■神聖ミリシアル帝国
中央暦一六四二年六月
港湾都市カルトアルパス
出港の日、岸壁と沿岸の高台は見物人で埋まっていた。帝国の新聞が世界史上最大と報じる大艦隊を見送ろうと、人々は朝から港に集まっていた。
砲門を連ねた魔導戦列艦、巨大な魔法陣を甲板に刻んだ魔法船、大型の竜母。グラ・バルカス帝国を討つため、中央世界各国の主力艦から成る遠征艦隊である。
「各国艦隊、出港を開始しました!」
「了解。混乱のないよう、各隊に規定の間隔を守らせろ」
音楽と歓声に送られて戦列艦が動き始め、魔法船と竜母が続く。やがて〈ゴールド級〉と〈ミスリル級〉を中核とする帝国艦隊も錨を上げ、港外で縦陣を組み始めた。
港務官が指示を伝える間に、港湾管理責任者であるブロンズは遠征艦隊を眺めていた。艦列は視界を埋めるほどだったが、あの日、港を守った白い軍艦も、日本の黒い巡洋艦も、その中には見当たらない。
見物人の歓声が管制室にも届く中、ブロンズは、最後まで姿を見せなかった二隻に思いを馳せながら大艦隊を見送った。
■グラ・バルカス帝国 レイフォル自治区
情報局技術部支所
情報技官ナグアノは、机に広げた写真と報告書を順に見比べていた。
敵国の技術水準と戦術を分析する技術部は、転移後の帝国軍が連戦連勝を重ねるにつれ、軍部から軽視されるようになっていた。異世界の諸国は帝国より数十年から数百年遅れている。その認識が軍部に定着し、人員も予算も削られていたのである。
カルトアルパス沖海空戦を境に事情は変わったが、急に増えたのは仕事だけで、人員の補充はまだ届いていなかった。
「ロウリア王国は低脅威。後回しでいいな」
ナグアノは、帆船の舷側に矢除けの盾を並べた軍船の写真を脇に寄せた。兵器というより歴史劇の大道具に近い。次の写真には、パーパルディア皇国の一〇〇門級魔導戦列艦が写っていた。
「回転砲塔以前の戦列艦か。砲の射程は短いが、〈風神の涙〉という魔法具は興味深い。風量を安定させられるなら、艦上機の発艦補助に転用できるかもしれん」
「また始まったな。そんな骨董品から、よく使い道を拾えるものだ」
向かいの机にいた同僚は、書きかけの報告書を脇に置いた。
「敵艦として弱いことと、技術に価値がないことは別問題だ。調べるだけなら安い」
ナグアノは〈風神の涙〉に要研究の印を押し、ムー王国の資料を引き寄せた。写真に写る主力艦は、艦首側に大口径砲を集中した〈ラ・カサミ級〉であり、先の戦闘では損傷しながらも二十三ノットを維持し、帝国艦隊に接近を試みている。
「船体設計は半世紀ほど遅れているが、航空技術の差はそこまで大きくない。独力で飛行機械を発達させただけあって、工業の基礎は悪くないな」
「だが、現用機では〈アンタレス〉の脅威にはならん。艦隊も我が軍の射程に入れば終わりだろう?」
「現状ではな。問題は、あの国が性能差を理解し、埋めようとしていることだ」
神聖ミリシアル帝国の資料には、青白い光を曳く魔導粒子砲を備えた艦艇が並んでいた。構造も材質も解明できていないが、実戦記録から威力の推定はできる。帝国艦に損害を与え得る一方、射程と対空能力には明確な限界があった。
「本来なら、最大の脅威は神聖ミリシアル帝国だった」
「過去形なのか?」
「少なくとも、先の戦闘まではな」
ナグアノは別の封筒を開き、カルトアルパス沖で撮影された二枚の写真を並べた。一枚目には戦闘前の戦艦〈グレート・アトラクター〉、もう一枚には、主砲塔から炎と黒煙を噴き、艦橋周辺を破壊された同艦が写っている。四〇・六センチ砲弾は目標に届く前に炸裂し、一〇〇ミリ砲六門も発砲前に破壊されていた。
「交戦相手は、イルメリアの軽巡洋艦。外見だけなら、ムーの旧式巡洋艦よりも更に古いものだ」
「レーダーに映らず、四十五ノットで接近しながら主砲弾を空中で破壊した艦だろう? それを旧式艦と呼ぶ意味があるのか?」
「ないな。古いのは艦形だけだ」
具体的な攻撃方法を確認できないまま、主砲塔と速射砲だけが狙い澄ましたように破壊されている。残された痕跡から、高出力の熱線兵器と超高速砲が使用された可能性は高いが、詳しい原理までは分からなかった。
