エスペラント王国 カルズ地区
バルサス邸
翌朝、
足にはまだ痛みがあった。岡が身体を起こすと、バルサスが診察のため顔を出した。
「腫れは少し引いたね。ただ、歩けるからといって、仕事に戻っていいわけではないよ。軍団の衛生兵からも、しばらく休ませるようにと言われているからね」
「はい。他の負傷者はどうしておりますか?」
「この村で休んでもらっている。ずいぶん村長が動いてくれたよ」
バルサスが包帯を巻き直していると、サフィーネが朝食を運んできた。トレーにはパンと温かいスープが載っていた。持参した
「父さんに叱られないうちに、ちゃんと食べてね。今日はお客さんも来るそうだから」
「客、でありますか?」
「ここの騎士様と、王宮の学者様。飛んできた人たちから、話を聞きたいんですって」
岡は、エリクソン大佐とカッリオ小隊長が対応するのだろうと思っていたが、朝食が終わるのを見計らってか、カッリオ中尉が部屋に入ってきた。
「岡伍長、王国側から君にも会いたいと申し入れがあった。日本の兵士が来たと聞いて、関心を持ったらしい。診察の邪魔にならない範囲で話をしてもらえないか?」
「了解であります。
「許可を取っている。曹長は輸送機のところだ。私は下にいるので、何かあれば呼んでくれ」
中尉と交代に、従者を伴った若い騎士が現れた。騎士の鎧と服装は、村で見かけた衛兵の装束とは異なっていた。
「カルズ地区の守護を務める、正騎士ジャスティード・ワイヴリューだ。貴官が日本という国の兵か?」
「日本国防軍の岡真司伍長であります。負傷のため、この姿で失礼いたします」
岡が寝台から敬礼する。ジャスティードは椅子に座り、傍らの従者に記録を取らせた。氏名と所属を確かめる質問には、彼にも答えられた。しかし、国同士の取り決めや、今後の展開に関しては、説明できることは少なかった。
「私は調査分隊の一隊員であります。派遣の規模や国同士の取り決めについては存じません。そちらは、分隊長かイルメリアの小隊長にお尋ねください」
「では、魔獣と戦ったことはあるのか?」
「いえ。こちらでの戦闘は経験しておりません」
「そうか。ここでは訓練通りやれば良いのではない。敵は人を殺すだけでなく喰らうのだ。壁の外に出るなら、覚悟しておくことだな」
岡は、そんな騎士の言葉を半ば聞き流していた。
彼とて大戦を戦い抜いた軍人である。魔獣など、連合軍の戦車に比べたら、赤子のようなものだと思っていた。
「怪我人に、朝からそんな話をしなくてもよいのでは?」
バルサスが見かねて口を挟むと、騎士はサフィーネの方を見た。彼女は岡の食器を片づけながら、騎士の話を案じるように聞いていた。
「言っておく必要があるのだ。いざ敵を前にして、怯えて縮こまっていては困るからな」
「怪我人に言う事ではないでしょう」
ジャスティードはバルサスに言い返しかけたが、階下からの声に遮られた。
「もう会っているのかい? 私も話を聞きたいんだが!」
足早に階段を上がってきたのは、細身の男だった。
「私は王宮科学庁のセイだ。君の国も魔力を使わずに機械を動かすと聞いたよ。トゥーレの人たちから、いろいろ教えてもらっているところなんだ」
セイは空いていた椅子を引き寄せた。ジャスティードは姿勢を正したが、学者はそれに構わず岡に話しかけた。
「君たちは、もともと違う世界から来たんだろう? 日本でもあの飛行機械を作れるのかな?」
「あれはイルメリアの輸送機であります。我が国にも航空機はありますが、同じものが作れるわけではありません」
国家の転移については、すでにトゥーレ軍団から話を聞いているという。それでも、兵士と装備だけを送られた軍団と、国土そのものを伴って転移した日本やイルメリアとの違いは、王宮でも議論になっているらしかった。
岡は答えられる範囲で説明したが、やがてセイの質問は、彼の知識では追いつかないものになった。飛行機の構造も、国が転移した理由も彼の理解を越えていた。
「申し訳ありません。自分には、その辺りはわかりません」
「いや、こちらこそ聞きすぎたね、ありがとう。動けるようになったら、あの機械のところでも話を聞かせてほしい。日本の装備にも興味があるんだ」
