■日本国 山口県防府市
中央暦1638年4月中旬
瀬戸内海に面した浜辺。
そこに、田舎では珍しい、アメリカ製の自動車フォードが停まった。
運転席から降りてきたのは、涼しい目元に整った顔立ちの男。
この時代の日本人としては背が高く、英国仕立てと思われるスーツを着こなしていた。
車から降りたその男は、鄙びた海辺の道を歩き出した。
(確かこの辺りと聞いたが・・)
男は、ある人物に会うため、その日の朝に汽車で東京を出て、1日以上かけて防府まで来た。
昭和22年当時の鉄道事情では、東京からここまで12時間以上。
史実では、石炭事情の悪化から大規模な列車削減が行われているの時期なのだが、クワ・トイネの友好国であるクイラ王国からの輸入が始まっていたため、こちらの世界では、これでも多少ましな状況ではあった。
海沿いの砂利道を歩くことしばらく、浜辺に塩田が見えてきた。
春の陽気の中、数人の男が上半身をはだけて作業している。
男はその中の一人が目的の人物であることに気付くと、近づいて声を掛けた。
「士村昌福さん、ですね?」
白川よりも長身で体格の良いその男は怪訝な顔で尋ねた。
「いかにも私が士村ですが、あなたは?」
「白川次郎と言います。今は経済安定本部次長です」
名刺を見せ名乗る白川に、士村はますます怪訝な顔で問い返した。
「東京の偉いさんが、こんなところまでわざわざ何の用ですか?」
「いえ、なに、ここでは話せない、ちょっと重要な案件がありまして。軍事に詳しく、信用できる方を探してたら、あなたを推薦されましてね。」
「ほぉ、誰ですか、兵学校をドンケツだった男を推薦する御仁は?」
白川は涼しい顔で答えた。
「柳井さんですよ」
■数日後 横須賀港
快晴。雲は高く、春の陽気に恵まれていた。
この日、空襲の爪痕がまだ残る横須賀港に、カバンやトランクを携えた男が集まっていた。
いずれも復旧作業に携わる作業員が行き交う場所に似つかわしくないスーツ姿の壮年。
官僚、元軍人、技術者、学者など、出自はさまざまであるが、いずれもイルメリアへの視察団の一員であった。
代表は経済安定本部次長の白川次郎。
元陸軍大将の稲村均に、元海軍中将の士村昌福。
マグネトロン発明者の岡辺金治郎や、物理学者、鮎川秀樹。
その他、官僚、元軍人、技術者、学者など、出自はさまざまであるが、有名無名を問わず、後の日本の発展に寄与した人物ばかりである。
作為的に選ばれたとしか思えない顔触れだったが、実のところ作為的に選ばれていた。
戦後日本の歴史を知っているイルメリア側から、メンバー選考に関して助言があったのである。
それは悪意からではなく、彼ら天才、秀才たちを先進技術に触れさせることで、日本の発展を少しでも加速させようという意図だった。
もちろん、日本の発展が、経済、防衛両面のメリットに繋がると考えて、という理由もあるのだが。
視察団の集合場所である外務局所有の事務所前に、バスが停まった。
バスと言っても、この時代のボンネットバスではなく、箱型車体のマイクロバスである。
興味深げにマイクロバスを眺める視察団一行の前でドアが開き、淡いグレーの軍服姿の女性が降りてきた。
赤毛と黒髪の2人組である。
彼女らは使節団の姿を認めると、歩み寄って声を掛けた。
「使節団の皆様ですね。案内役として派遣された、イルメリア装甲歩兵隊のアダ少尉です。使節団として来訪されることを歓迎いたします」
「同じくマリア軍曹です。よろしくお願いいたします。」
「少尉、軍曹? 女でか?」
「女性軍人? 後方部隊か?」
使節団の中の旧軍出身者たちが少々騒がしくなった。
「まぁ、国が違えば女性の軍人だって珍しくなかろう」
そう言ったのは、恰幅の良い温厚そうな人物、元陸軍大将の稲村であった。
元大将がそう言うのである。階級に敏感な元軍人たちは、たちまち静かになった。
一行が乗り込んだバスは、横須賀の街から一番遠い桟橋に向かった。
桟橋には、十字の旗を掲げた白い船と、妙に角ばった軽武装の軍艦が停泊していた。
先日横須賀にも来航した、ヘルバリア級海防艦である。
白い船の方には目立った武装がないため客船と思われたが、先の尖った流線形で、どことなく高級な紳士靴を連想させた。
また、その船尾は戦車運搬船のような大きなハッチになっていた。
「今回は、この高速フェリー「ノエシス」でイルメリアに向かいます。本当は、もっと近くに接舷したかったのですが、あまり目立ってはいけないとのことで、残念ながら一番端に停泊しています」
「こりゃ、見たことのない形だな。えらく大きなドアが付いているが、浸水せんのかね?」
