冬隣り
それは皇国にとっては、些細なことだったのかも知れない。
ある日、最果ての海で、パーパルディアの息の掛かった海賊が、日本の船を襲撃した。
乗組員を殺害し、積み荷を奪った。
彼らにとって、いつもの仕事であった。
不運だったのは、海賊の獲物が、イルメリアがチャーターした貨物船だったことである。
制海権を侵されたイルメリアが、これを座視しているはずもなかった。
男は海賊だった。
操るは、皇国海軍のお下がりの戦闘帆船。
旧式とはいえ大砲を備え、十分な規模と戦闘力を備えた海賊船は、周辺諸国の脅威であった。
非公式ではあったが、彼ら海賊も、皇国の戦力として数えられていたのだ。
いつものように意気揚々と外海に乗り出した男は、そこで閃光とともに意識を失った。
そして、どこでどうなったのか、部下とともに見知らぬ浜辺で目覚めた。
船を失い、食糧もなく、手元にあるのは剣と斧だけ。
男は部下とともに、食糧を求めて手近な集落を襲った。
それは、海賊として当然の選択だった。
ただ一つの過ちは、彼らが襲った集落が、パーパルディア皇国の領内に位置していたことだった。
フィルアデス大陸の東に拡がるフィニス海。
ここ最近、この海域を航行する海賊船や私掠船などが、次々に行方不明となっていた。
それらは決まって、パーパルディア皇国、あるいはその息の掛かった船だった。
ある者は、それを海の悪魔の仕業と言い、またある者は、他国による秘密裏の攻撃だと噂した。
やがて、パーパルディアの船乗りたちは、海に出ることを恐れるようになった。
後に言う、海賊船連続襲撃事件である。
その犯人は、現在も不明のままだった。
■中央暦1639年10月20日
イルメリア専制公国 マリポリ港
東京発の貨客船「氷川丸」が、曳船に引かれ、定刻通りマリポリ港に入港した。
堅牢な設計と幸運によって、戦没を免れた数少ない大型貨客船、氷川丸。
史実ではシアトル航路に就役していた氷川丸は、転移後、横浜―マリポリ間の定期航路に就いていた。
その姿は、病院船時代の白塗装。
赤十字の標識を消しただけの白い船は、この国でも「白鳥」の愛称で親しまれていた。
氷川丸の舷梯から、一人の男が港に降り立った。
年の頃は50歳前後であろうか。
日本人としては背が高く、英国仕立てと思われるコートに身を包んでいた。
経済安定本部次長、白川次郎である。
午後4時。
太陽は西の空に沈み始めていた。
厚手のコートを羽織ってきたのだが、それでも予想以上に寒さが堪えた。
イルメリアは北の国である。
この時期のマリポリは、日中でも5度前後。
真冬の東京よりも寒いくらいであった。
白川は白い息を吐きながら、近くの電停から、シンプルな形の路面電車に乗り込んだ。
窓越しに見える、早くも雪が舞い始めた街は、どこかおとぎ話めいて見えた。
車内照明の明るさ、適度な空調、そして乗り合う裕福そうな人々に、彼は思う。
今の帝都とは大違いだな、と。
旧領都と呼ばれる景観保存地区で降りた彼は、メモを片手に、とある店に向かった。
指定された場所は、旧領都と新市街を分かつ城壁から少し歩いたところにあった。
”clausa(閉店)”の札が掛かったドアを、決められた回数ノックすると、ややあって初老の男が彼を出迎えた。
指定された場所は、カフェ・アトモス。
マリポリでも老舗のカフェは、ある会合のため、本日は貸し切りとなっていた。
「しかし、この店を指定されたときは、戸惑いましたよ」
貸し切りの店内で話す白川。
対面に座る相手は、この国の領主だった。
「そうかもしれませんわね。ですが、このようなお話に、ここは丁度良いのです」
微笑みながら話すユリア。
「と仰いますと?」
「ここの主人は、長く当家に仕えておりましたから」
白川がカウンターの店主と見ると、初老の男は軽く頭を下げた。
ごく自然にではあるが、白川の一挙一動は男に観察されていた。
「なるほど。信頼のできる人物、ということですね」
「左様です。それに・・」
「それに?」
ユリアは答えた。
「わたくし、この店を、とても気に入っておりますの」
白川は分厚い封筒を旅行鞄にしまうと、一礼して席を立った。
(軍事は専門外だが、とりあえず一読しておくか・・)
イルミネーションが灯る街を横目に、急ぎ足でホテルに向かった。
封筒の中身が気になる事もあったが、単純に寒かった。
この世界に多数存在する覇権国家。
その脅威に対抗し得る組織の編成と、老朽化し、数さえも揃わない装備の更新を目的に、水面下で結成された防衛再建整備本部。
彼は、その次長職を兼任していた。
それ故に、今回の渡航は公にはできず、あくまで一私人としてのものだった。
■パーパルディア皇国 第三外務局
カイオスは東部担当部長のタールから上げられた報告書に目を通していた。
読み進めるうちに、胃の痛みはますます酷くなっていく。
だが、その痛みも報告書の内容と比べれば、幾分か穏やかだったかも知れない。
それ程に、現在の東方海域は不穏さを増していた。
曰く、海賊船や私掠船の半数が未帰還。
曰く、武装商船団の2割が行方不明。
さらには、東部沿岸で多発する略奪と暴動。
ふと彼は、二か月前の出来事を思い出した。
フェン沖海戦の衝撃で忘れていたのだが、海賊討伐への協力依頼を渡してきたのは、確か、あの国ではなかったか?
(・・まさか、裏にいるのはイルメリアか? あるいは五国連盟全体が動いているのか?)
カイオスは、先日の電波ジャック事件以降、日本やイルメリアに対する評価を改めていた。
彼は、両国とも取るに足らない小国ながら、ある分野では皇国に匹敵すると考えていた。
もっとも、彼の危惧を、上層部は一笑に付したのだったが。
日本郵船氷川丸HPより
氷川丸は日本郵船が1930年にシアトル航路用に建造した貨客船です。
当時最新鋭の船として竣工しました。
戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。
船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、活躍しました。