早春
■中央暦一六四〇年三月
旧アルタラス王国南部
まだ冬の気配が残る丘陵を、乾いた風が吹き抜けていた。
空は高く、光だけが先に春を連れてきている。
だが地面はまだ冷たく、芽吹きかけた草は低く伏せたままだった。
「……来るぞ」
低い声で呟いたのは、分隊長のヴィダルだった。
視線の先、街道の向こうから、パーパルディア軍の縦隊が進んでくる。
色鮮やかな軍装、整然とした隊列。
だがその足取りには、どこか弛緩していた。
「距離、千六百……千五百五十……」
観測手が伏せたまま距離を読み上げる。
分隊はすでに展開を終えていた。
街道を見下ろす低い稜線。
その裏側に、機関銃手。
小銃手が左右に分散。
さらに後方、窪地には迫撃砲班が待機している。
「……装填」
ヴィダルの声は静かだった。
教導部隊の言葉が、脳裏に蘇る。
―敵を見て撃つな。敵を止めてから撃て。
「先頭が標識を越えるまで待て」
やがて、街道脇に立つ枯れ木の横を、先頭の兵が通過した。
「迫撃砲、てーッ!」
直後、空気が裂けた。
―ドンッ
わずかに遅れて、縦隊の中央で土煙が噴き上がる。
「なっ――!?」
爆発は一発では終わらなかった。
―ドン、ドン、ドン
見えないどこかから、正確に叩き込まれる。
隊列の中央と後方が、ほぼ同時に崩れた。
「魔導砲だと!?」
誰かが叫んだが、次の瞬間、その声はかき消された。
―ダダダダダダッ
乾いた連続音。機関銃だった。
先頭集団の進路を、横薙ぎに弾丸が切り裂く。
前進しようとした兵が、次々と地面に叩きつけられた。
「伏せろ! 伏せ―」
指揮官の叫びは途中で途切れた。
左右の丘から、今度は連続した銃声。
―パン、パン、パン
逃げ場を失った兵を、正確に撃ち抜いていく。
「包囲されているのか……!?」
前は機関銃、後ろは砲撃、左右は小銃。
動けば死ぬ。止まっても死ぬ。
戦場の蓋が、閉じていた。
「修正、右へ二〇、伸ばせ」
稜線の裏で、ヴィダルが淡々と命じた。
迫撃砲班が、次弾を装填する。
観測手が、わずかに旗を振る。
―ドン、ドン、ドンッ
再び、連続した爆発音。
そこにあったのは、もはや戦闘ではなかった。
■パーパルディア皇国
皇都エストシラント
重厚な石造りの大広間には、重苦しい空気が満ちていた。
長机を囲む貴族たちの表情は、いずれも冴えない。
外ではすでに春の陽が差し、港には穏やかな風が戻っているはずだった。
だがこの広間には、季節の気配は入り込まない。
「……関税収入が、また落ちております」
経済担当局長ムーリの報告に、誰もが顔をしかめた。
「原因は明白です。沿岸航路の安全が確保できておりません。そのため、商船が寄港を避け始めています」
「私掠船団はどうした?」
別の貴族が苛立ちを隠さず問う。
「……壊滅状態です」
短い沈黙が落ちた。
「何者かによる襲撃が、徹底して行われているとのことです」
「その結果がこれか。海賊が沿岸に流れ込み、治安が悪化していると」
「はい。港湾都市の一部では、既に守備隊だけでは抑えきれない状況です」
誰かが舌打ちをした。
「辺境の話ではないのか?」
「……そうであれば良いのですが」
ムーリは言葉を濁した。
そのときだった。
扉が乱暴に開かれ、一人の伝令が息を切らして飛び込んできた。
「ご報告! 旧アルタラス王国残党が―」
室内の視線が一斉に集まる。
「占領軍を襲撃! 各地で戦闘が発生しております!」
「反乱か」
誰かが吐き捨てるように言った。
「規模は?」
「……不明です。しかし―」
伝令は一瞬言葉を詰まらせた。
「守備隊が、敗走しております」
ざわめきが広がった。
「何を言っている。あの程度の残党に、正規軍が遅れを取るはずがない」
「は、しかし……現地からの報告では、これまでとは様子が違うと……」
「どう違うのだ」
「統制された部隊行動を取っているとのことです。複数地点で同時に襲撃、補給線を断ち、小型魔導砲と思われる攻撃で陣地を制圧……」
「小型魔導砲……だと?」
皇軍最高司令官であるアルデが、眉をひそめた。
「それにしては、射程が長すぎるとの報告です。視認できない距離から着弾していると」
「では、精鋭魔導部隊が生き残っていたのか?」
「……その可能性も検討されています。しかし」
伝令は言い淀んだ。
「連続射撃の間隔が、あまりに短いとのことです。通常の魔導砲では、あのような速度は―」
言葉が途切れた。
それは、既存の理屈では説明できないことを意味していた。