中央暦1639年11月18日
イルメリア専制公国 マリポリ旧港
元老院での騒動の翌朝。
市内最北部にあるかつての軍港、マリポリ旧港。
18世紀以来の港には、雪の舞う早朝にも関わらず、出港する船を見送るため、アルタラスで処刑された者たちの親族や友人が集まっていた。
やがて、ラッパの音が鳴り響く中、石造りの岸壁から白亜の船が離れていった。
舷側に並んだ船員たちが、見送る人々に帽子を振る。
その先頭には、深緋の衣装がひと際目立つユリアの姿があった。
船は港外で待機していた二隻の船を伴って、徐々に小さくなっていった。
吹きさらしの甲板からブリッジに入ったユリアは、敬礼で迎える船員に軽く会釈すると、いつも通りこの船を任せる、ラウリ・ワルデンに声を掛けた。
「ワルデン、今回もよしなに」
「はっ!拝命致しました」
それだけ言うと、彼女は船尾にある私室に消えて行った。
北海道北方海域
宗谷岬北方の海は今日も荒れていた。
その海上を、1000トンに満たない小型低速の軍艦が、大きく揺られながら航行していた。
保安隊所属の哨第49号、元特設輸送艦、海第49号である。
この海域の警戒に当たっていた哨第49号の艦橋では、艦長と当直士官が愚痴をこぼしていた。
「やれやれ。この海域の担当とはいえ、これだけ揺れては堪らんな」
「全くです。そろそろ配置換えをして欲しいものです」
「とはいえ、人手不足の上、海賊退治までやるとなると、当分はここに張り付けだな」
海が荒れる冬場ゆえ、海賊や私掠船の姿は終ぞ見掛けられなかったものの、ここが日本とトーパ、イルメリアを結ぶ重要な航路であることに変わりはない。
万一の事態に備えた哨戒任務は、その重要性を増していた。
哨第49号の艦橋に報告が上がった。
「艦長、電探に感!」
「海賊か!? こんな荒れた日に?」
「いえ、・・識別信号ローマ、イルメリア船籍です」
「それなら慌てて報告することもあるまい?」
「それが・・三隻とも30ノットで航行しています!」
「は? 30ノット?・・ブルーリボン賞でも取る気か?」
30ノット、時速55.5キロである。
哨第49号が探知した目標は、駆逐艦の最大戦速に匹敵する速度で航行していた。
レーダーの故障も疑われたが、生憎とレーダーは高性能のイルメリア製(※なお漁船用)、誤作動などではなかった。
彼らはしばらくレーダーを注視していたが、その速度は一向に落ちる気配はなかった。
「・・奴ら30ノットで巡航してやがる」
「艦長、報告上げますか?」
「いや、止めとけ。寝ぼけてたのかと言われるだけだ」
イルメリア外遊船団
良い機会だ。
そう思いながら、ラウリ・ワルデンはユリアの私室を訪れていた。
兼ねてよりの疑問。
それは、なぜ日本の駆逐艦、雪風を買い取ったか、である。
今の日本にとって、状態良好な駆逐艦は何より貴重な物。
それをわざわざ買い取って保存したことには、何か理由があるはずである。
「あの船は、危険すぎるのです」
「危険すぎますか?」
「あの船は、確かに幸運艦なのでしょう。乗組員の技量の高さもありましょうが、それは周囲の運を奪ってしまった結果に過ぎないのです」(※後世の創作だと言われています)
「確か、戦史にもそんな記載があったような気がします」
「同じ幸運艦でも、八雲は違います。あれは災厄を自然と避ける運に恵まれています」
言われてみれば八雲は、日露戦争時の黄海海戦で被弾した他は損傷らしい損傷を受けておらず、呉空襲でも被害を受けることなく生き延びていた。
「では、雪風を保存したことについては?」
「あのような有名な船、解体するのはもったいないからです」
これではっきりした。
雪風保存は、どうやらユリアの趣味だったようである。
しかし、周囲の運云々というのも理由として大きいのかも知れない。
ユリアの勘は、案外当たるのである。
そして、直感で行動した際には、予想外の結果を出すことが多いのも事実である。
もっとも、「こうすれば船に酔わないのです」、などとのたまって床をごろごろ転る姿に、一切の説得力はなかったのだが。
ユリアが床を転がっている間に、船団はパーパルディアの皇都、エスシラント近海に到着した。
イルメリアからパーパルディアの皇都エストシラントまでは7000キロ、30ノットで5日半。
船団は非公式ながら、この世界の船舶の区間最高記録を更新していた。
ブルーリボン賞:ここでは大西洋最速横断記録を指しています。