「当機は間もなく、イルメリア専制公国、領都マリポリに着陸いたします」
柔らかな機内放送が流れた。
乗客たちがシートベルトを締め直し、棚から荷物を降ろし始める。
静かだった客室が、にわかに活気づいた。
マイラスは窓の外へ目を向けた。
鉛を溶かしたような、暗い灰青色の海。
その先に、雪の残る大きな島が見え始めていた。
「…雪か」
ラッサンが身を乗り出した。
海峡を挟んで連なる街並み。
屋根の上にも、岸壁の端にも、白い雪がまだ残っている。
「もう三月も終わりだぞ」
半ば呆れたような声だった。
東京では、ようやく春の気配が街へ滲み始めていた。
だが、こちらでは北国の冬が居座っている。
マイラスは窓の外を見たまま、小さく言った。
「…緯度が違いますから」
それだけではない、と彼は感じていた。
空の色そのものが違う。
海も雲も、冷え切った鉛のようだった。
機体がゆっくり降下を始めた。
主翼のフラップが下がり、低い風切り音が響く。
続いて脚部のローターが回転を始める。
重い機体が、徐々に速度を落としていく。
『ハイカラ』はその巨体にも関わらず、ごく短い距離で停止した。
乗降ハッチが開いた瞬間、ラッサンは思わず顔をしかめた。
空気が刺さる。
ただ冷たいのではない。
頬を切るような冷気だった。
マイラスも無意識にコートの襟を立てた。
「これは…」
吐き出した息が、白く広がった。
「ムー北部辺境並み…いや、それ以上かもしれませんね」
二人にとって、最初の衝撃はイルメリアの技術でも軍事力でもなかった。
この土地そのものだった。
「なるほどな」
ラッサンが息を吐いた。
「この気候で国家を維持するなら、設計も思想も変わるはずだ」
マイラスは黙って頷いた。
*
送迎車に向かうマイラスの関心は、自然と街へ向いた。
低い雲の下に拡がる港湾都市。
雪の残る切妻屋根や、寺院のドーム。
街の建物は殆どが四、五階建てで、高層ビルの類は見当たらなかった。
「古風な街だな」
ラッサンがぽつりと口にした。
「ええ。建築様式は違いますが、まるで昔のムーを見るようです」
不意に、ラッサンが足を止めた。
街路の向こうを、妙に角ばった路面電車が滑るように通り過ぎた。
「何だ、あの電車は」
マイラスも目を細めた。
「…妙に洗練されていましたね」
続いて、東京でも見かけた小型車が角を曲がっていく。
建物が古いぶん、その中を走る交通機関が、妙に異質に見えた。
ラッサンが苦笑する。
「街だけ見たら、昔のムーだ」
「ですが、走っているものが違います」
マイラスの視線は、路面電車の線路に向けられていた。
古い街並みの中に、別の時代の機械が紛れ込んでいる。
「意味が分からんな」
ラッサンが呟く。
「ええ。街は古風なのに、交通機関だけが…」
そこまで言って、マイラスは口を閉ざした。
ラッサンが振り向く。
「何だ」
マイラスは街並みを見つめたまま、ゆっくりと言った。
「古いものを、ただ残しているのではないかもしれません」
その言葉に、ラッサンが目を見開いた。
確かに建物は古い。
だが、窓枠も外壁も、丁寧に手入れされている。
その中に、先進的なものが溶け込んでいた。
「この国では…時代が積み重なっているのか?」
ラッサンの呟きを、マイラスは無言で肯定した。
三月のマリポリの平均気温は-3°C〜3°C程度。
まだ非常に寒い時期で、雪も残っています。