小説 仮面ライダールパン   作:竜・M・美日

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 人生は一言では言い表せない。


第16幕 一生/東条来蔵という男

 東条来蔵は一九三〇年代の半ば頃に東京で生まれたと言われている。

 本人でさえ定かではないのは、彼が生まれた直後に孤児院に預けられたためだ。

 ここで十歳になった頃には、祖国である大日本帝国は第二次世界大戦の敗戦間近だった。

 連日のように米国の爆撃機が空から現れては主要都市に爆撃を仕掛ける。

 現代よりも生死が隣り合わせの日々だった、三月のある日。来蔵は些細なことで友人と喧嘩し、それを(とが)めた──子供達から人気があり、また結婚間近だった──女性職員に腹を立てると家出をした。

 家出といっても、そう遠くない所に掘られた防空壕の中に侵入し、ふて寝をすること──それが彼の運命を変えたのだ。

 来蔵は甲高いサイレンの音が耳に入ったことで目を覚ます。空襲警報だ。

 それをかき消すように外から響いてきた大きな爆発音と共に、大勢の人々の悲鳴が聞こえ始める。

 防空壕の中から出てみれば、真夜中にも関わらず外は電気がなくとも明るかった。見慣れた東京の街は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 この日は三月十日。東京に対する空襲で一番の被害が出たと言われる東京大空襲が発生した日であった。

 偶然にも助かった彼は急いで我が家である孤児院へ走った。しかし周りは火の海、すぐそこであるにも関わらず近づくことが出来ず、朝日が昇った頃になんとか辿り着けば、昨日まではあったはずの孤児院は焼け崩れていた。

 呆然となりながら見渡せば、ふと爆発の衝撃で吹き飛んだのか、いくらか綺麗なままの残骸の下に、太陽の光を反射する銀色の指輪を()めた腕が飛び出していた──ピクリとも動かなかった。

 まだ十歳の来蔵は泣き続けた。一瞬にして家、友、すべてを失った喪失(そうしつ)感に(さいな)まれつつ──彼は生きた。生きるしかなかった。

 唯一、生き延びた者として、すべてを投げ出して終わることは彼のプライドが許さなかったのだ。

 日々、誰かの食べ物や金銭を盗んでは、その日を生き抜いた。

 

 それから五カ月が経った暑い夏の頃──日本は戦争に敗北した。

 その知らせを聞いた周囲の大人達が涙する中、来蔵はそんなことを歯牙(しが)にも掛けずに生きるために盗みを働いた。

 この日の目標は身なりがある程度整った紳士の握り飯だった──気づかれてしまい捕まってしまった。

 こうなった場合は大抵、殴る蹴るの暴行を受けるのを覚悟していたが、いつまで待っても手を出されない。不思議に思って目を開けてみると、そこには生気を失ったなんとも陰気な印象を受ける紳士が何もせずにいた。

 ジッと来蔵のことを見ている──握り飯を差し出してきた。不審に思いつつも、それを奪い取るようにして無心に頬張る。その様子を紳士は感慨深げに見ていた。

 これが来蔵と団藤霊璽の初対面となった。

 

「……君、名はなんと言う……?」

「……らい、ぞう」

 

 それから二人は二言(ふたこと)三言(みこと)話した後に、なぜか来蔵は誘拐にも近い形で団藤邸に連れてこられた。

 あっちこっちから盗ってきた薄汚い服から立派に仕立てられた洋服に着替えさせられると、あれよと言う間に書生、なおかつ末娘であるクラリスのお付きということになった。

 当時、食事さえ満足に取れれば、なんでもよかった来蔵にとって団藤邸での暮らしは──書生としての作法や礼儀を厳しく仕込まれつつ──極楽のような場所だった。なおかつ美少女の傍にいられるというだけで、さらに力が湧いてきた。

 一方のクラリスも引っ込み思案(じあん)ゆえに直接言葉に出せずとも、その人柄に引きつけられていった。

 活発な来蔵と内気のクラリス。正反対の二人だからこそ()かれ合うのは、必然だったのかもしれない。

 それから二年ほど経つと一人の男が現れた。団藤から友人だと紹介されたその人物は、ジャックと名乗った。

 来蔵の第一印象は「あからさまに胡散臭い男」だった。

 団藤との会話の端々(はしばし)から聞こえてくる「異世界」だの「眼魔」だの「眼魂」だのと聞いていれば、警戒すべき相手だと思っていたが、一方でクラリスはジャックに(なつ)いている。ジャックにクラリスを取られたようで、それも気に食わない理由の一つだった。

 対してジャックの方はやたらと来蔵を気にかけていた──ちょっかいを掛けていたという方が正しいのかもしれないが。

 

「貴様、名は?」

「来蔵」

「よろしく頼むぞ。子倅」

「……子倅と言うな」

 

 だが日が経つにつれて子供特有の純粋さからか警戒心は案外すぐに薄れ、「得体の知れない相手」から「軽口を叩く相手」ほどには二人の仲も改善されていった。

 団藤霊璽が失踪したのは、そんな中でのことだ。

 突然の当主の蒸発に団藤家一同は騒然となったが、若くして二代目当主となったクラウドは普段の気弱さはどこにいったのか冷静に判断を下していった。その変貌ぶりに団藤家は驚きつつも、華族廃止などによる時代の流れと共に自らの身の振り方を考えることになった。

 先を見据えて見限る者もいれば、忠義のために残る者もいた。来蔵とジャックはそれぞれの考えから残ることになった。

 それから生活すること、さらに数年が経ち、来蔵は当時では十分働き手になれる年齢になっていた。

 クラリスとの仲はほとんど屋敷中の人間に周知されていたものの、落ち目となった団藤家の財政の手助けのため出稼ぎに出ることになった。

 

「お嬢様。必ず戻って参ります」

「来蔵さん。ずっとお慕いしております」

 

 互いにまだ成人とは言えないながらも、しっかりとした面持ちで再会を約束した二人。

 

「クラリスのことは私が必ず守ろう」

「お願いいたします」

 

 来蔵はジャックに愛する人を任せて、復興が形になってきた東京へと意気揚々と繰り出した。

 だが時勢柄、なかなかよい働き先が見つからない──いや、仕事は見つかるのだが、自分の寝食代が十分な程度で団藤家を援助するには足りなかった。

 団藤家──特にクラリス──を守るためには、もっと大きな仕事で稼ぐ必要があると考えていたが、当時の来蔵で成し遂げるのは困難を極めた。

 途方に暮れた来蔵の目に入ったのは、街を行き交う裕福な人々──ある考えが頭を(よぎ)った。来蔵は盗みを再開することを決意したのだ。

 その時、たまたま目に入ったのが、屋台が建ち並ぶ飲屋街で飲んでいる、いかにも羽振りが良さそうな人物。ズボンのポケットから革製の高級そうな財布が見えた。

 来蔵は人混みに紛れながら、久しぶりにも関わらず自分でも上手くやったと思うほどの手(さば)きで財布をスると、(ゆう)々とその場を離れる。

 やったことに罪悪感がないとは言えなかったが、愛する人のためなら、と思えばどんなことも出来ると思った。

 飲屋街の出口までもう少し──足首に何かが巻きついた。

 

「……えっ?」

 

 蛇にも見えたそれは黒革の一本鞭だった。

 訳が分からずキョトンとする来蔵──そのまま足を勢いよく引っ張られる。

 

「うわぁ⁉︎」

 

