■中央暦一六四一年十月
第二文明圏列強国ムー
港湾都市マイカル
ムーの使節団が五国連盟を訪れてから、およそ二年が過ぎていた。
第二文明圏東部の港湾都市マイカルは、この二年間でずいぶんと姿を変えていた。
もっとも、何もなかった土地へ突然近代的な港が現れたわけではない。
ムーはもともと大規模な機械工業を有する列強国。
マイカルにも鋼製貨物船やタンカーを受け入れる岸壁があり、大型起重機が並び、倉庫街の奥まで鉄道の引込線が延びていた。
変わったのは、港に入ってくる船の旗と積荷の種類であった。
その日はよく晴れていた。海から吹いてくる風には潮の匂いが混じっている。
港を見渡せる公園では、老夫婦がベンチに腰掛け、ひっきりなしに出入りする船を眺めていた。
「このマイカルも、二年ばかりで随分と賑やかになったものだ」
「ええ。前から大きな港でしたけれど、外国の旗がずいぶん増えましたね」
老人の視線の先では、日の丸を船尾に掲げた船が、曳船に引かれながら岸壁に近づいていた。
その向こうにはムー船籍の大型貨物船が停泊し、沖にはクイラ王国から来航したタンカーがゆっくりと進んでいる。
五国連盟との交易が始まって以来、クイラからは石油、石炭、鉱物資源が大量に運び込まれ、クワ・トイネからは穀物や野菜、果実のほか、燻製肉や乳製品などの畜産加工品が届くようになった。
もともとムーは食料を自給できない国ではないが、大量の食料と工業原料を安定して外国から得られるようになった影響は小さくなかった。
港の南には新しい石油貯蔵槽が並び、その向こうでは精油施設の増設工事が続いている。
鉱石を積んだ貨車が製鉄所に向かい、石炭が発電所や工場へ送られていく。
五国連盟との交易は、ムーの工業力をより大きく動かす原料を与えていた。
一方で、日本からの輸入品は少し性格が違っていた。
老人の前を、甲高いエンジン音を立てながら小さな自動車が走っていった。
前輪が一つ後輪が二つという、今までのムーでは見掛けなかった形である。
「また、あの三輪車だな」
「この頃は町の中でもよく見ますよ。オート三輪というのでしょう」
「どうにも頼りなく見えるが」
「狭い道では便利なのだそうですよ」
ムーの自動車産業そのものは、明らかに日本より進んでいる。
乗用車やバス、貨物自動車の性能だけを比べれば、日本が競い合える分野は少ない。
ところが市街地では事情が変わる。
日本のオート三輪は構造が単純で値段も安く、古い市街地での使用や、細い通りに面した商店や倉庫に荷物を運ぶのに適していた。
そのため、零細な運送業者や商店主などを中心に数を増やしつつあった。港から工場へ向かう幹線道路をムー製の大型貨物自動車が走り、その脇の細道へ日本製のオート三輪が入ってゆく光景も、今では珍しいものではない。
「日本という国は、妙なところがあるな」
老人がそう言うと、婦人は首を傾げた。
「妙ですか」
「軍艦や軍用飛行機の話を聞けば、我々より進んでいるものまであるそうじゃないか。それなのに、町を走る車を見ると、こちらの方がよほど立派に見える」
「軍隊で使う物だけ、先へ行ってしまったのでしょうね」
「そんな国があるものかと思うが、実際にあるのだから仕方がない」
老人は小さく笑った。
実際、日本を訪れたムーの技術者たちは、似たような印象を持っていた。
日本は国全体が進んでいるのではなく、一部の軍事分野だけが不自然なほど先へ伸びた国なのである。
交易にも、その性格はよく現れている。
日本からムーへ入ってくるのは、オート三輪をはじめとする安価で扱いやすい軽工業品や小型機械が中心であり、逆に大型車両や産業機械、長距離航空機のような分野ではムー製品の方が強かった。
イルメリアは、自国の最先端技術を無制限に輸出するような政策を採らず、ムーに入ってくる工業製品も限られている。
それでも、航空関連や精密機器、医療機器では、ムーでは製造できない高度なものが使われ始めていた。
結局、五国連盟の貿易は、一国が他国の市場を塗り替えるような形にはならなかった。それぞれが自国にあるものを売り、足りないものを買う。
技術水準と産業構造が大きく異なるからこそ、かえって意味があったのである。
海の方から低く重いエンジン音が響いてきた。
老人がそちらを見ると、巨大な飛行艇が港外の水面を進んでいる。
長大な主翼には多数の発動機が並び、その姿は客船に翼を取り付けたようにも見えた。
「また来たぞ、プリスだ!」
「大きいですね。あれは、どこへ行く便でしょう?」
「日本じゃないか? あれだけの飛行艇を近距離で使うとは思えん」
ムーの民間航空は、日本よりはるかに発達している。
ただし、そこで生まれる旅客機が、いつも合理的な姿をしているとは限らなかった。
