フッと、眠りから覚める瞬間、それを想像出来るだろうか。
彼は正しくその瞬間、そんな感覚と共に覚醒した。
眠気は全く無い。ただ、ものすごく気持ちよく眠っていたという感覚は残っており、同時に、とても清々しい目覚めだということも分かった。
それから、『はて、目が覚めた?』と彼は首を傾げた。
彼が記憶している最後の記憶は、喫茶店でアイスコーヒーを頼んだあたり。そう、通勤の間にある、何度も利用している喫茶店だ。
そこで、今日はちょっと蒸し暑いからなのと、気分転換がてら、いつもなら頼まないクリームソーダを注文した……そこまでは、覚えている。
……言い換えれば、だ。
そこから先の記憶が、全く無い。
店を出た時の記憶もなければ、注文したクリームソーダを飲んだ記憶も無い。
注文して、そこで──まるで、ブツリとリセットボタンを押されてしまったかのように、記憶が途切れている。
──そもそも、だ。
当たりを見回した彼は、見覚えの無い光景に言葉を失くす。
そこは、見慣れた喫茶店ではなかった。
見たままを語るなら、白いドームだろうか。
床はツルツルのタイル、遠くの方に見える壁も、グルリと頭上を覆っている天井も、全て真っ白。
白い半球体の建物の中……そんな感じの部屋の中央に、彼は居た。どこを見ても人の気配はおろか何も無くて、音すらも無く──っと、その時であった。
「ワイ、『ウ・ドゥ』。よろしくニキーッwwww」
──はっ?
背後から声を掛けられたので、反射的に振り返った彼は、あまりにも想定外な光景に絶句した。
何故ならば──そこに在ったのは、白いモヤだったからだ。
辛うじて、人の形をしているのは分かる。しかし、それだけだ。
大きいのか、小さいのか。いや、本当に人の形をしているのか、やはり人の形なのか、何一つコレはという確証を得られない。
……自分はいったい、何を目撃しているのだろうか?
己に対するそんな不安すら、彼はその時感じたぐらいに……眼前のソレがなんなのかが分からなかった。
「とくさんか?」
が、そんな彼の混乱も。
「あんた、とくさんか?」
畳みかけられた言葉に、拍車が掛かってしまった。
「岡山の県木の土手の下で、盛り合おうやwww」
いや、もう、本当に意味が分からなさ過ぎて、日本語で話しかけられているのに、日本語を聞いている感覚にはなれなかった。
直後、彼はなんとかそう返事をするだけで、それ以上の言葉を完全に失くしてしまった。もはや、声一つ出せないぐらいに混乱しきっていた。
「許してや、許してクレメンスwwww なんかおるわって眺めたら死んじゃったから、新しい身体をプレゼントやでwwww」
──えっ?
「ほな、ワイはこれで……遠くから見とるから、頑張るんやで……消えるで、ほなまた(スゥゥー)」
──はっ?
それでも、なんとか理解出来る言葉が出たかと思ったら、なにやらスゥゥーっと効果音を口で言ったかと思えば、本当にモヤが彼の視界から消えてしまった。
……。
……。
…………え、なに?
あまりの展開の早さに、呆然とするしかない彼……っと、その時であった。
(あ、あれ、なんか視界が黒く……え、これ、もしかして気絶──)
目覚めた時が唐突ならば、意識を失う時もまた唐突で──フウッと、彼の意識は暗闇の向こうへと消え去ったのであった。
……。
……。
…………で、次に目覚めた時、彼はどうなったかと言うと。
「……え、ここ、どこ?」
まず、見慣れぬ森の中であった。
「夢……じゃない、よな?」
もちろん、見慣れぬというだけあって、本当に知らない。直前まで都会の喫茶店で茶をシバいていたのに、なんか気付けばそんな場所にいるのだ。
これには当然、彼は困惑した。だが、その困惑はすぐさま治まり──それ以上の困惑が、彼を襲っていた。
「え……ちょ、これ、なに!? え、おっぱい!? これ、俺の──こ、声もだ!? あれ!? なんか声が高くない!?」
それは、己の身体の変化。
誓って言うが、彼は男であった。
学生時代はスポーツをやっていたので引き締まっていたが、今は昔のこと。
社会人生活20年以上ともなれば、腹は出て来るし、変に毛深くなってくるし、体力の衰えだって自覚するようになった。
それが──まるで、女のように細い腕だ。
いや、女のように、ではない。
彼が見る限り、それは間違いなく女の腕。
産毛一つ無い細く白い肌、足元を完全に隠してしまっている、大きく実った胸。反射的に両手をあてがえば、己の胸を触っているという感覚と共に、確かな弾力を彼は知覚した。
……見たことがない、『服装』だ。
いや、これを服装と判断したら良いのか、それは彼には分からない。とりあえず、身体を捻ったり屈んだりして、変わってしまった己の身体を確認する。
──なんというか、前衛的なレオタード(?)、あるいはワンピース型の水着(?)、というやつなのだろうか。
基本的にレオタードでもワンピースでも多少なり胸が潰れるはずなのに、この服は身体に合わせて設計されているようで、体形がそのまま確認出来る状態になっている。
お洒落なのかは知らないが、両の二の腕まである、色違いのアームカバー(?)。腹部は胸が邪魔をして確認出来ないが、丸みのある凸凹が並んでいるのが分かる。
腰の辺りには……これまたお洒落なのか、金属のナニカが腰の両側に取り付けられており、左右の足のはどうやら色も形も長さも違うタイツを履いている。
……そう、視線を下げれば、大きい胸が邪魔をしているが、とりあえずは裸ではないのは分かる。
素材がなんなのかは分からないが、腕も足もお腹も、妙に手触りが良い。鏡があればちゃんと確認出来るのだが、目に見える範囲だと……セクシー系だろうか。