 盛大に砂利だらけの地面に倒れ込んだ。

 

「人の財布を盗っておいて、『はい、さよならよ』か?」

 

 シルクハットを被った男は鞭を巻き取りながら近づき、来蔵の襟首を摑んで持ち上げると顔を突き合わせた。

 男はガタイがよく、また表情は(ひょう)々として摑みどころがなさそうに見える人物だ。

 

「離してくだ──離せよ!」

「よくもまあ寸法の合う服を見つけたもんだ。それともいいとこのお坊ちゃんのおイタか?」

「そんなんじゃ、ねぇよ……。とにかく離せよ!」

「財布盗まれて、そうはいくか。ちょっとツラ貸せ」

 

 そう言われると、来蔵は大衆の面前の中で引きずられていく。

 残念ながら助けの手を差し伸べてくれるような奇特な人物はいない。我関せずか、見せ物のように笑って見ているだけだ。

 そのまま来蔵は男に連れられ、何処かへと引っ張られていくのだった。

 

 途中から抵抗を諦めた来蔵は、市外に建てられた大きな仮設テントの一つの中に押し込まれる。

 チラリと建てつけられた看板にはサーカス団と銘打っている。そこで来蔵は全国を行脚し、大盛況のサーカス団があると新聞に載っていたことを思い出した。

 そして、控え室らしき所で強引に椅子に座らされる。

 

「さて、と」

 

 男がテーブルを挟んで反対側の椅子に座る。その顔はどこか嬉しそうだ。

 

「お前さんをどうしてくれようか」

 

 品定めをするような目で見られる来蔵は状況が理解出来ず困惑するばかりだが、男は気にすることもなく話を始めた。

 

「お前さんには二つ道がある。『このまま警察に突き出される』か」

 

 それは来蔵も覚悟していた。クラリスや団藤家の人々にどう顔向けするべきか、と悩み続けていた。

 完全に意識が上の空になっている来蔵に向けて男は咳払いする──ハッと気がついたのかその目が男に向く。

 

「それで、もう一つの方だが。『俺たちの仲間になる』かだ」

「……は?」

 

 唐突な提案に間の抜けた声を出す。

 

「お前さんには盗みの才能があるはずだ。まだまだ荒削りだが、(みが)けば光る」

「は、はあ……」

 

 男の言葉の意味が分からない来蔵。

 

「お前さんは新聞を読むか?」

「……まあ、人並みには、機会があった」

「『全国の金持ちの家に盗みが入った』っていう記事に見覚えはあるか?」

「そういえば、何度か」

「実はあれはな。『俺たち』の仕業(しわざ)だ」

 

 男は相変わらず嬉しそうな表情のまま話す。

 

「はい?」

「表の顔はサーカス団として全国を回りつつ、裏では(おの)々の技術を()かして金持ちから金品を盗み、それを金に換えて貧しい人々に配ってきた。よく言えば義賊団、悪く言えば盗賊団だ」

「そう……そうだったのか」

 

 突然の告白に来蔵は面を食らい、とりあえず頷く。

 当時としては見事な隠れ(みの)だっただろう。

 

「そこで、だ。お前さんを俺たちの仲間に加えたい」

「なぜ?」

「お前を俺の後継者にしたい」

「は⁉」

 

 驚く来蔵に対して、男は神妙な顔つきになる。

 

「俺は思うんだ。今の時代には俺たちみたいな連中が必要だ。一部だけじゃなくて、より大勢を笑顔にする連中がな」

「そのためのやり方が……盗みだった?」

「真っ当なことで出来れば、とっくにそれをやってるさ。だが、この世には手を汚さないと、やっていけない連中がごまんといる。俺たちの場合は盗みだっただけだ」

「それが俺がアンタの跡を継ぐことと、なんの関係が!」

「お前は昔の俺に似てる。大切なものを守りたくて仕方ない、って目だ」

「……!」

「俺は守れなかった……。それに俺ももう歳だし、子供もいない。だが、そろそろ隠居したい」

 

 そう言って自嘲気味に笑う男を来蔵は改めて見て、少し物思いに(ふけ)る。もしかしたら、これが未来の自分の姿なのだろうか、と思ったのかもしれない。

 

「どうだ、やってみないか?」

「……もし、俺が断ったら?」

「警察に突き出して、ちっぽけな可能性に賭けて次を探すだけだ」

 

 その言葉に来蔵はフッと笑った。

 

「警察が来たら困るのはそっちもじゃ?」

「だからこそ、互いに黙って頷けば話は丸く治まるってわけだ」

「……大金が手に入るのか?」

 

 今の来蔵にとって、そこが一番重要な問題だった。

 

「相手によっては取り分は少なくないが、お前さんは新米だからな。いきなり多く、とはいかん。が、このサーカス団は実力主義だ。お前が俺の見立て通りなら一年ぐらいで、サーカスも盗みの技術もものに出来るだろう」

「なんで、そこまで俺を買ってるんだ?」

「俺はこう見えて人を見る目はある。だからここまでのサーカス団を作って団員を集められた」

「……(いばら)の道だな」

「間違いなくな。一度、舞台でも、盗みでも、前に出れば後には引けない」

 

 つまり犯罪者になる覚悟があるのか、という問いだった。

 来蔵は目を閉じる。(まぶた)の裏にはクラリスの笑顔が浮かぶ。

 彼女は喜ばないかもしれない。だが、このままでは団藤家が破滅の一途を辿るのは明白だった。

 

(俺がなんとかするしかない)

 

 来蔵は目を開くと、男に向かって頷いた。

 

「……分かった。やるよ」

 

 男はその言葉に先ほどよりずっと嬉しそうな笑みを見せる。

 

「やっぱりな。俺の目に狂いはなかった。ところでお前さん、名前は?」

「おっと、相手の名前を聞く時は、まず自分から名乗るものじゃありませんか?」

 

 来蔵の慇懃(いんぎん)無礼な返しに男はついに大口を開いて笑った。

 

「アハハ! そりゃそうだ! 得体の知れない相手の下に、つきたい奴はいないわな!」

 

 男は笑うのを止めて立ち上がると、傍にあったマントを羽織りコウモリの翼のようだが華麗に広げる。

 

「俺はこのサーカス団の団長。『ゾルーク東条』だ!」

「ゾルーク東条……? 変な名前だな」

 

 ムッとするゾルーク東条。

 

「芸名に決まってんだろうが。それに、いずれお前が継ぐ名前だぞ?」

「いや、アンタの言う技術云々(うんぬん)はありがたいけど、その芸名だけは遠慮しとくよ」

 

 ともかく、と来蔵も立ち上がると手を差し出す。

 

「俺の……いや、私の名前は団藤来蔵です。以後お見知りおきを。『おやっさん』」

「『団長』だ。来蔵」

 

 ゾルーク東条もその手を握り、力強く握手を交わした。

 

「俺たちが(つむ)いできた伝説に偉大な『英雄』が加わった瞬間かもな」

「大袈裟(げさ)なことで」

「芸人は大袈裟ぐらいが丁度いいのさ」

 

 その夜から「東条サーカス団」に新たに入団した来蔵は、団員「魔術師団藤」として手品師の日々が始まるのだった。

 最初の頃は散々たる有様であったと言っていい。たとえ手先が器用な来蔵と言えども、手品のそれとは全く違う。一日や二日で習得出来るものではなかった。ほぼ毎日、休みなしの練習の日々だった。

