■神聖ミリシアル帝国
港湾都市カルトアルパス
帝国文化館
外務省統括官リアージュが、帝都ルーンポリスから戻ったのは、その日の早朝であった。
帝都で行われた緊急会議で第零式魔導艦隊の壊滅が報告され、帝都防衛艦隊の再編と、カルトアルパス方面への増援が決定された。第零式魔導艦隊を撃破したグラ・バルカス艦隊は東進を続けており、帝都かカルトアルパスを目標としている可能性が高く、各国同意の上、先進十一ヵ国会議の開催地を東方のカン・ブラウンに移すこととなった。
もっとも、艦隊壊滅の事実が知れ渡れば、各国に影響が及ぶ恐れがある。あくまで西方の一地方部隊が奇襲を受けたため、万全を期して開催地を変更するという形で説明すると決められた。
会議二日目。
帝国文化館では、予定通り実務者協議が開かれることになっていた。ただし、会議に先立ち至急の連絡がある旨だけは、各国に伝えられていた。
開催時刻より少し早く到着したイルメリア使節団は、ロビーでアニュンリール皇国の一行を見つけた。
アニュンリール皇国は魔法文明を基礎とし、文明圏外の南方世界を治める国として、毎回会議に招かれている。本土に上陸した外国人はなく、外交窓口も本土北方の島、ブシュパカ・ラタンに限られていた。
他の参加国の認識はその程度であったが、イルメリアだけはアニュンリールの実情を把握していた。
ブシュパカ・ラタンには、夜間もほとんど人工光が見えない。ところが本土には列強上位国に劣らぬ光が広がり、整然とした都市と大規模な港湾施設に加え、ミリシアル海軍主力艦に匹敵する艦艇の存在も確認されていた。
意図的に実態を隠しているのは明らかである。
「なるほど。あれがアニュンリール皇国ですか」
外務長官ラウリ・マルムベルグが、少し離れたところから一行を眺めた。整った服装と柔らかな物腰は、一見すると気の良い政治家に見える。
隣の外務局員カール・ハンマルフェルドが頷いた。
「資料と一致します。背中の翼も報告どおりですね」
アニュンリール皇国の使者は、片方が白く、片方が黒い一対の翼を背に持っていた。
マルムベルグは、そのまま歩み寄った。
「初めまして。アニュンリール皇国の皆さまですな」
「ああ……」
返事は短く、表情もほとんど動かない。
「イルメリア専制公国の外務長官、ラウリ・マルムベルグと申します。以前より、貴国には少々興味がありましてな」
「そうですか」
「なかなか慎ましい外交をなさっている。外国との交流は、北方の島に限っておられるとか」
「はい。外国との交流はブシュパカ・ラタンに限定し、本国への外国人立ち入りは認めておりません」
「それは徹底しておられる。玄関を小さく造るのは悪いことではない。本邸が立派であるほど、玄関は控えめな方が趣味がよろしい」
使者がわずかに目を動かし、カールも眉を寄せた。
「長官、初対面の方ですぞ」
「もちろん承知している」
使者が二人を交互に見た。
「…どういう意味でしょうか」
「いえ、こちらの話です。ただ、ブシュパカ・ラタンだけを拝見して貴国全体を判断するのは、少々早計だろうと思いましてな」
使者の表情が変わった。
「我が国について、何かご存じなのですか」
「さて。外交官というものは、知らないことまで知っている顔をするのが商売ですから」
「長官」
「冗談ですよ、ハンマルフェルド君。せっかく同じ会議に出るのだから、仲良くしたいだけだよ」
「長官の言葉をそのまま受け取る者は、外務局にはおりません」
「それは困った。誠実な人間のつもりなのだがね」
「その点は、外務局でも見解が分かれております」
マルムベルグは肩をすくめた。アニュンリール皇国の使者は二人を眺めていたが、先ほどまでの無関心は消えていた。
「ところで、外国との交流は、どの国に対してもブシュパカ・ラタンに限定されているのですかな」
「はい。規定により、外国人の立ち入りを認めておりません」
「では、同島でも貴国の文化には触れられますかね」
「もちろんです。ブシュパカ・ラタンは南方世界との窓口ですが、我が国の領土です。文化そのものは変わりません」
「それは結構。いつか訪ねてみたいものです」
マルムベルグはそこで言葉を止めたが、口元にはまだ微かな笑みが残っていた。
『まもなく先進十一ヵ国会議実務者協議を開催いたします。皆さま、着席をお願いいたします』
放送が流れ、マルムベルグは軽く会釈した。
「時間ですな。それでは、また後ほど」
イルメリア使節団が会議室に向かうと、カールが隣に並んだ。
「長官、揶揄う必要がありましたか」
「揶揄ってなどいないよ。少しだけ、こちらが何も知らないわけではないと教えて差し上げただけだ」
