■中央暦一六四〇年七月
パーパルディア皇国
第1外務局 小会議室
レミールは、第1外務局の小会議室でムーの大使を待っていた。
窓の外には、皇都エストシラントの港が見えた。
港湾に集まっている者の多くは、ムー国の商人や技術者、その家族であるという。
荷車が行き交い、黒い煙を吐く大型船が岸壁に係留されていた。
彼らは帰国を急いでいた。
数日前、ムー国政府は自国民に対し、パーパルディア皇国からの退避を勧告した。
大使館職員の一部も引き揚げるという話だった。
その理由は、イルメリアが各国に出した退避勧告である。
第2文明圏列強であるムーが、文明圏外国の退避勧告で自国民を引き揚げる。
理屈としては、分からなくもないが受け入れ難かった。
腹立たしい事に、その各国の中にはパーパルディア皇国も含まれていた。
扉がノックされた。
「大使殿が見えました」
「通しなさい」
扉が開き、ムーの大使ムーゲと随員が入ってきた。
互いに腰を下ろすと、レミールは早々に本題へ入った。
「さて。今回の退避措置についての説明を願います」
ムーゲはゆっくりと頷いた。
「政府には、常に最悪の事態を想定する責務がございます」
「最悪の事態、とは?」
レミールはわずかに口元を歪めた。
「第2文明圏列強が、第3文明圏列強たる我が国から民を退避させる。それほどまでにイルメリアを恐れていると?」
「恐れている、というよりは」
ムーゲは言葉を選ぶように間を置いた。
「政府には、常に最悪の事態を想定する責務がございます」
「上辺の説明は結構」
レミールは静かに言った。
「大使殿、我々はアルタラスで飛行機械を目撃している」
「でしょうな」
ムーゲは表情を変えなかった。
「では、関与を認めるか?」
「イルメリアに飛行機械が存在することは把握しております」
ムーゲはわずかに首を傾げた。
「殿下。そのご質問は、我が国が兵器を輸出したという前提に立っておられるように思われます。」
「違うというのか?」
「少なくとも、我々の認識は異なっております」
「では、あの飛行機械は何だというのだ?」
「イルメリアのものです」
ムーゲの口調には、弁解の色がなかった。
彼は鞄を開き、数枚の写真を取り出した。
「まず、我が国の現用機をご覧ください」
一枚目の写真が差し出された。
「艦上戦闘機『マリン』でございます」
「公表可能な範囲では、最高速度六百キロほどです。四十ミリ機関砲および二十ミリ機関砲を搭載しております」
レミールは写真を手に取った。
先端が異様に短く、飛行機械に特有の推進器は後方に付いていた。
「…推進装置が後ろにあるな」
「はい」
「なぜだ?」
「前に付けなかったからでしょうな」
レミールは顔を上げた。
ムーゲは真面目な顔をしていた。
「技術的な理由を尋ねているのだが?」
「設計者は様々な技術的理由を説明しておりました」
「で、理解できたのか?」
「残念ながら」
ムーゲはどこか誇らしげに言った。
「なお、操縦士の脱出時には、機首下部が開口します」
「開く?」
「ええ。口のように」
「…?」
「パカっと」
「その後は?」
「操縦士を放出いたします」
レミールは後悔した。
聞かなければ良かった気がした。
ムーゲは二枚目の写真を置いた。
今度の機体は魚だった。
控えめに表現しても魚だった。
「これは?」
「艦上哨戒機『シム』です」
「魚、なのか?」
「飛行機です」
ムーゲは真顔で答えた。
「魚に見るが…」
「しばしばそのような指摘を受けます」
ムーゲは慣れた様子で答えた。
「性能は良いのか?」
「率直に申し上げれば、良好とは申しかねます」
「では、なぜこの形状なのだ?」
「視界を優先した結果だそうです」
「視界を優先すると魚になるか?」
「少なくとも設計局はそのような結論に至りました」
レミールは写真を見つめた。
確かに下方視界は良さそうだった。
「結果として、このような機体形状になりました」
「なるほど」
レミールは頷きかけ、思い直した。
魚である必要性は理解できなかった。
理解しようとすること自体が、そもそも誤りなのかもしれない。
彼女は小さくため息をついた。
レミールは写真を見つめた。
魚のような飛行機械は相変わらず魚にしか見えなかった。
ムーゲはもう一枚、写真を取り出した。
その動作は、それまでより少しだけ慎重だった。
「こちらがイルメリアの航空機『ハウッカ』です」
写真が机上へ置かれた。
レミールはそれを見つめた。
鋭く後退した翼と、不自然なほどに盛り上がった背中。
彼女には飛行機械の良し悪しは判らない。
だが、ムーの飛行機械よりも洗練されているように思えた。
「性能はどうなのだ?」
「正確な性能は把握しておりません」
ムーゲは答えた。