 たまに休みがあったとしても、そこに盗みの仕事が入ってこなさなければならなかった。失敗も数えきれないほどした。仲間であるサーカス団員を何度も危機に(おとしい)れたり、足を引っ張ったり、酷い時には仕事自体が中断せざるを得ない時もあった。

 未来においてアリスの「修行」と称した快人と比べれば、道具もノウハウもなく雲泥(うんでい)の差だったことだろう。

 しかし、来蔵はどちらも諦めなかった。当時、まだクラウドは結婚していなかったため、自らが団藤家の後継ぎになる可能性があり、大黒柱となった場合、手に職をつけることは必須だと考えていたからだ。

 全国を回りつつ厳しい稽古の日々。そんな中を支えてくれたのは、仕事仲間の存在だった。

 団長や来蔵の他には、脱出マジックの奇術師や鏡を使った手品師、元満州(まんしゅう)出身の曲芸師、裏方には煙などの舞台演出者に、スポットライトなどの電気担当、眼鏡をかけた会計担当もいた。皆が気の良い仲間であった。

 もちろん、それだけではない。愛すべきクラリスとの──詳細は避けた──文通や電話も心の支えとなっていた。

 そうして厳しい日々に耐えたことで、来蔵も少人数の規模、もしくは子供相手であれば、十分に舞台を任せられる手品師になっていた。ゾルーク東条の見立ては正しかったと言えるだろう。

 そんな一団は全国を周り、いよいよ明日、来蔵の実家がある海東市近辺に着こうとしていた。

 丁度、来蔵の入団から一年という節目だったこともあって、慰労(いろう)を兼ねてテント内──サーカス用とは別──で記念の飲み会が開かれていた。

 久しぶりの恋人との対面を内心楽しみにしている来蔵は、事情を知っている仲間達から入れ代わり立ち代わり茶化されていた。

 そんな中、一人の団員が来蔵にある話を始めた。

 

「知ってるか? お前が団長の財布を抜いた時、団長は気づいてなかったんだぜ」

「えっ?」

「本当。俺たちが言うまで、全然気づいてなかったんだ。だから目を付けたんだよ。お前のこと」

「そうでなきゃ、あん時ズタボロに殴られてるさ」

「そうだったんですか……」

 

 明かされた事実に嬉しさから微笑みを浮かべる来蔵。

 そこに難しい顔をしたゾルーク東条が宴会場に入ってきた。会計役の夫人がサッと近寄り声を掛ける。

 

「……どうだった?」

「相変わらずだよ。何度断っても『入れ』の一点張りだ。(やっこ)さんは俺たちの才能を買ってるらしいが……どうも胡散臭い。ああいう手合いには関わらないに限る」

 

 察するに何やら困った状況に置かれているらしい。

 実のところ来蔵も以前からサーカス団が、ある人物から執拗(しつよう)な勧誘を受けていることは耳にはしていた。

 今日もその相手がやって来ていたらしい。

 

「俺たちは、俺たちでやっていく。だから時代が変わって泥棒稼業が出来なくなっても、食いっぱぐれないためにサーカス団もやってるんだ」

 

 そう言うと来蔵の真横に座る。

 

「なあ! 次期団長様よ!」

 

 バシン!──来蔵の背中を叩く。

 

「はい?」

「言ったろ。お前には『ゾルーク東条』の名前を継いでもらうってな。よし! 来月にはお前が次の団長だ!」

 

 あまりにも無茶苦茶な提案に来蔵があからさまに困惑している。

 

「何言ってるんですか。私にまだ早い──」

「俺直々の指名だ。文句あるか! なあ皆の衆!」

 

 ゾルーク東条の言葉に仲間達は意気揚々と「異議なし!」と持っていた酒瓶やコップを持ち上げて賛同する。

 その声にゾルーク東条はニヤリと笑った。

 

「アハハ! よぉし! 我らがサーカス団に湿っぽいのは似合わねぇ! 今日は飲むぞ!」

「おー!」

(やれやれ……)

 

 ただ一人来蔵だけが呆れる中、それぞれが自分のペースで飲み食いを続ける。

 深夜が過ぎた頃、ついに酒がなくなってしまった。

 

「んー足りねぇな……! 酒買ってこい! 来蔵!」

「えぇっ、私がですか? こんな時間に……」

「当然だろ! 主役が買ってきた酒を飲むんだよ!」

「どんな理屈ですか……。はいはい、分かりました、よ。おやっさん」

「『団長』と呼べ! まだ、今は俺が団長だ!」

「随分と都合のいいことで……」

 

 来蔵がため息をつきながら夫人から代金をもらい、宴会場であるテントから出て近場の酒屋へ走った──それが、命運を分けた。

 

「なんだよ。これ……」

 

 酒を買って戻ってきた来蔵は我が目を疑った。

 さっきまでいたサーカス団のテントが燃えている。

 近所からやってきたのだろう野次馬を押し退け、危険だと止められるのも構わず、急いでテントの中へと入る。

 内部は惨憺(さんさん)たる有り様だった。

 仲間が血(まみ)れ──皆殺しにされていたのだ。

 

「みなさん‼︎」

 

 ほとんど全員、事切れていたが、一人だけ瀕死の状態だが息をしている者がいた。

 

「とつ、ぜん……やつ、らが……。だんちょうが、おく……」

「分かりました……!」

 

 来蔵は看取ると涙を呑みながら、さらに奥のテントへと入っていく。

 そして、サーカス団の舞台用のテントで、来蔵はゾルーク東条を見つけた──が、たった今、この惨劇を起こしたと思われる、布で顔を隠す男に腹部を刺されてしまった。

 

「おやっさん‼︎」

 

 来蔵が叫ぶ。

 その声を聞いた男が来蔵を見ながら刺したナイフを引き抜く。

 凶刃(きょうじん)に倒れるゾルーク東条を尻目に、男は来蔵目掛けてナイフを投げつけた。

 

「っ⁉︎」

 

 咄嗟(とっさ)に避けた。たった今、自身の首があった位置に正確に突き刺さる。

 だが、男が間髪入れずに服の中からナイフを取り出し投げ続けるのを、来蔵も曲芸師仕込みの素早い身のこなしで避ける──不意に止んだ。

 

「小物は捨ておけ。行くぞ」

 

 どこからともなく男の声が聞こえると、ナイフの男は獲物を狩る狩人(かりうど)のような目をしていたにも関わらず、途端に興味なさそうに二人の前から去っていった。

 状況が飲み込めないまま、来蔵はゾルーク東条の下へ駆け寄り、抱き抱える。

 目は閉じ、口から血が流れ、腹部には血溜まりが出来ていて、一目で助かる見込みがないことが分かった。

 

「嘘だろ……。しっかりしてください! おやっさん!」

 

 ゾルーク東条はその声に気付いたのか、ゆっくりと目を開ける。

 

「ああ……来蔵か。俺たちとしたことが、下手を打っちまった……」

「誰がこんなことを……⁉︎」

「……ゼット……」

「『ゼット』……?」

 

 聞き覚えのない名称に困惑する来蔵。

 

「そんなことより……とんだ、襲名式になっちまったな……」

「何言ってるんです⁉︎ しっかりしてください! 今、外に連れ出しますから!」

 

 こんな時でさえ、薄ら笑いを浮かべながら軽口を叩くゾルーク東条に、怒りすら感じつつもなんとか運び出そうとする来蔵──その胸に自身の被るシルクハットを押し付けられた。

 