セイが立ち上がり、ジャスティードも従者を促した。退出する前、騎士はベッドに近づき、声を落として言った。
「サフィーネの世話になっているからといって、馴れ馴れしくするなよ」
岡が返事をする間もなく、ジャスティードは階段を下りていった。先ほどまでとはずいぶん違う言い方だったが、サフィーネは困った顔をしただけで、説明しようとはしなかった。
カルズ地区 不時着現場
四日後。岡は衛生兵から、短距離なら歩いてもよいと許可された。ちょうど王宮科学庁の一行が不時着現場を訪れることになっており、岡も日本隊の装備を説明するため、バルサスとサフィーネに付き添われて外出した。
村を出た馬車は畑の間を進んだ。道の脇には土嚢が積まれ、イルメリア兵が警戒に当たっていた。小隊の一部はトゥーレ軍団の駐屯地で後続の受け入れ準備を手伝い、残りは輸送機の警備と修理に当たっていた。
馬車が止まり、岡はサフィーネの手を借りて降りた。機体の傍らでは、
「足はどうだ?」
「歩けるようになりました。まだ、走るのは止められています」
「なら、言われたとおりにしておけ。無理をすれば手間が増える」
舟坂はそう言って、岡の小銃を確かめた。村の中でも襲撃の危険があるため、動ける者は武器を携行するよう命じられていた。
少し離れた場所では、セイが整備兵から説明を受けていた。彼はこれまでにトゥーレ軍団の車両や機材を見てきたが、巨大な輸送機は、それらとは異なっていた。
「では、飛ぶための力は主翼だけでなく、脚の機械でも補うのかい?」
「離着陸の際に使います。普通に飛んでいる間は、主翼で機体を支えています」
説明を聞いていた日本兵が、脚部のローターを眺めてつぶやいた。
「こんなものを脚に組み込むとはなあ」
「俺たちが無事に降りられたのも、こいつのおかげだな」
舟坂は資材を置くと、整備兵に作業の続きを尋ねた。機械については専門家に教わり、兵士の手でできることを引き受ければよい。彼が部下に命じるのも、それだけだった。
「分からんことは先に聞いておけ。勝手に触って壊すなよ」
小隊長のカッリオは、作業台で輸送機の修理状況と物資の搬出記録を照合していた。現地の兵に渡した医療資材も、修理に必要な部品も、通信が回復したときに本部に知らせなければならない。セイから頼まれた見学についても、機長と整備兵に確認し、立ち入れる場所を決めていた。
「岡伍長。日本隊の装備については、貴様から説明を頼む。装備の分解や試射まで求められたら、曹長に確認してくれ」
「了解であります」
岡がセイのところに向かうと、護衛を率いてきたジャスティードが彼を見ていた。
「まだ治っていないのか?」
「説明するだけなら支障ありません」
「余計なことをするなよ。今日は学者殿を案内するために来ているのだからな」
騎士はそう言って周囲の兵に目を配った。王宮科学庁の一行が滞在する場所には、王の使いであることを示す王旗が立てられていた。
岡はセイの質問に答え、小銃の使い方と、背負ってきた装備を説明した。学者は銃そのものよりも、兵士が携行する装備に関心を示した。弾薬
「同じものを全員に持たせるのだね。トゥーレの兵士もそうだったが、君たちの国でも、兵士ごとに必要な物が決まっているのか」
「任務によって違う物もありますが、基本の装備は同じです。食糧や医療品も自分で持っています」
「それなら、怪我をした者を助けるときに、何がどこにあるかわかるわけだ」
サフィーネも話を聞きながら頷いていた。父の診療を手伝う彼女には、銃の構造より、こちらの方がよくわかった。
突然、城門の方から鈍い音が響いた。岡が振り返ると、村に続く門の上に煙が上がっていた。
「何だ?」
ジャスティードが護衛の兵を呼び寄せる間にも、門の方で警鐘が鳴り始めた。見張りが城壁の上を走り、機体を警備するイルメリア兵も銃を構えた。
「北門から魔獣が侵入! ゴブリンです!」
駆けてきた衛兵の報告に、ジャスティードは馬を引かせた。
「学者殿と村人を退避させろ。守備兵に加勢する!」
カッリオも兵を集め、村への援軍と機体の保安要員を分けた。その表情は突然の襲撃に強張っていたが、的確に小隊を動かしていた。
舟坂は、分隊の兵に門まで進むよう命じた。そのうちの一人が、付いてこようとする岡を見て足を止めた。