「それを揶揄ったと言うのです」
「そうかね」
マルムベルグは心外そうな顔をした。
アニュンリール皇国の使者は、二人の背中を黙って見ていた。
「……イルメリア専制公国」
その声には警戒が混じっていた。
「これより先進十一ヵ国会議実務者協議を開催いたします」
司会の言葉に続き、リアージュが各国代表を見渡した。
「本日、我われ神聖ミリシアル帝国から、至急の連絡がございます。先日、グラ・バルカス帝国の艦隊が本国西方の群島を奇襲し、同地の地方艦隊が被害を受けました」
地方艦隊とはいえ、神聖ミリシアル帝国の艦隊が損害を受けた事実に、会議室には動揺が広がった。
「現在、カルトアルパスには巡洋艦八隻が警備につき、空軍も上空を警戒しています。ただし、敵艦隊が本国に侵入する可能性を考え、万全を期したいと考えます。本日夕刻までに各国艦隊を退避させ、開催地をカン・ブラウンに移したいと考えます」
予定にない開催地変更に沈黙が続いた。
第一文明圏列強エモール王国の使者が口を開く。
「グラ・バルカス帝国という新参者に攻められたからといって、列強が揃って逃げ出すのか。我が国は陸路で来たが、ここにいる国々はそれなりの艦隊を連れてきているはずであろう」
竜人の使者は憤りを隠せなかった。
「文明圏にさえ属していない国を相手に、戦わずして退くのは感心しない。我が国は控えの風竜二十二騎を出してよい」
エモール王国の風竜は、強靱な肉体を持ち、飛翔速度は時速八百キロに達するという。ミリシアルのエルペシオⅢに匹敵するとされ、その投入表明に幾人かが頷いた。
「我々の戦列艦七隻も加わりましょう。奇襲ならともかく、正面から文明圏外国家に遅れを取るとは思えませぬ」
各国が次々に自国艦隊の参加を申し出た。第二区文明圏の国々からも同様の声が相次ぎ、退避を求めたはずの会議は、いつの間にか迎撃艦隊編成の話に変わり始めていた。
日本国使節団の隣に座るパンドーラ大魔法公国の代表が、近藤に顔を向けた。
「パーパルディア皇国との戦いにおける貴国の話は聞いております。貴国はどうされるのですか」
日本も〈八雲〉を旗艦に、〈鳳翔〉〈竹〉〈桐〉〈杉〉〈槙〉を伴っている。
「開催地の変更に異論はありません。安全を確保できるうちに移動すべきかと。我われの行動は、政府の指示と艦隊司令部の判断に従います」
近藤が答えると、パンドーラの代表は少し残念そうな顔をした。
イルメリア使節席ではマルムベルグが黙って話を聞いていた。すでに軌道ドローンの情報から、第零式魔導艦隊を壊滅させた艦隊の行動を把握している。さらに、大型戦艦〈グレートアトラクター〉が反転し、カルトアルパスに向かっていることも確認していた。
「イルメリアも、開催地の変更には異論ありませんが、あくまで我われは殿下の指示に従う次第です」
アニュンリール皇国の使者が発言を求めた。
「我が国は文明圏外の国家です。突然カン・ブラウンに移動するよう言われても対応できません。このまま残っても戦力にはならないため、本年はこれにて失礼いたします」
他の参加国に異論はなかった。南方世界そのものが技術的に遅れていると考えられていたため、アニュンリール皇国も同様だと思われていた。
会議はその後もまとまらなかった。各国の艦隊は砲艦外交の意味も含めた精鋭艦隊でである。それだけの戦力がありながら撤退したとなれば、国家の威信だけでなく帰国後の立場にも関わると考えられた。
退避を求めるミリシアルと、迎え撃つべきとする各国の主張は平行線をたどり、議論は四時間近く続いた。
その間に、日本国政府からの指示が届いていた。外交使節団は避難誘導に従い、艦隊は独自の指揮系統を維持したまま安全確保を優先せよとの内容であった。
イルメリア艦隊と日本艦隊の間でも調整が行われていた。
日本艦隊司令部との連絡を担当したのは、〈コンタキオン〉艦長ラウリ・ワルデン大佐である。カルトアルパスに居合わせたイルメリア軍人の中では最上位にあたり、ユリアの指示を受けて日本艦隊に今後の行動を申し送っていた。
「我が国の外務局員および政府関係者は、二隻の〈ビブリオン級〉で退避させます。快速の同級なら危険が迫る前に離脱できると判断します」
続けてワルデンは、イルメリアが把握している状況を日本側に伝えた。
「第零式魔導艦隊を撃破した艦隊については、残存艦の処理を日本にお願いしたい。ただし、〈グレートアトラクター〉が反転し、現在カルトアルパスへ向かっております」
日本側が初めて聞く情報であった。
「〈グレートアトラクター〉には、ユリア殿下が〈コンタキオン〉を指揮して対処されます。それまでは港内で待機していただきたい。他国艦隊と共に出港すれば、かえって混乱に巻き込まれると考えます。また、戦闘後には相当数の漂流者が出る可能性がありますので、その対応をお願いしたい」
