同日 昼前 青龍荘
快人達三人は食堂がある白虎荘から廊下を渡り、荘
明るくなってきた外を見れば、幅三メートル程の川が屋敷の内外を通っているのが見える。青龍は河川を
時折、霞の車椅子を押す快人とついていくアリスが少し緊張した面持ちで、屋敷のあっちこっちに目線を送っている。物珍しいのか──何かに警戒しているのか。
霞の案内で青龍荘にある書庫の前に辿り着いた。
「ここがその書庫か?」
「えぇ」
ブランケットから手を出すと鍵が握られていた。持ち手部分に龍が
「それぞれ、荘の主な部屋は鍵が掛っております。この鍵もその一つで、本来なら後三つあるはずですが、代々の当主に受け継がれてきたこの『青龍の鍵』以外、すべて行方知れずになっております」
霞が腕を前に出し鍵を差し込む。快人が後ろに下がってアリスと並ぶ──二人は相変わらず
ガチャ──鍵が開く音が響き霞が扉を押す。
「さあ、こちらですわ」
霞に促されて二人も中に入っていく。
その三人の後ろ姿を、何者かが物陰から刺すような目で見ていた。
「うっわ、すっげえ……」
「……想像以上ね……」
快人達は書庫に入った途端、圧倒されそうになった。小さな図書館では相手にならないほど、壁に沿って何台もの本棚が置かれている。すべて天井に届くほど高く、それら一つひとつに本が隙間なく詰められていた。
「わたくしもここに入るのは数年ぶりですわ」
ここからは自分で、と霞がハンドルを操作しようとする。
「いや、霞ねぇさん、俺が押すよ」
快人が止め、車椅子の手押しハンドルを握った。
「では、お願いいたしますわ」
霞の快諾を得て、三人は書庫のさらに奥へと足を踏み入れる。
「ちょっと、ホコリっぽいわね……」
アリスが少し咳き込みながら苦言を
そして、三人は書庫の最奥へと辿り着く。そこは円形に広がった空間で床から数段高い所に──真上から見れば「C」の字──
また本棚も「C」の字に沿うように置かれ、それを挟むように支柱がありそこには区別のためか「
車椅子を押す快人はスロープを慎重に降りると中央に置かれていたテーブルの傍に霞を誘導した。
「さて、どこから探すか」
一目見ただけでも、膨大な数の本が納められているのが分かる。あてもなく探し回るのは時間を浪費するだけだ。
「とにかく、日記とか、魔術書みたいな本を探したらいいんじゃないかしら」
アリスが一案を出す。
「確かに、メモ書きか何かあるかもしれませんわ」
その言葉に快人は自分を鼓舞するようにふぅと息を吐き通路に上がった。
「じゃあ、やるか」
とりあえず手近な一冊を取って中身を読み始める。
「……全然無いわね」
アリスが積み上げた本の上に霞に見せていた本を乗せる。
探索開始から数時間。机の上にはかなりの冊数の本の塔ができあがり、本棚の至る所に空白ができていた。
「くっそぉ、それっぽいのすら見つかんねぇ……」
快人が何冊、何十冊目かの本を置くと埃だらけの床に倒れ込んだ。
「ちょっと。汚いわよ」
「うるせぇ、疲れたんだよ」
「……それにしても膨大なコレクションね」
アリスが休憩がてら、隣に座る霞に話しかける。
「初代が時間を掛けて
「……『時間』?」
何か引っかかった快人が寝転びながらつぶやく。
「例えば、この本なんて二十世紀初めのヨーロッパで書かれた黒魔術書の初版よ」
アリスが一冊の古めかしい本をテーブルに置いた。
「えぇ、きっと初代が購入した物だと思いますわ」
「なら、コレクター相手に売ればそれなりのお金になるんじゃないかしら」
「あっ、そうです。思いつきもしませんでしたわ。これらを売れば、それなりの金額に──」
「そうだよ!」
霞が行き詰った資金を捻出する方法を思いついたところで、快人が声をあげた。
「? 快人様?」
「どうしたのよ急に」
「『古い本』を探せばいいんだ!」
「だから探してるでしょう?」
アリスが呆れたように目の前にある本を指でつつく。
「違うよ、
快人が例として近場の二冊を取って二人に見せた。表紙や本紙の出来に技術の進歩の違いがある。
「確かに、昭和と大正でも装丁の差は大きいと思いますわ」
霞が本棚を見る。棚には背表紙がボロボロの物と、まだ綺麗な物で混ざっている。せいぜい五十音で並んでいるだけだろう。
「つまり、ボロボロの本を探す?」
