同じ頃、エストシラントの皇城では御前会議が続いていた。
皇帝ルディアスを囲み、レミール、ルパーサ、外務局長、軍首脳、経済と統治を担う官僚らが席についている。中央のテーブルには皇都周辺の地図が広げられ、各街道には敵味方の位置を示す駒が置かれていた。
「北部街道の救援部隊も撤退いたしました」
作戦参謀マータルが報告した。
「兵力二千四百。地竜十七頭、魔導砲八門の部隊でありましたが、敵陣到達前に砲兵を失い、後退しております」
「損害は、いかほどか?」
「死傷者は多くございません。ただ、敵は追撃を行っておりません」
ルディアスは地図に目を落とした。皇都を囲む街道には、同じような状況を示す駒がいくつも並んでいた。
皇国軍最高司令アルデが上奏した。
「陛下。現状の戦力にて包囲を突破することは困難でございます」
「困難、と考えるか?」
「率直に申し上げますと、不可能と判断してよろしいかと」
陸将ベルトランも同意した。
「市街に誘い込めれば、まだ戦えましょう。城壁と建物を使えば損害を強いることもできましょう。ただし、敵が入ってくればの話にございます」
イルメリアの軍団は街道を封鎖し、皇都に近づく部隊だけを潰していた。
「奴らは何を待っていると考えるか?」
ルディアスの問いに、カイオスが答えた。
「我々の決断かと存じます」
カイオスは属領の疲弊と周辺情勢の危険を説いたことで中枢から遠ざけられていたが、その先見性を再評価され政府中枢に戻っていた。
「皇都を落とすつもりであれば、すでに砲撃しておりましょう。敵にはそれだけの力がございます」
「では、なぜ撃たぬと考える?」
「撃つ必要がないからかと存じます」
レミールは卓上に広げられた資料を閉じた。
「その意見に同意する。
レミールは自らの情報収集の結果、日本やイルメリアの軍事力を多少なりとも正しく評価していた。
「正面から戦えば勝てぬ、と考えるか?」
「少なくとも現状では、そうでありましょう」
「食糧の備蓄は、いかほどか?」
ルディアスが尋ねると、経済担当局長ムーリが資料を手に取った。
「臣民が直ちに飢える状況ではありませんが、補充がございません。穀物の配給量を削ればしばらくは持ちましょうが、他の物資は先に不足する懸念がございます」
「
「物資の価格統制が機能しなくなりつつあります。ここ数日、買い占めと偽造配給券が増えております」
臣民統治機構長パーラスが眉をひそめた。
「では、規制を強めればよいのではないか」
「摘発を強化しても、食糧は増えませぬ」
ムーリが答えると、パーラスは語気を強めた。
「秩序を失えば、それこそ終わりであろう?」
「その秩序を維持する役人の多くは、配給所の整理に回っています」
ルパーサは卓上に積まれた書類に目を向けた。
「これは?」
「臣民からの陳情書でございます」
ルパーサが答えた。
「何の陳情であるか?」
「夜間の騒音についてでございます」
ほどなく窓の外で低い破裂音が響き、さらに数発が続いた。
「……始まったか」
皇帝ルディアスは、諦めたような口調で呟いた。
*
包囲が始まってから毎晩、日没から夜明けまで五千発の花火が上げられていた。
皇都に暮らす市民からは、その騒音を止めてほしいという陳情が絶えなかった。
「敵の備蓄は、いかほどと見積もっておるか?」
ルディアスが尋ねると、マータルが答えた。
「正確な数字は分かりかねます。ただ、これまでの状況から見て、少なくとも一月以上は同じ規模で続けられるものと存じます」
「一月か……」
「花火だけで、ではありますが」
皇都ではすでに物資統制が行われているというのに、敵は毎夜五千発もの花火を惜しげもなく打ち上げている。
「連中は、何を考えていると考えるか?」
「余裕を見せ付けていると存じます」
ムーリが答える。
「我々は、敵も相応の負担を払っているものと考えておりました。しかしながら、そうではないのやもしれません」
カイオスが言った。
「回りくどい表現を止めよ」
「はっ。敵にとって、この戦争は国家の存亡を賭けた戦いではないものと存じます」
ルディアスの目が細められた。
「軍団を遠征させ、皇都を包囲している。それでもと申すか?」
「それでも、と存じます」
カイオスは淡々と答える。
「沿岸部からも報告が届いております。敵軍は皇都周辺の村に物資を配り、街道の補修すら行っております」
「余もそれは聞いておる」
「朝市も戻り始めております」
ルディアスが顔を上げた。
「朝市?」
「住民が商売を再開しております。敵はこれを止めておりません」
「敵との交易ではないか!」
パーラスが声を荒らげた。
「皇国の行政官が食糧を届けられぬ以上、禁じても従いますまい」
カイオスはパーラスを見ずに続けた。
「昨夜は、近隣の村より多数の住民が、花火を見に集まったとのことでございます」
それを聞いて、皆が黙り込んだ。
「花火見物と申すか?」
ルディアスが聞き返した。
「城外では、見世物になっております」
レミールがかすかにため息を
「陛下」
カイオスが続ける。
「以前であれば属国を武力で抑えることができましたが、今は状況が異なります。商船は減り、皇都に向かう救援部隊は戦力を失っております。その一方で、皇都の周辺には敵軍が居座り、街道の整備すら行っております」
カイオスは、そこで一度言葉を切った。
「もし降伏なされば、皇国の威信は傷つきましょう」
「良い、続けよ」
「ですが、皇国の威信はすでに傷ついております。我々が選べるのは、威信を失うか否かではございません。どこまで残せるかでございましょう」
「簡単に申すのであるな」
ルディアスは声を低めた。
「余が敵に頭を下げたと知れば、地方総督も貴族も黙ってはおるまい。皇国が何によって周辺を従えてきたか、よもや忘れたわけではあるまい」
パーパルディアの秩序は、軍事力への畏怖と報復への恐怖の上に築かれてきたのは周知の上である。
「余が敵に降れば、その翌日、皇国が残っている保証があると申すのか?」
今度はルパーサが口を開いた。
「ございません」
「ならば――」
「ですが、このままではその保証すらございません」
ルディアスは黙った。
「敵は皇都を落とそうとしているのではありません。皇都だけを切り離そうとしております」
ルパーサは地図に目を落とすと、エストシラントを囲む街道を指でなぞった。
その日の会議でも結論は出なかった。
軍部は包囲突破を不可能と見なし、外務局は交渉の余地を認めた。経済官僚も市場と物流の維持には限界があると報告した。情勢についての認識に大きな隔たりはなかったが、誰も決断を下せずにいた。
会議を終えたルディアスは、一人で回廊の窓辺に立った。
夜空に次々と白い花が開き、遅れて低い音が響く。それを追うように色取り取りの花が次々に上がっていた。
ルディアスは窓の外を見つめたまま動けなかった。
どうすれば皇国を残せるのか——その答えを、まだ見いだせずにいた。