■アルタラス王国 王都ル・ブリアス
九月十五日 夜
ル・ブリアス港に停泊する艦艇が、無数の灯火に彩られていた。
大小の船影が、暗い夜の海に連なっているようにも見えた。
アルタラスの王城では、演習参加国の将校を歓迎する宴が催されていた。
かつてパーパルディア軍に荒らされた広間は、すでに修復を終えていた。
ただ、被害の痕跡だけは、その一部が意図的に残されていた。
ギリシャの神殿を思わせる円柱を連ねながら、アラビア風の華麗な装飾を取り入れた広間。
シャンデリアと無数の燭台が大理石の床を照らし、白衣の給仕が酒肴を運ぶなか、黒い詰襟の日本人、灰色の軍服姿のイルメリア人、ロデニウス大陸から来たエルフやドワーフの武官が、幾つもの輪を作って歓談していた。
異なる国、異なる文明から集まった者たちが、同じ卓から料理を取り分け、同じ酒を酌み交わしている。
その光景は、彼らの間に生まれつつある新しい関係を雄弁に物語っていた。
広間の奥には女王ルミエスが立ち、その傍らに騎士団長ライアルと従騎士であるリルセイドが控える。
ルミエスは各国の士官を見渡した。
日本からは、第三海上隊司令の伊原貢将補、大型海防艦『長鯨』艦長の永井満大佐、正規空母『大鷲』艦長の佐久間英邇大佐が出席していた。
ムーの観戦武官マイラス、ラッサンの姿もあった。
クワ・トイネ公国からは哨戒艦『マイハーク』のエルフ族艦長、クイラ王国からは警備艦『バルラート』のドワーフ族艦長が顔を見せている。
イルメリアから招かれたのは、演習艦隊を束ねるキアラ・ドルフィン司令大佐と、海防輸送艦『イディオメロン』艦長アーリ・エギルソン大佐だった。
さらに、イルメリア艦に同乗してきたトーパ王国の騎士アボンの姿もあった。
国も種族も身分も異なる者たちが、今夜は同じ広間に集っている。
宴の目的は、各国士官の親睦を深めることにあった。
同時に、アルタラス王国と五国連盟の友好関係を内外へ示す場でもあった。
ルミエスが杯を手にすると、広間は静まり返った。
「アルタラスは、一度国を失いました」
若き女王の声が響いた。
「ですが、多くの方々の助けによって、私たちはこの地へ戻ることができました」
ルミエスは窓の外へ目を向けた。その先には、各国の艦艇が並んでいる。
「今夜、この王城に皆様をお迎えできたことを、嬉しく思います」
杯が掲げられる。
「五国連盟と、アルタラスの友誼に」
各国の士官たちも杯を上げた。
「友誼に」
唱和が広間を満たした。
楽団が演奏を再開すると、出席者たちは思い思いに交流を深めた。
アルタラス騎士団長ライアルは、伊原将補とともに窓際に立っていた。
「明日の演習海域に残っていた漁船は、すべて退避させました」
「ご協力に感謝します」
伊原が応じた。
「臨検訓練に使う船も、予定の位置へ移動済みです。避難民役の者たちは、夜明け前に港に入ります」
「住民の皆さんには、ご負担をかけます」
「彼らは負担とは思っておりますまい」
ライアルは沖の艦隊を眺めた。
「この国の者にとって、あれほど多くの友軍艦艇を見る機会は、そうありませんゆえ」
少し離れた場所では、永井大佐とエギルソン大佐が翌日の上陸訓練について話していた。
「第一陣は、そちらの輸送船から出すのですな」
「ええ。ただし、上陸地点を確保した後は、日本側の舟艇にも入っていただきます」
エギルソンは続けた。
「輸送車両の揚陸には時間が掛かります。順番を誤れば、海岸が塞がります」
「実戦なら、敵も待ってはくれませんな」
「そのための演習です」
エギルソンは杯のワインを呑み干した。
『大鷲』艦長の佐久間大佐は、クワ・トイネとクイラの艦長に囲まれていた。
「空母の甲板には、あれほど多くの人員が必要なのですか?」
『マイハーク』艦長が尋ねた。
「運用するだけなら、もう少しは減らせます」
佐久間は答えた。
「しかし、艦載機を発艦させ、帰投した機体を再び送り出すとなれば、相応の人手が要ります」
