

 

(電話……)

 

 悠は携帯電話を取り出して、どうするか考えた。特捜隊が集まる際にはリーダーからサブリーダーにその旨を伝え、他の者たちにはそこから回すことが多かった。悠が自ら一人一人に連絡するのは、これが初めてかもしれない。慣れないことであるからか、アドレス帳を見ながら考えてしまった。一体誰に電話をかければよいのかと。

 

 皆に連絡して、明日集合する。陽介はそう言ったが、果たして『皆』の範囲はどこまでなのだろうか。千枝から直斗に至るまでの特捜隊の面々は、もちろん含まれる。一条と長瀬、結実も含めていいだろう。では堂島は? 有里は?

 

(足立さん……)

 

 悠は悩む。足立が犯人であるとは信じられないし、信じたくもない。だが事実と願望は別である。一昨日に生田目の真意を聞いた際、それを思い知らされた。そして現時点で分かっている確かな事実は二つ。早紀が足立を殺そうとしたことと、足立の自白だ。強烈極まるリアリティがそこにはある。どんな願望も思い込みも、まとめて粉砕してしまう。

 

 では本当に足立が犯人だとして、どうするべきか。春以来、連絡先が大きく増えたアドレス帳を再び見る。堂島と有里の名前が小さな画面に表示されている。足立の名前もそこにある。

 

(どうする……叔父さんに連絡するか? したらどうなる?)

 

 悠は考える。堂島は相棒と戦えるのだろうか。戦って勝てるのだろうか? 堂島のペルソナは特捜隊と比べて強いわけではない。菜々子を救出する際に、りせはそう言っていた。有里の戦力は未知数だが、ワイルド同士なので自分と同程度と仮定する。では特捜隊と尚紀、そして大人二人が協力すれば犯人を捕まえられるだろうか? 生田目のペルソナだかシャドウだかを一人で制圧し、容赦なく『射殺』した足立を──

 

(いや、駄目だ。俺たちが戦うのを叔父さんが認めるわけがない。そうすると叔父さんと有里さんだけで……? 無茶だ!)

 

 猛烈な寒気に襲われた。足立の恐るべき強さは、テレビの中で一緒に戦った自分が一番よく分かっている。稲羽のペルソナ使いが総がかりしても困難極まるだろうに、たった二人で足立に勝てるわけがない。堂島と有里の死体がテレビアンテナか電柱に揃って吊るされる、その様が目に浮かぶようだ。

 

(菜々子……)

 

 死の淵から帰ってきてくれた、可愛い妹に思いを馳せた。菜々子はせっかく助かったのに、母親に続いて今度は父親を失うのだろうか。有里は妻子を置いて、遠い異郷で二十年にも満たない短い人生を終えるのだろうか。ここは何とかして堂島を説得して、必要とあらば殴ってでも、特捜隊を含めた全員で戦うようにするべきではないのか──

 

(いや、それも駄目だ。犠牲が増えるだけだ!)

 

 菜々子にとっては、死ぬのが父でも兄でも大した違いはない。どちらも同じくらい辛いだけだ。下手をすれば、二人しかいない菜々子の家族は二人とも死んでしまう。尚紀や陽介も同様だ。小西家は娘に続いて息子を失い、花村家は一人息子を失う。もちろん他の仲間たちと、その家族も同じ目に遭う。

 

 これまで事件の犠牲者は二人、諸岡を入れても『たった』三人で済んでいた。だがこの最後の局面において、これまでの何倍もの数の死人が出て、それ以上の被害者遺族が出る。事件が未解決のままでいるより酷い、最悪の結果に終わってしまう。それだけは何としても避けなければならない。

 

 誰も死なせないようにするには、どうすればいいのか? そんな方法がこの世にあるのか?

 

(どうすればいいんだ……俺に何ができる?)