「推進器と浮力を残し、攻撃能力だけを奪ったうえで撤退信号か… 撃沈できなかったのではなく、沈める必要がなかったんだ」
「帝国最強の戦艦を相手に、そこまで加減したというのか?」
同僚から、先ほどまでの軽い口調が消えていた。ナグアノはそれに答えず、日本国の重巡洋艦に関する戦闘記録を開いた。
相手は排水量一万トン程度、最大速力も三十ノット以下と予想されたが、東征艦隊が発射した対艦誘導弾十二発を多数の速射砲と機関砲で迎撃し、そのまま前進を続けた。敵の主砲は初弾の着弾を待たずに射撃を続け、四十五キロ離れた戦艦〈ベテルギウス〉の上部構造物と対艦誘導弾発射機を損傷させている。
「艦の構造は旧式だが、目標探知能力と迎撃能力が異常だ。まるで、艦全体が一つの機械として動いている」
「それもイルメリアの技術か?」
「おそらくな。けどな、それだけで片づけると判断を誤るぞ」
ナグアノは日本とイルメリアの資料を一つにまとめ、赤い紐で綴じ直した。
夕刻、ナグアノが帰宅の支度を始めたところで、部内郵便を担当する職員が封書を持ち込んだ。
「ムーで資料を収集している協力者から、兵器関係の出版物が届きました。至急扱いです」
現地人の協力者が持ち込む情報は、噂話や新聞の切り抜きが大半を占める。明日に回してもよいと思ったが、袋に押された赤い印は見過ごせなかった。
「まだ開けないのか?」
外套を手にした同僚が足を止めた。
「嫌な予感がする」
「技術屋が勘で仕事をするなよ。気になるなら確認してから帰れ。俺は付き合わんぞ」
同僚を見送ったナグアノは、机に戻って封を切った。中にはムーの少年向け雑誌が数冊と、特集記事の訳文が収められていた。添えられた報告によると、いずれも書店で普通に売られているものだという。
表紙には色鮮やかな軍艦や飛行機が描かれ、冒険小説や科学記事に交じって各国の兵器が特集されていた。ムーの軍兵器群やイルメリアの巡察艦、神聖ミリシアル帝国の軍艦と航空機が、イラストとともに紹介されている。
その次の雑誌には、後退翼を持つジェット戦闘機の図版が載っていた。機首の吸気口、主翼と尾翼、翼下に吊られた誘導弾まで、帝国海軍の艦上戦闘機〈アンタレス〉が描かれていた。
「何だ、これは…!?」
見出しには〈仮称 ファーマー〉とあり、機体の大きさと翼形から推定した最高速度や上昇性能が添えられていた。記事は外観からの予想であると断っているが、数値は帝国側の性能資料と大きく違わない。
ほかの号も確かめると、帝国の大型対艦誘導弾、短距離防空誘導弾、多銃身機関砲が、それぞれ個別の特集になっていた。詳細なイラストと、寸法から予想した射程、速度、発射能力が、少年にも読める言葉で説明されている。内部構造や正確な性能は不明とされていたが、兵器の種類を取り違えた記事は見当たらなかった。
戦艦〈グレート・アトラクター〉を扱った見開きには、四〇・六センチ三連装砲三基と、舷側の大型対艦誘導弾発射筒を備えた艦の姿が描かれていた。船体の大きさから推定した排水量は六万トン級とされ、速力や主砲の射程についても予想値が示されている。
「こんなものを、子供が買って読むのか…」
ナグアノは帝国側の資料を取り出し、各記事の数値と照合した。誤差もあり、装甲厚や探知距離のように判断を留保した項目も多い。それでも、外観だけを手掛かりに、帝国兵器の性能をかなりの範囲まで絞り込んでいた。
これほどの推定を行うには、機体や船体の形が性能にどう結び付くか、搭載された兵器がどの程度の能力を持つかを理解していなければならない。ムーでは、その知識に基づく記事が少年向けの読み物として流通しているのである。
「我々が脅威を測りかねている間に、向こうは我々の性能を予想しているのか…」
ナグアノは帰宅用にまとめた書類を机の端に押しやり、新しい用紙を取り出した。
「戦略評価を改める必要がある。今夜中に上申しなければ…」
信じてもらえるかは分からない。それでも、危険を知りながら記録に残さなかったという言い訳だけは、技術者としてしたくなかった。