「あぁ。もし本を残していたなら、百年近く経ってるんだ、綺麗だとは思えねぇ。少なくともそれを探す方が効率的だと思うぜ」
「一理ありますわ」
霞が嬉しそうに頷く。
「よし、じゃあ、今度はボロボロの本を探すか!」
対象をさらに絞り込んだ快人は本棚を上下に見回す。
「……ごめんなさい、私ちょっとお花を積みに行ってきたいのだけど」
アリスが霞に耳打ちすると、「でしたら」とトイレまでの道順を伝えた。
「快人、ちょっと休憩するわね」
「どうぞ」
本探しに夢中になった快人が手を振った。
アリスが席を立ち、書庫を離れる。
「アリスさん、お綺麗な方ですわね」
「そうかー?」
何気ない会話に気のない返事を返す。
「生き生きとしていらっしゃいますわ」
「腰でもやらなきゃいいけどな」
本人がいないことをいいことに、笑いながら冗談めかして言う。
「
「……そんなこと言うなよ、霞ねぇさん。まだ生きてるんだ。諦めずに生きようぜ」
探す手を止めて振り返って言った。
「快人、様……」
その言葉が嬉しかったらしく、霞は頬を赤らめて瞳を
「……あっ、あれ!」
突然、霞が声を上げると、手をゆっくりと上げてある一点を指した。本棚の上辺りだ。
「えっ?」
快人が指し示された辺りを見る。
「何どうした?」
しかし、快人の位置からは
「えっと、その、あの本などいかがかしら!」
どうやら霞の照れ隠しだったらしく、適当に見えた本を指したらしい。
「うーん、こっからだと見えねぇな……」
百七十センチはある快人でも届かず、近場にあった椅子を置いて昇る。
「何段目?」
「十段目ですわ!」
かなり高いところにその本はあるようで椅子に乗ってでも届かず、快人が手を伸ばしてギリギリだ。
「うーん──っ!」
本を手探りしていた快人がハッとした様子で振り返った。その表情が
「どうされました?」
ポカンとした表情で霞が首を傾げる。
「あっ、いや──この本?」
快人は首を振ると、とりあえず本棚から取り出した本を見せた。
「違いますわ。その上に横倒しで入っております」
「えぇっ? たっく、入れるのはいいけどさ、もうちょっと取りやすくしてくれよな……」
快人が更につま先立ちになって手を伸ばしていく。どうやらかなり奥まった所にあるらしい。
「これ以上は……!」
見るからに危ない体勢だ。
「もう少し奥ですわ! 頑張ってくださいまし!」
「くっそ、見えねぇ……。うっ、ううん──取れた!」
目当ての本が取れ、無事に椅子を降りた快人の手には確かに古い本があった。だが、装丁は女性向けのようで他と比べると新しい。中を開こうとするが、経年劣化で紙が貼り付いているのか、無理に力を入れる破けそうだ。しばらくして諦めると落胆した様子を見せる。
「いかがですか?」
「……駄目だ」
そこに丁度、アリスが帰って来る。
「何か見つかった?」
「……いいや、なんにも」
意気消沈した快人はその本も他と同じく床に置いた。
同日 夜 白虎荘
結局一日中、探索したものの成果を上げられなかった快人達は、ひとまず白虎荘のゲストルームに案内された。
「快人様はこちらのお部屋をお使いくださいまし」
そこは家具が所々くすんでいるものの豪華な部屋だった。青龍荘の書庫には負けるが人丈くらいの本棚に、天蓋付きのベット、椅子やテーブル、ベッドライトも置かれている。欧米の高級ホテルを思わせる部屋で、落ちぶれても元は華族の人間の部屋ということが分かった。
「すげぇな、いいのか?」
快人が少し恐縮した様子で確認した。
「えぇ。ここはクラリス様の寝室ですから」
「えっ、ばあちゃんの?」
「はい。せっかくの機会ですし。こちらにお泊りください」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
部屋の中に入ると持って来た荷物を部屋の隅に置く。
「では、クリスティーナ様はこちらへどうぞ」
霞が車椅子の操縦レバーを握る。
「押さなくて大丈夫?」
「ありがとうございます。お構いなく」
霞がアリスを別の寝室に案内して行くのを見送った快人はドアを閉めると、一息ついてベッドに背中から倒れこむ。頭の後ろで腕を組み、天蓋を見上げる。
(晩飯断った方がいいか……)
食事の心配をしていた。それだけ口に合わなかったのだ。
悩みながら窓へと視線を移す。山の中の上、周りは森ということもあり、かなり日が落ちている。
