翌朝、東京ステーションホテル。
赤煉瓦の建物の向こうで、蒸気機関車の黒い煙がたなびいていた。
ラッサンは、昨夜まとめた報告書に目を通していた。
その向かいでマイラスは地図を広げ、トーパ王国やイルメリアの地理を確認していた。
扉が三度、規則正しく叩かれた。
「どうぞ」
扉の向こうから現れたのは、濃紺の外套姿の男だった。
「朝早くに失礼いたします。
イルメリア大使館、外交武官補佐のアレクシス・ヴァルマと申します」
互いに簡潔な挨拶を交わした後、アレクシスは本題に入った。
「先日よりご希望されていたイルメリア視察について、受け入れ準備が整いました」
ラッサンが静かに頷いた。
「トーパ防衛戦における被害復旧、および現地部隊の再編により、準備が遅れておりました」
昨夜まで日本について語っていたのは、復興国家としてのしぶとさだった。
だが、イルメリアについて二人が抱いているのは、別種の関心である。
コンパクトで性能の高い自動車。
異様に洗練された艦艇。
彼らの常識の延長線上にありながら、明らかに数歩先を行く技術。
「…ようやく、間近にできるわけか」
ラッサンが呟いた。
マイラスは資料の上に手を置いた。
「ええ。この目で確かめられます」
アレクシスは続けた。
「ただし、移動については問題があります」
ラッサンが眉を寄せた。
「何かありましたか?」
「お二人が搭乗して来られた旅客機、《カオス》に関して、右第二エンジンに継続的な不調があるそうです」
マイラスの表情が即座に技術士官のものへ変わる。
「機関不調ですか」
「はい。整備班の話では、復旧の目途が立たないそうです」
沈黙―
長距離移動の足を失うのは致命的である。
だがアレクシスは続けた。
「ご心配はもっともですが、貴国の許可を取った上で、代替案を用意しています」
「代替案、ですか?」
ちょうどその時、扉が再び開いた。
日本側の航空担当職員が一礼して入室する。
「失礼いたします。
お二人の移動手段について連絡に参りました」
彼は手帳を開いて告げた。
「イルメリア航空所属、ハイカラ型旅客機の座席を確保致しました」
マイラスが視線を上げる。
「…ハイカラ?」
日本側職員が説明を続けた。
「軍用輸送機を基にした機体で、通常の貨物コンテナ部を旅客用に改装しております」
ラッサンが問い返す。
「改装?」
「はい。二百名乗りの旅客機です」
マイラスの目が鋭く細められた。
軍用輸送機を旅客機に転用する―それ自体は、彼らの時代感覚でも珍しくない。
「…なるほど」
彼は低く言った。
「単なる改造機ではないのでしょうね」
ラッサンも頷く。
「最初から転用を前提にしているのかもしれんな」
マイラスが静かに言った。
「あの国の旅客機。丁度良い機会ですね」
窓の外では、東京駅の上に春の雲が流れていた。
彼らは、いよいよ"違和感の正体"そのものに向かおうとしていた。
*
東京飛行場。
春の空は薄く霞み、海風が滑走路に細かな砂塵を流していた。
職員に案内され、ターミナルの建物を出たラッサンは、数歩進んだところで足を止めた。
「…なんだ、あれは」
滑走路脇のエプロンにあったのは、彼らが知っている旅客機とも、輸送機とも異なる巨人機だった。
高く持ち上げられた主翼。
異様に頑丈な脚部。
機体下に抱え込んだ、箱型の大型旅客ユニット。
優雅さとは程遠い、実用性を重視した機体だった。
マイラスは、しばらく黙ってそれを見上げていた。
やがて低く言う。
「旅客機には見えませんね」
日本側職員が少し困ったように笑った。
「イルメリア航空所属、C-88《ハイカラ》旅客輸送型です」
ラッサンは口元を緩めた。
「…またよく分からんものが出てきたな」
マイラスは小さく頷いた。
「ですが、理屈は分かります」
日本の復興国家としての即応力とは別種の脅威。
イルメリアの機械には、常に「既知の延長線上の未知」があった。
日本側職員が前方を示した。
「こちらからご搭乗ください」
二人の先には、通常のタラップではなく、駅のホームのような通路が伸びていた。
平坦な通路の先に、巨人機の搭乗ハッチが見える。
「まるで鉄道だな」
マイラスは、呆れたように呟いた。
*
機体が東京を離れ、薄い雲を抜けた頃。
客室に、安定飛行に入ったことを告げる案内放送が流れた。
窓の外では、太陽が長大翼を白く照らしている。
ラッサンは深く息を吐き、ようやく座席に身を預けた。
「…見た目の割に、ずいぶん静かだな」
ラッサンは率直な感想を漏らした。
巨大な輸送機でありながら、振動は驚くほど抑えられていた。
騒音も少なく、会話に声を張る必要がない。
むしろ彼らが乗ってきた《カオス》よりも快適だった。
マイラスは答えず、周囲を見回していた。
客室の内装は、意外なほど洗練されている。
灰青色のシート。
整然と並ぶ天井収納棚。
読書灯と空調吹出口。
壁面の仕上げも丁寧で、とても輸送機の区画とは思えない。
「見るからに旅客機だな…」
ラッサンは口元を緩めた。
「外から見れば空飛ぶ要塞だが、中は妙に上等だ」
マイラスの関心は別のところにあった。
彼は席を立ち、通路へ出た。
「少し見てきます」
「技術士官の悪い癖だな」
ラッサンの軽口を背に、マイラスは客室後方へ歩いた。
客室そのものは、現代の旅客機と遜色ない。
むしろ、軍用輸送機がベースであることを感じさせないほど整っている。
客室の壁面や床下のロック機構。
目立たない位置にまとめられた接続端子。
それらを視線でなぞりながら、静かに元の席へ戻った。
「理解はできません」
腰を下ろしながら、彼は低く言った。
ラッサンが視線を向ける。
「何をだ?」
マイラスは少し考え、言葉を選んだ。
「ですが、合理性だけは分かります」
自動車。
艦艇。
そして、この輸送機。
いずれも異様なくらい合理的に造られていた。
「機械単体の設計思想なのか」
ラッサンが続けた。
「それとも、国家そのものの設計思想なのか」
マイラスはゆっくり頷いた。
「そこが問題です」
その合理性が一部の分野に限るのであれば、設計者個人の思想である。
だが、実際には、車両からも航空機からも、同じ思想が見て取れる。
ならば、それは個人の思想によるものではないと考えられた。
ラッサンは座席に深く身を預けた。
「…面白い国だな、イルメリアは」
マイラスは窓の外から目を離さずに答えた。
「ええ」
その声音には、好奇心と警戒とが等しく混じっていた。
「だからこそ、この目で見る価値があります」
C-88 Haikara ハイカラ
コウノトリを意味する大型戦略・戦術輸送機。
旅客輸送簡易型では武装・装甲・一部軍用電子機器が省略されており、整備性と搭載効率、ならびに長距離運航時の経済性を重視している。イルメリアは専用大型旅客機を保有しないため、この簡易型が官営空路の主力として用いられている。乗客数200名以上。
巡航速度:約700km/h
航続距離:約12,000km