「えっ……」

「ちょいと、早くなっちまったが……。来蔵、お前を二代目『ゾルーク東条』に任命する……」

「何を……」

「俺たちの想いを、魂を、お前さんに託す。忘れるなよ、来蔵。人を笑顔にするのが、俺たちの仕事だ。そのためには、時に悪役になる覚悟も必要だ。分かってるな……?」

「おやっさん、でも、俺は──」

「男に二言はなし、だ……」

「……分かった──分かりました、団長」

「頼んだぜ……」

 

 ゾルーク東条はそう言うと安心したように息を引き取った。

 来蔵は無念の表情で目を閉じた──覚悟を決めた顔で立ち上がる。

 ここに「団藤来蔵」改め、ゾルーク東条を襲名した「東条来蔵」が誕生したのだった。

 

「団長──っ⁉︎」

 

 感慨に耽る間もなく、火に包まれた木材や鉄骨が頭の上に降ってきた。

 上を見ながら紙一重のところでなんとか避ける。

 この間、来蔵は仲間達の遺体も、道具も、思い出も、全てが灰燼(かいじん)に帰すのを、見ずとも感じ取っていた。だが、感傷に浸っている場合ではない。舞台の上に立っていた来蔵自身も火に囲まれてしまったのだ。

 

(どうする⁉︎ どうすればいい⁉︎)

 

 焦る来蔵だが、ふと託されたシルクハットの中を覗いた。何か入っている。

 

(これは……)

 

 中に手を突っ込み、それをズルズルと引き出す。先代の愛用していた黒革の一本鞭だった。

 すぐさま天井を見上げる。今にもテントが崩れ落ちそうだが、屋根の近くに空中ブランコが垂れ下がっていた。

 

(あれだ!)

 

 来蔵は即座に鞭を一度大きく伸ばすと、それ目掛けて振るう。しかし、後一歩届かない。

 火が迫る中、来蔵は慣れない鞭を振り続ける。そして何度目かの失敗の後、息苦しさから肩で息をする。

 

(駄目だ……届かない……)

 

 先ほど生き延びる約束したばかりなのに、心は折れかけ、希望を失いかけていた。

 

(ここで死ぬのか……?)

 

 諦めるように目を閉じる。

 

 ──飛ぶんだ。

 

 来蔵は目を開き周りを見た。誰かの──先代の声が聞こえた気がしたからだ。

 

 ──未来のために飛ぶんだ。来蔵。いや、ゾルーク東条! 最期まで諦めるな!

(団長……!)

 

 気合いが入った来蔵はシルクハットを被ると鞭を握る手に力を入れる。絶望的だが、まだ終わってはいない。

 来蔵は一つ深呼吸をした。瞼の裏に自分を育ててくれた仲間達の顔が浮かぶ。そして、最後に映ったのは愛する人の笑顔だった。

 

(俺には待ってくれてる人がいる)

「こんなところで……」

 

 少しでも距離を取る。そして、

 

「死ねるかぁあああぁぁっ‼︎」

 

 炎に向かって思いっきり助走をつけて飛ぶ──渾身(こんしん)の力で鞭を振るう。空中ブランコに鞭の先端が巻き付いた。

 

「いっけえぇぇ‼︎」

 

 来蔵は燃え盛る炎の上で宙を舞う。

 ブチッ──ブランコが千切れる音がすると、来蔵は遠心力でそのままテントの外に投げ出され、ゴロゴロと地面を転がると、(すす)だらけの体を抑えながら立ち上がる。

 その直後、サーカス団のすべてのテントが完全に焼け落ちた。

 

(みんな……)

 

 何もかもを燃やし尽くす炎を見ながら来蔵が犠牲者達のことを想っていると、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。

 

(お世話になりました)

 

 この場に居てはややこしくなると思ったのだろう、後ろ髪を引かれつつも足早に立ち去る。

 来蔵が姿を隠した後、警察や消防が到着し、消火活動に当たっていく。

 こうして人気絶頂の東条サーカス団は原因不明の火災による団員全員死亡で、突如終わりを告げたのである。

 

 幸い団藤邸までは遠くはなかったが、来蔵が森深い山道を通り抜け、館が見えてきた頃には夕方になっていた。

 荒い息をしながら団藤邸の玄関を開ける。

 エントランスには団藤家の人々が集まっており、そこには泣き崩れているクラリスとそれを慰めるクラウド、そして傍観に徹するジャックの姿もあった。全員が振り返る。

 来蔵は息を切らせつつ、薄ら笑いを浮かべながら言った。

 

「……ただいま、戻りました……」

 

 クラリスは顔を見た途端、大粒の涙を流しながら駆け寄り抱きつく。

 この時の来蔵は内心、恋人が二年弱前とは見違えるほど美しく成長していたことに驚いていた。

 

「……お嬢様」

「今朝の新聞で『サーカス団の全員が焼死』と書かれていたから……。もう、会えないものだと……」

「……私だけが生き残りました」

「来蔵様……よかった……」

 

 来蔵も抱き返す中、当主であるクラウドが近寄ってくる。

 

「来蔵君。無事でよかった。いろいろ積もる話もあるし、疲れているだろうが、まずは私の書斎に来てくれないか?」

「分かりました」

 

 使用人達やジャックに見送られ、来蔵は泣きじゃくるクラリスの肩をしっかりと抱きつつ、クラウドによって青龍荘二階の当主の部屋に通された。

 そのまま座るよう指示され、手近な椅子に腰掛ける。

 二人が座るのを見てクラウドも席につく。

 

「さて、来蔵君。ここなら邪魔は入らないだろう。話したいことがあるならば話してくれ」

「では、失礼ながら──お嬢様。大切な話があります」

 

 なんとか落ち着きを取り戻したクラリスの手を握り、向かい合った。

 

「はい」

「私はこの家から出ていきます」

 

 その言葉にクラウドは探るような目をする。

 一方でクラリスは目尻に残っていた涙を拭うと、一転毅然(きぜん)とした目つきで来蔵を見た。

 

「どうしてですか?」

「私はここにいる資格のない人間だからです」

 

 実は来蔵は団藤家に帰ってこられたならば別れを切り出そうと考えていた。犯罪者になった自分がいては迷惑が掛かると思ってのことだ。

 

「サーカス団が盗賊団だったからですね?」

「……ご存知だったのですか」

「あなたが日本中を回っているのと同時期に、同じ場所で窃盗事件が起きれば、察しはつきます」

「相変わらず聡明(そうめい)な方ですね。ならば尚更──」

「嫌です。私は、あなたの隣に居させてほしいのです」

 

 再び来蔵の胸に頭を(うず)めるクラリス。

 

「クラリスお嬢様……」

 

 抱きしめようとする──が肩を摑むと引き離す。

 

「いえ、あなたには綺麗なままでいてほしいのです。私のように汚れてはいけません」

 

 クラリスは首を振った。

 

「いえ。私は既に(けが)れきっています。少し前に父が行った恐ろしい事実を知ったのです」

「『恐ろしい事実』ですか……?」

「来蔵君。父が不老不死の研究に入れ込んでいたことは知っているね?」

 

 その疑問にクラウドが尋ねると来蔵は首を縦に振った。

 

「あくまで噂程度に、ですが……」

「父は私たちには秘密で地下室を作っていた。そこで、おそらくは何人も……」

 

 クラウドは──快人達も目撃した──地下の惨状を見たのだろう。苦々しい表情を浮かべた。

 