「伍長は先生らの護衛を頼む。負傷者と村人を守ってくれ」
舟坂たちが畑を横切ると、門の方から銃声が聞こえた。トゥーレ兵が城門付近の守備を担い、イルメリアの小隊は村への道を押さえている。
だが、すでに侵入していた魔獣は畑や家々の間に散っていた。荷車を曳いていた村人が慌てて逃げ出し、兵士たちがその後ろで敵を食い止めている。
岡はセイたちを馬車に乗せようとしたが、村に向かう道には避難する人々があふれていた。馬車を急がせれば、歩いている者を巻き込んでしまう。バルサスが御者と相談し、裏道を使おうとしたところに、ジャスティードの部下が駆け付けてきた。
「オークキング二体、
ジャスティードは馬を止めた。門周辺の魔獣に当たるつもりだったが、学者たちを置いて離れるわけにはいかない。
「弓兵は前に出ろ。残りは槍を構えろ!」
岡が道の先を見ると、畑と低い石垣の間から、大きな馬に乗った
イルメリア兵がいる方角は、〈ハイカラ〉の胴体と、搬出したコンテナに遮られていた。岡は大声で敵の接近を知らせながら、改三八式小銃の安全装置を外した。
「先生、サフィーネ、馬車の後ろに!」
サフィーネが父とともにセイの腕を引いた。弓兵が矢を放ったが、騎士は大剣を振って矢を弾き落とした。ジャスティードの命令で槍が一斉に突き出され、切っ先が黒い馬を捉えた。
岡は銃を構えたものの、目の前の味方と敵の動きが重なっていた。
その間に、黒い騎士の大剣が槍を払った。兵の一人が胸を斬られ、別の兵も馬の勢いに押し倒された。ジャスティードは剣を抜いて前に出たが、
岡は負傷した足を
セイの護衛についていた術師が、掌から青白い光を放った。黒い騎士はそれさえも大剣で払い、爆風の中から抜け出してきた。
馬車のそばで悲鳴が上がった。騎士が振り上げた剣の先にサフィーネの姿が見える。
岡は
引き金を絞ると、初弾が黒い鎧を穿った。騎士の体が揺れたが、岡は続けざまに撃った。連続した発砲音が響き、騎士の大剣が手から落ちた。
黒い鎧がずり落ちると、主を失った馬は畑の方に走っていった。騎士は地面に横たわったまま動かなかった。鎧の下から流れ出した青い血が、泥に染み込んでいった。
岡は周囲を確かめ、残りの敵を探した。漆黒の騎士を追ってきたゴブリンは足を止めていたが、やがて甲高い声を上げ、元来た道を逃げ始めた。
「追うな! 負傷者の救助を!」
岡が呼びかけると、バルサスが馬車の陰から出てきた。サフィーネも斬られた兵士に走り寄った。
ジャスティードは従者の助けで起き上がった。斃れた黒い騎士を見ると、小銃を構えたままの岡を振り返った。
「お前が倒したのか?」
「はい、他に敵は?」
問われて初めて、ジャスティードは任務を思い出した。従兵に周囲を見張らせ、村への道を確保した。
岡は、少し遅れて現場に来たイルメリア兵に事情を伝え、そこでようやく、小銃を下ろした。
門付近の戦いは、歩兵戦闘車の到着によって押し返し始めていた。エリクソン大佐は北門の損傷具合を確認すると、現地の守備隊長とともに、射線と避難する村人の通路を指示した。
「避難が終わるまでは、ここを保持する。隣の地区には、救護所の用意を頼んでくれ」
守備隊長が、なお門の外に残るオークキングを示した。大佐は味方の兵が退いたことを確かめてから、歩兵戦闘車に攻撃を命じた。
二五ミリ機関砲のバースト射撃で、オークキングが鎧ごと粉々に砕ける。ゴブリンの群れがその様子を見て逃げ出すと、ようやく射撃が止まった。
舟坂の分隊は、村に避難する荷車の護衛に当たっていた。その列にオークが迫ったとき、舟坂はその前に出た。棍棒の一撃で肩から石垣に叩きつけられたが、敵が向き直る前に起き上がると、再び踏み込んだ。
舟坂は振り下ろされる棍棒の下をくぐり、敵の腕をつかんだ。オークが引き離そうとしても、舟坂の手は引きはがせない。彼はオークを引き寄せると、その口に拳銃を突き入れた。そして、乾いた音と共に倒れる巨体を押しのけ、何事もなかったかのように村人を急がせた。
その様子を見ていた衛兵が声をかけようとしたが、舟坂はすでに、倒れた別の荷車に取りついていた。兵士二人が持ち上げようとして動かなかった荷台に肩を入れ、ゆっくり押し上げると、下敷きになっていた男の身体が見えた。
「今だ。引き出せ!」