「ん?」
何かに気づいた快人が起き上がり窓に寄る。
「桜……?」
外には、四つの荘に囲まれた中庭の中央にガラスドームの植物園の中には桜が植えられ、その葉が桃色に染まっている。冬に咲く桜は存在するのでありえないことはないが、やはり季節外れのものなので気になった。
「あの桜って……ガキの頃、登った桜か?」
記憶が正しければ子供の頃に遊んだ桜に間違いなかった。
ある団藤家に快人・海里・来蔵の三人で泊まりに行った時のこと。
中庭で遊んでいると快人が度胸試しと桜を登り始めたのだ。
『かすみねぇちゃんこっち~!』
『快人様、あぶないですわ!』
『へいきだよ~!』
下でアワアワする霞にそう恰好つけてみせるが、案の定降りられなくなってしまった。
『うわーん‼』
『快人様がおりられなくなってしまったんです!』
『アハハ! まったく、快人! 大丈夫か!』
『おにいちゃん、だいじょうぶ~?』
『じいちゃん、たすけてー!』
『今降ろしてやるからな、少し待ってろ!』
霞が慌てて来蔵を呼びに行けば、大笑いしながら木から降ろしてもらった。
『まだまだ手がかかるな』
『ひっぐ、うえっぐ……』
『おにいちゃんのなきむしぃ』
『っ、うるさい……!』
『こらこら、まずは霞ちゃんに、ありがとう、だろう?』
『ぐすっ。ありがとう。かすみねぇちゃん』
『いいえ。快人様が無事でよかったです』
そんなことがあった後、帰る時になった。
『これをお持ちください』
『これなに?』
『お守りです。お父様がくださったもので、本当はわたくしが大人になった時に宝石を入れていただくはずだった物です。今はガラス玉ですが』
申し訳なさそうに霞はシルバーアクセサリーの桜のペンダントを手渡した。それは後に快人から優奈に渡すあのペンダントだ。
『ううん、いいよ!』
『快人様の無事を祈っておりますわ』
『ありがとう、かすみねぇちゃん!』
快人は昔のことを思い出して、照れくさそうに頬を掻いた。
「東条様」
「うおわぁ⁉」
気を抜いていたため、突然の声掛けに大声を上げる快人。
慌てて振り返ると相手はあの執事だった。相変わらず調子が悪いのか、青白い顔をしている。声もあまり覇気がない。体調不良のまま仕事をしているように見えた。
「驚かせてしまい、申し訳ありません」
執事はそれでも淡々と話す。
「……いや、こっちこそすいません。大声出して……。どうしました?」
「入浴の準備ができましたので、お声を掛けに参りました」
「入浴……あっ、風呂。あぁ、ありがとう」
「浴室へ案内いたします」
「えっ、ああ、いいです。たぶん屋敷を少し周った時に見えたんで」
「承知いたしました。それと
「晩飯? それは……いいや。後でアリスと街まで買ってくるんで」
「左様ですか。では、今日はゆっくりお休みくださいませ」
「あぁ、お疲れ様です。霞ね──霞さんは?」
「当主はクリスティーナ様をお部屋に案内された後、お疲れになったご様子で自室に戻られお休みになられています」
「そうか。どうも」
「何かありましたら、そちらにございます片側の紐を引いていただいたら、使用人が参りますので」
ベットの傍にはヨーロッパの貴族が使うような呼び出し用の紐が二本吊られている。
「では、改めまして、ごゆっくりお休みくださいませ」
「おやすみ」
執事が丁寧にドアを閉めると快人は再度紐を見た。
(随分と古風なことで……)
早速、入浴することにした快人は部屋の近くにあった浴室に入る。ここも内装は豪華であるものの資金難からかシャンプーとボディーソープが二、三本置いてあるだけで近場の銭湯とあまり変わらない。
(……苦しいんだろうな)
内情を察しつつシャワーを出すと手で湯加減を確認する。快人の顔が徐々に曇る。
「……
お気に召す温度ではなかった。不満もそこそこに頭と体をシャンプーとボディーソープで洗い流すと、浴槽の中に手を入れる。
「うわ、マジかよ……」
不満気な顔で浴槽に体を入れた。
「……温りぃ」
こちらも風呂とは思えない湯加減だ。快人が浴槽に付けられた蛇口をひねり、手を当てて温度を確認する。
「なんだよこれ、同じ温度じゃん……。体冷えちまうよ」
今は十二月末。長居できないと快人はカラスの