「それが、つまりお嬢様の『血が穢れている』と言うことですか?」

「……知らなかった、で済まされる罪ではありません。父がやったことを(あがな)えるのは今では私たちだけです。来蔵様、私も罪人なのです」

「お嬢様……」

「私は父の事情を知った時、犠牲になった方には申し訳ありませんが……嬉しかったのです。同じ罪人になれたことに。あなたと一緒に地獄に落ちられるからです」

 

 血筋からだろうか、ある種の究極の愛情とも、狂気とも、覚悟ともとれる言葉を紡いでニコリと笑うクラリスに、来蔵は目を伏せると呆れたように笑った。

 

「クラリスお嬢様──いや、クラリス。最期の瞬間まで、俺の宝になってくれるか?」

「はい。私はどんなあなたでも愛します。普段のあなたも。泥棒のあなたも」

「分かった。ただ、きっと結婚は出来ない。貧しい人々のために盗みを止める気はないし、それにこれからは団藤来蔵ではなく、ゾルーク東条として生きていく。逮捕されたら迷惑が掛かるからな。それでもいいのなら──」

 

 来蔵が並び立てる忠告はクラリスの口付けによって止まった。

 二人はしばしの沈黙の後、顔を放し、どちらともなく頷く。

 

「分かった。もう何も言わない」

「はい」

 

 そこでクラウドが手を一つ叩いた。二人の目線がクラウドに向かう。

 

「よろしい。両人が事情を承知したところで、来蔵君。我が一族の話になるが」

「はい。団藤家の当主の件は──」

「あぁ。それに関しては、引き続き私が引き継ぐつもりだ」

「えっ? 失礼ながらご当主様は奥方(おくがた)様がおられないはずでは……」

「屋敷の中で好きあっていたのは、お前たちだけではなかったということさ」

 

 つまりクラウドもこっそりとメイドと交際していたのである。もちろん先代の霊璽が生きていれば間違いなく反対されただろうが、その心配はもはや無用だった。

 

「なるほど。しかし、そうなると金銭面が……」

「来蔵君。実は、私は団藤家の資産を(なげう)つ気でいる。戦後の復興に勤しむ海東の街の貧しい人々のため。ひいては父の犯した罪に対する贖罪(しょくざい)のためにだ」

 

 その提案に言葉に出さずとも仰天する来蔵。

 クラウドは家を潰す覚悟なのだ。未来における霞達の商才がなかったという憶測は間違いで、そもそも財産を残す気自体、彼には毛頭なかったのである。それでも、なんとか細々と生きていけるだけの財産と屋敷は残したようだが。

 

「政府に大部分を没収されたが、家にはまだ資産がある。父の蒐集(しゅうしゅう)品や家具、必要ならば屋敷も売ろう。二束三文にしかならないかもしれないが。それに君への支援もしなくてはならないしね」

「……私への支援?」

 

 クラウドの言葉だけでも驚いていた来蔵だが、そこにクラリスが補足する。

 

「兄と話をして決めました。来蔵様の、いわゆる『泥棒稼業』の支援です」

「よろしいのですか?」

「いいんだ。君の活躍が我々の活力となる。そして、これが餞別(せんべつ)だ。受け取ってほしい」

 

 クラウドは立ち上がると机の上に、背丈ほどのマントと陶器のような仮面。そして一つの箱を置く。

 

「これは……」

「怪盗には、帽子にマント、仮面が必需品です」

 

 笑みを浮かべるクラリスにそう言われ、来蔵は抱えていたシルクハットを被り直すとマントを羽織った。

 

「うむ。似合っている。先代が生前に愛用していたものだ。特注品だよ」

 

 続いて仮面を手に取る。

 

「それは父の蒐集品の中にあったものでね。どんな(いわ)れがあるかは分からないが……顔を隠すのに都合がいいだろう」

 

 そして、最後に箱を開けた。

 

「これは……」

(くだん)の地下室で見つけた。察するにドイツ軍人から父への贈り物だろう。これからは荒事(あらごと)と関わることも多くなるはずだ。用心として持っておくといい」 

 

 箱の中身を摑むと慎重に取り出す。それは金色に輝くルガーP08。後の来蔵の愛銃だ。

 

「ありがとうございます」

 

 来蔵がもらった物をスーツの中に仕舞っていると、クラリスが恥ずかしそうに声を掛ける。

 

「それでは、私からは……名前を」

「名前?」

「仕事用の名前と言いましょうか……」

「それなら『ゾルーク東条』という名前があるが?」

「いえ、怪盗としての名前です」

 

 要領を得ない来蔵にクラウドが苦笑いする。

 

「ずっと考えていたらしい。聞いてやってくれ」

「その……私が探偵小説が好きなのはご存じでしょう?」

「あぁ」

「ですから来蔵様には、憧れの義賊を超えて欲しいとの願いから……『怪盗アルティメット・ルパン』という名前を考えました」

「『怪盗アルティメット・ルパン』……」

「い、嫌ならいいのです……!」

 

 顔を真っ赤にするクラリスだが、来蔵はその名を何度か反芻(はんすう)すると頷いた。

 

「いや、いい名前だ。使わせてもらう」

 

 こうして話がまとまったところで、クラウドは再び手を叩く。

 

「それでは、来蔵君。君はこれからどうするつもりだ?」

「ある男を追いかけつつ全国を回るつもりです。仰っていたように、時には悪漢(あっかん)と戦うこともあるかもしれません」

「そうなれば、まだ君一人で仕事をするのは、(いささ)か危険ではないか? 誰か護衛に──」

「俺がついて行こう」

 

 部屋の扉が開きジャックが入ってきた。

 

「ジャックさん?」

 

 クラウドが驚いている。

 

「盗み聞きするつもりはなかったが。事前にこういう状況に(そな)えて頼まれていてな」

 

 そう言ってクラリスをチラリと見た。それで察したクラウドがため息をつく。

 

「武術の覚えもある。しばらく俺がこの子倅の面倒を見よう」

「そりゃどうも」

 

 その提案を来蔵は不承(ふしょう)不承(ぶしょう)の様子で飲んだ。

 

「改めて、よろしくな。子倅」

「『子倅』じゃない。今は『ゾルーク東条』だ」

 

 来蔵が手を差し出す。

 

「いいだろう。ゾルーク」

 

 ジャックもその手を握り返す。こうしてゾルーク東条は心強い最初の相棒を得たのだった。

 その後、来蔵は休息を兼ねて一カ月ほど滞在し、クラリスと片時として離れず寝食を共にした──ただし年齢のこともあり二人に子供が宿るのは十年以上先のことになる。

 

「俺は必ず一人前になって帰ってくる。その時、君が成人していたら結婚しよう」

「はい。私はいつまでも来蔵様を想っております」

 

 一カ月後、皆に見送られながら団藤邸を出た来蔵とジャックは本格的に怪盗としての活動を始めることになった。

 盗みの技術はあるが喧嘩慣れしていない来蔵と、武術の心得はあるが盗みのノウハウはないジャック。

 このデコボココンビは日本各地で悪事を働いていた人物達と相対しつつ、それぞれに経験を積んでいった。目的は貧しい人々の救済と共に「ゼット」と呼ばれる男の行方、だが分からないままだった。

 しかし、たった数年の間に二人の名声──どちらかというと表に出たゾルーク東条こと怪盗アルティメット・ルパンの名──はいつしか日本全国に広がっていた。

 そんな日々が十年は続いた頃、ジャックは一人前になったと認めると報告のため眼魔世界に帰り、来蔵は一人での活動が増え、クラリス達はルパンの名前が新聞に載るたびに喜んだ。

