太陽と正十字 ~日本国召喚異聞~   作:ありさかいずも

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アリストパネスの再演

 武田内閣の退陣後、日本の政局は目に見えて軽くなった。

 

 それは安定したという意味ではない。

 支えを失い、浮き足立った、という意味であった。

 

 政友党は、隠退蔵物資事件と一連の外交対応の責任を負わされ、急速に求心力を失っていく。

 誰もが次の政権は短命だと予想していたが、それでも代わりは必要だった。

 

 

 こうして担ぎ出されたのが、左派勢力を糾合した労働党である。

 赤山内閣は、「過去との決別」「新しい国際協調」を掲げ、発足した。

 

 

 それは単なる政権交代ではなく、戦後日本の進路を根底から塗り替える試みであると、彼ら自身は考えていた。

 

 赤山内閣が最初に手を付けたのは、外交と安全保障だった。

 前政権の路線を否定することが、最も分かりやすい成果になると信じられていたからである。

 

 

 その象徴が、パーパルディア皇国への急接近であった。

 

 免税措置、通商上の優遇、商船への港湾使用権。

 協定は次々と締結され、皇国の商船が日本の港に姿を見せることは、もはや珍しい光景ではなくなった。

 

 さらに、沖縄を含む南西諸島への皇国艦艇寄港許可が検討され、段階的に実施されていく。

 寄港はあくまで友好国としてのものであり、形式上は何一つ問題はなかった。

 

 表向きは、共存共栄。

 だが、その実態は、より複雑なものだった。

 

 彼らは、皇国を利用しようとしていたのではない。

 むしろ、利用できると信じていた。

 

 外からの圧力は、社会を変革する触媒となる。

 

 既存の秩序に揺さぶりをかけ、国民に選択を迫り、より進んだ体制への移行を促す。

 

 それは理論としては、一貫していた。

 だが、その理論は、一つの前提の上に成り立っていた。

 

―状況は、制御できる。

 という前提である。

 

 

 理念は万能であり、現実は後から従う。

 彼らは、その順序を疑わなかった。

 

 それは、特別なものではなかった。

 議論の場では、当然のように共有されていた前提だった。

 

 現実は、理論に従うべきものだった。

 少なくとも、彼らの中では。

 

 

 この急旋回に、五国同盟は即座に反応した。

 中でも、共産主義を極端に嫌うイルメリア公国と、その最友好国であるトーパ王国は、赤山内閣との外交関係を一時凍結する。

 公式声明では「方針の再検討を求める」とされたが、実質的な断交であった。

 

 

 もっとも、旧政権時代の人脈とは、非公式な連絡が保たれていた。

 国家は政権だけで動いているわけではない、という事実を、彼らはよく理解していた。

 

 

 

 赤山政権下の日本国内では、保安隊の弱体化が進められた。

 イルメリア公国からの装備購入は中止となり、兵器の更新は事実上停止された。

 

 だが、法文には致命的な曖昧さがあった。

 既存装備の「改修」については、何も書かれていなかったのである。

 

 

 鳳翔、常磐、長鯨、鹿島。

 辛うじて残存していた旧軍艦艇は、修理という名目で整えられ、艦体は秘かに近代化された。

 

 陸では、二二式装甲兵車―スクタトス装甲兵員輸送車の車体に、チハ改の砲塔を載せた二三式戦車、通称セイ車が配備され、

 並行して、その対空型である二三式対空戦車、通称タイ車も徐々に数を増やしていった。

 

 空では、V-33コリダロスの輸送型、通称「天雀」が導入された。

 輸送機の更新を禁じる条項が存在しなかったため、三十機の購入は合法であった。

 それがモジュール換装により、容易に攻撃機へ転用可能であることは、誰も公式には触れなかった。

 

 

 これらを裏で支えていたのが、皇立イルメリア銀行に秘匿されたM資金である。

 ロウリア戦後に存在が露見しながらも、公にされることのなかった金。

 国家が使わず、しかし手放さなかった金だった。

 

 

 その金と意向と時間を、実際に運ぶ男がいた。

 

 

 

 白川が再びイルメリア行きの船に乗ったのは、赤山内閣成立から間もない頃である。

 

 

「観光だよ」

 

 税関でそう言い、帽子を被ったまま通り抜けた。

 誰も信じなかったが、誰も止めなかった。

 

 

 

 数日後、皇立イルメリア銀行に彼の姿があった。

 その応接室で、白川は帳簿を一瞥した。

 

「寝かせすぎだな」

 

 数字は正確だった。

 だからこそ、信用しなかった。

 

「鳳翔は、常磐は、まだ浮く」

 

 頭取は答えなかった。

 答える必要がないことを、互いに知っていた。

 

 

「思想で船は動かん。

 俺は運び屋だ。

 金も、空気も、時間もな」

 

 

 白川は椅子から立ち上がり、帽子を被り直す。

 

「半年だ。

 それまで国が空にならなきゃ、それでいい」

 

 彼は振り向かずに、そういい捨てた。

 

 

 

 一方、沖縄では――

 

 パーパルディア皇国の軍艦姿が、徐々に目立つようになっていた。

 寄港は協定に基づくものであり、違法ではない。

 

 だが、上陸した皇国兵と市民との間で、小さな摩擦が相次ぐようになっていた。

 酒場での諍い、通行を巡る口論、些細な暴力沙汰。

 

 どれも事件と呼ぶには小さかった。

 しかし、それらは確実に積み重なっていった。

 

 赤山内閣の対応は、慎重という名の逡巡に終始した。

 配慮が、判断を鈍らせた。

 

 沖縄は、まだ占領されてはいない。

 だが、誰のものか分からなくなり始めていた。

 

 

 やがて、臨時農林漁業鉱業管理法を巡る騒動が各地で噴出しはじめた。

 理念は人を動かすが、生活は待ってくれなかったのだ。

 

 

 

 少し先の話となるが、赤山内閣は、半年を待たずに瓦解することとなる。

 

 続く第二次武田内閣は、もはや迷いを捨てていた。

 国会は異様な静けさの中、全会一致で共産主義禁止法を可決。

 

 かつての喧騒が、嘘のようだったという。

 

 理念より先に、国を残す。

 それが、この時代に下された結論であった。




アリストパネス:ギリシャの喜劇詩人。政治風刺と皮肉の名手。
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