斜陽の皇国
■パーパルディア皇国
皇城 大広間
御前会議は重苦しい空気に包まれていた。
居並ぶ廷臣たちは、誰一人として顔を上げようとしない。
皇帝ルディアスは玉座に腰掛けたまま、報告官を見下ろしていた。
「…もう一度申してみよ」
報告官は喉を鳴らした。
「日本の那覇港において、武力衝突が発生しておりました」
廷臣たちの間に緊張が走る。
ルディアスは視線を動かさぬまま続けた。
「なぜ余に報告が上がっておらぬ」
臣民統治機構長官パーラスの額に汗が滲む。
「文明圏外国との局地的問題と判断し、臣民統治機構内で処理を―」
「処理とは?」
パーラスは言葉を詰まらせた。
広間の視線が、一斉に彼へ集まる。
「…監察軍を派遣いたしました」
「規模は」
「戦列艦二十五隻です」
広間がざわめいた。
「誰の許可で動かした」
「臣民統治機構の権限内であると判断し―」
「余は許可しておらぬぞ」
その瞬間、廷臣たちは一斉に顔を伏せた。
パーラスの顔から血の気が引いていく。
「で、その艦隊はどうなった」
報告官は俯いたまま答えた。
「…全滅いたしました」
静寂が広間を支配した。
さらに報告が続く。
「加えて、アルタラス駐留軍は反攻軍の攻撃を受け降伏。アルタラス王国は再独立を宣言しております」
ルディアスは、玉座の肘掛けを握り締めた。
「反攻軍だと?」
「はっ。見慣れぬ火器、および飛行機械を使用していたとの報告です」
廷臣たちは顔を見合わせた。
文明圏外国が飛行機械を使用したなど、ありえないものだった。
パーパルディア皇国は、第3文明圏に君臨する列強国である。
属国の反乱そのものは、過去にも存在した。
だが、皇国駐留軍が降伏した例は、一度として存在しなかった。
■第1外務局長室
皇族レミールは机上の報告書を見つめていた。
『アルタラス王国再独立に関する第一報』
紙面に並ぶ文字は簡潔だった。
だが、その内容は皇国の常識を大きく逸脱していた。
再独立。
駐留軍降伏。
いずれも、皇国史には存在しなかった言葉である。
「説明なさい」
第1外務局長エルトは慎重に答えた。
「本日未明、アルタラス反攻軍が主要拠点を急襲。駐留軍は降伏し、アルタラス王国は再独立を宣言しております」
「…あり得ない」
レミールは報告書から目を離さなかった。
「皇軍は、第3文明圏最強ではなかったのか」
「それは事実です」
エルトは即答した。
だが、その後の言葉には僅かな間があった。
「ですが今回、アルタラス側はイルメリアの軍事支援を受けていた可能性があります」
「イルメリア…」
レミールの脳裏に、皇都で対面した深緋の皇女の姿が浮かぶ。
「反攻軍は連射式のマスケット、多数の携帯魔導砲、さらに飛行機械を運用していたとの報告です」
レミールは黙り込んだ。
フェン沖海戦。
那覇港事件。
アルタラス再独立。
ここ数ヶ月、文明圏外で起きている事態は、いずれも皇国の常識から外れていた。
その夜。
レミールは自室で、一冊の冊子を開いていた。
イルメリアが友好国向けに発行した輸出製品カタログである。
以前目を通した際には、荒唐無稽な代物としか思えなかった。
文明圏外国が、このような工業製品を量産できるはずがない。
だが、今は違う。
ページをめくるたびに、彼女の表情が変わっていった。
小銃。
自動車。
農業機械。
そこに記されていたのは、皇国の技術レベルから大きく逸脱した製品群だった。
フェン沖海戦。
アルタラス再独立。
それらが、カタログの内容を裏付け始めていた。
レミールは冊子を閉じた。
窓の外では、皇都エストシラントの灯火が揺れていた。
「…皇国は、何と敵対しているのだ?」