 その一方でもちろんそれを喜ばない人間達もいた──警察である。

 

「おのれルパンめ! 今日こそはお縄を頂戴しろ!」

「これは、これは。蟹丸警部。お早いお着きで」

 

 ある盗みの現場でルパンに対して怒りを(あら)わにするのは、警視庁の中でも名物警部と呼ばれた警察官、蟹丸警部だ。

 彼は怪盗アルティメット・ルパンの最初の事件を担当してから、その逮捕に執念を燃やしていた。

 怪盗と警察。気づけば十数年の追跡劇の末、二人は時に騙し騙され、時には共に悪人達を退治していく内に、いつしかルパンは警部を好敵手と呼び──警部は認めるのは嫌がった──ある意味一番の理解者とも言える存在となっていたのだ。

 

 さて、時はアメリカが人類初の月面着陸を成功したと世界中が賑わう夏の日、団藤邸に来蔵とジャックが偶然同じタイミングで帰ってきた。

 すると二人はクラリスから「来蔵との子供が出来た」と打ち明けられたのだ。

 度々、帰ってきてはクラリスとの愛を育んでいた来蔵だったが、ついに二人の子供が出来たことを喜ぶと、あることを切り出す。

 

「もう俺も怪盗として一人前になった。そして、今は父親になろうとしている。クラリス、長いこと待たせたな。結婚しよう」

「はい。この日が来ることを夢見ておりました」

 

 数日後、団藤邸で家人だけでささやかな結婚式を挙げることになった。

 夫となる来蔵と妻となるクラリス。そして仲人(なこうど)を任せられたジャックの三人は、結婚式の準備が終わるまで中庭のガラス張りの植物園を周っていた。

 

「相変わらず、ここの桜は長く咲くな」

「そうですね。特殊な桜なのかもしれません。『桜の下には……』と言いますし」

「……どういう意味だ?」

「気にしなくていいさ」

「あっ! 新郎新婦様! いいところに!」

 

 呼ばれて見てみると結婚式のカメラマンが向かってくる。

 

「カメラの試しを兼ねて、記念に一枚いかがですか?」

 

 断る理由もない二人は快諾(かいだく)した。

 そこで二人から離れようとしたジャックだったが、「お前も入ったらどうだ?」と来蔵が呼び止めた。

 

「えぇ、大丈夫です。魂は取られませんから」

「なんの話だ?」

「クラリス……。昔の迷信だ。ほら早く入れよ。時間ないんだから」

 

 そして、クラリスを間に挟むような形で、両隣に来蔵とジャックが立つ──シャッターが切られた。

 

「ありがとうございます! そうそう。そろそろ準備が終わるそうなので、朱雀荘のお庭にご集合ください」

「分かった。行こうか」

 

 三人は花畑と湖が広がる朱雀荘の前に、簡単に作られた建物に向かう。

 秘密裏のためゲストも身内しかおらず、神父役は長男のクラウドだ。

 一通りの流れが終わった後、指輪の交換となった。

 ここで来蔵がジャックに目配せする。ジャックは(しぶ)るような顔をして小声で尋ねた。

 

「本気か?」

「いいから渡せって」

 

 ジャックは首を(かし)げながら、懐から取り出した物をクラリスに渡した。

 

「えっと、これは?」

 

 クラリスもキョトンとしている。

 渡されたそれには円柱の側面に五列のアルファベットが並んでいた。

 

「クリプテックスと呼ばれる暗号機だ。ある時、助けた相手から貰ってな。この中に──」

「ルパーン! 何処だー!」

 

 そこに蟹丸警部の声が響く。

 全員がギョッとする中、来蔵だけが苦笑している。

 ジャックが睨みつけた。

 

「ゾルーク。貴様まさか……」

「いやぁ、警部にも送ったんだよ。予告状、もとい招待状」

「あっ、見つけたぞルパン!」

 

 蟹丸警部は肩で息をしながら来蔵達の前に着くと招待状を突きつけた。

 

「大丈夫かい? 蟹さん?」

「お前に心配される筋合いわないわい! それよりなんのつもりだ!」

「書いてある通りさ。今日、俺は結婚するから、警部をゲストとして呼んだんだ」

「ふん。なら俺からは祝儀として、お縄をくれてやる!」

「それは困るなぁ」

「……えっ、えっ。じゃあ東条さんが、あの、怪盗アルティメット・ルパン⁉︎」

 

 そんな二人のやりとりを見たカメラマンがやっと状況を理解し始めたようだった。目の前の人物が、今世間を賑わせている英雄であることに。

 

「あぁ。そうだ」

「い、一枚いいですか⁉︎」

「構わないぞ。少し待ってくれ」

「えっ?」

 

 全員が驚きの声を上げる中、息をするようにあっさりと正体をバラすことを来蔵が承諾して身なりを整えていると、クラリスは不安そうに(そで)を摑む。ジャックは理解出来ないという顔をし、蟹丸警部も騒ぐのを止めて事の成り行きを見ている。

 

「よろしいのですか?」

「いいんだ。もし俺の身に何かあったら、お腹の子には、この写真の男が父親だと伝えてくれ」

「来蔵様……」

 

 クラリスはその言葉で夫となる人物の行く末を悟り、覚悟を決めた顔で頷いた。

 来蔵はシルクハットを被る──ゾルーク東条に成り代わるとカメラを見る。カメラマンが緊張した面持ちでシャッターを切った。

 この写真が半世紀近く経った後に、泊進ノ介達がゾルーク東条の正体を知る写真となる。

 撮り終わるなり来蔵はクラリスと向き合う。

 

「ヒントは『英雄』だ。君なら簡単だろう」

 

 そう不敵に笑うと口付けし、仮面を被る。怪盗アルティメット・ルパンは自分の胸に手を当て、芝居じみた敬礼をした。

 

「では、クラリス嬢。私はこれにて退散いたします。機会があれば、またお会いいたしましょう」

 

 続けて蟹丸警部を見た。

 

「警部。予告していた『この世に二つとしてない至宝』は確かに(いただ)いた! さらばだ!」

 

 ルパンは高笑いしながら、頭を抱えるジャックを連れて式場から逃げ出すと、一応用意してあったブライダルカーに乗り込んで去っていった。

 

「あっ、待てー‼ ルパン‼」

 

 腕を振り上げ大声を上げる警部の隣で、クラリスはクリプテックスを(いじ)る──あっさりと開いた。

 

「まぁ……!」

「んっ⁉︎」

 

 クラリスの英雄である「LUPIN」に合わせた、中に入っていた物を取り出す。

 桜の形をした──中央には窪みがあるだけのシルバーのアクセサリーと言っても違いない──結婚指輪が入っていた。おそらく宝石など外見が高価なだけでは喜ばないと思ってのことだろう。

 クラリスはそれを人差し指に通して、それを見ながら微笑む。

 

「来蔵様……」

「……奴め、またもや宝を盗みよって……!」

「あの方は何も()られませんでした。確かに泥棒ですが……いい方ですわ」

 

 擁護するクラリスに警部はこう言い放つ。

 

「それは本官も存じております。しかし、奴は確かに盗んでいったのです!」

「えっ……?」

「『あなたとの一生』であります!」

 

 その言葉にハッとしたクラリス──眩しい笑顔で頷いた。

 