またまた騒がしくなる一行。
「マリア、皆様に説明を」
場を収めるため、アダが促した。
「はい、この船、ノエシスは見慣れない外観だとは思いますが、非常に荒れた海上でも航行可能です。元もとはバルト海の中距離航路の船でしたが、今回の転移で航路がなくなったので、借り上げという形で運用しています」
「搭載機関と速力はいかほどですか?」
士村は、船乗りとして気になることを尋ねた。
「主機関は水素アンモニア混焼型のディーゼル・エレクトリック機関で、航海速力は25ノットです」
「水素アンモニア混焼?あの気体の水素かね?」
「はい、その水素です。高分子吸蔵ジェルに蓄積された水素とアンモニアで発電し、モーターを動かしています」
「原理は判るのだが、そんなことができるものかね?」
物理学者、鮎川である。
「それでしたら、後ほど船内を見学できるよう手配します」
「それは大丈夫なのかい?」
白川が尋ねた。
「保安上問題ない部分なら大丈夫です」
「それならば、よろしくお願いします」
そんなやり取りを終え、バスに乗った視察団一行は客船ノエシスに向かった。
その際、船の舳先のハッチからバスに乗ったまま乗船することに、まず驚かされた。
「車ごと入れるとは凝ってるな」
「鉄道運搬船のようなものか?」
使節団は船内に案内された。
明るく立派な造りのロビーや宛がわれた個室で、一堂はくつろぎのひと時を過ごした。
船内には娯楽室や展望バルコニーもあり、船旅で退屈しないような配慮がそこかしこに見受けられた。
また、二日間の航海中、イルメリアの歴史や文化、制度などについての講義も行われた。
ここで、行先が100年先から転移した土地だということを初めて耳したものおり、内容の多くを驚きをもって受け取っていた。
ノエシスがイルメリアの領海に入ると、海峡を挟んで東西に分かれた、大きな島が見えてきた。
二つ合わせると淡路島くらいの大きさだろうか、両方とも高い山がない、平坦な島である。
やがて海峡沿いに都市が現れた。海峡の東が人口35万の領都マリポリ、対岸のペラは15万の人口を数える。
狭い海峡沿いに、欧州の街を思わせる近代的な街並みが続いている。
やがて船はマリポリ市の中央にある港に入ると、タグボートもなしに立派な岸壁に接岸した。
港には多数の民間船のほか、空母らしき船が1隻と、軽巡クラスが2隻。
他にも駆逐艦が数隻と、横須賀にも来航した、艦首にハッチを備えた巨大な輸送艦、そして駆潜艇クラスの小艦艇などが多数並んでいる。
「これは・・ ちょっとした航空戦隊が組める規模だな・・」
誰かが呟く。
一行は自分たちの任務の重要性に、身が引き締まる思いだった。
到着したその日、彼らは領都マリポリを観光した。
街には多くの商品があふれ、人々は清潔な服装に身を包んでいる。
道路はどこも継ぎ目なく舗装され、洗練された造りの自動車が行き交う。
空には、プロペラのない航空機が白い雲を引いて飛んでいた。
「・・凄いな。話を聞いただけでは、ずいぶんと誇張されたものだと思ったが」
「確かにそうですな。イルメリアは英米をはるかに超える技術を持っているようです」
その後、一行を乗せたバスは、北欧の古い港町を思わせる、海峡の最北部に向かった。
マリポリ歴史地区、あるいは旧領都の名で知られる地区である。
用意された宿泊所は、ホテル・イルメリア。
領都の名を冠した、マリポリ最古の、伝統ある古風で小奇麗なホテルであった。
翌日は、本人の専門や希望ごとに分かれて、様々な場所の視察が行われた。
ローマ帝国以来の文物を展示する美術館や博物館、ビザンチン時代の希少な写本を含む蔵書がある図書館、領軍の演習場や軍港、航空基地といった軍事施設、発電所や植物工場、巨大3Dプリンターを活用した工業施設や汎用生産ライン、水産施設、大学や研究所、医療施設。
彼らは見るもの触れるもの1つ1つに関心を示し、驚き、100年先の技術と文化、大切に受け継がれてきた歴史を実感した。
そして、それぞれが得たもの、感じたものがあった。
(イルメリアの協力があれば、日本の復興と発展はずいぶんと進む・・ 何よりも彼らは、歴史と伝統を重んじている、本朝と同じく・・)
彼らは、そんな思いを胸に宿していた。
高速フェリー ノエシス
元はバルト海航路の船。姉妹船はプシュケー、エイドス。
全長115m、最大速力35ノット(巡航30ノット)
乗員25名、旅客定員300名
乗用車120台、または大型トラック35台を収容可能。
※なお、文中でノエシスの航海速度が25ノットとあるのは、ヘルバリア級が30ノットでの巡航が困難なためです。