日本艦隊を指揮する福島栄吉将補と、〈八雲〉艦長の寺崗正雄大佐は顔を見合わせた。港内に停泊する〈コンタキオン〉は、グラ・バルカス帝国の巨大戦艦を単艦で引き受けられるような艦には見えない。
「ユリア殿下が指揮されるのですか」
福島が聞き返すと、ワルデンは平然と頷いた。
「はい。ただし、〈コンタキオン〉は見た目どおりの艦ではありませんので、その点はご心配なく」
「それでも、国家元首を乗せた艦で敵の戦艦と交戦するのでしょう。それでもよろしいのですか」
今度は寺崗が尋ねた。
ワルデンは少し困ったように苦笑した。
「姫様は、一度言い出されると止められません。我々は姫様に従うのみです」
福島と寺崗は、もう一度顔を見合わせた。これはすでに決定事項らしい。
日本艦隊にとっても、すぐに出港しない理由はあった。艦隊には脚の遅い〈聖川丸〉も同行している。各国艦隊に合わせて海峡へ向かうより港内に留まり、状況を見極めた方が安全であった。
同じ頃、帝国文化館に一枚の紙が届けられた。目を通したリアージュの表情が変わる。
「皆さま、静粛に願います。新たな報告が入りました。先ほど我が国の哨戒機が、カルトアルパス南方約百五十キロを北上するグラ・バルカス帝国艦隊を発見しました」
リアージュは地図を示した。
「このまま北上すれば、敵艦隊はカルトアルパス南方のフォーク海峡に達します。こちらから海峡まで約六十キロ。敵艦隊の速力を考えれば、各国艦隊をすべて退避させる時間はありません」
四時間に及んだ議論は、これで結論を出さざるを得なくなった。
■神聖ミリシアル帝国
港湾都市カルトアルパス
カルトアルパスは、南北に伸びる二つの半島に挟まれた内海の奥にあった。外海に出るには約六十キロの内海を南下し、幅十四キロほどのフォーク海峡を通過しなければならない。
普段は天然の良港として街の繁栄を支える地形だったが、敵艦隊が南から接近する今、海峡はそのまま弱点になっていた。
港湾管理責任者ブロントは、管制所から慌ただしく動き始めた港を眺めていた。帝国の戦闘機が何度も編隊を組んで南に飛び去り、港では世界各地から集まった艦隊が次々と出港準備に入っている。
最初に動いたのは、マギカライヒ共同体の機甲戦列艦隊だった。七隻の機甲戦列艦に続き、アガルタ法国から六隻の魔法船団、ニグラート連合から四隻の戦列艦と四隻の竜母が港を離れていく。四隻の竜母は、それぞれに十二騎のワイバーンロードを載せていた。
それらに比べても、ムー王国の艦隊は目立った。〈ラ・カサミ級〉戦艦二隻を中心に、〈レ・ナウン級〉戦闘巡洋艦四隻、〈ラ・コスタ級〉巡洋艦八隻が駆逐隊を伴って出港し、〈ラ・ヴァニア級〉航空母艦二隻は港内に残り、艦載航空隊を送り出す準備を進めていた。
大口径砲を備えた大型艦が整然と出撃する様子に、港に集まった人々から歓声が上がった。だが、快速の〈レ・ナウン級〉も〈ラ・コスタ級〉も、主力の〈ラ・カサミ級〉に速力を合わせざるを得ず、艦隊速力は速いとは言えなかった。
ユリアは港内に残る〈コンタキオン〉の艦橋から、出撃するムー艦隊を眺めていた。
「…あれは、駄目ですわね」
「駄目、と
ワルデンが尋ねる。
「あの国は、芯まで紅茶に浸っていると、ふと思ったまでです」
「理由はお察し致しますが…」
ワルデンは苦笑した。
マルムベルグは、〈ビブリオン〉の船尾から、次第に小さくなっていくカルトアルパスの港を見つめていた。
「殿下は、やはり残られましたな」
「ええ。問題は、姫様がどこまでなさるかです」
ハンマルフェルドの返答に、マルムベルグも小さく頷いた。
「ああ、姫様だからな。帰った後の問い合わせが思いやられるな…」
「外務局だけで済めばよろしいのですが」
二人は揃ってため息をついた。彼らが案じているのは元首の安全ではなく、その後に待っている各国への事情説明と事務処理であった。
やがて二隻の〈ビブリオン級〉通報艦は、出撃する各国艦艇を遥かに追い越し、四〇ノットの高速で外洋に抜けていった。
「イルメリア専制公国」の国号を「北方ローマ専制公国」に変更することについて、皆さんはどう思われますか?改称した場合も「イルメリア」の名称は地名などで継続使用します。
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現行 今のまま。
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改称 第九話で北方ローマ専制公国に改称