■エスペラント王国 カルズ地区
北の峡谷
その日の午後、舩坂たちは北の峡谷に向かった。調査隊を率いるシグルズソン大尉は歩兵大隊の中隊長で、エリクソン大佐から迎撃部隊の配置案を取りまとめるよう命じられている。観測所と陣地の候補地を調べるため、砲兵と工兵の将校も同行していた。
峡谷は城壁から一キロ程のところにあり、峡谷の出口側には低い斜面に囲まれた平地が広がっていいた。峡谷を囲む形で陣地を造営すれば、大軍に対して有効な迎撃が行えると考えられた。
岡はザビルに案内されて周囲を調べた。
「他に峡谷に通じる道はないのですか?」
「大軍が通れるのはここだけだ。ただ、少人数が抜けられる間道がある。前の襲撃の時もそこから奇襲を行った」
ザビルは灌木に隠れた間道を教えた。間道の出口付近には城壁まで続く窪地があり、敵から隠れて人や物を運ぶのに使えそうだった。岡は、これを負傷者の搬送路に使えないかと進言した。
「間道は工兵に見てもらおう。担架を持って動けないと困るからな」
シグルズソンは斜面を見上げた。
「歩兵二個大隊で正面を受け持つ案を報告する。私の中隊は間道側だ。イルメリア小隊や日本分隊、それに銃士隊も、その一角を受け持ってもらいたい」
舩坂は両側の斜面を見渡した。日本隊と銃士隊は正面右翼に収まる。後ろの掩体まで下がっても左翼と連絡を保てることを確かめてから、城壁に残す戦力について尋ねた。
「少数の兵を城門の守備と警戒に残す。大型魔獣による襲撃で戦力をまとめて失うわけにはいかん」
工兵将校は峡谷にあった崩落跡を調べていた。これをさらに崩せば峡谷の一部を埋められるが、峡谷全体を塞ぐ程の崩落は起こせないという。
「少しでも敵の障害になれば良いだろう。起爆の判断は軍団長にしていただこう」
調査報告を受けたエリクソン大佐は、主力となる大隊に移動を命じた。
調査の後、岡はザビルに改三八式小銃の扱いを教えた。小銃の操作を確認した後、舩坂が許可した三発を試射した。
「引き金を引くたびに一発ずつ撃てます。次の弾は自動で装填されますが、弾倉には十二発しか入りません」
「気をつけなければ、すぐに撃ち尽くしてしまいそうだな」
「はい。狙いを確かめて撃ってください。弾倉を替える際も、銃口の向きには注意してください」
ザビルは弾を装填する操作を繰り返した後、的に向かって構えた。最初の一発で照準を確かめ、残る二発を的の中心に命中させた。
「これなら、狙ったところに当てられる」
「初めてで、それだけ当てられるのは見事であります」
「射撃には慣れている。ただ、手入れは君に教わらなければならないな」
他の銃士たちはトゥーレ軍団の下士官からVKTライフルの操作を教わっていた。岡もその一挺を手に取る。樹脂製の銃床を備えているが、細身の銃身や全体の姿には見覚えがあった。
「三八式に似ていますね」
「第一次大戦時に輸入した三八式歩兵銃を発展させたものです。機関部は英式に改められています」
ザビルも改三八式とVKTを見比べ、ボルトを操作した。
峡谷の調査から五日後。斥候から、魔物の軍勢がバグラを出たとの報告が入った。早ければ翌日には、大軍の先頭が峡谷に差し掛かるとみられた。
岡が兵舎を出ると、サフィーネが待っていた。内城壁の救護所に戻る前に立ち寄ったのだといい、太陽の模様が入った色糸の腕輪を差し出した。
「エスペラントでは
岡は手袋を外し、受け取った腕輪を手首に巻いた。結び目をうまく作れずにいると、サフィーネが手を貸してくれた。
「ありがとうございます。大切にします」
「帰ってきてね」
患者に話しかけるときよりも小さな声だった。
岡は顔を上げ、彼女に答えた。
「帰ったら顔を出します。先生にも、お世話になりましたので」
「約束よ。父さんも待ってるから」
