■北欧 バルト海東部
西暦二〇四五年一月未明
「……?」
明け方、彼女は大きな揺れと眩い光で目を覚ました。
古風だが、手入れの行き届いた室内。
上質の木材でできた調度品。
窓には落ち着いた緋色のカーテンが掛けられている。
鏡に映る部屋の主は、ブルネットの髪に碧い瞳、整った顔立ちの若い女性。
白いナイトガウンを身に纏っていた。
彼女はカーテンを開け、外を確認した。
窓の外には、雪に覆われた古風な街並みと、北国の鉛色の空が広がっていた。
眩い光は一瞬だったようだ。
いつもなら、海を隔てた数キロ先に皇都の煌めきが見える。
だが、この日、遠くに広がっていたのは、灯り一つない影のような陸地だけだった。
手元のPDA(携帯情報端末)には、災害を知らせる通知はない。
情報を得ようとテレビを点けてみたが、画面は真っ黒のままだった。
深夜や早朝であっても、災害時には緊急放送が行われるはずなのだが、画面には
(まさか、電磁パルス攻撃? 最悪を想定して緊急招集を……)
彼女は決断すると同時に、サイドテーブルの電話を取った。
「わたくしです。至急、先程の閃光と地震の被害調査を。……わかりました、すぐ参りますわ」
■イルメリア公領
領都マリポリ 警備隊本部
イルメリアの領都マリポリにある、中世の城館を改修した警備隊本部。
領主ユリア・テオドラが急ぎ足で到着したとき、先程の閃光と地震、それに引き続いて起こった大規模な通信障害によって、そこは混乱の渦中にあった。
「マリポリ周辺で震度四相当の地震が発生!」
「皇都および海外との通信途絶!」
「防空隊より入電、滑走路上に丘陵が出現!」
「領海軍より通信! レーダー上、周辺の陸地がロスト!」
次々と入ってくる、不可解な状況報告。
「状況はどうなっておりますの?」
当直士官を捕まえ、ユリアが尋ねる。
「状況不明です、姫様。皇都ならびに他国との通信がすべて不可能。沿岸警備隊からは、バルト海周辺諸国が見当たらないとの緊急電が入っております」
そして、さらなる情報がその場に衝撃を与えた。
「軌道上のアルカナから入電。『当方異常なし、なれど状況不明。転送データを確認されたし』……映像、来ます!」
「フローティング中央に映して!」
係官はユリアの指示を受け、映像を空中に投影した。
映し出されたのは、見慣れたイルメリア諸島の島々。
だが、それを取り囲んでいた陸地はすっかりと消え失せていた。
島の北側に広がっているのは、人工物がほとんど見当たらない未開の大陸。
皇都のあるスカンディナヴィア半島ではない。
見たこともない大陸だった。
「これは……地球ではありませんね……」
ユリアは思わず呟いた。
「警備隊は警戒態勢に移行。航空隊は状況確認を……」
「姫様、航空基地の滑走路は現在使用不能。復旧まで時間が掛かるそうです」
「そう……では、海防艦をEEZ(排他的経済水域)境界まで派遣。全軌道ドローンを周回軌道に降ろして、情報収集を急がせなさい」
「はっ!」
当直士官は左胸に拳を当てて敬礼すると、手早く部下に指示し始めた。
■領軍本部会議室
会議室のテーブルを、領主ユリアと、大臣にあたる五人の政務官、そして警備隊幹部が囲んでいた。
十人委員会と呼ばれる組織で、議会の権限を越えて外交、軍事上の非常事態に対処することを目的としていた。
閃光と地震、それに引き続いて起こった大規模な通信障害。
今回の明らかな異常事態に対応すべく、彼らは議論を重ねていた。
しかしながら、会議は一向に進まない。
原因は単純だった。
そもそも、情報が足りないのである。
朝起きたら見知らぬ世界にいた――そんなファンタジーじみた事態に、どう対応すればよいのか。
誰にも分からないのだ。
(そろそろ纏まりませんかしら……。これではいつまで経っても……)
聞き役に回っていたユリアが、そろそろ取り纏めが必要だと感じたとき、会議室に電話が入った。
「報告。南西方向に中波放送を検出。また、北方から木造船が接近しています」
(中波放送? 各国のAM放送は廃止されているはずだけど……。それに木造船?)
