■皇都エストシラント南方 海軍基地
パーパルディア海軍本部の作戦室では、皇国軍最高司令アルデ、海軍総司令官バルス、作戦参謀マータルが海図を囲んでいた。
「五国連盟は、依然として演習を続けています」
マータルはル・ブリアス沖を指した。
「演習を名目としていますが、皇国に対する示威であることは明らかです」
アルデは不快感を隠さなかった。一方、バルスは海図に目を落としたまま口を挟んだ。
「那覇へ派遣された監察軍は全滅し、アルタラス駐留軍も降伏した。相手の戦力が分からぬまま艦隊を出せば、同じことが海上で起こりかねん」
「しかし、無視もできません」
マータルは海図の上に艦隊符号を並べた。
「ここで動かなければ、皇国はアルタラスの再独立と五国連盟の進出を認めたと受け取られます。属領への影響も避けられません」
「勝算はあるのか」
「敵の長射程砲は脅威ですが、参加艦のすべてが日本やイルメリアと同じ戦力とは考えられません。本国艦隊を広く展開し、損害を分散しながら接近します。敵が少数の長射程兵器に依存しているなら、全艦を阻止することはできないでしょう」
「艦の間隔を広げれば、指揮が難しくなるぞ」
バルスの指摘に、マータルは頷いた。
「艦隊運動と相互支援を犠牲にする作戦です。それでも、密集したまま砲撃を受けるよりはましでしょう。ただし、損失が全体の三分の一に達した時点で接近を断念し、撤退させます」
「初めから三分の一を失うと見込むのか」
「それほどの相手です。そこまで失っても砲戦距離へ入れないなら、残る艦を投入しても結果は変わりません」
バルスは艦隊符号を見つめた。一つ一つの印の向こうには、数百人の乗員がいる。
「退くべき時には退かせろ。艦を失っても、兵まで無駄に死なせる必要はない」
アルデはしばらく沈黙した後、決断を下した。
「本国艦隊を出す。ル・ブリアス沖へ進出し、五国連盟に演習の中止と退去を要求せよ」
海上で艦隊を率いる任務は、アルカオン提督に与えられた。
旗艦は、皇国が三隻しか保有しない百五十門型超フィシャヌス級魔導戦列艦『ディオス』である。
*
準備を終えた戦列艦が順に港を離れ、港外で隊列を組んだ。最後に『ディオス』が錨を上げる。
第一、第二、第三艦隊の全力出撃は、皇国海軍の歴史にも例がなかった。
五百隻を超える戦列艦と二十隻の飛竜母艦が帆を広げ、海面を埋めるように外洋へ向かっている。
アルカオンは艦橋から後続艦を眺めた。
「港外へ出た艦から、指定された間隔を取らせます」
艦長の報告に頷き、命じる。
「一キロの間隔を保て。部隊ごとに針路と速力を確認し、先行する艦を出すな」
広く散開すれば、信号の伝達や一斉転舵に時間がかかる。
それでも、一度の砲撃で複数艦を失う危険は減らせる。
前衛が損害を受けても後続が進み、皇国側の射程へ持ち込む。
それが今回の作戦だった。
艦隊は巡航速力を保ち、ル・ブリアス沖へ向かった。
砲甲板では、砲員が滑車と照準具を点検していた。
上甲板では索具員が帆を調整し、飛竜母艦では竜騎士が鞍と魔導火炎弾を確かめている。
補充兵の遅れは分隊長と古参兵が補ったが、艦内では日本の軍艦やイルメリアの飛行機械について、確かな根拠のない噂が交わされていた。
水平線の外から砲弾を当てる軍艦、ワイバーンを追い越す飛行機械。
どこまでが事実なのか、水兵たちには分からない。
ただ、周囲には皇国最大の艦隊があり、見渡す限り帆とマストが続いている。
その光景は、彼らが信じてきた第三文明圏最強の海軍そのものだった。
エストシラントを離れて二日目、前衛部隊から異形の艦影を発見したとの報告が届いた。
*
日本が正規空母と呼称する強襲揚陸艦『大鷲』の艦橋では、当直員がアクリル製状況盤を更新していた。
海域を示す方眼の裏側に作図員が立ち、報告を受けるたびに鏡文字で位置と時刻を書き加えていく。
イルメリアの衛星や無人機が集めた情報が、そのまま日本艦へ送られてくるわけではない。
日本艦隊の情報共有能力は一九八〇年代相当に留まり、受け取れるのは目標の概略位置、針路、速力などを整理した情報だけだった。
クワ・トイネとクイラの艦艇にはそもそもデータリンク自体がなく、無線と事前の行動表に従っている。
状況盤の前には、ムーから派遣された観戦武官、マイラスとラッサンが立っていた。
「ずいぶん広く展開しているな」
マイラスが、パーパルディア艦隊を示す符号に目を留めた。
「艦同士の間隔は、およそ一キロと推定されています」
日本側の連絡士官が答えた。
「攻撃による同時損害を避けるためでしょう。艦隊運動は難しくなりますが、筋の通った判断です」
ラッサンは盤面の端にある符号を指した。
「この一隻は?」
「イルメリアの無人哨戒艦です。主力から約五十海里前方へ進出し、退去を求めています」
*
アルカオンは『ディオス』の艦橋から、前方の異形の軍艦を見ていた。
全長は皇国の主力戦列艦に近く、船体は幅広い。
だが、帆柱も煙突もなく、上部構造物は甲板に押しつけたように低かった。
後半部には何もない平らな甲板が広がり、乗員の姿も見当たらない。軍艦の上半分を削ぎ落としたような、平べったい大型艦だった。
その艦が一定の速力で皇国艦隊に近づき、退去を要求していた。
『パーパルディア皇国艦隊へ通告する。貴艦隊は、五国連盟共同演習の実施海域へ進入しつつある。直ちに針路を変更し、同海域から退去せよ』
同じ文言が、一定の間隔で繰り返されていた。
「こちらの通告に返答は?」
「ありません。同じ警告を繰り返しております」
皇国側も演習の中止と海域からの退去を要求していたが、無人艦は針路を変えない。
このまま近づければ、艦隊の位置と陣形を探られ続ける。
かといって退去に応じれば、五国連盟の主張を認めたことになる。
「最後通告を送れ。なおも接近するなら砲撃すると伝えろ」
通信兵が命令を伝えた後も、異形の艦は速度を落とさなかった。
「前衛部隊に砲撃を許可する。撃沈せよ!」
先頭の帆走フリゲートが舷側を向け、砲門を開いた。
最初の斉射が無人艦の周囲に水柱を立て、修正を加えた次の射撃が船体を捉える。
着弾とほぼ同時に、無人艦の中央部が白熱した。
海面が持ち上がり、閃光を追って爆風と破片がおよそ五百メートル先まで及んだ。
最も近くにいた帆走フリゲートの帆と索具が引きちぎられ、甲板上の水兵が伏せる間もなく吹き倒された。
広い艦間距離を取っていたため、ほかの艦に大きな損傷はなかった。
「被害を報告させろ。救助は後続艦に任せ、前衛は進路を維持せよ」
アルカオンは命じた。
あの艦に何が積まれていたのかは分からないが、ここで艦隊を止めれば、先ほどの砲撃と損害だけが残る。
パーパルディア艦隊は、損傷艦を後方へ下げ、前進を続けた。