「船が大きくなれば、仕事も増えるということか‥」
『バルラート』艦長は腕を組んだ。
「イルメリアが手放した理由も分かる気がするな」
彼の呟きに、佐久間は苦笑した。
確かに『大鷲』の運用には苦労させられていた。
昔に比べ、組織も艦隊も相当に小さくなっていたのだから。
そんな各国の士官の様子を、マイラスとラッサンは広間の隅で眺めていた。
それぞれの華やかな礼装。
人々は穏やかに言葉を交わし、ときおり笑い声が上がっていた。
窓の外では、停泊した艦艇の明かりが波に揺れていた。
港に続く大通りには、日本やイルメリアの水兵が行き交っていた。
クワ・トイネやクイラの乗員も交代で街に繰り出し、酒場や食堂は各国の制服をまとった客で賑わっている。
「パーパルディアの眼前で演習をするというのに、呑気なものだな」
マイラスが小声で言った。
「艦隊司令まで王城で宴か」
ラッサンが杯を傾ける。
ル・ブリアスから皇都エストシラントまで、僅か千キロ。
パーパルディアが、この演習を黙って見ているとは思えなかった。
それにもかかわらず、艦隊は非番の乗員を上陸させ、王城では指揮官たちが酒杯を交わしている。
「パーパルディアが動くとは考えていないのか?」
「考えてはいる」
その会話に、背後から落ち着いた声が割って入った。
二人が振り返ると、濃灰色の軍服に身を包んだ赤髪の女性将校の姿があった。
演習艦隊を統括する、キアラ・ドルフィン司令大佐である。
軍服の胸に留められた、サン・マルコの獅子を象る記章。
それは、彼女が亡命ヴェネツィア貴族の末裔であることを示していた。
マイラスはわずかに居住まいを正した。
三十代半ばとおぼしき整った顔には、わずかな微笑が浮かんでいた。
しかし、その眼差しは鋭く、艦隊を率いる者の威厳を感じさせた。
「では、なぜ乗員を街へ出すのですか?」
「休養のため。それ以上の理由はありません」
キアラは当然のことのように答えた。
「パーパルディア本国艦隊が出港するまでには、まだ時間があります」
「それが分かるのですか?」
「分からずに艦隊を預かっているとでも考えておられたか?」
口元に微笑を残したまま、キアラは平然とマイラスを見返した。
パーパルディア皇国の海軍基地は、今も監視下にある。
衛星軌道上の監視ドローンの情報によると、エストシラントの軍港は物資の搬入と人員の召集に追われていた。
だが、戦列艦を中心とする大艦隊を動かすには、弾薬、食糧、水、魔導兵器といった資材を積み込まなければならない。
帆装の点検や乗員の編成には時間が必要だった。
出港まで少なくとも数日。
そこからル・ブリアス沖へ到達するには、さらに二日ほどの航海が必要となる。
その状況は、日本をはじめとする演習参加国の指揮官にも伝えられていた。
「つまり、パーパルディアの動向が分かると?」
ラッサンが問い返した。
「正確な時刻までは分かりませんが、」
キアラは窓の外へ目を向けた。
「少なくとも今夜ではありません」
マイラスも沖を見た。
港外に散開したイルメリアの無人哨戒艦の舷灯が微かに揺れる。
艦隊は錨を下ろし半舷上陸に入っていた。主機を止めている艦さえある。
警戒を解いているのではなく、本当に休める時機だと判断しているのだ。
「警戒しなくてもよい、と?」
「無論、警戒は続けています」
キアラは即座に否定した。
「ただし、警戒と緊張は別です。常に張り詰めていては、いざという時に兵が持ちません」
そう言うと、キアラは伊原たちの一団へ戻っていった。
マイラスは、改めて広間を見回した。
アルタラスの騎士と日本の海軍士官が語り合っていた。
エルフの艦長は、ドワーフの艦長と料理を巡って言い争っている。
「備えてはいるのだな」
ラッサンがつぶやいた。
「ああ」
マイラスは杯を置いた。
王城では音楽が続いていた。
港の酒場では、各国の水兵たちが杯を重ねていた。
そしてこの瞬間にも、パーパルディアでは出撃の準備が続けられていた。