トーパ王国
王都ベルンゲン 王城
その日、ベルンゲンの王城では、珍しくも穏やかな空気が流れていた。
トーパ王国とイルメリアの代表による会合は、名目こそ「代表会議」であったが、実態は互いの距離を縮めるための、控えめな歓談の場であった。
「では、その行事は、毎年十二月二十五日に行われるのですね」
玉座の脇に設えられた円卓で、ラドス十六世は念を押すように問いかけた。
国王としては些細とも言える確認であったが、その声には、異国の慣習を一つでも誤りたくないという、慎重さがにじんでいた。
「はい、毎年でございます」
答えたのは、イルメリア代表の一人、ユリアであった。
背筋を伸ばし、言葉を選びながらも、そこに迷いはない。
「その前後は、商社や工場の多くが休みに入ります。
恐れ入りますが、商取引などは、少し早めに調整していただけますと助かりますわ」
柔らかな口調。
だが、その物言いには、相手に迎合しない、確かな芯が通っていた。
ラドス十六世は、深くうなずいた。
異なる文化を持つ国と歩むということが、こうした細部の積み重ねであることを、彼はよく理解していた。
――いや、理解しようと努めていた、と言うべきかもしれない。
「ところで……」
王が次の話題に移ろうとした、その瞬間である。
控えめな足音とともに、一人の兵士が入室してきた。
兵士はまっすぐ王に向かうことはせず、まず侍従長のもとへ歩み寄り、耳元で短く、しかし切迫した声で何事かを囁いた。
侍従長の表情が、一瞬で強張る。
その変化を、ラドス十六世は見逃さなかった。
侍従長が王の傍らに近づき、声を潜めて報告する。
――その言葉を聞き終えた瞬間。
ガシャン、と乾いた音が広間に響いた。
王の手から、陶製のカップが滑り落ち、床の上で砕け散ったのである。
湯気を立てていた飲み物が、石畳に広がる。
「……陛下?」
誰かが、恐る恐る声をかけた。
ラドス十六世は、しばしその場に立ち尽くしていた。
国王として幾度も修羅場をくぐってきたはずの男の顔に、隠しきれぬ動揺が浮かんでいる。
「……テオドラ殿」
ようやく絞り出すように、王は口を開いた。
「たった今、世界の扉から報告があった。
数万を超える魔物の大軍勢が、北から迫っていると」
その言葉は、広間の空気を一瞬で凍りつかせた。
王の胸中を去来していたのは、恐怖だけではない。
自国の防衛力。
民の顔。
そして――この事態に、同盟国を巻き込むことへの、ためらいと後ろめたさ。
国王とは、決断する者である。
だが、決断の重さから解放されることは、決してない。
「……では」
沈黙を破ったのは、ユリアだった。
「直ちに軍議を行いましょう」
その声には、感情の揺れがほとんどなかった。
まるで、こうした事態を、心のどこかで常に想定していたかのように。
ラドス十六世は、その落ち着きに、思わず目を見張った。
そして次の瞬間、王は円卓から離れ、深く、深く頭を下げた。
「すまぬ……。
無理を承知で、助力をお願いしたい」
それは国王としてではなく、
一人の為政者として、同盟者に差し出す、率直な願いであった。
ユリアは、静かに首を振った。
「お顔をお上げくださいまし、陛下」
その仕草には、長い年月をかけて身についた、自然な威厳があった。
「我々ローマ人は、約束を違えることを、何よりの恥といたします」
その言葉は、単なる外交辞令ではない。
幾度も帝国を失い、流転し、それでもなお矜持を失わなかった一族の、血の記憶であった。
「同盟とは、困難な時にこそ、意味を持つもの。
それを忘れた者は、もはやローマ人ではありません」
ラドス十六世は、ゆっくりと顔を上げた。
その目に映ったのは、異国の女性ではなく――
古き帝国の名残を、確かに背負った存在であった。
王は、その時ようやく悟った。
この同盟は、力と力を足し合わせたものではない。
覚悟と覚悟を、重ね合わせたものなのだと。
正教会における降誕祭、いわゆるクリスマスの時期は、国や教会によって異なります。
十二月に祝われる地域もあれば、一月に行われる地域も存在します。
本作に登場する北方正教会は、西欧諸国との交流が深いため、降誕祭は十二月二十五日に行われるものとされています。
この時期の違いは、主にグレゴリオ暦とユリウス暦の差異に由来するものです。