兵士たちが衛兵を引きずり出すまで、舟坂は荷車を支え続けた。腕には血が伝っていたが、荷台を下ろすと、まだ周囲に助けを待つ者がいないか確かめた。
「曹長、腕を見せてください。出血しています」
「先に、あの男を診てやれ。俺は問題ない」
舟坂は衛生兵が駆け寄った先を見届けると、負傷者の搬送を手伝うよう部下に命じた。自分もそこに加わろうとしたところで、出血に気づいたカッリオに呼び止められた。
「曹長、そのままでは困ります。今、衛生兵を呼びますので、座っていてください」
舟坂は言い返そうとしたが、中尉はすでに別の衛生兵を呼んでいた。仕方なく道端に腰を下ろし、裂けた袖をまくった。
手当てを受けながら、彼は運ばれてきた戦死者を見た。兵士がその装備を外そうとしているのを認めると、立ち上がり、遺体の傍らに膝をついた。
「誰か、この人の名を知っているか?」
村の衛兵が一人進み出て、名を告げた。妻と幼い子が、村の東側に住んでいるという。
「家の者に知らせてやってほしい。持ち物は、そこにまとめてやってくれ」
舟坂は戦死者の衣服を整え、外された兜を傍らに置いた。運ばれてきた布で遺体を覆うと、その前で静かに手を合わせた。
カルズ地区 バルサス邸
岡が医師の家に戻ったのは、夕方近くになってからだった。無理をしたため、バルサスに何度も叱られた。
「言いつけを守れと言いたいところだが、君がいなければ助からなかった。ありがとう。ただ、今度こそ休んでもらうよ」
岡は素直には喜べなかった。村でも死傷者が出たという。目の前で倒れた護衛の兵士三人も助からなかった。
サフィーネが寝台のそばに椅子を寄せ、岡の小銃を手の届くところに置いた。
「怖くはありませんでしたか?」
「怖かったよ。でも、助けてくれた。ありがとう」
岡は彼女の顔を見てから、自分の足を見た。ここで受けた親切と、自分の役目を考えれば、当然の行動だった。
そこに舟坂が訪ねてきた。腕に巻かれた包帯に気づいて岡が尋ねると、曹長は診てもらったから心配するなと答えた。
「小隊長から聞いたぞ。先生らを守ったそうだな」
「はい。ただ、もっと上手くやれば、護衛の兵士も助かったかもしれません」
「その場にいなかった俺にはわからん。だが、貴様はやるべきことをやった」
舟坂は椅子を借りて座った。
「戦死した兵士の名前を聞いておけ。貴様の前で散華した者を忘れるな」
「はい」
岡が答えたところで、階下から来客を知らせる声が聞こえた。現れたのはセイとカッリオ中尉だった。セイは岡に礼を述べ、バルサスの許しを得てから、寝台の傍らに立った。
「王宮にも、今日のことを知らせた。陛下が君に会いたいと仰っている」
「自分に、でありますか?」
「王宮科学庁の者を救ってくれたのだから、礼を言いたいそうだ。それに、エリクソン大佐やイルメリアの人たちとも、今後の防衛について話し合いたい。君にも同席してほしい」
岡は困って舟坂を見た。曹長は、中尉に王国側との調整が済んでいることを確かめ、岡に頷いた。
「分隊長の俺も、大佐も行く。話せることを正直に話せばいい」
カッリオは、移動には燃料の関係で馬車を使うと説明した。日時はバルサスの診察を待って決めるという。
「この服で、よろしいのでしょうか?」
岡が椅子にかけた軍服を見た。セイはそれを眺め、笑って答えた。
「陛下は、君が兵士だと承知しているよ。今日、村を守ったときの服装で来てくれればいい」
バルサスとカッリオが相談を始めると、サフィーネは岡の軍服を手に取って、ほつれた箇所を調べた。王宮に行くまでに、繕っておくつもりらしかった。
舟坂軍曹のモデルは、舩坂弘軍曹です。
舩坂氏は「アンガウルの戦い」で知られる陸軍軍人で、戦中は「不死身の分隊長」「鬼の分隊長」と呼ばれ、戦後は「生きている英霊」と称されました。剣道六段教士、銃剣道錬士など武道・射撃に熟達し、個人名で記載された唯一の人物として『戦史叢書』に登場します。
戦後は米国の先進性を学ぶ思いから書店を開き、のちに「本のデパート・大盛堂書店」へ発展させました。また、印税や義援金でアンガウル、ペリリュー、グアムなどに慰霊碑を建立しました。毎年の収骨慰霊、遺族の慰霊団の引率、パラオへの支援、戦没者の調査に生涯を捧げました。