「もっとも、我が国の現用機を大きく上回るものと考えられております」
「断言するのだな」
「願わくば間違いであってほしいのですが、どうやら違うようです」
ムーゲは淡々と言った。
「貴国では作れないのか?」
「作れないとは申せませんが、飛ばせるとは言い兼ねます」
ムーゲは肩をすくめた。
「試験採用する案は出ておりますが、まだ輸入は認められておりません」
ムーは奇妙だが、先進国である。
だが、その先進国がはっきり作れないと断言した。
「では、ムーはイルメリアを支援していないと?」
「軍事支援はしておりません」
「ならば、なぜ退避するのか?」
ムーゲはすぐには答えなかった。
「レミール殿下」
やがてムーゲは言った。
「この件につきましては、我々の方が若干多くの事例を知っております」
挑発的な言葉だが、言い方は穏やかだった。
「彼らについて様々な評価はありましょう。しかし、少なくとも一つだけ申し上げられます」
「彼らは理不尽ではありません」
レミールは黙って聞いていた。
「必要がなければ、領土を取りません。必要がなければ、国を滅ぼしません」
アルタラスの名が、レミールの脳裏をよぎった。
「ただし」
ムーゲはそこで一度言葉を切った。
「彼らは理不尽だと判断した事柄について、驚くほど記憶力が良いといえます」
それは脅しではなかった。
むしろ、誰かの性格を説明しているような口調だった。
「航路を脅かされれば動きます。条約を破られたと見れば必ず応じます。自国民が危険に晒されたと判断すれば、相手が誰であろうと退きません」
レミールはアルタラスの報告書を思い出した。
植民地警備の部隊とはいえ、皇国軍が一方的に撃破されたという報告。
最初に読んだ時、彼女は誇張だと考えた。
だが今、列強ムーが皇都から退去しようとしていた。
「我々の懸念は、貴国の勝敗ではありません」
「では、何を懸念する?」
「戦争そのものです」
ムーゲは淡々と答えた。
「もし両国が全面衝突すれば、多くの犠牲者が出るでしょう」
「戦争とはそういうものだ」
「だからこそ、戦争は当事者だけで行っていただきたいのです」
ムーゲは静かに頷いた。
「残念ながら、戦争というものは往々にしてそうなりません」
「……」
「殿下」
ムーゲはまっすぐにレミールを見た。
「我々が最も懸念しているのは、皇都エストシラントが戦場になることです」
レミールは言葉を返せなかった。
エストシラント。
皇国の中枢。
千年の栄華を誇る都。
その名が、戦場という言葉と並べられた。
「…それは脅しか?」
ようやく出た声は、自分でも硬いと思うほどだった。
「いいえ」
ムーゲは首を横に振った。
「避難勧告です」
感情を伺わせない調子だった。
「ムーは皇国と戦う意思を持ちません。その点につきましては、イルメリアも同様であれば幸いですが」
会談はそこで終わった。
ムーゲたちが退室した後も、机上には数枚の写真が残されていた。
奇妙な戦闘機、魚のような哨戒機。
レミールは最後の一枚を手に取った。
イルメリアのハウッカ。
猫背の鷹のような機体だった。
脳裏に以前見たイルメリアのカタログが浮かんだ。
小銃、自動車、農業機械。
最初は誇大な宣伝だと思っていた。
文明圏外の国家に、それほどの工業力があるはずはないと考えていた。
レミールは窓の外へ目を向けた。
港にはムーの商人、技術者、その妻子の姿もあった。
誰一人として慌ててはいなかった。
だが誰一人として残ろうともしていなかった。
本作でのムーは、原作と少し異なっています。
〇ムーの航空機
・マリン艦上戦闘機
カナードプッシャー式の戦闘機。
脱出の際はプロペラへの巻き込みを防ぐため、機首の下半分が口のように開いてパイロットを放逐する。パカっと。
モデルはボルトンポールP.100
全長:10.4m
全幅:12.2m
最大速度:690km/h
武装:40mm機関砲、20mm機関砲
・シム哨戒機
複座式の艦上哨戒機。
操縦席が前上方に押し出された個性的な形状の哨戒機。
機体形状は魚とか、コブダイとか、醜いアヒルだとか表現される。
哨戒機として視界確保を最優先したため、操縦性は最悪。
モデルはショート・シーミュー
全長:12.5 m
全幅:16.75 m
最大速度:380km/h
武装:爆弾・爆雷等最大800kg
〇イルメリアの航空機
・FA-4R ハウッカ
自国で使用していたA-4スカイホークの権利一式を、アメリカでの生産終了にの際に購入し、素材、エンジン、電子系に至るまで再設計した機体。
機体の特性は攻撃機寄りのグリペンである。
全長:12.74m
全幅:8.38m
最大速度:1,430km/h (1.16Mach)
武装:25mm機関砲、各種ミサイル・爆弾等最大4.15t