手を胸から下に降ろせば、男だった時(若い頃を含めて)には絶対になかった腰のクビレが分かる。
実際に己の腰がそうなっていることに、彼はある意味胸を掴んだ時以上にビクッと肩を震わせた。
そして……感覚的に色々と察してはいたけど、淡い願いを込めて、その手を更に下へと下げれば……その指先は、何も掴まなかった。
スカート(?)の上からでも、分かる。
直前まであったはずの棒と玉が、無い。
遮る物が何もないその指先はスルリとお尻の方までノンストップ。無言のままに間で指先を止めれば、下着越しに……体内へと通じる、排泄口とは違う穴があるのを自覚した。
……ガニ股で股をまさぐる女という、傍から見ればアレにしか見えない恰好をしているが、彼は……いや、彼女になった彼は、超真剣であった。
だって、冷静に考えてみてほしい。
見覚えの無い森に何故か居るという時点で、『誘拐』の二文字が出てくる。その前後の記憶が無いからこそ、恐怖以上に困惑が前に出てくる。
資産家の息子や家族であるならばともかく、彼自身は誰かに誘拐されるような資産など持っていないし、繋がりも無い。
両親は……まあ、存命ではある。ただし、出来の良い兄弟のおかげで子供の頃から存在感が無く、正直なところ……な感じだ。
──そう、己に誘拐される価値など無いと思っていたからこそ、彼は……いや、彼女は、困惑するしかなかった。
ぶっちゃけてしまえば、ネグレクトの手前だろうか。
こちらに迷惑さえ掛けなければ、好きにすれば良い。兄弟の時間を奪うような事さえしなければ、それでいい。
それが、幼い頃から……己に向けられ続けていた親からの要求だった。
一見、それは放任主義に見えるだろうが……実体は、ただの無関心である。
どこでくたばろうが、誰と結婚しようが、如何なる大病を患おうが、一切感知しない。
生活するうえで(勉強道具など)必要となる物は用意するが、それ以外は一切金も手間も掛けない。
それが、家を出るまで一貫していた両親の態度であった。
だから、天涯孤独……法的には違うのだろうが、実家を含めて親戚とはすっかり疎遠となり、実質的には天涯孤独も……話を戻そう。
「……本当に何もねえ。穴はちゃんとある……女の子の感覚って、こんな感じなのか……」
──とりあえず、改めて事実を受け止めよう。
1人孤独に混乱したところで、事態は何も動かない。ひとまず、己の身に起こっている事実だけを整理してゆくことにする。
まず、現在位置が分からない。
誘拐されたのか、しこたま酒を飲んで前後不覚に陥った後なのか、それは分からないが、とにかく、己は実質的には遭難状態にある。
そして、性別が変わっている。
これが夢ではなく、己の身体を触って変化を確認したから、分かる。間違いなく、今の己は男から女に変わっている。
服装に関しては、こんな状況にした何者かの趣味というか、おそらくは……ん、あれ、ちょっと待て?
(そういえば、さっきのアレって夢じゃない?)
ふと、脳裏を過ったのは先ほどの出来事。
あまりに唐突過ぎたうえに、今の状況が状況なのですっかり思考の外に追いやっていたが……あれ、ちょっと待て(Part.2)?
(……アイツ、なんか『遠くから見てる』とか言っていなかったか──っ!?)
なんとなく──本当に何気なく、彼女となった彼は視線を頭上へと向けた──瞬間、ビクッと総身を震わせた。
(<●> <●>)
なんか、目が合った。
奥の雲が透けて見えるが、確かに目が合った。とんでもなく巨大な双眼が、己を見下ろしていた──っと。
Σ(<●> <●>)
(あ、向こうも気付いた)
あまりにも言葉が出ない状況に、彼女はどこか呆けた頭でそんなことを思った──が、しかし。
(=^ω^=)っっっ
(いや、なに照れてんねん!!!)
さすがに、その反応はツッコまずにはいられなかった。
関西人でもないのに関西語が出てくるあたり、そういう意味でも不意打ちだったのだろう──っと。
ひゅう~~~っ、と。
空の彼方にきらめきが走ったかと思えば、それは軽やかな音と共に彼女の前に降り立った。
それは、鏡であった。彼女の身長よりも高く、全身を映すには十分すぎるサイズの……で、だ。
「──な、なんか何処かで見たことある顔──っていうか、これ、アレだ!!」
どういうわけか、何処かで見た覚えがある顔。
「お、思い出した、この顔は──」
──というか、姿になっていることを、この時初めて知った彼女は──思わず、叫んでいた。
「──モッコスだ! たしか、邪神モッコス! そんな名前のやつ!!!」
けれども、声高々に叫んだ彼女は──それが、間違いである事とに気付いていなかった。
……邪神・モッコス。
それは、とあるゲームに登場するキャラクターフィギュア(限定版特典)に対して、ファンたちが名付けた名称であり、ネタキャラとして名付けられた愛称でもある。
本来はゲーム内人気不動の1位に君臨した美しい風貌をしており、全盛期はヲタクたちの同人誌にこれでもかと出演し、他のゲームにもゲスト出演したりもしたキャラクター。
本当の名は、『KOS-MOS』。
ゼノサーガ・シリーズに登場する女性型戦闘アンドロイドであり、何年にも渡りファンを生み出し続けた……根強い人気を持っていたキャラクターである。
……ちなみに、だ。
モッコスと彼女は勘違いしていたが、その顔はネタにされた『邪神・モッコス』ではなく。
人気投票不動の1位に君臨し続けた、『KOS-MOS(ep.1)』なのだが、やはり、うろ覚えな彼女はまったく気付けなかった。
誰か続き書いてや、夏の暑さに頭が狂っただけやから