「それではお騒がせいたしました、『東条夫人』! 本官は『ルパン』を追わねばならぬので、失礼いたします!」

 

 蟹丸警部は綺麗な敬礼をすると隠していたパトカーに乗り込む。

 

「ルパンを逃すなー‼ 地の果てまで追うんだ‼」

 

 そして警部は待機させていた数十台のパトカー軍団を伴いルパンを追いかけていく。

 クラウドが苦笑いしながらクラリスに歩み寄る。

 

「やはり(にぎ)やかな人物が身内になったな……」

「はい。自慢の、旦那様ですわ」

 

 怪盗と警察の追いかけっこ。それを目に焼きつけるように、クラリスはいつまでも見ていた。

 

 時は進み、昭和から平成へ切り替わった初めての春。

 クラリスは白虎荘の自室のベッドから夕陽に掛かる桜を見ていた。

 さすがにその横顔は少々痩せ、長く美しかった髪には白い物が混じるなど老いが見えるものの、持ち前の美貌(びぼう)はまだ健在であった。

 だが今の彼女は医師から末期ガンの余命宣言を受けての療養中の身であり、部屋の外ではその件に関して微かに言い争い──というより一方が一方を罵倒している状態だった。一(しき)り言いたいことを言い終わったのか、罵倒していた方が部屋から離れていくと、一方は部屋の中に入ってきた。

 クラリスが穏やかな表情を向ける。

 

「また(りく)と喧嘩したのですか?」

 

 来蔵は片手で白髪が混じり始めた頭を掻き、片手は普段使い用のシルクハットを遊ばせつつ、バツが悪そうに笑う。

 

「『何してた。こんな時に母さんから離れるな。傍にいてやれ』ってな。言い返せなかった」

 

 そう言いながらベッド近くの椅子に腰掛ける。

 

「もうあの子も成人ですから。立派な大人ですよ」

「そうだな、早いもんだ……」

「……陸には言わないのですか?」

「言わない。父親が怪盗だと知ったら混乱させるだけだ。まあ、孫が出来たら御伽(おとぎ)(ばなし)として聞かせてやりたいけどな」

「まあ。(うらや)ましい」

 

 力なくクスクスと笑う愛妻を見て、来蔵は気まずそうにしている。

 

「……クラリス」

「はい」

「目を閉じて両手を出してくれ」

 

 クラリスは言われた通りにする──(てのひら)に重みを感じた。

 

「目を開けていいぞ」

「……まあ」

 

 そこにはクラリスの掌より少し小さいくらいの研磨されていない真っ赤な鉱石が置かれていた。

 

「これは、柘榴(ざくろ)石ですか?」

「いや、『賢者の石』だ」

「えっ?」

「コイツを手に入れるために屋敷から離れていたんだ」

 

 賢者の石は中世ヨーロッパの錬金術師によって作られた、どんな金属も金に変えることが出来ると言われる伝説の鉱石だ。

 クラリスはそれをまじまじと見た後、来蔵に目を向けた。

 

「そいつのほんの一カケラを水に溶かすと『命の水』になる」

「命の水……」

 

 また賢者の石は不老不死の霊薬を作り出せると言われている。

 来蔵はクラリスを治療する方法を探し出していたのだ。

 

「永遠の命は無理でも、お前のガンならそれで治せるはずだ。もちろん、お前が、その気なら……」

 

 そこまで言って来蔵は押し黙ると、テーブルに置かれていた薬を飲むための水が入ったコップを渡す──最後の選択は本人に託したのだ。

 

「永遠の命……」

 

 クラリスはつぶやくと石を──コップと交換するようにして来蔵に返し、水をゆっくりと一滴残らず飲み干す。

 開いたコップを受け取り元の場所に戻すと、来蔵は寂しそうな顔つきで見た。

 

「……いいんだな?」

「私はもう十分に生きました。きっと桜が花が散る時には私の人生も終わるでしょう」

 

 クラリスは(やまい)によってすっかり細くなった人差し指に嵌めた結婚指輪を()でた。

 

「今や父の悪業を知る者は少なくなり、兄のクラウドもきっと長くはないでしょう」

「そうだな……」

「父の罪は私たち兄妹(きょうだい)が背負っていきます。雷吾さんは屋敷の財政に四苦八苦してますが……もう、私たちの出番はありません。後は若い人たちにこの家の行く末を託します」

「そうか。それがお前の選択なら、俺はもう何も言わない」

 

 来蔵は自分を強引に納得させるように頷いた。

 

「来蔵さん」

「ん?」

「愛しています」

「……知ってるよ」

 

 クラリスの愛の言葉に来蔵は微笑んで石を懐に仕舞うと、「夕飯を取ってくる」と席を立ち、部屋を出て扉を静かに閉めた──今にも泣き出しそうな顔で目を抑える。

 

「ゾルーク!」

 

 来蔵は久々にその名を聞いた気がした。見ればジャックが廊下を早足にやってくる。

 

「……久しぶりだな。ジャック。相変わらず若いな」

 

 二人にとっては実に十年近い再会だったが、その顔には焦燥(しょうそう)が浮かんでいた。

 

「そんなことはどうでもいい! クラリスが死ぬというのは本当か⁉︎」

「本当だ。そう長くはないだろう──」

 

 そこまで言ったところで来蔵は首元を締め上げられ壁に叩きつけられる。

 

「貴様、一体何を考えている⁉︎ 宝を──クラリスをみすみす死なせる気か!」

「……救えるなら、俺だって救いたい。だが彼女がそうしたいと言ったんだ。俺は彼女の思いを尊重する」

「わけの分からんことを! 退け!」

「待て。何をする気だ」

 

 部屋に入ろうとするところを強引に引き止める。その手には眼魂が握られていた。

 

「眼魂、とかいうやつか……? ジャック、お前まさか──」

「これでアバターを作るのだ! クラリスをガンマの民とする!」

 

 そこで来蔵の表情が豹変する。

 

「止めろ! お前は彼女を永遠に苦しめる気か!」

「不老不死の体になることの何が悪い!」

「永久に父親の罪に(さいな)まれ続けるんだぞ!」

 

 そこから死生観が違う二人の会話は平行線を辿った。そして、(らち)が開かないとジャックが無理矢理部屋に押し入る。

 

「クラ、リス……?」

 

 そこには、眠るようにベッドに横たわる女性の()があった。

 すべてを悟った二人。ジャックは膝から崩れ落ち嗚咽(おえつ)を漏らし、来蔵は静かに目を閉じると一筋の涙を流した。

 どのくらいの時間が経ったか、ジャックは立ち上がると来蔵を睨む。

 

「ゾルーク……私は貴様を怨むぞ……!」

 

 そう吐き捨てると来蔵に肩をぶつけつつ、その場を後にした。

 残された来蔵はクラリスに近づくと、その額に口付けた。まだ温もりは残っており、そうでなくとも精巧な(ろう)人形と見違えるような美しさだった。

 ふと傍に銀色に輝く物があり、それを拾い上げる。リングの部分から外れた桜の飾りだった。

 

「『桜の花が散る時』……か」

 

 来蔵はすぐに屋敷にいた人々に訃報を伝え、数日後、クラリスの葬式が()り行われた。多くの友人、知人も参列する、静かだが盛大なものだった。

 だが、これが来蔵とジャックの決別を決定的にした。

 

