■高度 三万六千キロ
静止軌道に、直径およそ一キロの物体が浮かんでいた。
半球の平らな上面に、中世の城郭都市を丸ごと載せたような姿である。
軌道ステーション〈アルカナ〉
球体そのものは、人類が造ったものではなかった。
数十年前に発見された外宇宙文明の遺構である。
これを発見した北方ローマ皇国は、平坦な上面に施設を築き、軌道基地として再構築していた。
そのアルカナの観測装置が、人工衛星を追っていた。
グラ・バルカス帝国の光学偵察衛星、低軌道を周回している衛星群の一基である。
観測装置が新たな軌道を算出した。
十時四十分、皇都エストシラント上空を通過。
撮影範囲には、エストシラント市街と海軍基地、日本・イルメリア連合部隊の揚陸地点が含まれていた。
「偵察衛星、十時四十分にエストシラント上空を通過。揚陸地点が撮影範囲に入ります」
オペレーターのリーヴ・ニストロムが報告した。
「迎撃は?」
軌道管制官オスカル・ハルティネンが訊く。
「イルメリア本島の迎撃設備は射程外です。軌道艇〈メビウス〉も、今からでは間に合いません」
表示を確認していたリーヴが続けた。
「迎撃可能範囲内に〈オブリビオン〉がいます」
オスカルが振り返る。
アルカナ総督、ニキフォロス・レオンティスが命じた。
「軌道データを送れ。排除させる」
静止軌道の別の位置に、長い影が浮かんでいた。
全長五百七十六メートル。
監視、通信中継、観測ドローンの運用などを担う、イルメリア軌道軍の巡察艦〈オブリビオン〉
存在自体が秘匿されている、異星文明の遺産艦である。
もちろん、イルメリアが公開している艦艇名簿に〈オブリビオン〉の艦名はなかった。
乗組員は、わずか三人である。
『アルカナより軌道データ受信』
観測席のアストリッド・ソルベルグが、中央モニターを拡大した。
モニター中央に小さな白い点が映る。
「グラ・バルカス帝国、光学偵察衛星。軌道登録番号四〇七と一致」
艦長エイレーネ・カリストが顔を上げた。
「所属と型式は?」
「グラ・バルカス帝国型、球形偵察衛星、通称〈ゼニット〉です」
表示が切り替わり、暗い宇宙を背景に、灰色の球体が映し出された。
観測窓を備えた直径数メートルの偵察衛星である。
グラ・バルカス帝国は、すでに数十基の軍事衛星を軌道上に展開していた。
「目標の軌道を報告」
「目標、エストシラント上空を通過、通過時刻十時四十分」
「想定観測範囲」
アストリッドが軌道を重ねた。
「市街南部、海軍基地、それと――」
画面上に赤い枠が現れる。
「揚陸地点が入ります」
エイレーネは表示を見た。
海岸には、完成したばかりの仮設桟橋が伸びている。
皇都が包囲されたこと自体は隠す必要がなかったが、問題はその手段と規模である。
「衛星情報から、どこまで解析できる?」
「桟橋の規模と車両数は判別できます。前後の写真と照合されれば、揚陸所要時間もかなり絞られます」
「それは良くないね」
港湾設備のない海岸に、どれだけの時間で、どれだけの兵力を送り込めるか。
覇権国家グラ・バルカス帝国に対しては、秘匿すべき情報である。
「ユハ!」
「軌道計算済みです」
航法席のユハ・レーティネンが答えた。
眼鏡の奥の視線は表示から動かない。
「現在位置から降下。第三遷移軌道を使用します。六分二十秒後、射撃可能距離に入ります」
「通信中継は」
「〈アルカナ〉と四号、七号ドローンに迂回済み。地上への影響は軽微」
エイレーネは艦長席に深く腰を下ろした。
「迎撃軌道に入れ」
「了解」
船体内部で縮退炉の出力が上がり、舷側に張り出したメインブースターが蒼い炎を引いた。
グラ・バルカス帝国の偵察衛星は、一定の速度で惑星を回っていた。
『目標まで三万と五百』
アストリッドが告げる。
「追尾状態どうか?」
『良好です。目標側からの反応なし』
エイレーネは兵装パネルを開いた。
『目標まで三万四百』
アストリッドが目標を拡大する。
その向こうには、青白い惑星が広がっていた。
「左舷凝集光砲、対小型目標」
『出力設定完了』
『射線上に友軍衛星なし』
『観測ドローン群、退避確認』
衛星の各部に細い照準線が重なった。
『目標まで三万二百キロ、まもなく射程内』
エイレーネは表示を確認すると、短く命じた。
「凝集光砲、斉射!」
刹那。
偵察衛星の外殻に、赤熱した光点がいくつも浮かんだ。
照射点が移動し、衛星が白熱する。
衛星の反応がレーダーから消えた。
『目標、蒸散』
アストリッドが観測結果を確認する。
『残存の大型破片なし。想定通りです』
「よし」
エイレーネは兵装パネルを閉じて命じた。
「浮上、戻るぞ」
「了解」
オブリビオンはゆっくりと船首を巡らせた。
静止軌道に戻った〈オブリビオン〉から、観測ドローンが離れていった。
『東京―マリポリ回線、通常経路に復帰』
アストリッドが報告した。
「通信状況」
『正常です』
「グラ・バルカスの衛星は?」
『追尾中の衛星、二十九基。次の軌道通過は七時間後です。ただし、その頃には揚陸地点に秘匿対象はありません』
「なら放っておけ」
『了解』
「次の当直は私だな。コーヒーでも淹れてくれ。姫様が置いて行かれたパンテスパーニ(カステラ)も出そうか」
艦長席から立ったエイレーナは、大きく背中を伸ばした。
数時間後。
別の偵察衛星が、エストシラント上空を通過した。
グラ・バルカス帝国が後日回収した写真には、皇都を取り囲む多数の車両が写っていた。
海岸には、仮設桟橋だけが残っていた。