長距離旅客機の中には、多数のエンジンと豪華な客室を備え、大洋を渡る巨大飛行艇もあった。
陸上では中型の奇妙な三発機や、ジャンボジェット以上の大きさを誇るプロペラ式旅客機が飛んでいた。
必要以上に巨大な機体を真顔で造る一方、外観以外は堅実な機体も造る。
そのちぐはぐさもまた、ムーの航空機産業の特徴であった。
日本との定期航空路でも、主力はムーの機体である。
この頃の日本には、大型旅客機を自国で製造する力はなかったのである。
そして、五国連盟の空には、そのどちらとも異なる機体も飛んでいた。
「そういえば、この前、白い飛行機を見ましたよ」
「どの飛行機だ?」
「イルメリアから来る、大きな飛行機ですよ」
「ああ、ハイカラとかいうのか」
イルメリアは、自国と日本、ムーを結ぶ長距離路線に、旅客用のハイカラを数機運航させていた。
便数は多くはないが、ムーの旅客機とも日本の航空機とも異なるその姿は、空港でもよく目立った。
これら大型機の航路は、およそ二万キロ。
ムーを飛び立った機体は、途中の国々から借り受けた空港を経由して日本に渡った後、新日本海を北上してイルメリアに向かうのである。
「二万キロも飛んで来るとは、大したもんだ」
「私たちが乗る機会はなさそうですけれど」
「聞けば、運賃はそれほど高くないそうだ。問題は席が取れないことだけどな」
二人は笑った。
公園の横をムーの大型バスが走り、その脇をオート三輪が曲がっていく。
沖には巨大な飛行艇が浮かび、高空を白いハイカラが飛んでいた。
人や物を運ぶための機械であっても、国が違えば、その姿も思想も驚くほど異なる。
老人はしばらくその光景を眺めた後、静かに言った。
「世界というものは、広いな」
「今になって気が付きましたか」
「いや。二年前までは、自分たちが世界の広さを知っているつもりだったのさ」
港に停泊する大型客船の汽笛が響いた。
それはどこか、旅愁を誘われるような響きだった。
■グラ・バルカス帝国
帝都ラグナ
グラ・バルカス帝国では、国家の今後を左右する決定が下されようとしていた。
「これより、帝前会議を開催いたします」
司会役の官吏がそう告げると、広い会議室に集まった高官が一斉に姿勢を正した。
もっとも、関係各部との調整はすでに終わっており、軍部も外務省も作戦そのものには同意している。
この会議で必要なのは、帝国として最終的な許可を与えることだけであった。
皇帝グラルークスは居並ぶ臣下を見渡すと、東方艦隊司令長官カイザルと監査軍司令長官ミレケネスへ目を向けた。
「間もなく先進十一か国会議が開かれる。準備は整っているな」
「はっ、皇帝陛下。すべて予定どおり進んでおります」
二人が頭を下げると、その返答を待っていたかのように、外務省長官モポールが口を開いた。
「陛下。今回の作戦が成功すれば、この世界の諸国は、ようやく我が帝国の力を理解するでしょう。神聖ミリシアル帝国を世界最強と信じている者たちも、その考えを改めざるを得なくなります」
グラルークスはわずかに目を細めた。
「その神聖ミリシアル帝国に、後れを取ることはあるまいな」
「考えられません。かの国の兵器には確かに高度なものがありますが、発掘兵器への依存が強く、発展の方向も我が帝国とは大きく異なっております。正面からぶつかれば、帝国が優位に立つものと判断しております」
「つまり、勝てると申すのだな」
「はい。この世界に、帝国の進出を止められる国家は存在しないものと考えます」
居並ぶ高官たちから異論は出なかった。
帝国が集めた情報は、神聖ミリシアル帝国とムーについてはそれなりに揃っている。しかし、日本について分かっていることは断片的であり、イルメリアに至っては、その国力を正確に測る材料すらほとんどなかった。
さらに悪いことに、帝国側は各国を個別に見ていた。
日本の工業力はムーに及ばず、ムーの軍事技術には古い部分が残り、イルメリアは小国に見える。
個々の欠点だけを拾えば、その判断にも一応の根拠はあった。
だが、この二年間に五国連盟諸国の間では人と物が行き交い、それぞれの不足を別の国が補う関係が生まれ始めている。
グラ・バルカス帝国は、それらを一つのまとまりとして見ていなかった。
グラルークスはしばらく沈黙した後、大きく頷いた。
「よかろう。本件を許可する。皆、頼んだぞ」
「はっ」
帝前会議は終了した。
この時、グラ・バルカス帝国の高官たちは、まだ知らなかった。
彼らが一括りに「現地人」と呼ぶ国々が、すでに互いの不足を補い始めていたことを。
「イルメリア専制公国」の国号を「北方ローマ専制公国」に変更することについて、皆さんはどう思われますか?改称した場合も「イルメリア」の名称は地名などで継続使用します。
-
現行 今のまま。
-
改称 第九話で北方ローマ専制公国に改称