すると隣に別の浴室があり、そこからアリスが出てきた。妙齢の女性であるため風呂上りというのはある種の色気もあると思うが、当の本人が大層不機嫌そうだ。髪も満足に乾かせなかったらしく、頭に巻いたタオルからポタポタと水が滴り落ちる。
「どうだった?」
「……最悪よ。お湯は温いし、ドライヤーは壊れてるのか冷風しか出ないし。風邪引いちゃうわ」
口調からかなり苛立っているのが分かった。
「後で飯買いに行くか」
「えぇ。それより『モクモスモーク』と『フラッシュパーク』を貸して」
その二つは快人が持つ「ルパンビーグル」のことだ。モクモスモークは様々な効果の煙が出せ、フラッシュパークは電力を調節することで懐中電灯にもスタンガンにもなるアイテムだ。
「えっ、なんで?」
「ドライヤー代わりにするわ」
「そんなことできんのか?」
「いいから貸して」
ぶっきらぼうな様子に、これ以上何か言うとドヤされると思った快人がアリスを連れ部屋に戻ると、着てきたジャケットに入れていたルパンビーグル二つを渡す。
アリスが二台を連結した──ミニカーでできた簡易的なドライヤーのようになる。モクモスモークのつまみを触って風が出るように調整し、次にフラッシュパークの電力を流す。スモークの発射口から強風が出始める。
「おぉ、マジでドライヤーみたいだ」
「物は使いようよ。覚えておきなさい」
アリスは椅子に座るとフラッシュの電力変更用のつまみを触り、風力を変更しつつ髪を乾かしていく。
「あぁ、暖かいわ。やっぱりドライヤーはこれくらいの勢いが無いとね」
「じゃあ、髪乾かして着替えたら、飯買いに行くか」
「OK」
アリスの準備が終わったのはそれから一時間ほど経ってからだった。
「長ぇよ」
廊下を歩きながら快人がアリスに文句を言う。
「女はお色直しに時間がかかるのよ。それくらい彼女持ちなら知ってるでしょ」
「
「それでもよ。女はいつでも美しく見せたいものなの」
「マスクで隠せよ」
快人がぶつくさと文句を言いながらエントランスの扉を開けた。
「うぉっ!」
「さっぶーい!」
ドアを開けた二人の顔を冷風が掠める。改めて言うが今は十二月の末だ。しかも山間の森の中、外気温は零度以下なのは間違いない。
だが部屋に戻っても、親戚とは言え他人の家である以上、今さら食事を出してくれとも言い辛い。しかも今日一日まともな食事を取っていないため、空腹を誤魔化すのも厳しい。
「快人。一人で行って来てよ。欲しいもの言うから」
「嫌だ。それに言ったもんがあるか分かんねぇだろ。行くぞ」
「えぇー! 寒いー!」
快人は嫌がるアリスの手を強引に引いて外に出ると、急いで階段を降り駐車場のゴルドルパンに乗り込んだ。
「ふぅー、暖かいわ」
すぐにつけた暖房が効き出し、アリスが嬉しそうだ。
「イライザ」
快人がイライザを呼び出す。モニターに明かりが付き水色の半透明なアバターが表れる。
「はい」
「一番近いコンビニまで頼む」
「承知しました。ゴルドルパン発進」
エンジンが動き出すと、自立して目的地に向けて走り出す。そして、ゴルドルパンが開け放たれた門をくぐったところで快人がアリスに問い掛けた。
「ところで、朝飯どうだった」
「彼女の前では言えなかったけれど──とてもじゃないけど食べられたものじゃなかったわ」
「俺もだ。スープは生温いし。具は生煮えだった」
「パンも触ったんだけど、硬かったわ」
「俺が言うのもアレだけど、あの屋敷なんか変だよな」
「えぇ、私もそう思う」
料理だけでなく頻繁に辺りを気にしていたことも、その言葉の意味に含まれている。
「……でも、霞ねぇさんは」
「普通に食べてたわね」
「どうなってんだ?」
意気揚々と仮面の男──ジャックに関連するヒントを探しに来たはずが、異変が続きすっかり気落ちしてしまった二人。その後、何事もなくコンビニに着くと
二人が部屋に続く廊下に着いた時には、アリスはすっかりくたびれて口を手で隠しながら
「おやすみ、もう寝るわ」
「化粧落とせよ」
「分かってるわよ……」
眠たそうに手を振ると当てられた部屋へと戻っていった。
(明日も早いし、寝るか)
快人も部屋に入ると寝間着に着替えベットに潜り込む。
(まだここに着いて一日目だけど……あんまり
明日からどうするべきか──そんなことを考える間もなく、早々に寝息を立て始める。
だから窓の外を黒い影がいくつか横切ったことに気がつくことはなかった。