■中央暦一六四〇年六月
アルタラス王国
王都ル・ブリアス
再独立から一ヶ月。
王宮の執務室には、厚い報告書が積まれていた。
その大半は、イルメリアに関するものだった。
王女ルミエスは、報告書の一枚を手に取った。
「また増えているのですね」
「はい」
騎士団長ライアルが頷いた。
「本日も貨物船が到着しております」
「武器でしょうか?」
「いえ」
ライアルは報告書を確認した。
「葡萄の苗木、農具、建築資材、それから沿岸監視機材とのことです」
ルミエスは眉をひそめる。
「監視機材?」
「はい」
「なぜ葡萄園に監視機材が必要なのです?」
「私にも分かりません」
ライアルは率直に答えた。
最近はそういう報告ばかりだった。
イルメリア人の行動は、理解できそうで理解できない。
租借した寒村では、既に大規模な工事が始まっていた。
海を見下ろす丘の上には、白い石材と橙色の屋根の城館が建設されている。
その脇には、沿岸を監視するための塔―ピルゴスも姿を現し始めていた。
だが同時に、彼らは葡萄畑を整え、道路を補修し、水道を引き、電線まで敷設していた。
その費用は、全て彼ら自身が負担している。
土地の使用料も毎年支払うという。
「軍事拠点でしょうか」
「その割には葡萄畑に熱心ですな」
ライアルが苦笑した。
「農園でしょうか」
「その割には監視塔を建てています」
二人は同時に黙り込んだ。
パーパルディアのやり方なら理解できる。
駐留軍を置き、税を徴収し、命令を下す。
だがイルメリアは違う。
彼らは契約を交わし、許可を求める。
租借料を払い、村人を雇う。
そして、自費で道路まで整備する。
「何が欲しいのでしょう?」
「ワインでは?」
「本気で言っているのですか」
「はい」
ライアルは真顔だった。
「私も最初は悪い冗談かと思いました」
ルミエスは額を押さえた。
先日の会談でも、イルメリア人は葡萄の話ばかりしていた。
モネヴァシア。
サヴァティアノ。
リムニオ。
聞き慣れない言葉ばかりである。
「その葡萄に、何か特別な意味があるのですか?」
ライアルは報告書をめくった。
「イルメリアの試験農場から運ばれた苗木だそうです」
「試験農場?」
「はい。千年以上前から栽培されていた品種とのことです」
「そんなに古い品種をですか?」
「ええ、彼らにとっては、ただの葡萄ではないのでしょうな」
ルミエスは窓の外を見た。
青い海。
白い石の家々。
乾いた丘に連なる葡萄畑。
見慣れた故郷の景色だった。
だが、イルメリア人には違って見えるのかもしれない。
会談の席で葡萄を語る彼らの顔は、商人の顔ではなかったのだから。
商売の話をしているはずなのに、その目はどこか遠くを見ている気がした。
「ライアル」
「はい」
「彼らは、我が国を利用しているのでしょうか?」
「利用はしておりますな」
ルミエスは苦笑した。
「正直ですね」
「彼らは商人ですので」
ライアルも苦笑した。
「ですが、それだけではありますまい」
「と、言うと?」
「この海と丘を、本気で好いております」
海を見下ろす丘の上では、新しい城館の骨組みが陽光を浴びていた。
その向こうには、植えられたばかりの葡萄の苗が並んでいる。
あの者たちは、何を見ているのだろう。
利益か。
航路か。
それとも…
「イルメリアは、我が国の支配など考えていないでしょう」
「そうなのですか?」
「あの者たちは商売の話よりも葡萄の話ばかりしておりました故」
ルミエスは思わず笑った。
「奇妙な人たちですね」
「ええ、とても」
ライアルも頷いた。
皇国は去った。
だが、新たな隣人は思っていた以上に奇妙な国らしかった。