 

 自分の無力が恨めしい。どうして全ての謎を解く知恵が、全ての災いを払えるだけの力が自分にないのか。犯人を自ら突き止めることは遂にできず、犯人を倒せる力もない。複数のペルソナを操るワイルドの能力など、ただ小器用なだけで肝心な時には何もできない。できることと言えば、ただ人と仲良くなるだけだ。

 

「あっ……!」

 

 自分にできるのは人と仲良くなることだけ。そう思った瞬間、道が見えた気がした。自分に力はないが、絆はある。コミュニティで結ばれた人々は誰もが自分を信頼してくれるし、自分も彼らを信頼している。そして足立との間にもコミュニティがある。

 

 力が足りないなら、力以外で戦う。つまり絆だ。絆で戦うとは、即ち──

 

(自首させよう……)

 

 自首。それはあらゆる事件における最善の解決方法である。稲羽市連続殺人事件においては特に。誰も死なせずに全てを収拾するにはこれしかない。そして罪を認めて償うよう犯人を説得できるのは、この世に一人しかいない。足立透と道化師の絆で結ばれた、鳴上悠だけだ。

 

 悠は携帯電話をしまってジュネスへ向かった。誰にも連絡せず、一人で。

 

 

 時刻はもうすっかり夜だが、ジュネスの閉店時間はまだだ。時間と絆の隙間を縫うようにして、特捜隊のリーダーはスタジオに一人で降り立った。一日に二度テレビに入るのは、これが初めてだ。スモークめいた霧はいつにも増して濃い。

 

(あの部屋でやった……そう言ってたな)

 

 テレビの中と外は場所と場所で繋がっている。つまり稲羽署の保護室と、テレビの中のコニシ酒店は繋がっている。そして足立は『事件現場』で崖へと身を躍らせたので、今は酒屋にいるはずだ。では悠はどうやってそこまで行けばよいのか? 案内人の情報担当抜きで、どこをどう歩けば目的地に辿り着けるのか?

 

「……」

 

 今日の放課後の時間、つまりはつい先ほど行ってきたばかりの場所である。道順は覚えている──

 

 そう言っては、いささか強がりが過ぎる。テレビの中は暗黒の世界に等しいのだ。テレビ局の撮影スタジオめいたこの場所と、落とされた被害者が生み出したダンジョンの間には、何もない空間があるばかりである。地面と上空のどちらにも、目印になるものが何一つない。自然の暗闇以上に迷いやすい白い無だ。数時間前に行ったことなど、何の足しにもならない。

 

(何度でも挑戦するしかないか)

 

 カエルの置物は持ってきている。だからとにかく勘を頼りに歩いて、失敗したらスタジオまで戻って、また初めから再挑戦する。それを繰り返すしかない。一晩くらい時間をかけるつもりでやれば、きっと何とかなる。と思いきや──

 

「ん?」

 

 夕方に来た時からそうだったが、テレビの中の霧は一層濃度を増している。クマの眼鏡を通してさえ、視界に靄が残ってしまうほどだ。あまりに汚れすぎて掃除しきれない埃の大群のような霧の一部分が、ほのかな光を発し始めた。

 

(これは……)

 

 足首くらいの高さに、二本の筋状の光が平行して走るように灯った。光が示す先は白に覆われて見えないが、スタジオを遠く越えて相当な距離に渡って続いているようだ。明らかに道を示す印である。樹海や大海原も及ばない無の迷宮における道路の白線、もしくは誘導灯とでも言うべきか。こんなものが霧の中に現れたことは、過去にはもちろんない。もしあったら情報担当など必要ないくらいだ。

 

「足立さん……俺に来いと言ってるんですか?」

 

 虚無の世界に道標を刻んでいるのは、足立に違いない。つまり光の道が向かう先はコニシ酒店で間違いない。足立はそこにいる。いや、待っている。誰を? 決まっている。絆で結ばれた者を待っているのだ。

 

 コミュニティは単にペルソナを強くするだけのものではない。悠を真実の光で照らす輝かしい道標だ。それはまさにこのことだ──

 

「そうなんですね!」

 

 そうとも、足立は友達ではないか。足立が自分を拒むはずがない。年は十歳も離れているし立場も大きく異なるが、それが何であろうか。絆に年齢その他の差異など関係ない。誰とでも友達になれたし、信頼された。堂島とは仲違い中だが、修復する道は必ずある。むしろ堂島との仲違いそのものが、この状況を作り出しているのかもしれない。八十稲羽に来て以来の全ての経験、全ての絆が今まさに収斂し、足立のもとへと導いている。

 

 話せば分かってくれる。それで事件は解決できる。確信を抱いて、悠は走った。

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