翌朝、出張所に入ったナグアノは、職員たちが通信室の前に集まっていることに気づいた。
「何かあったのですか?」
「日本近海で、潜水艦三隻が消息を絶ったそうだ」
先輩技官は小声で続けた。
「日本沿岸の偵察に派遣されていた艦だ。各艦とも最後の連絡を残した後、定時通信が途絶えた。帰投予定日を過ぎても、一隻も戻っていない」
「三隻ともですか!? 撃沈されたということですか?」
「そこまでは分からん。哨戒区は別々で、敵に発見されたという報告もない。ただ、三隻がそろって通信設備の故障を起こしたとは考えにくい。海軍も、日本近海での潜水艦運用を見直すらしい」
昨夜の雑誌には、日本の対潜哨戒機や哨戒艦を紹介する記事があった。潜水艦の消息不明と結び付ける証拠はないが、帝国の潜水艦ならば日本の沿岸まで容易に潜入できるという従来の評価は、もはやそのまま使えなかった。
ナグアノは席に戻ると、上申書の危険度区分を一段引き上げ、最優先の印を押した。
■グラ・バルカス帝国 帝都ラグナ
軍本部
国家転移後も版図を広げ続けるグラ・バルカス帝国は、占領地の鉱山と工場を接収し、現地住民を労働力として生産を維持していた。レイフォル自治区も、いまでは東方侵攻を支える兵站拠点の一つである。
軍本部の大会議室には各軍の幹部が集まり、帝都防衛隊長イジス、帝国海軍東部方面艦隊司令長官カイザル、帝国監査軍司令ミレケネスも席に着いていた。
説明役の若い参謀は、壁面地図に各国艦隊の推定針路を示しながら報告を始めた。
「諜報員および航空偵察の報告を総合します。異界諸国の連合艦隊は本日、カルトアルパスを出港。中央世界各国の旧式艦は推定二百五十隻。これに神聖ミリシアル帝国の主力三個艦隊、西部方面艦隊、地方隊が加わっています。ムー東方海域で第二文明圏艦隊と合流、目標はレイフォル沖と予想されます」
説明が終わると、会議室にざわめきが広がった。
「ようやく本気になったか。数だけは大したものだな」
ミレケネスは戦力一覧の最終欄まで確認し、参謀に問いただした。
「監査軍だけで処理するには多すぎる。神聖ミリシアル帝国の主力が含まれる以上、東部方面艦隊との共同作戦が妥当でしょう。カイザル長官、異論は?」
「ない」
カイザルが即答する。
「帝都防衛は帝都防衛隊と西部方面艦隊に任せ、東部方面艦隊主力で迎撃する。一戦で連合艦隊の海上戦力を失わせるべきだ。敵の大半は数世代前の艦艇であり、数を揃えても射程と速力の差は埋まらん」
「神聖ミリシアル帝国の主力には、どのように対処しますか?」
「魔導粒子砲の有効射程には入らず、航空攻撃と対艦誘導弾で削る。先の資料から、艦の性能と攻撃能力も判明している。同じ手を二度も受けるつもりはない」
その方針を軸として、遠征艦隊の出撃準備とレイフォル周辺の防備強化が決められた。兵力配分の確認が終わると、カイザルは報告書末尾の付記を読み上げた。
「日本とイルメリアは参加しているのか?」
「確認されておりません。両国とも今回の艦隊には参加していない模様です」
「ならば、作戦全体に影響はないでしょう」
別の参謀が所見を述べたが、カイザルは資料を閉じなかった。
「〈グレート・アトラクター〉は兵装を奪われた。東征艦隊も、日本の巡洋艦一隻を相手に転進している。今回は参加していないが、脅威ではないと考えるな」
「失礼しました。しかし、イルメリアには大艦隊を維持する国力がないと考えられ、日本も同様です。少なくとも短期間に、帝国と同規模の戦力は揃えられません」
「短期間ならば、か…」
カイザルの手元には、情報技官ナグアノが作成した技術評価報告も届いていた。ムーの雑誌が帝国の兵器を個別に取り上げており、具体的な性能は記されていないが、ムーなどの主要国の兵器も取り上げられている。
「連合艦隊は予定どおり撃滅する。ただし、日本とイルメリアの監視を強化し、両国が戦場に現れた場合は直ちに作戦を再検討できるようにしておけ。現場判断による深追いも禁ずる」
「そこまで警戒なさるのですか?」
「未知の兵器を侮って艦を失うより、警戒しすぎたと笑われる方がまだましだ」
参謀は命令を復唱し、修正事項を書き留めた。