■中央暦一六四〇年十月
イルメリア専制公国
領都マリポリの夜空に、赤と金の花が咲いていた。
朝晩の気温は一桁まで下がる北国の晩秋。城館のテラスに出ていたユリアは外套を羽織り、市街の灯りと、その上に開く花火を眺めていた。
海沿いの通りには露店の明かりが連なり、港には漁船や商船の灯火が集まっている。北方ローマで毎年行われるニシン祭りの夜だった。マリポリでは夜明けまで祭りが続く。日付が変わって久しいというのに、港からは人声と音楽が絶えず、冬を前にした夜空には次々と花火が上がっていた。
「今年も賑やかですわね」
傍らにいた侍女のタニヤも港を見た。
「夜明けまで続くそうです」
「そう……」
ユリアはしばらく黙って花火を眺めていたが、やがて思い出したように言った。
「向こうも、そろそろ折れる頃かしら?」
遠くで、ひと際大きな花が開いた。
「それはそうと、姫様」
「はい?」
「もう三時です。いい加減、お休みください」
ユリアは市街の時計塔を見た。針は確かに三時を回っている。
「だって、タニヤ。お祭りはまだ続いていますわ」
「祭りが夜通しだからといって、姫様まで起きている必要はありません」
そう言うと、タニヤはユリアの腕を取った。
「ちょっと、タニヤ」
「お休みください」
「自分で歩けますわ」
「そう言って座り込んでいるのは、どなたでしょうか」
タニヤは抗議に構わず、ユリアを城館の中に引きずっていった。二人の姿が消えたあとも、港の灯りは消えず、花火は夜空に上がり続けていた。
エストシラント南方の上陸戦から半月余りが過ぎていた。
海軍基地の制圧を終えた日本の保安隊は、必要な引き継ぎを済ませてすでに撤収していた。ムーから派遣されていた観戦武官も帰国し、皇都周辺に残る部隊はイルメリア軍団だけとなっていた。
エストシラントから地方に通じる主要街道は、すべて封鎖されている。西街道では、低い丘に四機のグノームが間隔を取って伏せ、その後方に装甲モジュラー車両スクタトスの一群が展開していた。歩兵戦闘車型を中心に、防空型、自走砲型、自走迫撃砲型を組み合わせた、一個中隊に満たない部隊である。
その先には、三日前に敗走した皇国軍の痕跡が残っていた。道端には車軸を折られた魔導砲や遺棄された銃と槍が散らばり、脚を負傷した地竜が荷車の陰に伏せている。
二千人余りの皇都救援部隊がこの街道を進んできたとき、イルメリア軍は二度にわたって停止を勧告した。救援部隊は応じず、魔導砲と地竜部隊を前に出した。指揮官、通信役が執拗に狙われ、十分も経たぬうちに隊列が崩れた。残った兵は、負傷者を連れて敗走した。
他の地域でも同様に、皇都に近づく救援部隊は戦力だけを奪われ、生き残った兵は見逃された。
*
皇国の海運は、皇都が包囲される以前から衰えていた。
一年以上前、イルメリア近海でマリポリに向かう商船が沈められて以降、パーパルディアの私掠船と武装商船は執拗に狙われてきた。抵抗した船は沈められ、積荷も失われたが、生き残った乗組員まで殺されることはなかった。武装も取り上げられず、沿岸近くまで運ばれ、そのまま「解放」されたのである。
船を失った水夫や私掠船員は、銃や刀を持ったまま港町に戻った。沿岸都市では喧嘩や強盗が増え、地方官吏は治安維持に追われた。商人は航海を避けるようになり、輸送費の上昇とともに沿岸輸送は先細っていった。
その一方、皇都周辺に入ったイルメリア軍は徴発を行わず、荒れ果てた街道を補修し、農具の修理や家畜用飼料の不足にも手を貸した。軍医も村々を巡回し、老人や子供を診察していた。
初めの数日はイルメリアの軍団を遠巻きに見ていた村人は、一週間を過ぎる頃には畑に戻り、二週間もすると軍用車両が通っても仕事の手を止めなくなった。街道を補修し、病人を診る相手を、わざわざ拒む理由がなかったのである。
やがて街道沿いには小さな市まで戻り、日が沈む頃になると、そこに別の人だかりができるようになった。
イルメリア軍が包囲開始前に運び込んだ打ち上げ花火は、小型のものから尺玉に至るまで、約三十万発に及んだ。皇都の包囲後は、毎夜五千発の花火が打ち上げられていた。
その日最初の花火が夜空に上がり、赤い輪を描いて開いた。二発、三発と続いて光が重なった。
皇都の城壁からさほど遠くない草地には、大きな布が何枚も敷かれていた。村人たちはその上に腰を下ろし、子供たちは走り回っている。その傍らで地元の商人が屋台を出し、花火を待つ人々を相手に商売をしていた。
「今日は西側が多いな」
「大きいのは最後だってさ」
「昨日もそうだっただろ?」
そんな遣り取りが交わされるあいだにも、包囲部隊の陣地から花火が絶えず上がる。
皇都の外では、それがすでに夜の娯楽として受け入れられつつあった。