サフィーネは結び目を確かめ、岡が兵舎に戻る姿を見送った。
翌日の昼過ぎ、峡谷の奥からゴブリンの甲高い声が聞こえた。観測所の信号灯が接敵を知らせると、陣地の歩兵は射撃位置に入った。後方では予備の第三大隊が命令を待っていた。
日本隊と銃士隊は、イルメリア小隊とともに正面右翼にいた。舩坂は
「間道の見張りはそのまま続けろ。射撃待て、まだ撃つな」
先頭のゴブリンが峡谷の出口に達したところで、大隊の機関銃分隊が射撃を開始した。岩陰や後方の一団には、大隊の迫撃砲や日本分隊の重擲弾筒が充てられた。
「重擲、あの岩の後ろだ!」
擲弾が炸裂し、飛び出したゴブリンを銃士隊が迎撃した。ザビルは指揮官らしき大柄なホブゴブリンを倒し、岡はその脇から迫る魔物を撃った。
魔物の一部は正面からの接近を避け、両側の岩場を上り始めた。左翼では第二大隊の警戒部隊が、右翼はシグルズソンの中隊が射撃を開始する。城壁内では避難と搬入が続いており、バルサスとサフィーネも、王国の医者や医官に混じって患者の処置を行っていた。
やがて峡谷の奥にオークの軍勢が現れた。それらが先行集団を圧迫し、峡谷の出口は魔物で埋め尽くされた。
これを見たエリクソンは、温存していた砲兵に攻撃を命じた。
「計画射撃、峡谷内の目標に集中! 第三大隊は支援要請に備えて待機」
百五十二ミリ砲の砲撃と対地ロケット弾によって、峡谷に爆炎が広がった。爆炎に追われて出口に殺到した魔物は、機関銃分隊と歩兵戦闘車の火線に討ち取られた。
わずかな砲撃の後、砲弾が尽きた順に自走砲が沈黙し、ロケット弾の発射炎も途切れた。魔物の大軍は明らかに数を減らしていたが、土煙の奥にまだ動くものがあった。
「右翼間道、接敵!」
間道に侵入したゴブリンやオークとの戦闘が始まった。シグルズソン中隊と別の部隊が迎撃したが、遮蔽物が多く狙いきれない。峡谷からの土煙で、間道の様子は岡たちからも見えなくなった。
シグルズソンは発光信号で敵の接近を知らせた。大隊長は
「右の岩陰だ! 銃士隊の援護を頼む!」
岡と近くにいた兵士が魔物の侵入に応じたが、銃士の一人はゴブリンの槍を受け、掩体の内側に倒れた。
舩坂は数人の兵とともに駆けつけると、軽機関銃を肩当てで連射した。舟坂は飛びかかってきたオークに軽機の銃剣を突き立てると、そのまま至近距離から銃弾を浴びせる。次いで迫ったオークの斧を軽機で受けると、損壊した軽機を投げ捨て、九五式軍刀の抜き打ちでその手首を切り飛ばし、流れるように上段から切り裂いた。
「負傷者を下げろ! 後退して援護を待て!」
銃士隊は仲間を担ぐと、後方の掩体に移った。カッリオの小隊が、日本分隊と共に魔物を追い立てる。シグルズソンの中隊と第一大隊の機関銃分隊が岩場を押さえ、後続の侵入を阻んだ。
その間に、砲撃を逃れた魔物が陣地正面を圧迫し始めた。エリクソンは工兵に岩壁の爆破を命じた。峡谷の出口付近の岩壁に土煙が上がり、多数の魔物が崩落に巻き込まれた。
左翼の第二大隊の機関銃が、土煙に巻かれた魔物に射撃を再開した。
バハーラは、敵の大規模魔法で吹き飛んだオークを見た。間道に回った魔物の多くは討たれ、城壁に向かった群れも左右の陣地からの攻撃で斃された。以前の襲撃の際に比べ、明らかに敵兵が多い。
「ゴルアウスを出せ。他の魔物はそれに続け!」
峡谷の奥から現れた怪物は、大きな角を持ち、巨体は鋼のような剛毛に覆われていた。丸太のような脚で逃げ惑う魔物を踏みつけながら、ゆっくりと陣地に近づく。
バハーラはゴルアウスの背に上がった。峡谷の出口に差し掛かると、灰色の兵の銃が火を噴き、ゴルアウスの頭や肩に弾が当たった。巨獣は不快そうに顔を振ったが、その歩みは止まらなかった。
「正面の敵を潰せ!」
オークキングを従えた
バハーラは、額の宝玉の奥に鈍い痛みを感じ、鞍の縁を掴んだ。