 数年後、来蔵は東京の病院にいた。本人が病気になったというわけではなく、ある人物に会うためだ。

 お見舞いのための花束を持ちながら、その病室のドアを叩いた。

 中から妙齢の女性が出てくる。

 

「あっ、東条さん」

「久しぶり。お父さんの容体が(かんば)しくないと聞いてね。お見舞いに来たんだ」

「ありがとうございます。父は……最近はほとんど寝たきりで、意識もあったりなかったり、なんです」

「そうか……昔から無茶する人だったからね。体を酷使しすぎたせいかもしれないね」

「あっ、るぱーん!」

 

 そんな話をしていると、病室にいた二歳ほどの少女がトコトコとやってきて来蔵の足に抱きついた。

 

「たいほだー」

「おぉ、絢ちゃん。また捕まっちゃったな」

 

 来蔵は嬉しそうに少女を抱き上げる。

 

「こら絢。ごめんなさい、東条さん。父のうわ言に影響されてしまったみたいで……。なぜか東条さんにだけ言うんですけど……」

「いいんだよ。こんなにも俺を捕まえられたのは絢ちゃんくらいだ。なぁ?」

「るぱん、たいほー」

「あはは。絢ちゃんはおじいさんに似た、すごい警察官になれるだろうなぁ」

「こら絢。東条さんはおじいちゃんに会いにこられたのよ。邪魔しないの」

「おしっこー」

「おっと」

「あっ、すいません……! こちらに」

 

 来蔵から絢を受け取ると、「少しの間、父をお願いします」と絢の母親は病室から出ていった。

 それを見送るとベッドに目を向ける。そこには酸素吸入器を取りつけられた老人が横たわっていた。

 

「蟹さん……」

 

 それは年老いてすっかり衰弱したかつての好敵手だった。過去のことを思うと見るも痛々しい姿だ。

 来蔵は傍に置かれていた椅子に腰掛ける。

 

()けちまったな。お互いに……」

「……ルパン、か……」

 

 意識が朦朧(もうろう)としていたはずなのだが、わずかに目を開き来蔵を見た。

 

「蟹さん」

「……その顔……何か、あったな……」

 

 相変わらずの好敵手の鋭さに苦笑する。

 

「さすが警部。フランスのあっちこっちの博物館に『ゾルーク東条』の名前で強盗している奴がいるらしい」

「……東条夫人の、ルーツ……。ジャックか……」

「多分。目的は俺への復讐だろうな」

「……なんで、ここに、来た……」

「俺ももう歳だ。何があってもおかしくない。クラリスは天国へ。陸とは(そら)ちゃんと結婚してから連絡を取ってない……。だから俺を知ってる人に会っときたくてな」

「……ケリをつける気だな……」

「あぁ、終わる。少なくとも、どちらかが」

 

 実のところはほぼ間違いなく負けると言っているのと同義だった。また蟹丸警部の体も限界に近いことも察していた。おそらくこれが二人の今生の別れになる。

 

「それじゃあ、行くよ。最後に話せてよかった。蟹さん」

「……ルパン」

 

 病室を出ようとする──警部がしっかりとした口調で呼び止めたので振り返った。

 

「ん?」

「……勝てよ……。お前は、こんなところで終わるタマじゃねー……。何十年も追いかけてきたワシが言うんだ……勝てよ……」

 

 激励を送った蟹丸警部は疲れてしまったのだろう目を閉じ、また深い意識の底へと沈んでいった。

 

「あぁ、分かった。約束するよ」

 

 そして来蔵は病院から出ると、その足でフランスへと向かった。かつての相棒と決着をつけるために。

 

「──これで終わりだ」

「……長かったな」

「人生とはそういうもんだ」

「そうだな……。そういえば聞きたかったことがあるんだ」

「なんだ?」

 

 すべての話を聞き終わったところで、快人が一番の疑問を尋ねた。

 

「ここは、どこなんだ? やっぱり、あの世なのか?」

 

 その問いに来蔵は手を挙げると首を振る。

 

「はっきり言って、俺にもさっぱりだ。この風景は、世界が俺に合わせたのか。はたまた、生と死の狭間(はざま)か……。とりあえず精神世界とでも思ったらいいんじゃないか? 俺も咄嗟にお前を呼んだら、ここに引っ張れた」

「それなら、俺はまだ──」

「死んではいない。この後の選択次第だろうが」

「『選択』?」

 

 来蔵は両手を天秤(てんびん)のように上げた。

 

「『東条快人として死ぬ』か。『怪盗アルティメット・ルパンとして生きる』か」

「またかよ……」

 

 辟易(へきえき)とした様子で快人は項垂(うなだ)れる。

 

「快人。人生は選択の繰り返しだ。だから俺は嬉しかった。お前がルパンに変身するところを直接見れて。この後がどうなったとしても。少なくとも、お前を後継者に選んだのは正解だった」

 

 喜んでいる来蔵とは対照的に、快人は(うつむ)いたままだ。

 

「……なら、失望したろ? アイツにボコボコにされたのを見て。俺は『じいちゃんみたいなルパン』にはなれてないって」

 

 来蔵は立ち上がると、しょげている快人の額に──デコピンをした。

 

「痛っ⁉︎」

 

 快人が頭を擦るのを見て、来蔵は笑う。

 デコピンは東条家に伝わる──厳密には来蔵風──最大限の怒り方であり、慰め方だった。

 

「話を聞いてなかったのか? 最初はみんなそんなもんなんだよ。完璧な人間なんていない。それにお前は一つ勘違いをしてる」

「勘違い?」

「俺は確かに『ルパンを引き継いでほしい』とは言ったが、『初代()になれ』とは言ってないぞ」

「えっ?」

「日記に書いたし、お前も言ってただろ? 『どんなに精工に他人に変装したとしても、所詮は他人。本人にはなれない』。変装するなら、どれだけ本人に近づけられるかだが、どんなに頑張ったってお前は俺にはなれない。お前はお前だ」

「…………」

 

 快人はその言葉に思考を巡らせる。

 

「だから『俺のルパン』にならなくていい。お前は『お前のルパン』を目指せ。これが先代である俺からの最後の宿題だ」

「……俺らしい、俺だけの、ルパン……」

「そうだ」

 

 来蔵に肩を叩かれた快人は顔を上げる。いくらか悩みが晴れたのかすっきりとした顔つきだった。

 

「……えっ⁉︎」

 

 そこには黒い人形ではなく元の人の姿の──と言っても壮年期の頃だが──ゾルーク東条こと怪盗アルティメット・ルパンが立っていた。

 唖然とする快人にルパンは手を差し出す。

 

「どうだ? まだやれるか?」

 

 ルパンは不敵な笑みを浮かべている。まるで答えが分かりきっているように。

 

「……『男に二言はなし』」

 

 快人がつぶやく。

 

「『そして、怪盗に不可能なし!』」

 

 二人が声を合わせる。快人がその手を取ると、ルパンが引き上げた。頷く二人。

 

「と言ってもまだ不安だろう。少しばかり力を貸してやる。ジャックに言いたいこともあるしな」

「えっ? どうやって?」

「手を出せ」

 

 その言葉に快人は怪訝(けげん)な顔をしながら手を出すと、ルパンはその上にルパン眼魂を置いた。

 

「えっ──うわぁ⁉」

 

 途端に何かの力が働くと周りの背景が遠ざかり、元の世界に引っ張られる。

 

 ──忘れるな。ルパンの魂は、お前と共にある。

 

 この声を聞いた快人は自身の体に力が宿ったのを感じた。

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