「承知しました。木造船への対処を優先。中波放送の方は調査を継続してください」
十一時を前に会議は終了した。
ユリアは、これ以上朝食を遅らせたくはなかった。
第三文明圏列強国、パーパルディア皇国のあるフィルアデス大陸の北東部に、四国ほどの大きさの陸地があった。
そこにはトーパ王国という国があり、両端は細長く伸びた地峡となって大陸に繋がっていた。
王国の北東部はグラメウスと呼ばれる大陸に接していたが、そこには人類の文明国家は存在せず、魔物と呼ばれる生物が跋扈する未開の地が広がっていた。
魔物は、控えめに言っても害獣。
いわゆるクリーチャーの類であり、人類との共存は困難だった。
文明を持たず、意思疎通も困難。
さらに人間を見れば、バーサーカーのように襲い掛かり、捕食するためである。
そのトーパ王国の北東、グラメウス大陸との間には、人類世界の護りとして「世界の扉」と呼ばれる、高さ二十メートルを超える堅牢な城壁が築かれていた。
この城壁と付近の城塞都市トルメスが、永きにわたって魔物の侵入を防いできた。
それゆえ、トーパ王国の戦士たちは、世界の扉の守護者として高い誇りを持っていた。
冷涼な気候のため、この世界の主要な航空戦力であるワイバーンの飼育こそ不可能だったが、常に臨戦態勢にあるため兵の練度は高い。
こと陸戦に関しては、文明国水準にあるアルタラス王国に匹敵する戦力を持つとみなされていた。
■トーパ王国 王都ベルンゲン
中央暦一六三八年一月某日
その日、トーパ王国の王都ベルンゲン沖に、見慣れぬ島々が突如出現した。
原因は判らない。
朝起きてみると、王都の沖に、それまで存在しなかった島々が忽然と現れていたのだ。
夜が明けるのを待ち、調査のためロングシップ(ヴァイキング船)を派遣したところ、島には立派な都市や城塞、そして見たこともない施設や船が存在していた。
さらに驚いたことに、島の人々は口々に、どうやら自分たちは別の世界に来てしまったらしいと話していた。
その島々は、この世界とは異なる地球に存在した国家、北方ローマ皇国の一部が転移したものだった。
諸島全体は領主であるテオドロス専制公家の所領で、島々の名を取ってイルメリア専制公国と呼ばれていた。
領民は約百五十万人。
公領の中心は、狭い海峡を隔てて東西に分かれたイルメリア島である。
海峡沿いには人口三十五万の領都マリポリがあった。
マリポリは歴史的な街並みが残る港湾都市で、領主館のある旧領都をはじめ、数々の建造物や工廠、港などで構成されている。
海峡の対岸には工業都市ペラがあり、周辺の島々には漁村や農地が点在していた。
冬は厳しい寒さと雪に閉ざされるが、夏になれば菜の花やライラックが咲き乱れる、緑豊かな島々であった。
なお、イルメリアの名は、虹の精霊を意味する「イリスメリア」が訛ったものと言われている。
彼らは北方ローマ皇国内の自治領、いわば半独立国であった。
そのため、本土から切り離されたとはいえ、混乱は比較的少なかった。
しかしながら、何の情報もない見知らぬ世界において、領民の生活と安全を保障することは喫緊の課題だった。
専制公ユリア・テオドラは直ちに非常事態宣言を発令。
状況が明らかになるまでは群島外への移動を禁止し、領軍に対しても不測の事態に備えて警戒を命じた。
エネルギーや食料については、大きな問題にはならなかった。
島の西部の大半が農地や森林であったことに加え、核融合や水素光触媒施設から供給される電力で稼働する植物工場も存在していたためである。
幸運なことに、対岸に位置するトーパ王国が好戦的な国家ではなかったため、イルメリア公領は平和裏にこの世界との接触を果たすことができた。
接触時に多少の混乱はあったものの、その後のトーパ王国との交流は順調に進んだ。
トーパ王国は近代的な設備や船を導入したことで、農業や漁業の生産を拡大。
一方のイルメリアは、不足する鉱物資源や畜産物などを得ることができた。
また、交易によって得た生活用品は、双方の暮らしを潤した。
トーパ王国側は、小銃や機関銃などの近代兵器を入手したことで、世界の扉に来襲する魔物に対して大きな優位を得た。
くわえて、同じ北方の民として気質や文化が似通っていたことも、両国の良好な関係構築を促していった。
イリスメリアは造語です。
あまり気にしないでください。