2026年8月29日、一部訂正
異変
■日本国 東京
中央暦一六三八年
昭和二十二年一月上旬
大戦の爪痕も癒えぬ、昭和二十二年。
終戦の日まで行われた空襲によって、日本各地は大きな被害を受けていた。
かつて帝都と呼ばれた東京も、終戦までに百回以上の空襲を受け、多くの被害を出していた。
特に昭和二十年三月十日の大空襲は、死者約八万四千人に及んだとされている。
終戦から一年余りが経った現在では、状況はやや落ち着き、各地の復興の目途も立ち始めていた。
首相官邸の執務室。
首相、武田茂は山積みになった書類を睨んでいた。
食料問題や復興予算の不足、連合軍との折衝、五月三日の憲法施行に向けての計画。
深夜まで頭を悩ませ、気分転換に茶でも飲もうかと湯呑を手にしたとき、机や家具が大きく揺れた。
(地震? 大きいぞ……)
深夜のはずなのだが、大きな揺れと同時に、窓から眩い光が部屋中に溢れた。
(空襲!? まさか!?)
揺れと光はすぐに収まった。
部屋を飛び出した武田は慌ただしく電話機の元へ駆けて行った。
いまだバラックが建ち並ぶ今の東京は、たとえ小さな災害でも相当な被害を受けるだろう。
武田は各所に電話して担当者を叩き起こし、被害状況を集めるよう指示した。
翌朝。
首相官邸や主要な省庁は、日本始まって以来とも思える大騒ぎとなっていた。
まず、海外との無線が通じなくなった。
加えて、一夜のうちに、日本各地に進駐していた連合軍が装備や人員を含め、軒並み消えていたのだった。
混乱を防ぐため久方ぶりの厳戒令が出され、状況が分からないまま数日が過ぎた。
異変の第二報は、南方からの引き揚げ者を乗せて帰国した復員船、氷川丸からもたらされた。
曰く、出港後、それまで周囲にあった島々や陸地が消失したとのことである。
各省庁は情報収集に努めたが、それ以上の情報は入らず、状況の整理もつかぬまま、さらに一週間が経った。
終戦後の食糧、資源の不足で、連合国からの支援を頼りとしていた日本は、このままでは早晩力尽きるのは明白だった。
そこで、やむを得ず、残存艦艇や航空機の中から動けるものを集め、秘密裏に付近を探索する案が採用された。
海からの探索には、復員船となっていた第一号型海防艦三十隻のうち十隻と、旧式ではあるが石炭焚きで燃料の心配がない巡洋艦八雲が選ばれた。
空からは、解体待ちの一式陸攻十六機のうち八機が選ばれた。
それぞれになけなしの燃料が積み込まれ、藁にもすがる思いで各方面に送り出された。
昭和22年当時には解体されていた艦艇が一部出てきますが、そこはファンタジーと割り切って下さい。
また、残存機のうち何割が未解体だったのか不明でしたので、終戦時の1割程度と勝手に想定しています。
なお、某怪獣映画と異なり、史実通り高雄は解体されています。
なお、航行可能な大型艦は旧式巡洋艦八雲、長鯨、鹿島。小型空母鳳翔も残っていますが、こういった任務には向いていません。